妖怪とりかえっこ

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初めのうちは幻聴かと思った。

だが、声は確実に郷子の耳に聞こえた。
「こんどこそ・・・おまえが・・・俺の探していた・・・人であってくれ・・・」
「え?なんのこと?」
郷子は思わず聞き返した。
教室では相変わらずクラスの生徒達が一所懸命に算数の問題を解いている。
「誰?誰なの?」
郷子は小さな声で呟くように言った。
「探していたんだ・・・遠くから・・・きたんだ・・・素直に受け入れてくれ・・・時間がないんだ・・・」
誰かが自分に呼びかけ、心の中に入り込もうとしている。それが何なのか、そのときの郷子にはわからなかった。
──まさか、法子に取り憑いた妖怪?
一瞬目の前に闇が広がったような錯覚を覚えて、目をこすった。と突然、黒い異様な妖気が渦巻いた。
──バカな。私は妖怪なんかに取り憑かれたりするもんですか・・・
しかし確実に心の中に忍び込んでくるようで不安を感じた。
「俺には・・・お前の魂が必要なんだ・・・協力して欲しい・・・」
誰かがまた囁いた。



周囲を見回すと、広も美樹も秀一も克也も法子もテスト用紙に向かい、懸命に問題を解いている。そばの席の広がチラッと郷子のほうを見て、苦笑いしている。
「この問題、全然わかんねえや」
ボソッと言って、お手上げだとばかり茶目っ気たっぷりのポーズを取った。
──広は・・・いや、広だけじゃない。クラス中の全ての生徒は私の周囲に渦巻いている黒い妖気に気づいていない・・・
「おまえが・・・持っているものを・・・とりかえてもらおう」
「なんですって?私が持っているもの?一体何のこと?」
郷子は黒い妖気を噴射するその得たいの知れぬ影に恐れを抱いた。
「俺がお前の体に入り込んでも・・・暴れるんじゃないぞ・・・」
声が終わるか終わらぬかのうちに、郷子の意識は朦朧となり、突然目の前が白一色の世界に変貌した。
白く染まった世界に漂い、郷子は摩訶不思議な幻覚を見た。幻覚の世界は光がサンサンと輝いている病院だった。どこかで見た病院だ。
──ああっ!こ、この病院は!?
その病院は夢の中で見た童守北病院だ。
オギャーオギャーオギャーオギャ〜!
病院の一棟から赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。生まれたての赤ん坊の声だ。
元気に泣く赤ん坊は女の子だった。その赤ん坊の顔をいとしげに見ている母親の顔があった。若き日の郷子の母親だった。
──すると、泣いているこの赤ん坊は、私なの?
郷子は朦朧とした意識の中でそう思った。そのとき、泣きつづける赤ん坊の頭上に不思議な白い渦が巻き、やがて、長く真っ白な一条の紐のようなものがスルスルと伸びてきた。
それから、まるで生きている蛇のように赤ん坊の体内にもぐりこんでいった。
──これは一体?
郷子は不思議な出来事を呆然と眺めた。赤ん坊を慈愛の目で眺めていた母親も、この奇妙な現象には気づかないようだ。
──どうしたの?誰か気づいて!
必死に叫んだが、なぜか声にならない。
「そうだよ・・・郷子・・・おまえは・・・赤ん坊のとき・・・俺の魂と・・・入れ替わったんだ」
「入れ替わった?」
「そして、今、お前の体に・・・俺が・・・入り込むんだ」
──妖怪?『とりかえっこ』なの?まさか、この私が妖怪の魂を?
郷子は愕然となった。
「そうだ・・・お前は、夢の中で・・・童守北病院に行った・・・だから俺が探し求めるターゲットの一人として・・・マークしていたのだ・・・いろいろ探したが・・・ついに見つけたぞ・・・」
郷子は呆然自失となった。
「やっとめぐりあえた・・・復讐のためだ・・・力を貸してくれ・・・人間達を・・・皆殺しにしてやるぞ」
意味のわからない囁き声が次々と沸き起こって、郷子の耳を襲った。
「人間達を・・・」
「皆殺しにしてやるぞ・・・」
ささやき声は次第に大きくなり、たちまち突風のように郷子の耳を襲った。
──なに?なんなの?これは?
郷子は両手で耳を覆い、机に顔を伏せた。だが耳鳴りは鳴り止まない。心を落ち着かそうと必死になった。
しかし、囁き声はなおも続き、やがて騒音となって襲い掛かってくる。
──鼓膜が破れてしまう。
郷子は悲鳴をあげそうになったが、懸命に耐えた。そして心の平静さを取り戻そうと必死に努めながら、この恐怖から逃れようとした。
しかし、無駄だった。
異世界からの侵入者は無理やり郷子の体内に飛び込んできて、情け容赦なく郷子の心の中を侵食していく。
突然郷子は幻覚に襲われた。
──吹雪の山が見える。何か魔物のような存在が私の中に入り込んだみたいな、不思議な気持ち。
郷子は混乱し、両手で頭を抑えた。動悸が乱れ、心臓の鼓動が激しく音を立てている。
ガシャーンと、ガラスが割れるように心臓が砕けたような衝撃を受けた。
郷子は失神しかかった。
──ああっ!助けて!助けて!
必死に叫んだが、声にならなかった。


