魅      土

─制約─


作・風車様



第2話


「 ずっと側にいられないことは、当に分かっていたよ。だからあの時、私はな・・・そなたの前から姿を消したのだ。・・・だが、運命と一言で片付ければよいのか何の因果か、そなたは再び私の前にいる。昔と変わらぬその気丈夫振りに、思わず苦笑いが漏れたな。しかし、確かに時は経ったのだと思わねばならなかった。いや、そうではないな、私が記憶している男と違うことを認めたくは無かったのだ。・・・・・・・・・あれは、知らない人間を見る眼で見るのだ、・・・私を」 <魅土の手記より>

                                                                  




 異界<倭>の気候は、高温多湿で、必ずしも住みよい気候とはいえない。しかし、冬の寒さも、夏の暑さも、堪え難いというほどではなく、特別な防寒的な施設はなくても冬は過せるし、開放的な建物でありさえすれば、夏の暑さも凌ぎ難くはない。

 そこには一年中雪を頂く高山もなく、一望千里の大平野もない。山と海にとに挟まれた小さな平野や、山間の小盆地、川沿いの平地が人々の住む場所であり、日照と雨にと恵まれ、植物の生育に適し、山も野も草木に包まれている。巍々たる岩山や、茫漠たる砂漠のような人を威圧する自然はなくて、人々は自然の恵みのうちに平和な生活を営むことが出来る。このような温和な自然のために、人々は自然を恐れ、自然の暴威に慄くことなく、自然を愛し、自然を賛美してきた。

 平野はいかに広くとも、千里の大平原ではない。山も川も大規模でなく、海浜・平野・森林・丘陵・山岳は相い交錯して変化ある風景を展開する。しかも四季の変化はこもごも至って、春の桜、秋の紅葉、夏の深緑、冬の白雪と、いろとりどりの景観をあらわす。このような小規模で変化に富む自然は、倭人の自然に対する感覚を鋭敏にし、雄大なものより、優しい洗練されたものを好むようにした。

 国土の大部分は森林に蔽われている。わずかに開けた小平野からの生産は、いかに支配者の収奪を厳しくしても、その絶対量には限りがある。狭い土地と、限られた生産は大陸におけるような大規模な富の蓄積を不可能とした。

 四面海に囲まれた倭の地勢は、海外への進出の妨げとなる。しかも隣国に強国を控え、植民地の獲得はほとんど望むことが出来ない。倭において農業を主要な生産とする限り、そこに形成される国家は一般には小規模なものであり、強大なものとはなりえない。国内における奴隷制の発展は大陸諸国のごとく進まず、支配者も民衆も、貧しくはないがあまり富裕でない生活を営んできた。

 海は自然の障害となって、外国からの侵略を防いでくれる。半島が常に隣国の強圧をうけているのに対し、軍事的な顧慮を要したときはごく僅かであり、他国の軍事的政治的支配に服することがなかった。島国であったがために、かならずしも軍事的にかぎらず、文化的にも、常にある程度の距離をおいて他国の文化に接してきた。

 内部における民族的対立はなく、民族的な争いは一度も起こっていない。戦争はあってもそれは他民族との戦いではなくて、同一民族内における勢力の争いであり、少数の支配者間における権力争いにすぎなかった。

 しかし小国家が乱立する状態はある出来事により終局を迎える。
<魔天戦争> 魔界にその拠点をおく魔人と天界にその拠点をおく天空人との戦争。魔人は血肉に、死と腐の臭いに、恐怖と叫びに、殺戮に酔い痴れるその絶対不可避の本能に従い、天空人は、自身等を至高の存在とする盲信からか驕りか、人界における支配権の増大を図るために、魔人は魔獣を使役し天空人は数多の仙族を陣営に取り込みながら戦線を拡大し、やがてそれは両種族の五天全ての覇権を求めた飽くなき大戦を繰り広げることとなる。

