〜戦  雲〜


作・ゴーアル様


 第三話 襲来(その3)



 滝の流れる音が絶え間なく続いている川のほとり。
 見渡せば緑の木々が一望でき、春の陽気の中でも清冽な風が舞っているそんな場所。そこにはいくつかの人影があった。
 太陽はだいぶ西に傾いているが、まだ力を保っている。にもかかわらず、その人影の周りだけはうっすらと夜の気配が漂っていた。
「あれが隠れ里か」
 妙な服装の男が指をさす。紫を基調とし、黒糸で複雑な文様が刺繍された服。その上から白い外套のようなものを羽織り、頭には四角いコック帽のようなものをかぶっている。山歩きには似合わない服装。それは狗根国の左道士の制服であった。同じ服装の男が他に4人いる。男の指の先には里を囲む塀が見えていた。
「はっ、その通りにございます」
 黒服の男が答えた。全身を黒装束に包み、一人膝をついている。頬のこけた精悍な顔つき。狼を思わせるその男は、しかしただ一人頭をたれていた。
「ふんっ、小さい里よの」
 吐き捨てるような声。白い外套の男はとなりでひざまずいている男をにらみつけた。神経質そうな細い顔にありありと苛立ちが表れている。
「あのような里を襲うために我らを呼びつけたのか。偉くなったものよのお、鬼火」
 甲高い声が滝の音をさえぎる。視線がなぶるようなものへと変わった。
「いえ、そのようなことはございませぬ、孤影様。わたしでは荷が勝ちますので、ご助力をお願いしたのでございます」
「点数稼ぎと言うことかのお? まあ、犬にはそれがお似合いよ。のう、みなの者。フォッフォッフォッ」
 男たちがいっせいに笑い始めた。上品さはときには不気味さにつながる。同じ服を着た男たちが口に手を当て笑っている姿は不気味以外の何ものでもなかった。
 あきらかな嘲笑の中でも黒装束の男――鬼火はピクリとも動かなかった。男たちの笑い声など滝の音にも劣る雑音に過ぎないとでも言うように。ひとしきり笑い声を上げていた男たちもそのことに気づいたのだろう。笑うのを止め、今度は全員でにらみつける。それでも鬼火の態度に変化はない。
 再び苛立ちが頂点に達し、孤影が口を開こうとして、
「そのくらいにしておけ、孤影。見苦しい」
 凄みのある声が割って入った。声が発せられた瞬間、清冽であったはずの空気が瘴気を得た。
「も、申し訳ございませぬ」
 孤影は慌てて、声の発せられた方へ振り返り、頭を下げた。その先には当然、声を発した人間がいる。
 空気は淀み、その一角だけ光が弱まっている。瘴気が霧のように漂い、死の気配を絶え間なく生んでいた。負の空気の中心にその人間――いや、化け物がいた。
「もともと鬼火には隠れ里の場所を探し出すことを命じておったのだ。里を壊滅させることまでは命じておらん。――きさまらを呼んだのはわしよ。孤影よ、何か言いたいことがあるのか?」
「滅相もございません、蛇渇様」
 孤影にとって蛇渇は左道の師である。幼少のころより師事し、師の恐ろしさは身に染み込んでいる。何よりも左道士としての格が違う。
「まあよい。小さい里だというのは本当のようだからな。本来ならば我らが出張るような相手ではないが、最近、都督府も規律が緩んできておる。わし自ら残党を狩り出せば、軍のほうも手柄惜しさに残党狩りに躍起になるだろうからな。――此度は徹底的に焼き尽くさねばならんな」
「蛇渇様の深謀、恐れ入りました。しかし、このような里、師の手を煩わせるまでもありません。我らにお任せくださりませ」
 孤影の言葉を合図に、左道士たちはいっせいに頭を下げた。
「もとよりおまえたちに任せるつもりよ。どれほど腕を上げたか見極めさせてもらうぞ」
「はっ、ではさっそく……」
「お待ちを」
 すばやく動いて師への印象を良くしようとした孤影を鬼火が止める。
「何の用か!」
 出鼻をくじかれた孤影はいらだったように叫ぶ。
