〜戦  雲〜


作・ゴーアル様


第六話 決意(その1)



 冷たい空気に満たされた空間。
 湿気があり、地面はしっとりとした土。壁は黒い岩で、湿気のせいかまるで乾いていない。所々に生えた苔は静かに息づいている。
 空気が動いた。
 闇の中でわずかに聞こえる何かがこすれるような音。
 音の主はゆっくりと動いている。
 立てかけられていた板が押され、さえぎられていた明かりが差し込む。空間の中が薄明るく照らされ、闇が薄まる。
 明かりは音の主も照らした。
 女だ。
 鴉の濡れ羽のような黒髪が薄明かりの中にしっとりと浮かび上がる。 鴉の濡れ羽のような黒髪が薄明かりの中にしっとりと浮かび上がる。
 板を横にずらした手。肌は白いが、指は細くない。
 働く者の手だ。
 女は板から手を離し、外へと出た。
 朝の冷え込みに耐えるようにたたずむ木々。葉は心なし元気が無く縮んでいるように見える。
 春が来ても、寒さがすぐに消えるというわけではない。
 空にはまだ夜の気配が残っており、日の出はまだのようだ。
 ただ、あと一刻もすれば暖かい日差しが降り注ぎ、春の陽気をもたらしてくれる。
 生命が眠りから覚める春。
 澄み切った空気を胸いっぱいに吸い込んだ女は下を向き、自分の姿を確認する。
 酷い格好だった。
 高価な服ではないが、おそらくはしっかりと洗濯されていたであろう着物は袖のほかいたるところでほつれ、泥まみれになっている。
 深いため息。
 汚れていても当然だった。
 太陽が沈み行き、夜の闇が迫る中、道なき道を走りぬけたのだ。
 後ろを振り向く。
 洞窟が大きな穴を開けていた。
 中には共に山を駆けた仲間たちがいる。
 誰かが追ってくるはず──その思いも未だかなわない。
 もう一度、空を見上げる。
「あなた……」
 女の口からこぼれた言葉は朝の静けさに消えていく。
 東の空に日が昇り始めた。





 寝起きは、その日の調子に大きく影響する。
 悪夢にうなされ、気持ちの悪い汗にまみれて起きるのと、健やかに眠り、窓から差し込む光を浴びて起きるのとではまるで違う。
 一日の始まり、それが寝起き。
 鳥の鳴き声を目覚まし代わりに起きる。
 寝起きの中でも最高の状況の一つかもしれない。
 耳に心地よく、短い高音が途切れなく耳に入って、沈んだ意識を現実へと浮かび上がらせる。自然で、緩やか、それでいてスーッと鮮やかに色がついていく。
 最高だ。
 しかし、そこに冷たい言葉とともに、腹部への肘打ちが追加されたら、どうなるだろう。
 ──こうなるんだよ。
 地上に姿を見せた太陽の日差しを浴び、耶麻台国の神の遣いは、腹を押さえてうずくまっていた。
「起きろと言っただろう」
 冷たい言葉と肘打ちの実行者は、これまた冷たい視線で新たな一日が始まった男を見下ろしていた。
「……腹を殴る必要はないだろうが」
「起きないやつが悪い。私が何度も声をかけたことは、伊万里様たちが証言してくださる」
 九峪が横に目をやると、空洞の外に出て、火を起こしていた伊万里と上乃が驚きの表情でこちらを見ていた。
「本当?」
「え、ええ、確かに声をかけていましたけど」
 九峪の声に驚きから覚めた伊万里が、戸惑いながらも答えを返した。上乃はまだ目を丸くしている。
「伊万里様の言葉だ。分かっただろう、私に非は無い。悪いのはおまえだ」
「起きないからって、腹を殴る必要があるとは言えないだろ」
「肘打ちをして起きたのだ。目標達成に効果的な手段だったことは明白だ」
「……手段を選べよ」
 ぼやきながら、九峪は体を起こす。右手は変わらず腹を押さえていた。
「ん、どうした、伊万里、上乃?」
「い、いえ」
「九峪は……じゃなくて、九峪様は神の御遣いなんだよね」
「ああ──そうだけど」
「それにしては、清瑞の態度がずさんなんだけど」
「それは清瑞の本性──いや、なんでもない」
 視界外から冷たく痛い視線を感じて、九峪は言葉を濁した。振り向くと、眉間にわずかにしわを寄せた清瑞がいた。
「言いたいことは、はっきりと言ったらどうだ」
「なんでもないって言っただろ」
「ほぉ、つまり、これからも寝起きが悪ければ、実力行使に出てもかまわんということだな」
「……おまえ、解釈が飛躍しすぎてるぞ」
「解釈とは人それぞれだ」
「一般的って言葉を知らないのか?」
「そんな言葉で、自分の判断をあやふやにすることはできん」
 言葉の応酬。
 空洞の中ということで、声が響く。
 九峪の顔は次第に紅潮していくのに対し、清瑞の表情は冷静という言葉をそのまま表しているかのようにまったく変わらない。
 一方、伊万里たちは、初めて見る神の遣いと乱波の言い合いにぽかんとしていた。
「ねえ、伊万里、これって漫才ってやつ?」
「喧嘩ではないみたいだけど」
 ふたりが戸惑うのも当然だった。
 九峪は神の御遣い。
 この世界では、神々がすぐ間近に息づいている。
 神々は奇跡を起こし、ときには災厄をももたらす。
