妖怪とりかえっこ

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どこからか、薄気味の悪い声が聞こえた。
「もし汝、心に憎しみを持つならば、五魔霊の呪文を唱えるべし。大自然を支配する五魔霊とは、すなわち火と水と木と金と土のことなり。霊魔五符を紫色に塗りつぶし、霊魔護符に変えるべし。しかる後、それを飲み干し、憎むべき者たちに突入すれば、標的の殲滅(せんめつ)を可能ならしめるであろう」
闇から闇へと邪悪な声が響き渡った。
それはこの世を憎み、恨みを持った魑魅魍魎(ちみもうりょう)達の声だった。
「鵺野鳴介、鬼の手をもつお前ならば、我らに逆らうな。『とりかっこ』に味方し、人間どもを皆殺しにするのだ」
おびただしい霊気が渦巻き、渦の中に、数多くの様々な憎しみの顔を持った化け物の姿が現れた。
それは、よどんだ沼の奥底に棲む、山椒魚のような姿をした巨大な化け物だった。
「ついに出たな。魑魅魍魎どもめ!」
ぬ〜べ〜は緊張して身構えた。
「ぬ〜べ〜!」
「やばいよ!」
美樹と広が震える声で叫んだ。
「こいつは恐らく、世の中に憎しみを持って死んでいった人間の、怨念を吸った山椒魚の化け物に違いない。危険だ!お前たちは離れていろ!」
ぬ〜べ〜は美樹と広を押しやり、キッと魑魅魍魎をにらみ付けた。
「多くの人は生きていく中で、時として憎しみや怒りを持ってしまうものだ。はとんどの人はその憎しみの心を、理性で抑えることができる。しかし憎しみの心を宿したまま死んでいくと、怨念の霊気となって残る。それを吸い尽くした化け物め。この俺が成仏させてやる!」
「どうあっても我に逆らうか!では死ね!」
ブォォォォ〜〜ッ!
物凄い霊気が噴射され、ぬ〜べ〜に襲い掛かった。
「!!」

あっという間にぬ〜べ〜の体がドス黒い霊気に巻きこまれた。
魑魅魍魎の霊気が憎悪の炎で燃え上がる。
「人間どもなどみんな死ね!この世から消えてなくなれ!」
燃え上がった霊気がぬ〜べ〜を巻き込み、どす黒い炎となって火柱を上げた。


「ぬ〜べ〜、しっかり!」
「負けたら郷子を助けられなくなっちゃうわよ〜!」
広と美樹の悲鳴が聞こえた。
ぬ〜べ〜はうめいた。熱さに体の芯が激しく痙攣(けいれん)した。霊気の炎は熱いだけではない。得体の知れぬ猛毒を含んでいた。細かい毒の粒子がぬ〜べ〜の体に染み込んでくる。
毒素を浴びて、ぬ〜べ〜は気絶しかかった。それでもなお、朦朧とする意識の中で懸命に、闘志を呼び戻そうとした。
「お前は同じようにして『とりかえっこ』の母親を殺したのだな?」
「ふふふふふ・・・猛吹雪で大地が荒れ、我らを封印した岩が砕けた。沼の底に眠っていた我らは岩の亀裂から這い上がり、この地上に姿をあらわそうとした。それをあいつが阻止しようとしたから殺したのだ。我らに逆らう者はみな殺してやる!」
化け物はぬ〜べ〜の体に巻きつき、なおも激しく毒素を含む霊気を噴射した。


「ウウウ・・・」
ぬ〜べ〜は肉体のあらゆる機能を断ち切られた思いがした。
「うひひひ・・・これまでだ」
魑魅魍魎たちの勝ち誇った声がした。
──怨念の霊気に負ける・・・・
敗北という絶望感が体の全てを覆う。胸が締め付けられて麻痺し、体内の血の流れが止まり、背筋が凍りついた。
──意識が暗く淀んだ闇の淵に落ちていく。混沌とした闇の中に沈んでいく。
──死ぬ・・・・
そう覚悟したとき、異変が起きた。
突然ぬ〜べ〜の体を覆い尽くしていた怨念の霊気が、パアッと拡散したのだ。
──何が?何が起きたんだ?
訳がわからぬまま異変を眺めた。
「俺の母親を殺したのだな!」
憎しみのこもった声がした。と同時に、『とりかえっこ』の姿が飛翔してくるのが見えた。
「お前たちを憎む!」
『とりかえっこ』の声には母親を失った悲しみが滲んでいた。
悲しみだけではない。母親を殺した殺害者への怒りと苦渋が混じった声だった。
「お前の怒りや憎しみを全て人間たちに向けろ。恨みを持て!」
魑魅魍魎が叫んだ。
だが、『とりかえっこ』は噴出したおびただしい妖気を、魑魅魍魎に向けて放った。
渦巻く霊気に、『とりかえっこ』が噴射した妖気が突き刺さる。
魑魅魍魎がひるみ、霊気が揺らいだ。
「ぬ〜べ〜!今よ!鬼の手で!!」
『とりかえっこ』の妖気の中から郷子の声が聞こえてきた。
「郷子!お前は?」
ぬ〜べ〜は郷子のはつらつとした声を聞いた。
「はやく!はやく、魑魅魍魎を!」
郷子の必死の叫びに、ぬ〜べ〜の心に新たな闘志が湧きあがった。
「宇宙天地を司る霊なる力よ・・・我が左手に封じられし鬼よ・・・」
ぬ〜べ〜は左手にはめた手袋を外した。
「今こそその力を!宇宙天地、興我力量 降伏群魔 迎来曙光 吾人左手 所封百鬼 尊我号令 只在比刻!」
鬼の手に霊気が集まり、熱く高まった。
「行くぞ!」
ぬ〜べ〜は意を決し、どす黒く巻く魑魅魍魎の霊気の渦に飛び込んだ。
どす黒い霊気の中は怨念が渦巻いている。ぬ〜べ〜は翻弄されて息を荒げた。
肺がキリキリと締め上げられる。眼球が飛び出すかと思えるほどの痛みが襲う。バチバチと耳の奥に不快な刺激が走り、鼓膜が破れてしまいそうな衝撃を受けた。
だが、ぬ〜べ〜は懸命に耐え、魑魅魍魎の核心に迫っていった。
「怨念だけしか持たぬ魑魅魍魎ども!この世から消えてなくなれえぇぇぇ!」
ぬ〜べ〜は渾身の力をこめて、魑魅魍魎に鬼の手を叩きつけた。
「ギャオオオオ!」
鬼の手が炸裂し、ガキッ!と鋭い音がした刹那、霊気が噴出した。
その途端──
ドドドドドドォォォ〜〜ッ!

魑魅魍魎のどす黒い霊気の渦が爆発し、飛び散った。
「憎しみを・・・憎しみを・・・憎しみを・・・憎しみを・・・忘れはしない・・・」
拡散した魑魅魍魎の霊気の中から、弱々しい声が聞こえてくる。しかし、それもやがて小さくなり次第に消えていった。
「憎しみだけを心に宿しつづけることほど、不幸なことはない・・・」
ぬ〜べ〜は消滅していく怨念の霊気を眺めながら、ポツリと呟いた。