「朝方、里を出た者たちがおりました。数は23人。ひとり女がおりましたが、この者たちはあの里の一番の働き頭のはず。里を焼くということからは主力がいないことは好機にございまするが、残党の殲滅を考えた場合にはむしろやっかいなことになるかと。むしろ、そやつらの帰りを待ち、一網打尽にするべきではありませんか」
「きさま、分を知らずに我らに指図をするか!」
 鬼火の淀みのない声に孤影は裂ぱくの気合をもって応じた。鬼火はただ頭を下げ、蛇渇の言葉を待っている。
「孤影、見苦しいと言った」
「は、はっ、申し訳……」
「黙れ」
 蛇渇の一喝に孤影は従うほかない。苦々しげに鬼火をにらみつけるのが精一杯だった。
「鬼火よ、おまえはあの隠れ里は耶麻台の乱波のものである可能性が高いと申しておったな」
「はっ、この山に張られた結界、住人のしぐさなどを見ていれば、ほぼ間違いかと」
 鬼火の言う結界とは呪術的なものではない。自然を利用し、ここから先には侵入を思いとどまらせるという心理的な歯止めが要所要所に設置されていたのだ。それは鬼火の目から見れば明らかに人為的なものであった。そのようなことを普通の人間にできるはずもない。
「ふむ、それでは先ほど言っていた男どもは乱波と見て間違いないのだな?」
「はい」
「では、早急に攻めたほうが良いな。――わしは決して耶麻台の乱波をなめてはおらぬ」
 蛇渇は赤黒い光が浮かぶ双眸でじっと鬼火を見つめる。周りの左道士たちも鬼火を見ていたが、その視線は冷たいものだった。鬼火は何も答えず、じっとひざまずいている。
「それに、里をつぶすことには十分な意味がある。なぜ、やつらは里を作ったのか? 無論、腰をすえて我らへの反抗を企むためということもあろう。しかしだ、何よりもやつらは帰る場所がほしいのだ。その場所とは、ただ里を指すのではない。女であり子供なのだ。女、子供を殺せば自暴自棄になり、いずれ自滅しよう」
 支配者にとって死を恐れぬ者――死兵は恐ろしい。恐怖による支配が効果をなさないからだ。しかし、それ以上に恐ろしいのが生を諦めない反抗者だ。
 世の中の論理の一つとして、生き残ったものこそが勝者というものがある。
 たとえば徳川家康。幼少のころから忍の一字を強いられ、最後には天下人となった男。才能もあり、臣下にも恵まれた。しかし、結局はライバルよりも長生きできたことが徳川270年につながったのだ。織田信長は本能寺で明智光秀に討たれ、豊臣秀吉は死後の体制を定めきれずに死んだ。最後の強敵となった前田利家も秀吉の死の1年後に病に倒れた。その1年半後に関が原の戦いである。――乱世においては死んでは負けなのだ。だからこそ、生を諦めず、かつ、反抗を諦めない者が支配者にとってはもっとも怖い。
 里を失い、家族を失えば、その相手を恨むだろう。そして自分の命を顧みず、復讐に走る。それでは国を崩すことはできない。
「まあ、そのようなことを考えずとも、里が襲われたと知れば、急いで戻ってくるだろう。疲れた者を相手するのはたやすい。まずは、里を壊滅させることだ」
 蛇渇の視線が孤影へと注がれる。
「我らが左道の上達ぶりをお見せいたしましょう!」
 孤影の言葉と共に左道士が動き始めた。孤影の左右に2人ずつ十分な間を取って並ぶ。孤影以外の左道士がゆっくりと前に歩き出し、半円を作るようして、それぞれの位置に立ち止った。全員が半円の中心を向く。いっせいに外套が跳ね上がり、手を前に突き出した。
 孤影が懐から皮袋を取り出し、半円の中心めがけ放物線を描くように投げた。すぐさま他の左道士と同じように両手を前に突き出す。
 放り投げられた皮袋がゆっくりと落ち始め、左道士たちの手の高さまで下がったとき、皮袋がはじけた。手とはじけた点を結ぶように紫色の気流が生じる。中心では黒い水が浮かんでいた。
 ――深遠の闇から湧きいでし魔の水
 ――そは低きから高きに流れしもの
