〜戦  雲〜


作・ゴーアル様


第五話 思いは届かず(その3)



 里の夜は静かだった。
 部屋の外からは何も聞こえてこない。
 ただ、二人の呼吸音が聞こえてくるだけ。
 ――眠れないなあ。
 清瑞の思いがけない一言で、少しは気も楽になったが、神経の興奮が収まらず、眠気がこない。昼間の訓練、里からの逃亡、体は疲れきっているのに、ただ頭だけが冴えている。
 寝なければ、明日がつらいのも分かってはいるのだが。
 ――明日か……何をすればいいんだろうな。
 これまではいつかに備えて鍛錬と勉強をしておけば良かった。だが、その『いつか』が来てしまったのに、何をすればいいのかが分からない。
 意味のないことをしてきたのではないと思うが、力不足であることは否めなかった。
 復興のスタート地点を見失ったような気がする。
 伊雅には復興への道筋が見えていたのだろうか。少なくともやらなければならないことは分かっていただろう。伊雅に見えていたものが九峪には見えない。
 それは、伊雅には見えなかったものが九峪には見えるということかもしれない。
 そう思い込めれば楽にはなるだろうが、現時点で見えないことのほうが多すぎる事実を無視することはできない。
 一人でやらなければならないということはない。
 清瑞もいれば、キョウもいる。
 少なくとも目の前に刀がきらめいているわけではないのだ。ゆっくりと考える時間はあるはず。結局、明日は話し合いから始めるしかない。それに、もしかしたらこの里でも仲間ができるかもしれない。窮地を助けてくれた伊万里と上乃は共に戦ってくれそうな気もする。また、あの里長は耶麻台国の武将だったという。味方になってくれれば大きな力になるに違いない。
 九峪は里長――趙次郎に伊雅に似た雰囲気を感じていた。耶麻台国の武将として戦っていた経験が独特の空気を作り出している。もっとも同じではない。
 伊雅は四十を越えた壮年であるにも関わらず、どこか良い意味での子供のような雰囲気があった。耶麻台国復興についても妄執ではなく、決意や覚悟という清々しいものを感じた。
 一方、趙次郎にはどこか執着を感じる。里を預かる責任をおっているからかもしれない。経験をつんだ大人らしいと言えばそうなのだろうが。
 一瞬、仲間が集まらなければ良いという思いが九峪の頭の中に浮かんだ。
 たった三人では何もできない。それは十分な言い訳になる。しかし、仲間ができてしまえば、行動しなければならない。道なき道を歩く恐怖。一歩先には深い穴が待ち受けているかもしれない……
 ――バカッ! 何を考えているんだ。伊雅のおっさんは何のために命を賭けたんだ!
 頭を細かく横に振った。
 取り留めない思考。
 最後に出てくる情けない思い。
 後ろ向きな考え方に嫌気が差す。
「起きているのか」
「あ、ああ、悪い起こしたか」
 九峪の声には答えず、清瑞は上半身を起こし、何かを探るように目を閉じた。
「気づいているか?」
「気づく?」
 清瑞が何のことを言っているか分からなかったが、とりあえず周囲を見回す。部屋の中には変わったところはない。意識したことがあるとすれば――
「静かだなとは思うけど」
 清瑞がちらりと視線を送った。
「その通りだ。静かだ。ただし、自然な静けさではない。作られた静けさだ。……抜け出すぞ」
「抜け出すって、この里をか?」
「それ以外にないだろう」
 はずしていた肩当をつけながら清瑞は答えるが、決定的な言葉はない。
「……誰かが襲ってくるってことだよな。もしかして、この里の人たちがか?」
「あの趙次郎という男、わたしの服装をじっくりと見ていた。おそらく、わたしが乱波であることに気づいたのだろう。おまえには教えていなかったかもしれないが、狗根国は耶麻台国の残党には賞金をかけている。賞金に目がくらんで襲ってくるということは十分に考えられる。それに左道士に追われていたとなれば、賞金も高額になると思っても無理はない」
「歓迎してくれたのも油断させるためだってことか……」
「全てを疑う――乱波の心得だ」
 それは悲しい言葉ではないかと思うが、今はそんなことを言っているときではない。九峪はたたんで横においておいた上着と天魔鏡の入った袋を身につける。さらに荷物と刀を手に取った。
「戦闘に入った場合は逃げることを優先しろ。こんなところで何人殺そうとも意味がないからな」
 殺す――清瑞はこともなげに言うが、誰にとってもというわけではない。とくに九峪はまだまだ平和な日本に生まれ育った。殺す、殺人とはテレビの中のこと。となりの町での殺人事件ですら、遠く感じてしまう。が、今は九洲。圧倒的な現実はすでに理解していた。
「ああ、そうする」
「できる限り、音は立てるな」
 九峪はうなずいて、了解の意を表した。
 外に出るのならば、わざわざ戸のほうから出なければならない、ということはない。清瑞は木窓に近寄り、外を確認するために、そっと板を押し上げようとしたそのとき、トントンっと小さく音がした。
 清瑞はパッと振り返り、引き戸をにらみつける。
「九峪さん、清瑞さん、起きていらっしゃいますか?」
 小声が聞こえてきた。
 聞き覚えのある声に九峪と清瑞は目を合わせ、共にうなずいた。
 引き戸に近寄り、音を立てないようにゆっくりと開けた。
「伊万里、どうしたんだ?」
 予想通りの女性――となりには上乃もいる。どちらも腰に刀を差していた。
 伊万里は目を動かして、九峪と清瑞の姿をさっと見た。
「逃げ出す準備をしている……気づかれましたか……、でしたら話は早い。私たちに着いて来てください。里の外までご案内しますので」
「ほら、早く!」
 薄闇が伊万里や上乃の表情を隠しているが、小声ながらも声ははっきりしていた。
「里の者たちが私たちを襲おうとしている。この判断に間違いはないのだな」
「清瑞さん……、ええ、その通りです」
「でもっ、あたしたちは違うからね!」
 伊万里の落ち着いた声と、上乃の語気を強めた声。対照的でありながらもふたりの気持ちは通じ合っている。
「あなた方を襲おうとしているのは私たちの仲間、いえ家族です。信じてほしいなどとは言ってはならないのかもしれない。でも、わたしは、あなた方をこの里に連れてきた。その責任を果たします」
 ただ真正面からの言葉は気持ちよく、力強いものだった。
 信念、そして気高ささえ感じさせる口調。
「俺たちは二人に助けられたんだ。信じないわけないだろ」
 九峪は清瑞に視線を送った。
「……急がなければならない」
 無愛想な女乱波は伊万里に向かってうなずいた。
「私と上乃が先頭を行きますから」
 廊下は暗い上に板の張りが甘くなっていて、どれだけゆっくりと体重を移してもミシミシと鳴ってしまう。九峪以外の三人はまるで苦にしてはいないが、ただ一人の男は音を小さくするので精一杯だった。
 床のきしむ音だけが響く中、先頭を行く伊万里は迷うことなく進んでいく。
 それほど大きな家ではない。すぐに裏手口と思われるところに着いた。
「履き物はこちらです」
 伊万里は影に隠してあった九峪のシューズと清瑞の履き物をふたりに差し出した。ふたりが履き終わるのを待って、伊万里は戸を開けた。
 屋敷の外は山の上ということもあり、かなり冷え込んでいた。風はほとんどない。月はすでに中天を越えている。とはいえ、里に入ってからまだ二刻も経ってはいない。
「行きましょう」
 月明かりが伊万里の顔を照らす。決意に満ちた表情だったが、清瑞は動こうとはしなかった。
「……気づかれていたようだ」
「え?」
 上乃が戸惑いの声をこぼし、意味を察した伊万里はわずかに腰を落として、周囲を探る。
 動きを止めたことに気づいたのだろう。
 静寂の里に大地を歩く音が生まれる。
 月の光によって生まれた建物の影から次々と影が分裂していく。
 新たな影は二十程度。
 小さな里だ。伊万里には月明かりの下であっても、全員の見分けがつく。幼いころから面倒を見てくれた男たちが、厳しい目をして自分たちを囲んでいる。そして――
「父上……」
 こぼれたのは伊万里の声。彼女の正面にある人影は趙次郎だった。



