※この章には若干残虐なシーンが含まれています。ご了承ください



〜戦  雲〜


作・ゴーアル様


第七話 戦運(その3)



 九峪は顔を上げた。
 発光石の光が薄明るく部屋の中を照らしている。天井は低いが、思っていたよりも奥行きがある。
 ──なんだ、ここ?
 想像していたものとはまるで違う。木の格子で部屋が仕切られた倉庫というものはありえない。おそらく、ここは牢獄。
「誰なんです?」
 また声が聞こえた。足に力を入れ、立ち上がる。
「どうやら、ふたりいるみたいだね」
 とりあえず、さっきのやつらは別の部屋に入ったみたいだけど、とキョウがつぶやいた。
 言葉を耳に入れ、九峪は女性の声がした方向に歩き出した。薄明かりが木格子の奥を照らす。すぐ左の牢に少女がいた。背中を壁につけ、うなだれながらも力のこもった視線を向けてきた。先ほどの声はこの少女ではない。
 隣の牢をのぞく。
 言葉を失った。
 そこにいたのは美女。
 薄明かりに照らされた青髪は艶やかで、壁にすがり、足を投げ出すその肢体は、細やかでありながらも、女性らしい柔らかさは失われてはいない。着ている服は薄く、肌が透けているようにも見える。後ろ手に回され、拘束されていることで、被虐的な魅力をも感じる。どうしようもなく目が全身を舐めるように動いてしまう。
 美女の顔が動いた。
「狗根兵……ではないようですね」
 静かな湖面を思わせる瞳が九峪を捉えた。地下牢に閉じ込められていたせいか、小さく動く唇は青白い。
「まあ、その通りだけど、あんたは?」
 木格子を間に挟んでいるだけで、九峪と美女の距離は三歩ほどもない。彼女の端正な顔がしっかりと見て取れる。
「私の名前は志野です。狗根兵に捕まってしまって」
「捕まったって、何で?」
 九峪の問いがこぼれた瞬間、志野の瞳が暗く光った。
「ちょっと、舞の席で粗相をしてしまったもので。……あなたが狗根兵でないというのなら、ここから出していただけませんか」
「ああ、でも、鍵が」
 開き戸となっている部分にはしっかりと鍵がかけられている。
「おそらく、牢番が持っているはずです」
「分かった」
 九峪は入り口のところで倒れている牢番を見る。
「あ、ちょっと待って、それくらいならぼくにもできるから」
 めずらしくキョウが積極的に動く。鍵のところまで近づき、そして、志野の顔を覗き込んだ。
「……精霊、ですか?」
「ああ、ぼくの名前はキョウ、覚えておいてね」
 顔に笑みを浮かべ、錠前のあたりに手をかざす。
「絶」
 一瞬の響き。
「じゃあ、九峪、鍵がない部分のところを引っ張ってよ」
「ああ」
 キョウの言葉に従い、木枠に手をかけ、引くと、鍵の部分だけが切り離され、扉が開いた。
「こうすれば、鍵も意味はないか」
「さすがに鉄とかだと無理だけどね。それよりも早く、志野の縄を切ってあげないと」
「そうだな──」
「いえ、大丈夫です」
 九峪が動くよりも早く、志野は牢の中で立ち上がった。後ろ手に拘束された両腕をこすり合わせるように動かすと、するっと縄が地面へ落ちた。肩をほぐすように動かし、髪飾りからかんざしを抜き取り、足を縛る縄を切る。
「すみませんが、となりにいる女の子も出してあげてくれませんか」
「うん、了解」
 キョウは機嫌よく頷き、勢い良く少女が捕らわれている牢へと向かった。
「ありがとうございます」
 頭をかがめ牢から出てきた志野が、九峪に向かって深く頭を下げる。
「まあ、ちょうど、通りかかっただけだし」
「通りかかった、ですか?」
 微量の笑みが含まれた声色。顔を上げた志野は薄明かりのせいもあるのか、儚げだった。
「九峪!」
 キョウの叫び。
 ──またか……
 精霊の叫びは不幸の知らせなのだろうか、などと頭をよぎる。
「どうやら、さっきのやつらがこっちに来てるみたい。数は三人」
「隠れるってわけにはいかないか」
「時間がないよ」
 たしかに反響した足音、さらには声まで聞こえてくる。
「──いざとなったら、ここの備蓄は燃やさないとならないか」
「負ける気はないけど、決まりじゃあ、しょうがない」
「ああ、そうだな」
 しだいに声が大きくなり、緊張が高まる。
「そうだ、鍵をかければ!」
「あ、そうか」
 鍵をかけて立てこもれば、とりあえずは危険から逃れることはできる。しかし──
「もう遅い」
 キョウの後ろにいた少女が抑揚のない口調でつぶやいた。
 扉の前で足音が止まった。

「刀を借ります」
 九峪の耳に届いたのは涼やかな声。
 答えを返す間もなく、志野の手がずっと刀を握り締めていた九峪の右手に重ねられた。
 ひんやりとした感触。ただ、それだけで右手の硬直が解けた。指の力が抜け、手が刀から放れる。そして、刀はそのまま白い手の中へと。
 武骨な刀などまるで似合わないような細腕。なんの淀みもなく扉へと歩を進める姿は、しかし、調和していた。
「おい、入るぞ!」
 覇気のこもった声と共に、扉が動く。九峪と狗根兵の目が合った。
「ん? どこの部隊のやつだ?」
 九峪は狗根兵の装備を身につけている。しかも光源が発光石だけでは、一見して不審な部分を見つけるのは難しい。それでも、床に倒れている牢番を見れば、何らかの懸念が浮かぶのは当然だった。
「おい、これは──」
 兵士ののどから血しぶきが舞った。
 扉の影、兵士の死角から、志野が躍り出る。手には新たな血を得た刀。
「なっ!」
 狗根兵は残りふたり。敵の存在に気がつき、腰の刀に手を伸ばす。しかし、その反応はあまりに遅すぎた。
 体の回転と共に、衣がひるがえり、空気に色をつける。
 湖に赤が浮かんだ。
 たったの二回転、その間に志野の手はふたりののどを切り裂いていた。
 ──嘘だろ?
