〜戦  雲〜


作・ゴーアル様


第六話 決意(その3)



 隠れ家から歩くこと半刻、太陽はすでに中天を越えていた。
 朝の冷え込みが嘘のように暖かい風が吹き、日一日と春が色を濃くしているのが肌で分かる。山にはさらに生命が芽吹き、獣が活動を盛んにしていく。人によって好きな季節は違うと言っても、倭だからこそ味わえる春の息吹を楽しまない者はいないだろう。
 ただ、気温が上がることは良いことばかりではない。暖かくなれば、体温も上がりやすくなり、汗を多くかく。汗をかけば、水分をほしがるのが、生き物だ。長時間の移動を強いられる人間にとっては、手放しで歓迎できるものではない。
 もっとも、この時代に生きる人間であれば問題はない。身体が長時間動くことを覚えているからだ。だが、ここに、一週間前にこの世界へと出現した十八歳の少年がいた。
 彼はシャツが汗で濡れているのにもかまわず、木によりかかり、腰を地面につけていた。手には水の入った竹筒を持っており、少しずつ何度かに分けて口に含んでいる。口元からこぼれた水を袖でぬぐい、大きく息をついた。息を吐けば、身体の力は抜けていく。しかし、その目には強い光があった。
 周りは木々の茂る林。木の皮と落ち葉、土のにおいが混じり、独特の香りを作り上げている。
 林の中にいるのは彼だけではなかった。
 十名以上の人間が思い思いに腰を下ろし、彼と同じように水を飲んでいた。とくに緊張している様子もなく、身体を休めることに専念している。林の中に限らず、歩くことに慣れた者の姿だった。
 並んで座っている女ふたりが彼──九峪のほうを見ていた。
「ねえ、上乃、九峪様のこと、どう思う?」
「……え!?」
 小声で話しかけられ、九峪を見ていながらも、内心は別のことを考えていた上乃は伊万里の突然の言葉に驚いた。彼女の知る限り、伊万里は自分から男の好みを話すような人間ではなかった。むしろ、話を向けられるのも嫌がっていたはず。思いがけない変化に戸惑いつつ、ともかくも答える。
「まあ、そんなに顔の作りは悪くないわね。でも、ちょっと男臭い感じがするから、あたしとしてはぎりぎり合格ってところだけど」
 嘘をつくような必要もないので正直に答えると、伊万里はきょとんとしたと思った瞬間、顔色を真っ赤にした。
「違う、そういうことじゃない」
「じゃあ、どういうこと?」
「私たちさっき、九峪様に平手打ちをしてしまったでしょ。怒っていらっしゃるんじゃないかと思うの」
 顔を赤くしてしまったことが恥ずかしいのか、さらに顔を赤くしている。上乃の知っているいつもの伊万里の姿だった。
「そりゃ、あたしたちの勘違いだったわけだし、怒っているんじゃない」
「やっぱりそうよね。謝らないといけないわ」
「でも、さっき、なんとなく場に流されて、謝る機会を逃しちゃった感じだし──今は声をかけにくい感じだし」
 ちらりと九峪の姿を見る。
 先ほどと同様木にもたれ、顔はうつむいている。どこか調子が悪いという感じではない。何かを必死で考えている、そんな印象だった。
「たしかにそうね、考え事をされているなら、邪魔をしてはいけないし」
 九峪を気遣う伊万里を見て、上乃は微笑を浮かべた。
 いつも自分よりも他人を優先する。かと思えば、信念を曲げるようなことは決して受け付けない。その辺りの線引きが難しく、ときに厄介な姉──いつもいっしょだった。
 ──今なら言えるかな?
