〜戦  雲〜


作・ゴーアル様


第二話 生活(その2)



 滝までは歩いて二十分といったところだった。途中、林の中を抜けたのだが、清瑞はまるで迷うそぶりを見せなかった。道と呼べるようなものはまったくなかったが、おそらく木の枝ぶりなどを覚えているのだろう。九峪一人では隠れ里まで帰ることはできないに違いない。
 滝はそれほど大きなものではなかった。もっとも、山がちで大河の少ない日本では大きな滝は少ない。そういう意味では平均的な大きさの滝というべきだろうか。滝の淵では十人ほどの子供たちが水遊びをしていた。子供たちの声は元気そのもので、心の底から楽しんでいるのがよくわかった。
「ふ〜、気持ちいいなあ」
 滝から清冽な風が吹いてくる。一歩きしたことで滲み出してきた汗が風にさらされ、心地よさが全身に伝わっていった。
「わたしはこのあたりで見張っておく。水浴びがしたいなら早く行って来い」
 清瑞は冷徹な声を残し、近くの木の枝に飛び上がった。どうやらそこで警護を果たすつもりらしい。
 ――軽口はたたけないな。
 道中、いっしょに水浴びでもするかと冗談でも言ってみようかと考えていたが、清瑞にはとりつくしまもない。冗談のつもりが挑発に受け取られてしまうことは十分にありえる。冗談に命をかけれるほど、九峪はまだ吹っ切れてはいなかった。
 岩場を慎重に進んでいく。子供たちは近づいてくる変な服装の男に気づいたようで、先ほどの無邪気な声がうそのように真剣な目でにらみつけてきた。
「おれも水浴びさせてもらっていいかな」
 あまり刺激しないように手のひらを相手に向けながら近づいていった。九峪は里の子供たちとは話したことがなかった。朝の手伝いでは子供も何人かいたのだが、この淵で遊んでいる子供たちはさらに幼い。まだ遊んでいるのが許される年齢ということなのだろう。
「なんだ、おまえ」
 一番年長であると思われる勝気そうな子供――といっても、七歳程度だろう――が声をかけてきた。仲間の前に出て堂々と胸を張っている。このあたり、乱波の卵といってもそこいらの子供たちと大差はない。
「三日前から君たちの里にお世話になってる者だ。ちょっと汗をかいたんでここに来たんだけど」
「……もしかして、九峪っていう人?」
「ああ、そうだ」
 少し血色の悪い子供がおずおずと尋ねてきたので、簡潔に答える。
「ねえ、たしかお兄ちゃんが言ってたよ。九峪って人が里に来て、朝は畑仕事を手伝ってくれているんだって。それに、伊雅様が自ら世話役をなさっているって聞いたんだ」
「伊雅様がってことはめちゃくちゃ偉い人ってことだよな」
「たぶん、そうだよね」
「じゃあ、警戒する必要はないか」
 どうやら話がまとまったようで、子供たちは九峪が水浴びすることに許可を出した。
「ありがと」
 九峪は一言礼を言って、淵のそばまで近づいた。
 滝からこぼれた細かな水しぶきが天然のシャワーとなって降り注ぐ。太陽の光が水しぶきにあたり、きらきらと輝く。淵には豊かな水をたたえており、泳ぐには少々浅すぎるが、水浴びにはもってこいだった。
 ブレザーの上を脱ぎ、シャツも脱ぎ捨てる。そばにあった岩の上に脱いだ服をたたんだ拍子に、自分の左肩が目に入った。見事な青あざができている。見ているだけで痛々しい。
 『痛み』を教えようとする伊雅の教育方針の結果だった。痛みを知れば、身体が痛みを避けるための最適の判断をしてくれると伊雅は言っていた。もっとも、今日の調子では全身を青あざで覆っても伊雅の領域に達するのは無理だろう。あらためて見てみると、左肩だけではない。わき腹にも一つあざをもらっていた。痛みに息がつまり、その後思いっきり咳き込んだことを覚えている。左の二の腕には清瑞にやられたあざがまだくっきりと残っていた。
「兄ちゃん、痛そうだなあ」
 いつのまにか、子供がすぐ側まで近寄ってきていた。そのいかにもやんちゃそうな子供は覗き込むようにして九峪のあざを見ていた。
「ああ、伊雅のおっさんにしごかれてな」
