WANDERING

〜SASURAIBITO〜


〔前編へ〕





「目当ては、お前だ」
「・・・・・・俺は邪魔者というわけか」
「良く分かっておるではないか」
 突如、彼女の姿が消えた。
「・・・な!?」
 身構えるヒマもなく、彼女は鵺野のすぐ脇にやすやすと近寄り、ささやいた。
「お前の存在はいらぬ。むしろ危険ですらある。玉藻を2度も破る力を持つだけでなく、あやつをたぶらかし、雪女の冷たき心をも溶かす妙な力まで持っておる。生かしておいても、我らに害を成すだけじゃ」
──いつ側に来たのか、分からなかった。
 裏を返せば、それはいつ殺されてもおかしくないということ。
「離れろ!!」
 鬼の手が一閃するより早く、彼女は再び上空まで飛びあがっていた。さすがに力の封じられた体で、この手をまともに受けるのは得策ではないと判断したのだろう。
「お前の魂は地獄まで連れていってやろう。徐々に闇に染まるのを眺めるのも、一興やも知れぬな」
「勝手なことを・・・」
 額から汗が流れ落ちた。
 分の悪すぎる戦いを、切りぬける方法はなにか。
「火輪尾の術」
 妙案が浮かぶ余裕もなく、妖狐が得意とする炎の術が視界を紅蓮でふさいだ。
「白衣観音経よ!!」
 とっさに観音経を放り投げる。
 炎が届くより早く、円状に広がった経典がまばゆい光を放ち、結界を完成させる。大した力を込めていなかったのか、炎はいともあっさりと弾き返され、消滅した。
「ほう・・・」
 九尾は興味深げに、美しい眉をひそめた。
「この程度では動じもせぬか」
 強い魂をうかがわせる瞳が、彼女を見返す。
 その時──
「こんな場所にまでおいでになるとは、地獄もよほど退屈なのですね、九尾様」
 落ち着き払った声が、熱した空気に割り込んだ。

「玉藻!?どうして・・・」
 緊張のあまり周囲への注意を怠っていた。
「こんな強い気に、私が気づかないわけないでしょう。あなたに死なれては、私の目標がなくなる」
 白衣姿の玉藻は、屋上から少し離れた空間から鵺野の側に降り立った。
「車では間に合わないから全力で走ってきたんですよ。途中で誰かに見られないかとヒヤヒヤしました。 そうそう、あなたの生徒達が病院に来ましたが、服くらい替えてください。ごまかすのに苦労したじゃないですか」
 こんな緊迫した状況にも関わらず、その口調は穏やかである。しかし身体には妖力が行き渡り、首さすまたを構えた姿勢に隙はない。
 玉藻は上を仰ぎ見た。
「あの傷を完全に治したか。だが傷を負わせてもまだ、私に楯突くつもりのようだな」
 妖狐族の長は、裏切り者を見下ろした。
「彼は殺させない。私には必要不可欠な人間だからな」
「妖狐族全てを敵にまわすのだぞ?」
「構わない」
「・・・・・・」
 つかの間の沈黙が、冬の風の音を際立たせる。すでに太陽は西の端に沈み、わずかな残光が屋上を照らしていた。
 次に彼女が見せたのは、この前玉藻に傷を与えたときと同じ、怒りだった。
 巨大な黄金の九尾の狐が姿を現わす。
「・・・では、二人とも死ぬがよい。今度はさっきのようにはいかぬぞ」
 冷然たる気配が場を満たし、そして
「まずは人間、お前からだ」
 死の宣告が告げられた。
「気をつけろ!」
 玉藻が叫ぶ。
「分かってるよ!」
 観音経に霊水晶を加えて強化し、拡張した結界に、先ほどとは比べ物にならない威力を持った業火が襲いかかる。屋上が炎の渦に巻き込まれた。
 圧力に、霊力が急激に削ぎ取られる。
「・・・なんて激しさだ・・・」
 攻撃どころではなかった。
 気を抜けばたちまち結界が破れ、痕跡も残さず焼き尽くされるだろう。
 このシチュエーションは2度目に玉藻と戦ったときと似ている。いや、あの時よりも、子供達がいないこと、結界がちゃんと張れていること、身体中に怪我を負っていないことを考えると、はるかにマシかもしれない。
 それに・・・今は仲間がいるのだ。
 だが。
(これで封じられてるって?)
 現世で暴れまわっていたこいつを倒した先人達の、なんと偉大なことか。1万5千の軍勢と、神々の力を借りて、やっと倒したという言葉が納得できる。
 早くも遮断しきれなかった熱が、彼の身体から滝のような汗を流させていた。
「どうした?私を倒すのではなかったのか。守ってばかりではかなわぬぞ?」
 かすかな失望がにじんだ笑い声が、赤く広がった。