 人は神々を敬い、恐れ、祈りを捧げる。
 決して逆らってはならない存在、それが神々なのだ。
 その神によって遣わされた御遣いを、肘打ちでたたき起こすなど、彼女らの常識をはるかに超えていた。さらに驚くのは、九峪がそれほど怒っていないことだ。文句は言っているが、それ以上のことはない。叱りつけているわけでもない。そこに上下関係というものは形式でしか存在していない。
 神の御遣いという名を考えれば、ありえない会話。
「でもさ、仲は悪くないみたいね」
「それは……ちょっとまだ分からないわ」
 伊万里の言葉の正しさを証明するかのように、九峪と清瑞の会話はだんだんと激しさを増していた。もともと高度な議論ではなかったが、いつの間にやら、子供の喧嘩以外の何物でもなくなってきている。
 伊万里と上乃は顔を見合わせ、同時に笑みを浮かべた。
 敬うべき存在──今や伊万里もそちら側の人間だった。
 耶麻台王家に連なり、火魅子の素質を持つ娘。
 九洲の民ならば、誰もが平伏しなければならない。敬語を使うのは当然、本来ならば直答も許されない。一般庶民とは隔絶した相手。伊万里と上乃の間には高くて厚い壁がある──はずだった。
 しかし、目の前の光景を見ていれば、壁が薄い布のように思える。
 少なくとも、この場で心配することではない。ふたりの中にあった漠然とした不安が薄れていくような気がした。
 焚き火の燃える音が聞こえ、香ばしい匂いが伊万里の嗅覚を刺激した。
「おふたりとも、そろそろこちらに来ていただけませんか? 魚が焼けましたので」
 伊万里の呼びかけに、ようやくふたりは不毛な会話を止めた。
 清瑞は平然と、九峪は恥ずかしさをごまかすように頬を掻きながら、岩が折り重なってできた空洞から出てきた。
「みっともないところを見せちゃったな」
「いえ、かまいません。こちらにお座りください」
 焚き火の周りには人の頭ほどもある石が四つ並べられている。伊万里は立ち上がり、その内の一つを指し示した。
「ありがとう」
 九峪は腰を下ろすと、目の前の焚き火に注目した。
 焚き火の周りには魚を貫いた竹串が八本、突き刺されており、魚が照り焼きにされている。魚の皮が焼け、脂身がジュジュッと溶ける音。そろそろ食べごろのようだ。
 すぐ側を流れる川のせせらぎをちらりと見る。
「なあ、この魚、いつ獲ったんだ?」
「ついさっきですよ、やはり朝は何かを食べておきませんと」
「ちょっと冷たかったけどね〜」
 石に腰を下ろした伊万里と上乃がさも当然そうに答える。
 しかし、九峪は忸怩たるものを感じていた。
 ついさっき魚を獲った──つまり、自分が寝ている間に朝飯の用意をしてくれていたのだ。確かに少々乱暴に起こされても仕方なかった。
 ──でも、やっぱ肘打ちはやりすぎな気がするけど。
 苦笑が浮かぶ。
「どうしました?」
「いや、のんきに寝てて悪かったなと思って」
「そんな、神の遣い様に食事の用意などさせられません。ゆっくり、お休みになっていただければ、それで良いのです」
 生真面目な表情のまま伊万里が言う。心の底からそう考えていることが伝わってくる。
 九峪はいよいよ苦笑の色を濃くし、
「神の遣いだからって、さぼれるような状態じゃないし、そんなことだと、また殴られるから」
 清瑞へと視線を送る。
「ふん、分かっているようだな」
「……少しは否定しろよ──と、それはともかく、俺にできることはしないとな」
 ──何ができるかって言われると困るけど。
 実際、魚を獲るのを手伝えるかというと、かなり疑問だった。音谷の里でも、結局、魚は獲れなかった──
 また、胸がじくりと痛む。
 その痛みは伊万里には分からない。
「ですが、神の遣い様に……」
「あ、それから神の遣い様って言うのは止めてくれないか」
「でも」
「神の遣いって言っても、神様じゃないんだから」
 九峪が言葉を重ねるが、伊万里は美しい眉にしわを寄せて、悩んでいる。彼女の生真面目な性格がそうさせるのだろう。
 もう一押しが必要だと感じた九峪は、伊万里に気づかれないように上乃に向けて目配せをした。
 最初は意味が分からず戸惑っていた上乃だったが、九峪の視線が伊万里と自分とを往復していることに気づき、意図を悟る。パチッとかわいらしく目配せを返し、伊万里の肩を叩いた。
「もう、伊万里、九峪様がああ言ってるんだからいいじゃない」
「守るべき節度というものがあるでしょ?」
「それって、あたしは『伊万里様』って呼ばないといけないってこと? 伊万里がそう言うんなら仕方ないけど」
 傷ついたようにうつむく上乃に、伊万里は慌てて妹の肩をつかんで言い募る。
「なっ! その呼び方は止めてって、昨日、言ったじゃない!」
「でも、伊万里は九峪様を神の遣い様って呼ぶんでしょ」
「だって、名前で呼ぶなんて恐れ多い……」
「だから、九峪様自身がいいって言ってるんだから」
 なかなか納得しない伊万里に、上乃は苛立つ。
 ──ほんっとうに融通が利かないんだから!
