魅      土

─制約─


作・風車様



第3話



「金色の瞳と赤い髪をした女。名を魅土と云った。初めて会ったはずだというのに、そのひとは俺を“雅比古”とはっきり呼んだ。不思議なもので、同時に何故か激しい懐古の念に駆られる気がしたことを、今でもはっきり覚えている。昔、その唇でその声でその温度で、何度も呼ばれたような感じだと云えばわかるか?
・・・ただ、あの時は戸惑いの方が大きくて気が気じゃあなかったのかもな」 <九峪の回想より>




 九峪が竜神族の里に現れてより十日余、魅土はそのことに躍り上がらんばかりの喜びに浸るが、それも束の間に過ぎなかった。
 季節はまだ草木が芽吹き始める前、こらからの雲行きなどわかろうはずも無かった。
 九峪が目覚めた当初は、自身が感じる既視感と身に残る怠惰感が彼に深く考える機会を与えなかったのだろう。でなければ、自分の身が置かれた状況が突然見たことも聞いたことも無く、見知らぬ者が目に映れば平常な心など掻き消えただろう。
 だが、無様に狼狽するなら早い方がいいのだろう、あの時の九峪は混乱を通り越して少し滑稽なものがあった。

 魅土が気を利かせたおかげか、一人になった九峪は自然と眠りに落ち、再び目が覚めた時には戸口から陽の光が射し込む時刻になっていた。二度目の目覚めは鉛を流し込んだような頭からそれが思いのほか抜け、気怠るさは余り残ってはいなかったのだろう、戸口に向かう九峪の動作はきびきびしたものだった。

 目を覆いたくなる程の眩しさに慣れると飛び込んできたのは鬱蒼とした深い森。
「・・・・・・どこだ、ここは」
 昨晩の魅土との会話は彼方へか、巨木が密生した原生林とでも云うべき中に自分がいるのを確認した彼は、しばし、呆然と立ち竦んだ。
「なんだこれは、どういうことだ、こりゃあ。ここは・・・何が起こったんだ」
 九峪は身の上に起こったことを思い出そうとしたが上手い具合にはっきりとしない。晴れない靄【もや】を振り払おうと頻りに頭を掻き毟る。
 不意に幼い声が聞こえた。
「お兄ちゃん、だれ?」
 男の子のような女の子のような声。
 慌ててもう一度周囲を見渡すと下で影が動いた。九峪の腰程の背丈の女の子、大きな眼をくりくりとさせ彼を見ていた。
 その時の彼の表情は夢でも見ているのかといった具合だ。今度は唖然として立ち竦んでいる。
 薄紅色の髪?青冷めた色にも見える肌?尖った小振りの耳?その服は仮装か?何の冗談といった感じか、しかし、足の裏から伝わってくるやわらかな地の感触、青い匂い、陽射しの暖かさも風に吹かれて擦れ合う葉の音も嫌に現実味がある。
 夢なら夢で構わないからさっさと覚めて欲しい。でも、彼の耳は確りと子供の声を聞いた、夢で尋ねられるというのも変な話だが尋ねられたからには応えるというのが礼儀というものだ。
「え、俺の名前?」
 彼はどうやら尻込みして戸惑っているようだが、相手は応えてくれるのを期待しているのか小さな両手を後ろに組んで不動の構えだ。
「九峪・・・雅比古だけど」
「ふ〜ん、お兄ちゃんが九峪なんだ」
 女の子は下から覗き込む形で見ていたかと思うと、もう一度大きな目をくりくりとさせ、突然急ぎ足でその場から離れていった。
「・・・?・・・??・・・???・・・。子供だったよな?・・・なんだ?」
 女の子の意味不明な行動に立ち竦んだまま、小さくなっていく女の子の後姿を眺めていた九峪だが、わけがわからず、とりあえず既に見えなくなってしまったあの子の後を追うことにする。

 少し歩くと下り坂が見える、どうやら先程までいた場所はちょっとした高台のような位置にあるようだ。坂道を下るにつれ地を覆う草から垂れる玉のような露が、傷つけるように裾を濡らす。
 里の脇を流れる小さな小川は下界を覆い尽す樹海の始まりのひとつか、濛々【もうもう】と湧き上る霧は重く沈みそれを暗く覆う。
 とても懐かしさに駆られる風景に感じられたと、後に九峪が語っていた光景。誘われるように里の中へと足を踏み入れる。
 木々の隧道【ずいどう:トンネル】を通り抜け小川から頭を覗かせた飛び石を渡ると一面苔に覆われた場に出る、大小の石にも倒木にも様様な緑の濃淡が眼を惹きつける、隅の小川からは巨木が池庭の中島のようにどっしりと構えて里を囲み、上を仰ぎ見れば緑の口が開けている。
 恐らく広場のような場だろう。
「・・・・・・すごいな」
 そんな風にどこかぼんやりとした頭で周囲に目を走らせる。
 大きな瘤に樹皮が剥れ剥き出しの巨木、大人が十人といったところか。
 呆けた面持ちで足を進めれば柔らかな苔がその跡をはっきりと残し、染み出た水がほんの小さな水溜りを作り出して、羽虫が寄ってくる。
 広場を囲む家々もとても不思議だ、ほぼ木々と一体化し、複雑に絡み合った根の隙間からは家具らしきものが見え隠れする。

