作・ゴーアル様





 雪がちらついている。
 真夜中から降り出した雪は街を白一色に染め上げようとしていた。
 山も平地も関係なく雪が積もるのはこの地方ではめずらしい。
 住宅街では出勤や通学のためになれない雪道をゆっくりと歩く人たちがちらほらと見て取れる。
 周りの家と同じように屋根が白一色となった家の玄関の扉が開いた。
 少女が出てくる。
 長い亜麻色の髪に、元気そうな瞳が特徴的だ。
 制服の上にコートを着て、首にマフラーを巻いている。胸には首からつるされている鈴がゆれている。右手にはカバンを持っている。
 手袋をつけた左手を頬にやり、ぶるっと震える。
 いきなりカバンをあける。
「よし、忘れてないね。せっかく一生懸命つくったんだから」
 カバンを閉め、歩き出す。
 玄関から門まではだれもまだ歩いていないらしく、足跡一つない。
 少女は転ばないようにしっかりと雪を踏みしめた。
 胸の鈴が揺れる。
 チリンと乾いた音がした。




 予鈴が鳴り響く。
 教室には次々と生徒が入ってくる。
 この時間帯に集中して多くの者が登校してくるのはいつものことだったが、雰囲気は普段とは違っていた。
 机の中を探って喜んでいる男子生徒がいれば、あきらめの表情を浮かべている者もいる。
 女子たちは何人かずつ集まってひそひそと話している。
 まるでお祭りのようだと、日魅子は思う。
 胸の鈴をいじりながら他の女子とは話さず、一人で学生椅子に座っている。
 周りの光景とは対照的だが、日魅子もまた同じような雰囲気をまとっていた。
 物心がついたころからの付き合い。
 いわゆる幼馴染の男との友達以上恋人未満の関係を進展させる。
 それが今日、バレンタインデーを迎えた少女の決意だった。
「ひ、み、こ」
 突然、後ろから抱きつかれる。
 体重が全て背中にかけられる。
 日魅子は態勢を崩しそうになるが、手を机につき、なんとか身体を支えた。
 ぶざまに顔を机にぶつけることにならなかったことに安堵すると、今度は怒りがこみ上げてくる。
「う〜ん、だいぶ反応が良くなったわねえ。二年生になりたてのころは見事に顔を机にぶつけてたのに。やっぱり、わたしが試練を与え続けてきたおかげよね。これだけ成長したんだから」
 日魅子の怒りに気づくこともなく、背中の住人は昔を懐かしんでいる。
「何が試練、成長よ!」
 日魅子は反動をつけて後ろに体重をかける。
 その一瞬前に、背中から住人が消えていた。
「え、え〜」
 いまさら動きを止められるわけもなく、身体が後ろに傾いていく。
 椅子の後ろの二本足でバランスをとり、足を机にかけて身体を元に戻そうとする。しかし、机には文字通り荷が重かったようだ。
 身体がさらに傾き、まさに倒れそうになる。
「何やってるの」
 声と共に後ろから支えられる。そして背中を押され、椅子も本来の位置に戻る。
 日魅子は助けてくれた人を確かめようと振り返り、意外な人物を認めた。
「あ、ありがとう、委員長」
 そこにいたのは黒い髪を後ろで束ねたおとなしそうな少女だった。力仕事が得意そうには見えず、発育の良い日魅子を簡単に押し戻せるようには見えなかった。
「委員長って、けっこう力持ちなのね」
「そう?」
 委員長は軽く首をかしげる。どうやらたいしたことだとは思っていないようだ。
「うんうん、委員長って見かけによらず、スポーツもけっこういけるんだよね」
「あ、そっか、そうだよね、バスケとかうまかったね……って、由紀子、さっきのはマジで危なかったわよ」
 そしらぬ顔で横に立っていた茶髪の少女に、日魅子が詰め寄る。
「え、でも、危険っていうのは突然やってくるものなんだから、普段からこうやって鍛えておかないといけないでしょ?」
「なるほど、実践的な防災訓練というわけね」
 悪びれた様子もなく弁解する由紀子に、委員長が納得する。
「委員長も納得しないでよ」
 日魅子は疲れたようにつぶやく。
 この二人とは二年生で同じクラスになってからの付き合いで、よくいっしょに遊ぶ親友だった。
 委員長は常識人でしっかりものというのがクラスの中での一致した意見なのだが、たまに天然の素質が垣間見えるのだった。現在は風紀委員なのだが、一学期の学級委員長を見事につとめたために委員長というのがあだ名になっていた。
 由紀子は活発で、クラスでも人気者なのだが、同時にクラスで一番のトラブルメーカーでもあった。独特の価値観を持っているらしく、それに日魅子はよく巻き込まれていた。日魅子が二番目のトラブルメーカーと幼馴染だったことも原因の一つだった。
 一見、常識人の委員長と変人の由紀子の組み合わせは、日魅子もはじめは奇妙に思っていたが、なかなか良いコンビだと言うことがじきにわかった。一年生のころからの付き合いらしい。
「それにしても今日はみんなうわついてるわね」
 委員長が周りを見渡す。
 何人かの男子が日魅子たちのほうを見ていたが、ぱっと目をそらす。
