函館群居ワークショップ コーポラティブ奮戦記


小澤武(建築家)

 文夫はこのところ元町界隈への散策が日課のようになっている。家並みに見え隠れする教会の塔、寺の屋根、遠く望む函館港。
「家を持つならやっぱりこの辺だよな。」
 彼は、東京近郊に両親が求めた3LDKの公団住宅で育った。大学を出て、流通関係の大手に就職したものの、仕事で関わってホテルに興味を持つようになり、2年で退職。シェフを目指し数年の修行を経て、現在は市内のホテルでコックとして働いている。
妻の生地、函館で、家族のためにそろそろ我が家を。と真剣に考える年代になり、妻と一緒に情報を集めはじめた。オープンハウスの見学にも行った。 市営住宅も民間のマンションも、居住者を特定してから建てる方式ではないので、仮住まいのの感は否めない。何よりも、自分のために建てたという実感が沸かない。
「やはり戸建てなのか・・・。」
 人口の流出が続いている西部地区では、出物がゴロゴロあってもよさそうなものだが、土地所有者(地主)と居住者が異なっていたり、賃借であったりと、権利関係が込み合っていることに加え、昨今の地価の下落が災いしているため、不動産ビジネスが成り立ちにくいのだという。たまに物件が出ても、ミニ開発された、建築条件付きの分譲なのである。地方都市函館といえども、戸建て思考が強いため、市街地の周辺部にはどんどん宅地開発が延びていき、その分中心部の空洞化に拍車がかかる。
 こんな現実を見るにつけ、自分の育った公団住宅がとてもほのぼのとして、懐かしい存在であることにびっくりする。昨今「狭い」、「画一的」と、とかく諸悪の根元のように言われる公団住宅ではあるが、階段を挟んだ2×5階=10戸の間では、日常のコミュニケーションがあったし、高密度ゆえのいたわりとか、ふれあいとかいったものを感じていた。団地総出の掃除や季節ごとのイベントも、父には苦痛だったらしいが、文夫には楽しかった思い出となっている。
 観光客として散策する西部地区には風情があるものの、ここに住みたいと願うようになった彼にとっては、団地住まいで感じていた、生活の活力とでも言うべき「気」が希薄なのが、唯一気にかかるのである。
 そんな時、新聞紙上でコーポラティブハウスの記事が目に止まり、説明会に参加した。住宅取得希望者を募り、組合のような組織を作り、デベロッパー、建築家という専門家とチームを組んで居住者の希望を取り入れながら、土地の取得から設計までやっていこうという考え方なのだそうだ。 土地を有効利用しながら密度を上げていくという、都市型の集合住宅にあって、住民のプライバシーを考慮しがなら独自のコミュニケーションを計るという趣旨には、大いに共感できる。
 文夫は将来、小さいながらも地区のダイニングルームといわれるようなレストランを開業したいという夢を持っている。そのためには、ある程度の人口密度が必要だし、また、そういう生活のにぎわいの中で、仕事を続けていきたいと願っていた。まさに、うってつけの話じゃないか。
 人が集まって住むことの利点は、他の業種についても、同じことが言える。人口密度が上がれば、民間のサービスが充実する。住まいと職場が近接し、新たな小さな産業が芽生える。そんな風に、地区にパワーを備えることで、都市基盤の交通・通信・環境・リサイクルの整備が進むのである。
 とにかく大勢が住むことなのだ。
 恵まれたこの自然景観と都市のにぎわいがあってこそ、観光客のみならず地域住民も訪れてやまない本物の魅力となるにちがいない。文夫は、コーポラティブハウスに、自分の夢を重ね合わせはじめた。

 以上は、現在進めているコーポラティブハウジングをわかりやすく記述するために創作された、フィクションである。賛同者がいなければ、ヒルサイド・コーポラティブ・ハウスは建ちません。対象は普通の人間です。プライバシーを重んじ、かつ、コミュニケーションを必要と感じている人。都市のにぎわいと便利さと、自分の生活を大切にしたい人、集まって下さい。

 そして何よりも、坂のある街に煌々と明かりを灯しましょう。