「おい!おまえが九峪か?」
 突然、随分と高圧的な声で話し掛けられた。驚き肩を狭めながらそろりと声の方に振り返ると、その目の先には九峪より若干背が低い少年が立っていた。また似たような容姿だ。
 周りにも目を配るが少年以外いないことを見ると彼が九峪に声を掛けたらしい。しかし、随分と鋭い目つきだ、先の高圧的な声はこの目つきに原因があるのか判断し難いところだが。おまけに、よく見ると少年の手に小さな手が握られている。先程九峪に名前を尋ねた子だ。
「あ、ああ。そうだけど、君は?」
 気後れしながらも肯定し少年の名を尋ねるが、少年はそれに応えず軽く鼻を鳴らし、女の子の手を引くと何も云わずに九峪の脇を通り過ぎてゆく。
 まるで小馬鹿にされているといえようか、
「なに突っ立っている、さっさとついて来い!」
 またもや突然のことに呆然としていた九峪に、先を行く少年が振り返りまた同じような声を浴びせる。そして、その返事を待たずして広場の奥に足早に進んでゆく少年と女の子を慌てて追いかけた。

 広場を囲む家々は静かだ、普通なら陽は高くなり始めていることから既に大抵の者達は外に出ていると考えるだろうが、今の九峪にはこの静けさが朧げに感じる。
 それらの間を抜けたどり着いた先は、陽の光に霞む木々も落ち葉に隠れる若芽も、匂い放ち始めた土や水さえも、ただ艶やかだ。
 その中に戸を全て開け放った軒の深い建物がひとつとそれを囲む庭園。
 先に着いていた少年達は建物の周囲に張り巡らされた縁に腰掛けて、暇そうに足を前後に揺らしながら待っていた。
「ここが、なんだっていうんだよ?」
 と、ひとり愚痴る九峪に、
「観ろ!」
 と、お決まりの口調で言葉が浴びせられる。
「見ろ!て、なにをみろっていうんだよ」
 と、小言を漏らす九峪だが、右も左もわからない状況ではとてもだが力の無い言葉である。
 いいようにあしらわれていることに対するちょっとした抵抗か、少年に拒否の視線を送るが、相手はそんなことは素知らぬ顔だ。
 結局は無駄な抵抗だったようでそれから半刻ほど、仕方なく建物の周りを行ったり来たり地べたに寝転んだり逆さまに見たり、偶に疑問に思ったことを少年に尋ねても一言も返してくれなかったりと、不毛なことを繰り返しているように見えた九峪だが、
 しばらくすると、何かを掴んだのか頻りに頷いてどこか満足した表情だ。
 その様を延々と眺めていた少年は九峪の表情を確認すると縁から飛び降りる形で降りると、また、何も云わずに女の子の手を引いて何処かへ歩いてゆく。
 その場から離れて行く二人の後ろ姿を見ていた九峪は、
“・・・またか、でも、いいか”と、今度は素直に付いて行く気になれた。
 後は大体に於いて同じ、少年が無言で行く先に黙って付いて行きその場に身を置く、高台、小川、森などに行き、木々の実や薬草、山の菜を採る他の竜神族にも出会った。

 そして昼時、然して広くない里を回り再び広場に戻る。そこで九峪は何となく思ったことを口にする。
「もしかして、里を案内してくれたのか?」
 返事が返ってくることは期待していなかったが、とりあえず訊くだけ訊いてみる。
「・・・・・・魅土様がおまえを助けた、おまえは里の客人だ、だから里を案内した」
 九峪を見る目の鋭さは変わらずだが、初めて返事を返してくれた。
 しかし、あれで案内はないだろうと胸中で思うがそれこそ口に出したところで返事は無いだろう思う。
 だが、疑問に思うところがある。どうやら里の景色を見る限り今の季節は冬から春に移り変わるころか木々の芽は膨らみ始めた蕾だ。それをやっと回転し始めた頭で、この状況になる以前のことを記憶の淵から手繰り寄せる。確かであればこれから冬が訪れるはずだと。
「変なことを訊くけど、ここって何処の県だ?」
 尋ねられた少年は馬鹿かこいつはといった感じだ。
「同じことを二度も云わせるな、竜神族の里だ」
「あ、いや、だからそれがどこにあるか訊きたいんだけど」
「何処?そんなの決まっている阿楚山中だ」
「阿蘇てことは熊本か・・・熊本?」
 九峪は記憶から九州の地図を思い浮かべる。
「クマモト?何を云っている、そのような地名などここには存在しない」
 九峪の思考中の脳に割って入るように否定の言葉が掛けられる。
「存在しないって、ここは日本だろ?」
 思考の為に外していた視線を少年に戻して云う。
「今度はニホンだと、わからないな、どの口からそんな存在しない国の名がでてくるんだ」
 少年はいい加減うんざりした顔で深い溜息をつく。
「は?何を云って・・・嘘だろ」
 嘘、そんな言葉を吐きながら自身の血の気が下がるのを否応なしに感じる。
「嘘?あんたの方が馬鹿げた事を云っているように聞こえるよ。まだ寝ぼけているのか?ちっ、一度だけしか云わないからよく聞けよ、ここは倭という列島のひとつ、九洲だ」
 少年はここは九洲と呼ばれる地であるという、池に浮かんでいる元は枝であったものを掴んで、煩わしそうに地面に字を書いて説明してくれた。
 そして奇妙なことを語り始めた。

