魅      土

─制約─


作・風車様



第4話



 風が赤い髪を、後方へとなびかせる。
 力強い飛竜の羽ばたきが、耳に心地好い。
 眼下には、火後の山と森とが緑に輝いている。いずれも、とても柔らかな印象を受ける。内阿楚を囲む山々は険しく、森も空から見下ろすと、竜骨のように見えるのだ。
 同じ火後の大地でも、これほどに違う。竜神族の始祖魅土はそんな思いにかられながら、彼女の衣と同じ色をもつ青鱗の飛竜を駆っていた。
 飛竜はもう一匹いた。魅土が駆る飛竜と翼を並べて、悠然と空を飛んでいる。里の飛竜使い、窺見【うかみ:その土地や相手方の情勢を知るための見張り】が駆る灰色の鱗の飛竜だ。魅土が駆る飛竜より小柄だが、その同族にあたる飛竜である。
「やはり、軍気が上がりましたね」
 灰色の飛竜を寄せて、窺見が声をかけてきた。
「狗根国兵が、集結しています」
 魅土も、それに気付いていた。
 村や街から、黒い集団がぞくぞくと集結してゆく風景を何度も目にしたから。貴千穂の東に位置する最寄の城郭都市《県の庄》(※1)に詰めていた狗根国兵たちも西に向かって進んでいた。
 狗根国軍の主力と思しき【おぼしき】軍団は、九洲の地を目指して既に発った後であった。各地に潜む窺見の報告によれば、瀬戸内沿いの島々を通って進軍したとのことだ。もっとも進軍といっても、それは通常の行軍速度とは懸け離れたものだ。狗根国軍お抱えの魔竜が風を切裂きながら来ている。
 やがて、それは県いの庄で兵を乗せると真直ぐ貴千穂に向かって飛行をはじめた。それを見届けてから、阿楚に引き返してきたのである。
「人間は変わらないな。昔日に過ちを知ってもなお、国が変わればまた同じことを繰り返す」
 魅土は窺見に答え、飛竜を旋回させると阿楚の風景をもう一度、眺めた。
 竜神族の里はもとから阿楚にあったわけではない。 魔天戦争を避けるために魅土が天の狭間に転移させ、それ故に幻のように現れては暫くすると消え、彷徨いつづけていたが、戦争終結後にこの地に移ったわけである。
 その後の時代には、いろいろな人と会った。後悔の念に捕われたあの優しい火の巫、姫神子。実直な好人、九峪。彼とは阿楚の山中で出会い、自身にこれほどの激しい感情があったのかと、幾度も衝突を繰り返し、そして、むきだしの恋情をあらわにした。
 その頃だろうか、初めて人間を背に乗せ共に天翔けたのは。
 長たちは口をそろえて魅土を諌めるが、魅土はこればかりは譲らなかった。それに彼は、彼女をそこらの娘のように扱ってくれたものだ。
「これからどうしますか?里に戻り、長老に報告差し上げますか。それとも・・・」
「里に戻る。長老に報告した後は留まり、狗根国軍がやってくるのを待つ方がいいだろう。十中八九、魔竜も阿楚に来る。ならば、地の利にてこれにあたる」
 魅土は感情を込めずそう云う。
「では、そのようにいたします」
 窺見はそう答えて、魅土に続き、飛竜の頭を里へと向けた。おそらく、夜更けまでには狗根国兵が貴千穂に集結するだろう。そして、この征伐の会議がもたれるはずだ。竜神族を屈服させなければ、飛竜を手に入れることが出来ないと考えているのだから。





 山深い山中を行軍する黒塗りの集団がある。
 その規模およそ四百程、剣と矛を携え弓と石弓を背負った兵士共、後方には他とは違い煌びやかな甲冑を身に纏う指揮官とみられる者と二十名程の左道士が後に続く。
 その脇には多くの渓流を合わせつつ貴千穂渓谷を流下し火向灘に注ぐ川が流れている。
 この当時は山に道などない。いや、かつてはあったのだが今は昔、標高数千尺【しゃく:地上高をあらわす単位としても用いられる】の低山でも、街道から外れていれば、踏み込む者などまずいない。ましてや、一万尺を超えるような山々に分け入るのは、猟狩を生業にしている者たちだけである。