一方─
「鵺野先生!」
 助力するべく、鵺野に近づこうとした玉藻の目前を、さえぎる者が居た。
「あなたのお相手は私がいたします」
「・・・九緋羅か・・・」
 九尾の側近、九緋羅もまた、人間界に降りてきていたのだ。
「そこをどけ。いかにお前でも、一対一で私に勝てはせぬ。命を無駄にする気か?」
「かなわぬことは百も承知です。それでもしばらくの間、あなたを足止めすることはできましょうぞ」
 そして九緋羅は宝玉を出現させた。
「私は九尾様のために、ここに存在するのです。長のために生きているのです。そのお役に立てずして、何のための命でしょう?」
「妖狐族は本来、自由奔放な種族。妖狐の谷で長に仕える若き者も、いずれは旅立ち人間界に降りるというのに、お前だけは長の元に居残り、一度たりとも人間界に降りようとはしなかった。・・・私にはお前の生き方は理解できないな。一人の女に命を賭けて仕える生き方など」
 しかし、九緋羅は優しく微笑んだ。
「それが私の意思ですから。これが私なりの自由奔放な生き方なのですよ」
 その顔には、微塵の怖れもない。彼もまた、玉藻と同じく強い信念の元に生きる妖狐だった。
 もし鵺野がこの場にいて、九緋羅の顔を見ていたとしたら、その信念の名に気づいたかもしれない。そして玉藻は悔しく思ったかもしれない。九緋羅は驚いたかもしれない。
 それが『忠誠』という名ではないと知ったなら。
 敵わぬ力と知りつつも、止められないその想いが、玉藻や鵺野と同じ性質のものであると知ったなら──

「仕方がない・・・」
 玉藻も首さすまたを構え、戦闘態勢を取った。
「早めにケリをつけさせてもらうぞ!」
「そう簡単にはいきませんよ。あなたが私に勝つまで、あの人間は生きていられないでしょう。そのくらいの抵抗はしてみせます。・・・では、参る!」
 そして宝玉の力と首さすまたが、激突した。