 洞窟の中で感じた不安。それが上乃の元気な笑みを失わせていた。
「あのね、伊万里──」
 意を決して口を開いたとき、周囲の空気が変わった。
 辺りを見れば、乱波たちが膝立ちになり、いつでも動けるような体勢を取っていた。木にもたれていた九峪の側にもふたりほど男が近づき、背中にかばうようにして一方向を見つめている。伊万里と上乃の側にも乱波が近寄ってきた。
 乱波の動きを見ていれば何が起こっているのかは分かる。伊万里と上乃も膝立ちになり──
「帰った」
 抑揚のない声が林中に響き、声の主が現れたところで緊張が解ける。相手は先ほど、人の気配を感じるといって偵察に出た清瑞と桔梗だった。
「戦闘はなかったようじゃな」
 ひとり座ったままだった霧遊老が帰ってきたふたりに声をかける。
「ええ、探ってきただけですので──伊万里様、ご報告があります。こちらに来ていただけますか?」
「はい」
 伊万里がすっと立ち上がる。清瑞のほうへと近寄ろうと一歩、足を動かしたところで、
「上乃、どうしたの?」
 振り返り、膝立ちのままになっている上乃に声をかける。
「あ、うん、行くよ」
 のどから出そうになった言葉を飲み込み、上乃は笑顔を浮かべ、立ち上がる。視界の端では、九峪もゆっくりと腰を上げていた。




「強制連行……」
 九峪は、歴史の教科書で、何度も見たことのある単語を口からこぼした。
「そうだ。二百人ほどの男たちが縄を打たれ、狗根兵に連行されていた」
 答える清瑞は九峪の左隣に座っていた。椅子がなくなった以外は、隠れ家のときとそれぞれの位置は変わってはいない。一つ、違うのは、キョウがいない。九峪は天魔鏡を懐から出さなかった。
「おそらく、税の滞納が理由だろう。たしか今年は先々納を課していたはずだ。──ないものを払えるはずもないからな」
 先々納──つまり翌々年までの税を納めさせられているのだ。つまり、三年分の税を一度に要求されていることになる。これだけでも相当な負担ではあるが、三年分の税を払うということは、翌年とその次の年については税を払わなくても良いとも言える。あくまでも道理で言えば、である。実際は、そんなことは忘れたと言わんばかりに税を課すか、または別の人間が城主として赴任してきて、先の城主との約束は無効としてしまう。文句を言おうにも、相手には圧倒的な武力がある。泣き寝入りするしかなかった。
 歴史上、どこの国でも見られてきた状況である。有名な例を挙げるとすれば、古代ローマの属州統治だろうか。カエサルを暗殺したことで有名なマルクス・ブルータス──暗殺したのはデキウス・ブルータス(カエサル配下の名将)という別人だという説もある──は、属州総督となって、住民に十年分の税を前払いすることを要求している。これはブルータスが悪い人間であるということではなく、当時の属州総督ならば程度の差はあれ、だれでもやっていることだった。
「金や物で払えなければ、あとは身体で払うしかないということだ」
 清瑞の声に感傷はない。ただ、事実を述べている。
「身体でってことは、どっかで働かされるってことか」
「おそらく征西都督府でしょう。宮殿を作るために、毎年、何百人もの男が連れて行かれると聞いています。……帰ってきた人がいるという話は聞いたことがありませんが」
 声の震えを抑えるようにして、伊万里が話す。目には怒りの光が強くなっていた。
「男手がなくなるってことは、働き手がかけるってことになるから、連れて行かれた村や里は大変だって、城の市場で猪の肉を売っているときによく聞いたね」
 上乃は、やせこけた中年の女が野菜を売っていたのを思い出していた。夫は無事だろうかとつらそうに話すその姿は見ていて、苦しくなった。
 強い風が木々を揺らし、ざわめきが沈黙をかき乱す。
「助けましょう」
 ざわめきを吹き飛ばすほどに力強い声。伊万里の決意をはっきりと物語っている。
「清瑞、狗根兵の数はどのくらい?」
「二十二、全員が鎧を着込み、完全武装しています。不意をつけば、苦もなく倒せると思います」
「では、決まりですね。私たちは耶麻台国を復興させようというのです。目の前でつらい目にあっている人を助けなくてはなりません」
 伊万里の言葉は単純で明快であった。それだけに心を動かす力がある。
 乱波衆の反応も悪くない。好戦的な気配すら出し始めている。頭となった清瑞の言葉があれば、すぐさまにでも林の中を駆けぬけ、狗根兵を血祭りにあげるだろう。
 彼らは戦いたかった。
 里が襲われ、魔獣に家族が殺されている中を逃げたのだ。どれだけ、感情を抑える訓練をしたとしても、悔しさを失くすことはできない。家族が受けた苦しみを返したい。じりじりっと狂おしさが鎌首をもたげてくる。
 乱波の中で、平静さを保っているのは、背筋を伸ばして座っている桔梗、場を考えずに瞑想している霧遊老、そして、何も言わない九峪を疑念の目で見ている清瑞だけだった。
「九峪様、急いで助けましょう!」
 伊万里の言葉に答えず、九峪は目をつぶった。
「九峪様……?」
「まだ、決断するのは早い」
 思いもよらない言葉だった。