「ちょっと! これは何のまね!」
 上乃が目じりを上げて、父親をにらみつける。
「上乃、そやつらは耶麻台国の残党で逃亡者だ。罪人を通報するのは、里の長としてのわしの務めだ。おまえもわしの娘ならば手伝わんか!」
 罪人を通報する――たしかに里長としての役目である。しかし、それは狗根国に従う里であったらの話。伊万里と上乃は信じられないものを見る目で父親を見た。
「なんてことを! 父上は元耶麻台国の武将ではありませんか!!」
 伊万里が叫ぶ。
「そんな昔のことは忘れた。今のわしは山人の里の村長だ。この村と仲間を守る義務がある」
「何を! いつか狗根国の暴虐を打ち払うと言って私に剣の使い方を教えてくれたではありませんか!? それがなぜ?」
「……耶麻台国が滅亡してから十五年、すでに夢を見ていられる時間は終わったのだ。里を守らねばならん。罪人を引き渡せば、報奨金が入るのだ」
「金で人を売るのですか、父上!」
 伊万里は正確に父の本音を見抜いていた。
 今年は獲物を狩ることのできない冬にいろいろと出費があって、里は苦しかった。税も納めなければならないが、このままではそれも厳しい。だからといって、滞納を許してくれるほど狗根国は優しくはない。
 金が必要なのだ。
 それは分かる。分かるが、納得などできようはずがない。若さゆえの反発なのかもしれない。目先のことしか見えていないのかもしれない。だが、自分の中の信念を捨てるわけにはいかない。
 しかし、その思いは父親には届かない。
 娘の言葉が心のどこかにあったためらいを突いたのか、趙次郎は月明かりでもはっきりと分かるほどに顔を真っ赤にさせた。
「うるさい! おまえに父と呼ばれる覚えはない」
「なに言っているのよ! 伊万里はたしかに血は繋がってないけどあたしたちの家族じゃないか!」
「そういうことではない!」
 娘の怒声に趙次郎は吐き捨てるように叫んだ。
 強い風が吹いた。
「今まで黙っていたが、伊万里、おまえは耶麻台王家に連なる者なのだ。狗根国から見れば存在していること自体重罪人ということになる。おまえも共に捕まってもらうぞ!」
 叫ばれた言葉は風に消えるが、心には残る。
 予想だにしない言葉と父が自分を狗根国に売り渡そうとしている事実を頭が理解するにつれ、伊万里はどうしようもない動揺が広がっていくのを感じた。
 黙りこんでしまった伊万里に変わり、上乃が刀の柄に手をかけて一歩前に出た。
「このクソ親父! 金に目がくらんで娘を売るのか!」
「娘ではないと言っただろう!」
「十年以上も父上と呼ばせておいて、そんなこと言っても誰が納得するもんか! あんたはただ金がほしいだけなんだろうが!」
「な、なんだと!? 実の父に向かってなんということを!!」
「ふざけるなっ! そんな恥知らずはあたしの親じゃない! 伊万里はあたしが守るんだから!」
 そう言って上乃は勢い良く刀を抜いた。
「上乃……」
「いいんだって、こんなクソ親父は、こっちから親子の縁を切ってやるんだから」
 上乃の目はただ義憤に燃えている。厳しい時代だからこそ、家族の絆は大事なのだ。それを金に換えてしまおうなどと言う男はもはや親でも家族でもなかった。
 ときに姉のように振舞う妹の気持ちは伊万里には分かっていた。王家に繋がるとか、そんなことはどうでもいい。でも、自分は人身御供のようなものになるために生きてきたのではない。伊万里もまた刀を抜き、目の前の男に教わった構えを取った。
「こ、こ、このばか者め」
「バカはどっちだ、この大バカ野郎!」
「こっこっこっの……、少々手荒でもかまわん。上乃ともども全員、取り押さえろ!良いか、生け捕りだぞ! 殺しては報奨金が少なくなる!」
 趙次郎は腰に佩いた太刀を抜き、男たちに命令した。彼らのほとんどが、かつて耶麻台国の武将であった趙次郎の部下であった。山暮らしが長いとはいえ、刀の使い方を忘れることはない。命令に従い、一斉に抜刀した。