 クラスの中でも特にかわいい三人がより固まっているのだ。バレンタインということを考えれば、視線が集まるのもしかたないだろう。昨夜は三人のうちの誰かにチョコをもらう夢でも見ていたのかもしれない。
「まあ、年に一度のバレンタインデーだからね。女子も男子もいつもと違ってて当然でしょ。どうでもいいのは決まった相手がいる連中だけじゃない?」
 由紀子は日魅子のとなりの席の椅子に座り、机に肘をつく。
「つきあっててもそれなりに特別な日だと思うけど」
 日魅子は委員長に前の席に座るように薦める。
「で、日魅子はもうあげたの?」
 由紀子は自分が肘をついている机を意味ありげに、親指で指差す。
 その机は日魅子の幼馴染の席である。
「え、……部活は放課後だから、そのときに配るつもりだけど」
 そういいながら、日魅子はちらっと自分のカバンを見る。
「それは義理チョコでしょ。わたしが聞いているのは本命のことよ」
「本命?あげる予定はないけど」
 由紀子はじっと日魅子の顔を見つめる。
 そして何かを悟ったかのように笑う。
「何よ」
「進展ありそうね」
 由紀子の言葉に日魅子の身体がぴくっと反応するのと同時に、委員長の座っていた椅子ががたっと音を立てる。
「どうしたの、委員長?」
 由紀子の視線から逃れようと委員長に声をかける。
「ううん、なんでもない」
「なんか落ち着かないみたいだけど……もしかして委員長、だれかにチョコあげるの?」
 委員長の顔が、バラが咲いたかのように赤くなる。
「やっぱりあげるんだ〜」
 これ幸いと日魅子は追求する。
「う、うん。うまくできたか自信ないけど」
 委員長はしばらくうつむいていたが、言いづらそうに白状する。
「そんな相手がいるなんて知らなかった。だれにあげるの、教えて」
「それは……」
 日魅子は委員長が好いている相手に心当たりがなかった。女三人で遊んでいれば、当然、恋愛話で盛り上がることも多い。経験豊富な由紀子の下世話な話を興味津々で聞いたり、三人のうちのだれかに告白してきた男子の話を一晩中したりしたこともある。しかし、話の中心はいつも由紀子か日魅子で、委員長は聞き手に回ることが多かった。日魅子が聞いてもうまくはぐらかされるのが常であった。
 そんな委員長がチョコをあげる。まちがいなく本命だろう。いつも口を挟んでくる由紀子もじっと委員長の顔を見るだけで何も言わない。こんなチャンスはなかなかない。
 そう考えて、日魅子がさらに追求しようしたとき、後ろから聞きなれた声がした。
「よ、おはよう」
 日魅子の幼馴染が少し眠たげな顔をして立っている。
「九峪、来たんだ。じゃあもうホームルーム始まるんだ」
「おれはチャイム代わりか」
 九峪が軽く日魅子の頭を叩く。
「いたい〜」
 日魅子の抗議には取り合わず、由紀子が座っている席の机にカバンを置く。
「おはよ、九峪」
「由紀子、立つつもりはないみたいだな」
「もう少ししたら先生も来るんだし、ちょっとくらいいいでしょ」
 由紀子は九峪を見上げ、軽くあくびをしてみせる。
 九峪はしかたないと、机に腰をかけた。
「おはよう九峪君」
 委員長と目が合った。委員長の顔色はもうもとに戻っていた。
「おう、委員長、おはよ」
「今日はいつもより来るのがちょっと早いね」
「ああ、ちょっと寒くって目が覚めたんだ。そしたら雪が積もってんだもんなあ。寒いのは苦手なんだけどなあ」
 そう言いながら、九峪は窓に目をやり、白い風景を見て、子供のように目を輝かせている。
「ふふ、でも、苦手とか言いながら、なんだか楽しそうだよ」
「え、まあそうかもな。雪自体は好きなんだよ。夏に雪ってわけにはいかないかな」
「雪は寒いからこそきれいに見えるんじゃない?」
 委員長は楽しそうにしっとりとした笑みを浮かべる。
 九峪は軽くうなずき、窓の外を見続けていると、
「ふ〜ん、チョコ一つもらったんだ」
 という無邪気な声が聞こえた。
 反射神経の限りを尽くして振り返ると、由紀子が九峪のカバンを開けていた。
「由紀子、勝手に人のカバンを開けるんじゃねえ」
「ごめん、ごめん。で、だれから?」
 まったく悪いことをしたとは思っていない顔で、由紀子が尋ねる。
 九峪は由紀子からカバンを取り上げる。
「部活の後輩からだよ。部の男子全員に配ってたよ」
「なんだ、義理チョコか」
 由紀子はつまらなさそうにつぶやく。
 九峪と由紀子の話を聞いて、日魅子はほっと一息ついた。
 せっかく勝負をかけるつもりできたのに、先を越されたくはない。
 ふと顔を上げると委員長が九峪をじっと見ていた。
「委員長……」
 日魅子が声をかけようとしたとき、担任が入ってきた。
「さっさと席に着け、ホームルーム始めるぞ」
 生徒たちはさっと自分の席に戻る。由紀子と委員長も、それぞれの席に戻っていった。
 担任が話し始める中、日魅子はさきほどの委員長の表情が頭から離れなかった。
 委員長の表情、それは安堵だった。