6.激闘の果てに

 コンクリートが焦げて、嫌なにおいを発生させている。
 妖狐が作り出す火炎が、童守小学校の上空を煌々と照らし出していた。
 一面、紅に包まれた空間の中で──九尾は不可思議な驚きを味わっていた。
「なぜ・・・」
 観音経の結界は、ジリジリと炎に押されて狭まってきていたのだ。なのに。
「たかが人間の霊能力者一人が、私をこうも手こずらせるのか・・・」
 あるギリギリの距離まで来たとき、結界の収縮が止まった。その後はいくら威力を強めてみても、結界を破れないのだ。
 確かにここで出せる力は限られているが、一人の人間風情で耐えられるものではないというのに、なぜ?
 昔、自分を破った人間はいた。だが奴らは私を恐れ、手を貸した神仏達の力でもって勝ったのであって、自分の力で彼女を破ったわけではない。
 この能力者もまた、その神仏の力を借りてはいるが、使っているのは自分の霊力。適うはずがないのだ、本来ならば。
 なのにここまで対抗するのは、できるのは・・・
 九尾の顔に妖狐の谷で、玉藻に見せた表情と同じ、わずかな苛立ちと、かすかな戸惑いが表れた。
 この人間は、嫌なものを思い出させる。自分が昔持っていた匂いを。あの者が持っていた熱を。そのオーラを。
 だが、それを認めることはなかなかできなかった。それは彼女の傷をえぐるから。
 だからずっと触れられることなく、触れさせることなく、長い間封じてきた。
 それを今になって──
(再現されようとは・・・な)
「信仰心も薄れ腐りきった現代に、こんな能力者が埋もれているとは。玉藻を2度も敗ったとはいえ、所詮は人化の術も未完成な奴の力ゆえのことと思うておったが、少々侮りすぎたか。お前の力の源は何だ?その身に封じている鬼か。それとも・・・」
 少し、間があいた。
「・・・それとも、玉藻のいう『愛』なのか?」
「違う。あいつは俺を買いかぶってるんだ。俺はただ、守りたい、助けたいと思った心に従っている、それだけだ。『愛』なんて大層なもんの意味を理解していたなら、無くしてなんかいない・・・向けられる『愛』に気づきながら、その価値に気づかなかった馬鹿な人間さ、俺は・・・ただな、俺はお前等が許せないんだよ」
 荒い息の下から返って来る声。それでも結界は崩れない。
「許せぬ?」
「そうだ」
 複雑に感情が混ざった紅い瞳が、九尾を捉えた。
 チラリチラリと閃くのは、怒りか悲しみか。
 疲労も重なって、行き場がなく抑圧されてきたものが、目的を求めてこぼれ出ようとしている。彼女にはありありとそれが分かった。
 求めても求めても、もう戻ってくることはない現実に、悔しくて、やりきれなくて、自分を許せぬまま、別の目標を見つけようとした。
 それは、彼女も味わったことがあるものだから・・・
──やはり、似ているのだな──
 彼女の暗灰色の瞳から、酷薄な光が消えた。
「種族の掟がなんだっていうんだ。そんな古臭いもののために、仲間の命さえも殺めようとしやがって。命よりも大事な掟なんかあるものか!!」
──私にも、そして──
「掟なんかには、お前等のような奴には、俺は負けない。もう二度と、負けるわけにはいかないんだよ!!」
 彼は絶叫した。
 まるで何かを振り払うように・・・・

「!霊力が!?」
 九尾の目が見開かれた。
 鵺野の身体から凄まじい気がほとばしり、炎を押し返そうとしている。
「信じられぬ・・・私を越えようとするほどの力を持つというのか・・・」
 鬼の左手が火花を散らし、結界が弾けた。


 その様子は、少し離れたところで戦いを繰り広げている二人にも見えていた。既に九緋羅の身体は傷だらけで、劣勢は明らかだ。
 だが強い意志を持つ者同士。九緋羅の言った通り、その決着はまだついていなかった。
「気をつけるがいい」
 玉藻は嘲りを含んだ声で笑いつつ、つぶやいた。
「奴の力を甘く見ていると、痛い目に会うぞ。あの鬼の手は、我らの作り出す炎さえ切り裂いてしまうのだからな」
「・・・何?」
 九緋羅が玉藻の言葉に反応して振り向いた、まさにその時、鵺野は炎を消し去り、九尾に向かって飛び上がろうとしているところだった。
「忠告するのが遅かったようだが」
「九尾様っ!」
 まさか、あの強大にして誇り高き妖狐族の長が、妖狐の神が人間などに?
 九緋羅はすぐに戦いを中止し、鵺野を引き裂こうと九尾の元に飛んでいった。
 玉藻は追わない。もはや無駄であることを知っているからだ。
 そして玉藻の予測通り、彼の視界の中で巨大な九尾の尾の内の一本が、切り落とされていた。

