〜戦  雲〜


作・ゴーアル様


 第五話 思いは届かず(その2)



 国府城。
 大角南部の中心であるが、領域内で起こった殺戮にも、死闘にも直接は関わっていなかった。城主である相馬はまるで動いてはいない。やったことと言えば左道士に便宜を図り、懸賞金を通じて事後処理に備えただけ。それほどの手間でもなく、いつも通りの一日だった。
 蛇渇が城から出て行ったこともあり、極めて機嫌よく仕事に励むことができた。昼食の時には普段のように、美女をはべらせ、美味な魚に舌を満足させた。
 午後の仕事も順調に進み――ほとんどが部下の報告や提案に頷くだけ――耶牟原城での土木工事のために移送する納税滞納者の準備を整えさせた。
 夜は豪勢な料理に舌鼓を打つ。さらには特別に亀の料理も用意させ、夜のお楽しみのために精をつけた。
 とうとう今夜は、城下でも評判の白拍子を目にすることができる。
 部下の報告を聞く限り、征西都督府でも、いや狗根本国でもお目にかかれないような美女。儚げで細身でありながらも、出るところは出ており、清楚な色気を持っているということだった。
 美しさの判断とは人の好みにもよるだろうが、十人の部下がそろって女の美しさを褒め称えた。期待は高まるばかりだった。
 そして今、相馬は広間の上座に座り、うわさの白拍子を待っていた。
 ――待つ時間というのも良いものよのう。
 人間、余裕さえあれば、どのようなことでも楽しみに変わる。それは人の器を示すこともあるが、この男の場合、頭の中での妄想を楽しんでいた。
 白拍子とは舞を生業とする職業であるが、夜の相手までも仕事にしていることが多い。自身の美しさを売りにしているということでは変わりないということだろうか。
 ――今日は朝まで眠れぬかも知れぬな。
 さらに妄想をたくましくしていると、とうとう広間の入り口が開かれた。
 青い髪をした女と栗色の髪の少女が正座で深く頭を下げていた。
 となりに控えていた部下に向かってあごをしゃくる。部下は頷いて、女たちのほうへと向いた。
「入られよ」
 招きの言葉を受け、女たちは顔を下げたまま敷居を越え、部屋の中ほどまで進み、また平伏した。
 かがり火の光を受け、薄手の衣から透けて見える肌。彼女が入り込んだだけで、部屋が華やいだような気もする。相馬はいつにない興奮が腹のそこから湧き上がってくるのを感じた。
 顔を上げなくても魅惑的な香りは伝わってくる。が、やはり顔を見たい。
「面を上げよ」
 我慢ができず、自分の口で声をかけてしまった。
 垂れた青髪が揺れ、衣が波打ち、女はゆっくりと焦らすように身体を起こす。最後までうつむき加減だった顔が完全に明らかになり、その清い意思を示す瞳は涼やかに開かれていた。
 相馬は女の顔を凝視し、しばらくして、舐めるようにして全身を見る。
 神の与えた造詣というべきか。
 下賎な九洲人にこれほどの美女がいたとは信じられなかった。
 女の小さい唇が開いた。
「白拍子の志野と申します。となりにいるのは人形遣いの珠洲。ふたりで街から街へ流れ、興行をして参りましたが、今回、城主様のご好意により、舞を披露する機会をいただき、誠にありがとうございます。つたない芸ではございますが、少しでもお心休めの助けとなればと思っております」
 鈴の音のような、儚く耳に心地よい声だった。
 白い胸元に目を引き付けながらも、相馬は歓迎の言葉を述べた。
「うむ、城下でのうわさは聞いておる。この世のものとは思えないほどの、美しい舞を踊るとな。わしもぜひ見てみたい」