 いつもは微笑ましく思える生真面目さも、いまは厄介以外の何物でもない。上乃がさらに言い募ろうとして、
「魚が焦げるぞ」
 清瑞の冷静な声が絶妙な間で、場を展開させる。
「あっ、本当だ。もう、伊万里がさっさと納得しないからよ。これからは、名前で呼ぶこと、いいよね、『伊万里様』」
「うっ……分かりました。だから、その呼び方は止めて」
 伊万里は観念したように肩をすくめ、魚の刺さっている串を抜いて九峪へと差し出した。
「どうぞ、お食べになってください……九峪様」
「ありがとう、伊万里。──いただきます」
 渡された魚にほおばりつく。塩も無く、まったく味付けはされていないが、魚そのものの旨みが口の中に広がる。
「美味いなあ、この魚」
 本当においしそうに食べる九峪を見て、伊万里の口から言葉がこぼれる。
「……九峪様って全然、偉そうじゃないですよね」
「たしかに威厳なんてかけらもないな」
 九峪はまた苦笑した。
 言われなくてもはっきりと自覚している。神の遣いとは名ばかり、ほんの一週間前まではただの高校生でしかなかった。いや、今でもなにも変わっていない。ただ、別の世界から来たというだけ。
 伊雅の姿を思い出す。
 無骨でありながらも優しげな風貌をした武人。
 ただ立っているだけでも周囲に安定感をもたらす、確立された人格。
 そして、戦場では烈火のごとく剣を振るう。
 戦乱の世に求められる指導者としての資格を持っていたように思う。
 ひるがえって自分を見てみればどうだろう。威厳がないのは仕方ない。だが、何かできるのだろうか。
 昨晩の自問の答えはまだ出てはいない。
 焦げた皮の苦味が口の中に広がる。
 一方、伊万里は九峪の苦笑の意味を勘違いしたのか、首を横に振る。
「いえ、そうではなくて、神の遣いであられるのに、どうしてこんなに腰が低いのかなと」
「そうかな、けっこう言いたいことは言ってるけど」
「言い方のことです」
「う〜ん、たしかに言っている内容が同じでも、言い方だけでずいぶん印象は変わっちゃうもんね〜」
 要は神の遣いらしくないということだろう。
 無論、伊万里と上乃が別の神の遣いに会ったことがあるわけではないが、神の遣いと聞いて思い浮かぶ姿はある。荘厳な雰囲気を身にまとい、難しい言葉を並べ立て、自然の摂理であるかのように、命を下す。
 しかし、昨日の出会いから、さっきの清瑞との言い合い、伊万里との会話と、九峪には偉ぶる雰囲気が無い。青年と少年の境目にある歳相応の態度だった。
 それが嫌だというわけではない。むしろ好ましく思える。ただ疑問だった。
「四人しかいないのにかっこつけても仕方ないだろ」
「かっこつけてもって、そういう問題ですか」
 伊万里はごまかすような言葉に納得していなかったが、それ以上疑問を重ねることは無かった。
 たわいの無い話を続けながら、食事を終えると、これからどう行動するかに話は移っていった。
「それじゃあ、キョウを呼ぶか」
 九峪は懐から鏡を取り出し、ポンポンッと叩いた。いつものように鏡が光り、天魔鏡の精が姿を現す。
「やあっ……て、九峪、ぼくの扱いがだんだんと悪くなってない」
「気のせいだ」
「でも、鏡を叩くだけってさあ」
「問題ないだろ」
 そっけない九峪の言葉に、キョウは周りを見渡した。
「ああっ、焼き魚を食べてたんだね! ぼくの分は!?」
「ない」
「うう、精霊差別だあ」
 大げさに落ち込むキョウを見て、伊万里が慌てる。相手は耶麻台国の神器の精なのだ。
「キョウ様、申し訳ありません。精霊が魚を食べるとは思いませんでしたので」
「精霊だってお腹はすくんだよ。まあ、食べないからって死んじゃうわけでもないけどさ。あ、朝食はもういいからね」
「……分かりました。次からは必ず用意させていただきます」
 伊万里の言葉に、キョウは満足そうに大きくうなずいた。
「うんうん、食は心を豊かにするからね。それにしても、伊万里は九峪とは違って、ちゃんと礼儀ってものを知っているよね。──さすがは、火魅子の資質を持っているだけのことはあるね」
 伊万里の顔に戸惑いの色が浮かび、そのまま固まった。
 にこやかに言葉をつむぐキョウの目に悪意はない。あるとしたら打算だろう。
 ポカッとキョウは小さな頭を小突かれた。
「いたっ、何するのさ、九峪」
「あざとすぎる」
 キョウが振り返ると、九峪の太い眉が中央に寄せられ、思いっきりガンをつけられていた。キョウは小さな額を手で掻きながら、
「な、何のことかな」
「おまえが腹黒すぎるってことさ」
「腹黒いって、あのね、ぼくは天魔鏡の精なんだよ。もう少し、敬いの心を見せてくれても──」