「おのれ人間め!」
 九緋羅の頭に血が上った。
 彼が生まれた時から、彼女は最も崇拝すべき、誇るべき存在だった。何よりも貴く、何よりも神聖で、何よりも大切な。
「それを・・・」
 近づいてくる九緋羅に気づいて、鵺野が鬼の手を構える。鋭い真紅の瞳が見据えていた。
 しかし構わず突っ込もうとした、九緋羅の耳に、
「待て、九緋羅!」
 彼が予想もしていなかった所から制止の声がかかった。
「九尾様!?」
 彼女は人の形に戻っていた。妖力をセーブするとき、彼女はこの形を取る。
「お前では勝てぬ。引け」
「しかし!」
「引け!」
「・・・はい」
 九緋羅は渋々引き下がった。
「人間界でとはいえ、私が力負けするとはな。無限に高まる霊力か・・・玉藻がこだわるはずよのう」
 九尾の顔には苦痛も怒りも全くない。ただ静かに、鵺野を見つめていた。
「何がいいたいんだ?」
 今までの彼女とは全く違う豹変ぶりに、鵺野も混乱した。左手に集めていた霊力が霧散していく。
 残虐さは影をひそめ、かよわき女の憂いの気配が、九尾を覆っていた。
(狐お得意のだましか、それとも・・・本気でもう戦う気がないのか)
 幾星霜の時を生きてきた妖狐の真意を、25年足らずしか生きていない者が推し量ることなど不可能だ。
 それは玉藻とて同じ事。
 玉藻も彼女のこんな表情を見たのは初めてだった。彼の知る『九尾様』は、その所業と違わず冷酷そのもの、温かみなど全く感じられない存在だったはずだ。
 それが、こんな姿をさらすだと?──
(これも奴の、鵺野の力なのか?)
 九緋羅はといえば、ただ九尾の側にひざまずき、目を閉じてじっとしているだけだった。

 九尾は地に降り立つと、彼らに背を向けた。
「・・・私は、お前に・・・鵺野鳴介、お前に似た者を知っていた」
「似た者?」
「お前にとっては遥かな昔のことだ。人の世で言う3千年前の中国に、そやつはいた。お前と同じ能力者で、汚れなき魂を持ち、誰からも愛されていた。無論人間の信望も厚かったが・・・奴は悪意がなければ異形の者にさえ、人と分け隔てなく接したのだ。そんな男の輝くオーラに惹かれ、懐く妖怪もまた、多かった。己の使命をも振り捨てて、そんな男を愛そうとした、愚かな妖怪も、な」
「・・・・え?」
 それは、つまり・・・
「だが、奴は殺された。奴の信望を妬み、怖れた、己と同じ人間。時の為政者にな!奴は抵抗しなかった。優しげな瞳で、遺される者に復讐などしないようにと念を押して、逝った・・・神と呼ばれる存在達は、異形の者が愛したという理由で、その男を見捨てたのだ」
「!」
「遺された者は、荒れた。どこにも行き場がない感情を持て余した。そして耐えられなくなったその妖怪は、男との約束を破った。己の使命をまっとうすることで、傷を癒した・・・」
 九尾は振り返った。
 その目には、もう冷たい光が戻っていた。
「我らは決して神に愛されることなき存在。地獄に棲み、、掟に従い、災いを成すのが定め。変える事は出来ぬ。掟が神なのだ」
「それは違う」
 鵺野は激しく首を振った。
「そんなのは間違っている。掟や使命なんて、元は誰かが作った、定めたものだ。後生大事にする必要がどこにあるんだ。間違った掟は、変えるべきだ」
「だが、私は掟に従う。今までも、そしてこれからもな。妖狐族もまたしかり。存在したときからそのように決められたのだ。我らには他に術が見つからぬ。人間を救うなどという考えは、我らとは相容れぬもの。お前のような人間は珍しいのだ。薄汚れ、自分勝手で、我らよりも外道な輩のなんと多いことか。お前にも分からぬわけはあるまい。私は奴らを戒めねばならぬ。その役目を負うものがどこかに必要なのだ」
 妖狐族の長は自分の子孫を見やった。
 玉藻は何も口を挟まず、たたずんでいた。
(私もあの女も、似た者同士、というわけか)
「玉藻よ。どうしてもこの力、手に入れたいか。愛などという愚かな感情を理解したいと申すか」
「何度も言ったはずだ」
「・・・・・・」
 九尾の目がスッと細められた。
(また戦闘か!?)
 一瞬鵺野は危惧した。が、それは徒労だったようだ。
「よかろう、勝手にするがよい。だが、お前は永久に帰る場所を失ったのだぞ。お前がどんな状況に陥ろうと、我らは手を貸さぬ。人間界で野垂れ死にするのだな」
「あいにくだが、あなたの思い通りになる気はない」
「フ・・・」
 彼女はかすかに笑った。
「帰るぞ九緋羅。人間界には、そう長くはいられぬしな。尾の再生にも専念せねばならぬ」
「よろしいのですか・・・この人間を生かしておいても」
 九緋羅は不満げに鵺野を見やった。そこに羨望の色が混じっていたのに、九尾は気づいたのか、否か。
 彼女は無表情に自分の家臣を一瞥した。
「殺せるならそれに越したことはなかったがな」
 誰にも彼女の心中は推し量れない。
「このような能力を持ったものと争えば、こちらにも相当な犠牲が出よう。玉藻もこの者に付くというなら、さらにな。・・・ここへは、鵺野鳴介という人間の力を試してみたくて参っただけじゃ。無駄な妖狐族の犠牲は私とて好まぬ」
「・・・御意に」
 彼女には従わねばならない。
 九緋羅はもう一度、鵺野に視線を合わせたが、何も言わずに鬼門を開いた。