「伊雅のおっさんって、伊雅様をそんな呼び方しちゃだめだよ」
 子供があわてた様に注意する。怒っているというよりも、気遣っているという感じだった。
 考えてみれば当然だった。
 耶麻台副王にして今も狗根国と戦い続ける英雄。それが子供たちにとっての伊雅なのだ。いや、子供たちだけではない。狗根国に反感を持つ全ての九洲人にとっても同じことなのだ。その英雄をおっさん呼ばわりすることは不敬罪にあたるということになる。
 ――人前では呼び方も気をつけないといけないか。
 自分が神の遣いであると名乗れば問題ないのだが、九峪にはまだためらいがあった。
「そうだよな、注意してくれてありがと」
 感謝の言葉を受けた子供はうれしそうに笑った。そのあとに、「次からは気をつけなよ」などと言うのは子供らしい生意気さと言うべきだろう。
 ひとしきり身体のあざを確認した後、制服の下も脱ごうとして、九峪は動きを止めた。
 後ろの木からは清瑞があたりを見張っている。当然、淵のほうも見ているに決まっている。制服を脱いだとしてもその下はトランクスだから別に見られたとしても恥ずかしくは無い。水浴びをするならば真っ裸のほうが気持ちがいいが、さすがにそれはまずい。
 しばらく考え込んでいた九峪だが、結局、案内を清瑞に頼んだ伊雅のことを恨みながら、すそを膝上まで捲り上げる。水浴びではなく水遊びをすることに決め、靴を脱いで淵の中へと足を入れた。
「冷たっ」
 足で感じた水の温度はかなり低かった。
 春の陽気が降りそそいでいるとはいえ、冬があけて間もないこの時期に水浴びというのは酷かもしれない。子供たちに目を向けると、水の冷たさなどまるで感じていないように遊んでいる。
 ――こどもは風の子、か。
 小学生のころ、よく聞いたような気がするフレーズを思い出しながら、九峪は自分が成長していたことに気づいた。
 高校生というのは世界が広いようで狭い。真面目に学校に通っている高校生ならば起きている時間の多くを高校で過ごすことになる。友達は基本的に同じ高校生だし、中学生ならばともかく小学生と遊ぶことなどまずない。だからこそ、子供たちが滝の側で遊んでいる光景が新鮮だった。
 冷たさに慣れたところを見計らって、淵の奥のほうへと近づいていく。
「うわっ」
 いきなり水をかけられた。
 冷水に慣れていない上半身が熱を奪われすくんでしまった。思わず、両肩を手で抱いてしまった九峪が、水が飛んできた方を見ると、一番初めに声をかけてきた子供がいた。子供は手の甲を九峪に見せるようにして、両手を挙げている。水をかき飛ばしたあとの格好に違いない。つまり、水をかけた犯人はこの子供に違いない。
 子供はいたずらな笑顔を浮かべていた。いたずらが成功してうれしくてたまらないようだ。
 この場合、声でしかっても意味は無い。相手は遊んでいるだけなのだから。むしろ、同じ方法で反撃するべきだ。九峪はそう考え、腰を曲げて、水に手をつけようとした――
「ひやっ」
 別の方向から水をかけられた。軽く腰を曲げていたため、頭からぬれてしまった。
 情けない悲鳴を上げながら、九峪は自分の考え違いに気づいた。
 敵は一人ではないのだ。
 辺りを見回すと、五、六人の子供が水掛の準備体勢に入っていた。残りの子供たちは攻撃に参加しようかどうか迷っている。すばやく反撃しなければ、残りの子供たちまで参加してしまう。九峪は覚悟を決めた。
「よくもやったな、容赦しねえぞ!」
 両手で次々に水を飛ばし、子供たちに水をかける。一気に行かなければ勝利は無い。
 子供たちもキャッキャッと笑いながら、応戦してくる。九峪を囲むように陣形を組み立て、攻撃を受けていない面々が集中的に攻撃をしかけるという、子供ながらに戦術にかなった戦法であった。
 もともと多勢に無勢であることに加えて、連携をとられては九峪に勝ち目はない。
 九峪は賭けに出ることにした。
「お〜い、助けてくれ〜」
 攻撃に参加していなかった子供たちに援助を求めたのだった。