 大戦の終盤、決戦を人界に移し、天界側が優勢で進めるなか一部の一族が遅参し決定的な勝利を逃すこととなり、両種族痛み分けとなる。その後、人界は無干渉地帯として、魔獣界は魔界の支配下に仙界は天界の庇護下とする盟約を交わし、魔界、天界ともに互いの門を固く閉じ終局を迎える。これが世に伝わる大戦の概要。

 しかし、決戦の舞台となった人界に弊害を残すこととなる。大戦の折りに魔獣界から大量に召喚された下位魔獣がその際たるものである。下位魔獣とはいえ、その能力は人間などとは比べるまでもなく知能は殆ど無いが、その四肢から生み出される膂力は人が如何に堅固な甲冑に身を固めようと、紙の如く切裂かれる。本能のみに従い人、獣の区別なく喰らう魔獣は、やがて人界の環境に適応出来ず数を減らしたが中には身体を変化させ順応させる魔獣もいた、結果、それが倭では隣国を併呑し城郭都市を築かせる主な原因となる。

 倭には大小数百の小国家・小集落が存在していたが、その中で倭の中央地域に位置する狗根国が周辺諸国を瞬く間に併呑し東の新興国として勢力を拡大していた。その力の源泉が 魔界の扉の隙間から漏れる力が時空間を歪め、湧き出す魔界の水 "魔界の黒き泉” と呼ばれるものである。魔界の黒き泉から溢れる水には、人間の体を活性化させる効能がある。この水を浴びたり飲んだりした人間は、普通では考えられないような能力を得る。その刺激に肉体と精神が耐えられればの話だが。

 体への急激な負荷に耐えきれず廃人に、死んだりする者が多かった。しかし、見事耐えきれた者は人並みはずれた膂力、脚力、視力、聴力などを超人的に発達させた者もいる。筋肉を皮膚を鎧のように固く出来るようになった者、獣化の能力を得る者、不老の体質を得る者、なかには人の身を捨て魔道に堕る者もいた。

 狗根国は各地の魔界の黒き泉を次々と専有し、またはそれを引き、多数の異能者を生み出し、魔界との接点を利用し魔人・魔獣を召喚して軍備を増大させていく。富国強兵が整いついに西へと進行を開始、圧倒的軍事力を元に十年にも満たぬ内に耶麻台国の僚友である出面国に侵攻、国力の衰えが激しかった耶麻台国は僅かばかりの援軍しか送ることしか出来なかった。だが、その程度で狗根国の侵攻を妨げることなどできず、僅か二年後、出面国は滅亡する。そしてそれは、狗根国の耶麻台国侵攻の準備が着々と整いつつあることを物語った。事実、それから時を空けぬまま軍を三軍に分けることのできる兵力でもって騎虎の勢いに乗り三年余りで首都、耶牟原城を陥落させ事実上耶麻台国は滅亡に至る。

 その後数年は各地にて頻繁に叛乱が起こったが、それらが一つとて成功することはなかった。なぜなら、本来あるべき女王<火魅子>がいない今、どの叛乱も形骸にすぎない。求心力を持たない指導者が率いた叛乱など、実質的な九洲の支配者である狗根国の敵に成り得るはずが無かったのである。次第に散発的になり、狗根国の統治には不満はあるものの行動に移せずに沈静化していく。ただ、この時に狗根国は残党狩りを徹底すべきだったことを後々まで後悔していくことになる。

 ここで少し、狗根の王について記そう。今の狗根国の繁栄の基盤を齎したといえる王は、在位期間が三十年以上あり、現国王の先代にあたる。狗根が周辺諸国と戦が絶えなかった小国のころより、常に前線に立ち歴戦の、勇武の王として知られるが、その堅実な戦い振りのためか、書にほとんどの記述が無い。

