WANDERING

〜SASURAIBITO〜


(注)これは週刊少年ジャンプに連載されていた「地獄先生ぬ〜べ〜」の創作SSです。
 「木枯しに消えた雪女」のすぐ後にあたる時期の話で、前後編になっています。
 ここに出てくる九尾の狐は、原作の九尾とは違う、オリジナルキャラですので、そのへんを踏まえた上で読んでくださいね。


〔後編へ〕





「私は力が欲しい。もっと強い力が。・・・ただ、それだけだ」




1.校門


 時は、闇の羽衣をまとっていた。
 粉のように細かな雨が、人の創り出した光の街を、音もなく包み込む。
「・・人間の街など、じっくり見た事もなかったが・・・」
 美しい。
 だが、はかなく、もろく、偽りに満ちている街。
 光の中に一歩踏み出せば、そこに広がるのは、夜よりも濃い暗黒だけだと、ずっと思っていた。
 おごり。へつらい。利己。虚飾。
 そして、パンドラの箱に残ったのはーー
「・・・・・・」
 彼は最後の一瞥(いちべつ)をくれると、あてもなく歩き出した。
 光の街に入り、いくつもの道を渡り、雑踏を通り抜ける。何人もの女が、自分の偽りの外見を見つめて振り返った。
 無意味だというのに。

 どれ程の時間を歩いたのだろうか。
 いつの間にか、彼は一つの建物の前に留まっていた。
「・・ここに来てしまうとはな」
 刃のごとく薄い笑みが、彼の顔をかすめ、そして消えた。
『童守小学校』の文字が、門柱に見て取れる。
 薄汚れてヒビの入った壁に、彼はもたれかかった。
 ふと見ると、もう夜も遅いというのに、一つだけまだ明かりが灯っていた。
 何をするでもなく、ただ見つめ続ける。
 と・・・時機を見計らったかのように、その明かりが消え、そしてしばらくすると、玄関に影が現れた。
 若い男性である。
 割と背が高く、スラッとした体型を持つその影の持ち主は、彼の良く知る者だった。
「ふふ・・・何とタイミングの良い・・」
 影の主は、まっすぐ校門に近付いてきた。
 しかし、自分から声をかける気はない。こちらに気づかなければ、そのまま見送るつもりだった。
 そして彼の予想どおり、その人物は外の寒さと霧に気を取られ、彼の横をそのまま通り過ぎようとしたのだ。
 だが・・・・
 2、3歩行ったところで、かすかに人の気配を察知して、かの者は足を止めた。
 じっと目を凝らす。
「玉藻・・・か?」
「今晩は、鵺野先生」
「何やってんだ?こんな所で」
 鵺野はいぶかしげに、闇に溶け込んでひっそりと立っている玉藻と向かい合った。
「あなたこそ、なせこんな時間まで学校に?もう11時を過ぎてますよ」
「残業だよ、残業。学期末は教師も何かと忙しいんだ。それに俺は一人住いだから、いつ帰ったっていいからな」
「・・・・わびしくありませんか?」
「大きなお世話だ!・・・・・?」
 いつものように怒鳴ってから、鵺野は得体の知れない違和感を感じて、玉藻の顔をのぞき込んだ。
 人をからかうような口調は普段通りだったのだが、どこか気だるそうである。
 そして、玉藻の息づかいがわずかに乱れていることに、彼は気づいた。並外れた体力、運動力を持つ彼が、息を乱すなど、めったにないことだ。
 顔色は暗さのためによく分らない。
 さらにのぞき込もうとした、その鵺野の視線に気づき、玉藻は煩わしさを露骨に示して、ふいと顔を背けた。
「どうかしたのか? 息が少し荒いようだが」
「別に・・・あなたには関係ないでしょう」
 案の定、にべもない答えも返ってきた。
 あきらかに、詮索するなという態度だ。
 ただの人間になら、十分に通用する言葉。
 が、鵺野はそんなことでメゲる男ではなかった。常日頃から玉藻のそういう態度には慣れっこになっているし、それでも引かずに突っ込んでいくのが、鵺野なのである。
「別にって、お前なあ・・・ん?」
 さらに追及しようとした彼の視界の端、街灯の下で何かが光った。
 その正体に思い当たると同時に、サッと表情が険しくなる。
「お前、怪我をしてるな!」
 暗いのと、着ている黒い服に隠れて今まで分らなかったが、街灯の薄明かりに照らされたアスファルトの地面には、細く血の道ができていた。その道の元は言うまでもない。
「ああ・・・大したことはありませんよ」
「いいから見せてみろ」
 鵺野が傷があると思われる左脇腹に触れるのを、玉藻は無表情に見つめた。
 ねっとりとした液体が、彼の手を染めていく。そして、血と共に流れでる妖力。妖かしの命の源。
「霊障か!」
 驚きが声に混ざった。
「おまえに、これほどの傷を負わせるとは・・」
 玉藻がかなり強力な高等妖怪であることは、自他共に認める事実だ。彼に勝てるものなど、全ての妖怪を合わせてもそうはいない。神の域に達するような者でなければ・・・
「こんな傷で歩いてきたのか?なんて無茶なことを。いくらお前の生命力が強いからって、無理をすれば死んじまうぞ。まだ歩けるか?」
 介抱するつもりで、腕を取ろうとした手を、しかし玉藻は振り払った。
 何も映さない眼が鵺野を射貫いた。
「どこへ行くんです?妖怪の私を、童守病院にでも連れていくつもりですか。同僚達が私を診たら、さぞ驚くでしょうね・・・このくらいで歩けぬほど、私は脆弱ではない。あなたの手助けなど、無用だ」
 妖しく冷やかな、孤高の色を宿す瞳。
 決して媚びることなく、何者にも屈することを知らない。
 だがそのプライドの高さは、こういう時にはマイナスに作用する。
「・・・この強情狐め」
(人がせっかく心配してやってるっていうのに!)
 そりゃあ、自分と玉藻は表向きはライバル同士だということになっている。玉藻がそれにこだわっていることも知っている。
 だが、出会ったばかりの頃はいざ知らず、最近はその冷たい態度とは裏腹に、自分達の危機をいつも助けてくれていたではないか。
 本人は「鵺野先生の力の秘密を知りたい。そのためには、今死んでもらっては困るからですよ、フッ」なんて言ってはいるが、決してそれだけではないことも、鵺野は知っていた。