 当事者であるはずなのに、いつの間にか蚊帳の外に置かれていた九峪と清瑞だったが、取り囲まれている状態で、のほほんとできるはずもない。とくに清瑞はどこかに隙はないかと探っていた。
「おい、戦うとは言っても、相手はこの里の人間だ。ふたりには戦いづらいだろう」
「ああ、そうかもな」
 ふたりと趙次郎の言い争いを見ていても、長い間共に暮らした者だからこその感情が見て取れる。冷静に戦うことなどできないだろう。
「だから、私が数を減らす」
「おまえ、怪我は大丈夫なのか?」
「この程度の相手なら問題ない。あのふたりも相当、腕が立つ。逃げても後から追いかけられてはやっかいだ。ここできっちりと片をつける。だから、私はおまえの援護はできない。自分の身くらいは守れよ」
 清瑞の目は真剣だった。
 九峪は知らずに乾いていたのどを鳴らして、ゆっくりとうなずいた。
「でも、殺すなよ。ふたりの知り合いなんだから」
「……そのくらいの恩義はあるか。努力する」
 そう言い終わるや否や、清瑞の右手がかすんだ。
「ぐあっ!」
 上がった悲鳴は三つ。
 九峪が振り向くと、男が三人、足を押さえて倒れていた。
「数が違うからな。これくらいは仕方ない」
 そう言って、清瑞は右手で刀を抜き、左手に棒手裏剣を忍ばせた。
「その女は乱波だ。一気に飛び掛って動きを封じろ!」
 趙次郎の一言に従って、何人かが清瑞との間合いをじりじりと詰めようとする。
「ふん、月が出ているとはいえ、今は夜。乱波の時間だ」
 清瑞の独壇場が始まった。



 九峪は紫艶を鞘から抜き、正眼に構えた。
 助けてくれる者は今はいない。
 清瑞は薄闇を味方にして、明らかに多勢の相手を翻弄している。伊万里と上乃は趙次郎と対峙しつつ、取り巻きをあしらっている。
 敵はすでに三人、無力化されているが、それでもこちらの四倍近く。清瑞たちがその多くを引き付けているとはいえ、全てを相手にするのは無理だった。
 じりっと柄を握った手が汗ににじむのが分かる。
 九峪に向かってきているのはふたり――清瑞ならばともかく、九峪にとっては絶対的な戦力差だ。
 ちらりと後ろを見る。
 ――建物を背にするか……いや、だめだ。俺の力量じゃただ逃げ場をなくすだけだ。とにかく、俺は時間稼ぎに徹するしかない。
 清瑞はこの程度の敵は相手ではないと言った。
 実際、腕の一振りだけで三人もの敵を地に伏せさせた。他の敵を無力化させることも、それほど時間はかからないだろう。また、何の考えもなく、動く女ではない。
 この程度の敵ならば、九峪にも十分に相手ができると暗に言っているのだ。
 信頼なのか、それとも試験なのかはわからないが、どちらかと言えば、この程度はやって見せろと挑発していると考えるほうが、清瑞には似合っている。
 舌で唇を舐める。
 こうして刃のつぶれていない真剣で向かい合うのは九峪には初めてだった。
 相手は五十前後の初老。
 剣士としてはとっくに隠居の身であろうが、構えはしっかりしている。少なくとも新兵の構え、一週間前の九峪のそれに比べれば、よっぽど深みがあった。
「無駄な抵抗はよしたらどうだ」
 一人が声をかけてきた。なかなか深みのある声だ。
「悪いけど、こんなところで人身御供になっている暇はないんだ」
「おまえらを差し出せば里が救われるのだ」
 九峪に、というよりは自分に言い聞かせるように初老の男が言う。
「狗根国に逆らってどうなる? すでに耶麻台国は滅んだのだ。狗根軍は強大。左道の力は人の者とは思えん。逆らうだけ無駄なのだ。夢なのだ。そして、夢を語っている余裕などはない。明日を見る暇などない。今日を生きていかなければならないのだ」
 声にあった深みが急になくなったような気がした。
 そこにあるのは焦り、そして諦め。
 絶望ではない。
 自分から希望を捨てた者の声。
 ――俺も人のことは言えないけどな。
 さっきまで、復興を諦めるための言い訳を探していた。
 先の見えない恐怖は確かにある。
 それでも、自分は伊雅に命を救われ、託された。
 伊雅だけではない。
 音谷の里の全員が命を賭した。
 荷は重過ぎるし、背負う覚悟もしっかりとは決まってはいない。
 だからと言って、投げ出すわけにはいかない。
 それに敵に回ってしまった里の住民も最初から諦めていたのではないはずだ。
 十五年。
 自分のこれまでの人生とそう変わらない時間が過ぎてしまっているのだ。
 ――ここで諦めるなんて言うのは、考えてみれば、この人たちにとっても失礼なんだよな。俺はまだ荷物を担いだだけ。歩き出してもいないのだから。
 いつしか冷静に考えを進めている自分に気づく。
 こんなに窮地に強かったのだろうか?
 そうは思えない。
 殺気だけで震えてしまったのはついさっきのことだ。
 それでも――
「俺には託されているものがあるんだ。思いっきり抵抗させてもらう」
 男たちの顔がゆがんだ。
 目の前の青年は失わないことを諦めていない。
 どこかで見たような顔。
 胸にざわめきが走った。
 どうしようもない憤りが沸き起こった。
「ならば、腕の一本くらいは覚悟してもらおう」
 それはいつかの瞳。
 尊敬する上司の、友人たちの死を悼み、その遺志を継ぐことを誓ったいつか――
 男たちはそのいつかを思い出すことなく、ただ剣を振り上げた。
 今日を生きる者と今日を明日に繋げようとする者。
 両者の戦いが始まった。