「ご期待の言葉、ありがとうございます。それでは、さっそく――」
 空気が変わった。
 凛とした気配が一瞬にして部屋全体に広がり、広間は舞台へと変わった。
 手を交差させたまま、すっと立ち上がった。
 一瞬の間。
 となりにいた少女が自身の身の丈はありそうな人形を操り、白拍子の姿を隠す。獅子を原型とした鬼が美しき姫を守るかのように、威嚇する。鬼の口が開き、牙が鈍い光を放った。
 鬼が弧を描くようにして去ると、白拍子は手を広げ、胸をそらしていた。左右の手にはいつの間にか、柄の両方に剣身のついた剣が握られていた。まず実用的ではなく、扱いにくいであろう剣であったが、白い手に導かれるようにして空を切る。
 手から始まった動きはそのまま全身へと移っていく。肩が静かに動き、腰が揺れる。右足が後ろに引かれ、左足で跳んだ。右足を前に蹴り出す勢いをそのままに、空中で身体をひねり、剣を交差させる。薄衣がなびき、動きの緩急を自然に示す。
 着地した瞬間に再び飛び跳ね、まるで着地したことを思わせない動き。
 白拍子めがけて鬼が飛ぶ。
 その鬼をあしらうようにして、円を描き、手の平で双剣を回す。
 軽やかな身のこなしに、しなやかで柔らかい体。
 ――見事。
 まだ、舞が始まって間もないのだが、相馬は雰囲気にすっかり引き込まれていた。
 辺境の城主とはいえ、軍の中ではかなりの上級職である。征西都督府に参上したときなどには、舞の一つや二つは観たことがある。征西都督府主催によるものだから、当然、呼ばれる白拍子も一流以上であったはずだが、目の前で舞う白拍子には格段に見劣りした。これだけの白拍子が流れで舞を披露しているなど信じがたい。
 ――しかも、あの体の柔らかさ、夜伽の技も相当なものだろうて。飽きた後は、紫香楽様に献上するのも良いかもしれん。
 女神の舞とも思える美しき技を見て、ゲスな打算を打つのが、この男の器量であった。しかし、男ならば誰でも自分のものにしたいと思うのは当然のことだろう。
 体を動かすたびに揺れる胸も、ゆるやかに張り出している臀部(でんぶ)も生命力にあふれていて、それでいて舞の美しさを崩してはいない。
 相馬だけではない。そばに控えている部下たちも、すっかり魅入られていた。
 動きが変わった。
 獅鬼の動きが怒りを表したように、鬣(たてがみ)を逆立て、牙をむき出す。爪をむき出しに、眼はカッと開き、ぐるっと周囲を見渡した後、白拍子めがけて首を振る。
 対する白拍子は上半身を地面と平行になるまで曲げ、顔はしっかりと上げていた。手を後ろで交差させ、前から見ると頭の後ろから剣が二本、斜めに突き出されているようになっている。
 獅鬼が白拍子に襲い掛かる。その勢いはとても少女が操っているものとは思えず、まさに鬼の如し。爪が白い肌を切り裂こうと迫るのを、白拍子は紙一重でかわすが、薄衣が爪にかかり切り裂かれる。
 露わになった肌を隠す余裕もなく、再び襲い掛かってくるのを体を回転させながらかわすが、またも薄衣が切り裂かれる。白拍子も剣を振るうが獅鬼は白刃をもろともせずに突進を繰り返す。両者の動きはどんどん速まり、殺陣にも似た緊迫感が観客にも伝わり始める。
 目の前で行われているのは、舞姫と鬼の死闘。
 命を賭けた舞。
 紙一重の美しさ。
 相馬以下、全ての者がただ酔いしれ、目は決して舞からは離れない。
 そして、舞が最高潮に達しようとしたとき、獅鬼が相馬に向かって口を開いた。
 ――なんだ?
