魅    土  


作・風車様



第1話 制約




 幾つもの足音が闇夜を縫って背後から押し寄せて来る。
 金属の擦れ合う音、周りを見遣ると不揃いの出で立ちにそれぞれが特徴的な姿形を持つ十数名の男女と、闇に紛れる黒い外套を纏った女が、木々の隙間から時折零れる星明りの中を駆けていた。
 頬に擦り傷を負う者、血止めの布が赤く染まる者、敵を殺め我が身を守る武具が欠けた者、大小の傷を負いながら昼夜を問わず走りつづけたのだろう、どの顔にも疲労の色が見て取れる。
 ふと、足音がひとつ、遠ざかる。

「何をしている!?追いつかれるぞ、走れ!」

 焦りを含むその声の先に視線が集まる。兵士だろうか、大小の傷に甲冑は所々欠損し、衣服の裂け目は黒く染まっている。立ち止まった兵士は利きの悪くなった腕で礼の姿勢をとると微笑を浮かべ一言。

「・・・・・・後を、宜しくお願い・・・します」

 その言葉を最期に、皆とは逆に駆け出す。追手の迫る方へと。
 兵士と言葉を交わした、奇妙な刀を持つ男も歯を噛締めまた駆け出す、他の者も沈痛な面持でそれに倣い後を追う。このようなことが何度続いただろうか、一人、また一人と追手の追撃を遅らせる為その身を投げ出していく。

 東の空に赤星が輝く頃、冷やされた大気が風となって谷間を流れ、射し込んだ日の光に擡げた頭を起こす草花、身を潜めていた獣が姿を表し、世界が動き出す。
 その気配が、今だ薄暗い闇に包まれた深い森にも伝わり、木漏れから射し込む明かりが強さを増し、隙間から見上げる空は鮮やかな青へと変わり始め、時間の感覚が狂い始めた者達に夜明けを告げる。

「夜が明けるか・・・・・・ん?」

 風に運ばれて微かに臭う湿った匂いが、鼻腔を伝わり嗅覚を刺激する。
 身を隠しながらの逃亡、恐怖、疲労、空腹、増える傷、異常な状況の中で生への渇望が五感を折れそうな程の鋭利な刃物に変えていく。
 余裕のある者は辺りの気配を探りながら先頭を行き、傷ついた者達は互いの肩を貸し、水滴を豊かに蓄えた草木を掻き分ける度に衣服を湿らせていく。偶然に口元を濡らす水滴に思わず舌ずりし、乾いて罅割れた唇に仮初の潤いを与える、その刺激が張り詰めた糸に徐々に綻びを生じさせていく。

 岩壁を覆う無数の苔から絶え間なく滴る水滴が、小さな泉をつくりだしている。
 真上には大きく口を開けた緑の隙間、射し込む日の光が水面を反射し煌びやかな情景を醸し出し、水の弾ける音のみの響きが余計に静けさを強調する。
 静かだった水面に幾つもの波紋が等間隔にたつ、森の陰から姿を見せた子連れの獣が忙しなく頭を動かし水分を補給し、子は母の腹部から垂れる乳首に口を寄せ力強い喉の動きを見せている。水辺で行水する鳥たちが一斉に飛び立ち、その異変を自然に生きる獣達の優れた探索器官が捕え、小振りな耳を前後に動かし森の一点を見つめていたが、それも僅かの間で何処ともなく再び森へと消えていった。

 弾かれた枝から水滴が飛び散り、地面に大小の染みをつくり吸込まれていく。胸の丈まで伸びた藪を踏み倒しながら進むにつれ、地面に足型の跡を残す。露出したものから苔に覆われたものへ変わり、視界は薄暗さから白んだ空間へ移る。

「泉か・・・・・・」

 右に左にと視線を泳がし、周辺を確認しつつ手近な薬草や食料を探すが、岩と苔ばかりと生憎と目当てのものは見当たらない。

「このような状況ですから、せめて水だけでも補給させませんか?」

 そう進言する兵士は、男の顔を窺う。それに頷き、ここまでこの逃亡に付き従ってくれた者達一人一人その姿を確認する。肩で息する者、憔悴しきった顔、傷のためか体を小刻みに震わす者、それを認めると指示を出す。
 傷が深い者、疲労の激しい者を優先的に水分の補給、血止めの布の取り替え等、手の空いた者をそれに従事させる。それぞれが適当な場所に陣取り手早く処置をした。

「・・・・・・・・・・・・」





 はるかには聳え立つ山々。一方には未開墾の原野が横たわり、彼方にまだ斧鑿を入れたことさえないような森林が鬱蒼としている。いつもであれば静寂を湛えている風景だが、今は一変して時ならぬ喧騒の兆しを迎え、森の陰に潜む夥しい数の人影のまわりは、落ち着きを失ったような色合いに染め変えられようとしていた。

「弓兵を構えさせろ」

 戦闘用の法衣に身を包んだ妙齢の女が傍に控える副官に伝える。副官は低頭のまま幾分沈んだ声で了承の意を伝えるが胸中に思うところがあるのか、上官の顔を何度となく眼だけを上下させ窺っている。