 ――そは黒き大地から滲みだし闇の乳となるもの
 ――そは天に背きし地にて全てを育みしもの
 ――そは闇の命
 左道士の声が反響し、黒い水が細かく震えだす。
 ――我らは黒き夢に生きしもの
 ――我らは幻惑の大地に導くもの
 ――我らは蛇の声を聞きしもの
 ――我らは闇の知恵
 ――天空よりも大地の底を好みし黒き狐
 黒い水が黒紫色の光を放ち始めた。光は広がり、その中心はさらに濃き闇へと成長を遂げていく。
 ――訪れよ獣
 ――我は約す
 ――芳醇なる真紅の乳
 ――甘き肉の感触
 鬼火は闇の奥のいくつもの気配を感じていた。禍々しき獣の気配。
 風が闇へと向かって流れる。
 いつの間にか鳥の鳴き声が止んでいる。いなくなったのでない。鬼火ならば鳥のような小動物であっても気配を感じることができる。鳥たちは恐れるように羽をたたみ、縮こまっているのだ。
 ――訪れよ獣
 ――そして来よ
 ――血の生贄よ
 風が巻く。
 森の生き物がいっせいに動いた。
 何百もの鳥、イタチやリスなどの小動物が闇を目指して突進する。目は赤く光り、生き物としての本能を失っていることが見て取れる。ただ、死の中へと身を投じていく。
 鳥は羽ばたき、闇の中へ。
 大地をける動物たちは左道士の側を駆け抜け飛び上がる。風に乗り、最初で最後の浮遊を味わう。
 全ての獣が歓喜の鳴き声を上げ、ただの血肉へと化していく。
 黒き水に真紅の血が混じり膨れ上がる。
 そして――生まれた。
 赤黒い球体から紫色の手が出てきた。ズルッという音とともに巨大な物体が落ちてくる。その物体は四肢をしっかりと伸ばし、着地した。
 鮮やかな紫が潮が引くようにして黒みを増す。
 牛と同じくらいの巨体の狼。目は爛々と輝き、吐く息は瘴気そのもの。身体を覆うのは毛ではなく鉄のうろこ。まさに異形の化け物――魔獣。
 それが続けて出てくる。
 決して広くはない川辺が見る間に黒き獣で埋め尽くされた。
「ふむ、まあまあと言ったところか」
 蛇渇は弟子が召還した魔獣を見渡す。
 魔獣召還――それが左道士の行った儀式である。
 この世界は5界から成り立っている。すなわち天界、仙人界、人界、魔獣界、魔界である。各界の間には境界があり、たやすくは越えられないようになっている。簡単に越えられるようでは界を意味しない。
 それでも境界を越える術はいくつかある。それが召還であった。
 召還術それ自体はそれほど高度な術ではないと思われている。たしかに召還に必要な媒体、場、時がそろえば、初級の左道士であっても低級の魔獣ならば呼び出すことも可能だ。しかし郊外で、となればまったく話は違う。
 左道を安定させ、強力な魔獣を人界へと呼び込む。しかも20体を越える魔獣をである。
 本来ならまあまあで済むような力量ではないのだが、狗根国の左道士総監である蛇渇にとっては物足りないのだろう。
「では、獣を放ちまする」
「ああ、かまわぬ、存分にやれ」
 左道士が各々、魔獣に向かい手をかざす。そして一気に振り下ろした。その先は滝の向こう、乱波の隠れ里。
 魔獣は四肢に力を込め、岩場をえぐるようにして飛び出す。崖を怖がることなく岩を蹴る。人ではかなわないほどの滞空時間。落ちるのではなく、滑空するように滝の淵を越えた。着地するや否やそのまま駆け出す。――柔らかな肉と熱い血を求めて。
「我らも行くぞ」
 蛇渇が呪を発する。奇怪な声に応えるように蛇渇の外套がまくれ上がり、アメーバ状の物体が地を這う。蛇渇がこともなげに召還したのは移動用の低級魔獣である。魔獣は畳6畳分ほどまで広がった。蛇渇をはじめ全員が乗り、人が走るほどの速さで進み始めた。
 滝の手前まで進んだところで、隠れ里の方から巨大な物体同士がぶつかり崩れたような音が聞こえた。魔獣が隠れ里に達したのだろう。
 血と悲鳴の競演が始まる。









