〜戦  雲〜


作・ゴーアル様


プロローグ


 人は未来に思いをはせるとともに、太古にも夢を見る。
 せせこましい現代と違って、人が人らしく大きく生きられた時代にあこがれる。
 考古学とはより豊かな夢を見るためのものなのかもしれない。
 そんなことを考えながら、九州総合大学の姫島教授は立ち上がり、長年に渡り発掘に携わってきた古墳を見回した。腰に手を当て、ゆっくりと腰を伸ばす。心地よい痛みに、思わず声が漏れる。
「ふう〜、私ももう年だな」
 今年で65歳になった。過去を振り返れば、発掘の思い出ばかり。邪馬台国というロマンを追い求め、人生のほとんどを考古学に費やしてきた。邪馬台国は近畿地方にあったとする畿内説が有力になる一方で、姫島教授は邪馬台国は九州にあったと信じていた。そして、その証拠をずっと追い求めてきた。
 そんな教授をときに笑いながら励ましてくれていた妻は十年前に先立っていた。ほんと頑固なんだから、そう口癖のように言っていた妻の顔を思い出すたび、発掘への思いが増してくる。
 二十年前に発見された大規模古墳、耶牟原遺跡で新たな遺跡が見つかった。これまでにない複雑な文様の土器に加え、巨大な建物の跡。邪馬台国の宮殿ということも考えられる。
「おじいちゃ〜ん」
 いまだ全容がつかめていない古墳に夢を見ていると、遠くのほうから聞き覚えがある声が聞こえた。
 声のほうを向くと、学生服姿の二人の男女の姿が見えた。教授が気づいたことが分かったのか、女の子のほうが駆け足で近寄ってきた。
「日魅子か、どうしたんだ?」
「どうしたんだって、おじいちゃん、忘れちゃったの? すごいものが発掘されそうだから見に来いって言ってたじゃない」
「お、そうだったな、忘れとった」
「もう、しっかりしてよね。そんなんじゃ、何か見つけたって、見過ごしちゃうかもしれないんだから」
「すまん、すまん。それで、九峪君も連れてきたのか?」
 教授は男の方に目を向ける。高校生としては平均的な身長なのだろうが、小柄な教授は見上げなければならない。少年からはどこかだらけた印象を受けるが、教授は彼が水泳に打ち込んでいることを知っていた。たしか、県でも一、二番だったはずだ。
「ええ、まあ、ちょっと興味もあったんで」
「日魅子が強引に連れてきたんじゃないのかね」
「いや、まあそんなこともあったかな」
 少年は若者らしい笑顔を浮かべた。
「ちょっと、人聞きの悪いこと言わないでよね。九峪が興味ありそうな雰囲気を出してたから、誘ってあげたのに」
「だから興味があったって言ったろ」
「じゃあ、はっきりとそう言いなさいよね」
 日魅子ははっきりと不機嫌そうな顔になり、そっぽを向く。
「まあ、日魅子、その辺にしておきなさい。怒ってばかりの女はなかなかもてんぞ」
「な、それが孫娘に向かって言う言葉!」
 今度は教授の方へと、少女の怒りの矛先が向いた。
「いや、まあ、その」
 怒ったときの孫娘は怖かった。教授は家事下手で、姫島家の家事はすべて孫娘が取り仕切っていた。幼馴染と喧嘩したときなど、機嫌が悪いときには部屋に閉じこもってしまい、わずか三日で家の中は汚い物置と化してしまったこともある。孫娘をなんとかなだめなければならない。
 教授が考え込んでいると、
「教授〜、姫島教授〜」
 研究室の生徒が大急ぎで駆け寄ってきた。
「そんなにあわてて、どうしたんだね?」
「どうしたもこうしたもありませんよ。出たんですよ」
「何がだね?」
 教授の問いに、生徒は一度ゆっくりと深呼吸した。
「鏡です。鏡が出たんですよ」
「ほう、とうとう出たか。それで状態はどうかね」
「どうしてそんなに落ち着いているんですか!」
「君こそ、なぜ慌てているんだね? 鏡なら五枚、発掘されているし、まだ出てくることも予想されていただろうに」
「それが今までのものとはまったく違うんですよ。装飾もより複雑なものですし、何より材質が銅や青銅じゃないみたいなんです」
「な、何だと、それは本当かね!」
「だから急いできたんです。早く来てください」
「ああ、わかった。日魅子、九峪君、いっしょに来るかね」
 孫娘たちの方を振り向くと、二人の表情は興奮気味だった。どうやら答えを聞くまでもないようだ。
「当然よ、そのために来たんだから。ね、九峪」
「ああ、そうだな。早く行こう」
 日魅子の機嫌はもう直ってしまったようだ。二十年近くいっしょに生活してきても、気ままな女心は理解できない。教授は軽く首をふって、発見現場へと向かった。
 鏡が発見された場所には、多くの学生が集まっていた。
「おい、ちょっとどいてくれ」
 教授が生徒をかき分けて進むと、助手をしている男が宝物を抱えるようにして鏡を凝視していた。
「あ、教授、見てください。すばらしいですよ」
「ふむ、これは……」
 駆け足で来たためにずれてしまったメガネの位置を直すと、いとしい女性を見るように鏡を眺めた。装飾をゆっくりとなぞり、形を確かめる。
 生徒が言ったとおり、鏡の形はこれまでに日本各地で発見されたものとはまるで違っていた。有名な三角縁神獣鏡は、その特徴として鏡の縁の部分の断面図が三角形状になっている。しかし、この鏡は半円状になっていた。裏面の神仙や霊獣の図像もより精緻なもので、何よりその図像が今までのものとはまったく違っていた。
「教授、それとさっき見つかったのですが、これを……」
 助手が古ぼけた箱を差し出してきた。ふたを開けるとそこにはぎっしりと木簡がつまっていた。助手の指差したほうには、同じような箱がさらに十個ほど合った。
「す、すばらしい、これだけの量の木簡がまとまって出土するとは」
 教授が大発見に興奮していると、日魅子と九峪が追いついてきた。
「もう、おじいちゃん、案内するならきちんとしてよね。迷っちゃうところだったじゃない」
「おう、日魅子、これを見てくれ。大発見だ」
「ふ〜ん、これって木簡ってやつでしょ。さっき言っていた鏡は?」
「鏡か、これだ」
 教授は孫娘に鏡を見せた。今までやってきた成果を大事な孫娘に見せられることを本当にうれしく思った。できれば妻にも見てもらいたかった。トロイの遺跡を発見したシュリーマンのように、自分の妻を古代の装飾品で着飾りたかった。しかし、考古学史に新たな一ページを加えるという夢が実現に近づいている。
 教授はそのことに興奮しきっていた。だから、孫娘の反応に気づかなかった。