 九洲とは五天からなる内の人界に位置し、東の果てに在る倭のひとつであるという。
 この地を治めし国の名を耶麻台といい、建国者は天空人であったと云われる炎姫神子【かぎろいのひめみこ】、人知を超えたその力で以って天地を意のままにし、沼地を湿原を、山を湾を人の住める地に創造し、その神の如き力にその地に住まう人間は畏れ敬い、数多の洲【沼地や湿地または中洲の意】を統一せしめたことに最も尊貴な言葉である九の字を当て、以後九洲と呼び、ほぼ今と変わらぬ地になった。
 姫神子亡き後も直系の女子が代々女王として国主を務め、善くこれを治め、その力をよく戒め、また、九洲の民余すことなくそれを支え、国の体制を磐石のものとし、耶麻台国は繁栄の一途を進む。
 が栄枯盛衰は世の常とはよく云ったものである、姫神子の血の力を示せし者が始めは直系の女子に、次に傍系の女子に授かることが無くなり、百年という緩慢な滅びの道を辿り始める。

 最後に少年はこう付け加えた。事実、既に耶麻台国は存在せず、現在では狗根国が九洲の地を席巻していると。
 次々に書き足されていく地面の字を見ながら九峪はそれを黙って聞いていた。いや、聞かざるをえなかったと云うべきか、少年の話に出てくる“五天、姫神子、耶麻台国、天空人、九洲”それらの言葉を聞く度に頭の奥が鈍い痛みを上げる。酷く鬱陶しい痛み、それが引き鉄か、どこか夢であって欲しいと願っていた己の甘い願望が足元から脆く崩れていく感覚に囚われていた。
「よ、よく出来た話だな、た、ただの・・・御伽噺かなんかだろ?」
 舌が上手く回らず、手足の先が冷たくなっていくのを感じる中、少年の目を見れないのか顔を背けたまま云う。
「おまえ、おれの話を聞いていなかったのか?」
「何を、どう信じれって云うんだよ・・・おれは、確かにあの場所に・・・」
 自分の口から発した言葉なのに違う誰かの声に聞こえ、語る少年の顔を思い出す、あの目はただ事実を述べているだけだ、この上なく淡々と、当たり前のようなことを。
「・・・おまえが何故ここにいるなんて俺は知らない、後は長なり魅土様なりに聞けばいい」
 そう云い、膝に力が入らなくなったのか呆然と地面に膝を着いた九峪をそこに置き去りにし、女の子の手を引いて何処かへ去って行った。
 頭の整理がつかない、如何すればいいかわからない、わなわなと震える手を頬にあてるがそこから伝わる温もりが朧げに感じる。 戻りたい、帰りたい、そんな思いが胸中を占め始め嗚咽が喉の奥からこみ上げてくる。





 後はよく覚えていなかった、ふらつく足を運び何時の間にか目が覚めたあの住まいにいた、縁に腰掛け重くなった体を壁に預ける。頭が熱い、中であらゆることが渦を巻いて暴れているかのようだ。どのくらいそうしていたか、一度だけあの女の子が来た。
 心配になり様子を見に来てくれたのかもしれないしそうでないのかもしれない、当の九峪も相手の心情を考えるだけの余裕など微塵も無かったが、どうやら女の子は両手に籠を抱え幾つか食べ物を持ってきてくれたようだ。
「お兄ちゃん!お腹空いたよね、食べ物もって来たよ!」
 元気な声だ、だがそれも相手の反応がないと空回りしているように見えてしまう。
「・・・・・・」
 二度三度声を掛けたが九峪の反応は薄く女の子の表情も次第に暗くなる、仕方ないので九峪の脇にそれを置くと、最後にもう一度念を押すように食を取るように云い、元来た道を戻って行った。

 目覚めたときは昇り始めた朝日が樹海を覆う朝靄を白く照らしていたが、それも昼になり次第に夕方になり山の陰に陽が大分隠れていた。
 小さな花を付けた草花も暗くなり始めた空と冷え始めた空気のせいか、ただでさえ小さな花をさらに小さな蕾のように閉じる。
 山の際を赤い縁が象る中を高台につづく道を歩く者がいる。
 薄暗い中でもその歩みに迷いは無い、歩き慣れた道なのだろう、坂道を上り雲陰から半身覗かせた宵月夜に照らし出されたその者は、その先にある住まいの主である魅土。
 住まいが確認できる所まで来て一端その歩みが止まり、その目が何かを捉えた、しかし特に警戒すること無く再び歩を進める。近付き、縁に腰掛け胡座をかき、丸めた背中から頭をだらしなく垂らす男、九峪に合わせるように同じく隣に腰掛けた。
 互いに何も話さない、九峪が何に悩んでいるかを魅土は手に取るようにわかる、昨晩の自分と変わらない。悩みの原因は全く違うかもしれないが打ち明けてくれたらそれを受け止める覚悟は既に出来ている。
 打ち明けてくれる?九峪にとって昨日今日出会ったばかりといえる魅土にそれは云い過ぎと考えるかもしれないが、魅土には揺ぎ無い確信があった。