 彼らは弓や剣を背負って道なき道を歩き、獲物を求めて山から山へと渡って行く。もし、道に迷いでもしたら、たちまち、遭難死に繋がりかねない。したがって、彼らは方角を知る感覚や地形の読み方など、常人離れしたものを持っている
 ゆえに、彼らはこうして、時には軍などの道案内なども請け負ったりもするのだ。
 いまも地理に明るい山人を先頭に、灌木に覆われた山中を鉈を振るいながら斜面を登っていた。
 悪戦苦闘しながらも一刻【一辰刻の四分の一で三十分】ほどで稜線上へ出た。そこまで登るとある程度木々もまばらになり見通しが利く。
 山人達はしばらく周囲の地形を確認していたが、やがて西の方を指して云った。
「このまま尾根伝いに登って向こうの尾根に合流しましたら、西側に降ります」
 山人の言葉を聞いた狗根国兵たちが無言で頷く。
 だらだらと続く登り斜面、長く伸びた集団はまた一刻ほどかけて登る。
 火照った体に吹き渡る風が心地よい。
 西方向へ延びる大きな尾根に合流した地点で立ち止まると、山人はまたぐるりと周囲を見渡した。
 北や東方向は山並みに遮られて視界は利かなかったが、東側から西側はよく見通せた。
 この辺りから先は、山人にとっても初めての土地になる。
 山人達は、そこから見える地形を頭に叩き込んだ。
 周辺の地形を調べることも、今回の道案内の目的のひとつなのだ。
 戦いになれば、地形を把握していた方が有利になる。少人数での山岳戦となれば、なおさらだ。とは云っても、そんなものは焼け石に水であることは百も承知であろう。
 相手はその地を統べる竜神族である。
 地形の確認を終えた山人が云った。
「では、尾根を下ります」
「待て!あれは何に見える?」
 隣で、山人の言葉を絹布に書き写していた狗根国兵が、鋭く叫んだ。
「何が、でございます?」
 狗根国兵のやや興奮した様子に、山人は不審気に振り返った。
「あれだ!」
 狗根国兵は北西の方向を指差した。
 狗根国兵が指し示す方へと視線を送っていた山人は、不思議なものを見た。黒い影が三つ、空中を浮遊しているのだ。
 鳥にしてはいささか大きすぎる。
 山人同士が思わず顔を見合わせた。
「何だと思う?」
 仲間に訊かれて、他の者が考え込んだ。
「鳥か?」
「鳥・・・にすては随分とてっぺんを飛んでねが、飛び方も鳥とは思えねがな・・・」
「案外・・・飛竜だったりしてな」
「はっ?まさか」
「いや・・・かもしんねぇ、この先の尾根さ越えれば、そこは阿楚だ」
「おい!、あれが飛竜なのか?」
 蚊帳の外に置かれていた狗根国兵が苛立たしげに聞いてきた。
「い、いえ。わしらも見たことはねぇです」
「ただ、鳥にしちゃ、おかしいんで」
「なにが、どうおかしいと云うのだ?」
 はっきりとしない山人に、兵が繰り返し問う。
「尾っぽが妙に長ごで、先が棘みてでさ、けども、こうも離れでちゃあ、確かとは云えねぇです」
「そうか・・・その方らは再び案内を頼む、私は将軍に報告してくるゆえ、では、頼んだぞ」
 そう云い残すと、狗根国兵は後方へと消えていった。
 山人たちはいくらか顔を見合わせたが、やがて、先に進み始めた。


 陽の影が長く伸び始めていた。
 正面に聳える山々は空高く噴煙を上げ、阿楚はそれを囲む外輪山より頭ひとつ高く、九洲においてこの領域を統べる竜神族の総本山であり、ほぼ全域が常に深い霧に包まれ人を拒む巨大な結界でもあった。麓付近の外郭は外阿楚と呼ばれる外輪山が延々と連なり、その内側は大小の湖が広がり、中央に向かって島のように高くなっているのだ。竜神族と飛竜、他では見られない獣が潜む樹海。
 山自体が天然の砦であり、仮に狗根国兵三千と俗民一万が死兵と化し敵を迎え撃つならば、これはまさしく鉄壁の構えとなる。篭城策を採れば十倍の敵に対し数年、うまくすれば十年以上も持ちこたえることのできる難攻不落の大要塞である。