 迷っていた子供たちは自分たちの役を見つけた。彼らが迷っていたのは今さら自分たちが攻撃に参加しても、もう勝負は決まっていておもしろくないということだった。
 しかし、今、攻撃派に攻撃すれば、挟み撃ちにすることができる。それはじつにおもしろそうな展開だった。
 顔を輝かせ、周りと目配せし、いっせいにうなずいた。
「よ〜し、攻撃だ!」
 バシャバシャッと攻撃派に水が襲い掛かった。
「うわ〜」
 攻撃派は背後からの攻撃に連携を乱してしまった。
 ある者は後ろを振り返ろうとしてもろに水をかぶってしまったり、ある者は九峪に攻撃をし続け背後から水を浴びるままになっていたりした。こうなってしまえば、包囲されたほうの負けである。九峪はこれまで以上に水をかけるのだった。
 それからはもうめちゃくちゃだった。
 みんなで騒ぎながら、一人を目標にして水をかけまくる。そのうち自分からすすんでかけられたがるものまで出てきて、何がなんだか分からなくなった。結局、最後は九峪が目標となり、子供たち全員から水をかけられたのだった。
「ふう〜、休憩、休憩」
 元気いっぱいの子供たちに付き合って遊ぶのは、現役の高校生でもつらかった。水際の岩に腰を下ろし、持ってきていた手ぬぐいで身体を拭く。気持ちがいい。
 ゆっくりと息をついていると、子供が近寄ってきた。両手を後ろに回して何かを隠しているようだ。
「何を隠しているのかな?」
 手ぬぐいを首にかけた九峪がたずねると、子供はニコッと笑って両手を突き出した。その手にはイワナが握られていた。両手に一匹ずつ、ピチピチッと尾を動かしている。鮮やかな斑点がきれいで、表面はつややかに輝いていた。
 子供が右手を九峪に向かってさらに突き出す。
「くれるってことかな?」
 九峪の言葉に、子供は大きくうなずいた。
 せっかくの好意を断るわけにもいかない。
 右手のほうのイワナに手を伸ばし、慎重に受け取る。
 ヌルッ――イワナのぬめりを感じた瞬間、活きのいい魚は九峪の手を逃れ、水の中へと落ちていった。
 気まずい沈黙が九峪を責める。
 と、笑い声が上がった。
「兄ちゃん、のっろま〜」
「ちゃんとつかまなきゃだめだよ」
「不器用だね〜」
 子供たちが思い思いに九峪の不手際を攻める。
 九峪は何も言い返せない。
「もう一匹くれないかな?」
 汚名を返上しようと、イワナをくれた子供に頼む。
「嫌だ」
 子供は厳しかった。
「どうして?」
「だって、兄ちゃんどうしようもなく下手なんだもん」
 忌憚のないだめ出しに九峪は大げさに落ち込んだふりをした。すると、九峪のしぐさがつぼに入ったのか、子供たちは今まで以上に大きな声で笑い始めた。気持ちのいい笑い声があたりにこだまする。
 子供たちの姿を見ているうちに、九峪もまた声を上げて笑い始め――そして、九峪は自分が笑っているのに驚いた。
 九洲に来てから四日がたとうとしている。戸惑うことは多くあった。水道はなく、電気もない。ないもの尽くしのなかで、笑うことをなくしていた。
 苦笑いは何度かあった。やけになりそうな笑いが。
 でも、今は心から笑っている。
 笑うことで心が洗われ、今まで見えていなかったものが見えてきた。
 現代では味わえない本当の自然。水は澄み、空気は芳醇でさえある。木々は生命力にあふれ、しっかりと大地に根付いている。そして、子供たちの笑顔、本当に元気で無邪気さにあふれていた。
 子供たちは九峪が神の遣いと名乗っていることは知らない。ただのノリのいい兄ちゃんとしか思っていない。それが九峪の心によどんでいたものを弾き飛ばしたのだろう。
 この世界も悪くはない、九峪はそう思い始めていた。
 ひとしきり笑ったあと、子供たちにイワナとりを教えてくれるように頼んだ。子供たちはこころよくイワナとりの伝授を承知してくれた。
 素手で魚を取るのは難しく、結局、九峪にはできなかったが、子供たちとのふれあいを心行くまで楽しんだのだった。
 遊び終わったあと、どうせならトランクス一枚になっておけばよかったと後悔したのは言うまでもない。