 辺りは既に暗闇に包まれている。生憎と今夜は薄い雲が空を覆い時折その隙間から月と星星が顔を覗かせ、森の表面を青白い影が通り過ぎるに止めている。
「・・・・・・何故、ここにいるんだ?」
 要領を得ない問い掛け。 
「・・・校から帰ってきて、あいつらと約束の準備をして・・・」
 魅土に構わず独り喋る。
「あの時、何時にも増して寝付けずに・・・・・」
 零すように話し始める九峪の声を隣で聞きながら特に相槌を打つわけでもなく、その目は瞑られたままだ。
「そうだ、あの銅鏡、おれを光に包んで・・・」
「・・・・・・銅鏡、それがここに在るとしたら見たいか?」
 ようやく九峪の言葉に魅土が反応した、銅鏡という言葉。
「・・・・・・え?」
 垂れた頭を上げ、魅土に顔を向ける。
「その銅鏡をみたいか?」
 魅土も閉じていた目を開け、九峪を見て云う。
「あれが、在るのか?・・・ここに?」
 半信半疑のように縋るように、言葉に力を込めて繰り返し問う。
「そうだ、あの銅鏡はこの里に在る・・・・・・雅比古、来るか?」
 縁から降りた魅土が九峪の前に回り、正面から直【はた】と見据える。
 あの銅鏡がここに在る。九峪にとってそれは、今選べる最善の活路のように思えてならなかった。魅土がその場所へと案内するというその言葉に従い、自分を見詰める眼を見返し肯くと魅土の後を追う。

 再び下る坂からは里が篝火に淡く照らし出されている。
 今朝方感じた広場とは違う雰囲気、日中はその姿をあまり見かけなかった里の者達が今は大勢見られる。漂う夕餉の香り、その香りが嫌でもここが現実なのだと九峪の思考に楔を打つ。
 あの庭園がある方向とは違う道、広場の明かりも届くからそれほど離れてはいない。見えてきたのは、岩にへばりつくかのような家、地に張る根が上手い具合に階段となりそこまで続いている。
「ここは?」
 先を行く魅土に尋ねる。
「長老の住まいだ」
「長老?・・・銅鏡と関係が?」
「そこに在るからだ」
 階段を上り、魅土が先に布の戸を潜り九峪が続く。外から見える雰囲気と違い、内は随分とやわらかく奥行きがある。
「長老、邪魔をする」
 居るのを知っているのか、入るなり声を掛ける。
 内は小さな灯りが細い煤を昇らせ室内に深い陰影を作り出している。
「魅土様、ようおいでくださいました」
 少し遅れて奥から嗄れ【しわがれた】声が聞こえてきた。仄暗い灯りが徐々に長老の姿をあらわにする。深く刻まれた皺、所々染みのある皮膚、豊かに蓄えた髭、長い時を経てきたことがわかる。だがそれよりも、巨躯、一言で表せば正にその言葉が適当だ。
「夜分にすまぬな、預けていた銅鏡は?」
 直ぐに要件に入る。
「銅鏡ですか?はい、確かにお預かりさせて頂いておりますが・・・・・・失礼ですが、後ろの方は?」
「ん?」
 長老の視線の先を追うと九峪が入り口から中へはいろうとしていない、長老の位置からでは暗くその姿がわからないようだ。当の九峪は家の中の不思議な光景に目を奪われているようだ。
 巨大な岩が家の中程まで突き出ている。これも自然の美しさを借りているのかもしれない。だが、今はそれよりもやるべきことがある。立ち尽くしたままの九峪に入るよう声を掛けたことでやっと中に入って来た。
「おおぉ、あの若者でしたか、ようやっと意識が戻られたのですな、ようございました」
「そういえば、長老は既に知っていたのだったな」
 魅土がそこまで云って、九峪に目配せする。後は九峪にということだろう。それに頷き、長老の前に立つ。
「ども・・・初めまして、九峪雅比古です・・・銅鏡があなたの許【もと】にあると、彼女に、魅土に聞きました」
 一呼吸置き、名を名乗ると自分の心臓が高音を打っていたことに気づく、その心音が煩く気持ち悪い。
「わしがこの里を魅土様からお預かりさせていただいとる、皆には長老と呼ばれていますがな。九峪殿・・・と呼ばせてもらってよろしいかな?」
「そんな・・・敬称なんて、呼び捨てで構わないです」
「そんなに畏まらんで欲しい、九峪殿は魅土様の客人、なれば我等竜神族にとっては盟友にも等しい。だから、そう呼ぶのは当然なのですよ。」
 こう云われてしまえば九峪も無碍に断ることは出来ないだろう。深い皺が浮べた笑みによってさらに深く刻まれる、その表情からどこか強かさが窺える。
「そう云えば銅鏡でしたかな?確かに、今、この部屋にありますがな・・・」
 軽い紹介を終え、長老が本題に話を移すと九峪の表情もそれ相応のものになる。
「それを見せてもらえませんか?」
 それに少し逡巡する、どうするか?後ろに佇む魅土に視線を送ると頷き了承の意を返してくる。
「・・・・・・わかりました、ただ、それが九峪殿が仰る銅鏡とは限りませぬぞ・・・では、奥へ」

