〜戦  雲〜


作・ゴーアル様


第七話 戦運(その4)



 本宮と街とを遮る門の前に、街の住民が集まっていた。彼らは正門の上方を見つめている。その正門の上にある見張り台のようなところに、一人の若者と二人の女性の姿があった。
 女性ふたりは若者よりも少し下がり、両脇を固めるようにして立っている。角度の関係で、住民からは見えないが、彼らの後ろには何人かが控えている。
 若者は見慣れない格好をしていた。妙に鮮やかな青で統一された外衣。身長はそれなりに高く、茶色がかった黒髪は無造作に整えられていた。服装さえ無視してしまえば、どこにでもいそうな若者。
 女性たちは型こそ違うが、それぞれ魅力的な姿をしていた。
 一人は日に照らされた木々のような茶色の髪をしている。すらりとした佇まいは、背筋に一本棒が通されているように、見ていて気持ちよい。見ているだけで、自分も凛とした空気に包まれるような雰囲気がある。
 もう一人は、涼やかな風を想像させるような青髪をしている。目を引くのは、女性の服装だった。透けて肌が見えるほどの薄い衣。時折、吹く風が衣を揺らし、肌を露出させる。男だけでなく同性さえ惹き付けてしまう色気は、淫には堕ちず、あくまでも清らかであった。
 遠くでトンビの鳴き声が聞こえた。
 若者がゆっくりと住民を見回し、口を開いた。
「遡ること十五年前、九洲の大地は灯火を失った。土地を守り、祖先を称える王家は百足(むかで)の群れの中に消え、大地の恵みは鼠(ねずみ)に食い荒らされるようになった」
 百足、鼠は狗根国で崇められている神獣である。
「日は昇れども、心の中までは光は差さず、晴天の下でも闇夜を歩くような日々が続いた。人の往来は少なくなり、活気が失われる中、意気を高めるのは百足の民のみ。炎の民には、冷たい雨しか降らなかった」
 十年をなぞる言葉は、住民の記憶を呼び覚ましていく。
 余所者に支配される忍従の暮らし。
 常に不安を抱えながらの生活。
 叶わぬ望みだけが膨らんでいく毎日。
 それらが頭をよぎる。
「しかし、今日、九洲の地に新たな灯火が生まれた。炎の民は熱さを忘れることはない。勢いを忘れることはない。屈服したままでいられるはずがない」
 若者が右手を上げた。
 後ろから白木で造られた台を持った男が現れた。台の上には何かが載せられている。正体が分かったのだろう。前列の者からざわめきが広がっていく。その波が全体に広がるのを待ち、若者は再び話し出す。
「見て分かるように、圧政者はここに倒れた。狗根国の支配は絶対ではない」
 深みのある声ではないが、熱っぽく、よく通る声が空気を振るわせる。
「先ほど新たな灯火が生まれたと言った。その灯火とは、このふたりの女性だ」
 若者の声に合わせ、ふたりは一歩前に出る。
「ふたりは王家の血を引き、火魅子の資質を持っている」
 火魅子──九洲の民にとって、最も尊い存在。村の長老たちは憧憬を思い浮かべ、子供達に語る。炎に愛され、炎を愛した女王がいた時代、九洲はまさに繁栄の極みにあった。女王の兵は強く、野山に魔獣が跋扈することなどなかった。
 その時代も終わりを告げる。
 第十二代火魅子が逝去して五十年、九洲の真の王は姿を現さなかった。
 火魅子様がいれば──この思いは九洲の民に共通する願いである。
 誰もが待ち望んでいた存在。しかし、歓声は上がらない。彼らは戸惑っていた。
 耶麻台国が滅亡してから十五年、九洲の各地で幾度も叛乱が起こった。その中には、さすがに火魅子の名を騙る者はいなかったが、王家であることを僭称した者もいたのだ。彼らの結末は言うまでもない。狗根軍に散々に蹴散らされ、その報復は苛烈だった。住民の中には、極端に恐れているものもいる。
 もちろん、このままでいいとは思ってはいない。生きるも地獄、死ぬも地獄というような苦境から脱したい。だが、恐怖は心の奥まで染み込んでいるのだ。
 住民の疑い、戸惑いの視線を受けながら、若者は動じることなく胸を張っていた。自分がこの間を作り出しているとでも言うように、ゆっくりと余裕をもった手の動き。若者は懐から鏡を取り出した。そして、住民に向かい、両手を伸ばしてかざす。
「これは耶麻台の神器が一つ、天魔鏡。九洲の灯火の光を集め、すべてを照らす鏡」
 鏡が光った。西日を反射したのではない。鏡自体が光を放ったのである。白く鮮烈な光は、住民の心にくすぶっていた興奮に火をつける。
「俺の名は九峪。耶麻台八柱神が一柱、天の火矛に遣わされし、神の遣い。この九洲の地に正しきものを取り戻すために、民の灯火になるために遣わされた者。これより耶麻台国は復興への道を進む!」
 神の光を操る若者。
 違う。
 これまでの反抗者とは違う。
 理解が興奮へと繋がる。
 鏡がもう一度、激しく発光し、住民の興奮は最高潮に達した。