 神の遣いが子供たちと遊んでいる光景を、清瑞は木の上から見ていた。
 清瑞は子供が嫌いだった。
 ちょっとしたことで泣き、笑い、わめく。対処のしようがない。
 実際のところ、里の子供は乱波の卵として厳しくしつけられているため、一般の子供に比べればずいぶん大人しい。それでも子供は子供だった。感情の制御が未熟で、我慢がきかない。とくに遊びの時間は、普段押さえつけられている分、遊び心が爆発するのであった。いたずらが過ぎたときなど、なまじ、乱波の初歩的な訓練を受けているので、取り押さえるのも一苦労である。
 そんな子供と同じように遊んでいる神の遣いの気が知れなかった。
 大声を上げて笑いながら、子供のいたずらに付き合っている。いや、もしかしたら本気で遊んでいるのかもしれない。
 自分が子供のころはもっとしっかりしていた。そうでなければ生きていけなかったのだ。
 神の遣いと名乗りながらの、あの体たらく、精神がガキであるのに間違いない。
 清瑞は気づかなかった。
 自分が子供を嫌うのは、自分が失ってしまったものを思い出すのが嫌だからだということを。
 そして、気づかなかった。――滝の上から九峪たちの様子を伺う人影があったことに。



 影は熊の毛皮で身を覆い、人であることを忘れてしまったかのようにじっとしている。しかし、その目は感情こそ感じさせないものの、全てのものを見通そうとする冷徹な知性に満ちていた。
 視線を滝の淵から木々の向こうへと移った。
 春風が木々を揺らし、ざわめきを立てる。小鳥が甲高い鳴き声を上げながら、飛び回っていた。そして、その奥、風に枝を揺らす木々のその向こうに、影は里の姿を捉えていた。
 しばらくの間、じっと里を見つけ続けた後、影はゆっくりと後ずさり、木々の奥へと消えていった。
 水の音に混じり、はしゃぐ子供たちの声だけがかすかに聞こえていた。