 二日後、九州総合大学考古学研究所の発掘品保管庫に、姫島教授、日魅子、九峪は集まっていた。
「それで、おじいちゃん、銅鏡と木簡のことについて何か分かったの?」
「うむ、木簡については一部だけだな。赤外線を当てても読めないほど磨耗しているのでな」
 この一週間、日魅子は毎日、銅鏡の事を聞いてきた。朝食や夕食のたびに銅鏡を見せてくれと言う。もともと十代の女の子にしては発掘の結果に興味を持っていたようだが、ここまでしつこく聞いてきたことはこれまでなかった。
そのことに違和感を持たないでもなかったが、世紀の発見ということでいつもよりも興奮しているのだろうと、それほど気に留めることはなかった。何よりも、教授自身がずっと舞い上がっていたのだった。
 一方、九峪はそれほど乗り気というわけでもないようだ。なんでも朝から水泳部の練習があり、今日はさっさと家に帰って昼寝をするつもりだったらしい。日魅子があまりにも興奮していたので、逆に冷静になってしまっている部分もあるのだろう。男で古代に興味を持たないものはいないというのが、姫島教授の信念だった。
「で、で、なんて書かれていたの? もしかして、邪馬台国の在処とか?」
「残念ながら、そういうものではなかった。この木簡だがな、これは古代の伝奇小説であることが分かった」
「伝奇小説って、今回の遺跡って三世紀のものなんでしょ?」
 九峪がさすがに驚いて口を挟んできた。
「まあ、そうだが、内容を解読してみるとそうとしか思えんのだ」
 教授は木簡の内容が要約された紙を読み上げた。
 