 バレンタインデーだろうと学校の授業に変化はない。
 学年末テストの前だということもあって、教師も生徒も普段より力が入っているくらいだった。
 授業が終われば、みんなでバカ話をして笑う。
 平和だよなあと、廊下を歩きながら九峪はつぶやく。
 三年になったら受験勉強も本格化する。来年の今頃はこんなにのんびりとはしていられないだろう。今と言う時期の大切さをなんとなく感じ取る。この先、受験戦争ではなく本当の戦争に巻き込まれると言うことは、今の九峪には知る由もなかった。
 担任に呼ばれ、職員室で進路について聞かれた。
 九峪の水泳での成績は県レベルではなかなかのもので、県内の大学からはいくつか声がかかっているらしく、それを担任が伝えてくれた。もし、推薦で大学に入学できるなら勉強もする必要はないし、一年間悩むことはない。だが、九峪の志望する大学は日魅子の育ての親である姫島教授が勤務している九州総合大学だった。
 教授と話しているうちに興味を持った考古学を学んでみたいと思ったのだった。
(でも、それには受験勉強しっかりしないといけないしなあ。九州総合大学を受けるということは、推薦は受けられないしなあ)
 推薦で入学が決まったら、他の大学を受けてはならないというのが不文律である。
 進路のことで悩みつつ、教室の方へと足を向ける。
 むこうから女子生徒が歩いてくる。親友といってもいい少女だった。
「よう、どうした?」
 九峪が軽く手を振ると、少女は手を振りかえし、近づいてくる。
「ちょっと、時間ある?」
「ああ」
「じゃあ、ついてきて」
 少女はきびすを返し、すたすたと歩き出す。
 茶色の髪がふわっと浮き上がった。
 