 そんな玉藻を助けてやりたいと思ったって、決して悪くはあるまい。
 だのにこのキツネときたら!
「この程度の傷、自分で治せます。放っておいてください。・・では」
 こう言う通り、見捨ててやろうかとも一瞬思った。が・・・
「待てよ」
 軽い会釈とともに立ち去ろうとする彼を、鵺野は呼び止めていた。
「何か?」
 振り返った玉藻を、真正面から見据える。
 強い意志と優しさが混在する、黒く澄んだ瞳。
 時に真紅に染まっても、その輝きが失われることはない。

──誰も視線を逸せない――

 立ち止まった玉藻に鵺野は、ぽつりと言葉を投げた。
「放っておいて欲しいのなら・・・なぜここに来た? 自分のマンションじゃなく、この場所に」
「それは・・・」
 感情の読み取れなかった顔に、初めて動揺が走った。二人の間に、無言の時が流れる。
 無論、玉藻は正当な理由でもって、後を続けようと試みたのだ。
 だが・・・出来なかった。
 出来るはずがない。彼自身、なぜここに来てしまったのか、分らないままだったのだから。
 気づいたら、足がここへ向いていた。

 沈黙してしまった玉藻を、鵺野はせかすでもなく、じっと見つめていた。が、さすがに長く続くと耐えられなくなったのだろう。
「・・・ほれ」
 そう言って、無造作に再び手を差し延べてきた。
 温かい血の通った右手。
 それはあまりにさりげなくて。
 玉藻は思わず、その手を取ってしまっていた。
・・・いや、本当にそうだろうか。
 本当は、救いが欲しかったのではないか?
「・・・学校の宿直室を貸してもらおう。そこで傷の手当をしてやる。有無は言わさんからな」
「しかし・・」
「うるさい!あんまりグダグタ言うようなら、観音経で引きずってくぞ!」
 誇り高き妖狐・玉藻としては、到底認められない思い。
 だが、玉藻京介としてなら、その手に頼ってみても・・・いいのかもしれない。
 荒々しく腕を取り、自分の肩を入れて歩き出した鵺野の頭を、玉藻は苦い笑みをこぼしながら見下ろしたのだった。

 夜の学校は昼とは一変した顔を見せる。
 賑やかな声は途絶え、主のいない道具達が、ただ鎮座しているだけだ。
 不気味に静まりかえった校内には、ただの廊下の隅でさえ、何かが潜んでいそうな感じを受ける。
 何か・・・そう、この世のものにあらざる者などが。
 特にこの童守小は、そのテの話に事欠かない場所だ。当然、教師といえどもそんな場所に泊まりたくはない。
 宿直制度に強制力などない今、ほとんどの教師が宿直を拒否し・・・
 その結果、必然的に宿直室はそういうものが平気な人間、つまり鵺野鳴介が使用する頻度が非常に高くなっていた。
 今では担当者がいなければ、勝手に泊まっていっても、学校側も黙認してくれているのだ。
 闇に沈んでいた建物の1階に、光の筋が出来ていく。
 そして「宿直室」というドアプレートがある1室が、校庭にぼんやりと浮かび上がった。
「着いたぞ」
 ここまで、思いの他素直に身を任せていた玉藻の肩を、鵺野は注意深く外した。
 苦痛の色を見せるかと心配したからなのだが・・・案に相違して、玉藻は微笑さえ作ってみせた。
 さすが、その精神力は並ではないということか。
 しかしその傷は、電灯の下で改めてみると、案の定深いことが分った。
 シャツの上からでも、横腹の肉が大きくえぐられているのが一目了然だ。
 その黒いシャツもズボンも、霧雨に濡れたにしては不自然な光沢を放っているのを、鵺野は眉をひそめつつ見つめた。
「入って横になってろよ。俺は保健室から治療道具を取ってくるから」
 微笑みを浮かべて立ったまま、動こうとしない玉藻に、一抹の不安がよぎる。
「・・・逃げるなよ」
「逃げませんよ」
「ホントだな?」
「ここまで来たのに、逃げてどうするんですか」
「お前ならやりかねん。油断させておいて、トンズラするくらい平気でやりそうだもんな」
「・・・私をどういう目で見てるんです?」
「プライドの塊で、イヤミ野郎で変な奴」
「・・・・」
 玉藻は呆れたといった風に首をすくめると、シッシと手の平を振った。
「あなたのような変人に言われたくありません。人間だけでなく、妖怪さえも助けようとするのだから」
 全く・・こんなに意地になる必要など、どこにもないのに。
「変な奴で悪かったな。俺の性分なんだ、ほっといてくれ。・・いいか、逃げるなよ」
 もう一度念を押すと、鵺野は夜の学校を駆けていった。