 敵はこちらよりは多いが、相手は気づいていない。先手を取り、奇襲をかければ一気に数を減らすことができる。いくら狗根兵が強いとはいえ、明らかに有利。確実に、九洲の民を助けることができるのだ。逡巡する理由はない。
「怖気づかれたというわけでもないでしょうに、圧政の犠牲になろうとしている人たちを見捨てるというのですか!」
 手厳しい糾弾に、九峪は目を開けて、伊万里を見た。
「助けて、それで終わりというわけにはいかないじゃないか」
「えっ……」
「伊万里の言うとおり、その人たちを縄からはずすことはできるかもしれない。でも、助けた後、その人たちはどうすればいいんだ? まさか、自分のいた村に帰るわけにもいかないだろうし」
 少し想像してみれば分かることだった。
 狗根国が逃亡した人間をそのまま放っておくわけがない。逃亡した罪をあがなわせるために、見せしめにするために徹底的に追跡するだろう。手を縛る縄がはずれても、幸せが来るわけではないのだ。
「そ、それは確かに、そうかもしれません。でも、征西都督府に連れて行かれて、帰ってきた人はいないんですよ。見捨てるわけにはいきません」
「分かってる。けど、後のことを考えずに助けるわけにはいかない。むしろ、酷なことになるかもしれないからな」
 助けられた瞬間、彼らは喜ぶだろう。自由になれたと。しかし、これから生きていく道がなければ、絶望するだけだ。絶望の隠し味は希望──そんな皮肉な結果にならないとも限らない。
「だったら、どうしたら良いって言うんです」
「それを考えているんだ」
 伊万里の顔には焦慮の色が見える。
 そんな顔をさせたいわけではない。しかし、ここは譲れなかった。
 ──逃げるわけにはいかない。
 逃げるように勧める伊雅に言った一言。自分が意地を張らなければ、伊雅は蛇渇から逃げ、生きていたかもしれない。何度考えても、答えの出るはずのない疑問。ただ一つ、言えることは後先を考えていない一言だったということだけだ。同じ轍を踏むわけにはいかない。
「考えるのはいいが、時間は限られている」
 清瑞の冷静な声が今は耳に心地よい。ちらりと視線を送る。
「二百人を連れて、狗根兵の目を引き付けずに逃げ切ることは無理だ。それだけは言っておく」
 助けた相手が足かせとなり、見捨てることになる──最悪の結末は避けなければならない。
 目を動かし、全員の顔を見る。清瑞は表情を崩さず、桔梗はわずかに笑みを残して視線を送ってきている。霧遊老は瞑想を続け、話を聞いているかも分からない。上乃は心配げに伊万里を見つめ、伊万里は視線を地面に落としていた。乱波たちは、口を一文字に結び、命令を待っている。そして、唯一の子供はしっかりと目を開いていた。
 ──神の遣い様、あのね……
 逃げるわけにはいかない──さっき、否定した言葉が頭をよぎる。それは決意。もう神の遣いを名乗ることからは逃げない。
 頭を二、三度、横に振る。
 大事なのは発想の転換、そして、自分が学んできたことを活かすこと。
 また、風が吹いた。林の香りが鼻に入ってくる。
 思い出すのは昨日の訓練。清瑞からは先の先を読むことを教えてもらった。相手の動きを予測し、ときに誘い、動かす。そして、勝利への道筋へと歩を進めていく──
「清瑞、二百人を助けたとして、狗根兵はどう動くと思う?」
 九峪の質問に、清瑞はしばらく考え込んだ。
「……この街道を使うということは、久指間城に連れて行くつもりなのだろう。あの足では夕刻に到着というところか。当然、今日、連行していくのは連絡しているはずだから、到着していなければ早馬を出し、国府城に知らせるはずだ」
「清瑞、砦を忘れているわ」
 桔梗が考え違いを指摘する。
「そうか、あったな。──砦までは歩いて一刻というところだから、到着が遅れることを考えても半刻立てば、早馬を国府城に走らせるだろう」
 ──ということは、敵に知られるまでは一刻半、つまり三時間ってとこか。
「砦の兵士が、探そうとすることはないのか?」
「可能性はあるが、脅威にはならん。砦の兵士は数も少なく、砦を空にするわけにもいかない。それに、兵士のほとんどが徴用された九洲の民だ。兵の質も低い」
「となると、やはり城の兵士が動くわけか……」
 早馬を邪魔すればもっと時間は稼げるかもしれない──そんな考えが頭をよぎるが、すぐに否定する。稼げるとしても一日か、二日。安全な場所まで逃げるには、十分な時間とはいえない。
 違う。
 逃げているだけではだめなのだ。二百人もの人間が生きていくには、それだけの食料が必要になる。
 発想を切り替えなければならない。
 助けた後、生きていくには生活する場を手に入れなければならない。
 ──国府城を落とすことができれば、一番か。
 逃げるのではなく、攻める──国府城の人口は二万人。それだけの城を相手にするには、数が少なすぎる。清瑞たちがどれだけ奮戦しても限界はある。
 ──国府城……そういえば。
 朝の会話を思い出す。
「なあ、古いほうの国府城は、ここからだとどのくらいかかるんだ?」
「旧国府城跡か、すぐそこの街道を東に半刻というところだ」
「時間は大丈夫か……そこは隠れるくらいのことはできそうか?」