 九峪は我知らず胸を押さえる。
 人は見かけによらない。そんなことは分かっているつもりだったが、目の前の事実はあまりにも衝撃的だった。儚げな雰囲気をまとった美女が人を斬る。なんのためらいもないように。
 そして、その姿は美しかった。
 実際の動きはほんの数瞬。だが、それ以上に鮮烈な体捌き。
 清瑞の鋭さ、伊万里の速さ、上乃の情熱に溢れた剣技とも違う美しさ。人を殺すという、禁忌を犯しているにも関わらず、思わず見ほれてしまう。
 狗根兵は三人とも床に倒れ伏した。
「良い刀ですね」
 志野は死んだ狗根兵の服で刀をぬぐう。
「これだけの刀、そうあるものではありません。──そういえば、まだ、お名前をちゃんと聞いていませんでしたね」
 九峪は彼女のほうへと近づいた。
「……おれの名前は九峪」
「九峪さん、ですか。あらためて、助けていただきありがとうございました。ところで、今、ここで何が起きているのですか? 狗根兵ではないのに、狗根兵の格好をしているということは、もしかして、この城を襲撃しているということでしょうか?」
 足元に三つの死体が転がり、血臭が立ち昇る中にあって、志野の雰囲気はまるで変わらない。静かな湖畔を思わせる瞳は見透かすように九峪を見つめている。そして、その言葉は現状をしっかりと捉えていた。
「ああ、詳しく話している時間はないけど、だいたいその通り。俺は危なくなって逃げ出して、地下に迷いこんだんだ」
 逃げた──心が痛む。戻らなければ、と思う。
「味方は劣勢なのですか」
「いや、全体的には作戦は上手く行っていたし、むしろ優勢だと思う。ただ、狗根兵のほうが力は上だから、安心はできないけど」
「そうですか……」
 志野は眉をわずかにひそめ、少女と目を合わせる。そのまま、わずかに考え込み、口を開いた。
「まだ、城主は討っていないのですね」
 声には刃を突きつけるような気迫が込められていた。
「あ、ああ、俺が上にいたときは、まだ宮殿内に突入できるか、どうかってとこだったから」
「私も協力させていただけませんか?」
「えっ」
「剣の腕はさきほどお見せした通りです。少しは役に立つつもりです」
 彼女の言葉に、九峪は逡巡した。
 先ほどの剣技ならば、こちらから協力を是が否にでも願いたいところだ。それが、向こうから協力を申し出てくれた。受け入れない手はない。それでも、すぐに頷くことはできなかった。
 にらんでいるわけでも、凄んでいるわけでもない。表情は涼やかで、言葉遣いは丁寧なまま。しかし、その言葉に込められた力は、まさに有無を言わせぬものだった。
「どうしたのさ、九峪、せっかく、こう言ってくれてるんだし、手伝ってもらおうよ」
 いつもどおりのキョウの声が響く。
「そうだよな……、協力してくれるなら、ありがたい」
「はい、それでは、行きましょう。……と、刀を返すのを忘れていました」
 逆手に持ち替え、柄を九峪のほうへと向ける。九峪は受け取ろうと手を伸ばし、止めた。
「いや、それは使ってくれてかまわない。俺には宝の持ち腐れだから。──俺はこれで十分」
 そう言って、床に落ちた狗根兵の刀を手に取る。狗根軍の武器は質が高い。たとえ、兵卒のものでも作りはしっかりとしている。身を守るだけならば、まるで問題はない。
「……では、今は貸してもらいます」
 志野は刀を回し、持ち方を順手に戻した。
「じゃあ、行こうか」
「ええ」
 ふたりは頷き合い、狗根兵の死体を置き去りにしたまま、牢の外へと出ようとした。
「一つ、忘れている」
 抑揚のない声が響いた。九峪は声のほうへと振り返る。そこにいたのは少女。手には、あまりにも不似合いな刀。九峪と同じように狗根兵のものを手に取ったのだろう。
 少女は刀を逆手に持ち替え、そのまま突き下ろした。
「ぐほっ」
 鈍いうめき声がこぼれた。その主は、キョウの霊言によって失神していた牢番だった。
「おいっ……」
 殺すことはないだろう──そう言いかけて、九峪は言葉を飲み込んだ。
 何もない。
 少女の目には何もなかった。そして、その視線はまっすぐに志野へと向かっている。
「珠洲……」
 ふたりは見詰め合った。彼女らの視界には九峪とキョウも入っているはず。しかし、見てはいない。
 九峪は一歩、横にそれ、両者を見比べた。
 珠洲と呼ばれた少女は身じろぎすることなく、視線を揺らすこともない。良く見れば整った容貌も、人形のように表情がない。一方、志野の表情にわずかに影が差すが、それは一瞬のことだった。
「なあ、なんで、ふたりは捕まっていたんだ?」
 この問いをするのは二回目。
 舞の席で粗相をしたから──最初に問うた時には、志野はそう答えた。
 ──本当のことを言っていない。
 流れるような剣技。見ただけで強さが分かるほど、剣術を修めてはいないが、志野がただの踊り子でないことは分かる。恐怖に似た感情に駆られながら、答えを求める。
 二回目の問いに答えたのも志野だった。
「城主を殺そうとしたのです」
 言葉に込められていたのは、紛れもない殺意。彼女は緩やかに振り返り、地下牢の外へと出て行った。その後に珠洲が続く。
 九峪は息を吸おうとし、むせ返った。
 地下牢は血の臭いで溢れかえっていた。



 ──あいつはどこに行った!
 清瑞は心の中で毒づく。
 彼女の後ろには兵士、そして、目の前には頑丈な扉。
 後一歩で勝利が確定するところまで来た。それなのに、肝心の総大将がいない。
 本宮での二度目の遭遇戦からのことを思い出す。
 敵の数は多く、味方は連戦で疲れがたまっている。苦戦。不慣れな槍を振るう男たちは狗根兵の鋭鋒の前に次々と沈んでいく。鬼神もかくやという清瑞の活躍も戦況を覆すまでには至らない。
 このままでは──そう思ったとき、援軍が現れた。
 桔梗と乱波の男。
 烽火台を破壊に向かっていた二人が合流したのである。たった二人、しかし、極めて強力な二人だった。最も効果的な間を見計らい、狗根兵の後方からの襲撃。
 戦況は一気に逆転した。
 そして、すべての狗根兵を討ち取った後、周囲を見回してみれば、神の御遣いがいなかった。
 ここで、清瑞は判断に迷った。
 神の御遣いは国府城解放軍の総大将である。また、国府城を解放した後も戦いは続いていく。その旗頭を失うわけにはいかない。しかし、周りを見てみれば、倒れているのは狗根兵だけではない。味方もまた傷ついていた。彼らを置いて、探しに行くようなことはできない。何よりもまだ、作戦目的を達成していない。
 桔梗と男には役目がある。彼らにも余裕はない。
 しばらく考えた後、清瑞は意を決した。
 作戦を優先する。
 すでに味方の数は四十をきっている。兵を分ける余裕などない。それに、死体がないということは、どこかに逃れたということだろう。
 兵士達には、神の御遣いは特別な役目のために先行されたとだけ、伝えた。
 隊列を整えさせ、城内へと突入。
 次の戦闘はすぐに始まった。
 清瑞が先頭に立ち、本宮内を突き進む。目指すは城主の執務室。しかし、目標は一旦、変更された。当の城主が向こうからやってきたのである。
 周囲を壁に囲まれた廊下でにらみ合う。
 率いる兵はわずかに十名程度。数の上では、これまでで一番楽な戦いと言える。ただ、敵の士気はこれまでで最高だった。
 ──勝機はある。
 それでも、清瑞は自軍が有利と状況を見た。
 敵の総大将が目の前にいるのである。その首級を獲ってしまえば、勝ちは揺るがない。
 清瑞の能力を知っていれば、誰もが頷くであろう。
 だが、清瑞は見誤っていた。相馬の実力を、そして、戦う場所を──
「押しつぶせ!」
 ただ一言、相馬は叫んだ。それ以外の言葉は必要ないでも言うかのように。
 相馬の前に兵士が穂先を並べる。
 ──しまった!