「逃げようにも・・もう無理なんですよ」
 その姿を見届けるとーー
 玉藻はそれまでの微笑を一転させ、苦しげに片膝をついた。
 耐えていた痛みが、どっと吹き出す。
 腹を切り裂いた傷は、確実に自分の力を奪い去っていた。しかもこの傷は、自力での再生が効かないのだ。
 このままいけば滅ぶのは明らかな、そういう質のものだった。
(本気で怒らせてしまったようだな・・まあ、当然か)
 灼熱のうずきが、負わせた者の怒りを彼に思い知らせる。
「・・・ツウッ!!」
 一際激しい痛みに、思わず声が洩れ、視界が歪んだ。
(奴がいなくてよかった・・・)
 玉藻は彼が消えていったドアに、ゆるゆると視線を合わせた。
──鵺野鳴介──
 自分の運命を変えた人間。
(この傷は、奴に負わされたようなものだな)
 奴と出会わなければ、こんな目には遭わなかっただろう。
(だが、後悔はない)
 自分で選んだ道なのだ。後悔すれば、その時点で敗けになる。
 玉藻は再び立ち上がろうとした。
 今回は頼るような形になってしまったが、ライバルに弱いところを、これ以上見せたくはなかった。
 だが・・数時間に渡って歩き回るという酷使を強いられた身体は、反乱を起こしていたのだ。
「くそっ!妖弧・玉藻ともあろう者が・・」
 自由が利かない。どんなに歯がゆく思っても、身体は自分の意志を裏切った。
「!玉藻!?」
 救急箱を手に宿直室に入ってきた鵺野は、うずくまる彼を見つけて、慌てて助け起こした。



2. 宿直室

「バカ狐」
 ずっと黙っていたかと思えば、唐突に飛びでた言葉は『バカ狐』ときた。
「相変わらずひどい言い方ですね。これでも、自分では頭は悪くない方だと思っているのだが」
「妖力をほとんど使い果たすまで、フラフラと歩き回ってたような奴を、バカと言わずに何という」
 宿直室の布団の上に、玉藻は寝かされていた。
 そして今は、その腹部の傷の上に鬼の手が乗せられ、鵺野の霊力が彼に注ぎこまれている最中だった。
 倒れている彼を発見した鵺野が、急いで布団を敷き、玉藻を運んでくれたのだ。
「あなたには借りを作りたくなかったんですがね」
「借り?お前、そんなもんにこだわってたのか?それを言うなら、俺もお前には鬼の手の暴走を鎮めてもらった借りがあるからな。これでチャラだ。気にするな 」
 強烈なオーラが鵺野の全身を覆い、鬼の手を通じて大量の霊力が玉藻の中に流れ込んでくる。失われていた力が、段々と戻ってくるのが感じられた。
 しかし。
 身体に入る「気」を、彼は精神的に少し持て余していた。鵺野が発する気は、自分には決して創り出せないであろう質のものだったからだ。

 温かく、触れる者に安らぎを与える気。
 たとえるならば・・・日の光。
 真っ直で、淡く、時に激しく、あまねく者に降り注ぐ。
(子供達が惹かれるのは、この「気」のせいだ。普段の間抜けな部分しか見ようとしない、愚かな大人の人間には、到底分るまいが)
 鬼という邪悪なものをその身に封じていながら、なおこんな「気」を持っていられるとは。
 自分には、まぶしすぎるほどの・・・・
(そしてこの「陽」の気が、「陰」の妖怪を呼ぶ。その光に飢えるあまりに・・)
「何ジロジロ見てんだ?気持悪いな」
 我に返ると、鵺野が自分をにらんでいた。
「え?いや・・ちょっと考え事をね。それよりも、本当に良かったのですか、私のためにそこまでして。急激に霊力を消費すれば、あなたもかなりの疲労を伴うだろうに」「だが、お前ら妖怪と違って、たとえ霊力を使い果たしたとしても死ぬことはないからな、人間は。・・そう、人間は・・・」
 ここで、不意に彼は沈黙した。
「・・・・・・」
 うつむき、目を伏せる。何かの記憶がよみがえったらしい。
 それが何なのかは、玉藻にも容易に想像がついた。
「人間は・・・」
 繰り返す声が憂いに染まる。
 普段は何気ないように振舞っていても、ふとしたことでやりきれない想いと共に、顔を出す。
 絶対に消えることのない心の傷。
「ゆきめのことですか」
 あっさりと言われたその名前に、ビクッと体が震えた。
「不自由なものですね、人間の心というものは。辛いことほど忘れられぬとは」
 鵺野は顔をそむけた。
 注がれる霊力の量が増加する。
 これ以上、その話題に触れるなということなのだろう。
 だが、玉藻はかまわず続けた。
「私はその場にいなかったが・・・彼女は幸せそうな顔をして逝ったと聞きました」
「・・・・・・」
「私は彼女がうらやましいですね」
「うらやましい・・・だと?」
「そう。ゆきめは人間の愛を知ったのでしょう?」
 思わず目が上がる。
「私が理解できないでいる、愛という物を彼女は理解していた。私と同じ妖怪だというのに・・・そして、手に入れたのだ。あなたと同じ力を。そして人間の愛も。私にはまだ理解できなくても、彼女が幸せな顔で消えていった理由ぐらいは、私にもわかります。同じ妖怪としてね」
 鵺野は唇を噛んだ。
「・・・ゆきめを殺したのは、俺だ。俺がもっとはやく自分の気持ちに気づいていたら、そして守っていたら、あんなことにはならなかった。掟を破ったゆきめがどういう立場にいたのか、分かろうとしなかった俺が」
「彼女を幸福にしたのも、あなただと思いますがね」
「もういい、やめろ」
 鵺野は立ち上がると、後ろを向いた。
「・・・お前に慰められようとはな。だが、もういいんだ」
「私は事実を言っただけです。やめろというならやめますが」
 身をさいなむのは後悔のみ。
 まだ、彼女が幸せだったという言葉で救われるには、時間が必要だった。
「そこまで回復すれば大丈夫だろう。そばに包帯が置いてあるから、そいつを巻くといい。霊力を封じたから、力の放出も防ぐはずだ。・・・俺はちょっと出てくる」
 玉藻に顔を見せることのないまま、鵺野は部屋を出ていった。
 一人残された玉藻は起き上がり、包帯を手に取る。
「雪女の心さえ溶かしてしまう力・・か」
 その口元が軽く引きあがった。