 打撲音。
 刀の峰で胴を打ち抜く。
 伊万里の足元には男が倒れ伏した。
 間髪いれずに斬りかかってきた男に向き直り、刀を交える。
 感情を押し殺したように、歯を食いしばった男の顔を見て、伊万里の目がわずかに細まった。込められているのは憂いと悲しみ。しかし、それも一瞬のことだった。いったん間合いを取り、打ち合おうとした瞬間、伊万里は器用に相手の刀を絡めとり、宙にはじき、胴をなぎ払った。
 また一人、男が倒れる。
 刀を構える伊万里に隙はない。
 しかし、その心中は苦しみに満ちていた。
 最初に倒したのは小さいころ良く肩車をしてくれたおじさん。
 次に倒したのは森の中を迷子になったときに探しに来てくれたおじさん。
 優しくて、楽しい思い出がいくつもある。
 そんな相手と戦わなければならない。
 苦しい――
「伊万里、大丈夫?」
 声のほうに振り向くと、油断なく刀を構えた上乃がいた。いつもの笑顔はもちろんない。きっと自分も同じような顔をしているのだろうと思う。
「ええ、平気よ」
「まあ、私たちの相手をするには、ちょっと年が行き過ぎよね」
 上乃の言うとおり、襲ってきた里人は四十代後半よりも上の者ばかりだった。里の主力は二十代から三十代の男たちだった。彼らまでいたら、伊万里たちと言えども数を相手にするのはきつい。
「若い者たちには狩りに行ってもらいましたのでな」
 話しかけてきたのはふたりにとって特に馴染み深い男だった。
「仁良(じんりょう)のおじさん……」
 年下の幼馴染である仁清の父親であった。付き合いが深いのは親同士も同じで、この地に里を開いて以来、仁良は趙次郎の右腕として里の発展に力を尽くしていた。今も趙次郎の側で、刀を構えている。山人にはめずらしい細身であったが、里一番の狩人である仁清の父親らしく、刀も弓も決して不得意ではなかった。
「ふたりは若い連中には特に人気がありますからな。伊万里様を狗根国に売るなどと聞いたら、暴発をしていたかもしれませんので」
 口調は丁寧だが、内容は悪意に満ちていた。
 若い者たちに狩りに行ってもらった――まさか、夜が更けてから出たわけはない。つまり、伊万里を狗根国に売り渡すというのは計画的だったということだ。
 実際、ふたりは若く美しく、そして何よりも溢れんばかりの輝きによって里の若者たちの心をつかんでいた。
 もし、伊万里を狗根国に引き渡すとなれば、上乃は決して納得はしない。そのときに若者たちがいれば、上乃に協力して伊万里を守ろうとする。
 仁良が懸念したのはこのことだった。
 今回に限って、仁清が伊万里たちとは別に狩りに行ったのも計画の一環だった。
 上乃は論理的な思考は得意ではない。その代わりに直感に優れている。仁良の言葉が指し示す事実を感覚だけで察した。
 すでにふたりと対峙するのは仁良と趙次郎のみ。
 残りの男たちは、乱波としての戦闘能力を存分に発揮している清瑞に翻弄されており、九峪もふたりを相手取っている。
「このクソ親父たちを倒せば終わりってことね」
 目の前にいるのは里長とその腹心。
「上乃、最後の機会だ。伊万里を取り押さえろ。これは里のためなのだ。あくまでも反抗するのならば、わしは里長としての責務を果たさなければならん」
 そう言って、趙次郎は右手の太刀を揺らした。
「今さらなに言ってるのさ! あたしは伊万里を守るって言ったでしょ!」
 肩を怒らして、上乃は趙次郎のほうへと突き進む。が、前をふさがれた。
「おっと、里長に実の娘と刀を交わらせるわけには参りません。わたしがお相手しましょう」
「おじさん、邪魔しないで」
「まあ、上乃様が伊万里様のことで反対するのは分かります。しかし、里を守るためには仕方のないことなのです。わたしに負けたということなら、納得せざるを得ないでしょうから」
 むかつく。
 上乃の気持ちを一言で代弁すればこうなるだろう。
「……伊万里、あのクソ親父を懲らしめるのは譲ってあげるから」
「分かった」
 物心ついたときからの付き合いである。伊万里には上乃が心底怒っているのが手に取るように分かった。刀の切っ先を趙次郎――これまで育ててくれた『父』に刀を向けた。