 ただし、それはあくまでも通常の兵力がぶつかりあうことを想定したものである。
 先方の兵から報告を受けた強面の男は、昨夜の会議でもたらされた情報で、そう考えを巡らす。
 この男、此度の征伐の少毅【しょうき:四百人以下の軍団を率いる指揮官】に任ぜられた、狗根国四天王の一人、名を鋼雷と云う。
 鋼雷にとっては、敵兵力が数千であろうと数万であろうと何ら気に留める要素でなかった。誰であれ強靭な大顎と硬質な鱗に覆われた肉体、そして強力な吐息を操る魔竜を止めることなど出来ない。とめどなく紡ぎ出される吐息は行く手を阻むすべてのものを薙ぎ払い、その気になれば目の前の山の形状を変えるだけの破壊力を連続して叩きつけることも可能なのだ。
 だが、鋼雷はそれが実行できる状況にないと判断している。
 理由はふたつあった。
 第一に、戦の目的が殲滅にないことである。一兵たりとも逃さず根絶やしとし、この地を焦土と化すことのみが目的であれば話は容易い。魔竜全騎で奇襲をかけ、その破壊衝動を解放するだけで事足りるのだ。
 本国は竜神族が抱える飛竜を目当てに征西都督府長官に命を下し、竜神族との戦を展開することを決定した。そして目指すものは、竜神族の里がある阿楚山中腹にあることが判っている。この情報は今朝方、軍監目付けの深川からもたらされた。
 と、なれば魔竜で全山を焦土と化するわけにはいかぬ。面倒でも、戦略に沿って事を運ばねばならなかった。
 もうひとつの理由は、鋼雷が単独で行動できなかったゆえに生じている。
 先にも述べたが阿楚は常に深い霧に包まれており、方術、あるいは左道の類いをある程度退ける呪力の結界に覆われている。これを数箇所の巨木、獣共の思念が増幅し、結界は並ならぬ域にまで強まっていた。それを突破するための左道士であり、鋼雷なのであるが、仮に四天王の一人である彼が、単独で上手い具合に進入できたとしても、結界を破る際には必ず隙が生まれることになる。
 そしてその一瞬を確実についてくる敵の存在を、鋼雷は察知していた。いや、承知していたと云わなければなるまい。
 “敵”という表現も正確ではない。それは“同僚”である。
 四天王、それは狗根国国王〈東〉麾下の軍団において、最高の戦闘能力を有する四人に与えられる呼称であり、東に忠誠を誓い、その守護を義務付けられた常勝の超人たちである。彼ら一人ひとりの力は一軍団を凌駕するとも云われ、それぞれ得手とする武芸・呪術においては当代随一の達者であった。
 現在、鋼雷は他二人の四天王と共に、都督府長官〈紫香楽〉の補佐を命じられこの地にいる。
 しかし、鋼雷にとって彼らは信頼で結ばれた仲間と呼ぶべき存在ではなかった。
 あくまでもその忠誠は東に対してであり、忠誠という枠が外れれば、その力を利用しようと目論み、東の下に集まった者達である。
 彼らが協力体制を採っているのは、単純に東の命が絶対的なものであるからであり、逆らえば逆臣として冷徹に抹殺されるからに過ぎない。
 現に、この瞬間も、彼の隙を窺う呪法探知の気配を鋼雷は感じ取っていた。
 鋼雷による反撃が可能となる距離の皮一枚外側を、得体の知れない触手が撫で上げるように、その探知の思念波は慎重に彼の一挙手一投足を探り続けている。彼にはそれが四天王の誰が放ったものなのかも、またその人物が自分に“影”を放っていることもわかっていた。ここで不用意な隙を見せたら、剣呑な“影”は間違いなく鋼雷に向けて凶刃を振うだろう。
 流れてくる大気を通じて、咳き【しわぶき】ひとつ立てずに抑圧された匂いが鋼雷に伝わってくる。今、眼前に迫りつつある外輪山を抜ければ、彼らの目指すものと相対する瞬間が間近に迫っていた。
 阿楚を包む闇もいよいよ深まりはじめる。





 陰鬱な闇夜が辺りに重苦しく圧し掛かる。