「崩れているところも多いが、城壁はまだ残っていたはずだ。……何を考えている?」
 質問を重ねる九峪を、清瑞はいぶかしげに見る。
 九峪は腕を組み、目をつぶった。これまでに得た情報を整理し、ゆっくりと吟味していく。こちらの使える戦力と予想される相手の行動。頭の中に地図を描き、そこで状況を動かす。
 形は出来上がった──目を開ける。
「一つ、策らしきものが浮かんだだけだ」
「策だと」
「ああ、説明するから、穴があったら遠慮なく言ってくれ」
 正直、今のままでは思いつきに過ぎない。
 九峪はゆっくりと一つずつ、自分の考えを説明していく。時折、清瑞や桔梗、伊万里から質問や指摘を受け、それに答えながら、考えをさらに深める。
 他人の意見を受け止めつつ、自身の意見を述べる九峪の姿は、いつしか場の中心となっていた。
 ──男子が成長するのに、三日もいらんということかな。
 霧遊老はいつしか瞑想を止め、興味深そうに九峪を見ていた。
 幾度か意見を交わし、九峪の思いつきはひとまず策といえるほどに練られていた。
「少し見通しの立っていないところがあるが、それは仕方ないな」
 九峪はこみ上げる苦笑を抑える。いかにも清瑞らしい承諾の言葉だった。
「伊万里もこれでいいかな?」
「は、はい、問題ないと思います」
「よし」
 パンッと手を打ち合わせる。小気味良い拍子に場の雰囲気が変わり、心地よい緊張感が辺りをつつんだ。
「じゃあ、動くか」
 九峪の声を合図に皆が立ち上がり、下ろしていた荷物を身につけていく。
 自分も準備をしようと、九峪は手を地面に突いて立ち上がろうとした──が、昨日からの酷使に抗議するように、足がもつれ、身体を地面に寝かせようとする。中途半端に立ち上がっていたこともあり、勢いよく後ろに倒れる──
 背中を支えられた。
「何をしている?」
「いや、ちょっと、足がもつれて」
 べつに言い訳をする必要もないのだが、口調は言い訳をするときのものになっている。
「ふん、軟弱者が」
「ありがと──よっと」
 反動をつけて体勢を立て直す。足も少し機嫌を直したらしく、何とか身体を支えてくれた。
「ん、なんだ?」
 振り返ると、清瑞がにらみつけるようにして、見ていた。しばらく、無言で見詰め合った後、清瑞はきびすを返し、伊万里の元へと歩いていった。
「また、なんかまずいことしたかな」
 特に思い当たることもなく、自分の身を顧みるのはこれまでの情けなさを自覚しているからだろう。
 ──まずは奇襲か。
 連行されている人たちを助けなければならない。そこから全てが始まる。
 九峪は木々に隠れた空を見上げた。 






 太陽は中天を超え、勢力を強めている。
 国府城から久指間城へ東西に伸びる街道。左右を林に囲まれ、季節もよく、本来ならば都市と都市を結ぶ主要道としてにぎわっていなければならないはずだったが、道行く人はいない。
 辺境で北部に比べ、人口はたしかに少ないが、十万以上の人間が住んでいるのだ。往来が途絶えるはずがない。そう、本来ならば。
 狗根国の圧政はあるべき活気さえも奪っていた。
 土地を体、道路を血管にたとえるならば、人の流れは血液である。人が土地を動くことによって、社会は発展し、経済は活性化する。しかし、狗根国に重税を課され、人々の懐には自由に物を買える金はほとんどない。生活に必須な物を買うだけで精一杯だった。物が売れないところに商人が来るはずもない。
 街道のさびれは地域の衰退を見事に表していた。
 その人気のない街道に、西のほうから足音が響いてきた。
 薄汚れた服を着た男たちが横に四列に並び、それが縦に五十列ほど続いている。男たちの手には縄が打たれ、その縄は横の人間の手も縛っている。重そうに足を動かし、顔はうつむき、元気というよりも生気がない。老け込む歳には見えないが、雰囲気は生きることに疲れた老人のそれであった。
 隊列の後ろでは荷馬車が車輪を回している。
 力なく歩く男たちの周りには、土色の鎧で身を固め、手には槍を持った兵士が、ともすれば足を止めそうになる男たちをせかしていた。
「ほら、とっとと歩け!」
「今日の夕刻には久指間城につかねばならんのだぞ!」
「足を止めるな!」
 兵士たちの怒号が各所で響く。彼らは男たちの列を囲むようにして配置されている。外からの襲撃ではなく、内からの反抗を防ぐための陣形。彼らに与えられた役目は護送ではなく、連行であった。
 当然である。
 この九洲の地で彼らに正面きって歯向かおうとする者がいるはずがないのだ。九洲の支配者──それが彼ら、狗根兵であった。
 列の右側を歩いている兵士が前の同僚に声をかけた。
「ったく、つまんねえ、仕事だよなあ」
「まあ、そういうな。給料はもらってるんだからな。楽な仕事は歓迎すべきだろ」
「ふん、狗根国から出てもう五年だぞ。それが、こんな手柄も立てられないような辺境に回されちまってよ。たいした出世もできずに、国に帰るなんて、情けないと思わねえのか?」
 槍でこんこんと兜を叩きつつ、ぼやく。
「それはそうだが、考えても見ろ。俺たち以外の兵士は、ほとんど当てもない人探しをしてるんだぞ。あいつらに比べたら、ずいぶんましだろう?」