 清瑞は思わず舌を打つ。
 廊下の幅は五人並ぶのが精一杯というところだ。ここで戦うには真正面から槍を合わせるしかない。つまり、数の有利がなくなる。自分が飛び込もうにも、自由に動ける空間がない。
「全員、後退」
 聞きなれない言葉に、兵士達は反応できなかった。彼らはここまで二度の遭遇戦を勝ち抜いてきた。たとえ、数に頼ったのだとしても、戦況を決定付けたのが清瑞たち乱波衆であったとしても、彼らは戦い、自信をつけた。自分達も戦えるのだと。三度目の遭遇戦となったとき、彼らの戦意は満ち満ちていた。が、指揮官は逃げろという。
 気持ちに反する命令に従うのが遅れる──彼らはやはり素人だった。
 遅れは大きな負債となって襲い掛かってくる。槍を構えたまま、狗根兵が一気に駆け出した。
 ──守勢に回ってしまった。
 こうなってしまえば、自分にできることは少ない。
「庭のところまで下がれ!」
 清瑞の怒声にようやく反応して、振り向こうとしたときには、すでに槍の穂先が避けようのないほどに近づいていた。
「ぐあっ!」
 逃げ切れなかった兵士が苦悶の声を上げ、地に伏せる。その上を狗根兵が踏みつけ、さらに前へと進む。
 ──……すまない。
 心中で謝りながらも、動きを止めることはない。彼女は幼き頃より鍛錬を積んだ乱波だった。逃げ遅れるものを見捨て、ただ後退する。数の有利を活かせる場所まで。強い懸念を抱えたまま。
 彼女の懸念は当たった。
 昨日まで槍も手にしたことのなかった兵士の自信は逆境を乗り越えるにはあまりに薄かった。
 槍は構え、敵に顔を向ける。
 しかし、その穂先は乱れ、足はすくんでいる。ここにいるのは角を持った臆病な羊の群れ。相手は牙を磨いた狼。勝負にはならない。
 ──ここが勝負だ。
 それでも、清瑞は抗う。
 すでに勝機は見えている。狗根兵の壁の後ろにいる男を倒せば、それで終わるのだ。そして、それ以外に勝ち目はない。国府城主は思った以上に迫力がある。それは認めなければならない。
 巨体に見合った力。槍を持つ手つき。何よりも戦場の雰囲気を自ら作り出している。さらには、周囲を警護の者が守ってもいる。
 やり遂げなければならない。
 自分の役目から逃げ出すつもりはない。
 意を決して、狗根兵の壁を突破しようとしたとき、右手から大きな怒声が上がった。一人ではない、少なくとも十人以上。声色だけで分かる。敵だ。
 陣形としては横腹から突かれる形となった。前からの敵に対しても怯えている中で、横から敵の増援。この時点で勝負は決してしまう。
 清瑞も、負けの二文字は頭になかったが、さらなる後退を検討する。
 そのときだった。
 右手側の敵のさらに向こうから声が聞こえた。
 それは──



「清瑞、扉はどう?」
 後ろからの声に回想を中断する。名を問わずとも、誰かは分かる。
「どうやら、左道か何かで強化されているようです。扉だけでなく、壁も。打ち砕くには炸裂岩が必要でしょう」
 振り向くと、思案深げに目を細める伊万里の姿があった。着慣れているはずのない鎧が似合って見えるのは武将の娘だからなのだろうか。清瑞もわずかに目を揺らす。
「炸裂岩ですか」
「桔梗たちが城の備蓄を探しているので、それで、どうにかできます」
「なるほど、──下を固めている上乃からの話だと、東側の窓は開いているようですが、そちらに回り込むというのは無理かしら?」
 伊万里たちがいるのは本宮の三階。目の前と背後に扉があり、背後の扉は野外用の舞台に繋がっている。廊下の奥には窓が見える。
「ええ、それは考えました。しかし、屋根伝いに渡れば、侵入はできるでしょうが、中にいるのはなかなかの手錬です。確実な方法があるのならば、危険度が低いほうを選ぶのが正しいかと」
「それは、ええ、そうですね」
 と、そこで、伊万里は髪をいじる。
「だめですね、私は。どうにも、急いでしまって」
「いえ、そんなことは……」
 言葉が続かない。口が上手でないことを悔やんだことはないが、今はそれが恨めしい。話題を変える。それしかないと、清瑞は頭をめまぐるしく回転させて、話題を探す。
「──それにしても、先ほどは助けていただき、ありがとうございました」
 伊万里に向かって、頭を下げる。
「あ、さっきのことね。偶然、上手く行っただけよ。狙ったわけではないわ」
「たとえそうでも、助かったのは事実です」
 でなければ、あそこで作戦は失敗していたかもしれない──
 正面と側面に敵部隊という絶体絶命の危機。そこに援軍として現れたのが伊万里と上乃が率いる味方だった。
 敵が勝ったと思った瞬間こそが勝機。
 狙ったわけではないにせよ、結果的には、最も効果的な時点での挟撃となった。
 側面の狗根兵は、背後から強襲をかけた伊万里と上乃の部隊によって蹴散らされた。清瑞指揮下の兵士も戦場の空気が変わったことを感じ、再び士気を取り戻し正面へと突撃する。
 この瞬間、勝敗は決した。
 相馬は撤退を叫び、本宮の奥へ、階上へと下がって行った。
 そこで捕らえていれば、立て篭もられるというような面倒な事態はなかったのだろうが、追撃に抵抗する狗根兵もまた必死だった。負けの意識を持ちながらも、戦い抜く姿勢はやはり強さと言うしかない。
 もし援軍がなければ、清瑞がそう思うのも無理からぬことだった。一方、伊万里からしてみれば、とくに誇るべきことではない。やらなければならないときに、そこにいた。ただそれだけ。
「ただ、狗根兵は強いわね」
 伊万里はつぶやき、兵士達へと視線を動かした。
 強さにおいては及ぶべくもない狗根兵との激戦。疲れていても、当然だった。肩や太ももから血を流し、応急処置として巻いた布切れが痛々しい。
 伊万里や上乃が率先して、前線に立ち、敵を引き受けたとしても、戦場のすべてを背負うことはできない。多くの人間が死んだ。
「狗根軍全体から見れば、これでも質は低いほうのはずです」
「ええ、そうなのよね」
 たとえ、今日を勝利したとしても、その瞬間から次の戦いが始まる。一度、旗を上げた以上、決着が着くまで走り続けなければならない。そこまでの障害はあまりにも険しい。しかし、伊万里の声には、張りがあった。たしかに酷い有様だ。敵から奪った鎧には傷が目立ち、兜にひびが入っているものもある。一見して、敗勢に陥っているのではないかと見えてもおかしくはない。それでも、士気は高く、赤い鉢巻は鮮やかに存在を示していた。
 精神が肉体を上回っている状態。
 長年に渡って築き上げられてきた力関係がとうとう崩れたのだ。恐れ、怯えて毎日を過ごしてきたことが、報われた瞬間。その思いが彼らの体を支えていた。
「とにかく、早く勝利を手にしたいわ」
 単調な時間が長引くほどに緊張は緩む。士気が高いうちに勝負をつけたい。
「焦りは禁物です。ここまでくれば、後は確実に追い詰めるだけですので」
「分かってはいるけど、……ところで、九峪様は本当に大丈夫なの?」
「──大丈夫です」
 わずかに、言葉に詰まりながらも、清瑞は答えを返す。
 九峪の不在について、清瑞は伊万里と上乃には本当のことを話していた。
 戦闘中に姿を消し、行方不明。おそらく安全なところに避難したのだろうとの意見も付け加えた。
 その事実を聞かされ、伊万里と上乃は兵を分けてでも、捜索をかけようとしたが、清瑞はそれを止めた。
 兵を使って捜索しようとすれば、兵士にも九峪が行方不明と知れ渡ってしまうのは避けられない。そうなれば、危ういところで保っている士気が低下することも考えられる。さらには、清瑞以外の乱波衆が備蓄を探す一方で、九峪の捜索もしている──以上の理由を盾にふたりを説得した。
 彼女らはけっして納得はしていないようだったが、兵を使っての捜索は諦めてくれた。
 このとき、清瑞は、ある程度、九峪を──神の御遣いの存在を切り捨てていた。
 見捨てたわけではない。実際に、桔梗たちには捜索を命じている。しかし、九峪の大事を優先することはなかった。最悪、九峪が死んだとしても、次の大将には伊万里を据えればよい。
 自分とも引けを取らない武力に加え、王族の血を強く感じさせる魅力。それらを、清瑞は素直に認めていた。いささか、感情的なところは見受けられるが、やらなければならない役割は確実に果たしている。戦場に怯える男などよりは、はるかに大将にふさわしい──
 彼女は、九峪だから優先順位を低くしたわけではない。たとえ、行方不明になったのが、伊雅であったとしても、同じ判断を下しただろう。
 城主の首級を掲げ、勝利を確定させる。それこそが、優先されるべき事項だった。
 総大将が行方不明ともなれば、必ず士気は揺らぐ。そうなれば、思わぬ失敗に繋がるかもしれない。後処理を果たせるだけの人材はいる。ならば、捜索は後回しにすべき。
 判断に間違いはない──そう言い切ることができる。
 知識、経験、自分を構成してきたすべてのものが、この判断を肯定している。
 ならば、なぜ、こうもいらいらするのだろう。
 馬鹿が──そう、毒づきたくなるのだろう。
 固く拳を握る。
 今は目の前の扉こそが問題だ。
「──何かしら」
 伊万里が声をこぼす。
 廊下を埋める兵士の列の向こうからざわめきが起こっていた。
「どうした!」
 乱れを嫌った清瑞が兵士に声をかける。
 答えはなかった。代わりに、兵士の列が割れ、肩上に精霊を連れた若者の姿が見えた。若者は清瑞と目が合うと片手を上げた。
「清瑞に伊万里、無事みたいだな」
 若者──九峪は気楽にとはいかないが、元気そうに呼びかけた。

「九峪様、ご無事でしたか」
 こちらに歩いてくる九峪の姿に不自然なところは見受けられず、伊万里は安堵のため息をつく。
「ああ、どこも怪我はしてない。──上乃はどうしたんだ?」
「上乃は下で本宮の周囲を固めています。少しは疲れたらいいのにと思うくらい、元気です」
「そっか、良かった」
 九峪は頬を動かし、笑みを形作り、視線を清瑞に動かした。
 じっと視線を交わす。
 清瑞は冷たい瞳を鈍く光らせ、目の前で足を止めた神の遣いを見ていた。そして、一歩、踏み出す。
 ──怒られる!