 竜神族の里、時刻はまもなく黄昏【こうこん:午後七時から午後九時まで】を過ぎようとしていが、長老の屋敷に全ての長と里の飛竜使い、女子衆・男衆の姿が車座に会している。
 何か云いたいことがあるのに違いない。
 集まった面々は姿勢を正して、長老の言葉を待った。
「誰かが、人界に行かねばならないだろう」
 長老は表情ひとつ変えず、そう云った。
 表情が変わったのは皆のほうだった。その言葉の意味することが、理解できたから。
「人界で、何か異変が起こっているのですか?」
 里の若人の中には、人間達に対する嫌悪に満ちていた。
「まだ起こっていない。起こるかどうかもわからない。しかし、危険な兆候を感じるのだ。この島の森が、精霊達が告げていることから洞察したのだが」
 数年に亘り、断続的に時には一年余りの瞑想を長老は行っていた。
 その理由を、皆はようやく知った。里の木々を通じて、倭各地の森や、精霊達の声を聞き集めていたのだ。
「懲りないのね人間は。あの魔と天が招いた大戦のことを、もう忘れたというのかしら」
 女子衆の中から怒りに満ちた声が、この場にいない人間達に向けられていた。
「人間達にとっては、忘れるに十分な時間なのだよ」
 長老の言葉からは、如何なる感情も伝わってはこない。
「人間達が争うのを止めることは出来無い。ただ、我々はこの地に生かされていることを忘れてはいけない、故に災いがこの森に及ぶのなら退けねばならぬ。それを確かめるため、誰かが人間の世界に赴かねばならないだろう」
 若人の中に顔色が変わるものがいた。自分に向いた役目だ、彼らはすぐに理解した。そして、自分達がこの役目を引き受けることを、長老は期待しているのだ。
 しかし、長老の心内には彼等以上の適任者がいることも知っている。
 長老は魅土のことを思い出して心の中で深く溜息をついた。
「長老、そのことは心に留めておきます。ですが、皆を集めた火急の用とはそればかりではないのでは?」
 飛竜使いの一人が云う。
 誰かが話を切り出すのを待っていたかのように、皆がその声に耳を傾ける。
 ここ数日、結界付近を探る人間達の姿のことを、それを放置しておく危険性を。自分だけでない、里の住人の多くが不安に感じていることも付け加えた。
 比較的気楽でいられるのは、里に住み始めたばかりの事情を知らぬ九峪ぐらいだ。
「わかっている。既に数日前から何人かの者に窺見として原因を探らせた」
 長老はじっと皆の目を見つめた。そして、
「皆も既知のことと思うが、狗根がこの里に軍を差し向けた」
 と、云った。
 どの顔にも動揺は見られない。これが本題だとわかっていたから。
「危険は除かねばなりません」
 別の飛竜使いの一人が即座に答える。予測した答えだからだ。
「その目的は我らの友人である飛竜であると考えて間違いない。早ければ、明日の日出【にっしゅつ:午前五時から午前七時まで】には里をその視界に捉えるであろう」
「し、しかし、結界が彼奴等を阻むのではないのですか?」
 集まった中で、比較的若い者がおずおずと口を出した。
「いや、それもどこまで期待できるか、彼奴等の中に左道を扱う者が二十程確認されている。他にも人には似つかわしくない程の手練れがいると聞く、それが妙に気に掛かる」
 初めてそこで、皆の顔に動揺がはしる。
「では、結界は破られると?」
「まず、間違いないであろう」
「何を悠長なことをいっておられるのですかっ!」
 男衆の中からいらだった声があがった。
「これ、落ち着かぬか」
 長老の近しい位置に座る長が控えるように云う。
「落ち着けだと」いらだちの声をあげた男は無表情な風の長を睨みつけた。
「長老。今、こうしている間にも結界の要が危険に晒されているかもしれないのです」
 無論、長老含めこの場にいる長らはそのことを知っていた。