「話をそらすな」
 少し茶色がかった瞳はまっすぐにキョウを見つめ、離れることは無い。
「いや、だってさ、仕方ないじゃないか。伊万里はずっと山人の娘として暮らしてきたんだし、日ごろから王族としての自覚を高めていかないと、必要なときに王族としての振る舞いはできないんだから」
「少しは気持ちのほうも考えろ」
「そんな余裕はないんだよ。神の遣いである九峪と火魅子の資質を持つ伊万里を旗印にして復興をするしかないんだから」
「って言ったって、まだ復興の計画も立ててないんだぞ」
「だからさ、やれることからやっておかないとね」
 まるで悪びれないキョウに、九峪は首を絞めようと手を伸ばそうとした──
「九峪様、かまいませんから」
 伊万里は静かな笑みを浮かべて、九峪を止めた。
「それよりも、これからどうするかです。耶麻台国復興のためにしなければならないことは多いのですから」
「……まあ、それはそうか。で、キョウには何か考えがあるのか?」
 ジロリとにらみつけ、決して納得していないことを伝える。
「う、にらまなくてもいいじゃないか……ふう、とにかく、ぼくたちだけじゃあ復興はできない。仲間を増やして、復興への核を作らなくちゃだめだね。その上で、でっかい烽火(のろし)を上げるんだ」
「具体的には?」
「烽火としてはどこかの城を落とすのが一番だね。砦を一つ、二つ落としても、征西都督府を揺るがすことはできない。狗根国の衝撃も大きいだろうし、九州の民に与える印象も段違いになる。神の遣いと火魅子に率いられた軍勢が城を解放した──こんな知らせが九洲全土を駆け巡っていくんだ」
「ちょっと楽天的すぎる気がするけど、まあ、それは置いておくとして、ここから一番、近い街はどこになるんだ?」
 視線を清瑞に向けると、女乱波は考えるそぶりも見せず答える。
「国府城だな。ここからだと西に歩いて一刻といったところか。人口は二万人程度、千人あまりの兵士が駐留している。この付近の中心というべき城だ」
 清瑞に続いて、伊万里と上乃も発言する。彼女らは、いつか狗根国を打倒する戦いに加わるのだと、近くの村や里、そして国府城のことを調べていた。現状は加わるのではなく、起こすことになったのだが、長年の努力が役に立つときがきたことは間違いない。
「私は狩りの獲物を売りに行ったことがありますが、昼間は近隣の村や里の人間も市場で野菜や肉などを売るために集まるので、かなりにぎやかですね。兵士の姿もよく見かけました」
「ちょっと気は抜けてるみたいだったけど、やっぱり戦い慣れてる気はしたねえ。一対一なら負ける気はしなかったけど……、あと、城主の相馬はかなり嫌われているね。かなりのスケベだって話だし、村や里から若い娘を献上させていることもあって、恨まれていると言ってもいいんじゃないかな」
 どうやら物語によく出てくる権力者のようだ。ただし、強欲だからと言って、無能というわけではないだろう。むしろ、そのような搾取をするだけの力があると見るべきだ。
「その国府城の城壁はどんな感じなんだ?」
 九洲における城とは城郭都市のことを指す。つまり、街全体が城壁に覆われており、それを城と呼ぶのだ。現代の日本には見られなかった都市構造であり、例外としては戦国時代、北条氏の小田原城が挙げられるぐらいだろう。一方、各交通拠点を守るために置かれた城砦は砦と呼ばれ、各重要拠点に置かれてはいるが、その地域における最重要拠点は城自体であるため、耶麻台国滅亡から十五年たった今では、それほど重要視はされていない。
 九峪が城壁と言われて思い起こすのは、熊本城の石垣だ。身の丈をはるかに越える石壁と、きれいにはめ合わされた大きな石が重ねあわされている姿は圧巻だった。さすがは城作りの名人と呼ばれた加藤清正が築城しただけのことはある。もっとも、実際に作ったのは清正おかかえの安太衆(あのうしゅう)──近江から連れて来た石工──だったのではあるが、築城に清正の経験が生かされていることは間違いない。武者返しと呼ばれる、裾がゆるやかで上に行くほど垂直になる独特の組み方は、優美さと共に高い防御力を持っている。城攻めなど簡単にできるものではないと納得せざるを得ない威風だった。
 この時代の城壁が、どのようなものなのか九峪には分からない。まだ、見たことがないからだ。となれば、聞くしかない。
 九峪の質問を受けて、伊万里が軽く小首をかしげた。
「九峪様は、国府城にいらっしゃったことはないのですか?」
「ああ、何せ、この世界に来たのは一週間前のことだから」