 風が木々を揺らす。天然の子守唄のような耳に心地よい葉のこすれあう音。だるい身体には何よりの誘惑。ふと眠気がさす。
 九峪は大樹の根の上で目を閉じ、横になっていた。湿った苔を手の甲に感じる。その冷たさが心地よく、全身の力が抜け、疲れが分散していく。
 何かがこすれる音がした。
「ここにおられましたか、九峪様」
 だるさなど微塵も感じさせない男の声。男は顔にうっすらと笑みを浮かべ、柔らかな土を踏みしめ斜面を登ってきた。かなり急な斜面のはずだが、その足取りに不確かなところはまるでない。見るからに太い足がしっかりと立っている。
 九峪はその人物のほうへ顔を向ける。
「疲れたとおっしゃっていた割には、かなり登られましたな」
 男はフゥッと息を吐く。もっとも斜面に立っているため少し前屈みになっているほかは、背筋も伸び疲れた様子は見えない。
「この大木のふもとが気持ちよさそうだったんで、ちょっとがんばったんだ」
 大樹をまぶしそうに見上げる。幹は太く、人が手を伸ばし囲むには大人が6人は必要だろう。辺りの木々が枝を茂らせ、空を隠す。それでも葉の隙間を縫って、光りが地面を照らす。木漏れ日が幹を彩り、細かなアクセントをつけていた。
「まだ、休憩の時間はあったよな?」
「ええ、もうしばらくは」
 模擬戦が終わった後、九峪たちは帰途についていた。行きと同じ行程で、行きと同じように神社で休憩した。ゆっくりと休み、里まであと半刻と、勢い良く再出発し、4半刻もしないうちにまた休憩をしていた。原因は九峪である。
 できるだけ周りの速さに合わせようと努力していた九峪であったが、模擬戦の後ということもあって、さすがに足の疲れが限界に達していた。それを察した伊雅がもう一度、休憩を提案したのであった。
 その提案に感謝した九峪が腰に手を当てて、ゆっくりと辺りを見回すと、木々の向こうにひときわ大きな木が見えたのである。急にそこで休みたくなって、疲れた体を押し、斜面を登ったのであった。
 他の男たちはその場で休んでいる。
「となり、座ってもよろしいですかな」
 男――伊雅が九峪が横になっている根の側にまで来た。
 自分だけが横になっているわけにもいかず、九峪は身体を起こした。
「ああ、かまわない」
「ありがとうございます」
 神の遣いとはいえ、あきらかに自分より年下の相手にあくまでも礼儀正しく接する。伊雅は九峪に頭を下げ、腰に下げてある2振りの剣をはずし、となりに座った。
「しばらくはずしてくれるか」
 独り言のように、伊雅がつぶやいた。
 風の音は変わらず、何かが変わったような気配はない。それでも、九峪には伊雅が誰に言ったのか想像がついた。
「清瑞か」
「ええ、はずしてくれたようです」
 九峪には感じ取れないが、伊雅には女乱波の気配が遠ざかったことが分かるのだろう。
「かなわないな。近くにいるんだろうとは思ってたけど、おれにはまるで分からなかった」
「まあ、慣れと経験、そして学習といったところです」
「そんなもんかな」
「ええ、そうです。今日の訓練も同じことです。実際に指示を出し、人を動かしてみなければ、『指揮する』ことを理解できなかったでしょう。自分のできたこと、できなかったこと、それらを後日の糧にすればよろしいのです」
 諭すように話す伊雅の顔は穏やかだった。
「むしろ、先ほど言われた言葉のほうが大事でしょう」
「何か言ったっけ?」
 九峪には大事と言われるようなことを口にした覚えはない。
「『いるだろうと思った』と言われましたな。人を信頼することは何よりも難しいことです。九峪様はそれができておられる」
「……あの無愛想女はおれの警護が仕事なんだろ。だからいると思っただけだよ」
 この一週間でかわいげのない女乱波のことも少しは分かった。どんなことがあろうとも私情を優先させることのない性格だ。実感はないがなんとなく分かった。あれだけ文句を言ってくるということは、警護の仕事は確実にこなしていることを意味している。
「それが信頼なのです。この歳になって分かったことがあります。1人でできることは限られている。人は協力することで大きなことを達成できるのだと。しかし、そのためには人を信頼すること必要です。――思えば、耶麻台副王として狗根国の侵略と戦っているときは、自分だけで戦っていたような気がします」
