シェアハウス

          
2001北の住まいコンペ最優秀賞


             柳田良造・大橋拓                 

●中央区山鼻界隈
市民生活における個人の可能性を開き、家族と地域社会を再構築の原単位として共に暮らす住居=シェアリングハウスを提案する。敷地の場所は札幌の古くからの住宅地である中央区山鼻界隈である。このあたりは落ち着いた1戸建ての住宅地形成がなされていたところだが、近年社宅跡地などの敷地に、高層マンションが建ち始めている。都心にも近く、藻岩山などの緑も豊で市電の足もあり、良好な住宅地として成熟していく建築タイプが求めらている場所なのである。敷地にまとまった緑を残しつつ120%程度の容積と戸建ての街並みとも調和していく3階建ての建築をベースとし、計画案を設定した。

●コア・ユニットとシェアリング・ユニット
住居の延床面積は1227Fである。一般のマンション形式では、玄関ホール、階段等のスペースを約2割と考えれば、専有部分は1戸あたり約100F(30坪)である。いわゆる3LDK程度の住居になる。そういう規模の住居を、専有部分の空間ユニット(コア・ユニット)とシェアリングする空間ユニット(シェアリング・ユニット)に分け、様々な組み合わせで敷地も含めて、それぞれの家族が建物全体を利用することにより、日々の多様な暮らしへの豊かな対応、生涯のライフステージに応じた住居変化への対応が可能となる空間が出現する。
コア・ユニットはトイレ、風呂、キッチンとリビングと1〜2部屋の室からなるコンパクトな構成の住居ユニットで、高齢者世帯や単身家族の入居するユニット(1階に位置するフラットタイプ4戸)と2〜3階の大きな容積をもつメゾネットタイプのユニット6戸の計10ユニットがある。
シェアリング・ユニットは、玄関、共有キッチン・食堂、スタジオ、工房、個室、介護室(個室)、共有風呂・洗濯室、物置、コージェネシステム、共有庭、菜園からなる。車も駐車スペースは全部で6台であり、車は共有・共同利用である。

●シェアリング・パターン
ある家族の場合でシェアリング・パターンを描いてみよう。メゾネット住居に住む4人家族、子供は高2と中2である。2階に水周り、キッチン、リビング、テラス、3階に大きな夫婦の寝室となる個室のコアユニットがある。高2の男の子は、もらったお小遣いを家賃に、集中して勉強できるようにと2階の離れの個室を勉強部屋に借りた。父親は研究所勤めの技術者で、音楽と映画が趣味。1階のスタジオを別な映画すきの家族とシェアしている。母親は最近ガーデニングにこりはじめ、屋上菜園でキッチンガーデンを育て、自家製のハーブや野菜などの収穫を楽しみにしており、専用部分の広い2階デッキでも、鉢植えの花を一面育てている。生活を高2の男の子は学校から帰ると、共用部分から直接個室へ。隣の個室には同じ高校生の子がいて、ときどき勉強の事や学校のことを相談したりしながら、夕食まで勉強。父親も家族の集まる時間は大切に思い、7時半に家族そろって、菜園でとれたズッキーニや豌豆、パセリをつかった料理の食卓を囲む。通勤・通学は電車で、車はウィークデイはほとんど使わない。月に2回程度、週末夫婦でスポーツカーを飛ばしたり、家族で郊外にワゴン車で出かける程度だ。ただ時々、冬場の暖房の薪集めや、日曜大工の材料集めに軽トラックが重宝している。
またある家族の場合、65歳前後の夫婦で子供はない。1階のフラットをコアにしているが、荷物の収納を兼ねて1階の個室を借りている。この部屋は、大阪から妻の妹が来札したときに寝泊まりできるようにもなっている。この夫婦は共同風呂にはいるのを毎日楽しみにしている。将来、どちらかが介護必要となった場合、1階の個室を介護用にと考えている。

●生きがいシェアリングへ
一家族で所有するには、困難なものをシェアリング(分かち合う)することにより、現代の住宅が必要としている機能を豊かなかたちでもつことが可能となる。シェアするには、話し合いやルールづくりが必要である。そういう話し合いや調整をひたすらさけた結果、現代の日本の住居は家族単位で閉塞化し、家族個人も孤立化してきたのではないか。地域社会はすでに崩壊している。
シェアハウス=共に暮らす住居は、もういちど家族単位の暮らしを、社会に開いていく仕掛けをもった住居である。しかし、この住居がにわかに、成員全体に共同生活の場となるという暮らしの形態ではない。基本はあくまで個人と家族であるが、生活場のあるステージが共同性の暮らしに開いているため、子供の育つ環境として、父親が会社と家族以外の生活場をもつ環境として、母親が子供以外の個人の関心をもちうる環境として、高齢者が将来の安心した暮らしをおくりうる環境として、ともに必要な社会性を成員が獲得しうる手がかりを確保した住居なのである。
精神科医の野田正彰は、日本社会において中高年の自殺者が急激に増加し始めた1980年代の後期、企業社会で生きる労働者の精神状況をルポした本のなかで、次のような結論を導き出している。
「無名の多数から寄せられる関心は、受け手にとって真の関心ではない。それは幻想のなかの関心であり、そこから創られる生きがいは、華やかにみえて空虚である。
無名のマス社会の関心から、個別の人間のネットワークのなかで生みだされる関心へ、私達は関心を作り替える時がきている。私たちは、勤勉によって生きがいを所有ないし独占しようとした時代から、『生きがいシェアリングの時代』に向かっている。」
住居も「所有ないし独占の時代」から「シェアリングの時代」に向かっている