 その王が崩御した。

 王の遺骸は地中に沈む。

 つまり地上の宮室から陵の下にある宮室に屍体は移されることになる。そのとき死者である王に随行者がある。殉死者と言い換えた方がわかり易いであろう。王の死を知って自らが命を絶つ者がそれであるが、彼らの他にも地中に送り込まれる者がいる。死んだ王にも多くの従者が必要であり、その従者にするためには生きている者を殺さなくてはならない。が、国政に携る者を殺せば、国の運営に支障が生じるし、庶民を殺すわけにはいかない。

 そこで考えられたことは、他国の民を捕らえて、殺し、死の世界に君臨する王に仕えさせる。

 ということである。そのためには、

『人狩り』

 をおこなわなければならない。そういう残酷な狩りは、狗根の王が死んだときだけにおこなわれるわけではなく、頻繁におこなわれてきた。

 人が犠牲として王に供される時代である。

 それは、この時代に生きる人々が、

『天』

 と、聞けば天空を仰ぎみることなく、人の頭をみるであろう。天とは、頭あるいは首のことである。狗根国の首都は山都と呼ばれるが、天山都とも呼ばれるのである。その場合の天は、首の意味であり、天山都を首山都と書き換えてもよさそうである。つまり、後の世でいえば天または首の付く都は首都に相当する。

 話を戻すが、死の世界に君臨する王とはつまり、その世界の帝である。それはいうまでもなく神であり、神の中の神であり、宇宙の支配者である。それゆえ帝のことは、天帝とはいわず、上帝といった。それが人々の 脳裡に染み込んだ通念である。

 この通念こそが耶麻台国が侵略を受けた最も大きな要因の一つである。

 その王のあとを継ごうとしているのが

「東」と呼ばれる太子である。

 東は王の子のなかで、

「少子」
 
 つまり、末子である。

 少子の東が長子等を退けて王位に即こうとするのは、本人の意志というよりも王の意向に沿ったことなのである。

 当時の狗根では特に王家では、他家から妻を娶るのではなく、王族の内から選ぶ。王の子を産んだ后妃の家格によって、子の格も決められるといってよく、その点、東の母がもっとも尊貴な家の生まれであったということである。いわば正后から生まれた子が嫡子であると云えるかもしれない。

 東は美貌である。しかも体?と知能とに恵まれ、非の打ち所の無い王の出現を、国中の人々に予感させた。

“狗根は益々栄える”

 王の死という悲嘆から宮廷人が庶民が存外早く立ち直ったのは、東の盛名が、かれらの耳に既に届いていたからである。

“海峡を越える”

 かつて暁の龍の国・耶麻台を治めし女王。その位を表す<火魅子>の名を戴き、創造と破壊の神の裔と云われ、八卦・五行を治め、天上の神と交わる事の出来たと云われる最後にして偉大なる火の巫。つまり、王でありながら帝であることが許される人。ならばその火魅子が治める耶麻台国の民は、

『神の民』

 ということになる。死の世界を統べる王に供される従者としてはこれ以上の生贄はないだろう。そして弱体化した耶麻台国を侵略するには労することは無い。


 ◇


 那の津。

 九洲随一の巨大な港町にして征西都督府に次ぐ第二の規模を誇る都市。その遥か上空には俄に信じ難い無骨な塊、宙に浮かぶ島。六つの小島が巨大な島を中心に雲を伴いながらゆっくりと旋回している、それはここでは日常であり、当り前の現実として受け止められている。

 浮遊島の周囲には蝙蝠の羽にも似た薄い皮膜を広げ飛び交う大小の飛竜。群れをなし、島を守護するようにも眼下に広がる街並みを監視しているようにも見える。

 空中要塞、墓所、過去の遺物、その残骸。科学と呪術、血と鋼鉄と肉と骨、それらがひとつの坩堝に混ざり合った文明、九洲での倭での当り前の常識。

 青空に広がる禍禍しい光景とは裏腹に、背に山を懐に海を抱く街に住む人々は平穏であり、活気に満ちた生活を営んでいる。

「しかし、なんだ?この街、那の津だっけ? 今まで見て来た他の都市とえらく感じが違うんだな」

 陽は中天より西に傾き昼も終わる頃、大通りのとある食堂の一席。周りには同じく昼食に話題を乗せ、空腹を満たす者達に混じりながら食後の口を水で潤す、大体の内容が掴めたのか疑問を投げかけるは、魅土に伴われ九洲各地を巡る旅に出た、竜神族の青を基調とした衣服を身に着けた青年<九峪雅比古>