「フィットする・・・お前は俺の体にフィットする・・・探し求めていた俺の魂の持ち主は・・・お前だ!」
うれしそうな声がした。
「く、くるしい・・・」
郷子は異様な叫びを発した。今度は小さいが声になったようだ。
「どうしたんだ?郷子?」
広が郷子を見た。
「く、苦しい・・・」
うめき声を上げる郷子の顔が歪み、異様に変わり始めた。広はそれを唖然と眺めた。
郷子の体は幽霊のように青白く光り、長い髪が蛇のようにうねっていた。
「郷子!郷子おおお!」
広は異変に驚き、郷子に近づこうとした。
「邪魔だ!どけええええ!」
郷子の体からおびただしい妖気が噴射し、広の体を弾き飛ばした。
「うわあああぁぁぁ〜っ!」
鋭い刃物で切断されたような痛みを感じて、広はのけぞり倒れた。
この時、郷子ははっきりと自覚した。
──赤ん坊のとき、『とりかえっこ』と魂が入れ替わったのは私なんだ!
衝撃を受けた。
──ひどい!なんで私が!?
気がつくと、クラス中のみんなが唖然と見つめていた。郷子の異変に気づいたのだ。
誰もが恐怖でブルブルと震えている。
「ああっ!な、なんなの、これは?」
「郷子が!郷子が!郷子があ!」
悲鳴をあげて廊下に逃げ出す生徒がいた。
「何で郷子は暴れないんだ?」
「法子は暴れたのに?」
「ま、まさか!」
「妖怪の魂を持ってるからなの?」
「そっか、きっと妖怪『とりかえっこ』は郷子の体の中にいると居心地がいいんだ」
「妖怪『とりかえっこ』が探してたのは郷子だったのかよ〜?」
「そうなんだ。郷子が妖怪『とりかえっこ』だったんだ!」
「気味が悪い!」
「怖い!」
「キャアアア〜ッ!」
生徒達が口々に叫んだ。
「みんな、なんだよ?どうして郷子をそんな眼で見るんだよ!?」
広が怒鳴った。
「そうよ。郷子は被害者よ。可哀想よ!」
美樹が興奮した。
「ぬ〜べ〜を!ぬ〜べ〜を呼べ!」
克也が叫んだ。
──私は・・・私は・・・妖怪なのね・・・
郷子は絶望的になった。
そして混乱している生徒達から逃れるように、教室を飛び出した。

[8]

「郷子〜ッ!」
ぬ〜べ〜は街の中を走った。
後から広と美樹が追ってきた。
「ぬ〜べ〜、郷子を!」
「助けてあげて!」
「分かってる。危険だ。お前達は学校に戻りなさい」
「嫌だ!」
「そうよ。郷子が可哀想!」
その時、ぬ〜べ〜は交差点の近くで、おびただしい量の妖気を感じた。
電柱の影に郷子がうずくまっているのが見えた。だがそれは、もはや郷子ではない。
『とりかえっこ』が入り込んだ妖怪と化していた。髪は針金のように鋭く尖り、メデューサのようにうねっている。
広と美樹は恐怖の叫びを上げそうになったが、からくも抑えた。
「妖怪『とりかえっこ』だな。郷子の体からすぐに出るんだ!」
ぬ〜べ〜は叫んだが、郷子の体に入り込んだ妖怪は、凄まじい妖気を噴射した。妖気が渦を巻き、そのどす黒い渦が塊となった。その塊が次第に不気味な妖獣の姿に変貌していく。
「ガオオオオォォ!」
郷子の体から抜けでた妖獣が激しく吠えた。
「これは・・・!」
ぬ〜べ〜はたじろいだ。
「いったいなんなの?」
美樹が悲鳴をあげた。
「妖怪『とりかえっこ』が強力な妖気で作り出した妖獣だ!」
広と美樹は呆然となって、その異様な姿を見つめた。妖獣の全身は黒い妖気に覆われ、両腕は金属質の斧のように鋭く尖っていた。
「ガオオオオォォ!」
その咆哮する口からは妖気が噴射される。腕を振るたびに鋭い斧がうなりを上げた。
「ははは・・・ついに俺は力を持った。妖獣ジャコールよ、俺の邪魔をする奴を殺してしまえ!」
妖獣ジャコールのそばで郷子が叫んだ。
いや、それは郷子ではない。郷子の口から発せられたのは男の声だ。
「あの声は・・・聞いた事がある。あっ、夢の中に現れた男の子の声だ!」
広が言うと、美樹もうなずいた。
「そうだわ。夢の中に出てきた男の声よ」
「みんなに夢を見させたのは、やはり奴だったのか・・・」
ぬ〜べ〜はキッと身構えた。

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