 考える暇もない連続攻撃――
 九峪は数の不利というものを身にしみて実感していた。
 一人の斬撃を受けながら、もう一人の行動にも注意を払っておかなければならない。
 また、決して動きを止めてはならない。
 間合いを詰められ動きを封じられてしまえば、もう一人に対処することは不可能になる。
 常に動きを止めず、敵を視界に収めておく。
 ただそのことだけを頭において、敵の攻撃をさばいていく。
 肩口めがけての一撃を紫艶で受け、間合いを取る。
 初老のふたりの攻撃は速く重い。
 年を考えればとっくに動きが鈍くなっていてもおかしくはないはずだが、九峪とは鍛え方も生活も違う。山奥で暮らすとなれば、肉体労働は避けては通れない。
 険しい傾斜を登り、獲物を追う。
 生活自体が鍛錬となっているのだ。
 若いからといって有利だとは言い切れない。
 それでも九峪は攻撃を防いでいた。
 相手の攻撃はたしかに速くて重い。しかし、伊雅ほどの迫力もなければ、清瑞のような速さもない。そのことが九峪を安心させ、冷静な防御を可能にしていた。
 さらに、敵が九峪をできるだけ無傷で取り押さえようとしていたことも幸いしていた。微妙な手加減が九峪の抵抗を助けていた。
 といっても、いつまでも避けきれるものではない。
 一撃受け止めるたび、腕に負担がかかり、体力を奪う。瞬間的な動きの積み重ねは肺に負担をかける。息切れは集中力を奪う。
 ――確かに貧弱かもしれないな。
 音谷の里での鍛錬中に何度も言われたことを思い出す。
「どうした、息が上がっているぞ」
 初老の男が余裕を見せるように言う。
 ――こっちは昼間から、動きっぱなしだっつうの!
 神経が高ぶっているためか、あまり感じないが、筋肉痛も相当ひどいことになっている。音谷の里での訓練がなければ、動くこともできなかったかもしれない。たった一週間の鍛錬だったが、九峪の糧となり、助けとなっている。
 九峪は自分の役割を正確に理解していた。
 決して捕まらないこと。それが唯一の仕事だった。
 九峪が捕まってしまえば、清瑞たちの動きが止まる。
 逆に捕まらなければ勝機が見える。
 いったん距離をとって、構え直す。
「別に息が上がっていようと関係ない」
「なんだと?」
「俺は俺のしなければいけないことをするだけだ」
「ふん! 強がりか。そんなもので世間を渡っていけるものか! しかも、その程度の力量で狗根国に反抗しようなどと、思い上がりもはなはだしい」
 もう一人の男がなじるように叫ぶ。
「我らはかつて耶麻台国の兵士として、狗根国と戦っていた。やつらの強さは骨身に染みて知っておる。もう今さら反抗しようとも意味はないのだ!」
 それは悲憤。
 力なき者の叫び。
 この世の正義の無力さへの嘆き。
「我らは生きようとしているのだ!」
 男たちの顔にはしわが深く刻み込まれ、月明かりに浮かぶ白髪は男の受けてきた苦難を物語っている。
 良いとか、悪いではない。
 こうするしかないと言っているのだ。
 九峪には男たちの苦難は分からない。想像すらできないのだと思う。
 それでも――
「あんたらにとってはそうなのかもな。でも、世の中にはバカかなって思うくらい、清々しい覚悟を持って戦うおっさんもいるんだよ。俺はそのおっさんから、いろんな荷物を渡されたんだ。諦めるわけにはいかないんだよ」
「だから、その程度の力で語るなと言っている!」
 初老の男の言葉に思わず、笑みがこぼれた。
「なにを笑っている!」
「いや、たしかに俺は弱いけど、とりあえず、役目は果たせたみたいなんで」
「そうだな」
 九峪のぼやきに答えたのは冷たい声。
 男たちが振り返った時には、もう遅かった。
 影は強力だった。
「バ、バカな、十人以上はいたはずだぞ」
「眠っていろ」
 影の声はあくまでも冷たかった。
 腹に重い衝撃を感じ、男は意識を失った。
 男ふたりが倒れ伏した横で、九峪は地面に刀を突き刺し、足が砕けたかのようにして腰を地面につけた。
 初めての実戦で予想以上の緊張を強いられていたことをあらためて実感する。
「あの程度の相手に手こずってどうする」
 影は味方にも冷たかった。
「ったく、けっこうがんばったつもりなんだけどな」
「がんばっただけでは意味がない」
「だから、ちゃんと時間は稼いだろうが」
「……及第点と言ったところだな」
 不満げな口調で言う清瑞を見上げ、九峪は苦笑した。
 周りを見れば、何人もの男が倒れこんでいる。
 十人以上の敵をものともしない力量。たしかに自分程度では満足できないだろうと納得せざるを得ない。圧倒的な戦果だった。
 残っている敵は――
「伊万里と上乃、大丈夫か」
「問題なかろう」
 耳をつんざくような剣戟が里に響き渡っている。
 上乃は細身の男と戦っており、一方的に攻めまくっている。相手は攻撃をさばくので手一杯になっており、顔にはすでに余裕がない。こちらは確かに問題はなさそうだ。
 問題は伊万里のほうだった。
 相手は趙次郎。体格では圧倒的に趙次郎のほうが優っている。腕の筋肉はごついと言えるほどに発達しており、伊万里の腕とは比べるまでもない。
 斬撃も重そうで、伊万里は守勢に回ってしまっている。
「手助けが必要なんじゃないか?」
「必要ない」
「いや、でもさ――」
 苦戦しているじゃないか、そう言おうとして気づいた。
 清瑞は無愛想ではあるが、手を抜くような性格ではない。その彼女がここで観戦に回っているということは、それなりの目算があるのだろう。
「さきほど、私たちが部屋から抜け出そうとしたとき、ふたりが部屋を訪ねてきたな」
「ああ」
「あの時、私は不覚にもふたりの接近に気づかなかった。少々疲れがたまっていたこともあるが、それよりもふたりの隠行が見事だった」
「隠行って?」
「足音を殺し、気配を絶つことだ。狩人としての能力なのかもしれないが、並みの修練ではああはいかん。相当の修練を積んでいるはずだ。少なくともあの程度の動きということはあるまい」
 女乱波の考えに九峪はうなずいた。
「ってことは、力を抑えている。いや、戸惑っているのか」
「ああ、相手は父親だからな……」
 思うところがあるのか、言葉の語尾がかすれた。
 ふたりの視線の先では二組の戦いが続いていた。



 ――父上はこんな顔をしていたのか……
 いつも見ていた父の顔。
 それを醜く感じてしまうことが悲しい。
「もう皆、倒れました。これ以上、戦っても無意味です。刀を引いてください」
 すでに戦いは終わっていた。
 里人たちは倒れ伏し、上乃も仁良を圧倒している。すでに勝負はついているのだ。それが分からない男ではないはずであった。
 状況が不利になっていることは無論、趙次郎にも分かっていた。しかし、だからと言って、刀を納めるような真似はできない。良く分からない怒りが体中を駆け巡っていた。
「この恩知らずが! 今まで育ててやった恩を忘れたのか!」
「……感謝しています」
「ならば、里のために働け!」
 趙次郎の顔は憤怒だけで彩られている。目は険しく吊りあがり、歯はむき出し。優しく叱ってくれた父の面影などどこにもない。
 もし、本当に自分ひとりを差し出すことで里が救われるならば、進んで犠牲になる。それだけの恩義は常に感じている。
 しかし、これは違う。
 自分が犠牲になったとしても手に入るのは一時の富貴のみ。狗根国の収奪は変わらず、暮らしは苦しいままで、金を使い果たしてしまえば、また誰かが犠牲になるだけ。
 そんな一時しのぎのための命ではない。胸の奥で何かが叫んでいる。
 そして、もう一つ、臆面もなく人の善意を要求する態度が何よりも気に入らない。
「あなたの考えが里のためになるとは思えません」
「わしに意見するのか! 現実を知らん女がものを言うな!」
 一喝と共に、趙次郎が斬りかかってきた。
 何よりも懐かしい剣。
 伊万里はがっちりと受け止める。
「おまえ、おまえひとりが犠牲になってくれれば!」
 わずかに体を引き、生まれた間合いを利用して刀を受け流し、体を入れ替える。
 幼きころより剣を教えてくれたのは、この男だった。
 踏み込み、呼吸、全てを覚えている。
「里の、里のためなのだ!」
 血走った目はすでに何も見えていない。
 ――終わらせる。
 伊万里は一度目を閉じた。
「うおおおっ!」
 趙次郎の雄たけびが木霊した。
 太刀を振り上げ、全身で押しつぶそうとするかのように伊万里へと迫る。そこに手加減というものは存在していなかった。
 目を見開き、伊万里は向かってくる相手に向かって、倒れこむようにして踏み込んだ。胸と地面が触れるほどまでに体勢を低くし、一気に跳ね上げる。振りぬかれた刀は趙次郎の手首を打ち抜いた。そのまま、動きを止めることなく、刀を返す。
 瞬間的に握力を失った趙次郎の手から太刀がこぼれるよりも早く、刀が肩口にめり込んだ。
 痛みは心を打つ。
 趙次郎は地面に崩れ落ちた。