「そうだな、この都市自体が遺跡のようなものだ、ここを訪れる前ににも見ただろ?街道の端々に見えた遺物が」

 その疑問に答えるは、青年の向かいの席に腰を下ろしこちらは既に食事を終えたのか九峪の話に相槌を打つ女性。里にて九峪を保護した竜神族の始祖<魅土>

「・・・・・・ああ、あの、建築物の遺跡みたいな何かか?草木の根に巻かれて大分時が経っていたみたいだけど」

「五天がまだ互いに交流があった頃の物だ、かつての姿を止めているのは稀だがな。ここはな、大戦後、九洲を拠点に外海との交通を一手で引受けていた海人部が、耶麻台国の支援を受けて彼等、天空人が築いた都市を利用して造られた街だ」

「海人部?」

 聞き慣れない言葉に首を傾げる。

「海辺近くの街でも見たと思うが、魚介や機織物を売りに来ていた者達を覚えているか?」

 九峪は頭を少し傾け考える仕種をする。

「え〜と、確か、あの気持ち良いぐらいに焼けた肌に鯨面や文身を彫って、それでいて、胸覆いと下帯をした連中のことだよな?」

「そうだ、彼等の祖先にあたるのが、海人部だ」

 海人部とは、早くに九洲に拠点を築き、そこを根拠地として古代から大いに活動して、優れた航海術を持って海路の水先案内人として人と物資の交通を担っていた。従って真先に大陸文化を輸入した。

 その最も古くして顕著なものが織機の技術であり、続いて金属器、建築、更に文学や宗教の輸入も倭の中央地域よりも早かった。

 彼等が真先に受け入れたのは大陸に新たな王朝が興ると亡国の亡命者から教えを受けた織機りで、ハタは肌着のハダで、藤などと異なり、肌ざわりよい和妙であった。

 そして、彼等は鱶の害から身を守るために文身を施し、常に肌身離さず護身の匕首を携帯していた。

「へぇ〜。そういえば、ここの住民は鯨面や文身をした人達を多く見かけるな、てことは、本当に海人にとっては縁の深い街なんだな・・・・・・・・・あれ?」

「?・・・どうした?」

「いや、彼等の彫っている鯨面文身なんだけどさ、あれって蛇や竜だろう・・・・・・狗根国の信仰と相容れないじゃないのか?」

「・・・・・・よく見ているな。蛇や竜、それよりも蛟が海人達の間では厚い信仰があるがな」

「それで」

「そう、急かすな。狗根の奉ずるは主に聖獣である黒い鼠、その信仰は命の泉である水気であることは以前に話したな」

「・・・・・・」

 九峪は無言で先を促す。

「そして、海人が信仰するは蛇と竜、多くは蛟だが、古くは『みつち』。『み』とは水、『つ』は関係を示し、『ち』は霊。つまり、水霊・水神の意だ、信仰する対象は違うものの、その根幹に共通するところがある。だが、そんなことよりも、那の津が産む利益が狗根国にとってそんなことは然したる問題にはならなかったというこだ」

 魅土がいったん言葉を切って九峪の顔を見る。

「それだけの理由で、そんなに容易く、狗根の統治を受け入れた?彼等が?」

 意外だったのか九峪の顔が怪訝なものになる。

「その疑問も最もだな。雅比古、彼等の暮らす場所は何処だかわかるか?」

「へ? て、そりゃあ海だろう?」

 当然だろうとも、確認をとるようにも言葉を返す。

「そう、海だ、海では農民のように田畑を耕し、作物や木々や家畜やらを品種改良したり、人為的に栽培して収穫を増やそうなど不可能だ。一見穏かな表情を見せる海も一度荒れればその牙を容赦なく向ける」