 反射的に身を小さくし、九峪は言い訳の言葉を舌に乗せる。
「あのな──」
 言い訳を言い出すより早く、清瑞は顔を九峪の肩辺りまでに寄せた。
「──兵士達には、神の御遣いは特別な用事のために先行した、そう伝えてある。話を合わせろ。いいな」
「あ、ああ」
 九峪の答えと同時に、元の距離に戻る。まるで感情を乱すところが見受けられない。その姿に思わず苦笑が浮かぶのを感じながら、九峪は清瑞と伊万里に問いかけた。
「で、ちょっと話は聞いていたけど、いまは炸裂岩待ちだって?」
「そうだ。この扉と壁が思った以上に頑丈で、炸裂岩でもなければ破壊は難しい。方術士がいればまた話は別だろうがな」
「方術士、か。左道士と似たようなものだったっけ」
「詳しくは違うらしいがな。その辺りは私よりも、キョウ様のほうが詳しいだろう」
 三人の視線がキョウへと集まる。
「うん、清瑞の言うとおり、効果としては似たようなものだよ。それまでの効果や対抗手段は違うけどね。今は気にすることないから、そのうち説明してあげるよ」
「そういや、地下で狗根兵が、ここにある備蓄を焼かなければならない、とか言ってなかったか」
「そういえば、そうだったような……うん、たしかに言ってたよ」
「地下か、桔梗たちには会わなかったのか」
「会ってないな。桔梗さん達が探しに行っているのか?」
「そうだ。──よし、私が取りに行こう」
 清瑞は頷き、九峪から具体的な場所を聞くと、兵士を何人か連れ、下へと降りていった。伊万里が扉の前に立ち、もしもの逆襲に備える。総大将は九峪だが、現場指揮に関しては伊万里のほうが上であった。
「ここにいるのですね」
 落ち着いた、それでいてどこかに鋭さを感じる声が響いた。聞き覚えのない声に、伊万里は九峪の後ろへと視線を移す。
 そこには薄手の衣を着た女が立っていた。
 薄い青色の髪。汚れて、艶やかさは失っているが、手入れをすれば青空のように映えるだろう。瞳は青みがかっており、宝石のように輝く。女の目から見ても、悔しさと共に感嘆を覚えるような美しさだった。
 その傍らには茶色の髪をした少女が立っている。
「九峪様、そちらの方はどなたですか?」
 九峪に問いかけながらも、伊万里は青髪の女性から目を離さなかった。心のどこかに引っかかるようなものを感じる。
「まだ紹介してなかったっけ。こっちの落ち着いた感じの人が志野、で、小さいほうが珠洲。危ないところを助けてもらったんだ」
「そうなのですか……」
 やはり、落ち着かない。血が騒ぐ──味わったことのない感覚に伊万里は戸惑う。彼女と自分、どちらにも疑念を覚えつつ、それでも、自分たちの総大将を救ってもらったことには間違いがない。
「九峪様を助けていただき、ありがとうございました」
「いえ、私こそ、助けられた恩を返しただけです。──それにしても、九峪『様』、ということは、あなたは、この集団の幹部だったのですね」
「一応、大将ってことになってるよ」
「……ここに来るまでの兵士の反応で、上位者だとは思っていましたが、大将とは思い至りませんでした」
 容赦のない言葉に、九峪は思わず唸る。
 思ったよりも率直な言い様だった。もちろん、反論の余地はない。自分の風格の無さは身に沁みて分かっている。神の遣いが侮辱されたというのに、キョウ、伊万里が何も言わないのはその証左とも言えた。
「ま、大将には見えないっていうのはその通りか」
 つぶやくことで、浅い心の傷を隠し、志野の傍らにいる少女にすっと視線を動かした。
 ただ、じっと扉を見つめている。
 その視線は少女とは思えないほどに冷たい。冷たい視線と言われて、九峪が真っ先に思い出すのは清瑞のそれであったが、少女の冷たさは女乱波のものとは違う。
 清瑞の冷たさは現実の冷たさだ。自身の感情の揺らぎにより、現実を客観視できなくなることを避けるために、常に冷たく、希望を排除して世界を見ている。だから冷たい。九峪はそう清瑞を、というよりも乱波を理解していた。
 一方、少女の冷たさは空虚だった。
 そう感じた。
 地下牢で、気絶した牢番に止めを刺したとき、少女には何のためらいも無かった。躊躇も手加減もなく、刃を突き刺した。
 あんなに怖いのに、自分の一部が欠けてしまったと思うほどに寒いのに、少女は簡単に人を殺した。
 その少女の視線が扉に、その奥に向けられている。
「──それで、この中に相馬が、城主がいるのですね」
「ええ、それは間違いありません。私達で追い込みましたから。他に兵士が十人程度います」
「他に侵入できるようなところはないのですか?」
「あちらの窓から出て、屋根伝いにいけないこともないようなのですが、それでは多勢を送り込むことができません」
 伊万里が廊下の奥の窓を指し示す。珠洲から視線をはずした九峪が興味深そうに伊万里の示した先を見つめた。
「ふ〜ん、部屋の中の窓も開いてるのか」
「ええ、下の上乃はそう言っています」
「ちょっと見てみるか」
 清瑞が炸裂岩を取ってくるまでは、突入はできない。それに、伊万里の話からすると階下に上乃の姿が見られるかもしれない。元気だとは言っていたが、やはり目で確認しておきたい。
 九峪は窓へと歩き出した。
 誰かが付いて来ているようなので、振り返ると、キョウは当然として、志野と珠洲もいた。伊万里は指揮官として、扉の前に残っている。忸怩たる思いもないことはないが、今は自分の気持ちを優先したかった。
 窓の枠に手をかけ、乗り出すようにして外の景色を眺める。
 遠くには山が見え、近くには田畑。まだ水も張ってはいないが、秋には黄金の稲穂が頭を垂れるのだろう。国府城まで歩いてきた街道もはっきりと見える。そのまま視線を近くに向けると、争いの跡がはっきりと残っている兵舎が見え、そして、本宮の下で隊列を組んでいる味方の姿が見えた。
「上乃は見えないな」
 ぼそっとつぶやき、もっと近くまで視線を動かす。
 窓の下には屋根がある。屋根は瓦葺(かわらぶき)となっており、人が乗っても問題はないだろう。左を見ると、屋根は部屋の中にある窓のものと思われる枠の手前で途切れていた。窓までは助走が無くとも、飛び移ることはできる。
 ──失敗すれば、三階からの転落か。無理はしないほうがいいな。
 高所恐怖症というわけではないが、自分から危険に近づくほど酔狂な趣味をしているわけでもない。
「あっ」
 目の端に動くものが見えて、そちらに視線を動かすと青髪の娘が元気に手を振っていた。
「上乃、元気そうだな」
 ほっと気持ちが緩む。
 手を振り返そうとした瞬間、九峪は横に押された。


 上乃には一瞬、何が起こったのか分からなかった。
 兵士達を鼓舞しながら歩き回り、ふと本宮を見上げれば九峪の姿があった。
 うれしかった。
 清瑞から行方不明だと聞いたとき、すぐにでも探しに行きたかった。伊万里と心が通じたことを伝えたかった。ありがとう、と言いたかった。清瑞の説明に納得はしたが、じりじりとした思いにずっと捕らわれていたのだ。だからこそ、九峪の無事な姿を確認できて喜び、大きく手を振った。
 九峪も気づいたようで、三階分の距離を挟んで目が合った。そして、彼も振り返そうとした瞬間、いきなり体勢を崩した。
 ──危ない!