 日がゆっくりと西の彼方に沈もうとしている。もうしばらくすれば、空は赤く染まり始めるだろう。動乱の一日がやっと終わろうとしている。
 動乱の首謀者と目される若者──九峪は手すりに腕を乗せ、街を眺めていた。
 ここは宮殿にある舞台の一つ。一昨夜、志野が舞った広間とは違い、この舞台は屋根も壁もない。屋上に作られ、遠くの山や空を背景とする国府城主自慢のものだった。出入り口は廊下をはさみ、城主の私室へと繋がっている。
 右を見れば、もくもくと煙を上げる海上の山が見える。現代では桜島と呼ばれているが、この時代の呼び名は分からない。
 ──ほんと、似合わないことをしたよな。
 九峪は街を眺めながら思う。少し前まで正門の前は大勢の人が集まっていた。
 仰々しい言い回しに、それなりに重々しさを出そうとした声色。自分でも、おかしいと思うのだが、返ってきた反応を見ると、それほど失敗はしていなかったらしい。
 あの演説は九峪とキョウのふたりで考えたものだった。といっても、ほとんどの部分はキョウの発案だった。百足や鼠という言葉がすぐに出てくるほど、九峪はまだ狗根国について詳しくはない。九峪がしたのは、言い回しの修正と暗記だけだった。
 自分の演説の後、伊万里と志野もそれぞれ言葉を述べたが、そちらのほうがよほど堂々としていた。とくに志野はついさっき自身の秘密を知ったとは思えないほどに、自然な話し振りだった。
 ──血筋ってやつなのかな。蛙(かえる)の子は蛙ってか。
 世襲という言葉には、否定的な考えを持っていた九峪だが、それは偏見だったのかと思い直す。もっとも、親のほうの蛙には会ったことも、どのような人であったかも知らないのだが、王家といって思い出すのは一人の武人。強くて頼りがいのある男。しかし、記憶にあるその男の背中が、今は大きな壁に見える。
 ──人を殺したんだよな、俺。
 時間が立てば、衝撃は薄れる。しかし、手に残った感触は消えることはない。とりあえず作戦が終わり、考えに浸れるだけの時間ができた分、じわじわと胸を締め付けるように罪の意識が湧き上がる。一人で悩んでいても仕方ない。そうは思うが、相談しようにも相手がいない。
 遠慮をすることなく愚痴を言える相手は、疲れたからと言って、鏡の中で寝ている。
 周りを見る。
 うっすらと夜の気配を感じさせつつある空。遠くに見える山。平地に広がる田畑。頑丈そうな城壁。木造、平屋の街並み。
 背筋が冷たくなり、世界からはずれる感覚。
 知らない。
 ここは自分の世界ではない。
 暗い考えはさらなる闇を呼ぶ。
 分かっていたはずだった。覚悟したはずだった。ここは自分の世界ではない。だから自分の世界に帰るために、神の御遣いを名乗り、さらには名乗るだけの責任は果たそうと。けれど、それは戦うということ。人を殺すということ。
 この手で殺すだけではない。
 作戦を立て、実行し、殺す。そして、味方も殺す。
 さっきの演説もそうだ。
 戦え──要約すれば、ただその一言。他に意味などありはしない。
 あらためて自分が日本人であることを痛感する。
 清瑞、伊万里、上乃、志野、そして珠洲。たいして年齢の変わらない女性が、明らかに年下の女の子がためらうことなく人を殺している。それは九峪の常識ではありえない事実。
 ニュースを見ていれば、世界には少年兵などけっして珍しくないことは分かる。
 百聞は一見に如かず。
 現代ならば、まだ学生であるかもしれない女性が人を殺す。
 すべてを否定したいという思いが九峪の心に渦巻いていた。
 だが、現実は変わらない。
 人を殺したという事実は忘れることもできない。
 殺し合うことが普通の時代。そこにいるのだ。
 そして、九峪はまだ気づいていない。自分がこの九洲に現れたという事実が大乱のきっかけとなってしまったことを、今はまだ知らない。
 九峪は悩む、恐れる。
 一人しかいない世界で──

「九峪様」
 芯の通った声が舞台に響き、内にこもった九峪は目を覚ます。春の風が呼び起こす郷愁を振り払いながら、声のほうへと顔だけ振り向いた。
「伊万里……どうした?」
「いえ、そういえば、相馬を討ち取ってから、九峪様ときちんと話していなかったと思って」
 狗根兵の鎧からいつもの服に戻った伊万里は舞台をまっすぐに歩いてくる。西日を浴び、髪をたなびかせる姿は一つの絵を見ているようで、九峪は思わず見ほれた。
 九峪の視線に気づいているのか、いないのか、火魅子の資質を持つ娘は神の遣いの隣に並んだ。そして、街を眺める。
「高いところに上るだけで、こんなに風景が違うんですね」
「ああ、そうだな」
 伊万里の横顔から視線をずらし、また家の並ぶ景色に目を移す。
「けっこういい景色だよな」
「里にいるときも、木の上に登って、遠くの方を眺めたりしましたけど、城ではなかなかできませんから、余計に良く見えるのかもしれませんけど」
「それはあるかもな」
 高校の屋上から、街並みを眺めたことを思い出す。いつも通学している間に見ているはずの建物、道、川がまるで違ったように見えた。学友と愚痴りながら、笑っていた。
「ここから見える家の一つ一つに人が住んでいるんですよね。──相馬はいつもここから街を見ていたのでしょうか?」
「どうだろうな」
「ここに立っているということは、勝ったんですよね、私達」
「ああ、勝ったよ」
 静かな会話が止む。
 風が吹き、眼下の木々が葉を鳴らした。
「でも、また、戦わなくてはならないんですよね」
「……だよな」
 九峪は横に顔を向けた。伊万里は九峪と同じように手すりに手をかけ、少し背中を曲げている。そして、街を眺める瞳はわずかに潤んでいるようにも見える。
「狗根兵は強かった」
 思いの詰まった言葉。
「本当に強かった。いつか九洲解放のための戦いに参加しようと、ずっと剣の鍛錬を続けてきました。一兵卒相手なら何人相手でも勝てると思っていたのですが、所詮は戦を知らない女の考えでしたね」
「伊万里は強いよ」
 城攻めでは別々に分かれてはいたが、伊万里の活躍は上乃や兵士から聞いていた。自ら兜を脱ぎ捨て、兵士を鼓舞。さらには兵卒を何人か相手取りながら、部隊長を倒した。九峪に話す兵士の興奮振りを見れば、彼女が自分の役割を十分に果たしたことが分かる。しかし、彼女は首を横に振る。
「兵舎での戦いで、部隊長を倒したとき、私は勝ったと思いました。指揮官を失えば総崩れになるはずだと、──でも、現実は違いました」
 指揮官を倒された後も、狗根兵は頑強に戦い続けた。無論、指揮系統が乱れたことで、狗根兵は一気に劣勢に追い込まれた。だが、逃げ出すものはいなかった。
「想像では、狗根兵は女に溺れ、剣の鍛錬もおざなりにするような男達だったのですが、やつらは最後の最後まで戦い続けた。もし、これが逆の状態だったら、私が死んでしまったら、味方はきっと離散していたと思います」
 戦ってくれた兵士の気持ちを疑っているのではない。彼らは実際に最後まで勇敢に戦い抜いた。しかし、伊万里の言うように、指揮官が死ねば、彼らは武器を捨て逃げていただろう。それは狗根兵との明らかな覚悟の違いである。
「……そうかもしれないな」
 九峪は思う。
 逃げたくなって当たり前じゃないか。戦場が怖くて何がおかしい。殺し合うことが平気なほうが変なのだ、と。
 それでも戦うのは思い、願いがあるからこそ。そして、戦場に支えとなる存在がいるから戦う、戦える。
「それでも私たちは勝った、戦えるのだと自信を感じていたのですが、さっき、正門の上で、九峪様の話を聞いているとき、怖くなりました。これは始まりなのだ。これからまた何度も戦わなくてはならない。まだ何人もの敵を殺さなければならないのだと」
 悩みを露わにする伊万里。その姿を見て、九峪は安堵を覚えていた。
 ──悩んでいるのは俺だけじゃない、か。
 だれもが平気で人を殺しているわけではない。九峪の感じている怖さとは、おそらくは違うだろう。この時代の人間にとって、敵を殺すことは、罪の意識を浮かべるようなことではない。だが、戦場の恐怖は共通していた。
「私達はこれから先、どうやって戦っていくのでしょう」
「この先か……」