「あの御二人は余りにも危険すぎるのだ。既に我々は、我々自身で立つことの出来る時期にきている。後継は御二人の血を引くあの方が我々を導いて下さる。其の方らは何ら案ずることなど何も無い」

 副官の思うところが伝わったのか、もう一度、構えの命令を下す。
 "信じろ"と云えなかったことを小さく舌打ちする。彼女も内心は固く決意したにも拘らず、隙を窺うように鎌首を擡げるかの如く、疑心が眼に鬼を見る。何度も繰り返した決心と疑心の鬩ぎ合い、内心での葛藤が呼吸を乱れさせ、傍らで控えていたもう一人の副官が如何したものかと声を掛けるのを迷わせる。
 その気配を察知し荒れた呼吸を落ち着かせる。副官に声を掛けるべきか一瞬逡巡するが傍を見ぬまま、弓兵の準備が整うと決断の命令を下す。

 頭上まで振り上げた腕を眼下のある一点を見つめたまま一度だけ頭を振り、振り下ろす。合図を受けた各小隊長が各々の部隊に命令を下し、限界まで引き絞られた弓から放たれた無数の矢が風切り音を纏いながら一瞬、日の光を反射すると森に吸い込まれていく。





 静寂が訪れた。嵐の前の静けさとでもいうのだろうか、吹きすさぶ風の音がやけに大きく聞こえる。

 気休め程度の手当てを終え、僅かばかりの休息を取る、どの兵士も簡単に意識を手放し、すさぶ風の音にいとど短きうたたねの夢を己の内へと落ちていく。追われる者達とっては必然の危機、追う者達にとっては待ち続けた好機を生む。

 苔に覆われた楠に、抜身の刀を肩に立掛けた男と外套から頭髪を覗かせた女が一組、背中を預けている。言葉を交すことなく寄り掛かった肩から伝わる温もりが、二人を現実に繋ぎ止めている。ふと、何かが鼓膜を打つ。

「・・・・・・っ!?散れ!!」

 木々の葉を裂き、射し込む日の光を反射させ、鋭い刃が雨のように降り注ぐ。男の叫びに覚醒し身を翻し、近くの木の背後に身を滑り込ませる、隙間無く降り注ぐ矢を紙一重の差で避す、刹那の間。
 木の陰から覗き見る光景は余りにも無残。傷を負い逃げ遅れた者はその身を剣山の如き屍に変え、地に張り付けられている。

 息を殺し、狭まる包囲網に気を廻らし、逃げ道を探す。間隔を置いて降り注ぐ矢が死の音共に確実に迫っている。一時は散り散りになった兵士が各々の判断で男と女の下に集まりはじめる。恐慌に陥ること無く態勢を立て直しながら協調し、矢面に立つ事も厭わず降り注ぐ矢の中を突き進む。
 兵士達にとって身命を掛けるよほどの存在なのであろう、どの者にも悲壮な決意が満ち溢れ、却ってこの状況を華々しいとさえ感じている。そんな中、髭を豊かに蓄えた壮年の兵士が男の傍に寄り低頭する。

「今生の別れをどうか、お許し頂きたい」

その言葉に他の者達も次々に男の眼前に跪き“私も!我らも!なんの!おぬしらなど役不足だわっ!”など、口々にし、肯き同じ気持ちであることを見せる。

 男の眼が鋭くなる、察するに何度も行われた遣り取りなのだろう。
 男は一人でも多くと生き延びたいと切に願っているが、同時にこれまで追従してきた者達も二人の行末を案じる気持ちに一片の曇りなど無い、無いが故に互いに引けないのである。何時の間にか、矢音は止み、辺りは静寂に包まれている。

「お話は・・・・・・・・・、お済みになられましたか?」

 若い女性の声に、一同は一斉に声の方へと振り返る。その気配の存在を確りと捕らえた兵士達が男と女の前に飛び出し攻撃態勢を取る。
 程無くして、茂みの中から黒い甲冑に身を固め、鼠の這出る隙間も無く取り囲む追手。その者達は追い詰めた獲物に表情一つ変える事無く、唯、幽鬼の如く歩を進め、剣を目線に合わせ水平に構え戸惑う事無く距離を詰めて来る。後一歩というところで包囲が止まると、兵の間から法衣に身を包んだ女性が進み出てきた。

「詰みです・・・・・・あなたはこの時代に居るべき御仁ではなかったのです。彼の地が平定された今、あなたの存在は新たな戦乱を生み、禍根を残すでしょう。あなたは優し過ぎる、あなたは頭が切れ過ぎる、あなたの身に宿る力は強大すぎる、あなたは危険だ。そして、何よりその方を変えてしまった・・・・・・・・・」

 既に手遅れなのだと、諦め、悲痛な面持ちで視線を、かつての信奉の対象、男の傍らの女に投掛けるも、ただ、柔らかな眼光と無意味なまでの愛情に満ちた暖かな視線で反されてしまう。