 思わず体を固くするが、目を閉じはしない。しっかりと九峪の姿を捉えている。もし落ちてしまったら最初の一歩が生死を分けるかもしれない。九峪のいる直下まで走ろうとしたところで、足を止めた。
 九峪は少しぐらついただけだったのだろう。前のめりになることはなく、そのまま体勢を立て直した。
 上乃がほっと息をつく暇もなく、事態は動く。
 その窓から人影が二つ飛び出したのである。
 遠めには裸かと間違うほどに薄い衣を着た女性と小柄な少女が屋根の上に立った。動きを止めることなく、わずかな距離を走り、飛んだ。彼女らの先にあるのは開け放たれた窓。
 瞬き一つほどの間。
 そのわずかな時間で状況は一変していた。
 再び階上の九峪と目が合う。
 目を見開き、ぽかんと口を開けている。
 思わず納得した。
 おそらく自分も同じような顔をしているのだろう。


 相馬は焦りを露わにしていた。
 四半刻前に、この部屋を威風堂々と出て行ったのが嘘のように、あぐらをかいたまま肩を怒らせている。
「くそっ! なぜこうなるのだ!」
 小声でぶつぶつと悪態をつく。
「下賎な者どもが、わしに逆らえばどうなるか、分かっておらんのか!」
 金属が擦れ合う音を響かせ、荒々しく剣を抜いた。磨きぬかれた鋼に顔が映る。鋼の中の自分と目が合う。
 違う人間がそこにはいた。
 血走った目、頬がつりあがり、容貌は完全に変わっている。
 いらだたしげに剣を床に突き刺す。どれだけ磨かれた床であろうとも、鋼には抗しえない。剣の先が人差し指ほどにめり込んだ。
 次々と後悔が浮かび上がる。
 どうして、上に逃げてしまったのか。あのまま強引にでも突破を図っていたら、城外に抜け出せたかもしれない。こうして部屋に篭っているのにも限界がある。食料も水もない。篭城など、選択肢にすることもできない。
 なぜ、こうまで追い詰められてしまったのか?
 その答えは、結局は相馬自身にある。
 相馬は、周りを敵に囲まれ、味方の応援も覚束ないという戦いを経験したことはなかった。常に攻勢に立ち、勝利を積み重ねた狗根国といえども、局所的な負けや苦戦は数え切れないほどあったが、相馬の配属された部隊はそのような局面には出くわさなかった。だからこそ、武功を立て、城主という地位まで出世できたとも言える。しかし、そのために身につけられなかったものもある。
 忍耐力──華々しい場面など稀な戦場において、ある意味、もっとも必要とされる能力を鍛えることができなかった。
 常に勝勢に乗り、勢いと感性で武功を重ねてきた相馬には不要なものだったのだ。
 そして、彼はすべてをその場の判断に頼ることになった。
 昨日、無罪としたものを今日は有罪とする。気分が悪いからといって、仕事をさぼる。女が欲しいからと、目ぼしい娘をさらう。金が欲しいからと、野盗を装い、行商人を襲う──
 およそ統治者としてはありえない振る舞い。それがまかり通っていたのは狗根国が強いからだ。どのような行為をしたとしても許される。文句を言われることのないのは狗根国が支配者だから。簡単にして明瞭な事実がすべてを支えていた。
 それが今、崩れようとしている。
「相馬様……」
 腹心が相馬の前に腰を下ろし、両手を床につけ、頭を深く下げた。
「何だ! 良い考えでも浮かんだか!」
 相馬は笑みを浮かべ、先を促す。期待を込めた上司に対し、話し出した腹心の声色は固かった。
「現在、城にいる兵士は、ほぼ討ち取られたと思われます。ここにいる兵士は十名足らず。もしかすれば、文官がどこかに隠れているかもしれませんが、やつらでは役に立ちません」
 腹心の言葉通り、狗根兵の数は少ない。敗北に打ちひしがれている様子を見せず、武器を手に両足でしっかりと床を踏みしめている。その姿はまだ敗北を認めてはいない。
「兵の数は少なく、烽火台も破壊されたらしく、援軍も望めません。我らは完全に行き場を失いました」
「うむ、それで」
 不利な状況を再確認させられ、とたんに機嫌が悪くなった相馬は、あごで先を促す。
「すでに我らは負けました。負けた以上、最後の足掻きをしなければなりません。──この部屋に火を放ちましょう」
「なんだと!」
 床を拳で殴りつけ、相馬は威嚇するように立ち上がり、平伏している腹心をにらみつけた。
「やつらの狙いがこの城だけのはずはありません。ここを拠点として、さらに動きを盛んにするでしょう。襲撃の手並みを考えれば、この先、我が軍にとてつもない損害が出るかもしれません。せめて、この宮殿を焼き、やつらの勢いに水をささなければなりませぬ」
 火で水をさすとはこれいかに──そんな問答も頭に浮かべ、腹心は、主の言葉を待った。返答の言葉は半ば予想している。いつもならば、話題をそらし、相馬の気が落ち着くのを待つところだが、今はそのような場合ではない。厳格な現実に対応しなければならない。
 そして、予想は見事に当たった。
「馬鹿を言うな! ここに火をかけるだと! 我らはどうなる? 焼け死ねと言うのか!」
「火が十分に回った後、扉を開けて討って出るのです」
「敵の最中に出れば、死ぬだけだ」
「文字通り、死力を尽くせば、十人やそこらは殺せます」
「十人、殺してどうなる! たとえ、宮殿を焼いたところで、この城が敵の手に落ちることに違いはない! 何の意味があるというのだ!」
 腹心は顔を上げ、猛々しく吠える主と目を合わせた。
「武人の名誉が守られます」
 場が静まり返った。
 いつの間にか、兵士達も上官の言い争いに注目していた。そして、腹心の言葉に共感していた。
 そう、名誉。
 尚武の国、狗根の人として最上の価値を持つもの。そのために命をかける。たとえ、死が避けられぬものであろうとも、後の世に語り継がれるであろう戦いに身を投じる。それこそが武人の生き方ではないのか。
 追い詰められた状況を理解しながらも、兵士の士気が膨れ上がった。だが──
「何を言うか! 生の前に、名誉など無用! 敗北を自ら認めるなど何事か!」
「しかし、どのようにしようとも、すでに敗北は避けられませぬ」
「貴様は勝利を諦めただけだ!」
 相馬はただ猛る。腹心の言葉が冷静なのとはまるで対照的だった。
 緊迫した沈黙がしばらく場を占めた。主と腹心は瞬き一つもせずに視線をぶつけ合う。次の言葉を発したのは相馬だった。
「そうか、分かった」
「では、急ぎ準備を──」
「貴様が武人の風上にもおけぬということがな」
 床に突き刺さっていた剣の柄に手をかける。一気に抜き、渾身の力を込めて横に振るった。
 腹心の首が胴と離れ、重い音を立てて床に転がった。
「ふん、今まで、目をかけてやったというのに、とんだ無能者だった」
 せいせいしたとでも言いたげな相馬の態度。しかし、兵士の士気はそうは行かなかった。いったん膨れ上がっただけに落差も大きい。彼らはけっして相馬に期待していたわけではなかった。
 有能というには程遠く、理屈をつけることもできない直情的な指揮官。だが、そうであったとしても、指揮官の命令に服して戦うのが狗根兵である。軍という組織に己を預け、戦っていく。その覚悟がないものなどいない。ゆえに、狗根軍は強い。とはいえ、さすがに限界だった。