 国府城の解放が耶麻台国復興の烽火となる、とはキョウの言葉だった。
 演説に対する住民の反応を見れば、まるでデタラメというわけではなさそうだ。また、旧国府城で会った反抗組織の男などもいる。国府城解放に呼応する者は現れるだろう。
 しかし、城が落とされたという報は、すぐさま狗根国にも伝わる。叛乱鎮圧のための軍を送ってくるのは間違いない。そして、そのときには今回のような奇襲は使えない。相手は最初から戦う気でやってくるのだ。奇襲を受けるまで安穏としていた国府城の兵士とは覚悟が違う。
 はっきり言ってしまえば、今回の蜂起はまるで将来のことを考えていない、やけっぱちの行動だった。理念はあれども、戦略はない。それでも、一度走り始めたら最後まで走り続けなければならない。止まれば死ぬだけ。だからこそ、やらなければならないことは山ほどある。
 本来なら、こんなところで黄昏れている暇はないのかもしれない。でも──
「これから先、どうするべきか、それは考えないといけない。だけど、今は喜んでもいいんじゃないか」
「えっ……」
 意外な言葉に驚き、伊万里は九峪へと顔を向け、目を合わせる。彼は自身ありげな笑みを浮かべていた。
「たしかに狗根兵は強いし、俺たちは準備不足が目立つ。だけど、すべてを悲観することはない。俺たちは今日、国府城を解放した。敵が来るまでに、準備する時間はまだある。何も手がない状態じゃないんだから、嘆く必要なんてないってこと」
「九峪様……」
 生真面目な瞳が少し緩む。
 ──俺って、けっこう演技が上手いのかな?
 おどけたような笑みを浮かべながら、九峪は自分の演技を褒めていた。
 正直言って、自分のほうが参っているのではないかと思う。九洲に連れてこられてから十日、勉強し、話を聞いたからといって、こちらの社会との差は埋められない。一番厄介な未知への不安が大きく残っている。
 目の前の顔。
 どれだけ不安があろうとも、女に相談されたら強がる──それが男というもの。十七世紀も時を遡ろうとも、変わりもしない性(さが)。美女の前では、内心を隠して強がるのだ。
 伊万里の顔に笑みが浮かぶ。
「ありがとうございます。少し、弱気になっていたみたいですね」
「まあ、俺の話なんてたいして役に立たないだろうけど、人に話すってことで自分の考えがまとまるってこともあるし」
「そんなことはありませんけど……でも、たしかに誰かに話すって、気持ちが楽になりますね。私も、王家に連なる者らしいですから、なかなか弱いところは見せられないですし。神の遣い様ぐらいしか」
 ──なるほどね。
 軽い失望を噛み締めながら、九峪は頷く。
「神の遣い様はなしじゃなかったっけ?」
「あ、すみません、つい」
「いや、まあいいけど、──上乃には相談しないの?」
 昨夜、上乃と話したときのことを思い出す。いつもの元気が影を潜めた寂しげな表情。子供の頃からずっといっしょだった姉が遠くに行ってしまったと感じていた。正門での演説の前に少し話したときには、どこか吹っ切れたように元気になってはいたが、まだ少し心配だった。
「上乃に、ですか。一応、私は姉ですし、あまり弱いところは見せたくないというか」
「何の遠慮もなく話せる相手って貴重だよ」
 若干の羨望を込められた声。伊万里はそれに気づかず、素直に頷いた。
「そうですね。思えば、上乃も何か話したそうにしていましたし、大事な妹ですから」
「……うん、それでいいと思う」
「では、さっそく、上乃と話しに行ってみます。九峪様、話を聞いてくれて、ありがとうございました」
「これぐらいならお安い御用だ。じゃあ、また後で」
「はい」
 深くお辞儀して、伊万里は舞台を去っていく。颯爽と歩く後姿は格好いい。
 ──って、後姿に見惚れるって、オヤジかよ。
 自分に突っ込んで、視線を街のほうへと戻す。
 なかなか考えさせられる会話だった。
 けっして自分ひとりだけが悩んでいるわけではない。そのことを痛感させられた。
 顔の前で右手を開く。
 すでに血は洗い落としてある。いつもの自分の手のように見える。
 右手で口を覆う。
 鉄臭い──
 今、自分の歩んでいる道は後戻りが利かない。
 神の遣いという名から逃れられない以上、進んでいくしかない。罪悪感とか倫理観とか、個人的な悩みを置いて、事態は動く。
 国府城は解放した。その次、さらにその次を考えていかなければならない。そこに感傷は意味を持たない。ずっと殺し合いの道が続いていく。その苦しみは想像するしかない。しかし、少しは具体的に想像できるようになってしまった。
 左手で腰の辺りを探る。
 掴んだのは刀の鞘。
 重みが欠けている。
 春の風が吹いた。
 何かを感じて、後ろを振り向く。そこには、もう一人の火魅子の資質を持つ娘がいた。
「どうかした?」
 志野は舞台の中ほどに立っていた。手には布に包まれた棒状のものを持っている。九峪のところまで歩き、それを差し出す。九峪は手すりを背中に、志野と対面する。
「これを返すのを忘れていました」
「紫艶、か」
 一つ、つぶやき、手を伸ばす。布に触れる瞬間、手が止まったが、ためらいを踏み切るようにして受け取る。
「それが銘ですか」
 両手で刀の重さを確かめながら、九峪は頷いた。
「どのような由来があるか、ご存知ですか?」
「いや、貰ったときに、とくに聞かなかった。清瑞なら知っているかもしれないけど」
「誰から貰ったのですか?」
「……伊雅、耶麻台の副王から譲ってもらったんだ」
「そう、ですか……」
 芸人の一座として九洲の各地を回っていた志野は、当然、伊雅の名を知っていた。そして、あの後、簡単な状況の説明を受けたときに、伊雅が討死したことも聞いていた。
「形見、のようなものですね」
「そうなるんだろうな」
 風が止まり、会話も止まる。
 九峪と志野。地下牢での出会いから、まだそれほど時は経っていない。ただ、その間に起きた出来事はあまりにも大きかった。
 城主の首級獲り、そして──
「──ひとつ聞かせてもらっていいかな?」
 沈黙を破った九峪の声に、志野は頷いた。
「なんで、あんなに簡単に王家の血を引いていることを納得したんだ?」