 九尾は身を翻し、暗黒の門をくぐろうとして──
 つかの間、立ち止まった。
「玉藻。もしお前が、その男と同じ力を手に入れることができたならば・・・」
 しかし、この後は続けなかった。
 妖狐の長は、妖しく、魅惑的な微笑を残して消えうせた。



7.終焉

「白面金毛九尾の狐・・・史実では残虐非道なだけの妖怪として書かれていたが・・・少し違っていたのかな」
 鵺野は、彼女の帰っていった空間をしばらく見ていたが、やがて玉藻の方に向いて言った。
「史実通りですよ。人の世に不幸をもたらす存在でしかない。あなたを殺そうとしたことでも分かるでしょうに。今回、彼女が引き下がったのは気まぐれの要素が強いのだということを自覚したほうがいい。いつ、気が変わって私たちを殺しに刺客を差し向けるか分からないのですよ」
「そうかなー、気まぐれもあったかもしれないが、それだけじゃないように思えたがな・・・最後の九尾を見ただろう?彼女は掟に縛られすぎてるんだよ。彼女自身はそう悪くないんじゃないのか?」
「・・・・」
 玉藻は、かなり呆れて彼を見つめた。
(どうしてこうも善意的な解釈ができるのだ?)
 根っからのお人好しというか・・・自分も殺されかけたというのに。
「まあ、多少はあなたに興味を持ったようですから、少しは安心してもいいでしょうが・・・」
 本当は多少どころじゃない。気まぐれでもない。今回現れた目的はともかくとしても、今後彼女が鵺野を殺しに来ることはないだろう。・・・他の人間は全く保証できないが。
「彼女が今までに残した伝説を忘れないように。私の忠告はそれだけですよ」
 鵺野はチラリと視線を合わせただけで、地面にへたりこんだ。
「あーあ、今日は疲れたぜ〜」
 地面はまだ炎の後遺症で少し熱いが、それが却って心地よくすらある。
「自分で手を出すなと言っておきながら、結局あなたを巻き込んだことについては、私も少々申し訳ないと思っていますよ」
「少々でも思ってるんなら、おしるこ缶2ダースくれ。それでチャラにしてやる」
「・・・ホントに好きですね。太りますよ」
「俺はおしるこさえあればご機嫌なの!」
 鵺野が自分に負い目を感じさせまいとしているのが判る。ここは彼の好意に乗っておくべきか。
「医者としては甘いものばかりというのは、あまり勧められませんね」
「疲れたときには甘いもんが一番だろうが。しかし、良かったのか、本当に。妖狐族にそむいて・・・」
「もう手遅れでしょう。別に私は後悔していませんよ。要は、妖狐の誇りさえ捨てなければいいんです」
 玉藻は言いつつ、何気なく下を覗き込んで──
 フッと笑みを浮かべた。
 彼にとっては何ということのないものだったのだが、つい見下したものになってしまったらしい。
「な、なんだよその気持ち悪い笑みは・・・さっきまで殊勝な態度だったくせに、さてはまた何か企みやがったな?」
「失敬な。そんな性悪に見えますか?」
「見える!お前がそういう目をするときは、絶対良くないことが起きるだろーが」
「・・・・・・(怒)」
 そこまで言われては、さすがに玉藻も面白くない。
