2002・町家ペンキ塗りワークショップ
――市民との交流の展開――


櫻田和子 ペンキ塗りボランティア隊・代表
森下 満 ペンキ塗りボランティア隊・顧問

函館市西部地区の古い下見板張りの洋風町家を対象とした、私達のペンキ塗りボランティア活動は、1990年から始まり昨年の2001年までに計20件の建物のペンキを塗り替えてきた。とくに1995〜2000年にかけて、「3軒効果町並改善」をキャッチフレーズに、町並みとしての改善が誰の目にもわかるよう、通りに連続する2〜3件の町家のペンキを塗り替えてきた。2000年からは、ペンキを塗ってほしい建物を公募するなど、対象物件さがしから広く市民参加の仕掛けを考えるという新しい試みをおこなってきており、それなりの応募がよせられている。また、熱心な市民からの塗り手参加者も見られ、とくに昨年は新たに地元の教育大学学生の参加が得られるなどこの活動を媒介とした市民との交流が展開しつつある。
 2002年の今回は、これまでの活動を継承し、老朽化が進む町並みを元気づけるとともに、市民からペンキを塗ってほしい建物を募集し、塗り手である函館工業高校、函館高専、教育大学の学生、一般市民および札幌の北大の学生等のさらなる参加と、互いの交流を深めていきたい、と考えている。すでに、京都の立命館大学と札幌の北海学園大学の学生の新たな参加表明があるし、公立はこだて未来大学からの参加も期待されるところである。
 今年は、8月31日(土)と9月1日(日)の2日間、2件の建物を塗ることに決まった。
 1件は右図左下の加藤家住宅である。私達の現在の活動の基盤となったのは、いうまでもなく、1988、1989年の、西部地区の洋風下見板張り建物85件を対象としたペンキ「こすり出し」である。この時あたかもバブル末期で、「こすり出し」建物の一つであった加藤家住宅も、マンション業者の攻勢にあって売却寸前のところであった。私達が「こすり出し」をし、建物の履歴についてヒアリングをしていた時に、居住者である一人暮らしの加藤さんが、できるなら亡きご主人との思い出深いこの建物で住み続けたいと希望していることを聞きつけた。何とかできないだろうか。そこで翌年の1990年、加藤さんを元気づけるために初めてペンキ塗りボランティア活動をおこなったのである。その結果、売却はとりやめとなり、加藤さんは自腹で屋根のペンキを塗り替えるなどのメンテナンスをし、現在も元気に住み続けている。私達の活動が、ささやかではあるけれども、町並みの保存や改善に対して「力」を持つことに目を開かせてくれた、原点とでもいうべき、記念すべき建物である。人間でいえばちょうどひとまわりした12年後の今年、再びペンキを塗り替えることには感慨無量のものがある。
 もう1件は右図右上の高田木材店・他(右端の建物)である。この並びの写真左端の建物は、私達が1994年に初めて函館からトラストから助成金を受けて、黄色とこげ茶色に塗り分けた渋田家住宅で、これも記念すべき建物である。その隣家は、函館市の景観形成指定建築物の岩崎家住宅店舗で、3年前に市からの補助を受けて緑色と黄色に復原された。これに高田木材店・他が加わると、この通りの表情が一変し、まさに「3軒効果町並改善」が期待できるところである。
 こういう古い下見板張りの建物が数件連続しているところは今ではまれで、伝統的建造物群保存地区を除いて西部地区にはほとんど見あたらなくなってしまった。「こすり出し」を行った85件の建物がこの10年余の間にどうなったのか、昨年調べてみた結果を、P5で報告しているのでご覧になっていただきたい。多くの木造下見板張り建物がなくなり、町並みが変化しつつある中で、函館市が予算をつけて手厚い保護が施されている伝統的建造物群保存地区内の伝統的建造物と伝建地区周辺の景観形成指定建築物とともに、私達ペンキ塗りボランティア隊によるこの活動は、ささやかではあるが、木造下見板張り建物の保存と町並み改善に対して、大きな役割を担いつつあるといえるのではないか、と自負している。