 窺見がその報せを持ち帰ったのが日の入り前である。今は夜も更け月のない空を星星が輝きを放つ時刻なのだ。
「落ち着きなさい」
 男衆の怒声を、長老は柔らかく受け流した。
「落ち着いてなどいられませんっ!すぐに結界を成す要の守りを固めるべきです!」
 その時、長老の側勤めが戸口から顔を出して、外の様子を確かめた。
「なにごとだ?」
 長老は通る声で問いかけた。
「どうやら、最後の窺見が戻ったようです」
 姿勢を正し、答えた側勤めの顔には少し安堵の表情が浮かんでいた。これで場が落ち着くのを期待しているのだろう。
「すぐに通しなさい」
 長老は長く伸びた髭を一擦りすると、側勤めにそう命じた。
「ただいま戻りました」
 集まった面々にとって聞き慣れた声がして、窺見が入ってきた。彼女はここ数日、魅土と共に出ていた者だ。しかし、もう一方の魅土の姿が見えなかった。
「魅土様はどうなされた?」
 怪訝に思って長老は彼女に問う。
「魅土様は私奴に言伝を頼まれた後、御自分の居へ戻られました」
「なんと・・・・・・」
 居並ぶ者の中で特に若い者が、顔をしかめて呟いた。
 魅土は確かに竜神族の始祖ではあるが、里の運営を長達に任せ、どこか他人事のような嫌いがある。今回のように仲間と行動を共にすることがあるのも事実なのだが、彼女の浮世離れした雰囲気が、若人に魅土の胸中を推し量る機会を失わせている。
 長老の表情もまた眉間に皺が寄る形になったが、その理由は魅土の勝手な行動に対してではない。
「魅土様がここに寄らずそのまま戻られるようでは、先が見えている」
 長老の顔の皺がさらに深く刻まれ、再び彼女に窺見としての報告を求めた。
「では先ず、進軍中の狗根の状況から報告申し上げます」
 一度、深々と頭を下げるとこれまでの経過を掻い摘んで報告した。
 都督府長官〈紫香楽〉より少毅に任ぜられた狗根国四天王鋼雷は、とにかく野心の塊で、狗根への忠誠よりは自分の快楽と権力欲を優先する人物であるらしい。
 今回の任も半ば強引にうけたらしいのだ。他の四天王の躍進を恐れてのことだろう。それならば、多少の危険があろうと自らが任を実行するほうが安全だと思っているに違いない。子供が玩具を取られて駄々をこねるのと大差がないのである。
 過去、出面国との戦で、目に余る虐殺行為に咎がある経歴を持ち、久方ぶりの遊び程度にしか思っていないようである。
「配下の者が理をもって説いたりしてはいるみたいなのですが、まったくの無駄のようです。飛竜を欲するというのなら、竜神族を殲滅せしめ、狗根の手によって飛竜を飼いならすのが良策だと繰り返しております」
 仮に飛竜が狗根の手に落ちたとして、彼らの心は開かれるはずがない。飛竜は飼われているわけではないのだから。
「なんと愚かな。己の言葉が何を意味しているのかもわからぬのか」
 長の一人が固く目を瞑り、静かに怒りをあらわにした。他の者も同様に、いや、それ以上に。
 一通り報告を終えた彼女は、最後に魅土の言伝を伝えた。
「人間は自らの愚かさゆえに救われることもあるが、今度はそれが仇となることを教えてやらねばなるまい。結界は捨て置け」
 彼女の声を通して、魅土の言葉が伝えられる。どこか、物見櫓から眺めているような。
「捨て置く?どうして、あの方はそんな、結界を直ちに守るべきです、外の人間など放っておけばよいではないですか!」
 誰かが、憤りの声をあげる。
「それは違う!」
 その言葉を云ったのは報告を終えたはずの窺見、彼女だった。憤りの声をあげる者達と対決するようにゆっくりと進み出た。
「お前も、結界を捨て置けと云うのか?」
「いいえ。しかし、外に目を向けなければならない時が来ているのも事実です」
 誰かの問いに彼女は答えた。