 話を続ける伊雅の目はどこか遠くを見ているようだ。
「追いつめられればられるほどに、1人で悩み、戦おうとした。その間も兵士はわたしの指揮で戦い、死んでいきました。自分ひとりで抱え込んでいるつもりになっていたのですな。そして、わたしは兄に救われました。兄、それに兵士たちはわたしを信頼してくれていたのだと思います。……しかし、わたしは信頼を返せなかった」
 伊雅は顔の前で両手の指を絡めるようにして手を組んだ。悔恨に満ちた声――語尾がかすかに震えている。神社で過去を振り返っていたときとは違う。より深い記憶を呼び戻していた。
「なんでいきなりそんな話を?」
 静かに話を聴いていた九峪は伊雅の意図が分からず戸惑った。もともと伊雅とは潜ってきた修羅場が違う。九峪には歴戦の武人の言葉を受け入れるだけの器はまだなかった。
「……なぜでしょうか、自分でも分かりませんな」
 九峪の問いで自分が内心を吐露していることに初めて気づいたかのように、伊雅は苦笑した。
「おそらく歳をとったからでしょう。若者に何かを残したくなったのかもしれません」
「歳をとったって……」
 筋骨隆々という言葉そのままに、発達した肩周りの筋肉、厚い胸板――とても年齢を感じさせるものではない。剣術の稽古においても20歳以上若い九峪を体力で圧倒している。九峪の頭の中にある40代のイメージからはかけ離れた存在だった。
 その人から歳をとったなどという言葉は聞きたくはなかった。
「これだけ歩いて疲れた様子もないのに?」
「身体のことではありません。体力はまだまだ若いものには負けません。ただ、わたしの父は52で死にましたし、いろいろ考えることもありまして……」
「……これから忙しくなるんだろ?」
「そうですな。これからです。老け込んでいる暇はありませんな」
「だから、老け込んでなんかないって! これからさ!」
 九峪はおかしな雰囲気を振り払うように明るく言った。伊雅の肩をパンッと叩く。
「ですな」
 伊雅は勢いをつけることもなく、置いておいた剣のうちの1つを持って、スッと立ち上がる。その姿に老いなどまったくない。
「心の疲れは身体に出るって言うし、そんだけ身体が頑丈なら大丈夫さ」
 そう言う九峪本人は模擬戦の疲れから、立ち上がるのも億劫だった。情けない自分の足を服の上からつねる。
「この剣のことをお話したことはありませんでしたな」
 伊雅は鞘から剣を抜いた。
 剣身はうっすらと赤みがかっており、ルビーの輝きを放っている。刃物の持つ不思議な魅力。触れればそれだけで切れるような薄い刃。それだけではない。
 剣の周りの空気までもが揺らめき、淡い光りが見える。
「何なんだ、それ、光ってるけど」
「この剣は王家に伝わる宝剣の1つです。不可思議な力を持つという白銀を神炎で溶かし、火魅子様自ら鍛えたものと言われています。その際に呪もお使いになられたようです。これは何代目の火魅子様が鍛えられたのかはわかりませんが、邪を破る力を持っています。父から与えられて以来、何度も命を救ってくれました」
「たしかに不思議なものを感じるな。名前はあるのか?」
「ええ、もちろんあります。この剣の銘は――天の火矛と申します」
「えっ! それって……」
「わたしもキョウ様から、九峪様を遣わされた神の御名をお聞きしたときには驚きました。そして、『時』を感じました。耶麻台国復興のために動く時を」
 伊雅はゆっくり剣を振り上げ、一気に振り下ろした。赤い光が軌跡を描き、空中に後を残す。
「縁担ぎのようなものですかな」
 大げさな動きをしてしまったことが恥ずかしかったのか、伊雅は照れたように笑った。40代の親父のイイ笑顔だった。
 そんな伊雅を見ていた九峪だったが、ふと疑問が浮かんだ。
「天の火『矛』だよな。なんで剣なんだ? 名が体を表していないみたいだけど」
「……伝わっている話では、この剣を鍛えられた火魅子様はとくに考えられていなかったようですな。剣が得意だったからという理由だけで作られたようです」
「ふ〜ん、けっこういい加減な火魅子もいたもんだなあ」