「そりゃあ、そうだけどよ。……そういや、聞いたか? その逃げている男と女ってのは、左道士総監が取り逃がしたらしいんだってよ」
「ああ、それで相馬様が、貸しを作ろうとやっきになってるって言うんだろ?」
 事実は違う。相馬は白拍子に命を狙われたことについては戒厳令をしいていた。理由は部下に侮られるのを避けるためである。女にうつつを抜かした挙句、命を狙われたことはさすがに恥ずかしかったらしい。しかし、人の口に戸は立てられない。戒厳令と噂がせめぎあった結果、兵士の言うような話が広まっていた。
 後ろを歩く兵士が声を弾ませる。
「好機だよな」
「何が?」
「考えても見ろよ。左道士総監に貸しを作れるってのは大事だぞ。もし、そいつらを見つけて捕らえることができたら、大手柄だぞ。褒美も弾んでくれるだろうよ」
「……相馬様がそんなに気前がいいとは思わんが、可能性はあるか」
「だろう? 俺が帰ってくるまで捕まるんじゃねえぞ。俺の手柄になってくれ!」
 身勝手といえば身勝手な言葉だが、前を行く兵士にも気持ちは分かった。
 狗根国が九洲を制圧して十五年、小さな反乱も起こらなくなり、手柄を立てる機会が激減した。戦場だからこそ、槍一本で出世をしていくことができる。平穏は一兵士にとっては、ただこき使われているだけのつらい期間でしかなかった。
「左道士総監の手を逃れたんだ。そう簡単には捕まらんだろうよ。それにもしかしたら、連行している最中に見つかるかもしれんぞ」
「ああ、そう──」
「ん、どうした?」
 声が途切れたのを不審に思って、振り返ると、同僚が倒れていた。額に矢が突き刺さっている。
「な、敵襲──」
 声を上げようとした瞬間、右腕に激痛が走った。刺さっているのは矢。反射的に放たれた方向を振り返り──風を切り、矢が額を貫いた。



「なんだ?」
「どうしたんだ?」
 縄を打たれていた男たちが臆病そうに口々に言い合う。
 突然のことだった。
 風切り音がしたと思ったら、次々と狗根兵が矢の餌食となり倒れていったのである。戸惑うのも当然であった。
 状況が分からず、呆然としていると左右の林の中から人が出てきた。手には弓を持ち、黒装束の者が多い。正体不明の集団は迷いもなく、男たちに近づいてきて、懐から小刀を取り出した。
 害されるのではないかと、体をすくませるが、刃が彼らを傷つけることはなかった。有無を言わさず、手を取り、縄を切っていく。作業はすみやかに進んでいき、たいした時間もかからずに、全員の拘束が解かれた。
 少なくとも傷つけるつもりはないらしい。だが、目的が分からない。自分たちを助けても、得をするとは思えない。
 疑問と不安だけが膨れ上がっていく中、見たことのない青い服を着た若者が声を出した。
「突然のことで、みんな驚いていると思う。我々は狗根国を九洲から追い出そうと戦う者だ。説明しなければならないことは多くあるが、こんな目立つところでは話もできない。我々についてきてほしい」
 見も知らぬ若者──二十歳にもなっていないように見える──の言葉に納得できたとしたら、よほどの能天気者である。しかも、具体的なことは何も説明されてはいない。
 しかし、男たちは若者の声に従った。
 理由はいくつかある。
 若者の側にいる者たちが、只者には見えなかったこと。実際に縄をはずしてくれたこと。そして、何よりも、彼らには現状に歯向かうだけの気力がなかった。
 手を挙げた栗色の髪をした女性の先導に従い、男たちは林に向かって歩き始めた。



「……とりあえず、第一段階は何とかなったか」
 顔をしかめ、九峪はつぶやいた。
「当然だ。この程度のことで、失敗するほどたるんだ訓練はしていない」
「まあ、そうなんだろうな」
 ただ事実を述べているだけと言わんばかりな口調。その自信にあふれた態度は、心の底でくすぶる不安を押さえつけるのに役立つ。しかし、九峪の顔は晴れない。
 眉をひそめ、辺りを見渡す。
 二百人の男が林の中に消えた後、街道の上に残ったのは二十あまりの死体。矢や棒手裏剣が突き刺さり、血が流れ地面を赤く染めている。自分たちが殺した兵士たち。
 九峪の視線を追った清瑞が口を開いた。
「死体と地面についた血痕の処理や、やつらから剥ぎ取った武具も運ぶのはすでに任せてある。正規兵が使っている武具はさすがにしっかりしているからな。たいした損傷もなく手に入れられたのはありがたい。それに荷馬車のほうには一食分が用意されていたようだ」
「……ああ、そうだな」
 清瑞は九峪が血痕を気にしていると考えていた。地面にそんなものがあれば、誰かが街道を通ったときに不審がる。そのまま、国府城の狗根兵に報告されでもしたら、計算が狂う。できるだけ、時間は稼いでおかなければならない。当然、考慮すべき事柄だった。
 しかし、九峪が顔色を悪くしているのは別の理由だった。
 今回の作戦は九峪が立案し、実行を決定した。九峪自身は矢も射ず、棒手裏剣を投げてもいない。その手はまだ血にぬれてはいない。だが、結局は同じことだ。殺人の命令を出したのは自分──九峪は自身の責任を認識していた。
 音谷の里でキョウに尋ねたことがある。
 ──話し合いでなんとかならないのか?