 国府城主相馬は不機嫌だった。
 統治がうまくいっていないわけではない。そちらのほうはむしろ順調というべきだ。
 今期の徴税でも、滞納する者については耶牟原城での強制労働をさせることとし、部下に命じて捕まえさせている。二百人ほど見せしめにしてやれば、滞納者もずいぶん減ることになるだろう。その上、耶牟原城へ二百人も人手を送れば、征西都督府長官である紫香楽の覚えもよくなる。一城主としてはまこと順調な仕事振りといえる。
 しかし、相馬は不機嫌だった。
 仕事も順調、女遊びのほうも順調、こちらは英雄といえるほどの遊び方をしている。周囲の村に命じて、毎月見目麗しい女性を差し出すよう厳命し、まさにこの世の春を謳歌しているのである。
 では、何が不満なのか。その答えは相馬の目の前にいる客にあった。
 一言で言えば、不気味。いや、化け物といったほうが正しい。
 着ている服は狗根国の左道士が着ているものとそう変わりはない。紫に染められた服の上に、白い服を重ね着している。白い服のほうには複雑な文様が描かれており、一般の左道士のものよりもさらに精緻なものであった。服の上には人の血を思わせるような真っ赤に染め抜かれたマントを羽織っている。首周りには金属製の飾りがあしらわれていた。と、ここまでは個別に見ればとくに不気味なものではない。
 問題は客の顔であった。
 双眸は黒い穴であり、二つの穴の中に一つずつ赤い光が浮いている。今にもカタカタと音を立てそうな髑髏。骨に皮膚が張り付いており、よりいっそうの禍々しさを周囲に振りまいている。それが顔であった。
 死んでいるわけではない。皮膚はくすんだ金のように輝き、『生きている』ことを示している。
 一見して人間には思えない。しかし、この化け物は人間だった。無論、ただの人間であるはずが無い。
 狗根国の力の源である黒き泉。
 もともと優秀な左道士であった男が、泉によって、全ての人間らしさと引き換えに手に入れた力の結果、化け物のような姿と、化け物のような力を手に入れたのだった。
 狗根国の隆盛を支える力――左道を統括する左道士総監蛇渇。それが化け物の役職と名であった。
 相馬は突然訪問してきた高官にどう対応していいものか迷っていた。
 本来、城主である相馬の直接の上司は征西都督府長官、紫香楽だった。相馬は紫香楽によって国府城の城主に任官されているのであり、どれだけ功績を立てているとはいえ国の一機関の長に過ぎない左道士総監の言葉に唯々諾々と従う必要は無い。しかし、蛇渇は紫香楽の補佐役として本国から派遣されている。また、国王の信任も厚かった。
 となれば、ひとまず下手に出ておだてるべきと考えたのだが、そこまで考えて今度は、蛇渇がわざわざ直接このような辺境の城にやってくる理由が引っかかってしまった。
 相馬自身にとくに後ろ暗いことはない。九洲の民には規定の税率よりも高い税をかけているが、これは他の城主たちもやっていることだ。それに都督府も黙認していることだった。他にも細々としたことはあるが、左道士総監が自ら赴く理由になるとは思えない。紫香楽の『その土地一の美女を送れ』との命に対し、三番目の美女を送ったことがばれたとも思えない。
 いろいろ考えてみたがどうにも分からない。であれば、へたに下手に出るのは危険だ。痛くも無い腹を探られてはたまらない。しかし、相手は左道士総監、機嫌を損ねるわけには……
 考えれば考えるほど、思考が空回りしていく。不気味な圧力にさらされ、さらには考えもまとまらない。これらが相乗して、相馬は不機嫌さを増していたのだった。
 といっても、征西都督府の高官の訪問を受けて黙ったままでいるわけにはいかない。結局、無難な対応をすることになった。なんとか上官向けの愛想笑いを浮かべ、あいさつの言葉を述べる。
「これは蛇渇殿、遠いところお越しくださいましてありがとうございます。都督府からここまでは距離がありますので、さぞ、お疲れのことと存じます。別室に宴席を設けておりますので、そこでお疲れを……」
「気遣いは無用だ」
 老人のようなしゃがれた声が相馬の言葉をさえぎった。
「……さようでございますか」
 言葉が続かない。たった一言で相馬は蛇渇の空気に飲まれてしまっていた。沈黙が相馬に見えない重圧を与えた。
 蛇渇はしばらく相馬をにらみつけた後、おもむろに口を開いた。
「どうやらこの近くに耶麻台国の残党が潜んでいるという情報が入ったのだ」
「そ、そんなはずはございませぬ。国府城付近はわたしがしっかりと見張っておりますれば、残党どもがうごめく余地があるはずが……」
 担当地域に耶麻台国残党の生存を許し、それを見逃していたとなれば重大な失態である。城主の地位を取り上げられるかもしれない。相馬はあわてて弁解しようとしたが、蛇渇の一にらみによって黙らせられた。
「弁解などいらぬ。この辺りに残党が潜む里があるのは間違いない。今は草にくわしい場所を探らせておる」
 草とは情報収集、工作の専門家、つまりは忍者のことである。蛇蝎は残党を徹底的に狩り出すつもりであった。
「場所が判明次第、わし自ら残党狩りに出るつもりだ。そこで、国府城の城主であるきさまには城下だけでなく、付近の村や里にも触れを出してもらう」