 死体が転がる城主の私室。
「──キミも火魅子の資質を持っているんだ」
 キョウの言葉に、一瞬、音が止まる。そして、次の瞬間、兵士が歓声を上げた。
 城主を倒した見目麗しい美女が、火魅子の資質を持っていた。何よりの吉兆である。耶麻台国は復興する。自分たちの国が戻ってくる。それらを確信したような叫び。
 清瑞の言葉にもなかなか興奮が鳴り止まない。
 その中で、当の本人はわずかに唇を動かしただけであった。ただ、その目は鏡から動いてはいない。キョウが志野と天魔鏡の間に割り込んだ。
「志野には、ぜひ僕たちに協力して欲しいんだけど」
 いきなり告げられた衝撃の事実に加えて、周囲からの興奮した視線。普通の人間なら、頷かずにはいられない状態。キョウは周りの状況まで計算に入れて、承諾を迫っていた。
 見かねた九峪が口を挟もうとしたとき、志野が口を開いた。
「珠洲はどう思う?」
 いつの間にか、志野の横に来ていた少女に問いかける。
「……志野の思うとおりにしたらいいと思う。私はついていくから」
「そう」
 ふたりの声に、緊張が高まる。
「分かりました。どれだけお役に立てるかは分かりませんが、協力させていただきます」
 志野の言葉に再び歓声が上がった。


「──あの後、伊万里さん以外の人が鏡には映らないことは確認しました。私が火魅子の資質を持っているのは、間違いはないのでしょう?」
「それは間違いない」
「なら、納得せざるをえないでしょう」
 志野の言葉に意思を感じない。ただ事実を述べている、そんな話し方。
「事実だから受け入れられるというのは、ちょっと違うんじゃないか?」
 実際、伊万里のときはかなり悩んでいたようだった。いや、今も迷っているのかもしれない。個人差はあるだろうが、志野の態度は余りにもあっけなかった。
「何だか、九峪様は私が火魅子の資質を持っていることが不満のようですね」
「なっ、そういうわけじゃ」
「あのとき、キョウ様は、何が何でも私を協力させようとしていた──そう感じました。私が素直に頷いたのは、都合が良かったんじゃないですか?」
 落ち着いた、つつましい声。しかし、その端々に棘を感じ、九峪は言葉をのんだ。まるで一対一で戦っているかのような緊張感を感じる。そして、キョウの意図を見抜いていた鋭さ。
「もちろん、協力する以上、全力は尽くします。それでは、用事は済みましたので」
 そう言い残し、志野は九峪に背を向けた。そのまま歩き出そうとし、
「なんで、あのとき窓から飛び込んだりしたんだ!」
 声を荒げて、九峪が問う。
「どれだけ危険なことか、分かってただろ!」
 意地になりかけている自分を感じながらも、問わずにはいられなかった。志野は、動かしかけた足は止めたが、振り返りはしなかった。衣から透ける肌が艶かしいが、九峪はにやけはしない。ただ、答えを求める。
 呼吸の数が二十回を超えたところで、ぽつりと志野の声が聞こえ始めた。
「その刀、形見みたいなものって言いましたよね?」
「あ、ああ」
「私も、形見の剣を持っているんです」
 捕まったときに取り上げられたみたいですけど──そうつぶやく声が吹き始めた風に乗って届く。
「二年前まで、私は芸人の一座で各地を旅しながら暮らしていました。珠洲もいっしょに。そこで舞を教えてもらい、私用の小道具として買ってもらったのが、柄の両方に剣身を持った、二振りの剣でした。舞の練習は厳しくて、つらいときもあったけど、楽しかった」
 思いのこもった言葉。どこか張り詰めていたような空気が、夜桜を思わせるような儚さに変わる。
「それも、続きませんでした。あの男、相馬が一座を襲った」
 九峪はふっと息をのむ。
「生き残ったのは私と珠洲だけ。……悲しかった。悔しかった。絶対に仇を取る、そう決めました」
「……復讐?」
 言って後悔した。自分が言っては言葉が軽くなる。だが、志野の悲しみの重さは軽くなりはしない。
「ええ、そうです。相馬が追い詰められている。そして、そこに行く道がある。そう思ったら、体が勝手に動いていました。──ただ、一つ心残りなのは、自分の剣で殺せなかったことですが、仇を取ったことには違いありません」
 志野の声が止まった。
 叫ぶような問いかけに返ってきた答えは重い。
 九峪は息の詰まるような思いをしながら、言葉を探す。
 見つからなかった。
「なんで簡単に納得したのか、でしたよね」
 最初の問い。
「きっと、空っぽだったからだと思います。仇を取った後、どうしようかなんて、考えていませんでしたから」
 聞くに心地良い涼やかな声が心を打つ。今度こそ、志野は足を止めず、九峪も止めなかった。
 志野の後姿が建物の中に消える。
 九峪は息を吐き、背中を手すりにつけ体重を預ける。布に包まれた紫艶を持った手をだらんと下げ、空を見上げた。右手に見える東の空はうっすらと暗くなってきており、これからどんどんと空を侵食していくのだろう。
 ──何なんだろうな……
 復讐。
 強い気持ちなのだろうとは思う。
 十人近い狗根兵を倒し、城主を討ち取った剣技は相当の修練を積んだのだろうと思う。
 でも、その気持ちが分からない。
 自分も共に暮らした里の人たちを狗根国に殺された。悲しいし悔しい。そして、何よりも怖い。どうして、相手を殺してやるとまで思えるのか。そして、達成できるのか。
 背中を丸め、手に持った刀を見る。
 しばらく見つめた後、おもむろに布を取り払う。出てきたのは抜き身の刀。九峪の、志野の手で何人もの血を吸ったであろうに関わらず、刃紋は優美で美しい。
 布をたたみ、上着のポケットの中にねじ込んで、刀を空に向かって突き出す。
「どうされましたか?」
 声をかけられ、刀を鞘に戻し、九峪は横に目をやる。
「桔梗さん」
 いつの間にか、黒髪の女乱波が立っていた。