 



 日魅子はあせっていた。
 お菓子のレシピ本を片手に、試作品十個を経て完成したチョコはまだカバンの中だ。
 この日のために用意したというのに、なかなか渡せるチャンスが回ってこない。予定では、昼休みには渡しているはずだった。下駄箱や机の中にこっそり入れておくというのは最初から選択肢になかった。せっかく一歩足を踏み出そうとしているのに、そんな中途半端なことはしたくない。チョコだけで気持ちが伝わるとは考えていなかった。
 十年以上も仲の良い友だちをやってきて、一つの決まった関係ができあがっている。それを壊すのだ。
 日魅子がそんな気持ちでいるとは露知らず、九峪は昼休みになると男友達とつるんでどこかに行ってしまった。
 由紀子や委員長とお弁当を広げながら、九峪のことを考えていた。
 朝、追及し損ねていた委員長の想い人のことや、あの安堵の表情なども気になっていて、少し混乱していたのかもしれない。
 結局、昼休みには渡せず、放課後の今に至ってしまった。
 しかも、九峪はどこかに行ってしまって教室にはいない。
 カバンは置いてあるので下校したわけではないようだが、九峪とよくつるんでいる男子にそれとなく聞いても居場所はわからなかった。
(このまま待っていればいいか)
 カバンは教室にあるのだ。そのうち戻ってくることは間違いない。
 もともと学校で渡すことにこだわる必要もない。
 だれかに先を越されなければという条件がつくが。
 少しあきらめたような考えに浸っている日魅子のそばに、二人組の女子生徒が話をしながら近づいてくる。
「やっぱり、あれって呼び出しなのかな?」
「間違いないんじゃない。ちょっと意外だったけど」
「そうよねえ、まさか由紀子が九峪君になんてね」
「ちょっと、それ本当!?」
「あ、日魅子……」
 どうやら二人は話に夢中になって日魅子には気づいていなかったようだ。
 まずいことを言ったと手を口にやる二人にはかまわず、日魅子は激しく問いただす。
「う、うん、あのね、さっき見ちゃったんだ」
「由紀子がね、九峪君に声をかけてどっかに行っちゃったんだ。あの二人ってけっこう仲がいいし、そういうことなのかなって」
「そんな……、それでどこに行ったの?」
「たぶん、体育館の方だと思うけど」
「そう、ありがと」
 日魅子はカバンを持って走り出す。
 まさかと言う思いが胸にいっぱいになる。
 九峪と由紀子はたしかに仲が良かった。文化祭でクラスの出し物をやるときや、クラス対抗スポーツ大会のときなど九峪はやや面倒くさげに、由紀子は率先して男子、女子のそれぞれのリーダーとなって盛り上げた。
 日魅子もいっしょになって楽しんでいたのだが、由紀子が九峪と息の合ったところをうらやましげに見ていたのも事実だった。
 そのことを思い出して、由紀子が九峪に告白することも決してありえないことではないということに気づく。
(今朝、九峪のカバンを開けたのもチョコをもらったかどうか確かめるためだったのかもしれない)
 そして、わたしと同じように九峪の返事に安心したのかもと疑いながら、日魅子は体育館の方へと急ぐ。
 廊下をけたたましく走っていく日魅子を、生徒たちは何事かと驚いた顔をする。
 教師に見つかって注意されるが、きっぱりと無視する。教師の罵声が響く中、ただ走る。
 階段を駆け下りて、体育館につながる渡り廊下へ行こうと角を曲がったとき、何かにぶつかり鈍い音が響いた。
 日魅子は頭が揺れるような感じがして、廊下に座り込んでしまった。
 二、三度頭を振って、前を見るとそこには同じような格好で座り込んでいる女子生徒がいた。
「ごめんなさい、急いでいたから……」
 あわてて謝り、怪我はないか確かめようとしたとき、日魅子は気づいた。
「ほらね、言ったでしょ、危険はいきなりやってくるって」
 女子生徒は苦笑いを浮かべながら、立ち上がる。
 日魅子の探している相手、由紀子だった。