「あ、あれは……」
 趙次郎が倒れた様を見て仁良の顔は驚愕にゆがんでいた。彼の手にもすでに刀はない。それどころか、地面にうつぶせに倒され、はいつくばっている状態だった。
「あのクソ親父が伊万里に勝てるわけないじゃない。もうあたしたちは子供じゃないんだから」
 そばに立っている上乃は自慢げに言うが、仁良は聞いてはいなかった。
「あれは、悠伝将軍の……」
「ゆうでん?」
 仁良の言葉に上乃は聞き返すが、彼は忘我の境地にいるようで、まるで反応を返さない。
「終わったみたいだな」
「あ、九峪、清瑞、無事だったんだね。良かった」
「上乃も怪我はないみたいだな」
「まあね、あたしもけっこう強いからね」
 ――たしかに。
 上乃は結局、一度も相手に攻撃させることなく、勝ってしまった。
 どちらかと言えば、能天気な印象を持っていた九峪には、烈火の如き攻撃は意外だった。少なくとも、自分ではとても防ぎきれるものではないことは十分に分かった。
 上乃が伊万里の元へと駆け寄る。清瑞が仁良を気絶させてから、九峪たちも続いた。
「う……、す、済まなかった。命ばかりは……」
 地面にへたりこんだ趙次郎は、伊万里を見上げていた。顔は一気に老け込み、体も小さくなったように見える。
 落ちくぼんだ目は、伊万里を捉えていながらも、別の人間を見ているかのようだ。
 趙次郎はこれまで伊万里に負けたことはなかった。自分が剣の師であり、幼きころより成長を見守っていたこともあり、伊万里の癖は全て知り尽くしていたつもりだった。
 しかし、結果は惨敗。生け捕ることも忘れて放った全力の一撃は簡単にかわされ、伊万里の身のこなしを見切ることはできなかった。
 すでに弟子は師を超えていた。
 これまでの剣の稽古で全力を出さなかったのは、娘からの心遣いだったのだろう。自分はそれを斬り捨てた。伊万里が最後の一撃を放つ瞬間に開かれた、彼女の決意に満ちた目は、何よりも自分の弱さを浮かび上がらせた。
 里のため、里のため、ただその言葉だけが、心の穴をふさごうと飛び交っている。しかし、穴の中からは捨てようとした思い出があふれ出してくる。
 一番深いところにあった絵。ひとりの精悍な顔つきをした男がじっと見つめていた。
 そう、伊万里の見せた剣技、あれは――
「今さら、命乞いをする気? 伊万里を狗根国に売ろうとしていたくせに!」
 うめくように言葉をこぼす趙次郎を上乃が糾弾する。
「わ、わしが悪かった……だが、仕方なかったのだ……耶麻台の残党を引き渡せば、奨金が手に入る。耶麻台王家に連なる者ならば、なおのことだ」
「耶麻台の残党って、あんたもそうじゃないか!」
 自分を除外するかのような父の言葉に、上乃が叫ぶ。その目はわずかに潤んでいた。
「それは昔のことだ。わしはもう耶麻台の武将などではない。里の長なのだ。皆が幸せに暮らしていくためには金が必要なのだ。全ては、里のためだ。里のためには仕方なかったのだ」
「幸せ? 娘を犠牲にするような幸せがあってたまるか!」
 あまりの情けなさに、上乃は父に殴りかかった。
「上乃、やめて!」
 伊万里が後ろから上乃を止める。
「もういい、もういいから」
「伊万里……」
 抱きしめられ、上乃は殴るのを止めた。上乃を押しのけ、伊万里は趙次郎に向き直った。恨むでもなく、嘆くでもなく、ただまっすぐに育ての親を見つめる。
「加減はしましたが、おそらく骨も痛めているでしょう。しばらくは動かさないでください。それでは、長い間、お世話になりました。育てていただいたことは心から感謝しています」
 頭を深く下げ、顔を上げると里の門のほうへと歩き始めた。
「あたしはあんたのことはもう父親とは思わない。親子の縁も切ったしね。……もう、二度と会わないよ。さようなら」
 うなだれた父親に決別の言葉を投げかけ、上乃は伊万里の後を追った。
 九峪たちも後に続く。
 後に残るのは、累々と倒れた里人だけだった。