「お疲れでしょうし、少し睡眠をとられたほうがよろしいのでは?」
「大丈夫、こうやって風に当たっているほうが楽だし」
 強がっているわけではなかった。
 旧国府城で一戦、そこから移動してまた一戦。疲れていないはずはないのだが、さほど疲れは感じていない。おそらく、疲れすぎて体が鈍くなっているのだろう。
「そろそろ清瑞と警護を変わりますから。今は別の人に代わってもらってますけど」
「ありがと」
 九峪の言葉を受け、笑顔を残し、出口に足を向けようとしたところで、桔梗は口を開いた。
「志野様、泣かれていましたね」
「えっ」
「気づかれませんでしたか?」
 九峪は首を横に振る。
 桔梗が嘘を言っているようには見えない。また、嘘をつく必要もない。あらためて自分の鈍さをなじる。
「私には気持ちが分かる気がします」
 そう言う桔梗の顔は痛々しい。
 当然だった。乱波ゆえの矜持か、けっして表には出さないが、住んでいた里を襲撃されたのだ。彼女もまた狗根国を恨んでいる。
「でも、志野様はお若いですし、きっと立ち直ってくれると思います」
 表情を変え、温かみのある自信に満ちた笑みを浮かぶ。つられるように九峪の顔もほころんだ。
「若いって、桔梗さんもそれほど年は変わらないでしょ」
「そのはずなんですけど、どうもこのところ急に歳をとったような気がするんですよね。春が来たせいでしょうか」
 わけが分かるような分からないような言葉。見つめ合い、互いに笑い声をこぼす。
「では、そろそろ行きますね」
「あ、うん」
 少し体勢を変えた瞬間、腰の鞘が手すりにぶつかった。思わず、手をやると、カチッと音がした。すっと目を降ろす。そして、去ろうとしていた桔梗に声をかけた。桔梗が振り向く。
「どうしました?」
「ちょっと、清瑞に伝えて欲しいんだけど」
「ええ、かまいませんけど、何をですか?」
 聞き返す桔梗に、九峪が用件を伝える。桔梗は不思議そうに首を傾げたが、何も言わず、清瑞に伝えることを約束してくれた。
 桔梗の姿が消えると、九峪はまた手すりに背中をつけ、空を見上げる。
 いよいよ夜の気配が勢力を増していた。