 どうやら鵺野の、調子に乗る悪いクセが出たようだ。平凡な日常で退屈していたなら、さらに嫌味の一つや二つ返してやり込めてやるのだが・・・あいにく今の玉藻は、気力も機嫌もよくなかった。
(今日ぐらいは素直に忠告してやろうと思ったのですがね。私をからかおうなんて、百年早いんですよ、鵺野先生?)
 そっちがその気なら『好意に甘えて』ほんの意趣返しをしたところで、誰からも文句は出まい(鵺野除く)
「分かりました。では色々勘ぐられる前に、私はそろそろ退散しますよ。彼らにここの修理代を迫られるのは嫌ですからね」
 わざとらしく、冷ややかに肩をすくめてみせる。
「へ?」
 鵺野は玉藻の言葉の意味がわからず、聞き返した。
「屋上の惨状が見えませんか?」
 もうここには夜の帳が下りていて、あたりは真っ暗だ。月や町の光のお陰で、側にいる玉藻の姿は見えても、屋上全体を見渡すことは鵺野には無理だった。
 玉藻は小さな火の玉を作り出すと、頭上にかかげた。
「げっ!?」
 すると彼の視界に映ったもの。
 それは、九尾の炎がもたらした、損害の数々だった。
 根元から完全に折れ曲がった金網、もろに高温の炎にあぶられた為に、半ば変形してしまったコンクリートの地面や壁、ドロドロで原型を留めていない扉、などなど。
 よくまあ崩れ落ちなかったものだ。
「それから、下が騒がしいようですが」
 鵺野はうろたえながら下を覗き込んだ。
「げげっ!!?」
 校門の前には、消防車が止まっていた。数人の野次馬も見える。そういえば、さっきやけに近くにサイレンの音が・・・戦いの後気が抜けていたために、意中の外だった。
 だがしかし、なにやら揉めているようだ。
「近所の人間が屋上の炎に気づいて、通報したようですね。ところが来てみると全く燃えている様子がないので、事情をとりあえず聞いている・・・そんなところでしょうかね?」
 耳が良い玉藻が、ご丁寧に解説までつけてくれた。
 そうこうしているうちにも、野次馬は増えつつある。
「確認のために上ってくるのも、時間の問題・・・」
「冗談じゃないぞおお!こうなった理由を、どう説明すればいいんだ!俺が犯人にされちまう!」
 パニックに陥った鵺野に対し、玉藻はさも楽しそうに笑っている。
「修理代を弁償させられることになるかもしれませんね。生徒を守る戦いではなかったのだし」
「バカ言え!そんなことになったら俺は破産だ!これ以上貧乏になってたまるかっ!・・・玉藻!お前も同罪だろうが!!」
「私はここから飛び降りてでも逃げられますから、大丈夫です」
 そうだ、玉藻は妖怪だった。
「あーっ、貴様卑怯だぞ!俺も連れて行け!!巻き込んだのはお前だろうがああ!!」
「それはおしるこ2ダースで解決したでしょう。それにあなたは私の『企み』が怖いんでしょう?ほら、早く逃げないと彼らが上がってきますよ?それでは、アディオス鵺野先生。お休みなさい」
 意地の悪そうな、そりゃもう底のなさそうなほど意地の悪い、上機嫌で極上な笑みと共に、彼はヒラリと後者の裏側へと消えていった。
「この性悪狐!!!!後で覚えてろよ、ちくしょおおお!」
 後には、一人悲惨な状況に置き去りにされた鵺野のわめき声が、半壊寸前の屋上に響いた・・・