「……内容はどのような?」
「耶麻台国の残党にかかっていた賞金が倍額になったとでもすればよい。打ちもらしが無いとも言えんのでな」
「なるほど、分かりました。さっそく触れを出しましょう」
「うむ、それでよい……、そうそう、倍額にする分はきさま個人が負担するように」
「なっ、なぜでございますか?」
 思いもよらない蛇渇の言葉に、相馬は思わず反駁した。耶麻台国の残党にかかっている賞金は小物ならばそれほど高いものではない。とはいっても庶民ならば一月は遊んで暮らせるほどの金額だ。まかり間違って、将軍級の人物が賞金に目がくらんだ者に捕らわれてしまえば、金額も相当なものとなってしまう。相馬としては手痛い出費だ。
「知らぬと思うたか、ずいぶん溜め込んでいると聞いているぞ。きさまにとってはそれほど腹が痛む金額ではあるまい。それに、残党を見逃すという失態を演じたのだ。この程度のことはしなければなるまい?」
 蛇渇の言葉に、相馬は返す言葉も無く、ただ頭を下げた。たしかに残党壊滅になんらかの形で参加していなければ、弁解もできない。ここは蛇蝎の言葉に従うほか無かった。
 蛇渇はうなだれた相馬を一瞥し、すべるようにして部屋を出て行こうとした。とそこで、立ち止まった。
「言い忘れておった。きさま、少々女遊びが過ぎる。慎むことだな」
 相馬には分かった。蛇渇が今、笑って、いや、嘲笑している。しかし、相馬は黙ったままだった。
「では、触れの件は頼んだぞ」
 そういい残し、蛇渇は今度こそ部屋を出て行った。
 相馬は顔を上げ、蛇渇の出て行ったほうをにらみつけた。にらみつけることしかできなかった。蛇渇の言い方には腹が立ったが、本当に残党が潜んでいるなら、相馬に何かを言う権利は無い。今は、早々に賞金に関する触れを出すしかない。残党狩りが終われば、蛇渇はここからいなくなるのだから。
 相馬はすぐに部下を呼び、耶麻台国残党にかけていた賞金を倍増するという触れを出すように命じた。相馬の支配下にある村や里は十以上ある。急がなければならない。
「触れの件は了解いたしました。すぐさま城下には立て札に張り出し、村や里には早馬を走らせます。……それにしても、総監殿にはずいぶんとしぼられたようですな」
「分かるか?」
「殿とももうずいぶん長い付き合いになりますからな。もっともわたし以外の者が見たとしても分かりましょう。目の周りがくぼんだようになっております」
「……ふんっ、あの不気味な顔を見ておれば人相も変わってしまうわ」
 部下との会話で、相馬はだいぶ自分らしさを取り戻していた。それと同時に緊張感を失ってしまうというあたりが、この男が辺境の城主どまりである要因に違いない。
「やつめ、まるでわしを一兵士のように扱いおって、許せるものではない!」
「まあまあ、左道士相手に怒っても仕方ありませぬ。ここは丁寧に接して早々にお帰り願うべきでしょう」
 今更ながら怒り出した上司を部下が必死になだめる。この部下は城主との付き合いも長く、一度、感情が高ぶってしまうとなかなか平静に戻ることのできない性格をよく知っていた。そして、どうやればなだめることができるかも熟知していた。
「ところで、殿がおっしゃられていた城下で評判の踊り子を見てまいりましたぞ」
「何! 早く仔細を申せ」
 殿の機嫌をとるには女の話、これは相馬の部下全員の一致した見解であった。
「はっ、つい先ほど城下で公演しているところに見に行って参ったのですが、まこと美しい女子にございました」
「そうか、美しいか!」
「年の頃は二十歳前後といったところでございましょうか、薄い衣を身にまとい、透けるような白い肌をしておりました。たたずんでいるときも十分に美しいのですが、踊りが始まると、つややかさが加わり、表情は艶然としたものになりまする。観衆は男だけではなく、女たちも魅入っておりました。あのように美しい女は見たことがございませぬ」
「そうかそうか」
 相馬はうれしそうにその巨体を揺らした。蛇渇から女遊びのことを注意されたことなどすっかり忘れている。
「また、その娘のとなりにいた人形遣いの少女もなかなかのものにございました。もっとも、愛でるにはいささか歳が足らぬようでしだが……」
「かまわぬ、かまわぬ。そのような女子をかわいがるのも一興というものよ」
 楽しげに笑う城主を見ながら、部下は次の命令を予想していた。まず、はずれることはない。
「よし、その者らを宮殿に呼べ。評判の舞を存分に楽しもうぞ!」
 城主が舞の見物以上のことを期待しているのは明らかだった。これで、しばらくは機嫌を損ねることはない。国王とも直に話ができる大物に対して粗相をするわけにはいかない。部下は部下で苦労があるのだった。
「では、触れの件と踊り子の招待の手配をしてまいります」
「うむ、頼んだ。……そういえば名を聞いていなかったな。その者らの名前はなんと言うのだ?」
「たしか、……踊り子は志野、人形遣いは珠洲、でしたな」
「志野に珠洲か、――良き名だ」
 まだ見ぬ美女を思い浮かべながら、相馬は好色そうな顔を見事に緩ませ、声を上げて笑った。
 部屋に笑い声が響き渡る。
 相馬の脳裏にはまるで悩みはなかった。