 どこかで狼が吠えている。
 山人の里から離れた川のほとり。大きな岩が重なり合ってできた空洞の中で九峪たちは暖を取っていた。焚き火がパチパチと燃え、煙が風に流されていく。
 里から、この場所にたどり着くまで、ほとんど会話はなかった。伊万里が一言、着いて来てください、と言っただけで、気まずい沈黙が続いていた。
 火をおこし、石の壁に背中を預けられるようになって、ようやく伊万里がぽつりぽつりと話し始めた。
「敗色濃厚となった戦況を悟り、あの男は赤ん坊の上乃と私を連れ、もはやこれまでと、仲間と共に砦を捨てたそうです」
 炎が伊万里の顔を照らす。
「その後、あちこちを渡り歩き、この山まで落ち延びてきたのだと、酒に酔ったときには良く話していました。悔しそうに顔をしかめ、たまに涙を流すこともありました。上乃とふたりで介抱したものです」
 伊万里は膝を立てて座り、膝の上に肘を置いて、うつむいた顔の前で手を組んでいる。その姿は見ていて痛ましいものがある。九峪は言葉もなく、ただ伊万里の顔を見つめ、話を聞いていた。
「いつか狗根国を打倒するのだと。死んでいった仲間たちに報いるのだと言っていました。それが嘘だったとは思いたくありません」
「でも、あいつは伊万里を売ろうとしたんだよ」
「それは分かっている……だから、悲しいんだ」
 親とも思っていなければ、悲しくも悔しくもない。けれど、あの男はたしかに父だった。大好きで、尊敬していた父だった。
 空洞を占めた沈黙を押し出すようにして、九峪は声を出した。
「伊万里は王族なんだ?」
 あの時、趙次郎はたしかに王家に連なる者だと言っていた。
「いえ、そのようなこと、初耳です」
「あたしも初耳だねえ」
 伊万里に続き、上乃も否定するが、それは知らないということだ。趙次郎は事実を隠していたのだろう。嘘で娘を売るとは思えない。
 ――伊万里は火魅子の資質を持っているかもしれない。
 もし、そうならば、確かめるべきだ。
 九峪の懐には天魔鏡がある。これを使えば、王家の血を引いているかどうかも分かるはず。
 ――でも、確かめてしまっていいのか?
 耶麻台国の王族であるからという理由で伊万里は狗根国に売られそうになった。確かめて本当に王族だと分かったとき、彼女がどう思うか、九峪には分からない。
 キョウが言うには、火魅子の資質を持っている女性を探すことは復興を成功させる不可欠の要因らしい。
「……なあ、じつは王族かどうかを確かめることができる方法があるんだ」
「えっ!」
 伊万里と上乃が九峪の顔を見た。九峪はふたりの視線をしっかりと受け止めて、懐から天魔鏡を取り出した。裏返しにして、鏡面は伊万里たちからは見えない。
「これは耶麻台国の神器『天魔鏡』、火魅子の資質を持つ女性を見分けることができる」
「火魅子……」
「なんで、九峪がそんなすごいものを持ってるの!?」
「それは後で説明する。とにかく、これを使えば、伊万里が王族かどうかが分かるんだ」
 伊万里の目は明らかに動揺していた。
 今日の夕飯までは想像もできなかった事実を告げられ、親に裏切られた。
 戸惑うしかない事実。
 全てを打ち壊してしまった。
 ――知りたくない……でも、知らないといけない気がする。
 あやふやなままで終わらせられることではない。
 でも、怖い。
 トンと肩を叩かれた。
 振り返ると、いつものように微笑む上乃がいた。
「伊万里、確かめようよ。昔、自分のことを知りたいって、泣きながら言ってたじゃない」
「……いつの話よ」
 思わず苦笑がこぼれた。
 子供のころ、自分の親がいないとあらためて思い知ったとき、上乃と大喧嘩した。
 里の誰も教えてくれなかった。
 父も大人になったら教えるとしか言わなかった。
 ――伊万里の泣き虫、いつまでもめそめそするな!
 ――うるさい! 上乃には分からないもん!
 ――このわからずや!
 ――上乃にはお父さんがいるんだから!
 ――父さんは伊万里の父さんでもあるんだよ! それにあたしがいるんだからいいじゃない!
 理屈ではない一言。
 結局、上乃も泣き出してしまった。
 あの時と同じ。
 一番身近な姉妹がここにいる。
 視線を九峪へと戻す。
「確かめさせてください」
 もう言葉に戸惑いはなかった。
「わかった。じゃあ、この鏡をのぞいてくれ」
 九峪は鏡を持ち直し、伊万里たちの方へ向けた。
 伊万里と上乃のふたりが鏡を覗き込む。
「あれ? なにも映ってないよ」
 本来ならば炎に照らされた石の壁や上乃自身が映っていなければならないのに、鏡はただ真っ暗な板のようだった。
「ねえ、伊万里」
 上乃が同意を求めるように横に顔を向けると、伊万里の顔は固まっていた。
「私は映っている……」
「えっ!」
 慌てて伊万里の後ろから天魔鏡を覗き込むと、鏡には確かに伊万里の顔が映っていた。黒い鏡面に伊万里の顔が浮かび上がっている。
「確かに」
 同じく、後ろに回りこんでいた清瑞も確認した。
「おいっ! キョウ、映ったってよ!」
 九峪が叫ぶと、鏡から光が溢れた。
 中から、奇妙な生物が現れ、シュタッと伊万里と上乃に向けて手を上げた。
「やあ! ぼくはキョウ。間違いないね、九峪。このお姉ちゃんは火魅子の資質を持っているよ」
「な、なに、これ?」
 初めて見る精霊の姿に、上乃が思わずつぶやいた。
「『これ』はないだろ。おいらは天魔鏡の精。そして、彼……九峪は、八柱神が一柱、天の火矛が遣わした神の遣いなのさ」
「えっ!? 本当ですか?」
 次々に襲い掛かる事実にたまりかねたように、伊万里の落ち着いた様子がなくなっている。
「ああ、そうなんだ。この天魔鏡を持っていたのも、神の遣いとしての役目を果たすためだ。耶麻台国を復興するには火魅子の資質を持つ女性を探さなければならないから」
「それが私、ということですか」
 伊万里は少し伏目がちに言う。知る覚悟を決めたとはいえ、自分が王族である、しかも火魅子の資質を持っていると聞かされれば、また動揺しても仕方ないだろう。
 彼女の横では、上乃が心配そうに見つめている。伊万里の心は伊万里にしか分からない――今まで感じたことのなかった寂しさが、寒風のように心の中を吹いた。
 一方で、キョウは九峪に向かって喜色満面だった。
「さいさき良く火魅子候補が一人見つかったんだ。さっそく狗根国打倒の兵を挙げるべきだね。そうすれば、各地に潜んでいる耶麻台国ゆかりの人たちが駆けつけてくるはずさ」
 キョウの声は明るい。
 ――ちょっと楽天すぎるんじゃないか?
 九峪はキョウの提案に疑念を持った。
 ついさっき九洲の民に襲われたところである。旗を揚げたところでどれだけの人が集まってくるかしれたものではない。一度、表立って行動してしまえば、もう逃げることはできないだろう。そのくらいのことは分かる。
「もう少し、慎重に行動するべきじゃないか?」
「だって、あれだけの騒ぎを起こしたんだから、いずれ狗根国に見つかるよ。そうなるまえに先手を打たなきゃ」
 キョウにはキョウの考えがある。
 復興に必要な実行力はどこかで拾うわけにもいかない。
 自分たちで作り上げていかなければならないのだ。影でこそこそ動いていても、劇的に状況を変えることは難しい。ならば、火魅子と神の遣いの二枚看板で停滞している九洲を激流へと変える。その流れに乗っていくしか、狗根国を打倒することなどできはしない。
 衣食足りて礼節を知る、という格言がある。
 生活が安定してはじめて道徳心が生じるという意味だ。
 趙次郎が九峪たちを襲い、娘を売ろうとしたのも、結局は暮らしが苦しいからに他ならない。
 きちんと税を納めていても、いろいろな理由をつけて、さらに収奪されてしまう。これは今の九洲では普通の光景であった。誰もが生活に苦しんでいる。その苦しみから脱しようとする気持ちを狗根国の側に向ければいいのだ。
 挙兵すれば流れは作れる。
「そうだな……清瑞はどう思う?」
「確かに逃げているだけじゃ、いずれ捕まってしまうだろう。が、何の成算もないまま挙兵してもすぐに鎮圧されるだけだ」
「けど、逃げ続けていてもいつか捕まる。こちらから反撃に出ないとどうしようもないか」
「そうそう」
「キョウ、おまえは気軽すぎるんだよ」
 九峪はキョウを小突き、伊万里に目を向けた。
「伊万里、手伝ってくれないか」
「それは、もちろんです。九洲を狗根国の支配から解放するのは私たちの望みですから、頼まれずとも協力させていただきます。……ただ、私が火魅子の資質を持っているというのは……」
「いいじゃんいいじゃん、伊万里。神器の精と神の遣い様が言っているんだから、まちがいないって。耶麻台国を復興させて女王になってよ。伊万里ならできるって」
「……けど」
「ああ、もう伊万里だなんて気軽に呼べなくなっちゃうかな。やっぱり『伊万里様』よね」
 上乃の台詞に、伊万里は気色ばんだ。
「やめてよ、上乃。あなたにそんなふうに呼ばれたくない。今まで通り『伊万里』でいいから」
「そう? あたしはその方がうれしいけど」
 言葉はそっけないながらも、上乃は心底うれしそうな表情を浮かべる。心には、季節通りの春風が吹き始めていた。
「わかりました、九峪様。私もお手伝いいたします。私が女王にふさわしいとは思えないけど、なんとか耶麻台国の力になりたい」
 伊万里の表情にはまだ少し戸惑いが見える。それでも力強くうなずく姿に、九峪は見とれた。
 ――そういやあ、伊万里をこんなに正面から見たのは初めてだったな。
 いきなり王族だと言われて混乱しているだろうに、戦うことを約束する。
 思えば、自分も似たような立場だった。
 いきなり三世紀の平行世界に連れてこられて、神の遣いという肩書きを押し付けられた。ただ、流されるままの自分とは違う。素直に、強いと思う。
「あたしもやる! 神の遣い様がいてくれるんなら心強いし」
 上乃の顔にも決意が溢れている。
「よし、とにかく明日からは仲間集めを本格化させよう。どちらにせよ俺たちだけじゃ挙兵って言っても無理があるからな」
「ま、仕方ないか」
 キョウはしぶしぶとうなずいた。
「じゃあ、今日はみんな疲れているだろうし、ぼくが獣や人が近づいてくるのを察知する結界を張るよ。みんなはゆっくりと休んでね」
「ああ、ありがとな」
 焚き火はつけたまま、それぞれの格好で眠りにつく。
 九峪にとって野宿は初体験だったが、一日中歩き通し、緊張を強いられ続けた疲れが否応なしに眠りに誘う。
 仲間を失い、仲間を得た。
 激動の一日がようやく終わろうとしていた。