「結界内に閉じこもり、外から目を背けることは愚か者がすることです。我々は人界の種族ではありません。しかし、人界の大地に住み、森の恵みを授かっています。ならば、人界の、いいえ、倭に暮す一員としてこの事態にあたる必要があるのではないのですか?」
 彼女はそこで言葉を切り、仲間達からの反論をまった。
 しかし、反対意見はひとつも出なかった。
 彼女の発言は、おそらく本心から出たものであろう。彼女自身も、愚かな戦を仕掛ける人間を蔑む気持ちを持っているはずだ。
 他の者達も同様だろう。
 反対意見が出ないのは、彼女の言葉が、皆の本心を突いたからであろう。
「・・・・・・結界は捨て置く、皆に戦の準備をいたすよう伝えて欲しい。そして、今夜、見張りをした者は、明日の戦いには参加させぬよう気をつけるように」
 胸に溜まっていた空気を吐き出すように、深い溜息をつき、長老は皆をぐるりと見回すとそう伝えた。
 云い終え、直立不動の姿勢で控えていた彼女は命を受け、足早に広場の方へと去っていく。側勤めのひとりに命じて同様の命令を伝えさせた。
「しかし、本当によろしいのですか?結界が破られるとなれば、多くが傷つき死すことになりましょう、狗根も我々も」
 そう問い掛ける長の顔には苦悩が見える。
「かまわぬ」
 長老が断固とした調子で答えた。
 長老は正確に魅土の意図を読み取ったのだ、狗根に責任転嫁することなく、結界に身を委ねることなく、自らの決断で立ち向かわなければならないと。
 残った者達に、長老の言葉が続く、
「明朝、相手方と交渉する、無駄な争いは避けねばならぬ。だが・・・」
 いったん言葉を切って、皆をみる。
「だが、それが叶わぬのであれば、一兵たりとも生きて返すこと能わず」
 松の葉のような鋭い言葉がそれぞれの鼓膜を打った。


 大気には、濃密な匂いがあった。
 木々の緑が醸し出す、生命力の限りを謳歌させたむせかえるような芳香と、そして弾ける寸前まで昂ぶった、無数の生物の抑圧された期待感が具象化したとでも云うべき"匂い゛。
 しかし、その存在感とは裏腹に、大気を満たしているのは静寂であった。ただ微風だけが、さわさわと淡い囁きを漏らす。
 それなのに、静寂の中にさわさわと、夢幻めいた気配が潜んでいる。
 森の精たちが次元の壁を隔てた向こう側で、物質界にこれから起こるであろうことを察知してざわめいている。そのような、期待と畏れが混在する息を詰めた静けさだった。圧力だけが高まって、空間を満たす粒子が振動の幅を増していく。変革の時が近づいている。
 それは、常人の捉えられぬ領域の出来事であった。同じ竜神族である里の者達でさえ僅かな、だから村は緊迫感に包まれながらも静まっている。この日も糧をもたらしてくれる森に感謝し、幼き者たちは深い眠りに就いている。
 里の東端にある、里の中では異質な木材を組み上げて建てられた小さな白木の住まいで、九峪は久方ぶりの熟睡に落ちていた。あの件の後、自らが申し出たことだ、それはただ、何か出来ることはないかと思考する暇を消すためだけの短慮なものだが。この日は任されていた仕事も少なく、慣れてきたこともあるのだろうか、手伝う側に回ってくれる里の者も何人かいて、彼の負担はずいぶん軽減された。いつもより早い宵に里の者の手伝いから解放されて、九峪はこの、魅土の住まいへとやってきたのだった。本当は残りの仕事を心配し、夜の間もするつもりだったのだが、積もりに積もった疲労が彼を知らず、泥のような眠りへと誘い込んでいた。
 奇妙な物音を耳にした気がして、真夜中に九峪は目覚めた。
 ぐっすりと寝ていたせいで、疲れが消えたのか覚醒は早かった。すっきりと明瞭な意識で、まず寝台に目をやる。藺【い】を編んだ敷物に肩衣を掛けて魅土は目蓋を閉じ、静かに眠っているように見える。
 と、九峪の視線を感じ取ったかのように、その両目が突如見開かれた。
(あれ、起こしてしまったかな?)