 自然の脅威の前には人間の力など高が知れている、泣いても喚いても太刀打ち出来ない。だから、彼等は働けるときに必死に働き、そうでないときには開放的に陽気に過ごす。それが海人の精神。

「彼等は自由の民だ。土地に縛られず、性や身分にも縛られない、海上が生業の場だから船が沈めば彼等も海の藻屑となる。そんな世界で生きていくから、やはり、腕や頭、技術が重要視される。だから・・・」

「・・・あ」

「わかったか?」
 
 九峪は頷くと魅土の代わりにその先を語る。

「海人は能力主義、それは、狗根にも共通するところがあって、半独立という耶麻台との関係も狗根に取って代われた。そして、宗教という逃げ所」

 魅土の顔が破顔した。自分の考えがあながち外れていない証拠だと思う。

 九峪の言葉を引き継ぎ、魅土が言葉を紡ぐ。

「人の心を操るには、阿片か宗教に限る。しかし、阿片は危険を伴うが、宗教は全く合法的に人の心を溺れさせる」

「・・・・・・」

 少し考え過ぎていたのだろうか、どうやら気難しい顔をしてたみたいで "こら、何をそんな顔をしている” と、いつの間にか傍まで寄っていた魅土に、額を人差し指で弾かれた。

「そろそろ出ないか?露店に並ぶ品物を見たかったのだろう、早くしないと見るものが無くなるぞ」

 そう云って、最後に白湯で口を潤すと席を立ち、勘定を卓上に置くとさっさと出て行った。

「あっっっと、そうだった。おやじさん!ごちそうさん!」

 慌てて掛けた声に、店の奥から店主の活気のある声が返される。店内の賑わいはまだまだ続きそうだ。

 先に店を出た魅土は初夏の陽光に目を細める。大通りと並ぶ新緑の葉を透かし木々の間をやわらかく照らす。大通りを歩き背後に気配を感じつつ、振り返ると、これから訪れるであろう夏に負けない人々の営みの光景があった。

 商業活動が特に盛んであり、港には九洲に限らず外海からも人や物資が集まっている。狗根国の支配に縛られぬ独自の精神に溢れ、その自由な気風に惹かれて那の津に腰を落ち着ける者も少なくない。
 
 街の市場では、種種雑多な民族の人々、様々な生業の人々が行き交い、賑わいをみせている。路上で芸を見せる旅の一座もそれに一役買っているようだ。大通りを挟む形で多くの露店の沢山の品物が連なっている。土の匂いに混じる菜の匂い、色彩豊かな果物、米・麦・粟・稗・豆・黍・・・、山人は山野での生活で得た木の実や猪肉を、海人は肌ざわりよい和妙(特に彼等の織る服を綾服と賛美した)、魚介や藻塩を、行商人は各地で得た珍品を、それらが野積みにされた光景が市を形作ってるようだ。

 古くからは誰でも欲しがり、集めたり分けたりして任意の値打ちを表現でき、容易に持ち運び保存が出来るものが貨幣として使用されるようになる。このような物品貨幣はいろいろあり、稲、鏃、砂金、麻布、などがある。貝の手に入らない山岳地帯では貝殻が用いられたりもした。初期の貨幣は農具や刃物で、それが抽象化された形の貨幣がある。
 
 南海、半島、大陸または遥か西域から倭までの人の流れが活発になると交換経済が発達し、銭貨の需要が高まってきた。しかし、当時の倭では金属の精錬技術が未発達であり、不足分を補うために大陸銭が使用されていた。更に足りなかったために大陸銭を模した私鋳貨幣が使われていた。だが、この私鋳貨幣は質が悪かったので鐚銭と呼ばれていた。当然、鐚銭は受取られなかったり割増し要求の行為があり、流通の弊害がひどいため度々、各国の王による中止命令が出されていたが、容易には無くならなかった。さらに、当時は、律令制度が完備していなかったため、勝手に貨幣を作ることを禁止する法はなく、私鋳貨幣は違法では無かったことが、それを難しくした。