3.妖狐の谷


「さて、話してもらおうか。鬼の手で体を粉砕されても蘇ってくるほどのお前が、自己再生も出来ない傷を負った訳をな」
 壁に寄りかかり、鵺野は聴く体勢を取った。ストーブにかけたヤカンが、微かな音を立てている。
 部屋は充分温かいのに、どことなく寒々とした気配が漂っているのは、他にBGMがないせいだろうか。
 玉藻はしばらくの間ためらっていたが、彼の「話を聞くまで帰さない」といわんばかりの姿勢に苦笑して、やっと条件付で話すことを承諾した。
「同族間の問題です・・・私が解決すべきことだ。あなたは決して手を出さないこと。それが話す条件です」
「同族?妖狐族か?」
 玉藻はどう話すかまとめるように、目を閉じた。


 今から数時間前。
 玉藻は隣の市で行われた学会に出席し、自宅への帰路についていた。
 すでに日は暮れており、急激に冷え込んだ空気が車のフロントガラスを曇らせる。
 空模様も怪しくなってきていた。
 汚染物質を含んだ町の雨を浴びるのはあまり好きではない。
(早く帰った方がいいな)
 そう思い、アクセルを強めに踏んだ、その時だった。
「!!」
 突如強力な妖気の塊が数個、車の周囲を取り囲んだ。急ブレーキを余儀なくされ、車は耳障りな停止音を響かせて止まる。
「何者だ!」
 玉藻は車から飛び降りると油断なく身構えた。
 ただならぬ気配が溢れていた。
 車が止まったのは北山神社の近く、昼間でも人通りが少ない場所だ。ここなら、人に見られる心配なく戦える。できるだけ騒ぎを知られたくない彼には好都合な場所だった。
 しかし。
 騒ぎにはならなかった。
 人間の姿を取った妖気の所有者達は、玉藻と戦うどころか、彼の誰何の声に一箇所に集まり、その前にひざまづいたのである。
 その上彼らの発する妖気には、自分と同質のものがあった。
(こやつらは・・・同族か)
「お久しぶりです、玉藻様」
 と、聞き覚えのある声と共に、一団の中でもリーダー格らしき男が進み出た。
 ヘッドライトに照らされて浮かび上がってきたのは、彫りの深い顔立ちと、腰まである栗色の髪を持つ、温和な雰囲気を漂わせた青年だった。
「お前は・・・九緋羅(くひら)か」
「はい」
 九緋羅は微笑んだ。
 彼は妖狐族の中でもかなり上位に入る実力者だった。玉藻が人間界に降りてからは会っていなかったが、以前は長である九尾の狐の側に常に仕えている彼とは、よく言葉を交わしていた。
 彼らが現れた理由については、彼らが同族だと知れた時から、玉藻には分かりすぎるほど分かっていた。
(むしろ遅いくらいだ)
 だが一応問うてみる。
「何の用だ?お前は人間界には降りないのではなかったか?」
「九尾様が呼んでおられます。我らと共においでください」
「フ・・・ン。拒んでも連れて行く気であろうが」
「長の命令は絶対ですから」
 あくまでも慇懃に九緋羅は振舞う。
 しかし、後ろに控えて一言も発していない他の妖狐達も、相当な力を持っている者達であることが、九緋羅の本心を裏付けていた。
 それでも自分の力なら、蹴散らして去ることも出来ただろうが・・・
「参ろう」
「ありがとうございます」
 そして玉藻は、九緋羅達が作った暗黒の門へと姿を消した。


 妖狐とは、れっきとした妖怪の種族である。外見は狐に似ているし、獣の血を色濃く持ってはいるが、普通の森野にいる化け狐とは違う。まあ化け狐でも高齢の者は、妖狐族に加わることもあるのだが。
 彼らの起源は中国で、日本古来の化け狐族とは一線を画した。日本の化け狐族も元は中国から渡ってきたようだが、種族も歴史も、霊格も格段に違うのだ。
 妖狐族の歴史は古い。紀元前のはるか古代、中国に国が出来たころにはすでに存在していたと思われる。
 世界創世、陰陽が分かれる前から、九尾の狐はいたという記述さえある。日本の狐はせいぜい千二、三百年程度だろう。
 日本の狐はかなり若いときから化けられるが、一部を除けば目の前の人間をだましたり、化け比べをするのがせいぜいだ。対して妖狐族は人化の術を習得可能になるまでには400年がかかるが、その妖力は彼らとは天地の開きがあった。
 だから妖狐族は化け狐達を支配下に置くのである。
 彼らは巧妙に人間界に入り込み、その知力と妖力を駆使して、さまざまな角度から混乱を巻き起こす。普通の人間では見破ることさえ至難の技だった。
 そして・・・

地獄の奥深く──妖狐の谷はあった──


険しい岩山と、無数にある洞窟以外は何も存在しない荒野。
 空は赤黒く濁り、風邪と亡者の叫び声が支配するこの地には、多くの妖狐達が棲んでいた。
 この谷の主な構成者は、まだ人化の術も習得していない者達。彼らは地獄の亡者や連れてきた人間達を実験台に、研究を続けている。
 成人の妖狐も決して少なくない。中には玉藻がそうだったように、最適のドクロを探すものもいる。
いわばここは、妖狐達の故郷だった。
 単独行動を常とする妖狐族も、ここでは厳格な規律の下で行動する。
 彼らの身分を決めるものは血統と、それに伴う実力だ。血統とは受け継ぐ者。誰の力を受けたかということだ。人間の言う、親から子へという血統とは若干違う。