 命を捨て、戦う覚悟が揺らいだ。
「な、なんだ、貴様ら、覇気を持たんか! 我らは栄光ある大王の軍勢だぞ!」
 兵士のすさんだ視線を集め、相馬がたじろぐ。
「領内に散った兵士もまだおる。ここに閉じこもっておれば、勝ちは見える!」
 そうかもしれない。たしかに彼らはこの城の兵士だ。いずれは戻ってくるだろう。しかし、まだ日は高い。彼らの任務は逃げた囚人を捕縛すること。だが、その対象は今、この城を攻めているのだ。すぐに帰ってくるはずがない。
「ここの扉も壁も、左道により強化されておる。生半可なことで突破されはせん。そう、待てば良いのだ」
 どれだけ言葉を費やそうとも、一度失われた士気を取り戻すことは困難だ。しかも、相馬の言葉に説得力というものがない。
 思ったような反応が返ってこないことに苛立ち、相馬は首を振る。
「うっ」
 視線が腹心の生首を捉えた。その表情は驚きと恨めしさに満ちている。
「文句があるのか!」
 生首が答えるはずもない。だが、表情はたしかにそこにある。主の横暴を責めるように上を向いている。
「わしを見るな!」
 首を蹴り飛ばす。
 気分屋の主を支えた腹心の首は床で二度跳ね、そして、また相馬のほうを見て止まる。襲撃者が飛び込んできたのはその直後だった。


 窓から飛び込んだとき、志野は何も考えていなかった。考える必要がなかったのだ。目に入った者を斬る。ただ、それだけでいい。頭を空にして、無心に、偶然出会った若者から借りた刀を振るう。
 志野に続いて、飛び込んだ珠洲はただ一つのことだけを考えていた。志野を傷つけさせはしない。ただ、それだけ。隠し持っていた糸を飛ばし、狗根兵の首に巻きつける。一対一の状態を保てば、志野にかなう兵士などいない。
 狗根兵の反応は鈍かった。
 下から矢を射られれば、窓を閉じるつもりで、すぐ側に兵士がいたのだが、主の醜態に気をそがれていた。そこに強襲である。対応が遅れても無理はないが、その遅れは致命的なものとなった。
 窓際の兵士は、志野の飛び込みざまに斬り伏せられ、何も抵抗できないままに生を閉じた。
 志野の動きは止まらない。舞うが如く、刀を操り、舞踏の輪の中に狗根兵を誘う。
 扉側に集まっていた狗根兵が走り出す。部屋の中では槍は使い勝手が悪い。刀を抜いて、志野に向かっていくのだが、突けば交わされ、横になぎ払えば受け流された。いつの間にか、相手の思うとおりに動かされ、刃のきらめきに赤い彩を加える。
 戦場を舐めているとしか思えない薄い衣が、鎧をまとった兵士を飲み込んでいく。
 相手の間合いに飲み込まれることに気づいた兵士がいったん距離をとる。
 慎重に距離を測り、他の兵士が斬りかかった瞬間を見計らって、一気に間合いを詰め、そして剣で突く──
 できなかった。
 動こうとしたときに、首に何かがからみつく感じを覚え、一歩、踏み出したところで頚動脈がつぶされた。膝をつき、前のめりに倒れる兵士の後ろにいたのは、極細の糸を手にした少女だった。
 ふたりの襲撃者が飛び込んで来てから、ほんのわずかな間に、ただ一人を残して狗根兵は全滅していた。
「ば、馬鹿な」
 相馬は刀を手に、ただつぶやく。
 精強をもって西方に覇を唱えた狗根国。その兵士がたったふたりの女を相手になす術もなく倒れ伏した。彼の中ではありえない、いや、あってはいけない光景だった。だが、目を閉じようとも、現実が消えることはない。
 襲撃者には見覚えがあった。
 顔を初めて見たのは、一昨夜のこと。
 場所は二階の大広間。
 目の前の女はそこで舞を披露し、そして、自分に斬りかかってきた。
「なぜだ、なぜ、わしを狙う」
 それは今日のすべてに対しての疑問。
 いったい、何と戦っているのか、相手の正体が分からない。
 このような辺境に狗根国に逆らおうとするものがいるとは信じられなかった。しかも、この城を攻めてきたのは、逃げ出した囚人達だという。
 逃げるのは分かる。
 すべてに絶望し、自暴自棄になるのも分かる。
 だが、なぜ狗根国の支配する城を攻めるのか。なぜ、そのような身の程知らずをやるのかが分からない。自分はいったい何に追い詰められているのか。
 その答えはどこにある──
「二年前、あなたは火奈久城の部隊長だった。そうですよね」
 相馬は行動には出さなかったが、内心、頷いていた。この国府城の城主となる前の話だ。志野は、相馬が反応のなさを気にすることなく、話を進める。
「ある日、あなたは野盗の真似をして、芸人の一座を襲い、殺し、売り上げを奪った。覚えていますか?」
 丁寧で落ち着いた口調。
 すべての激情を内に秘め、事実を言葉に乗せる。
「さてな、二年も前のことなど、よくは覚えておらんが……察するところ、その一座の敵討ちということか」
「ええ、そうです」
 志野は静かに頷く。
 ──たしかにそんなこともあったな。
 言葉ではごまかしたが、相馬は覚えていた。
 旅芸人の一座にしては、ずいぶんな実入りがあった。その金で買った装飾品を紫香楽に贈り、城主の地位を手に入れたのである。ある意味、恩人とも言える。
 あくまでも、そう喩えられるというだけだ。
 剣を握りなおす。
 先ほどの醜態をぬぐうように、巨体を揺らし、構えを取る。
 幸いといえるかは分からない。
 ここは戦場、相馬の得意とする場だった。相手は自分を殺すつもりだ。ならば、剣を振るい、倒すだけ。余計なことを考える必要はない。この先、どうすればいいか、そんなことを考えても意味はないのだ。
 結局のところ、相馬は単純なのだろう。
「あなたには死んでもらいます」
 志野の一歩踏み出し、衣が浮いた。
 すでに十人近い狗根兵の血を吸った刀がさらなる血を求める。返り血で染まった衣が、さらに赤く染めよと訴える。自然な歩みで、十歩の距離が消えた。
「女がわしに勝てるか!」
 力比べでは負けたことのない豪腕が唸りを上げる。斬るというよりも、殴りつけるかのような剣技は、女の細腕で耐えられるようなものではない。しかし、志野はその剛剣を刀で受ける。
 剣に込められた力が受け流され、相馬が体勢を崩す。その隙を見逃さず、斬り上げようとして、彼女は一歩、後ろに下がった。目の前を拳が通り過ぎていく。
 体勢を崩しながら放った一撃には、体重が乗っていない。とはいえ、腕力だけでも十分に人を殺せるだけの力はあった。
「ふははっ、仲間の待つあの世に行くのだな」
 太い笑みを顔に浮かべ、相馬はどっしりと腰を低くし、威圧する。
 ──しかし、あの身のこなしはやっかいだな。
 一昨夜の舞と兵士を殺した動きが見事に重なる。緩急自在の動きは捉えにくい。しかも、こちらから動けば、相手の動きに引き込まれる。むしろ、相手に攻めさせ、迎撃したほうが対処しやすい。
 ──さて、どうやって引き込むか。
 相馬の腕力を警戒したのか、志野は間合いをとって、近寄って来ない。どうすべきか考え込む相馬に一つの考えが浮かんだ。相手から攻めさせるには挑発すればいい。では、一番、効果的な挑発は?