 キョウの答えは辛らつだった。
 ──九峪は考えが甘すぎるね。無理に決まってるじゃないか。いい? 相手は圧倒的に強くて、九洲の支配者なんだ。弱い相手の言い分なんて、聞くはずがないんだ。そりゃ、最終的にどうなるかは、分からないよ。もしかしたら、交渉で決着がつくかもしれない。でもね、それは前提として、こっちが十分な力を持っていることが必要なんだ。ここは、法律という決まりごとによって動く世界じゃない。力で語るんだ。もう一度、言うけど、九峪は認識が甘すぎる。
 一刀両断──確かに甘すぎた。
 左道士の奇襲により、里は滅び、親は娘を売る。それが現実。どれだけ言葉を尽くそうとも、力なき言葉に意味はない。だから、殺しあうという道を選ぶしかない。九峪にはガンジーのような強い信念はなかった。
 頭では分かっていても、現実を見れば、覚悟も揺らぐ。
 街道に転がる、自分たちが殺した狗根兵の死体。
 殺人という行為を恐れ、戦争という言葉を忌避するという点では、九峪は正しく日本人であった。
 清瑞には、そんな九峪の考え方が分からない。
 敵を倒した──ただ、それだけのこと。悩むようなことではない。でなければ、自分が死ぬかもしれないのだから。清瑞の思考は簡単で、迷いがない。
 ふたりの違いは、生きてきた世界の違いだった。
 しかし、今、世界は一つ──
「じゃあ、俺たちも行くか」
「ああ」
 後始末をする乱波を残し、九峪たちも林の中へと入っていった。



 突然のざわめき、影は耳を澄ませた。
 統一性のない足音。
 訓練された集団ではない。声はないが、百人は超えていることは間違いない。
 辺りを見回す。
 時は侵食をもたらし、堅牢な城壁も今はもろさが目立つ。もちろん、人ひとりでどうにかできるようなものではないが、堅牢という言葉は似合わない。
 陥落し、敵によって焼き払われた城。数年間、立ち入りが禁止されいつしか記憶の中へとしまわれた街。思いかなわず死に、故郷を焼き払われた人々の魂がさまようとも言われている。
 このような場所に大勢の人間がやってくる理由が分からない。
 ──とにかく、隠れなければ。
 自分にはやることがある。人目につかないところでなければならない理由がある。
 男は瓦礫の裏に身を潜めた。



 旧国府城跡──城壁はぼろぼろに傷つき、苔やつるが全体を覆おうとしている。一言で表すならば、廃墟。かつて、人が住んでいたことを思わせるだけに余計にもの悲しさがかき立てられる。
 十四年近く前に捨てられた城。
 城壁の中に入れば、そこには寂しさしかない。城を焼いた炎のすさまじさを物語るように、城壁の内側や家の石組みは黒いすすで汚れている。焼けた土塀は風雨に流され、わずかに後を残すだけ。
 大通りであったのであろう道を進むと宮殿跡がある。
 宮殿はしっかりとした石造りだったようで、炎に舐められた後もしっかりと形を残している。十四年前にはあったであろう威風も威容も影しかないが、雨露をしのぐには十分すぎるほどの建物だった。
 その廃墟手前の宮殿に、足音が響いていた。
 すでに人が踏まなくなって久しい石畳を男が二百人、歩いていく。その足取りは重く、颯爽とした感じはない。どこか、迷っているようにも見える。
 男たちの足が止まった。
 先導していた女たちが男たちに向かって、座るように指示する。わけが分からないまま、廃墟に連れて来られ、男たちは不安が爆発する寸前まで膨れ上がっていた。
「ちょっと、雰囲気が悪いね」
 青色の髪をした女──上乃がとなりにいる伊万里に小声で話しかけた。
「当然よ。縄を打たれ、狗根兵に連行されているところを、いきなり助け出されても、戸惑うだけでしょうし、もしかしたら、助けられたとも思っていないかもしれない」
「……それは、仕方ないか」
「ええ、だから、これから説明しないと、──九峪様」
 ふたりが話しているところに、清瑞を伴って九峪が近づいてきた。
「殿(しんがり)お疲れ様でした」
「ああ、すんなりここまでこれてよかったよ。……これからが一仕事だけどな」
 横を向けば、不審をありありと表情に出した男たち。当然の反応であるが、彼らに事情を説明し、協力を得なければならない。骨が折れる仕事になるのは間違いないが、その思いを表情に出すわけにはいかない。無理やりにでも笑みを浮かべる。