 この谷の最も奥深い場所にある洞窟に、妖狐族の長・九尾の狐はいた。
 中に造られた広大な屋敷がその住居だ。華美ではないが、圧倒的な威圧感を備えたその館の、さらに一番奥まった所に玉座はあった。
「人払いをせよ。私は二人きりで話がしたい。九緋羅、お前も下がれ」
 透き通った美しい女の声が玉藻をとらえた。
「御意」
 取り巻き達が去っていく。こちらを振り返りもせずに。
 一瞬、死のような静寂があった。
「戻ったか。我が子孫、我が名を継ぎし者よ」
 彼女は、艶然と微笑んだ。

 玉藻前(たまものまえ)。これが彼女の呼び名の一つであった。
 最初紀元前11世紀の中国に姿を現わしてからというもの、美女に化けてはその時々の支配者を色香に惑わせ、自分の思うがままに権力を行使した、白面金毛九尾の狐。
 退治されても転生を繰り返し、決して滅びることはない。その上性格は残忍極まりなく、人を殺しては楽しんでいたという。
 平安時代に日本に棲みついたのだが、日本でも天皇の生気を吸うなど、非道の限りを尽くした。
 人間界で封じられてからも、地獄で妖狐族の長として君臨しつづけている、最強の妖狐の神だ。
 そして彼女はここでも人間の姿でいることが多く、今もその姿で玉座に座っていた。
「お呼びということでしたからね。それで、何かご用でしょうか、九尾様」
 彼女にこんな口を利ける者は、妖狐族の中でも彼女にごく近しい者だけだ。
「とぼけずともよい。私が何故お前を呼び戻したかは、己がよく分かっておろうが」
 暗灰色の瞳が玉藻を見据える。
 その微笑とは裏腹に、彼女の目に温もりが灯ったところを、玉藻は見たことがなかった。
「九緋羅にお前の様子を探らせて驚いたぞ。まさか医師になぞなって、人間共の命を救っていようとはな」
 玉藻も笑みを浮かべた。
「私も驚いているのですよ。自分がこんなことをするようになるなんてね」
「おごり高ぶった人間共を懲らしめるために世に下り、災いをもたらすのがお前の、妖狐の役目であり、掟のはず。何を血迷うておる?」
「血迷ってなどいませんよ。私は強くなりたいのだ」
 だが、彼女は不快げに目を細めた。
「馬鹿な。人間を助けることが、何故強くなることに繋がるというのか」
 そして自分の子孫を見つめた。
「我が愛し子よ。何故私の意に逆らう。私はお前に、我が名まで与えたというに・・・なぜ私を裏切るのだ?」
「私は力が欲しいのさ。もっと強い力が。・・・ただ、それだけだ。そして、人間の愛を知ることで私は強くなれる」
「・・・愛だと?」

 その時。ほんの一瞬だが。
 彼女の顔を、何とも言えない複雑な感情がよぎった。

 しかし、
「何をたわけたことを」
 玉藻がそうと気づくより早く、彼女は冷たい仮面を被っていた。
 玉藻は静かに、だが一歩も引かぬ姿勢で言い放った。
「私は2度、ある人間に敗れた。その人間は愛という感情で強くなったように思えた。ならば、妖狐の私にはないその「愛」という感情を理解できれば、私にも奴と同じ力が手に入るはず。私は奴を超えたいのだ!」
「やめよ!」
 彼女の叫びが玉藻の声をさえぎった。
「その考えは捨てたがよい。妖狐に愛など不要だ。愛は利用するもの。知るものではない。人間がその感情で強くなることもあるということは知っておるが、妖狐がそのようなものを会得しようとは、笑止千万。不可能じゃ・・そんなものに関われば、身を滅ぼすぞ・・・。現にお前の近くにいた雪女は、人間の男を愛したばかりに、滅んでいったそうではないか。愛という感情は我らにとって、最も忌むべきものぞ」
「しかし!」
「世に災いをもたらすのが我らの使命。愛はそれを邪魔するもの以外の何物でもない。・・・強くなりたくば他の方法を使え。愛を知るのはあきらめるのだ。よいな?これは私の命令だ」
 彼女の命令は絶対であり、掟と同じだ。逆らえば、死──
「断る」
 だが彼は即答した。
「何!?」
 彼女の怒りが形を成し始めたのが、傍目にも分かった。
「他の方法では奴に勝てない。奴に勝てなければ意味がないんですよ。それに・・・私は今の生活を気に入っている。変える気はない」
「黙れ!妖狐の誇りを失うたか!!」
 これまで表面的には冷ややかに話していた彼女の語気が、目に見えて激しいものになる。
 彼女は立ち上がり、玉藻を恐ろしい形相で睨み付けた。
「私はお前を可愛いと思うておる。ゆえにお前に弁解の機会を与えてやったというに、私の温情を無にする気か。本来なら掟を破ったお前は、すぐに殺されても仕方がないのだそ・・・。もう一度命じる。人間の手助けなど、直ちにやめよ!」
「もう一度言う。断る!」
 強い決意が彼の体中に溢れていた。
「妖狐の誇りは失っていない。失ってたまるものか。人間にへつらう気など、毛頭ない。私はただ、奴と同じ力を手に入れたいのだ。今の私にはそれが全てなのだ。その為には、妖狐の掟など何度破ってもかまわぬ!」
「愚か者が!!」
 牙のごとき妖気の刃が。、玉藻に襲い掛かった。

