函館街並み色彩まちづくり:続き
ペンキ塗りの長屋 |
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ペンキ塗りボランティア隊 | |
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都電倶楽部の活動 | |
十字街復興プラン | |
アメリカでのこすり出し |
1993年末に最初の助成活動がスタートして、約10年がたつが、その間計24件の市民まちづくり助成がおこなわれている。それらは例えば次のような活動であるが、函館での市民まちづくり活動の多彩さを改めて認識させるものである。
●歴史的な下見板建築のペンキ塗り替え活動
基金誕生の発端ともなっただけに、下見板張りの町家のペンキ塗り替えは毎年夏、建築学科の学生グループに地域の住民が協力する体制で行われている。ペンキの塗り替えによって街並みに影響を及ぼすには、1軒だけでなく複数のまとまったリニューアルが効果的である。予算の関係で1軒しかできない場合は、隣が塗り替え予定のある建物を選び3軒連続効果をねらったり(94年)、今年は工業高校の学生のボランティアの参加もあり、次第に街並みのレベルでの建物ペンキ塗り替えに、活動が広がりつつある。ペンキ塗り替えは最初「こすり出し」による色彩分析にもとづき、コンピューター・グラフィックスによるシミュレーションで、塗り換えの色を建物の持ち主と一緒に考えることから始まる。作業は夏の週末の2日間に一気に行われるが、最後に足場が外された時、風化した外壁と街並みが、見違えるように輝く瞬間が出現する。ペンキ塗り替えの対象となる歴史的な下見板建築は、行政の外観修復への支援策のある指定物件外の建物であり、観光とも縁のない普通の生活の舞台である。地区の過半を占めるこの普通の生活の舞台は急速に老齢化、老朽化が進行している。ささやかな活動ではあるが、ペンキ塗り替えが地区の忘れられようとしている建物へ、お年寄りの所有者が若いボランティアに刺激され、もう一度愛着を取り戻す契機を生み出しつつある。
その他にも、●市民の足となっている市電車両のペンキの塗り替え活動や、●衰退した商店街の再生へのプランづくり、●市民による函館の観光施設と街並みの景観調査、●奥尻地震で大きな被害を受けた歴史的建造物(旧海産商同業組合開館)の修復事業、●元町地区の古い住宅地での住民と一緒に地域の生活環境を考えるワークショップの開催など、様々な活動が展開されている。また「函館からトラスト事務局」も自主事業として、神戸のグループとの共同での神戸の異人館地区のペンキの色彩調査やアメリカからの建物修復とペンキ色彩の研究者の講演会の開催したり、元町倶楽部のメンバーによるローカルFM放送を使ってのまちづくり講座「じろじろ大学」のようなものも開かれている。
いずれも助成額は1件あたり20万円前後と少額であるが、年2回開かれる夏の中間報告会と3月におこなわれる最終報告会では、各活動団体とも非常に中身の濃い活動を発表し、出席している運営委員や事務局のメンバーを驚かせることも多い。
従来市民のまちづくりというと、なにか切実な課題や反対運動につきうごかされ、やむにやまれず立ち上がるというタイプの活動が多かったが、まちづくり公益信託からうまれつつある市民の活動は市民サイドで自主的にまちづくりのテーマを設定して市民が自ら考えて楽しみながら行動する、能動的かつ非義務的な活動が特色のように思われる。能動的なまちづくり活動では、助成額はたとえ少額でもそれが呼び水となって、満足できる成果がでるところまで、自主的に活動を展開していくケースが多いのである。問題はその呼び水と、困った時などに相談に乗ってくれる相手や情報ネットワークが用意されていることが重要なのである。市民の自主的な活動の受け皿として、財政面やノウハウ、情報提供の面からまちづくり公益信託が地域で機能する可能性がそこにあるように思う。
本来「まちづくり」という言葉は、地域に住む市民が中心となって、行政やデベロッパーと対等な関係をもって、市民にとって暮らしやすい街の整備や開発を行っていこうという意志をこめた言葉である。そういう意味では函館は「まちづくり」に独特のスタイルをもった街である。函館山の麓、西部地区と呼ばれる地域で、ここ十数年来おこなわれてきた歴史的環境をめぐる「まちづくり」は、お上意識、公共依存の都市開発に対し、市民の知恵とアイディア、臨機応変の動きがいかに街を面白くできるか、その実験場であったように思う。「函館からトラスト」というまちづくりの仕組みが、この「まちづくり」の伝統をさらにおもしろく発展させていけるかどうか、地域にどれだけ根付いていけるかにかかっているといえよう。
街は生きているのだから、変わっていって当然だ。再開発の波は函館の街にも押し寄せている。今後も街並みの変化がペンキを塗り替えるように、街の主役である人々の手で行われるような「まちづくり」を我々は望みたいのである