「さて、始めないとな」
 気合を入れた九峪は男たちのほうを振り向こうとして、清瑞の姿が目に入った。わずかだが緊張感が面に出ている。
「どうかしたか、清瑞」
「いや、……気にするな。こちらで手を打つ」
 九峪に向けられた視線が一瞬、ずれる。
 言葉の内容は穏当なものではなかった。明らかに問題が起こっていることを指し示している。九峪は眉をひそめた。
「気にするなと言っている。問題はない。それよりもやることがあるだろう」
「ああ、そうだな」
 気をつけなければならないことならば、清瑞は気をつけろと言うだろう。たしかに九峪のやるべきことは決まっていた。
 一歩、足を前に進める。
 うろんな目つきをし、薄汚れた服を着た男たちの注目が一気に集まる。
 これだけの人の前で話すのはいつ以来だろうか。
 水泳の競技会では、これ以上の人の前に出たことはあるが、話したわけではない。スタートする前は人の目など気にならない。気になるとすれば、となりのスタート台に上っている相手選手。スタートしてしまえば、あとは自分ひとりの世界。ただ、力を出し切ればいい。
 人前で話すこととはまるで違う。
 会話の延長線上というわけでもない。人の目には力がある。相手を人と思わなければ気にすることではないのかもしれないが、それでは意味がない。聴衆の前で話すにはより強く自分の主張を伝えなければならないからだ。相手が人でなければ意味がない。
 ──緊張するよな。
 気持ちを落ち着けるようにして、全体を見回す。
 座っている男たちの年齢には幅があるようだったが、働き盛りであることは共通している。ただ、その気配は疲れきっていて、一見すれば老けているように見える。心が沈んでいるということなのだろう。
 乱波たちは奇襲の後始末のために、ここにはいない。
 ──あれ? 桔梗さんとじいさんがいない。
 奇襲のあと、男たちを旧国府城に連れてくるときには、伊万里と上乃の側にいたはずだ。首を回し、清瑞の顔を見る。その顔に変化はない。
 先ほどの言葉はこのことを指していたのかもしれない。
 ゆっくりと胸いっぱいに空気を吸い込み、ゆっくりと吐く。やるべきことは変わりない。
 背後には伊万里と上乃がついている。
 乾きそうになる口の中を唾液で湿らせ、九峪は口を開いた。
「まず、いきなりここまで着いてきてくれたことに感謝する。ありがとう」
 言葉と共に軽く頭を下げる。
 男たちの反応はほとんどないが、伊万里と上乃は驚きの表情を浮かべ、清瑞は眉をひそめた。彼女らの反応は九峪からは見えない。
「俺の名は九峪、耶麻台国八柱神が一柱、天の火矛によって遣わされた神の遣いだ」
 ざわめきがゆっくりと広がっていく。好意的なものではない。ほとんどが、うさんくさいものを見るような目つきだ。
 ──おっさんがいれば……
 外見は説得力に直結する。
 たとえ同じ言葉であっても、その人の外見、雰囲気によって言葉の持つ重みはまるで変わってしまう。九峪のような若造の言葉が軽く聞こえてしまうのは仕方がないことだった。
 もし、傍らに重厚な気配を持つ人物がいれば、九峪の若さを補えるのかもしれない。しかし、背後を固めるのは少女の域からようやく脱したばかりの女ばかり。その美しさは人を魅了するが、この場で役立つものではない。
 ──利用できるものは利用しないとな。
 足りないものは補えばよい。人で駄目ならば、別のもので。
 九峪は懐に手を入れ、天魔鏡を取り出し、頭上に掲げた。
「これは、天魔鏡。耶麻台国の神器だ」
 力を込めた言葉が発せられ、鏡が光った。
 薄暗い部屋を太陽よりも鮮烈に照らし、影すら消し去る。あまりのまぶしさに男たちは目を覆った。
 そして、光が収まったとき、鏡の前に奇妙な人形が浮かんでいた。
「なんだ?」
 思わずこぼれる呆けたような声。彼らにとって、魔獣は身近な存在であっても、精霊を見たことはない。
「我は天魔鏡の精、キョウ。耶麻台王家の血を守護し、九洲の繁栄のために存在せしもの」
 いつものむやみに明るい声は鳴りを潜め、落ち着いた深みのある響きへと変わっている。鏡は光を失わず、うっすらと精霊を照らし、後光のようにその姿を浮かび上がらしていた。