 口の奥に見えたのは赤い揺らめき――炎が噴き出した。
 炎はためらいなど見せるはずもなく、相馬へと襲い掛かった。
 突然のことに相馬は反応しきれない。それでも生物の本能として火をかわす。ちりちりと髪が焼ける音が耳のすぐ上で聞こえる。
 舞に酔いしれていた部下たちもまた、何が起こったか理解できず、動くことさえできない。
 舞姫が飛んだ。
 両手には炎の煌きを映した剣。
 目に浮かぶのは純粋なまでの殺気。
 わずか一跳びで、間合いは詰められ、剣は相馬の首を捉えた――
「風弾」
 邪気の込められた言葉が広場に低く、しかしはっきりと響いた。
 風の塊が白拍子を弾き飛ばした。
 ついで、獅鬼も同じように飛ばされ、壁に激突した。
 突然の展開に誰もが言葉を発することができない。
「相馬よ、女遊びが過ぎるとのわしの言葉、聞いておらなんだか」
 雰囲気などまるで意に介さない化け物が広間に入ってきた。その姿を見て、正体の分からないものなど狗根人にはいない。
「じゃ、蛇渇……どの……」
 相馬は呆けた声しか出すことができない。
「相馬よ、燃えておるぞ」
「はっ?」
 蛇渇の言葉の意味が判らない。
 視線を下に向ける――自分の服が燃えていた。
「う、うわっー!」
 体を横倒しにし、床にこすりつける。相馬のすっかり脂肪が増えた体が、ぶざまに揺れる様は滑稽以外の何物でもなかった。
「くくく、面白い見世物よの」
 蛇渇の嘲笑が相馬の心を突き刺す。屈辱に耐えつつ、相馬は何とか体を起こし、蛇渇と向き合う。
「……危ういところを助けていただき、ありがとうございました」
「礼などいらん。たいした手間ではないのでな。それよりも、少々頼みたいことがある」
「はっ、どのようなことでも……」
 この上なく無様な姿を見られて、反抗できるほど相馬の心は強くはなかった。
「今日、耶麻台の隠れ里を襲撃したが、何人か、逃げ延びたものがおる。そやつらの討伐を頼みたい。青い服を着た若い男と黒い服に身を包んだ青髪の女だ……よいな」
 念押しされるまでもなかった。頼みと言いながらも、その実は命令。この状況では、指揮系統が違うなどと言えるはずもない。
「了解いたしました。――蛇渇様はお疲れでございましょう。すぐに寝所を――」
「いらん。部下が重症でな。治療させねばならんから、すぐに立つ。わしからの頼み、決して軽んじるな」
「はっ」
 相馬は床に頭をこすり付けて、最大限の努力、いや命令の遂行を誓った。
「くくく……」
 城主を見下しつつ、蛇渇は広間を出て行った。
 瘴気の塊が去った後もしばらく相馬は顔を上げなかった。心配した部下が近寄ってくる。
「そ、相馬様、大丈夫ですか?」
 炎で服が焼けてしまったのだ。火傷をしているかもしれない。上司を気遣った部下だったが、返答は無体なものだった。
 相馬は起き上がったかと思うと、硬く握り締めた拳で部下を思いっきり殴りつけた。曲がりなりにも狗根国の武将の一撃である。頬を殴りつけられた部下は壁際まで転がった。
「ばか者! き、貴様のせいだぞっ!」
 いきなり罵声を浴びせられた部下は先日、志野のうわさを相馬の耳に入れ、今夜の手はずを整えた者だった。
「貴様が余計なことをしたから、このようなことになったのだ! わしの命を狙う者を招き入れるなど言語道断だぞ!」
 殴りつけただけでは飽き足らなかったのか、転がった部下を蹴りつけた。
 部下としても言いたいことはある。
 相馬の女好きは自他共に認めるものである。自分が言わなかったとしても、いずれ誰かの口から耳に入っただろう。そうなれば、宮殿に招かないわけがないのだ。とはいえ、城主に害をなそうとすることを見抜けなかったことは言い訳のしようがない。観念して、相馬の怒りが収まるのを待つしかなかった。
「相馬様、この者たちをいかがいたしますか?」
 城主の気をそらそうと、他の部下が進言する。