 長老の言葉に従いその後に続く、小さな灯りが三人の影を歪な程大きく映す。突き出た岩の奥は十数人は車座になれるかといった広さを持つ。そのまま進み、奥にある戸棚らしきものの前で立ち止まる。
 長老が一歩進み出てその上に置かれた銅鏡を手に取り、慎重に確りとその手に持つと九峪の前に差し出す。
 九峪の表情が緊張の面持ちになるのがわかる。
「これが、わしが魅土様より預からせて頂いとる銅鏡ですな。相違ないですかな?」
 慣れない手つきでそれを受け取る。
「・・・・・・い、あの場に奉られていた銅鏡・・・何故、ここに?」
 九峪の言葉に当惑の色がみれる。

 養親が残してくれた家、閉ざされた社、古ぼけた鏡、そして、苛立つ自分。
 あの時のことが徐々に思い起こされる。
 何時ものように夢に魘され、寝汗をかき、身を切るような水の冷たさにも構わず、苛立ちをぶつけるように何度もその水に顔を浸けた。本当にどうかしたのかというほど心のざわつきが形【なり】を潜めなかった。何時もなら夜の闇も深まったあの時刻にあの場に寄ることなどありえなかった。何かに引き込まれるようにあの場に辿り着き、写真の中の二人と話した後、音を聞いた。その後のことだ、突如銅鏡から緑青の光が放たれ、その光に自分の身体が食われていく感覚、そのまま世界が暗転した。