 しかし、それも天界の人界への干渉が大きくなった時代になると、金山銀山の開発や銅や鉄の精錬技術が天空人によって伝えられ、辺境を除き金銀銅貨が流通するようになる。
 
 この時代の倭においては、大規模な城郭都市及びその周辺の村や里では金、銀、銭の三種類からなる三貨制度を主流とし、地方の小規模な城郭都市は銀や銭を、庶民は銭を主に使用し、辺境や山深い里では未だに物々交換が主流である。
 
 どの店も、市自体が生き物のように活気に満ちている。

 景気が良いのか紐が緩く、行き交う人々の表情は明るく、値段を交渉する声がそこかしこかで飛び交っている。

「親父さん、これは何だい?」

「んん、なんだぁ?おめぇ、んなのも知らねぇのが。ほれ、よごしてみろ」

 何やら興味引かれる物があったのか、九峪が品物を手に取り露店の店主と話を盛り上げている。

「雅比古!夕暮れ時に城門だ」

 確りと聞こえたのか、首だけを廻し手を大きく振って了解の意を告げているようだ。それを確認すると自らも目的の場所へと足を向けた。

 そのまま大通りを北上し通りより外れた裏路地に入る、流石にこのような場所にはそれ相応の雰囲気が漂う。昼間から馬鹿に五月蝿い男共の声に混じって、女の艶のある声も聞こえてくる。

 通りから外れた裏に目を向ければ、市ではなく、人目を避けたい女が行き交う男共を品定めするように目を凝らしている。

 彼女等は気に入った男を見つけると声を掛け誘う、その多くは年若い娘達だが、なかには夫を持つ身の女もいる。自らの春を売り、その対価に布や食料を受け取る場合もある。云うなれば非公認の求愛行動である。しかし親や共同体は黙認するのが常識である。また純粋な求愛行動もあれば、一種の娯楽でもある。

 人妻の場合などは、市などでその身に宿った夫の魂を清め一人身になるために性を売る女もいる。

 これとは別に、男が女の許に通い求婚、または一夜限りの交わりを求める“よばい”という行為もある。
 
 どちらにせよ相手が妊娠すれば夫婦になるのは当然で、戦の絶えない世では子孫を残すための合理的な仕組みなのかもしれない。

 大きな都市ではよく目にする光景を視界の端に捉えたのも束の間、新緑の葉と土の匂いに混じって酒気を帯びた匂いも漂ってくる。

 那の津ともなれば、大陸の国々や半島から渡って来る商人の倭での交易の中継地域となる。当然、そこには様々な民族が必然的に集まることになる、多くの情報の遣り取りが行われ、各々に有益な情報を得ることで次の交易に役立てるわけだ。となると、その商人達に情報を売る者達もそれらに類する者達が集う、このような酒場に益を求めて来るわけである。

 入り口には小汚い暖簾とも見れる麻布が垂れ下がっており、それを払い、潜ると男共の酔った声がさらに五月蝿く感じる。互いに自慢話を語り合う者、隅で声を潜める者、魅土に気付きその容貌に下卑た笑みを浮かべる者や惚ける者もいる。それらの席を縫い客席と調理場とを仕切る台に向かう。