「そうなのですか──城壁のことでしたね。多くの石が積み重ねられていて、高さは私の背丈の五倍(約8M)というところだと思います。今の城壁はたしか十年ほど前に作られたものなので、しっかりとした作りになっていて、簡単に壊れるようなものではありません」
「まあ、四人でどうこうできるものでもないか。城に入り込むのは簡単にできるのかな?」
「城門のところに兵士がいますので、何の用事もなく入ることはできません。といっても、鳥や猪の肉を市場で売るためなど、目的がはっきりしていれば、入城を拒否されることはまずありません。ただ、入城のときに割り札を渡され、夕方になれば追い出されてしまいます」
「でも、とりあえず、中に入ることはできるのか」
 少人数なりの利点を活かすなら、城内への侵入だろう。城壁は突破すればいいのであり、破壊する必要はない。九峪があごに手を当て、視線を焚き火に止めて考えていると、清瑞が冷たい視線を走らせた。
「一つ言っておくが、侵入ができただけではどうしようもない。やろうと思えば、城主の暗殺くらいはできるだろうが、それだけで城を解放することは無理だ」
「それはそうか、……ところで、城壁は十年ほど前に作られたって言ってたけど」
 火の揺らめきから視線をはずし、伊万里へと移す。
「ええ、正確には十二年前、私が七歳のころでした。ちょうど、そのころにこの地にたどり着き、里を作ったのでよく覚えています。じつは、城壁だけでなく、現在の国府城自体が十二年前に作られたものなのです」
 伊万里は一度、言葉を切り、清瑞と目を合わせた。清瑞が乱波であることはすでに知っている。ならば、情報の提供は彼女の仕事となる。そう考えて、説明を譲ろうとしたのだが、清瑞は横に小さく首を振り、頭を下げた。彼女なりの気の使い方なのかもしれない。深みのある青髪が揺れるのを視界に収めながら、再び口を開いた。
「十五年前、耶麻台国の都、耶牟原城は狗根軍により陥落しました。国王、副王ともに討死、耶麻台国は滅亡しました」
 清瑞の肩がピクッと動いた。
 ──伊万里たちには、まだ、音谷の里のことは話してなかったな。
 気遣わしげに視線を送る九峪だったが、彼自身完全に立ち直れているわけではない。
「ですが、そこで、耶麻台国の勢力が全て瓦解したわけではないのです。耶麻台軍もまだ部隊としては残っていましたし、各地の豪族も健在でした。それぞれ狗根国に反抗したのですが、狗根軍の迅速な動きに一つひとつ、つぶされていきました。中には狗根国に服属した者たちもいます」
「ふ〜ん、詳しいんだな」
「父……あの男に教えてもらいましたから……」
 伊万里の眉毛がすっと下を向く。上乃の咎めるような視線が、九峪に注がれる。
「あっ、悪い」
「いえ、……話を続けます。狗根軍の勢いはすさまじく、耶牟原城陥落からわずか一年で、一つの城を残し、九州全土を平定しました。その城が国府城、ある意味、耶麻台国の真の終焉の地と言えるかもしれません。国府城にこもった人たちは頑強に抵抗し、半年の間、篭城を続けましたが、ついに力尽きました。そして、狗根国は住民を追い出し、城に火をかけました。見せしめということなのでしょう。その後、しばらくして、離れた場所に城が建てられました。それが今の国府城です」
 伊万里は鳥が飛んでいる北西の空を指した。
「それまでの国府城は、この方向にあります」
「なるほど、じゃあ、この辺りの人たちは狗根国への恨みが強いのかな?」
 もしそうなら動きやすくなる。少なくとも狗根国に味方する人間ばかりではどうしようもない──と、そこまで考えて、自分の立場に気づいた。このようなこと、清瑞や伊万里、上乃には自然と分かっていることだろう。実際に暮らして感じていることなのだから。しかし、九峪には分からない。
 音谷の里が襲われたことへの恨み、それははっきりと持っている。ただ、九峪の中では、狗根国への恨みよりも、情けない自分への悔しさが優っていた。
 悩む九峪の肩をキョウが叩いた。
「そりゃそうさ、親から受け継いだ家を焼かれたんだからね。それに、かつて最後まで狗根国に抗った城を解放する。復興への弾みもつくってもんだよ」
「さっき、清瑞が四人じゃ無理だって、言ったの聞いてただろ」
「もちろん、分かってるさ。何かの手立てを考えないといけないよね。それで聞きたいんだけど、伊万里たちには耶麻台国復興に加わってくれそうな人に心当たりは無い?」
 九峪にあるわけがないので、キョウは女性たちをくるっと見回す。伊万里と上乃は顔を見合わせ、ふたりとも首を振った。