 九峪は体育館の裏に来ていた。
 由紀子とは体育館の手前で別れていた。
 周りを見渡すと、太陽の影になっているためだろう、他のところではかなりとけてしまった雪がまだ残っている。
 雪の上に足跡がけっこう残っている。
 一番はっきりと残っている足跡をたどっていった先に、少女はいた。
 少女がにっこりと笑いかける。
 九峪は何度も見ている笑顔をやけにまぶしく感じた。
「委員長…」
 少女の笑顔とは対照的に、九峪は苦しそうに少女のあだ名を呼んだ。






「由紀子……」
「でも、わたしもまだまだだね。まったくかわせなかったし、もっと訓練しないといけないよね」
「由紀子!」
 たまりかねたかのように日魅子は叫ぶ。
 由紀子は押し黙る。その表情はいつもの無邪気なものとは違っていた。
 日魅子は、そんな親友の態度を見て、何か嫌なものが胸にたまるのを感じる。
「九峪を探してて、由紀子が九峪といっしょにいたと聞いたんだけど……九峪はどこ?」
 暗い感情を押し殺し、できるだけ平然とした声でたずねる。
「さっきまでいっしょにいたよ。体育館の前で別れたから、九峪は体育館の裏側だと思うよ」
「体育館の裏側?なんかそれって告白の定番のシチュエーションだよね……まさか」
 言って気づいた。九峪は体育館の裏側にいるといった。それが告白のためのものだというのはたぶん間違いない。でも、由紀子は体育館の前で別れたと言った。つまり、告白するのは由紀子ではなく、他の誰か。由紀子は九峪を呼び出す役をしただけ。由紀子がそんな役をしてあげる相手で思い当たる女子と言えば……
「委員長なの?」
 今朝見た委員長の安堵の表情を思い出す。
 そう、九峪の返事を聞いて安心していたのは委員長だった。
「ええ、九峪を呼んであげたの」
 由紀子の肯定に、さっきよりも強い暗い感情がわきあがってくる。
「どうして?由紀子なら私の気持ちわかってたでしょ。なのに……こんなの裏切りじゃない」
 由紀子がただ九峪に告白したというのなら、しょうがないとも思えたかもしれない。だれかを好きになってしまうのは仕方のないことだし、自分は九峪と付き合っているわけではない。でも、由紀子は親友のはずだ。もちろん、委員長とも親友なのだろう。だったら、中立の立場にいるのが当然ではないのか。
 日魅子は由紀子をにらみつける。
「たしかに日魅子の気持ちは分かってたわ。でもね、それ以上に委員長の気持ちも知っていたの」
「委員長の?」
 日魅子は委員長が九峪と話しているところを思い出す。文化祭のとき、スポーツ大会のとき、普段のなにげない会話のとき、委員長は楽しそうに笑っていた。
「一年生のころから、あの子はずっと九峪を見ていた。その気持ちがね、わかっちゃったんだ」
 どうして気づかなかったのだろうと、日魅子は自問する。
 委員長が他の男子と話しているときに、あんな笑顔は見せない、出せないのは知っていたはずだ。そう、知っていた。でも、分からなかった。いや、分かりたくなかったのだ。委員長の真剣な思いを。
「だから、だからって、……九峪は譲れないよ」
 日魅子はうめくようにつぶやく。
「譲るとかじゃないよ、日魅子、わたしはただあの子に後悔して欲しくないだけ」
 由紀子の言葉が胸に突き刺さる。
「わたしだってそうだよ」
 日魅子は逃げ出すように走り出す。
 このままの心地よいだけの関係では終わりたくない。そう決心したのだと。胸中で叫ぶ。
 由紀子は走り出した日魅子を追わず、その場にたたずむ。
 日魅子に裏切りととられても仕方ない。それだけのことをしたのだと十分に理解していた。でも、それ以上に委員長に気持ちを伝えさせてあげたかった。
「それにね、日魅子。わたし、九峪の気持ちも分かってるんだよ。九峪が気にしている女の子はあんただけだって。……まあ、だからうまくいくってわけじゃないけど、ちょっとやけちゃうかな」
 由紀子のつぶやきは日魅子には届かない。振り返るともう日魅子の姿は見えなくなっていた。