 調理場には堆く積まれた木箱、壁際には棚が設けられ種種の食器に酒器、酒の入った容器などが陳列されている。

「魅土と言う者だが、依頼していた情報は?」

 そこには客に注文された料理を、台に置かれた食材から手際よく選び出し、無骨な手が巧みに調理してゆく。見れば、なんとも無愛想な男だ。

「ん?ああ、あんたか、少し待ってな」

 声を掛けられた店の主が何とも覇気の無い声で返すと、調理の手を休め店の奥にと入っていった。

「・・・・・・・・・これがあんたが欲しがってた情報だ、まず、確かめてくれ」

 程無くして主が姿を見せるとその手には薄汚い木箱が持たれていた、大きくは無い。魅土に背を向け木箱の中から幾つかの布が丸められたものを取り出す、普通の布に比べ光沢があることから絹で作られたものと見れる。

 男は魅土に向かって絹布を放る。絹布の内容はある一族の詳細についての物であった。その絹布には魅土が期待していた以上の情報が記されている。

「ああ、これでいい。それで、いくらになる?」

「依頼料と調査料を含めて・・・・・・そうだな、これでどうだ?」

「構わない。・・・・・・余分にあるのは其の方への心づけだ。長によしなに取り計らいを」

「ああ。また、いつでも来るといい」

 魅土は示された金額より多くの銅銭と金粒を渡し外に出た。金額より少し多めに渡すことにより情報屋との信頼を深めていくのは情報網を広げるにあたっての常識である。

「さて、この街での見るべきものは見たか、今夜の夜露を凌げる場を探さなければな」

 魅土は絹布を燃やして完全に灰にすると、城門に向かって歩き出した。

 西の空は微かに赤味が射している、あと一刻もすれば夜の帳が落ちるだろう。北上してきた大通りを戻る、市はまだまだ賑っているようだが流石に昼程の人通りはない、軽く辺りの露店に目を通すが九峪の姿が見当たらない、もう既に城門に向かったのだろう。

 城門から伸びる夕陽に混じって九峪が城壁に凭れ掛っている、魅土が近づいているのに気付いていないのか、視線を外に向けたままである。

 九峪の目の前を人々が忙しなく行き交う、時刻はもう間もなく城壁の門が閉じられる時に差し掛かっている。時折吹く風が少し冷たさを感じさせた。

 声を掛けようかと近づいた時、不意に九峪の表情が目に留まる。

 その眼はなんとも形容し難いほどに虚ろだ。

 それを目にした魅土は、何とも間の悪い自分に嫌気が差すのと共に、意識があの時に呑まれていくのを感じていた。










 「魅・・・土。俺は雅比古・・・・・・九峪、雅比古」

その声がどうしようもなく虚ろに響く。音として聞こえるが言葉としては認識出来ないとでも云えばいいのか、胸が抉られる感覚に陥る。さらに自分を奈落に突き落とす現実が目の前にある。

 九峪が魅土を見る眼が何の感情の色もみせていないのだ。愛しい者に向ける慈しみや喜びなどとは懸離れている、怒りでも悲しみでも、困惑ですらない。ただただ、声がする方に顔を向け魅土の姿を視界におさめただけ、初めて会う人に見せる表情に近いといえるかもしれないが、彼女にとってはそんな生易しいものではない。

「・・・私がわかるか?」

 魅土の形の良い眉が歪み、嘘であって欲しいと、恐る恐る確認を取る。

「なぜ・・・・・そんなことを?・・・さっき、あんたが自分の名を魅土と、教えてくれた。・・・違うのか?」

 彼から発せられた言葉は望んだものでなく、自分の体温が急激に低下するのを感じる。

「私を・・・・・・この魅土を覚えて・・・いないのか?」

 握った掌に爪が食い込み、目頭が熱くなる。

「・・・・・・?」

 九峪はその声にも、魅土の困惑した表情にも特に反応を示すわけでもなく言葉を待つ。

「・・・冗談にしては笑えないな、戻ってきて・・・くれたのだろう?」

 魅土の心が抉られる。

 千の時を生き続ける魅土にとって、再び会えた九峪が自分を知らないであろうことは理解していた。

 頭では、理解していたのだ。

 だが、九峪の眼が態度が、その口から吐かれる言葉が全てを物語る。

 誰だ? お前はと。

 想像は甘く、現実はより深い過酷を。

「・・・・・・? あ、すまない黙ったままで・・・これは、あんたが?」

 こちらを見続ける目の前の女性から眼が離せなくなっていくのが怖くなり、頭ごと魅土の眼から逃れた。ふと、九峪は自分が身に着けている衣服に違和感を感じ、傍の魅土に問う。