 里の木簡で火魅子の呪力の強さを――文字の上ではあるが――感じていた九峪は、火魅子の思いもよらない姿にギャップを感じた。矛を剣の名に用いるとはかなり強引なことに思える。
「たしかにそうですな。ですが、この宝剣は強力ですぞ。魔獣を何頭も切り倒してきたのですからな」
 伊雅は九峪に背を向け、だいぶ傾いてきた太陽に剣をかざした。
 日の光を受けても剣の赤光はかすむことはない。
 大きな伊雅の背中を見ながら、九峪はひとり思いにふける。
 伊雅の先ほどの話――きっとこの武人は今は他人を信頼して戦っているのだろう。斜面の下のほうにいる男たちは伊雅を信じ、伊雅は男たちを信じている。
 ――では、自分はどうなのだろうか?
 ――伊雅は神の遣いではない自分を信じてくれているのだろうか?
 そんなことはありえない話だ。自分には伊雅が信じてもらえるほどのものを持ってはいない。そう、何もないのだ。
 さらには大きな嘘までついている。
 いきなりこの世界に連れてこられ、元の世界に戻るために仕方のないことだとはいえ、嘘をついている。
 耶麻台国復興のために神に遣わされた――人の夢や希望に付け込んだ嘘。
 キョウに言われ、良くも分からずついた嘘が、どれだけ重大なことだったのか、ようやく分かってきていた。
 かと言って、今さら本当のことを言うわけにもいかない。
 元の世界に帰りたいからだ。
 家族がいて、学校があって、水泳部の仲間がいて、幼馴染の日魅子がいる。そんな世界に帰りたい。
 神の遣いでもない10代のガキが、ただ元の世界に戻りたいと頼んだとしても断られるに決まっている。ただの親切心だけで耶麻台国を復興させようなんて考えられる余裕などないことは、この1週間で良く分かっていた。
 やはり神の遣いを名乗り、復興へと先導しなければ目的を達成することはできない――頭では分かっている。心でも納得している。耶麻台国の復興は九洲の民の悲願である。つまり、動機は違えども目的とすることは同じである。――それでも罪悪感は消しきれなかった。
 肩甲骨のあたりが膨れ上がり、力強さと頼もしさを兼ね備えた武人の背中――九峪には正視し得ないほどの正しさがそこにはある。
「九峪様、悩まれることはありませんぞ」
 いきなりの伊雅の声――九峪の心臓がドクンッと大きく動いた。
 九峪の心中を読み取ったかのような伊雅の言葉だった。九峪は伊雅に気取られないように、静かに深呼吸をして気持ちを落ち着ける。まだ神の遣いではないと気づかれたと決まったわけではない。
「九峪様は、九峪様であられればよいのです」
 続けられた伊雅の言葉はさらに深いものだった。
 伊雅は背中を向けており、九峪からは顔は見えない。――しかし伊雅の口ぶりから考えれば答えは明らかだった。
 意を決して、九峪は伊雅へと問いかける。
「気づいているんじゃないのか?」
 伊雅は答えない。太陽にかざした剣も動かさず、彫刻のようにたたずんでいる。九峪が緊張感の中でじっと背中を見ていた。そして、やがてゆっくりと剣を下げ、鞘へと収めた。
「九峪様、里に初めて来られたときのことを覚えていらっしゃいますか?」
「……ああ、もちろん」
「あのとき、わたしはキョウ様にお尋ねしました。これから復興へとどう動いていくのかと」
「そういえば言ってたな」
「わたしの問いにキョウ様は困っていらっしゃるようだった。そこに、九峪様が言われた……」
「なんて言ったけ?」
 1週間前のことだ。九峪はすっかり忘れていた。
「耶麻台国のことを勉強がしたい。狗根国がなぜ耶麻台国に侵攻したのかも知りたいと」
「そんなこと……言ってたな。たしかに」
「その九峪様の言葉にわたしは驚きました」
「驚いた?」
「ええ、わたしは狗根国が侵攻してきた理由など考えもしませんでした。いや、まったく考えなかったわけではありませんが、真剣に検討することはありませんでした。ただ奴らが攻めてくるから戦う。そういう感じでした」
 伊雅があごを少し上げた。おそらく遠くの空を見ているのだろう。さっきから何回か見せているしぐさだ。
「しかし、あなたは知りたいとおっしゃった」
「いや、それはただ何も知らなかったからで……」