 日魅子は体育館の前まで走っていって立ち止まり、息を整える。白い息が顔の前に広がる。深呼吸して、冷たい空気が一気に肺に入ってきて身体が震える。
 少し凍えそうな思いをしながらも、呼吸がいつもの調子に戻る。
 顔を上げる。
 体育館の横にある用具入れが目に入る。そのむこうが九峪と委員長がいるであろう体育館の裏側だった。
 足を進めようとして、やめる。
 由紀子の言葉を思い出し、委員長の楽しそうな笑顔がちらつく。
 告白の邪魔はできない。それはだめだと自分に言い聞かせる。でも、どうなっているのかは気になる。
 日魅子が、そんなもどかしい気持ちにさいなまれていると、用具入れの影から、人が現れた。
「委員長……」
 日魅子の声に反応して、委員長が日魅子のほうを向く。その顔は涙で濡れていた。
 委員長は袖で涙をぬぐい、日魅子に近寄る。
「日魅子、ごめんね」
「ううん」
「ふられちゃった」
 日魅子は複雑な思いにかられた。
 九峪が委員長の告白を受け入れなかったことに安心すると同時に、委員長のこんな涙は見たくなかったという思いが交互する。親友が悲しむ顔なんて見たいはずがなかった。
 日魅子は委員長の顔を見ていられず、視線をそらす。
「でもね」
 委員長がしっかりとした声で告げる。
「告白できて良かった」
 日魅子は視線を委員長の顔に戻す。涙をぬぐったせいで目のまわりが赤くなっている。それでも、委員長はうらやましくなるくらい、きれいで前向きな笑顔を浮かべていた。
「じゃあいくね」
 委員長は校舎の方へ歩いていった。
 日魅子は委員長が校舎の中に入るまでじっと見つめていた。
 由紀子はあの笑顔を見たかったのかもしれない、日魅子はそう思った。
 委員長が校舎に入ると、日魅子は用具入れのほうに目をやる。
 じっと見つめ、たたずむ。
 十回、呼吸して歩き出す。用具入れのそばを通り過ぎ、その角を曲がる。
 日魅子の幼馴染は右手にきれいにラッピングされた小さな箱を持ち、その箱をみつめていた。
「九峪、こんなところにいると風邪ひいちゃうよ」
 日魅子が声をかけても、九峪は動かない。
「どうしたの?」
 九峪のそばにまで近寄る。小さな箱のことは見て見ぬふりをする。
「別に」
 九峪はそっけない声で答える。
「さっき委員長にあったよ」
「そっか」
 九峪がこうした態度をとるときは、本当に落ち込んでいるのだということを、幼馴染である日魅子は良く理解していた。成長するにつれて、九峪が落ち込むことはだんだん少なくなってきたが、こういうとき励ますのが日魅子の役割だった。
「これから委員長とどう付き合えばいいんだろ」
 九峪の弱弱しい声に、日魅子は明るい声で答える。
「大丈夫よ、今まで通りでいいんじゃない?」
「ありきたりな答えだな。委員長は変えようとしたんだぞ。今までどおりなわけはないだろ」
 日魅子の顔が曇る。
 行動を起こした以上、変化は必ず起こる。その変化が良いものであるとは限らない。そのことに日魅子はあらためて気づく。
「その鈴、ずっとつけているよな」
 九峪は日魅子が首から下げている鈴に目をやる。
「これ?……わたしの絆の一つだから」
「両親との?」
 日魅子には両親の思い出がない。山の中に捨てられているのを育ての親である姫島教授に拾われたのだった。日魅子は、教授をおじいちゃんと呼んで慕っている。それでも、両親を求める気持ちは胸の中でずっとくすぶっていた。
「うん、見たこともない人たちだけどね。おじいちゃんは大好きで、家族だけど、わたしを生んでくれた人たちがいる。その象徴みたいなものなの」
 日魅子は鈴を手にとって、手のひらで転がす。
「これをつけていればいつかわたしの故郷に会えるかもしれない」
「故郷に会うってなんかおかしくないか?」
「ニュアンスで分かってよね」
「そんなのわかんないって」
 九峪は軽く笑う。
 日魅子も合わせて笑い、九峪が少し元気を出したことに安心する。
「委員長のことは大丈夫だって。これからどういう関係になるかはわからないけど、それは委員長が決めることだと思う。九峪は変に気を使っちゃだめだよ。それに、わたしや由紀子もいるんだから」
「そうだな、ありがと、日魅子」
 九峪は照れたような笑みを浮かべ、小さな箱をポケットにしまう。
「そうだ、わたしからもあげるね」
 日魅子はカバンからラッピングしたものを取り出し、九峪に渡す。
「お、ありがと、あけていいか?」
「うん、いいよ」
 九峪は包装をはずし、ふたを開ける。
「なんか去年よりも豪華じゃないか」
 きれいなデコレーションがほどこされたチョコレートに驚く。
「そうでもないよ……来年は受験とかで忙しいだろうから、ちょっと奮発しただけだよ」
「ふ〜ん」
 九峪がチョコをつまむのを、日魅子は不安そうに見つめる。
「うまいな、これ」
「そう、良かった」
 日魅子の顔がほころぶ。
 九峪はそのまま全部食べてしまう。
「本当においしかった……なんか寒くなってきたな」
 九峪の手は震えている。
「そんな格好でずっと外にいるからだよ」
「仕方ないだろ、教室に戻る途中で由紀子に連れてこられたんだから」
「ほら、はやく教室にもどろ」
「よし、じゃあ帰りに喫茶店に寄ってくか。チョコのお礼になんかおごってやるよ」
「ほんと、よし行こう、早く行こう」
 日魅子ははしゃぎながら、九峪の手を引っ張っていく。
 九峪は引きずられるようにしてついていく。
 仲の良い幼馴染の二人の姿がそこにはあった。