 相馬は息を荒げながら、自分の命を狙ったふたりの女をにらみつける。気絶した女は脱力しており、四肢は投げ出されていた。息はあるようで胸は上下している。
 本来なら即刻、首をはねるところではあるが、白く張りのある肌は変わらず魅力的であった。気絶していることで、どこか倒錯した興奮をも呼び起こす。
 殺してしまっては、その肌を二度と味わうことはできない。
「……地下牢に閉じ込めておけ。左道士総監どのから頼まれた仕事を果たしたあとで、わし自ら尋問してくれる。……けして、女どもに触れるようなことがあってはならん。良いな」
 女を犯すところを想像したのだろう。怒りに満ちていた顔が、すけべなものへと変わっていた。嫌がる女を組み敷き、欲望の丈をぶちまける。そして、飽きたところで殺す。考えただけで興奮する。
 兵士が縄を持ち、後ろ手に縛り、足もきつく締め付ける。ふたりがかりで女を地下牢へと運んでいく。落ちていた剣と人形も回収され、いずこかへと持っていかれた。
 あの女を存分に堪能するためにも、まずは蛇渇が打ちもらしたという残党を見つけなければならない。
「全員、わしの前に集まれ!」
 広間にいた主要な部下へと命令を下す。足蹴にされていた部下も、立ち上がり、相馬の前に膝をつく。
「良いか、我が領内に潜んでいた耶麻台の残党を蛇渇どのが襲撃された。そのときに、何人か逃げ出した者がいるそうだ。姿格好は青い服を着た若い男と、黒い服に身を包んだ青髪の女だ。急ぎ、兵を使って領内を探索せよ」
「明日は征西都督府に男どもを送る予定ですが」
「……遅れるようなことがあっては、紫香楽様の不興を被るかもしれぬ。移送のための兵は残しておけ」
「はっ」
 決定的な失敗をしたわけではない。ただ命を狙われただけ。だが、自分でも無様な姿を晒してしまったことは分かっていた。蛇渇から紫香楽にどのようなことを吹き込まれるか分からない。何しろ蛇渇は王の任命された紫香楽の補佐役である。これまでは補佐役といえども、左道士の長には違いないと考え、少なからず反抗も見せてはいたが、そんな気力もなくなった。蛇渇の『頼み』を果たせなければ、城主としての立場が危うくなる。
 必ず、成果を出さなければならなかった。
 城主の命を受け、部下たちが急ぎ足で広間を出て行く。
 ただひとり残った相馬の顔は厳しかった。






 月が照らす街道を、移動用の魔獣――水蜘蛛に乗った蛇渇が北に向かって進んでいた。
 顔がミイラのようになっている左道士。ミイラといっても干からびているわけではない。禍々しい生命力にあふれた髑髏は左道に縁のない人間ならば、見ただけで気絶してしまう者もいるかもしれない。
 月の満ち欠けは魔力の満ち欠けをも表すという。
 満月の光を一身に受け、蛇渇の瘴気はますます色を濃くしていた。
 水蜘蛛が細かく震え出した。
 蛇渇は前方の林を見つめる。林の中からぬるりと水蜘蛛と同じような魔獣、いや、その半身が姿を現した。上には人影が見える。地面をすべるようにして、近寄ってきた。蛇渇の目の前まで来て、影は水蜘蛛から降りて地面に膝をついた。
「鬼火か」
「お待ちしておりました。首尾はいかがでしたでしょうか?」
 聞くまでもないことだが、と胸の内で付け加えて、追跡の成果を尋ねる。
「逃げられた」
 簡潔な答え。しかし、予期していたものとは正反対であった。
「蛇渇様の手から逃れたというのですか」
 驚きだけでなく、感嘆の響きがこもっている。
「くくく、驚いているようだな? だが、事実よ。見事に我が手からすり抜けおったわ」
「……北に向かわれるということは、征西都督府に帰還されるおつもりですか? 逃げた者たちを追わなくてよろしいので?」
 この街道を使っている以上、答えは一つしかない。そう分かっていても問わずにはいられなかった。蛇渇に仕えてからまだそう長くはない。それでも、蛇渇が一度手がけた仕事を途中で投げ出すような性格でないことは分かっていた。