 あの時、九峪は話題に取り残されるのがいやで口を挟んだだけだった。それをこうも持ち上げられてはうれしく思うよりも先に戸惑ってしまう。
「そうなのかもしれません。しかし、わたしにはできなかったことです」
 伊雅が九峪のほうを振り返る。いつもと変わらない穏やかな顔だった。
「あの時、そしてこの1週間、九峪様を見ていて思いました。あなたは『人』を見ることができる方なのだと」
 両手を広げ、熱い口調で伊雅が話す。
「わたしはあなたを信頼しています」
 心のこもった言葉――九峪は思わず目をこすった。神の遣いを騙っている罪悪感は不思議とかき立てられず、ただうれしさでいっぱいになった。
 伊雅は間違いなく九峪が神の遣いではないということを見抜いている。その上で、九峪が耶麻台国の復興を目指していることは本当だと思っているのだ。つまり九峪のことを認めてくれている。これほどうれしいことはない。
「九峪様、となりに置いてある刀を抜いてもらえますか」
「あ、ああ、これか」
 伊雅がとなりに座ったときに置いて、そのままになっていた刀を持ち、立ち上がる――ずっしりと重い。稽古で使っている練習用の刀と長さは変わらない。それでも手にかかる重さは、九峪にはぜんぜん違うように思えた。
 左手で鞘の部分を、右手で柄を持ち、ゆっくりと刀を抜いていく。次第に明らかになっていく刀身は美しく怖い。音も立たずに抜き放たれた刀は手にかかる重さが嘘のように、軽やかに見えた。
「その刀は銘を『紫艶』と申し、白銀ではなく鉄製ですが、わたしの剣の師匠が鍛えた業物です。『天の火矛』とともに使ってきた刀なのですが――これを九峪様に差し上げます」
「えっ、いいのか?」
「かまいません。紫艶はそれほど扱いづらくはないはずです。これからは紫艶を使いこなすことを念頭に稽古を積んでいくことにいたしましょう」
「ありがとう。大切に使わせてもらう」
「いや、大切に使う必要はありません。どれほどの名刀といえども、武器には違いないのですから。――もちろん、手入れを怠るようなことがあってはなりません」
「なるほど、わかった。手入れの仕方もまた教えてくれ」
 九峪は紫艶を鞘へと収めた。留め具を使って腰に刀をぶら下げた。自分でもあまり似合っているようには思えない。伊雅の立ち姿と比べれば明らかだ。
 これから復興の戦いの中に身を置けば、いつかは慣れてくるのだろう。
 九峪はもう一度ありがとうと礼を言い、斜面を降りようと足を向ける。そろそろ休憩も終わりだった。
「九峪様!」
 いきなり大声を上げ、伊雅が九峪の前に出た。
 一瞬遅れて、九峪の耳に草木が何かにこすれるような音が聞こえた。誰かが近づいてきている。里の者たちは基本的に物音を立てることはない。伊雅に習い、九峪も柄に手をかけ、身体をかがめた。
「なんだ、あやつか」
 伊雅の身体から力が抜けた。
「申し訳ありません、九峪様。早とちりしたようです」
 九峪の前から身体をはずした。遮るものがなくなり、九峪の目にも近づいてくる者の顔が分かった。見覚えのある顔――さきの模擬戦で九峪の指揮下で戦っていた砺波(となみ)だった。
 しかし、様子がおかしかった。岩のように表情のない男が狼狽を顔に出している。
「どうしたのだ、砺波。何があった?」
 砺波の様子がおかしいのには、伊雅も当然気づいた。先ほど力が抜けた伊雅の身体にまた緊張が走っている。砺波は伊雅の前にひざまずいた。
「里の方をご覧ください」
 砺波が指をさした。その方向には――煙が上がっていた。
「ん? 煙か」
 九峪はそう言って、気づいた。
 ――炊事のたびに煙が出ていては隠れ里の意味がありません。
 出発前の会話での桔梗の言葉が頭の中で繰り返された。
「まさか……」
「里に何かがあったようですな。とにかく下に降りて皆と合流いたしましょう」
 伊雅はゆっくりと歩き出した。心を落ち着けるようにじっくりと地面を踏みしめる。
 九峪も後に続く。悪い予感が頭から離れない。
 頭を何度も横に振り、おかしな考えを頭から弾き飛ばそうとした。
 無理だった。
 今は早く下に降りて、伊雅の考えを聞くしかない。
 もう一度里の方角の空を見る。
 幾筋もの煙が太陽の傾いた空に立ち昇っていた。
 