「近くの里に行ったことはあるし、それなりに親しいけど、狗根国と戦って、って言って参加してくれるかどうかは自信ないなあ、ね、伊万里」
「ええ、この辺りの人たちはたしかに狗根国を恨んではいますけど、それ以上に恐れてもいます。ただ誘っただけではとても手伝ってくれるとは思えないです」
 ふたりの否定的な意見にキョウはわずかに目を細めるが、過剰な期待は持っていなかったのだろう、そのまま清瑞のほうに向き直る。
「清瑞はどう?」
「……いくつか、心当たりはあります」
「ほんと!?」
 もしかしたら、伊雅が渡りをつけていた反抗組織と連絡が取れるのかもしれない。キョウの期待が膨らむ。
「ただ、その前に行っておきたいところがあります。そこに着いてからのほうが、説明が二度手間にならなくてよいと思いますので」
「行きたいところ?」
 キョウが首をかしげる。少なくともキョウには心当たりはない。九峪がパンッと打ち合わせた。
「そういえば、あの髑髏頭から逃げているとき、あてがあるって言ってたよな。そこのことか?」
「ああ、そうだ」
 清瑞が側に落ちていた小枝を拾い、焚き火の中に放った。
「音谷の里の隠れ家だ」
 小枝が落ち、火の粉が散る。
「隠れ家、ってことは!」
 九峪の目が大きく開き、太い眉毛が反りを作る。だれもいないところに行っても意味がない。わざわざ向かうということは──
「何人、抜け出せたかは分からないが、全滅ということはないはず──行ってみる価値はあると思います」
 最後の言葉はキョウに向けられていた。これはキョウにとっても望むところである。音谷の里の生き残りならば、何よりの力になる。信頼できる仲間は何人でもほしい。
「じゃあ、とりあえず、そうしようか」
 キョウは胸の前で手を組み、うなずいた。もちろん、九峪にも異論はない。今すぐにでもと立ち上がる。
「あの──」
 人ごみの中で置いていかれた子供がだすような声。振り向くと、伊万里と上乃が困ったような顔で九峪たちを見ていた。
「音谷の里って、何のことでしょうか?」
「……清瑞」
 自分が話してもいいものか迷い、清瑞を見ると、
「道中で話せばいいだろう」
 無愛想な表情のまま、土を手に取り、焚き火にかけ、焚き火の跡を消していく。そのしぐさにまるで動揺はない。昨日から、里のことを話題に出しても、態度が変わることはない。では、仲間の死にもまったく傷つくことのない冷血女なのか?
 違う。
 彼女ははっきりと言った。仇を討つ、と──
 仲間の死を露ほども思わない人間ならば、言葉にも乗せないであろう一言。口調は変わらないまでも、言葉のうちに秘められていた決意を九峪はなんとなしに感じ取っていた。
 彼女のあり方が良いことなのか、それとも悪いことなのかは分からない。九峪は清瑞ではないし、意思が通じるほどの仲であるはずもない。せいぜいが一週間程度の付き合いでしかない。
 思えば、まともに会話をしたのは昨日が初めてだった。
 ──そんな俺が、良いだの、悪いだの、言えないか……
 いっしょに窮地をしのいだ仲間だと連帯感のようなものを感じていたが、簡単に切れる細い糸のような関係でしかないことを実感する。
 手で頬を叩く。
 今は、音谷の里の隠れ家が優先だ。
 だれが生き残っているかは分からない。でも、だれかが生き残っていてほしい。
「それじゃあ、行こうか」
 昨日のことだけでも、十五年前に滅亡した一国を復興することがどれだけ大変なのかは十分に分かる。その困難に共に挑もうとする仲間の顔を一つひとつしっかりと心に刻んだ。
 清瑞は反応を返すことなく、伊万里ははっきりとうなずき、上乃はウンウンとにこやかに笑った。刀と荷物を持ち、移動を始める。
 後に残るのは、わずかに残る焚き火の音と──
「九峪、ぼくのことを忘れてない〜」
 すっかり視界の外に置かれていたキョウ。
「もう、まださっきのこと根に持ってるの〜 そんなんじゃ、女の子にもてないよ〜」
 風にたなびく木々の音と鳥の鳴き声に混じり、天魔鏡の精のお気楽な声が九洲の森に響いた。





「そのようなことがあったのですか」
 急な坂道を登りながら、伊万里は沈うつそうにつぶやいた。
 清瑞の話は衝撃的なものだった。
 足が重く感じる。焚き火をしていた地点からはまだ半刻しか歩いてはいない。いくら山道だとはいっても、山人として暮らしてきた伊万里にとってはたいした距離ではない。それでも疲れを感じるほど、話の内容が重かった。
 音谷の里はかつて耶麻台の乱波衆であった響衆が作り上げ、狗根国との戦いに備えていた場所。伊万里の里とは覚悟が違う。耶麻台復興のために征西都督府だけでなく、旧出面、吉備王国、狗根本国にも諜報の手を伸ばしていたという。復興のための力をしっかりと蓄えようとしていたのだ。