「耶麻台副王から受けた傷が思いのほか深かったようでな。さすがは耶麻台の神剣といったところか。魔力で傷口を押さえようにも、反発を弱めん。あの男の執念かもしれぬが、どちらにせよ、都督府に戻って濃い魔力につからねば、傷を癒すことができぬようなのでな。逃亡者の発見と征伐は相馬に任せた」
 傷のせいで逃してしまったのかと納得する一方で、また新たな疑問が浮かんだ。
「相馬様に、でございますか?」
 耶麻台残党の隠れ里を探すため、国府城にはほとんど滞在しなかった鬼火であったが、職業病のようなものでわずかな時間で城主の情報程度は集めていた。入手した情報から浮かび上がった相馬の姿は、武将としてはそれなりの能力があるが、ほかの統治能力については水準以下、性格は気分屋で安定性にかけており、有能とはほど遠い。
 相馬に対する蛇渇の認識もほとんど変わらない。
「たしかにあやつに任せるのは不安ではあるのだがな。致し方ない。おまえも足に深手を負っておるし、李興どもが生きておれば話は別であったのだが、唯一の生き残りは、水蜘蛛の中で眠っている」
 蛇渇の視線の先には水蜘蛛に飲み込まれている左道士の姿があった。眠っているとはほど遠い苦悶の表情を浮かべているが、蛇渇にとっては問題ではない。
 分裂していた水蜘蛛が一つに戻ろうとうごめいている。
「すでに領内の村や里には、残党の賞金を倍にするという触れも出している。捕まえることは十分に可能であろう」
 蛇渇はそう結論付けた。
 たしかに他に任せられる人間がいないというのは事実である。それに、鬼火はもともと蛇渇に意見できるような立場にはない。主の命令であれば、従うほかない。
「では、鬼火よ、水蜘蛛に乗れ」
 主の言葉に従い、鬼火は魔獣の上に乗った。
 動き出した水蜘蛛は街道を北上していく。
「ところで、あの里にいたのは耶麻台の乱波だと言っていたな。たしか、耶麻台の諜報機関は『耳目』と言ったか。その耳目は三つの里で構成されていたと聞いたが、あれはどこの連中だ」
「……おそらく、響衆かと」
「響衆……、おぬしらによって滅ぼされた者どもだったな」
 一言、つぶやき、蛇渇は黙った。
 響衆――鬼火にとっては忘れられぬ存在であった。
 十五年前、耶牟原城陥落の前後に、響衆は滅んだ。滅びをもたらしたのは、同じく耳目を構成する里の一つ、華辣衆。鬼火の一族であった。
 目の奥に浮かんだ揺らめきを消し、鬼火はじっと前を見つめた。






 暗くよどんだ空気。
 窓もなく、太陽の下を好む人であれば、決して近づきたくないだろう。
 部屋自体は広いが、石造りの壁が突き出し、部屋を小部屋へと区切っている。小部屋の入り口は格子状に頑丈な木でしっかりと枠がはめられており、外からしっかりと鍵がかけられていた。入れられてしまえば、抜け出すことはできない。
 ここは国府城の地下牢。
 犯罪者や相馬の不興を買った者が閉じ込められる場所であるが、住人は一人もいなかった。
 今朝までは地下牢の部屋全てが埋まっていたのが、彼らも征西都督府へ移送されることになったので、別の場所に移されていた。いつもうめき声や嗚咽(おえつ)でうるさい地下牢は静かだった。
 静けさが破られた。
 戸が開けられ、靴音を立てて、土色の軽甲に身を包んだ兵士たちが入ってきた。縄で手足を縛られた女を二人抱えている。兵士たちは縄を解くことなく、二人を別々の牢獄に入れ、しっかりと鍵をかけた。
「これで仕事は終わりか」
「バカ! 左道士総監と相馬様の話を聞いてなかったのか? どうせ、これから出撃して人探しだろうよ」
「もう夜だぜ」
「俺たちに昼も夜もないってことだろうよ」
 兵士たちが次々と愚痴をこぼす。
「それにしても、この志野って女、いい体してやがんな。俺は肩を触っただけだけど、すべすべしてたぜ」