 夕焼けに染まり始めた本宮の庭。
 上乃を探して伊万里は、そこにたどり着いていた。
「おかしいわね、この辺りにいるって聞いたのに。どこにいるのかしら」
 つぶやき、周囲を見回すが上乃の姿はない。
「まあ、むやみに広いし仕方ないか」
 山奥の里で育った伊万里には、豪華な建物も職人が作り上げた庭も無駄に思えるのであろう。手近な庭石に腰を下ろし、宮殿を見上げる。
 ──なんでこんな大きなものを作るのかしら?
 征西都督府などに比べれば、小さなものなのだが、伊万里が今まで見た中では、一番大きな建物であった。
 これだけのものを建てるのには相当の労力を必要とする。
 宮殿が公的な場所であることを考えれば、納得もいくのだが、どうにも他の意図を感じて仕方がない。ただ威容を誇るため、それだけが目的なのではないかと思う。
 もちろん、威容にも意味はある。建物はそのまま権威の大きさを示すのだ。その大きさで、建物の主は自信を持ち、周りの畏怖を集める。しかし、山人として育った伊万里が、その意味を理解しがたいのも無理はなかった。
 ──里を出たのが一昨夜、まだそんなに時間は経っていない。
 ずいぶん遠くまで来たような気がするが、国府城から里まではさほど距離があるわけではない。帰ろうと思えば、大して時間をかけることなく、里に着くことができるだろう。
 だが、それはできない。
 手を組んで空に向かって伸ばす。肩が音を立て、少し気が楽になった。
 まだ、伊万里は意識していないが、城主を打倒したことで、彼女はこの建物を支配する側に回った。住民の暮らしに責任を持ち、義務を果たす代わりに手にした大きな権限。狗根国という存在を考えれば、風前の灯火とも思えるが、力は力。
 力は適正に行使されなければならない。でなければ、力に振り回され自滅するだけ。多くの権力者がたどった道。気づかぬ間に、彼女は重荷を背負っている。
 いずれ来る時を知らず、伊万里は腹に手をやる。
「お腹がすいたな」
 昼に薄い粥を食べてから、何も腹に入れていない。
 食事の準備は宮殿で雇われていた女給たちが買って出てくれた。もうしばらくすれば、温かな料理を前にすることができるだろう。
「そっちで待っていた方が確実かもしれない」
 きっと料理の香りに引かれてやってくるだろうし──上乃が聞いたなら、頬を膨らませて怒りそうなことを考えながら、立ち上がろうとしたとき、誰かが庭にやってきた。
「志野さん?」
「……伊万里さん」
 まだ知り合って間もない仲。しかし、強い親近感を感じる。
 まるで王家と関係ないところで育ち、突然、火魅子となる資質を持っていると言われた。
 ほとんど同じ立場。
 伊万里は志野に笑みを向ける。
「少し、お話しません?」
「……はい」
 ためらいを見せた後、志野は慎ましげな笑みを返し、伊万里のとなりに座った。
 沈黙。
 ちょっとした気まずさが、口の動きを邪魔する。
 ──私から話しかけたのに。
 いざ話しかけようとすると、話題が浮かばない。伊万里は一生懸命に話題を探すが、結局、先に話し出したのは志野だった。
「ちょっと、失敗してしまいました」
「何をです?」
「先ほど、神の遣い様にお借りしていた刀を返しに行ったのですが、そこでちょっと、いえ、かなり失礼な口を利いてしまって」
 ──私と話した後かしら?
 舞台で話したときは、とくにおかしな様子はなかった。おそらく間違いはないだろう。
「たぶん、心配して下さっていたんだと思うのですが、悪いことをしてしまいました。……なんだか神の遣い様なのに偉そうに見えなくて、普通の人と話している感じで、ついつい言いすぎました」
 偉そうに見えなくての部分で、伊万里は思わず頷き、苦笑した。
「伊万里さん、どうしました?」
「いえ、ちょっと思い出して」
「何をです?」
「少し言い過ぎたくらい問題ないってことです。──私、勘違いで、九峪様の顔をひっぱたいたことがあるんですよ」
「えっ!」
「それに比べたらたいしたことないって思いません?」
「……だいぶ気が楽になりました」
 伊万里の目に浮かぶ悪戯な笑みに、志野も苦笑する。
「もちろん後で謝りましたけど、すぐに許してくれました。それほど、気にもされてなかったみたいですし」
「ええ、──でも、ときには言葉のほうが傷つくこともあります」
「それは、そうですね。けど、きちんと謝れば問題ありませんよ」
 清瑞のような言葉遣いも受け入れているのだから、少しきつい物言いをしても彼ならそのこと自体で不機嫌になるようなことはないだろうと、伊万里は思う。ほんの数日の付き合いだが、それくらいには九峪のことを分かっていた。
「それにしても、さっきの『偉そうに見えなくて』には大賛成です。ほんと神の遣い様には見えませんよね」
「ええ、もっと横柄な口調でも良いと思います。ちょっと威厳が足りないような気がしますし」
「でも、今日の作戦は九峪様の発案なんですよ」
「そうなんですか」
 志野の言葉の語尾に驚きが混じる。
「ええ、ところどころ清瑞たちの意見も入っていますが、大まかな部分は変わっていません。私はどうも目先のことだけを見てしまうことがあって、見習わないといけません」
「……見かけによらないんですね」
「それって九峪様のことですか、それとも私の印象ですか?」
「いえ、神の遣い様のです。──伊万里さんは見た目通り、真っ直ぐという感じですから」
「……何だか、考えなしと言われている気がするんですが」
「そんなことはありません!」
 とんでもないと志野は首を振って否定する。
「その必死さが怪しい気が」
「勘繰りすぎです」
「九峪様が怒っても仕方ないかもしれないですね」
「もう、そのくらいにしてください」
 怒ったように言う志野と、自分がからかう立場に立つなんて何年ぶりだろうと内心、悲しむ伊万里が見つめ合い、同時に笑い出した。
 最初の頃にあった気まずさが消えている。
 ひとしきり笑い合った後、そろって空を見上げる。夕焼けが色を濃くしていた。
「伊万里さんも私と同じように、王家の血を引いていることは知らなかったんですよね」
「ええ、そうです。一昨日の夜までは、ただの山人でした」
「もう戻れないんですね」
「ですね……」
 鮮やかな夕焼けがやけに郷愁を誘う。
 ──いつもなら、狩りを終えて里に帰っている途中。
 ──二年前なら、即席の舞台を片付けているころ。
 忘れることのない記憶がすっと甦る。
 しばらく見つめた後、伊万里は庭石から立ち上がった。志野も続いて腰を上げる。ふたりは向かい合い、伊万里が右手を差し出した。志野も右手を動かし、しっかりと握手をする。
 伊万里は結ばれた手へと視線を下ろす。
「少し意外でした」
「え?」
「指、です。もっと細いのかと」
「ああ、必死で剣の訓練をしましたから……、それに伊万里さんだって」
「私も剣と弓です」
 視線を上げ目を合わせる。
「これから、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 数十年来、現れることのなかった火魅子の資質を持つ娘。今、ここで資質を持つ娘がふたり握手を交わしている。
 それは予兆。
 耶麻台国復興、そして大乱の。
 人々の思いがかかった戦いが本格的に始まる。その中心となるふたりがこうして手を結び──子犬の声のようなかわいらしい音がした。
「志野さん?」
 見れば、顔が真っ赤になっている。けっして夕焼けのせいではない。
「いえ、あの、一昨日から何も食べていなかったので……、もう、笑わないでください!」
 固い握手を振り払い、志野は抗議するが、一度始まった笑いはなかなか止まらない。真剣な場面だったからこそ、笑いの衝動も大きい。伊万里は両手で口を押さえ、後ろを向く。その姿が癇に障ったのか、志野は伊万里の正面に回りこみ、まだ笑っていると怒る。
 火魅子の資質など関係ない、年齢通りの乙女の姿がそこにはあった。