 もう、直感で答えは出ている。この銅鏡が今の原因をつくったそれであると。銅鏡を持つ手に力が入る。
「なんなんだよ、これは?」
 云った本人も自覚できずに洩れた言葉。
「恐らく、察しは付いていると思うが、それが雅比古がこの地にいる原因だ」
 淡々と返された言葉、長老が九峪の衝動的な行動が読めたのか声を上げるが既に彼の耳には届かない。一気に頭に血が上り頭上まで持ち上げ床を睨みつける、短く息を吐くと力任せにそれを床に叩きつけた、
 が、乾いた音が響くと思われたが一拍二拍、九峪の目が驚きに見開かれる。
「なんで・・・なんで・・・割れないんだよっ!」
 理性を失った心では目の前の出来事など受付はしない、敵を見るような眼で睨みつけ勢いに任せきつく握った拳を打ち下ろす。
 打ち下ろした拳が鏡に触れる瞬間、拳が止まる。いや拳がそれ以上進めないのだ、何かの緩衝を押し通そうと九峪の腕が震えている。そんな現象にさえ九峪の感情はおさまらず、終には声を上げて形振り構わず拳を叩き込む。
 何度も、何度も、声を上げ、眼に涙を滲ませ、手の皮が剥け血が滲んで、息が切れるまで。
「はぁはぁ・・・う・・・はぁ・・・はぁ・・・っ、くそがっ!」
 叫びと一緒に握った両の拳を床に叩きつける。九峪に銅鏡を割る気力がなくなったのか、その意志が無くなったのを感じ取ったのか何事も無かったかのように銅鏡は床に落ちていた。
 九峪の無様な様を後ろで見ていた魅土が何か一言長老に告げると九峪の傍に寄る、指示を受けた長老はさらに奥の暗がりに消えていった。
「つぅー・・・」
 魅土は床に投げ出されていた彼の手を握っていた。その表情からは感情の色は読み取れないが、少し咎めの気持ちが覗いたのかもしれない。握る手に少し力を込める。
「雅比古が思っている世界とやらに帰すのは、まず不可能だ」
 突然切り出された事実、僅かに九峪の肩が反応する。
 奥へと消えていた長老が再び姿を現すと筒と木箱を持ち魅土に渡す、それを受け取った彼女は栓を抜く、液体がゆれる音、きつい臭い、どうやら薬液のようだ。それを惜し気も無く血が滲んだ手にたっぷりと掛ける、途端に九峪が低い唸り声を上げ、閉じた口から洩れる声は地を這うように聞こえる。
「帰れないか・・・・・・はっきりと云ってくれる」
 荒れた呼吸を落ち着けると自嘲めいた口調で云う。
 血を全て洗い流すと木箱の蓋を開け幾つかの容器と布を取り出す、それらの中からひとつ選び、緑色の軟膏のようなものを指に取ると手の甲に塗りこんでいく、染みたのか九峪が僅かに手を引くがそれに構わず塗り終わるときれいな布で丁寧に巻いていく、魅土の想いなどとは関係なくその手には迷いが無い。
「早い方がいいだろう?」
 最後に解れない程度に布を結ぶと項垂れた九峪の頬に両手を添え軽く引き寄せる。
「遅かったよ、一日がやたらと長く感じて」
 頬に添えられた手の感触を感じられないのか、はたまたそれを無視しているのか九峪の視線は床に注がれたままだ。 
「くそむかつく鏡だ、おとなしく割られろって・・・・・・」
 視界の端に映る銅鏡、あれほど叩きつけた拳が一度とて当たることは無かった、不思議な銅鏡。
「・・・その銅鏡は・・・意識を持つと云われている、そなたがこの地に居るのも・・・その意思だ」
 徐に口を開く魅土、語られる事実が今度はすんなり頭に入る、衝撃的な事が続き感覚が少し麻痺しているのかもしれない。だが、落ち着いた魅土の語り口につい声を荒げてしまう。
「はっ、じゃあ何だ?その鏡の手前勝手な都合で、俺が、ここに、居るってわけか?」
「そうだな」
「ふざけるなっ!」
 魅土の返答に、つい感情が怒鳴り声となって流れでる。
「こんな古臭い鏡が、自分の意思で俺をこんなわけのわからない所に連れてきただとっ!胡散臭い話はいい加減にしてくれっ!」
 感情を露にする九峪に対して、魅土はいたって平静に返す。
「信じられないのなら今はそれで良い、だが、その銅鏡と共にそなたがこの里に居るのはまぎれも無い事実だ」
 “共に”その言葉に自分の心臓が一際大きな鼓動を打つ。
 自分の家で、この場で変わらず存在するものが暗に告げる。
“認めろ”
 そう云っている。いや、云うはずがないのだが九峪がそう感じてしまった。それが高まった感情を冷めたものにする。
「随分と勝手な・・・鏡だ」
「そうだな」
「勝手にこんな場所に飛ばして、勝手にだんまりして」
「そうだな」
 可笑しな問答、だが今はこのくらいが丁度良い。本当は可笑しなものなのに可笑しく感じられないのかもしれない。
「昼・・・・・・出会った少年が云っていたよ、熊本?日本?何だそれはってね。それだけじゃない、ここは倭だとか云いやがる。鼻で笑ってやりたかったさ、けど、そいつの俺を見る眼が逆に俺を笑っていたよ」
 頬に添えられていた手を眼で辿り、それを取り握り返す。
「・・・そうか」
「ここには、日本ていう国も熊本ていう県も・・・存在しないのか?」
 魅土の掌に指で字を書く。
「そうだ」
 間髪入れず応える魅土。
「ここは、阿楚という山で間違い・・・ないのか?」
「そうだ」
 最後に喉まで出かかっていた言葉をゆっくりと吐き出す。
「戻れる・・・方法は無いんだよな」
「・・・銅鏡ならその方法がわかるやも知れぬが、期待はするな」
 念押しで尋ねた応えはやはり望んだものではなく、気が重くなる。
「それでも・・・」
 でも、どこか期待する、妙に現実味のある夢だと。だが、続く言葉が魅土の行動によって阻まれる。
 九峪がその先の言葉を云うより早く、魅土がその胸に彼の頭を抱く。
「雅比古、痛めた拳の熱がわかるか?頬を撫でる風がわかるか?私の声が聞こえるか?・・・・・・私から伝わる鼓動が、温もりがわかるか?」
 魅土に云われて初めて意識する彼女の温もり、彼女が九峪に触れているのはこれが初めてではない、だが、彼は意識的にそれを感じないようにしていたのかもしれない。
 感じてしまえば、認めてしまわなければならなかった。
 熱に魘された手より、魅土から伝わる温もりが決定的な現実に感じてしまう。
「ひとつも否定しないんだな」
 それまで、頑なだった九峪の体から余計な力が抜け魅土に重さが加わる。発した言葉にもどこか刺々しさが抜けている。
「おかげで、余計な迷いなど生まれなかっただろう?」
 淡々と肯定の言葉を返し続けた魅土。
 九峪が己の内に止まる思考を与えたく無かった、今、彼が存在しているのは夢などではなく現実なのだと考えて欲しかった。
 だから、全てを肯定する。
「否定して欲しかったけど、痛いほどこの現実を肯定する言葉を聞かされたんだ、とりあえず区切りみたいのは付けれそうだよ」
「なればよし」
 そこで初めて、魅土の言葉にも表情にも色が含まれる。とても惹きつけられる声であり表情でもある。
「簡単に云ってくれるよ、たくっ・・・・・・ふぅ、右も左もわからないんだ、だったらこの里に飛ばされたのも何かの縁だろ、厄介になるよ・・・いいだろ?」
 少し踏ん切りがついたのか、ようやっと魅土の胸から顔を上げ、視線を彼女に移し今後の身の振り方を口にする。 
「初めからそのつもりだ」
 躊躇無く肯定する魅土。
「え?」
 半分冗談で口にした言葉、意外な返答に間の抜けた声を出す。
「雅比古、外界に連れってやろう。それがそなたの助けになるはずだ」
 だが、それに構うことなく真剣味を帯びた声で九峪に伝えてゆく。 
「・・・・・・」
「その眼で見、その手で触れ、その肌で感じ、見定めよ」