 そして、伊雅がいた。
 耶麻台副王、耶麻台随一の将軍であった武人の名は伊万里も知っていた。耶牟原城陥落時に城と共に死んだという狗根国の見解とは別に、副王は生き延びているという噂も耳にしていた。あの方が生きていらっしゃれば、いつか必ず平穏な生活が戻ってくる──年上の人間と話しているときには良く聴かされたものだった。
 伊万里自身は噂は噂として、もし本当に生きていらっしゃるならばうれしいという程度にしか思っていなかった。耶牟原城陥落のときはまだ四歳、伊雅の活躍を実感できる年齢ではない。ただ、趙次郎や村の大人たちの話を聞く限りは、頼りになり、とても強い武人という印象だった。
 噂は本当だった。伊雅は生きていた。生きて、まだ戦うことを諦めていなかった。そして──死んだ。
「では、伊雅様はおふたりをかばって……」
「そうなります」
 答えるのは先頭を歩く清瑞、受け答えにためらいはない。話の始めのほうでは、九峪と清瑞が交互に話していたのだが、いつのまにか、九峪の声は聞こえなくなっていた。振り向くと、九峪は辛そうに地面を見ながら、足を進めている。額には汗が浮かび、体に無駄な力が入っている。上乃のように口に出すことはないが、情けない、とは確かに思う。
 前を向くと、清瑞の髪が心地よい風に揺れていた。
「そして、里を襲ったのは、左道士総監ですか……」
「ええ、そうです。襲ってきたのが、蛇渇でさえなければ、伊雅様が遅れを取るようなことはなかったはず。運が悪かったではすまされない、狗根国の力です」
 軍を動かす際に、必要なだけの戦力を送る。それが狗根国の強さ。今回は左道士が動いたわけだが、狗根国を一貫する精神は失われてはいない。
「ねえ、左道士総監、蛇渇って何?」
 上乃が頬に人差し指を当てながら、かわいらしく首をかしげる。話の流れからして、神の御遣いと清瑞を助けたときにいた化け物のことだとは分かる。しかし、左道士総監、蛇渇──名前からして仰々しいものを感じるが、上乃の知識に答えはない。
 べつに上乃が勉強不足というわけではない。九洲の民ならば、とくに九洲南部に住んでいる者にとっては、蛇渇という名は知らない人間のほうが多いのだ。
 狗根国の武力といって思い浮かぶのは、強力な軍隊、左道士、そして左道士によって召還される魔人、魔獣──大別すると、これらの三つに分類される。一番、怖がられているのは、常に身近に存在する軍隊、その次には、行商人や旅人が襲われることのある魔獣。じつは左道士や魔人といった存在はその力の割には順位が低い。もちろん、侮っているわけではない。というよりも、魔人に会えば誰もが死を覚悟する。言ってしまえば、程度の差でしかないわけだが、この順位には理由がある。
 人間、身近にある恐怖こそ身構える。核兵器よりも拳銃のほうが怖い心理といえば例えになるだろうか。魔人や左道士は尋常ならざる力を持っている。持ってはいるが、出会うことはないといっても良い。とくに辺境地域ではそうだ。だからこそ、狗根国の人間といわれて思い出す名前は、氷貴将軍、帖佐であり、飛燕将軍、鋼雷である。
 蛇渇の名はない。一定以上の高さの地位にあるものならば、知らぬものを探すほうが難しいのだが、民間での知名度は低かった。これには征西都督府長官補佐として着任してから日が浅いということも理由に挙げられるが、それはともかく上乃の疑問は不思議なものではなかった。
「左道士総監、つまり左道士の頭ということよ」
「いや、それは分かってるって、でも、夜だったからはっきりと見えたわけじゃなかったけど、あいつの頭、髑髏だった。左道士っていっても人間だよね」
 左道士に関する知識については、上乃は九峪とそれほど変わらないようだ。それは伊万里も同じである。キョウが鏡に引っ込んでいる中、唯一、狗根国の内情にも詳しい清瑞が答えるしかない。
「やつは魔界の泉の力を得て、さらに強力な左道士となった。その結果、いや、代償なのかもしれないが、あの姿になったらしい。やつをただの左道士と考えるのは危険だ。魔人そのものと考えても、間違いではない」
「ふ〜ん、昨日、清瑞があんなに話したがらなかったのは、それが理由なの?」
「ああ、この辺りの人間で、蛇渇の名を知っているのは不自然だ。詳しい話をすれば、厄介ごとに巻き込む可能性があった」
「なるほどね」
 根に持っていたわけではないが、納得したのだろう。一房にまとめた髪を揺らしながら、上乃は素直にうなずき、さらに口を開いた。