 そう思い、声をかけようとした九峪はすぐに、魅土が普通の状態にないことに気づく。目覚めてはいるが、その双眸に九峪は映っていない。
 微風の悪戯か小さな木の葉が唇に張り付いた、薄く開いた口の端から息が漏れ、そこに張り付いたままであった葉は瞬時に燃え上がり、焼失する。彼女の呼気より横溢する呪力によって引き起こされた現象である。
 軽くつり上がった、芸術品の如き切れ長の双眸であった。瞳は吸い込まれそうな金色を湛え、闇を切り裂かんばかりの輝きを放つ。
 人のそれとは異なる、縦に細い細隙【さいげき:スリット】に固定された瞳孔、瞳の色が急速に変化し始める。金色から血の深紅を経て、一瞬に深い青の虹彩へ。竜眼である。常人の目では見通せぬ明度・距離の対象物を、その毛先一本一本まで精確に捉える竜神族の視力、この視力が注がれたのは闇の彼方、夜空と地平の境に黒々と盛り上がる山の輪郭であった。青い竜眼は闇の中で煌煌と揺らめく光を放ち、芸術品のような切れ長の瞳の輪郭が浮かび上がって見える。
 一種の催眠状態、宗教的儀礼に見られる忘我・恍惚【トランス】であった。魅土は通常の五感を遮断し、第六感、あるいはもっと上位の感知領域を鋭敏化させて、森羅万象、山河大地に秘められた真理を直接掴み取っているのだった。流れ込んでくる膨大な情報は、彼女の中に蓄積された同様に厖大な知識と照らし合わされ、補正されて、この先、開かれるであろう戦端に向って、最適な理論体系が形成されていく。五天の共通概念では起こり得ない変革が、魅土の励起状態へ移行した脳神経網の中で起ころうとしている。
 九峪にそこまでは判らない。しかしただならぬ気配に、息を潜めて魅土の様子を見守っている。
 この時もう一度、眠りの中で聞いた微かな音を捉え、九峪はようやく魅土の反対側に、自分の背後にある戸口を振り返った。そして思わず、小さく息を呑む。
 扉代わりのむしろもない、夜に向かって開け放たれた空間に夥しい数の眼が光っていた。
 人間のものではない。それは、独特の生態で阿楚の環境に適応した野生動物たちの眼であった。
 耳が傘のように開いた、恐ろしく聴覚の鋭い蝙蝠狐がいた。その傍らには極端に体高の低い穴熊が蹲っている。
 阿楚馬などの肉食が繁殖しているため野生種が減じている草食の、額に一本角を生やした一角羚羊の番がいた。その肩高を優に超える、鹿のような体つきの大型齧歯類の大熊鼠が大人しく佇んでいるかと思えば、その前に樹上生活によって捕食を免れているはずの胴長栗鼠や、野鼠の類いが身じろぎもせず座っている。
 猿に似た生態を持つ梢猫の親子も、皮翼で樹間を滑空する小型霊長類もいる。乏しい食物を袋状の喉に貯める習性を持つ袋犬がいて、岩のような甲羅で身を守る塞亀が首も引っ込めずに立っている。後列には希少動物であるはずの水牛の巨体があり、その背には大耳梟が羽を休め、真円の瞳を真直ぐに向けていた。
 いずれももう、未曾有の大戦の最中に人間の前から姿を消した動物たちである。まだこれだけの種類の生き物が阿楚一帯にはいた、ということだけでも驚きに値したが、それよりも九峪は本来は捕食されてしまう動物が天敵と静かに肩を並べていることに眼を奪われた。常に満たされている獣などただの一匹もいない。なかには極端に肋が浮き、特に平原の狩人と呼ばれる肉食の大熊鼠は、長く獲物にありつけずにいるのか眼が落ち窪み、餓死寸前のように見える。
 それでも、肉食の獣たちはそこに居並ぶ者たちを襲おうとはせず、小動物たちも応えるように一片の怯えも見せはしない。まるで彼等は、野生の生存本能を上回る崇高な意志を抱いてこの夜を迎えているかのようだった。今宵、ここに集ったものは皆、阿楚に生きて運命をともにする仲間であり、彼等はただその瞬間を見届けるために来たのだと。
 全ての視線が、魅土に注がれているのだと九峪は悟る。そしてこの一群の動物たちから少し離れた後方に、星明りを受けて淡く銀に輝く不動の影を見る。
・・・巨狼。
 虎が猫に見間違うほどの、人の背丈もある体躯、長い鬣を夜風になびかせた獣の王がそこにいた。里の住人でさえもう何年も目撃していなかった、列島の生態系の頂点に君臨する猛獣である。生物学的には山犬の遺伝的突然変異種でそのしなやかさを受け継いでいたが、堂々たる巨体と美麗な姿はまさしく銀狼を想起させる。