「今、九洲は狗根国の暴虐により、苦しめられている。だが耶麻台の神々は九洲の民を見捨てはしない。こうして神の遣いを送ってくださった」
 精霊の声に誘導されるように、男たちは青い服を着た若者に視線を向けた。その目には先ほどとは違い、熱っぽいものが含まれている。
 神威。
 彼らは悪く言えば単純、よく言えば純粋だった。
 限度を過ぎた重税を払えず、身柄を拘束された。連行される先は、誰も帰って来たことがないと言われる地獄。
 助けてくれ。だれか救ってくれ──現実に絶望すればするほど、心中の願望は膨らんでいく。
 そして、助けは来たのだ。
 それも神が遣わした救いの手。彼らの気持ちは一気に昂ぶった。
 九峪は鏡を下げ、口を開いた。
「なぜ、もっと早く助けてくれないのか、そう思う者もいると思う。はっきり言って、神々は厳しい。結局、人は人の手でしか救われない。ただ、手助けはしてくれる。そのために俺が遣わされた」
 男たちの反応はさっきまでとはまるで違う。九峪の言葉にうなずき、心もち前に身を乗り出している。たしかな熱気が部屋に満ちようとしていた。
 この機を逃さぬよう九峪は伊万里に顔を向けた。九峪の視線に気づき、伊万里は一瞬の逡巡の後、しっかりとうなずいて、一歩前に出た。
 九峪は男たち一人ひとりの顔を覚えるように、ゆっくりと見回し、伊万里を手で指し示した。
「彼女は、伊万里。耶麻台王家に連なり、火魅子となる資質を持つ女性だ」
 一瞬の沈黙のあと、熱気が一気に渦巻いた。



 ──火魅子となる資質を持つ女性だ。
 若者の声が響いた。
 信じられない言葉。
 男は思わず奥歯をかみ締めた。
 おかしな集団だとは最初から思っていた。二百人程度の男とそれを先導する女たちと老人。あとから来た青い妙な服を来た男と明らかに日常生活では着ない黒装束の女。
 これだけ妙な要素を兼ね備えた集団が廃墟にやってきた。
 その理由を探らなければならない。
 見たところ、狗根兵ではないようだ。
 征西都督府支配下の九洲では狗根兵のいないところで、多数の人間が集まることは禁じられている。不穏な動きを未然に防ぐためだ。となれば、この集団は征西都督府に含むものがあると考えるのが妥当だ。
 見過ごすことができるような問題ではない。
 物陰に隠れたまま、隙間から覗き込み、一言も聞き漏らさぬよう耳を澄ました。
 青服の若者が男たちに向かって話し出す。
 ──神の遣い。
 なんと大きなほらを吹く若者がいるものだと思い、あきれた。そして、わずかな時間であきれは驚きに変わった。
 二百人以上が入ってもまだ余裕が十分にある部屋を光が満たした。
 懐から取り出した鏡を、若者は天魔鏡と呼んだ。
 聞いたことがある名前だった。耶麻台国の神器の中でももっとも有名な物の一つ。彼が直接、命令を受ける女性から教えられたことだった。
 もしかしたら何かの細工があるのかもしれないが、あの鏡が天魔鏡であることを否定する要素はない。
 そして、本当に天魔鏡であるならば──火魅子となる資質を持つ女性──この言葉にも真実味が出てくる。
 ──急ぎ報告しなければ。
 とりあえず、相手の正体らしきものは分かった。神の遣いに火魅子の資質を持つ女性を名乗っておきながら、狗根国に味方するということはありえない。
 これ以上の対応は男の裁量を大きく逸脱している。報告をし、判断を仰がなければならない。
 後ろに一歩足を下げ、振り返ろうとした──
「動くんじゃないぞ」
 ぼそっとつぶやくような声。明らかに老人のものであったが、こめられている威圧感は並大抵のものではない。鼓膜が震えた瞬間、男の体は硬直していた。
「他に仲間はいないようですわ」
 もう一つの声は、暖かみのある女性のものだった。
「うむ、ご苦労。──おまえさんにはしばらく黙っておいてもらう。良いな」
 本当ならば振り返りざまに一撃をくらわせ、逃げ出したいところだが、背後を取られている上に、相手にはまるで隙がない。黙りこむしかなかった。




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