 竜神族の里から南東の方角に位置する城郭都市≪貴千穂≫、九洲の地において最古の都市のひとつ。奇し降る千峰が林立して乱れ立つ地に築かれた謂れは既に忘れ去られて久しいが、高山植物や薬草の宝庫であり動物の生存に優れた環境を提供するという特徴も持つ。怪石が聳え立つ深い渓谷の景観はしばし時を忘れるだろう。 

 しかし、そのような地にて、四丈を誇る角楼まで設けられた城壁は過ぎたものと云わざるをえない。篝火に仄かに照らされた幾つもの角楼がなんとも場違いなものに見える。

 空の赤味は既に無く夜の闇の刻、破壊された国であっても、そこに暮らす民は精一杯生きる努力をする。踏み荒らされた田畑を耕し直し、壊された家も夜露を凌げる程度に修繕する。暮し向きは決して楽ではなく、満足に食べられない日々が続くが、生きるなら足掻かねばならない。
 街の住民も一日の締めともいえる夕餉の準備に取り掛かり市場は人込みで大変な賑いをみせている。

 そんな喧騒が届かない街の奥の奥、さらに城壁に囲まれた場所にそれはある。周りの建物より一際高く、その最上階に留主の間と呼ばれる部屋から眼下に街を見下ろす男がいた。
 男の名を紫香楽という。
 現狗根国国王の長子であり、少子である東【ひつぎ】の実兄である。国王から狗根国の九洲統治機関・征西都督府の長官に任ぜられこの地に赴任したのが一昨年の夏になる。
 宮廷内の臣からは国王からの寵愛をそれなりに受けていたからだと専ら【もっぱら】の噂であったが、一部では互いの憎しみから左遷されたとの声もある。
 ともかくとして、紫香楽は本国からの命令に従いこの地を訪れていた。
「ふん・・・・・・耶麻台国が滅してから十数年が経とうというのに、未だに我らの支配を受け入れられぬか」
 男は最後に街に一瞥を投げると、聞こえてきた足音に振り返る。
「紫香楽様、あと一刻程で本土から魔竜軍団が到着するとのことです、左道士共も先程到着したと報せが入りました」
「そうか、予定より順調のようだな」
「はい。既に各隊正【たいしょう:五十人からなる隊を率いる長の意】に伝令は伝わり、着々と準備が整いつつあります」
「・・・・・・また、騒がしくなるな。下がってよいぞ」
 伝令を伝え終えた兵士は軽く礼を済ませると、駆け足でその場を離れて行く。それと入れ代わるように新たな気配が現われる。
「どうぞ」
 大陸南方産の象牙で作られたかのような、美しくたおやかな指先が、湯気の立つ茶器を出す。
 無言で受け取りながら、紫香楽はふと、その指をへし折りたくなる衝動にかられる。その度に彼は奥歯を強く噛み締め、衝動のままに行動しそうになるのを、無理やり抑え込んでいた。
 代わりに紫香楽の視線が、女の薄物を纏っただけの柔らかな稜線をまるで彼の手のそのもののように女の身体をまさぐっている。
(何時でも出来る・・・・・・何時でも、な)
 紫香楽は心の中で舌なめずりしていた。
「どうかなさいましたか?」
 紫香楽に茶を出した者、いや女と云わねば失礼か名を深川という。
 この女も紫香楽が九洲に赴任する際、軍監目付として本国から派遣された人物である。その裏には語らねばならぬ事物があるがそれはまたの機会とする。
 その深川が尋ねる。帽子や外套を脱いだ、ゆったりとした絹の部屋着を美しい肢体に纏わせていた。
「聞きたいか?」
 獰猛な肉食獣の笑みを目にした途端、背筋に怖気が走った。他人に恐れを抱くのは、彼女の本来の主に続き、二人目のことだ。
 冷静に考えるならば、どれほど屈強の男だろうが、自分が優位に立つことは疑いない。だが、能力的優劣とは異なる次元で、この男には勝てない、と覚っていた。
 以前、陵辱の限りを尽くされたことは関係が無かった。術士にとって肉体は精神を留める器に過ぎず、決して軽んじているわけではないが、俗人の女ほど貞操には拘らない。
 女だから出来ること。女として、紫香楽の欲望を滾らせ【たぎらせ】、それをその身体で鎮めることができる魅力があるから出来ることだった。
 紫香楽に身を任せたのも、主の命もあるだろうが、男に近づく常套手段だった。
 ただ、紫香楽と肉体関係を持ったのは間違いではなかったか、と何度となく後悔したこともまた事実である。あの時以来、己の内で何らかの変化が生じている。主に対する忠誠心にいささかの揺るぎもないが、一方でこの、粗暴で傲慢な野蛮人から目を離せないでいる自分を抑えることが出来なかった。
(私は、いつまでこの任務を続けなければならないのだろうか・・・・・・)
 非情なる術者<深川>がいままで感じたことの無い不安を抱いていた。しかし、主や組織に判断を仰ぐわけにはいかない。
 城外で大きなもの音がした。
 左道士共が宮殿に着いたのだろう。
 紫香楽が不快げに眉をひそめる。意識が逸れたお陰で、深川は金縛り状態から解き放たれ、胸に溜まった息を吐くことが出来た。