「おう、見てるだけでも、こうムラムラっとくるものがあるよな」
「俺はどっちかって言うと、こっちの小さい方が好きだけどなあ」
「ちっ、この幼女趣味が」
 下卑た会話をしながらも、誰の目も女たちの体からは離れない。舐め回すように、視線を動かす。街の遊女街ではとてもではないが、お目にかかれない美女。男の欲望が膨れ上がるのも当然だった。
「……なあ、ちょっと味見してみないか?」
 見ているだけでは我慢できなくなった兵士がみんなの顔を見回す。
「その気持ちは分かるがな。やめとけ。相馬様にばれたら、首が胴から離れるぞ」
「じゃあ、こっちの小さいのは?」
「……相馬様の女好きは知っているだろうが、ほら、ここにいても仕方ない。とっとと行くぞ!」
「まあ、その通りか。惜しいなあ」
 提案した兵士は、なおも志野の肢体を眺めていたが、一兵士ではどうしようもない。他の兵士について行く。
「それでは地下牢の見張りをお願いする」
「了解しました」
 牢番に後のことは任せ、兵士たちは地下牢を出て行った。
 牢番は地下牢の出入り口の近くにある腰掛に座った。
 兵士たちが去って四半刻が経った。
 気を失っていた志野は小さく身じろぎした。そして、ゆっくりとまぶたを開けた。目を動かし、辺りを確認する。
「ここは……」
 体を起こそうとして、手が自由に動かせないことに気づいた。後ろ手にしっかりと縛られている。見えはしないが、手首の感触で分かった。ついで足のほうを見ると、こちらもまた足首のところで縛られていた。
 この状況が示すことはただ一つ。捕まってしまったのだ。
「あの時……」
 珠洲の人形が放った炎が相馬を襲った。完全に体勢が崩れたところに志野の斬撃がのど元を捉えたはずだった。
 手をギュッと握り締める。
 手応えはまるで残っていない。あと少しのところで剣は届かなかった。
 床を這い、壁に体を預けて、体を起こす。
 ――珠洲はどこ?
 栗色の少女の姿がない。
 体を壁に押し付けながら、木の格子までたどり着き、外の様子を確認する。
 反対側にも同じように牢獄があるが、そこには誰もいない。廊下の先のほうを見ると、しっかりと目を見開いている牢番がいた。
「珠洲はどこにいるの!?」
 閉じられた空間だけに声は良く響く。
「……ガキのことか? となりだ」
「どっちの!?」
「……こちら側だ。キンキン騒ぐんじゃねえ」
「珠洲、珠洲!」
 男の言葉にはかまわず、志野はとなりの牢獄に声をかける。
「ちっ!」
 響く声に苛立った牢番が立てかけてあった棒を手に取り、志野の牢獄の前まで強い足音を立てて歩いてきた。
「黙れって言っただろう!」
 叫ぶのといっしょに格子の間から木の棒で志野を思いっきり突いた。先端は布で包まれてはいるが、傷つきにくいというだけで威力が軽減されるわけではない。しかも手足は縛られているのだ。志野は倒れこんだ。
「少しは自分の立場が分かったか」
 そう言い捨て、牢番はもう一度、棒で小突いた。
「……志野を傷つけるやつは許さない」
 かすれた、しかし、はっきりとした声が聞こえた。
「珠洲! 大丈夫!?」
 痛みも忘れて、声に応える。
「うん、大丈夫」
「そう、良かった」
 いきなり蚊帳の外におかれた牢番は再び棒で志野を打ちつけ、となりの珠洲にも叩きつけた。
「少しは、覚えるってことを知るんだな」
 ようやく静かになった地下牢に満足したのか、牢番は口元を曲げた。棒を格子から抜き、肩に担いで腰掛のところにまで戻った。
 志野は痛む体をかばいながら、ゆっくりと体を起こし、壁によりかかった。
 この壁の向こうに珠洲がいる。
 怪我をしているのではと心配だったが、声を聞く限り大丈夫のようだ。ならば、下手に牢番を挑発する必要はない。
 ――ここから抜け出せるだろうか?
 手の縄をはずすことはできる。それは珠洲も同じこと。
 問題は木の格子を突破することができるかどうか?