「・・・クッ!」
 かわせなかった。
 いかに玉藻が強力な妖狐でも、九尾の攻撃をかわすことは不可能だ。
 左わき腹に激痛が走り、何かが足を流れ落ちていく。
 彼女は巨大な黄金の妖狐に戻っていた。
 凍てついた視線が玉藻を貫く。
「お前を人間界に降ろしたのは過ちだったようだな。私に逆らうものは、お前だとて容赦はせぬ」
 しかしそこで、言葉がわずかに途切れた。
 そして彼女は、
「だが・・・・・・もしお前が生き延び、自分の行いを後悔したなら、ここに戻ってくるがよい。お前を許し迎えてやろう。優れた子孫を失うのは、私も忍びないからな」
 こう続けたのだ。
 玉藻はいぶかしく思って、彼女の黄金の姿を凝視した。
(なせだ?なせ一思いに殺さない?常に冷酷非常な妖狐の神が・・・)
 自分の知る彼女は、子孫だからといって手心を加える者では決してない。
 だが彼がその理由を彼女の表情から推し量る前に。
「さあ、人間界に行くがよい!」
 彼女の声と共に、眼前に暗黒の門が出現した。

──そして気づいたときには、玉藻は童守町の高台の上に立っていた──



 結局、玉藻は細かい部分は省きに省いて、自分が人間界に災いをもたらすという掟を破っているために、九尾の怒りを買ったという核だけを話した。
 それで充分だったし、自分が鵺野にどれほどこだわっているかなど、彼には絶対に話したくない。
「九尾の狐・・妖狐の神か」
 多少なりとも妖怪に興味がある人間なら、誰もが一度は耳にしたことがあるだろう名前だ。その圧倒的な力の伝説と共に。
「で、勝てるのか?」
「勝てる?彼女にですか。冗談はよしてください」
「冗談って、お前の命に関わることだろうが」
 ずいぶんと気のなさそうな答えが返ってきたので、鵺野は寄りかかっていた壁からずり落ちかけた。
「地獄では私に勝ち目はありません。奇跡が起きたとしてもね。九尾様は我々妖狐族の始祖にして、特別な存在なのです。彼女の前では、あなたの封じた鬼も子供のようなものでしょう。・・・ただし、人間界であれば、あるいは・・・」
「何か策があるのか?」
 鵺野は期待に満ちた目を向ける。が、玉藻は首を振った。
「策というよりは、希望です。勝てる見込みが、ゼロからわずかに上がった程度でしかない。・・・人間界では、彼女はほんの少ししかその力を出せないのですよ。復活できぬよう封じられている身ですからね。彼女の力が完全に及ぶのは、地獄の入り口までですから、もし彼女が人間界に降りてきてくれたならば・・」
「渡り合えるかもしれない、と」
「そうです。もっとも、これはあくまで、彼女が人間界に降りてきてくれたらの話です。那須野の事件以降、九尾様が人間界に降りたことはない」
「う・・・で、でも、ということは逆を言えば、お前が人間界にいる限り、九尾自身が手を出すことはないってことじゃないのか」
「そうですよ」
「そうですよ、って、じゃあお前大丈夫なのか?」
「恐らく、ね」
「なんだよ・・・」
 鵺野は拍子抜けして、今度こそ壁をずり落ちた。
「お前が勝ち目がないなんていうから・・・」
「九尾様には勝ち目がないと言っただけです。大丈夫じゃないなんて誰が言いました?あなたが勝手に解釈したんでしょう」
「ぐ・・・確かにその通りだが・・・だが、九尾は来なくても配下の妖狐達が、その命令で襲ってくるんじゃないのか?」
 まだ心配をする鵺野に、玉藻は鮮やかな笑みで答えた。
「私は天狐・玉藻ですよ?雑魚共などに負けはしません。だが、同族は殺したくない。おとなしく引き下がってくれればいいんですがね。とにかく、これは私の個人的な問題です。どうなろうと、あなたは手を出さないでください。それが話すときの条件でしょう」
「・・・・・・分かった」
 しかしいくら玉藻といえども、精鋭の妖狐達を相手に、本当に無事でいられるんだろうか。
 鵺野の頭に危惧がよぎる。
 だがいくら助力を申し出ても、こいつのプライドがそれを許さないだろう。
 彼は了承するしかなかった。


 宿直室の時計が、12時を告げる。
 玉藻は立ち上がった。
 ズキリと腹の傷が痛んだが、歩くのには支障がない程度には回復している。鵺野からの霊力の供給がかなり効いたらしい。このぶんなら、今日中には完治するだろう。
(大したものだ・・・)
 人間でも、これほどの霊能力者はそうは見つかるまい。そんなにいたら困るが。
「私はそろそろ帰ります。今日も仕事があるのでね」
「大丈夫なのか?」
「当たり前です。・・私が頼んだのではありませんが、一応あなたには助けてくれた礼を言っておきましょう。今度、一流ホテルのディナー券でも贈りますよ」
「ホントか!?」
 とたんに鵺野の顔が輝いた。
「やっぱ医者は金持ちだよなー。なあ、2,3枚でもOKだよな?」
 そして物欲しそうな笑顔を浮かべる。玉藻の言葉に乗じて食事を何度か世話になろうという魂胆が見え見えだ。
 それが、貧乏人鵺野の悲しい性から出たセリフなのか、今までの重苦しい雰囲気を変えようとして出たセリフなのかは玉藻にもわからなかったが・・・
「・・・・・・」
 玉藻は大きなため息を道連れに、部屋を後にしたのだった。