 そして、翌朝である──
 鵺野は、昨夜何とか誰にも見られずに逃げおおせたので安心して校門をくぐった。もっとも、気分がいいとはお世辞にも言えなかったったが。
「二日連続の霊力の使いすぎはあれだな、ひどい二日酔いと一緒だな・・・おまけに屋上から狭い非常階段に飛び降りるなんざ、寿命が縮んだぜ・・・・くそう、どれもこれも玉藻のせいだ・・・」
 おしるこ程度で済ませたのは、間違ってたかもしれない。

 そして。
 彼の『昨日の火事のことはもう片付いているだろう』という、きわめて楽観的な考えは、やはり砂糖よりも甘かったのだ。
「ぬ〜べ〜!」
 彼の姿を認めて、広と郷子が駆けてきた。
「おはよう。どうしたんだ、二人とも。何かあったのか?」
「ぬ〜べ〜、昨日学校で火事があったの、知ってる?」
「・・・・・・さ、さあ」
「今、学校中が大騒ぎよ」
 広が郷子の後を引き継いだ。
「昨日の夜、通報があったんで調べてみたら、学校の屋上がボロボロに焼けてたんだってさ」
「・・・ほお。でも、消えてたんだろ」
「ああ。だけど変なんだ。消防署の人の話じゃ、あんな焼け方は普通は絶対にありえないんだって」
「・・・・へえ」
「でね、原因不明、解析不能な事件の調査をして欲しいって、校長先生がぬ〜べ〜を探してたわよ」
「いっ!?」
 鵺野の身体が硬直した。
「どうしたの?まさか、火事とぬ〜べ〜と、何か関係があるんじゃあ・・・」
「あーははは、んなわけないだろ」
 慌てて打ち消した鵺野を、2人は120%疑いのまなざしで見ている。
(どうしよう・・・)
 真実を告げるなら、玉藻の正体をみなに知らせることになる。いくら怒っていても、本人が望んでいないことは出来ない。その辺は律儀に守るのが鵺野らしいといえばらしいのだが・・・とはいえ、下手に省いて説明すると、とばっちりを受けかねない。
(かといって、うやむやには・・・できないだろうなあ)
 あの校長が許すものか。半分以上、鵺野がらみじゃないかと疑ってるに違いないのだ。
(玉藻の大バカ野郎!俺たちのせいだとバレたら、お前にも金を払わせるからな!)
 鵺野の心の叫びは、しかし誰にも届かない。
 もし張本人に届いたところでダメージをうけるような神経は持っていない。バレたらバレたで、ニッコリ笑って札束出すに決まってるのだ。
 ・・・キッチリ半額だけ。
「今日絶対あいつのマンションに行ってやる・・・文句の100や200は覚悟してろよ!?」
 そして返り討ちに遭うだろうという結果は、予想していないらしい。

 妖狐なんぞに深く関わった鵺野の不幸は、まだまだ続く。

 朝の清々しい風が、途方にくれてたたずむ鵺野の前を、サワサワと吹きぬけていった──

FIN


 以前書いたSSを、ここで公開しちゃおう計画の第2弾。
 これは、ずっと前から「Snow Spirits」さんの方で、公開していただいていたものを、今回許可を得て、こちらに移してきたものです。

 これを書いた当時は少年ジャンプ連載中で、「地獄先生ぬ〜べ〜」では九尾の狐、というキャラが出る前でした。なので原作で出たときに、焦った記憶があります。
 話の展開的には、ジャンプの王道をしつつも、『ぬ〜べ〜』らしさを心がけてはみました。鵺野先生と玉藻の掛け合いが好きなので、その辺は楽しく書いてましたね(笑)
 ゆきめさんも好きなので、彼女のエピソードも伏線で絡ませました。
 あと、オリジナルキャラの九尾の狐と九緋羅が、この世界と違和感ないよう、注意したような気がします。九尾と玉藻、共通点を見出していただけたのなら、嬉しいですね。

 な〜んか、こういう作業してると、ぬ〜べ〜の新作も書きたくなってくるもんなんですが・・・その前に火魅子伝のを書けってホント(爆)