 庭と建物の境、そこに伊万里の探していた妹がいた。そして、その横にも小柄な影。
「──何だか、あのふたり、楽しそうだね」
 身長の関係で見下ろすようにして、上乃は隣の少女に話しかけた。
「志野の笑っているところ、久しぶりに見た」
 ぽつりと話す珠洲の表情に動きはない。布に包まれた長い棒のようなものを抱き締めるようにして持っている姿はかわいらしいのだが、表情の無さが裏切っている。
「そうなの?」
「ずっと各地を回って、相馬を追っていたから。笑う余裕なんてなかった」
「そっか、でも、笑えるっていいことだよね」
「そう思う」
 珠洲は頷いたが、上乃はその姿が気にかかった。
 表情はまるで変わっていない。態度もまるで変わることなく、伊万里と志野を見ている。しかし、上乃には珠洲が寂しがっているように感じた。
 上乃がここに来たのはついさっきのこと。伊万里と志野が庭石に座って話しているのを見つけたときに、珠洲がふたりを離れたところから見ているが目に入ったのだった。珠洲の側に行ったのはほんの好奇心からだった。
「志野様とは、ずっといっしょだったの?」
「出会ってからは、十年以上、ほとんどいっしょだった」
 ──あたしと伊万里みたいな感じなんだろうな。
 珠洲と自分を置き換え、何となく納得する。
 ──寂しがって当然よね。
 大人になった今ならともかく、珠洲の年齢の頃だったなら、伊万里が他の子と遊んでいるだけで、寂しくなっただろうと思う。上乃は珠洲を見つめて、一つ頷いた。
「じゃあ、そろそろ話も終わったみたいだし、食事の準備ができたって伝えようか?」
 にっこりという表現そのままの元気な笑顔を浮かべ、珠洲を誘う。
 ずっとふたりの方を見ていた珠洲が初めて視線を上乃へと移す。まるで感情を伺わせない瞳が満面の笑顔を映し出す。
「さあ、行こ行こ! ねえ〜、伊万里〜!」
 大きな声を出し、手を振りながら上乃が歩き出す。
 珠洲はその背中をしばらく見つめ、やがて一歩踏み出した。夕焼けに照らし出された影がゆっくりと進んでいく。



 夕焼けの色が濃くなった。これからはどんどんと夜の闇にのまれていく。暖かな風にも肌寒いものが混ざり始めた。
 九峪は変わらずぼんやりと街を眺めている。
 考えるのは伊万里、志野、桔梗との会話。
 みんなそれぞれに悩み、自分だけの思いを持っている。彼女達だけではない。共に戦ってくれた男達も当然、彼ら自身の思いをもって戦っている。
 そして、自分の思い。
 ため息をつき、後ろへ振り返る。
 狗根国によって建てられた宮殿。この向こうに広がる大地は狗根国によって支配されている。九峪たちはまだ大角すら解放できてはいない。
 伊万里が言っていたように狗根国は強い。
 その狗根国を相手に戦い抜いていくことが本当にできるのだろうか?
 自分は戦っていけるのだろうか?
 赤く染まった雲の切れ間に鳥の姿が見える。
 チリン──涼やかな音色。
 ポケットに手を突っ込み、指に触れたものを引っ張り出す。
 鈴。
 掌に載せたそれを見つめる。
 いつも幼馴染が身につけていた鈴。自分と親のつながりを表すものだと言っていた。
 あのとき、夜半に大学に忍び込み、発掘品の保管庫で鏡──天魔鏡を見つけたとき、幼馴染が光の粒子に変わろうとしたとき、思わず手を伸ばし鈴をもぎ取ったとき、どの瞬間で道は変わっていたのだろう。
 ぐっと鈴を握り締める。
 音はしない。先ほどの涼やかな音色は幻聴だったのか。
 ──日魅子……
 戦わなければならない。勝たなければならない。でなければ、現代に帰ることはできない。
 自分の思いと人の思いを重ねて戦い抜く。
 左に顔を向ける。
 太陽はすでに山の向こうに姿を隠し、赤い残光だけが夜に逆らっているが、西の彼方にゆっくりと押し込まれていく──
 ──ただの自然の摂理ってやつだよな。
 不吉な意味を見出しそうになって、九峪は首を振った。
「おい」
 不意に声をかけられた。ふっと視線を向けると、清瑞が舞台へと入ってきていた。九峪の前まで歩いてきて、二本の木刀を突き出す。
「頼まれたもの、持ってきてやったぞ」
「ありがと」
 九峪は鈴をポケットに戻し、その内の一本を受け取る。清瑞が怪訝そうに、手元に残った木刀を見た。
「これの使い道ってそんなにないだろ?」
 そう言って、九峪は二歩下がって木刀を構える。
 九峪が桔梗に頼んだのは、刃をつぶした真剣か、木刀だった。本当は刃をつぶしたものが良かったのだが、見つからなかったのだろう。狗根兵から奪った武器はあるが、ただでさえ貴重な武器をつぶすことなどできない。
 清瑞は冷たい目で九峪を見る。
「どういう風の吹き回しだ」
「思い出したんだよ。──そういえば、こっちに来てから最初に会った人間はおまえだったなって」
「それがどうした」
「んで、二番目に会ったのは伊雅だった……」
 清瑞の目が動いた。そして、しばらくの沈黙の後、木刀を構える。いつもの構えとは、刀の角度が違う。
「それって」
 記憶の中にある伊雅の構えとぴったりと重なる。
「私の剣の師は伊雅様だ。──行くぞ」
 声と共に清瑞は踏み込み、木刀を振るう。九峪が受け止めたかと思えば、すぐさま次の攻撃に移る。いつもの身のこなしを活かす戦い方ではない。正面から、無心に剣を振るっている。
 速く力強い攻撃。伊雅のそれと比べれば重みは違うが、質は極めて似通っていた。
 九峪は攻撃を受けるだけで必死だった。まるで手加減のない攻撃を受け続ける。
 五合、六合、打ち合わせるたびに、激しい音が舞台に響き、わずかな間にかいた九峪の汗が飛び散る。しだいに九峪の動きが悪くなってきた。ここに来て激しい運動をしたことで、今日の疲れが一気に出たのだろう。
 重い手足を操り、九峪はいったん間合いを取り、力を振り絞って打ち込んだ。そのような苦し紛れが通じる相手ではない。清瑞は瞬間、息を止め、大きく踏む込み、木刀同士を打ちつけた。
 空中で回転して木刀が、舞台へと落ちる。
 どんっと大きな音。
 九峪は後ろに倒れるようにして、大の字に寝転んだ。そのまま激しい呼吸を繰り返し、目の前に両手をかざす。手が小刻みに震え、酷使を訴える。
「ハアッ……少しは手加減して……くれるかと思ったんだけどな」
「誘ったのはおまえのほうだろう」
「そりゃ……そうだ」
 上気した頬に風が当たり、気持ちがいい。すでに空は暗くなり、西の方にわずかな残光が残っているだけ。激動の日に幕が下りようとしている。
 心臓の鼓動がゆっくりと収まっていくのを感じながら、九峪は手を空へと伸ばす。
「なあ、この城を解放して、伊雅は喜んでいるかな?」
「……伊雅様の願いは耶麻台国の復興だった」
「そっか、じゃあ、まだまだだな」
「ああ」
 寝ている九峪からは清瑞の顔は見えにくい。どういう顔をしているのか、興味もあったが、今は顔を動かすのも億劫だった。
「九峪、今日は見事だった」
「俺はたいしたことはしてない」
 謙遜ではない。
 実際、今日の作戦の成功は多分に運の要素が強い。
 もし、の部分が多すぎる。
 たった一つのずれで、勝敗は簡単に逆転していた。賭けと言ってもいい。
 今日は運がついていた。そして、みんなが頑張った。ただ、それだけ、自分は何かができたわけではない──と、いささか負の方向に思考が動こうとしたところで、気がついた。
「って、おまえ、俺のことを名前で呼んだの初めてじゃなかったか?」
「……そうだったか?」
「ああ、そうだよ」
 九峪の伸ばした手の先、すでに夜となってしまった空に星が見えた。
 暗い夜の闇にも星がある。月がある。
 悩むなかにも笑いがあり、喜びがある。
 世界はそこにあるとしても、見え方は一つではない。歩いていけば、いろいろなものが見え、感じることができる。
 歩こう。進もう。
 それが大事なことなんだから。
 九峪は舞台に手を突き、立ち上がる。転がった木刀を拾い、清瑞と目を合わせ、建物の中へと消えていった。
 誰もいなくなった舞台に春の風が吹く。