4.屋上


 その日の朝。
「ぬ〜べ〜!起きろよ!朝だぞ!」
「先生が生徒より寝坊してどーすんのよ!」
「・・・ふにゃ?」
 完全に寝ぼけた鵺野の視界に映ったのは、広と郷子の怒り顔だった。
(あれ?なんでこいつらが?)
 まだ状況がわかっていない。
「宿直室で物音がするからのぞいたら、案の定ぬ〜べ〜が寝てるんだもんなあ」
「早くしないと授業始まるわよ!」
 美樹と克也もいる。
(授業?宿直室?)
 重くにぶった頭で必死に考える。
 えーと、昨日は玉藻の治療をして、12時にやつが帰って、俺は面倒だからそのまま・・・
 ガバッと飛び起きた。
「今何時だ!?」
「8時15分だけど」
 数秒の間。
 この間、セリフなし。効果音なし。
 そして・・・
「うぎゃあああ!遅刻だああ!!」
 布団をはね飛ばし、駆け出そうとして。激しいめまいに襲われ、鵺野は派手にすっ転んだ。
「いでっ!!」
「なーにやってんだか」
 子供達が呆れ顔で見ているが、そんなことに構っているひまはない。
(くそー、昨日はさすがに霊力を使いすぎたか・・)
 頭と一緒に身体もだるい。
 霊力は普通人間が使うエネルギーとは違うが、身体から発する「気」であることに変わりはない。大量消費はやはりキツイものがあった。
(朝飯を食っている時間は絶対無い。服は1分あれば着れる。後はネクタイをして・・・げっ、髪がバクハツしてる)
 洗面所に走りこんだ鵺野を見送った後、郷子は辺りに脱ぎ捨てられていた服を、何気なくつまみ上げた。
「これ、昨日のでしょ?きったなーい」
 顔をしかめて放り投げようとする郷子。
 が、しかしそれを
「おい、ちょっと待てよ」
 広が止めた。
「どうかしたの?」
「なんだ、これ」
 広が指差したワイシャツの裾には、赤黒いシミが出来ていた。
「え、なになに?」
 美樹と克也も寄ってくる。
「これ、血じゃない!」
「うそっ!?」
 郷子が慌てて見直すと、それは確かに血痕のようだった。
「なんでそんなもんが、ぬ〜べ〜の服についてるんだ?」
「昨日除霊したんじゃない?その時に霊の血が・・・」
「バカ。霊が血を流すわけないだろ」
 洗面所にもその騒ぎは聞こえてきた。
(しまった、うっかり・・・)
 まさか子供達が来るとは思っていなかった鵺野は、不用意に服を散らかしていたことを後悔した。
 こうなるとあいつらのことだ、根掘り葉掘り聞こうとするに違いない。
 しかしもう遅い。
「ぬ〜べ〜、これはどういうことよ?」
「ぬ〜べ〜は・・・ケガしてないよな」
「んじゃ、誰の血よ?」
「まさかケンカ?」
 洗面所を出ると、好奇心の鬼達が待ち構えていた。
「事件があると必ず感づくな、お前らは。特殊な霊感でも備わってるんじゃないか?・・・それは玉藻のだよ。昨日の夜ケガしたあいつを見つけたんで、ここで手当てしてやった時についたのさ」
 仕方がないので、鵺野は事実だけを話した。昨晩の玉藻と同じだ。
「玉藻先生の!?それでどーなったの?」
「なんでケガしたんだ?」
「詳しく教えてくれよ、ぬ〜べ〜」
 だが、無論それだけでは彼らは納得しない。
 一つの質問に答えると次が飛んできた。
 ・・・おや?一人足りない。一番のツッコミ屋が。
 その一人はというと。
 ぬ〜べ〜の答えに、みょ〜な方向へ想像を持っていっていた。
「てーことは、昨日の夜ぬ〜べ〜と玉藻先生はここで二人きりの夜を過ごしたんだ・・・キャッ♪」
 鵺野の顔が引きつる。
「美樹・・・何が言いたい?」
「ねえぬ〜べ〜。玉藻先生とはどこまでいった・・・」

バコッ!!

「変・な・そ・う・ぞ・うをするんじゃないっ!!」
 怒りの鉄拳が美樹の頭に飛んだ。
「いったーい!暴力反対!」
 男子二人は茫然としている。郷子は・・・赤面しているようだ。
「ったく、どこからそんな知識を仕入れて来るんだか」
 最近の小学生はあなどれない。
「それよりぬ〜べ〜。玉藻先生は・・・」
 子供達がさらに追及しようとした、ちょうどその時。
 鵺野にとってはラッキーなことに、学校のチャイムが鳴った。美樹の暴走も時には役に立つものだ。
「ほら、朝礼の時間だぞ。お前達は教室に入って待ってろ、俺も支度してすぐに行くから。それからな、昨日のことはお前達に話していい問題じゃないんだ。だからこの話はこれで終わり。いいな?さ、みんな行った行った!」
 これを機会に、鵺野はブーブー不満をもらす生徒達を追い出した。


 そして、放課後。
 鵺野は学校の屋上にいた。
 あの後も再三、子供達は鵺野に事の真相をたずねようとしたが、彼ははぐらかして、絶対に話そうとはしなかった。
 おかげで散々追い回されたが、授業が終わると同時に姿を隠した彼を、広達も探しきれなかったらしい。あきらめて帰っていくのを、1時間前に見かけた。
 明日になれば少しは追及の手もゆるむだろう。