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あとがき
 
 第三話「襲来」いかがでしたでしょうか?
 少しずつ話も動いてきています。
 今回は九峪と清瑞の間も少しは雪解けしました。本格的なデタントはまだまだ先ですが。
 自分で書いてて、「清瑞に何かを教わる九峪」や「九峪と語らう伊雅」はめずらしい光景かなと思いましたが、そうでもないでしょうか?
 九峪はまだまだ教わってばかりで、何も返せていない軟弱者ですが、そのうち成長してくれるものと思います。

 今回、いろいろと変に書きすぎてしまったかなと反省しています。
 とくに九峪の訓練のところで、もう少し省略しても良かったかなと思います。
 九峪はがんばってはいるけど、まだまだ修行は必要。伊雅もそのつもりで九峪をこれからも指導していこうと思っている。そんな感じを表現したかったのですが、伝わったでしょうか。
 それと、ちょっと失敗したかなと思うのは、清瑞をしゃべらせすぎてしまったことです。もう少し寡黙な女性という印象が自分自身にもありました。ただ、任務に関してはそんなことはないだろうと思ったのですが、読まれた方の中には違和感をもたれた方もおられるかもしれません。

 文中で暦に触れている部分がありましたが、有名な魏志倭人伝では、当時の日本には暦はなく、季節の折目を単位として社会生活を営んでいたことがうかがえるような記述があるということです。が、平行世界ですし、そこまでこだわっていたら面白みもなくなると思うので無視しました。

 感想フォームで投票していただいた方、またコメントをくださった方、ありがとうございます。コメントを読むと、自分のつたない文章を読んでいただいているんだなとうれしく思い、良い話を書きたいと思います。できるだけ、おもしろい話になるよう努力します。
 気になることや改善したほうが良いと思われるようなところがあれば、よろしくご指摘ください。

 次回、第四話は戦闘シーンの連続で少し投稿が遅くなるかもしれません。何しろ、伊雅の見せ場ですので手は抜けません。苦手な戦闘シーンの連続ですが、がんばります。
 では、また次回、よろしくお願いします。


伊雅に惚れそうになったのはこれがはじめてかも・・・単純なんてとんでもない、いいおっちゃんになってますねえ^^

清瑞に教わる九峪、九峪と語らう伊雅という光景は初めてだと思いますよ。清瑞は確かに寡黙ですが、感情がないわけではありませんし、必要なことはきちんと話す真面目さもありますから、しゃべりすぎとは思いませんでした。
九峪VS伊雅戦、本当によく考えられていて、無理な展開でもなく、引き込まれながら読みました。まあ、最後の詰めが甘いのが今の九峪の実力ですが(笑)
 火奈久城や邦見城の攻防の頃には皆に頼られる存在になっている九峪ですが、成長が本当に楽しみです。

 一方、動き始めた蛇渇達・・・4話が待ち遠しいですね。


質問 「〜戦雲〜」第3話の感想をお願いします

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ふつう
つまらなかった
その他質問要望など

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