 心地よい関係にいつまでもいたいとは思わない。
 告白して断られるのがこわいんじゃない。
 告白して失敗しても、幼馴染と言う関係は変わらない。
 一時期、気まずくなったとしても、きっとまた笑って話せる関係に戻れる。
 九峪との絆はそんなに弱いものじゃない。
 わたしを捨てた両親とは違う。
 九峪はここにいるんだから。
 いっぱい話せるんだから。
 でも、今はこうしているのもいいかもしれない。
 まだ時間はあるのだから。






 日魅子の胸で音を立てる鈴、それが日魅子にとって絆ではなく別れの象徴になることを、まだだれも知らなかった。









あとがき

季節ものということで、バレンタインです。
たぶん、なかなかないであろう日魅子が主人公のSSを書いてみました。
キャラがつかみきれていないので、これが日魅子かと怒られた方、申し訳ありません。
委員長は漫画版に出ていたキャラで、笑顔がとても素敵な女の子でした。
時間軸としてはゲームで九峪が九洲にとばされる前にあたりますが、ほとんどオリジナルになっていますね。
今回のテーマは「後悔」でした。
読んでいただいた方、ありがとうございました。



ゴーアルさんからバレンタインSSをいただきました♪
創作は到着順に掲載しているのと、管理人がヘタレなせいで、ちょっと掲載が遅れてしまいました(~_~;)
すいませんです〜。

 火魅子伝、というよりは青春恋愛物語火魅子伝版、という感じですね。一歩を踏み出したために後悔はしなくてすんだけど、ハッピーエンドにはなれなかった委員長と、踏み出す機会を逃したまま、結末を迎えられずに待つことになった日魅子と・・・う〜ん、どっちも切ない。そして中立を取れなかった由紀子、なんか好きです。
 ゴーアルさん、本当にお上手ですねえ・・・心の機微の表現とか、キャラクターの動きとか。
 ネタがありましたら、また読ませてくださいね♪


 ありがとうございました(o^∇^o)ノ

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つまらなかった
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