 難しい。
 剣が手元にあればどうとでもなる。しかし、素手では格子を破ることはできない。抜け出すことは諦めざるをえない。
 あの男の顔を思い出す。
 いかにも好色そうなたるんだ顔だった。
 おそらく自分をこのまま殺すようなことはない。必ず自らの手で尋問しようとするはず。そのときこそが好機――あの男を殺すための。
 ――座長……
 命の、いや人生の恩人。幼きころに親とはぐれ、生きる術も道も分からなかった自分を育て、親から教え込まれていた舞を活かす道を示してくれた。甘やかされたわけではない。厳しかった。逃げ出そうと思ったこともあった。でも、厳しさの奥にある優しさはしっかりと感じ取れていた。
 暖かかった。
 一座を率いて、笑顔を失くした人たちに笑顔を届けるために街から街へと旅をしながら、芸を披露していた。妹のような少女にも会えた。他の人たちも、みんな真剣で座長を尊敬していた。新しい家族を手に入れた。そう思えた。
 楽しいまま時は過ぎ、終わりの時はいきなりやってきた。
 ある日、座長からおつかいを頼まれ、一座から離れた。珠洲もついて来ようとしたが、人形遣いの練習があり、ひとりでのおつかいとなった。
 十代後半、家族との暮らしが楽しくても、ちょっと冒険をしてみたくなる年頃だ。一座ではひとりで行動することなどあまりない。珠洲には少し悪いなと思いながらも、街をひとりで歩くことを楽しんでいた。珠洲には何かお土産を買って帰ろう。市場の品々を見ながら、あれもいい、これもいいと考えていると時間はあっという間に過ぎていった。
 珠洲へのお土産も買って、気分良く、一座のところに帰ってくると、家代わりの馬車は無残に壊されていた。馬車の周りには一座の仲間たちが血まみれで倒れていた。
 持っていた荷物を地面に落として、壊れた馬車へと駆け寄った。
 むせるような血の匂い。
 馬車の前に倒れていたのは座長だった。となりに膝をつき、体をゆする。まだ暖かかった。しかし、息はなく、一突きにされたのであろう胸からは血が流れていた。
 目は見開かれており、無念の表情のまま固まっていた。
 世の中にはどこにでも死は転がっている。それでも、こんな死に方をする人ではなかった。震える手を座長の顔にあて、目を閉じさせた。ふらつく足で仲間たちの死体のところまで行っては同じ事の繰り返し、気が狂いそうだった。
 馬車のほうでガタッと音がした。
 焦点の定まらない目で馬車の中に潜り込むと、馬車の床がはずれた。出てきたのは少女――珠洲だった。何も言わずに思いっきり抱きしめた。二人で泣いた。
 泣き終わったあと、復讐を誓った。
 一座の売り上げなどは全てなくなっていた。だから最初は盗賊の仕業だと思った。しかし、珠洲が襲撃者の顔を覚えていた。男、しかも狗根国の兵士、やけに熱心に一座の興行を見ていたので記憶に残っていたのだという。
 まずはその男からだ。
 半年間、剣の鍛錬をしながら、機会をうかがった。
 男は街の兵士ですぐに見つかった。
 新月の夜、闇夜に兵士を襲った。舞のための剣技はわずか半年の間に実践的な技に変わっていた。簡単に抵抗力を奪い、他に誰がいたのか、命令したのは誰かを聞き出した。男は命乞いをしたが、志野は躊躇なく殺した。
 相馬――それが首謀者の名前だった。
 あれから半年、相馬は別の街へと異動となっていた。志野と珠洲はまず手下となっていた兵士を全員殺すことにした。
 復讐という泥沼にはまっていくのは感じていた。
 もともと無表情ではあった珠洲が無感情といえるまでに心を閉ざしていくのも分かった。
 ――止まれはしなかった。
 一人また一人と兵士を殺し、今日を迎えた。
 牢獄に閉じ込められた程度で諦めることなどできない。
 できるほど、弱い決心ではない。
 志野は静かに眼を閉じた。
 やがて来る好機に全ての力をかけるために。



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