 身を切るような風が、彼の顔をなぶっていく。
 他には誰もいない。
 鵺野は考え事があるときや、修行をするときには、よくこの屋上を利用していた。広いし、滅多に人が来ることもないからだ。
 弱々しい太陽が、早くも西の空に沈もうとしている。眼下には、もう下校していく生徒の姿もなくなっていた。
 だんだん光を失い、様々な色を見せる校庭を眺めながら、鵺野は思いにふけった。

 彼は迷っていた。
(本当に玉藻のことを放っておいていいのだろうか)
 玉藻はプライドの高い妖狐だ。同族のことで他人の手を借りることなど、絶対に望んでいない。現に昨日も手を出すなと釘をさしたし、彼もそれを了承した。
 手助けをすれば、玉藻は本気で怒るだろう。
 でも──
 事は玉藻の命に関わることなのだ。
 彼の顔に、激しい葛藤が表れた。
 最初玉藻が「人間の愛を理解したい」と言ったときは、鵺野は半信半疑だった。本当にそうなのか、それとも口先だけなのか、区別がつかなかった。
 しかしその後、強くなることが目的とはいえ、玉藻は医者として何十人もの人間の命を助け、南雲明彦の恋人だった女性の命と、心まで救ったのだ。
 自分の正体を知られたというのに。
 そして今はその為に、同族から狙われている。
 玉藻が妖狐族を敵にしても「愛を理解したい」と言ったとき、玉藻は鵺野にとって信用に値する、良きライバルになりつつあった。
(だから、俺は奴を死なせたくない)
 それが理由の一つだった。
 しかし──
 もう一つの理由があることも、彼自身認識していた。
 鵺野は屋上の金網にもたれかかった。顔を上げると、冬の星々が明るく輝きはじめているのが見える。
だがその瞳には昨日と同じ、暗い影が忍び込んだ。

似ているのだ、この状況は。
ゆきめの時と───
掟を破り、仲間に追われ、そして・・・・・・
もう見たくない。
鵺野は目を閉じた。

守りたくて。
でも守れなくて。
大切なものを失って。
これまで俺は、何度も繰り返してきた。
また同じ光景を見てしまったら・・・
また失ってしまったら。
俺は・・・

(もうたくさんだ、失うのは・・・)
 今から玉藻の所に行こう。
 そう決意して、鵺野は再び目を開けた。
 その時だった。
「!!」
 背後に、身の凍りつくような妖気が現れたのは。
「なにっ!?」
 息をのみ、振り向いた先の空間では、暗黒の門が大きな口を開けていた。



「馬鹿な・・・」
 鬼門を、いともたやすく出現させるとは・・・
 驚愕のあまり、鵺野はただ立ちすくんだ。
 童守町、中でも特に童守町は霊的磁場が非常に強い。だから何かの拍子に、鬼門が開くという事態があってもおかしくはないが、これはどうみても誰かの手によって開けられたものだった。
 鬼門とは、いうなれば異世界と現世をつなぐ門だ。それを開くという行為には、相当な力と衝撃が伴うはずだった。本来ならこんなあっさりと開くものではないのだ。
 だが、幸いにも持続性はないらしい。門はあっという間に縮小していった。
 そして、一瞬周囲を闇に包んだ後、鬼門は消滅した。
 後に残されたのは──
「鵺野鳴介。霊気ですぐに分かったぞ」
 透き通った声が、屋上に響いた。



5.妖狐族の長

 空を見上げると、青白い月を従えて、一人の女の姿が・・・有った。
「妖狐族の長、九尾か!?」
 人間になっていても、一目でわかる。
 金に輝く髪を風になぶらせた、絶世の美女だというだけではない。
 この世で、美しいと称えられているどんな女性でも、彼女の前ではすっかりかすんでしまうだろう、そのあまりにも妖艶で気高い存在感。それは絶対に人間には作れないものだった。だから世の覇者達は、この人にあらざる美女にのめりこんだのだろう。
 しかしどんなに美しくても、鵺野はその美貌に目を奪われるような愚かなマネはしなかった。
 その暗灰色の瞳の奥には邪が満ち、全身から発せられるすさまじい妖気は、彼女の残虐さ以外、何も伝えてこなかったからだ。
(なぜ俺のところに・・・)
 鵺野は油断なく鬼の手を構えながら、彼女を睨めつけた。
「何しに来た!! お前は封じられて以後は、地獄で大人しくしていたのではないのか?」
 しかし彼女はその問いに答える代わりに鬼の手を見て、心持ち表情を変えた。
「玉藻があれほどまでにこだわる人間・・・何かあるとは思うておったが、地獄の暴鬼をその身に宿しているとは。成る程、他の人間とはいささか違うようだ。・・・いささか、だけだがな」
「この鬼の手は、あらゆるものを切り裂き、無に帰すことができる。お前も例外ではないはずだ。下手に近づけば怪我するぜ!」
「下等な人間風情が・・・この私に勝てると思うておるのか」
 九尾はせせら笑う。
 前の夜に玉藻が言ったように、勝てる確率は、ほぼない。たとえ彼女の力がこの世界では押さえられるとしても、自分より力が強すぎる相手には鬼の手も効力を発揮しない。
 しかし鵺野は、負けずに挑戦的な笑みを浮かべた。
「その下等な人間の陰陽師に正体を見破られ殺されたのは、どこのどいつかな?」
 残忍な瞳が輝きを増す。
「無礼な。神族どもが加護を与えさえしなければ、お前らなどに負けはしなかったものを」
「そういうのを負け惜しみっていうんだ。玉藻を殺しにわざわざ来たのか?奴はここにはいない。不意を打とうとしたんだろうが、残念だったな」
 しかし、彼女は緩慢に首を振った。
 そして。
 ぞっとするような壮絶な微笑を浮かべたのである。

〔後編へ〕