 里の生活を楽しみ始めた九峪、しかし、危険はゆっくりと近づいていた。
 

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あとがき
 どうも、ゴーアルです。  第二話いかがでしたでしょうか?
 といってもまだ話は動いていませんね。できるだけ、テンポよくいけるようがんばります。
 それで、本文の補足説明をしたいと思います。
 九洲の人口についてなのですが、この話では実際の三世紀の九州の人口よりもかなり多く、250万としています。 理由は本文で書いたとおりなのですが、実際の歴史では弥生時代後期(三世紀あたり)の日本の人口は約50万、平安時代で約450万だと考えられているようです。三国時代の中国の人口が750万(蜀にいたっては100万をきっている)といわれていることを考えると、250万というのはちょっとありえない数字ですが、ある程度人口が多くないと経済とかも成り立たないのでご容赦ください。
 あと、オリキャラについてなのですが、既存のキャラを押しのけて活躍することはない予定です。
 こういう人間がいてもおかしくないという人物を出していきたいなと思っています。
 まだ、九峪が『九峪らしさ』を発揮していませんが、話が進むうちに自分を表現し始めると思います。はやく清瑞との掛け合いが書きたいです。
 では、また次回、よろしくお願いいたします。


この2話目、結構前にいただいていたのですが、お盆他重なって掲載が遅くなりました。すいません^^;

水泳部のエースとして運動神経も体力も普通の人よりはあるはずの九峪(ついでにケンカに強いという設定もゲーム版にはあります)が、こっちの世界ではまるで下になっちゃいますね、やっぱり。
漢文でも剣術でも、そこであきらめずに努力がつづいているのは、流石でしょうか。ゴーアルさんの書く九峪と子供たちの触れ合いのシーンって、好きですね、ほんとにほのぼのとしてて。
ゲームでは隠れ里、という一くくりでしか登場してこない場所も、桔梗というオリキャラがいることによって背景ができ、意味を持たせることができる。こういうオリキャラの使い方は、良いと思いますよ^^
人口のことはあまり気にしなくてもいいと思います。こっちの世界はパラレルワールドですしね。

次話も楽しみにしております♪

質問 「〜戦雲〜」第2話の感想をお願いします

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