 大昔、この地にあったある国が滅んだ。
 その後、異世界から光臨した神の遣いに率いられた人々が魔人や魔物と戦い、激しい戦いの後、ついにその国を復興することができた。

「御伽噺ですか?」
「まあ、神話というかホラ話というか、いずれにしてもこの話の内容自体には考古学に新たな発見をもたらすものは見当たらんな」
「なーんだ」
 日魅子は期待はずれだと言わんばかりに、ため息をついた。
「はっはは、まあ、そう言うな。信憑性はないかもしれんが文学的には大発見だぞ。書かれた時代を特定することはできんが、少なくとも日本書紀や古事記を遡ること数百年もの昔にだ、こんな物語が存在したんだからな」
「ふうん」
「でもさあ、先生、そんな昔の日本に文字なんかあったっけ?」
「その時代の文字らしきものはいくつか見つかっているよ。――もっとも、これだけ大量の文字が書かれた資料が見つかった例はない。それだけでも、これが超一級の考古学的発見といえるさ」
「そんなもんすかね」
 二人の反応は悪い。おそらく、邪馬台国につながる発見だと思っていたのだろう。自分自身、期待していたのは間違いない。木簡の内容が判明したときには、失望もした。
 しかし、その失望をも覆す発見があった。
「そして、この銅鏡だ」
 布を取り払い、鏡を取り出した。見るたびに新鮮な驚きが胸をいっぱいにする。
「この見事なできばえは、今までに発掘されている銅鏡の比ではない。まあ、ちょっと見てみたまえ。この作り、このデザイン。当時の技術の粋を集めて作られた究極の一品にちがいない」
「はあ……」
 九峪は恐る恐るという様子で鏡をのぞいた。
「あ、あたしにも見せて見せて」
 日魅子が手を伸ばし、鏡を九峪から受け取った。
 教授は日魅子が木簡よりも銅鏡に興味を示していたことを思い出した。
「ええっ!?」
 日魅子が驚いたような声を上げた。落としそうになったので、あわてて手を伸ばす。
「どした? ヘンな声出して」
「い、今の見た!?」
「何を?」
「鏡の中から変なものが出たでしょ?」
「変なものぉ、なんだよ、それ?」
「何を言っているんだね、日魅子」
 日魅子はすっかり取り乱していた。鏡を裏返しにして見るが、何も異常はなかった。
「変なものが見えたんだってば!」
「寝ぼけているのかね、日魅子。まあ、発掘で朝が早かったからな。もう帰って寝たらどうだ」
「そういう言われ方すると、傷ついちゃうなあ、あたし」
 日魅子はまだ納得してないようだったが、ひとまず帰ることにしたようだ。
「わたしは、今夜は大学に泊まることにする。ちゃんと戸締りをするように、いいね、日魅子」
「はーい、分かりました。それじゃあね、おじいちゃん」
「失礼します、先生」
 二人は研究室から出て行った。
 今日はじっくりと研究に精を出すことにしよう。二人にはああ言ったが、神話と思われていたことから考古学上の発見が行われたこともある。まずは木簡の解析が第一だ。
 ふと心配事がよぎる。
 あの二人、まさかうちで一晩を明かすということはないだろうな。