「それで、強いの?」
 一目見ただけでも、禍々しさは十分に伝わってきたが、向かい合ったわけではない。本当の怖さはまだ分からなかった。上乃も無邪気に尋ねたわけではない。狗根国と戦うということは、いずれその左道士と戦うことになるかもしれないのだ。声には真剣な響きがこもっている。
 清瑞が立ち止まった。
 上乃へと振り返るその視線は今朝から変わらないように見える。しかし、眼差しに込められている力に上乃だけでなく、伊万里もたじろいだ。
「強いよ」
 答えは後ろから返ってきた。
 振り返ると、膝に手をついた九峪の姿がある。疲れを隠せない神の遣いは、反動をつけ上半身を伸ばす。汗が散った。
「伊雅のおっさんが負けたんだ。弱いはずがない」
 のどの渇きにも関係なく、声には自然と力がこもる。
「おっさんはさ、魔獣を八頭も一瞬で倒したんだ。もちろん、炎の剣の力もあったんだろうけど」
「天の火矛ですか」
 話す九峪の目にわずかに圧倒されるのを感じながら、伊万里は有名な剣の名を口にした。
「知ってるんだ?」
「ええ、伊雅様の愛剣、幾多の魔を切り裂きし神剣だと」
「神剣か……たしかにその呼び方はしっくり来るな。炎の竜巻が魔獣を飲み込んだときには、ただ見つめるしかなかった。圧倒的な力だと思った。このおっさんが負けるはずがないと思ったよ」
 うつむきそうになる目線を正面に向け続ける。視界の中にいるのは、真剣に話を聞いている伊万里と上乃、そして、ただ見つめている清瑞──
「だけど、相手は化け物だった。いま思い出しても震えが来る。それでも、おっさんなら大丈夫だって思ったんだけどな……」
「……ごめん」
 上乃が清瑞のほうへ振り返って、頭を下げた。
「なにも謝ることはない。もう少しだ、行くぞ」
 女乱波はまるで表情を変えることなく、山道を登り始めた。上乃の肩を叩き、伊万里も足を前に出す。上乃は叩かれた肩に手を置き、苦い顔のまま一度、目をつぶり、また歩き始めた。
 前が進めば、後ろも続かなければならない。
 伊万里の目から見れば、まだまだなのだろうが、少しは山歩きに慣れてきた九峪もまた足を動かす。体がだんだんと山に適応していることに満足と戸惑いを感じる。まだ、どこかに九洲という世界を信じたくない気持ちが残っているのかもしれない。
 ──現代を忘れていないって思えば、いいことなのかもな。
 現代に帰るため──それが神の遣いを名乗ることを了承し、耶麻台国を復興させる理由。でも、いまはそれだけではない。伊雅たちから託されたものを背負っていることを体が分かっている。
 上乃と伊万里の背中の向こうに見える清瑞。さっき立ち止まったのは、きっと苛立ちだろう。
 自分の中の多くを占める人を軽視するような響きを、上乃の発言に感じてしまった。上乃に悪意はない。伊雅について、名は聞いたことがあっても、話したことも会ったこともないのだ。伊雅が負ける、そのことの大きさが分からない。しかし、清瑞にとっては問われるまでもないこと。だから、いらついた。
 表情には出てはいなかったが、九峪には分かった。なぜなら、九峪も同じような思いに駆られたから。
 先ほどの会話以来、だれも言葉を発しない。
 それでも音が耐えることはない。
 空にはトンビが飛び、甲高い鳴き声を響かせ、風は木々を揺らす。木々が開けたところから見える対面の山には山桜の彩りが見え、すぐ横にも巨木が倒れ、葉のカーテンが途切れ、日が差し込む地面に花が芽吹こうとしている。生命が溢れる場所で、音がなくなることはありえない。
 動こうと、生きようとしているのだ。そこに音は生まれる。
 茂みの深いところまで来て、先頭を歩いていた清瑞の足が止まった。遅れて、伊万里、上乃も足を止め、九峪は戸惑う。
 影が飛び出した。
 ただまっすぐ、清瑞へと襲い掛かる。清瑞が刀を抜くよりも早く、懐へと飛び込み、手を取った。反射的に後ろに引こうとする動きを利用して、足を刈り、後ろに倒す。よどみない動きで、そのまま清瑞へと乗りかかり、首に手を当てた──
「キヨちゃん?」
 影から言葉がこぼれた。いや、もう影ではない。木漏れ日が影の姿を明らかにしていた。
 突然の襲撃に固まっていた九峪の目がパッと見開かれた。
 女だ。きれいな黒髪が一房にまとめられ、背中に流れている。着ている服はほつれ、ところどころ破れているが、たしかに覚えがある。彼女の顔は驚きのまま固まっていた。
「桔梗姉さん」
 清瑞は無表情なまま相手の名を呼んだ。




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