 答えはすでにあった。
「……そういえば、先ほどおまえが言っていた話、思い出したぞ」
 志野の肩が小さく動いた。
「たしか、城の外に天幕を張っていたのだったかな? なかなかの芸達者が揃っていると、城内の者が騒いでおったわ。その分、金も儲けていたようだな。仕事の割にはなかなか実入りがよかったのう」
 女はうつむいてしまった。思い通りの反応に、相馬はいよいよ饒舌に口を動かす。
「そうそう、座長とか呼ばれていた男がおったな。うるさく抵抗するので、なぶり殺しにしてやったわ。仲間に向かって逃げろとか叫んでおったが、無駄なことよ。全員、殺してやったわ」
 志野の戦いを離れて見守っていた珠洲が、手を動かそうとし、止めた。珠洲からは志野の背中しか見えない。志野の左手が抑えるようにと合図を送っていた。
「まったく、弱い者どもだった。それに──」
「黙りなさい」
 志野の視線が仇の面を射抜いた。
「──殺します」
 刀を持った右手をだらんと下げ、無造作に歩を進める。
 一歩、二歩、三歩、相馬の攻撃範囲に入った。
 ──見事に引っかかりおったわ。
 思い描いた通りの展開に、相馬の意気も上がる。ほんの一瞬、女の肢体への欲情が湧き上がるが、それを振り払い、中腰に構えた剣で斬り付ける。
 しっかりとした構えから放たれる力の乗った斬撃。
 勢いだけで人を殺せそうな一撃は、しかし、空を斬った。
「まだまだ!」
 かわされることはある程度、予想していた。すぐさま刀を斬り返し、一気に攻勢を畳み掛ける。縦に、横にと斬りつけ、時折、打撃も織り交ぜる。
 かつての征西戦争で、何人もの耶麻台兵の命を奪った豪腕が、女性としても細みな体に襲い掛かっている。当たれば即死間違いない攻撃は、だが、当たらない。
 ──なぜだ! わしはこの腕二本で出世してきたのだぞ。それが、こんな女に!
 かわされながらも、攻撃を続けてきたことで、相馬の体は汗にまみれ、呼吸が短くなってきた。それでも、攻撃は止められない。恐怖が体を動かす。しかし、精神にも限界はある。剣の握りが甘くなり、剣筋も鈍さを増した。
 国府城主となってから二年近く、相馬は鍛錬をすることはなかった。怠慢、さらには年齢による体力の低下。すでに武人としては下り坂に入っているのだ。体を激しく動かすだけの基礎がもはや存在していない。そして、とうとう、攻撃が止まった。
「終わりですか」
 肩で息をする相馬を見る志野の目は鋭かった。相馬の必死の攻撃をかわし続けていたにも関わらず、額にうっすらと汗をかいているのみ。相馬とは明らかに対照的だった。
 相馬が志野の顔を見る。
「ぜえっ……わしを殺せば、罪人として……狗根国に追われるのだぞ」
 最後にすがるのは、やはり狗根の名だった。
 志野はもう答えることもなく、右手を動かす。
 肉と骨を断ち切る感触は一瞬だった。
 首を失った胴体から血が噴出す。脂肪で緩んだ巨体がドンと床に倒た。首の部分を源流として、血の川が流れる。
 志野は自分が命を奪った体を見下ろしている。その目には何の感慨もない。
 左手で頬をなぞる。
 指には血。
 二日間、何も食べられず、血色が悪くなった頬に、血しぶきがかかっていた。
 血の海に立ち尽くす女。
 そこには凄惨なまでの美しさがある。
 珠洲が横に並んだ。同じように死体を見つめる。
「志野、終わったね」
「ええ」
 会話はただそれだけ。志野は空いた手で、珠洲をそっと抱き寄せた。そして、首のほうへと顔を向ける。相馬の首は疲れた表情のまま固まっている。その横には、相馬によって殺された腹心の生首が並んでいた。



「馬鹿者!」
 急報を受けて戻ってきた清瑞の一言目はそれだった。炸裂岩を担いで、地下から三階まで一気に駆け上ってきた女乱波の視線は厳しい。けっこうな重労働なはずなのに、まるで息を切らすことなく、九峪をにらみつけている。
「いや、一瞬のことだったから、止めようがなくて……、すまん」
 客観的に見て、九峪が責められるべきかどうかは微妙なところだったが、謝って場を収めることができるのは彼だけだった。素直に頭を下げることで、清瑞も矛先を収めるかと思われたが、どうやらいろいろと言いたいことが溜まっていたらしい。さらに、言葉を続けようとして、
「清瑞、今はそんなことを言っている場合ではないでしょ」
 清瑞に続いてきた桔梗が咎めるように声をかける。桔梗は兜を脱ぎ、艶やかな黒髪を露わにしていた。その姿を見て、九峪もほっと胸をなで下ろす。
「気づかなかったという点では、私も同じね」
 伊万里も九峪を弁護する。王家に連なる人間からそう言われれば、清瑞も黙るほかない。
「九峪様、ご無事で何よりでした。地下牢で何があったのか、お聞きしたいところですが、今は時間がないようですね。急いで、炸裂岩を仕掛けます。ね、清瑞」
「……ああ、分かっている」
 事の優先順位を間違えるようでは、一流の乱波とは呼べない。不承不承といった感じで、清瑞は頷き、担いできた袋を床に下ろした。そして、中に入っていた炸裂岩を取り出し、扉と壁の境に重ね始める。反対側の境では、桔梗が同じように炸裂岩を手に取っていた。
「──しかし、なぜ、その女は飛び込んだのだ?」
 清瑞は炸裂岩を取りに行く際に、目に入った女の姿を思い浮かべる。
 戦場には不似合いな薄手の衣。おそらくは白拍子。自分達が奇襲をかける前までは、通常の生活が続いていたのだ。白拍子の一人や二人、いたところで、おかしくはない。だが、血色の悪い肌でありながら、目は澄んでいる。衣には返り血。ただの白拍子ではない。何者か、問おうとしたところで、やめた。
 女の持つ刀が目に入ったのだ。
 見間違えるはずもない。銘は紫艶。尊敬する武人の愛刀だった。そして、その武人から、ある若者へと受け継がれたもの。
 その刀を持っているということは、奪ったか、それとも持ち主から手渡されたか。神の遣いに脅されているような様子はない。天魔鏡の精も気にしている様子はない。結論は出た。
 刀の握り方にも不自然なところはない。一目、見ただけでその強さは分かる。また、むやみに刀を振るうような女には見えなかった。しかし、現実に、女はとなりにいた少女と、敵の待ち受ける部屋の中へと飛び込んだ。自分の目が節穴だったということか。疑問が口を動かす。
 その声に答えたのは九峪だった。
「いや、なんでも、城主を殺そうとして、地下牢に閉じ込められてたらしい。それで、俺達と目的は同じだから、協力してくれるってことになったんだ」
 思い出すように話す九峪の声に、清瑞の声が止まった。くいっと後ろにいる護衛対象へと顔を向ける。
「それを知っていたなら、もっと注意を──」
「清瑞!」
 甲高い声が廊下に響き渡った。
「キョウ?」
 九峪がぽつりと声をかけるが、キョウは視線も返さない。
「手を動かして」
「は、はい」
 キョウのねめつけるような視線を向けられ、清瑞は再び作業に戻る。
 天魔鏡の精は顔を強張らせていた。もともとの容姿上、たいした迫力はないのだが、えもいわれぬ威圧感はある。
 ──まずい、まずいよ!