 大学の研究室で、姫島教授はうたたねをしていた。
 教授の机はフランス料理のコースが一度に出てきても、まったく問題ないほどの大きさだ。その机の上には木簡が広げられており、湯飲みを置くスペースもない。
 木簡の解読ははかどっていなかった。
 どう見ても欠落部分が多い。
 物語の最重要人物である神の遣いの名前も記述されているようなのだが、その部分は解読不能になっている。赤外線を用いた解析方法ではどうやっても無理だ。解読の前に、新たな解析方法を発明しなければならない。
 研究が袋小路に入ってしまって、教授は木簡を机の上に投げ出した。
 ここ二日、ほとんど寝ていなかった。
 昔はいくらでも睡眠時間を削れていたのにと、自分の歳を感じてしまう。
 一眠りしようと、背もたれにしっかりと体重をかけた。
 何分もしないうちに、教授は夢の世界へ入っていった。
 そして、大きな物音で目が覚めた。
 保管庫のほうだ。
 教授は跳ね起き、引き出しにしまってあった懐中電灯を取り出す。念のため、部屋の隅に立てかけてあった金属バットを持ち、保管庫の方へと急ぐ。
 泥棒だろうか。
 たしかに昨日の新聞には文化欄に大きく掲載された。
 世紀の大発見と大きく見出しがついていたのを誇らしく思った。ただ、クエッションマークもそれ以上に大きくつけられていた。まだ価値ははっきりしていないのだ。そんなものを盗んでどうなるのか。
 いや、だからこそ盗んだのかもしれない。
 重要文化財にでも指定されてしまえば警備も厳しくなる。早めに盗むというのはありえるだろう。
 保管庫の前についた。
 まだ、警備員は来ていないようだ。
 大学の警備体制などそれほど厳しいものではない。泥棒が侵入した可能性は十分にある。
 音が立たないように扉をゆっくりと開けた。
 保管庫の中は真っ暗だった。
 懐中電灯はつけない。もし泥棒がまだ中にいるとしたら、こちらの居場所をわざわざ教える必要はない。
 すすり泣く声が聞こえた。
 どうやら女のようだ。
「……くた……どこ……」
 聞き覚えのある声。
 懐中電灯のスイッチを入れた。
 泣き声のほうに明かりを向けると、そこには孫娘がいた。
「日魅子! どうしたんだ?」
 孫娘がこちらを向いた。その表情は壊れてしまうのではないかと思うほどのもろさを感じさせた。
「おじいちゃん、……九峪が……」
 急いで孫娘の側に寄った。
「どうした? 九峪君がいるのかね?」
 懐中電灯であたりを照らすが、九峪の姿は見えない。
「あのね、あのね、鏡から変な影がもれてきたの。それから鏡が光って、それから、それから……」
 日魅子の言葉はまったくとりとめがなかった。ただ、あの銅鏡が関わっていることは分かった。
「九峪君はどうしたのかね? それとも一人できたのかね?」
「九峪、そう九峪が消えちゃった。……光に変わって、鏡の中に入っていっちゃったの。九峪は手を伸ばしたんだけど、あたしはつかめなくて……、そう、あたしの鈴も光ったの。鈴がね、光ったの」
「消えた、何を言っているんだね、日魅子!」
「あたし、あたし……」
 日魅子が声を上げて泣きじゃくり始めた。
 とんでもないことが起きたのは分かる。しかし、何が起きたのかはわからない。
 とにかく、日魅子の様子を探る。怪我をしているわけではないようだ。
 日魅子の周りに何かが散らばっていた。
 それは日魅子の鈴をつるしていた紐を飾っていたガラス細工だった。
「いったい何があったんだ?」
 教授はただ呆然とつぶやく。
 何があったのか、九峪はどこに行ったのか、それらを知るべき術は教授にはなかった。









 間違いにより、間違った世界に行った若者。
 



 世界を間違っているかどうかを決めるのは人。




 これは世界を変える若者とその仲間たちの物語である。


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