 限りなく気高く、人里には決して近づかぬ荒野の王までもが臨んで待っていた。他の獣たちと同様、物云わぬ眼に怒りの色だけを湛えて。かつて、豊かなる大地の実りを奪われたものたちが、再び阿楚の地を汚そうとする、この深き罪業に裁きを下す力が誕生する時を待っている。外の世界からやってきた、人の姿でありながら彼等の王に似た存在が、再び力を開放する瞬間を目撃するべく。
 朔の頂点の時刻が近づき、それは始まった。
 魅土の唇が、独特の韻律で上下する呪文をもらし唱和される。九峪が、人の喉がこれほど多彩な音を創り出せるのかと驚嘆する、高度な技量を要する詠唱が流水の滑らかさで紡ぎ出されていく。
 同時に、顔の前にかざされた両腕の先で、十本の指がそれぞれ異なる光の軌跡を描く。
 絹糸を紡ぐが如き、時に大胆さを時に繊細さを、異なるそれが同居する動きであった。十重二十重に重なった透明な布に同時に細かな刺繍を施すかのように、すべての指が別々の表意文字を数式を、空間図形を、そして象形を空間に生み出し、尾を曳いて残る蛍火の痕跡が積層された立体的な構造体を織り上げる。
 それは方術でも、左道ですらない、始祖たる魅土のみに許された新たに構築された竜言語呪術の設計図であった。詠唱までを含めて、すべて魅土の脳内に形成されていた型式である。それを唱え、そして空間に描き出すことによって、魅土は常世(※2)を感知するまでに高められた通常の五感とは異なる先鋭化した視覚と聴覚で、この複雑極まりない駆動式を改めて記憶の奥深くに焼き付けているのだった。これにより、彼女は詠唱を必要としなくなっている。
 肉体の反射運動のように、呪法を喚起する際に当たり前に使われてきた根幹をなす回路が、これによって完全に置き換えられていく。これまでの壁を容易く撃ち破る、驚異的な実行速度と消費効率とを実現するものへと更新されていく。
 魅土を中心に、呪法の常識が覆される。
 過去、幾度も形を変え洗練されながら、魅土の呪力を最大限に引き出す制御体系として使われ続けた、基本駆動式が、今この瞬間に新たなる領域へと昇華された。
 魅土への引いては竜神族への畏怖を新たに積み上げる、強大なる“呪”が。
 九峪と獣たちに見守られる中、革新は成し遂げられた。

 いつしか、九峪は眠りに落ちていた。
 獣たちがいつ立ち去ったのかも記憶にない。魅土の身に起こったことも含めて、未だに夢と幻の境を彷徨っているのかもしれぬと、そう思うほどに覚醒と睡眠の境界が曖昧であった。
 しかし、まだ曙光も射さぬ明け方、九峪は魅土の放つただならぬ気配ではっきりと目を覚ます。
「・・・・・・来たか」
 半身を起こし、魔眼を仄かに赤く染めて魅土が呟く。九峪にももう、それが判った。
 魔竜の咆哮が大気を揺らし轟く。鎧の触れ合う耳障りな金属音がする。今はまだ抑えた害意が、波のように里を圧し包んでいる。
 思わず、九峪は戸口から飛び出した。魔竜の羽撃きが耳を撃つ。五十騎あまりの漆黒の軍勢が、ちょうど明るさを増した東の地平に禍禍しい影を浮かび上がらせていた。
 四天王鋼雷が直々に率いる本隊が、ついに竜神族の里を発見したのである。彼等にとっては、殺し甲斐のある生きた獲物どもの巣を。
 凶虐なる悪意を感じ取って、九峪の動悸は跳ね上がる。早音を打つ胸を押さえ、空を見上げると、
 魔竜が、嘲笑うように大地を見下ろしていた。


四 了


※1【県の庄】:現在の延岡市の古名
※2【常世】:本質の世界、又は、全ての魂が行き着く、魂の世界とでも云うべき全てが混ざり合った混沌とした場所。

誤記訂正
三話の後半、現狗根国国王とありますが、それは前狗根国国王が正です。
誤記を指摘してくださった方、ありがとうございます。


更新とまり気味ですが、停止はしてないのですよ、ええ^^;
てことで、魅土の続編お届けです。アップ遅くて申し訳ないです_| ̄|○
ゲーム版でしかまだ出ていない鋼雷ですが、なんだかかっこよくなってますね。本来四天王なのだから、これくらいじゃないとね(笑)
森羅万象、彼女に従わぬ者なしって感じですが、鋼雷とどう相対するのか、楽しみにしてます^^


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