「わざわざ九洲まで人を寄越すとはな。本国はそれほどに<飛竜>が欲しいのか」
「もちろんでございます」
 深川は力を込めて云った。
「現在、この九洲の地において、狗根の威が及ばぬ地は竜神族が住まうと目される、阿楚の地ただひとつに御座います。九洲における支配体制を磐石のものとするにも例外などありませぬ。彼の種族が狗根に服したとなれば、これは他国に対する牽制になり、狗根の威光を示しましょう」
「威光だと?建前はそれまでにしておけ」
 紫香楽が吐き捨てるように云った。
 すると、深川が妖しい笑みを浮かべた。
「五百騎の魔竜が、出面国軍一万騎を圧倒したことをお忘れでしょうか?それと同程度、もしくはそれ以上と云われる飛竜をこのまま野放しになど出来ませぬ。なにより、本国の面目も御座いましょう、懐柔出来るならばよう御座いましょうが、出来ぬならその逆でしょう。他国の手に渡るなどあってはならないことなのです」
「整備がその見返りか?虫がよい話だな」
「過去の遺物はそれほど安っぽいものではありません。本国が期待するのは勝手ですが、こちらとしても、そうそう真髄に近づけさせはいたしませんわ」
 紫香楽がにやりと笑う。
「気を持たせるだけもたせて、可能な限り金を引き出す・・・・・・悪女の手口だな」
 深川の整った顔が恍惚とする。
「それがわたくしの仕事です」
 人を惑わし、操るという深川の術者としての本性が誇りをもって云い放つ。
 一方、紫香楽も深川が喜びを感じたことぐらいは察しているが、そんなことに頓着するつもりは毛頭無かった。いや、それどころか、辟易していたぐらいだ。
「・・・・・・で、竜神族の所在は明らかになったのだろうな?」
 近くの寝椅子に身を横たえて再び視線を外に移し、言葉を投げる。
「は、はい・・・・・・間もなく所在がつかめるでしょう。それまでしばしばご休息下さい」
「悠長なことだ。余が忙しい身であることを知らぬのか?都督府に残してきた連中のことも気にかかる。そもそも王族たる者が臣のひとりも伴わず、長期に亘り城を留守にすること自体間違いなのだからな」
「も、申し訳ありません!彼等の行方は耶麻台国滅亡より遥か昔にわからなくなっております、有力とされる阿楚も九洲の地にあって九洲の地に非ずとさえ囁かれる地に御座います。その奥深く、全てを調べるとなれば・・・・・・」
「愚か者と呼ばれたいか?深川」
「なっ!」
「何の為の左道士だ、云い訳など聞かぬ」
 紫香楽が遮る。
「余が欲しいのは具体的な答えだけだ」
「恐れ入ります。明後日いいえ、明朝にははっきりとしたご報告ができるかと存じます」
「明朝・・・・・・か」
 紫香楽は不満たっぷりの顔付きをする。
 深川は固唾を飲んで返事を待つ。
「仕方あるまいな」
 紫香楽が寝椅子から身を起こす。
「山都に居た頃より無能な臣を持つことに馴れておる」
「む、無能・・・・・・」
 自尊心の強い深川にとって我慢がならない屈辱だった。ましてや、自分は任務によって一時的な補佐役を務めているだけで、決して紫香楽の臣下ではないのだから。
 しかし、顔に血の気を走らせ、唇をわなわなと震わせながらも、何故か抗議の言葉は一言も口に出来なかった。代わりに出たのは、
「紫香楽様、いずこに?」
「暇つぶしだ。近くを回ってくる」
 間も無くすれば魔竜が到着するだろうが、待つ気などない。大陸から取り寄せた大型馬があるが、王族が跨るにはまったくもって不足というしかないが、歩くよりましだ。
 深川は紫香楽の気紛れを止める術がないことを心得ていた。せめて同行しようと、部屋着の上に深紫の外套を羽織る。だが、
「悪女の深情けなどいらぬ」
 と拒絶される。
「恐れながら、ここは狗根国領ですが、草叢【くさむら】に如何なる獣が潜んでいるか、わたくしどもとて全て把握しているわけではありません」
 紫香楽は不敵に笑った。
「云い伝えによれば、東進した我等の先祖はこの地の生まれだそうだ。云わば、遠い故郷よ、恐れる必要などあろうものか」
 二の句が継げない深川を置き去りにして、紫香楽は馬を駆って出かけた。


三 了


今回は2話から少し遡って九峪視点ですね。
お調子者のキョウちゃんがいないので、場面がかなり引き締まってますね。いないけど割れないので九峪のイライラは同じですが・・・・
敵側が登場してきましたが、この紫香楽はアニメ版のような冷酷非情で頭が切れてでもかなりぶっとんでる性格のようで・・・カッコイイ!!ぜひ九峪たちと直接対決してほしいものですが♪そして深川さん、かなり出世してますね。紫香楽と類友でしょうか。
里にくるなら、こっちとの対決は早いのかな。楽しみにしてます。



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