 内心はどうしようもなく動転していた。
 せっかく見つけた希望のかけらが失われようとしている。まさか、あんな無謀なことをするとは思わなかった。
 彼女らが窓から外に飛び出たとき、すぐ近くにキョウもいた。しかし、止められなかった。完全に予想外の行動だったのだ。事態の急変に気づいた伊万里が、後に続こうとするのを止められたことは不幸中の幸いだっただろう。もう一つの希望までも失ってしまうにはいかないのだ。
 そう、伊万里がいれば、最低限の条件は守られる。だが、可能性は多いほど良い。少なくとも意味のないところで、可能性を失うのは避けなければならない。
 焦るキョウの前で、扉を爆破する準備は順調に進んでいた。
 炸裂岩とは強い衝撃をきっかけとして爆発する岩である。使い勝手は悪くないのだが、運搬には最新の注意を払わなければならない厄介な面もある。野戦で使われることは少なく、攻城戦での使用が多い。その役目はもっぱら城壁の破壊であった。
 清瑞と桔梗が視線を交わし、互いに頷く。
「全員、階段のところまで下がれ」
 爆発の余波に巻き込まれては、意味がない。清瑞の指示に従い、階段のところ下がろうとしたときだった。
 扉から音が聞こえた。
 激しい音ではない。一定の拍子を保って、軽く叩かれている。
「……出てくるってことか?」
 九峪がつぶやくが、誰も答えない。
 廊下にいる者の視線が扉に集中する。そして、ゆっくりと開き始めた。外開きとなっているために、押された炸裂岩がころころと崩れ出す。残った炸裂岩が邪魔となり、扉は半開きの状態で止まった。
 扉の影から足が見えた。次に手、そして、全身が露わとなる。
 誰もが緊張を解こうとはしない。
「相馬は討ち取りました」
 血濡れの美女はつぶやくように戦の終わりを告げた。



 部屋の中はひどい有様だった。
 おそらくは城主の私室だったのだろう。いかにも高価そうな調度品が並んでいる。しかし、それらも血を浴び、血臭にまみれていた。
 十人ほどの死体が部屋のあちこちに倒れ、血は固まり始めている。
 この惨状を作り出したのが、若い女ふたりと聞けば、どれだけの人が信じるだろう。一笑に付すかもしれない。ただ、聞き流すだけで、適当に相づちを打つかもしれない。
 九峪はさりげなく視線を動かした。そこには青髪の女性と茶色の髪をした少女が並んで立っている。彼女らはどのようにこの光景を見ているのだろうか。
 死体の山を築いたのは彼女達だった。
 無論、その場を見ていたものはいない。だが、死体を見れば、追い詰められて自刃したわけではないことが簡単に分かる。間違いなく彼女達が殺したのだ。
 地下牢での戦いぶりを思い出せば、けっして無理なことではないのかもしれないと納得する。
「間違いなく、相馬ですね」
「ええ、間違いないわ」
 相馬の顔を見たことがある清瑞と伊万里が確認を終えた。
 この二年間、国府城の住人の怨嗟と恐怖の対象であった城主。二年間、武力に裏打ちされた権力で、思うがままの生活を送った。美酒をあおり、豪勢な食事に舌鼓を打つ。村や里から女を差し出させ、思う存分、色事を極めた。その末がこの光景。
 清瑞と伊万里の首実検は多分に儀礼的なものだった。
 九峪たちに続いて部屋に入ってきた兵士達が、壁際に転がっていた相馬の首を見た瞬間、歓声を上げたのである。
 勝利の味はどんな料理にも勝る。それが苦難の末に得たものであるならば、なおさらだ。払えるはずもない重税を課せられ、税を滞納したという理由で、身柄を拘束された。もう、家族に会うことはできない。老いた父母、妻、子供、大事なものすべてを奪われた。
絶望の淵からの逆襲。
 閉ざされたと思われた未来が開いた。
 犠牲がなかったわけではない。体に傷を負い、仲間が死んだ。だが、今は祝おう。喜ぼう。敗者という頚木から抜け出たことを誇ろう。高らかに勝利を歌い上げよう。
 兵士──昨日まではただの囚人であった者たちの感情が爆発する。
 清瑞が騒ぎすぎぬようにと、命令したことで声は消えたが、浮ついた雰囲気は消えない。誰もが興奮していた。例外は、指揮する立場にある者たちだった。
 九峪は血まみれの死体を見て、罪悪感を持ち、清瑞たち乱波衆は普段からの訓練の通り、冷静を保っている。伊万里は若干の興奮を覚えながらも、指揮官の分を守り、さらには実戦で感じた狗根兵の強さを思い出し、気を引き締めている。志野は気が抜けたように遠くを見つめ、珠洲は表情を崩すことなく、志野の隣に立っている。
 そして、キョウは、ある事実を発表する時機を見計らっていた。
 ──みんなが勝利を味わっている。最高の条件だね。
 周囲の雰囲気を確認し、キョウは全員に聞こえるように、声を張る。
「ねえ、九峪、天魔鏡を出してくれないかな?」
「天魔鏡? べつにいいけど、いちいち鎧を脱がないといけないんだよな。城主を討ち取ったからって、まだ危険がまったくなくなったってわけでもないし、後じゃ駄目か?」
 清瑞がほうっと感心したように、九峪を見た。素人ならば油断しても仕方ない勝利の雰囲気の中で、危険への配慮を忘れない。訓練を受けた兵士でもそうはいかない。
 九峪としては、とくに冷静であったわけではない。彼の心を占めていたのは恐怖だった。死体を見たことで、自分が人を殺した感触、そして、背後から斬りかかられたことを思い出したのだ。
 死への恐怖。
 それは時として、身を守ることにも繋がる。
 だが、今のキョウには邪魔なだけだった。
「今じゃないと駄目なんだってば、早く出してよ」
 なんとなく演出家の気分にでも浸っていたのだろうか。キョウは苛立っていることを隠さず、九峪を促した。
「はあ、分かったよ」
 しぶしぶと頷き、九峪は紐を解き、鎧の締め付けを緩めた。注目を集めているのを恥ずかしく思いながら、鎧を脱ぐ。鎧の内側に貼り付けていた袋を剥ぎ取り、中から天魔鏡を取り出した。
「で、どうするんだ?」
「ま、九峪は黙って見ててよ」
 そう九峪の耳元でつぶやき、キョウは青髪の娘のほうを向いた。清瑞ではない。
「志野、ちょっと、この鏡を覗いてくれない?」
「え……」
 突然の言葉に、志野の反応が遅れる。
「おい、ちょっと待て、それって!」
「いいから、九峪は見ててくれたらいいんだから」
 キョウの発言の指し示すところは明らかだった。
 ──まさか、彼女が?
 そんな偶然があっても良いものなのだろうか。九峪は思わず、鏡を裏返しにする。
 伊万里もまた、キョウの言葉の意味を悟っていた。自分が経験したのが一昨夜。忘れられるはずがない。あの瞬間に、人生が一変したのだ。それと同じ状況に彼女はいる。天魔鏡の精の口ぶりを聞けば、すでに確信していることが分かる。鏡を覗くというのは確認にすぎない。手を腹の前で組む。血がざわめいていた。
「さ、早く、べつに害があるわけじゃないし」
「はあ」
 キョウが何を考えているのかは、志野には分からない。ただ、周りの人の空気が変わってしまったのは分かる。
 考えても仕方ない。九峪の前まで歩く。
「よし、って、九峪、鏡を表にしないと」
「あ、ああ」
 ためらいながらも、九峪は天魔鏡をひっくり返し、志野の顔の高さに合わせて掲げた。
「じゃあ、ぼくは鏡に戻るから、その後、覗いてみてよね」
 そう言って、キョウは鏡に消えた。残された志野は、キョウの言葉通り鏡を覗く。
 普通の鏡ではなかった。一目見れば分かる。精緻な装飾が施され、落ち着いた色彩は威厳すら感じる。そして、なんと言っても、鏡面。白拍子として、化粧する際に鏡を使うことはあったが、これほど磨きぬかれた鏡を見たことはなかった。顔がはっきりと映っている。
 しかし、鏡に映る顔は自分のものとは思えなかった。青白い肌に、赤黒い血の跡。子供が適当に化粧をしたように崩れている。だから──
「酷い顔……」
 そうつぶやいた。
「……清瑞、確認してくれるか?」
 志野の言葉を受け、九峪は重苦しい声で指示した。清瑞は一つ頷き、志野の後ろから鏡を覗き込む。そして、その場にひざまずいた。
「ご無礼をお許しください」
 清瑞の謝罪の言葉が事態を動かす。
 女乱波の行動に戸惑う志野に対し、鏡から飛び出たキョウはうれしそうに宣言する。
「まず、先にあらためて自己紹介をするね。ぼくはキョウ。この鏡──耶麻台国が神器の一つ天魔鏡の精霊。そして、鏡を持っているのが、耶麻台国再興のために神が遣わした者、つまりは神の御遣い」
「えっ!」
 志野はけっして鈍いほうではない。しかし、いきなり出てきた仰々しい名詞の羅列に動揺し、九峪とキョウの顔を交互に見る。
「あそこにいるのが、伊万里。耶麻台王家の血を引き、火魅子の資質を持っている」
「火魅子……」
 キョウの指差す先を見る。力のこもった瞳が印象的な同年代の女性がいた。
「そして、志野──」
 話の流れを感じ取ったのだろうか、志野は天魔鏡へと視線を戻す。
「──キミも火魅子の資質を持っている」
 キョウが外に出た鏡は何も映さない。




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