 今日の終わりは、明日の始まり。



 激動はさらなる激動を生む。



 人の思いは運命の呼び水。



 今は安らかな眠りを。



 思いはただ胸の中に。



>>NEXT


あとがき

 どうも、思った以上にシリアスな展開に自分で驚いてしまったゴーアルです。
 本来なら、少しほのぼのとするところや、ちょっと笑えるような場面を散りばめるのが理想なのですが、なかなか上手く行きません。
 この後もシリアスな話が続きそうで、少し憂鬱です。
 まあ、Disc2のほうに入れば、イベントとかもあって楽になるかなとは思いますが。

 今回の話は伊万里と上乃、志野と珠洲の二組の話となりました。志野、珠洲のほうは顔見せに近いですが。
 この二組はどちらも好きですので、出番も多くなると思います。というか、火魅子伝の二次創作を書こうと思えば当然のことですよね。
 趙次郎についてですが、完全に小悪党にしました。切羽詰って、伊万里を売ろうとしたのではなく、不利な状況に自分から諦めてしまったという感じです。他の方の作品で、趙次郎の葛藤を見事に描かれていたのを読ませていただいて、ついつい善人っぽくなりそうだったのですが、同じでは駄目だと、情けない感じになりました。
 この里がどうなっていくのかは、いつか少し触れるつもりです。

 九峪は今回、少し成長しました。
 諦めた先の延長にどんな姿があるのかを知ったことで、戦うことの意味を九峪なりに感じています。
 清瑞とも少しいい感じになりましたし。
 清瑞が手当てするシーンで、
 ――聴覚で映像が結べたら!
 と人の身であることを悔やむ、という描写を入れようかと思いましたが、雰囲気が壊れそうなのでやめました。
 これくらいにはすけべ心はあるんですけどね。

 ちなみにキョウがかなり黒いですが、見過ごしていただけるとうれしいです。うちのキョウはこんな感じで行きますので。

 とりあえず、七話で一区切りつくというか、ゲームのDisc1が終わるので、そこまでは年内に仕上げたいなと思っています。
 話の流れや作戦はできているのですが、自分の語彙力の無さが悔しいです。

 それでは第六話にて。



 幼い伊万里と上乃が泣きながら喧嘩をしているところを想像して、一瞬、思考が遠くに行ってしまったのは秘密です(爆)



 伊雅の思いはちゃんと九峪に受け継がれましたね。
 まだまだ頼りないですが、前を向けるようになったし、次はもっと主人公らしくなりそう。
 ついでに美女に弱い地もそのうち出てきそうですけど(笑)
 今回悲しい思いをした伊万里ですが、大勢の里人のため、と言い訳しても我を忘れてこれまで育てた娘、を斬ろうとした男にとらわれることなく、上乃の支えもあって立ち直ったようでよかった。

 黒いキョウちゃん大歓迎です♪ただの説明役じゃかわいそうですもんね。とはいえやっぱ根がお調子者というか軽いから、うまくいかないか九峪にぶん投げられて終わりそうですが♪うまくいって九峪が困るのもまた一興(ぇ

ゴーアルさんのあとがきの、「他の方の作品で、趙次郎の葛藤を見事に描かれていたのを読ませていただいて」というのは、シルエットブルーの羽矢陽葵さんの「火魅子伝〜暁龍記〜」のこととのこと。こちらもとても面白いので、まだ読まれてない方はぜひ行ってみてください^^
あと火魅子伝同盟の投稿掲示板にてゴーアルさんの、天目の仕掛けた謀略に立ち向かう九峪達を描いた「義賊の誇り」、九峪と志野の関係に葛藤する珠洲を描いた「珠洲の花」も投稿されていますので、こちらも必読ですよ!


質問 「〜戦雲〜」第5話の感想をお願いします

おもしろかった
ふつう
つまらなかった
その他質問要望など

コメント(最大350字)




結果 過去ログ Petit Poll SE ver3.3 ダウンロード 管理