 この日、狗根国に支配された九洲にある一つの城が解放された。
 依然、多くの大地は支配の下にあり、民は絶望の中にある。
 これは灯火。
 闇の中でこそ強く輝く炎。
 中心となるのは神の遣い。そして、火魅子の資質を持つ娘。
 風に煽られた炎は次々と各地に飛び火していくだろう。
 しかし、である。
 強い光は敵をも引きつける。
 九洲北部、征西都督府。
 叛乱に対する狗根国の対処は苛烈にして凄惨。城が落とされたという報を受け、動き出さないはずがない。
 戦いはまだ始まったばかり。



>>NEXT




あとがき

 一瞬、このまま終わりでも、それなりにきれいな終わり方じゃないかなと思ったゴーアルです。
 最近、やっとメモ帳からほかのテキストエディターに変えたのですが、文章力までは上がらないのがつらいです。
 と、それはともかく、ようやくゲームのDisc1の終わりまで来ました。とりあえず、一区切りまで来てほっとしたのですが、まだこの時点だと、恋人候補十六人のうち、四人しか出ていないんですよね。というか、恋人候補ではない女キャラまで入れると、魔兎族三人、忌瀬、虎桃、魅土、永楽、珠洲で二十四人ですか。自分の文章力では間違いなく破綻をきたすような気が……、精進に努めます。
 今回、九峪はまた大きな壁に直面して、しかもまだ乗り越えていないのですが、ゲーム版だと、こういう話を入れないわけにはいかないかなと思ったので、テーマにしてみました。ゲームだとほんとバッタバッタと倒してくれますので。おそらく一番、敵を倒していると思います。これについては、まだまだ悩んでいくことになると思います。
 それで、書いてて自分で驚いたのが、九峪と志野が喧嘩別れしたことです。この顛末は第八話で、ということで。
 今回は、伊万里と清瑞、上乃と珠洲など、あまり見かけないかなという組み合わせの会話をかけたのが楽しかったです。こういうのが二次創作の楽しみだと思うので。
 珠洲に関しては、ゲームよりの性格で行こうと思っています。小説版ほど独占欲が強いわけではなくて、志野が幸せなら、という感じで、いじらしく描けたらいいなと思います。

 前回、コメントを下さった方々、ありがとうございました。
 やはり、感想をいただけるのといただけないのでは、書く気力が違うので、ほんとありがたいです。
 それで、質問要望の欄で、オリキャラについての指摘がありましたが、正直、自分で書いていてやりすぎかなと思っていました。初登場で、しかもしばらく出なくなるのでインパクトを残しておこうと思ったのですが、失敗したかもしれません。
 これからも気づいたところがあれば、指摘していただきたいです。
 ただ、オリキャラにしろ、自分なりの意味を込めて出しているので、出さないというわけにはいかないのですが、一言いただくと、やりすぎは防げると思います。(実際、慧さんに相談して、没をくらったネタもいくつかあったりします)
 次回は三月末までには投稿させていただこうと思っているので、どうか、これからもよろしくお願いします。


管理人様へ

 こちらのサイトに初めて投稿させてもらってから、一年が経ちました。無駄に長い文を掲載していただき、本当にありがとうございます。これからもご迷惑をおかけすると思いますが、どうかよろしくお願いします。


現代人・九峪がもっとも大きな問題にぶつかりました。容易に乗り越えられる問題じゃないのは誰でもわかりますし、どう心の整理をつけていくのか、今後も非常に気になるところです。
そして志野が本格的に登場しましたね〜。本来のゲーム版では志野が牢から出されるのは国府城解放後となるので、仇をうつことはできないんですが、やっぱ討たせてあげたほうがいいですしね^^
伊万里と志野の語らいとか、ゲームでは見れない組み合わせ(小説版でもほぼ女王候補同士のシーンなし)が、不自然なく読めるってことが、なんだか感慨深いというか、いいなあというか・・・ゴーアルさん、もっとこういうシーン希望です♪
ゴーアルさんの初投稿から1年って、まったく気づいてませんでした^^;常に素晴らしい作品をありがとうございます!これからもよろしくお願いします<(_ _)>


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