「・・・え? あぁ、そうだ、すまないと思ったが体を拭く時に換えさせてもらった。着心地が悪くなければいいのだが」

 掛けられた声に、慌ててだが笑顔で言葉を返す。

 彼を不安にさせてはいけないと思ったからだ。

 なるべく自然に、口元に笑みを浮かべれただろうか。いつでも出来るのだ、思考など。

「そっか・・・ありがとう」

 どちらに対しての礼かははっきりしないが、心持ち先程より表情に感情の色が見れる。

「何か、不快なところとかは無いか?」

 当り障りの無いことを聞く。

「・・・・・・た」

 小さな声。

「ん? 何処?」

 その声量に、耳を口元に近づける。

「・・・・・・夢を・・・見ていたと・・・思う」

「夢?」 

鸚鵡返しに聞き返す。

「・・・夢とも現実ともつかなかった、不思議で・・・名前を呼ぶ声がした、どの夢でも」

 煤けた天井を見つめながら、思い出すように言葉を口にする。 

「・・・誰が呼んでいたかわかるか?」

 相手の記憶を呼び覚ますように声を掛けていく。

「誰?・・・誰だろう・・・そうだ、いつも思い出そうとする度に、その人がわからなくなる」

 目が覚めたばかりの頭のせいか、目元を覆うように腕をもっていく。

「大切な・・・・・・人か?」

 人? 女? 思わずそう聞き返していた。
 
「・・・大切・・・・そうなのかもしれない。けど、怖かった、怖かったんだ・・・でも、とても・・・懐かしかった」

 感情が溢れたのか眼を硬く瞑り、時折、言葉にならない声が漏れる。

 これ以上質問を浴びせ掛けるのは止めたほうが無難と考え、九峪に掛けた寝具のずれを直すと、静かにその場を後にした。

 足の赴くままに歩を進める。己の整理のつかない感情とは打って変わって、天上に輝く星星は何の曇りも無いように映る。そう思えば思うほど酷く憎らしい。

 里の中でも周りより少し高い位置にある住まいから、坂を下り里の広場に歩が進む。

 広場中心に広がる住居群を照らしていた篝火も、どの家も既に灯りが消え、不寝番を除き今は夢の世界だろう。
 
 満点の星空に輝く月明かりが里を青白く浮かび上がらせる。

 時たま吹く風が木々の葉を揺らす。

 冬から覚めたばかりの季節の夜はまだ風も冷たいが、空気は澄み、心を落ち着けたい時は良いかもしれない。

 広場を抜け、里の外れに出る。気が付けば、九峪が現れた木の下に足が向いていた。

 膝を着き、九峪が倒れていた木の根に指を這わせる。

 先程は話が途中から逸れ、九峪が居たことも手伝ってか感情が抑えられていたが、独りになるとそれが溢れて言葉となって漏れた。

「馬鹿者、なにが “お前は俺の女になるというのはどうだ?” だ。そのようなこと・・・雅比古、そなたが忘れていては何も・・・全てが・・・意味を成さないではないか」



二 了


年末の多忙は反則です・・・毎度ながらアップ遅れてすいません_| ̄|○
やはり九峪に記憶はなしですかあ・・・段々思い出していくのかな?魅土のお陰である程度こっちの世界に慣れてきているようですが、まだまだみたいですし。そして一族というのは、やはり火魅子関係ですよね。どれを準拠した彼女達が出てくるのでしょうか?この九峪には既にこの世界に相手、がいる状態ですから、どういう関係になるのか、楽しみにしてます^^



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