平成9年度助成活動報告1
  こすり出し inノルウェー・ベルゲン 


森下 満(北海道大学・町並み色彩国際交流研究会代表)

■ノルウェー交流のきっかけ

 「こすり出し」は10年前に函館から始まった。その後、多くの人たちの共感と協力を得て、アメリカのボストン、サンフランシスコ、ケンブリッジ、ブルックライン、ニュートン、神戸の北野地区へと交流の輪を広げてきた。次はヨーロッパで、と機会をうかがっていた。

 1996年秋、ブルガリア・ソフィアで開催されたイコモス(国際記念物遺跡会議)第11回総会&国際シンポジウムに参加した。そのポスト・ツアーで、10名ほどの他国の方々と一緒になったが、そこにノルウェーの方が2人いた。これはチャンスだ、と思った。一人はいかにも理知的な方で、バスの中でのスピーチでジョークを連発し、皆の爆笑を誘っていたアクセル・マイクルビー氏。機を見て二人と名刺交換をし(蛇足ながら、オーストラリアの方とも名刺交換をしてきた)、帰国後、記念写真を送った。それから、Eメールとファックスでのやりとりが始まった。


■ノルウェーこすり出し前夜

 窓口のアクセル氏は、我々の調査のいろんな手配を一手に引き受け、本当に骨をおってくれた。彼の仲間の一人で、オスロにあるノルウェー文化遺産研究所 Norweigian Institute for Cultural Heritage Research(NIKU)の研究員で、色彩に関する最も著名な専門家のヨン・ブラン氏を紹介し、我々の調査意欲をかきたててくれた。昨年、アクセル氏がノルウェー・イコモス国内委員会の委員長に、ケイさんが同事務局長にめでたく就任したことを後日知った。恐れおおくも、委員長を走り回らせていたことになる。

 本調査の日程がほぼ固まってから、アクセル氏は、オスロから300km北方の、ノルウェーにある4つの世界遺産の一つ、ロロスでノルウェー・イコモス国内委員会主催の国際会議が開かれ、オスロには不在だという。ヨン氏も、ペンキ塗料のレクチャーとワークショップでルーマニアに出張中だという。2人とも多忙だ。キーパーソン2人に今回は会えそうにない、という不測の事態に一抹の不安がよぎる。

 でも、まあ向こうに行けばなんとかなるさ、といういつもながらの楽天気分でオスロに到着したのが9月17日(木)。翌日レンタカーで西方600km先のベルゲンをめざす。週末の土、日にあたる道すがら、フィヨルドのいろんな風景を満喫するなど名所を巡り、ベルゲン入りしたのが20日(日)。

 翌21日(月)朝、アクセル氏の手配通り、ベルゲン市の遺産管理課の課長さん、ベンテ・マティセンさんに会いに行く。以降4日間、ベンテさん、同じ課のスタッフのアンヌリーセ・エリクセンさん、チャウソン・ドゥー氏の3人が本当に親切に応対してくれることとなった。


■こすり出し in ベルゲン

 ベルゲンでのこすり出しは、4軒の建物についておこなうことができた。場所は、まちの中心である港の魚市場の南西側すぐ近く、歴史地区の一角である。記念すべき9月22日、午前中に「靴屋通り」の2軒、午後から「オランダ通り」の2軒。出てきたペンキ層は10層前後であった。創建年はいずれも定かでないが、おおよそ18〜19世紀のものであるとのことなので、100〜200年ほど経ったわりには思ったほどペンキ層は多くはない。

 最初にこすり出しをした建物は、4軒の中で最も古い18世紀のものだが、19世紀に外壁の下見板が張り替えられたため、そこからは4層しか出てこなかった。柱型からは7層抽出でき、古い方から白、黄土、薄茶、クリーム、灰緑、灰、黒、の順で、同じ色で塗り替えられることはなく、移り変わっていた。外壁下見板から最多の11層が出てきた3軒目の建物の場合も同様に、古い方から灰、灰緑、アイボリー、茶、薄茶、だいだい、暗緑、灰緑、暗緑、灰緑、クリームと、時とともにペンキの色が変化してきていることがわかった。

 たった4軒のこすり出し調査結果だけでは町並み全体の色の変遷については推測不能であり、したがってこの点について函館などとは比較のしようがない。既往の研究成果もないらしい。アメリカもそうだったが、ノルウェーでも建築様式史と色との関係についての研究−例えば、18世紀前半にはバロック様式で濃いめの茶と赤が、18世紀後半にはロココ様式で白が流行した、等々−は進んでいる。また、指定文化財の復原修理の際にペンキ色彩の精緻な調査、分析をおこなうことは、日本、アメリカとも共通している。しかし、我々が函館でやったように、あるエリアの建物をのきなみ調査して、町並み全体の色彩変遷をあきらかにする研究はやられていないのである。

 ただし、個々の建物について見ると、函館も神戸もアメリカもノルウェー・ベルゲンも、塗り替え時に昔からずっと同じ色を使うのはきわめて稀であり、時とともに色は変わることは共通している。これは何を意味するのか。

 数年ごとのある一定の周期で色が変わる、あるいは人が色を変えるというのは、人が安定ではなく変化を、活力を求め、それを色に託しているととらえてはどうか。色は生活にめりはりをつける大事なハレの要素であり、エネルギーの源としてある。そこに色を使う人間が求めるものや、色の持つ本質的な性格の一端を読み取ることができるのではないかと思うのである。

 これまで北アメリカ、ヨーロッパと足を踏み入れた。次はオセアニアだ、と秘かにねらっている。すでに布石は打ってある。