「その答えが、目の前の者達か?」

「はい、あなたの情を利用させて頂きます」

 本来の色とは懸け離れた甲冑に、生気の無い表情に、己を慕い身命を賭けてくれた旧知の者達に、女性の意図を感じ取り、恐らく間違いの無い解答に思わず自嘲的な笑みが洩れる。なんとも、大人びて、老人じみて、嫌な感じの笑み。その様を常に傍らで見続けてきた女が男の首元に顔を埋め、徐に小さいがはっきりとした声で話し掛ける。

「そなたの思うが侭にするがよい、そなたの胸の内に比べたらこの世のなんと小さき事か、私の心内は揺るがぬ・・・・・・常に・・・・・・共にあろうぞ」

 男は女の言葉に深く肯き、空いた腕で女の腰を抱き寄せ巴旦杏の色をした髪に顔を埋めると、何やら一言二言と女の耳元で囁く。埋めた顔を上げ決意に満ちた眼で法衣の女性を射抜く。

「お前を恨むつもりは無い、だが、ただで殺されてやるつもりも毛の先程も無い」

 その言葉と共に男が刀を正眼に構えると付近の雰囲気が一変する。

「あなたは自分が何をなされようとしているのか理解しているのですか?」

 女性の声に焦りが含まれ、背中を冷たい汗が伝う。静寂に包まれた場に吼立つる天津風、山々は鳴動し、俄に水面が波立つ。

「十分過ぎるほどにな、だがな、ただではと云ったはずだ」

 周囲の兵士達も自身の肌が粟立つの感じ、身震いさせる。大気は震え、急激な温度変化に伴い辺りに冷気が立ち篭める。

「馬鹿なっ!あなたは自らの言を破られるのか!?」

 明らかな動揺が表情に、声となって表れる。男から溢れ出る気が鬼気となって周囲の者を包み込む。

「はっ、愚問だな。俺はお前が思うほど理論と理性の人間なんかじゃあない、本来の形に戻るだけだ」

 傀儡と化した者達にも立ち篭める気が伝わったのか、武具の切先が反応する。男の口の端が吊り上り、頭髪が波打つ。

「人外・・・・・・っ!化物めっ!?」

 一瞬、男の瞳に翳りが差すが、それも束の間。今は、己の内から湧き起こる歓喜に従うのみ。

「お前らしい言い様だな、だが、今はそれすら俺の欲を満たす贄でしかない」

 女性の握り締める掌はじっとりとした汗に濡れている。男の姿を後ろから見詰ていた女がゆったりとした動作で傍に寄り腕を取る。

「もう・・・・・・独りにしないでおくれ」

 女の行動が引金か、女性の瞳に理性の色が戻り、攻撃の呪詛を飛ばす。

「来世でも、そのまた来世でも我々は共に在ります」

 それに反応し、男と女に付き従う者達が、腰を落とし身構える。

 既に男の瞳は人のそれではなく、血に濡れた深紅の眼が不気味な輝きを放つ。

 奇妙な刀が緑青の光を放ち、渦を巻いて大気が集束する。

 日の光によって生み出された影が掻き消え。

 大気が爆ぜた・・・・・・・・・





※※※

「はっ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・・・・」

 荒い息遣いをつく男。いや、男というにはまだ些か早いか、その者の顔にはまだどこかしらか少年のような丸みがある。云うなれば青年か。額には嫌な汗が浮かび、背中も同様に冷たく寝間着を湿らせていた。

「・・・・・・くっ、また、似たような夢か、ここ最近ずっとだ、何だってんだ・・・・・・・・・ふぅ、顔でも洗うか・・・・・・」

 肌に張付く寝間着の不快感に眉を顰める。いっそうこのまま寝間着を脱いで寝直すかと考えるが、この気持ち悪さはどうしようもない、もう一度溜息を吐くと寝床から立ち上がり、戸を開け、明かりも灯っていない廊下を、音もなくただ吸い込まれていく。

 緑苔に覆われた大小の石に、澄んだ水、照らし出す月明かりが庭園を艶やかに彩る。濡縁に面した庭園の脇に石積みの井戸があり、そこに青年が手を赤くしながら、桶から移した水で顔を、どこか苛立ちを当たりつけるかのように何度も、洗っている。

「・・・・・・・・・」

 青年が離れた庭園に微かだが、一度、ざわめく。

 何時もならば、このような夜更けに屋敷を徘徊することは無いのだが、どうも心を落ち着けずにいた。夢の中の光景が脳裏に焼きつき頭を締めつける、覚束ない足取りで部屋から部屋へと次々に襖を開け放ち気が付くと、床も壁も天井も全て板張りのがらんどうとした部屋に着く、壁には何種かの武具が立掛けられ、奥には、小さいながらも神棚、いや、社というべきものがあり何やら奉られている。

「道場か、暫く振り・・・・・・だな。じいさん、ばあさん」

 呟く先には、年老いた二人の老人の写真が掛けられていた。青年の胸中に暖かなものが染み出てくる。“なんだ小僧、食い方もしらんのか? そう、上手ね。力を抜いてもう少し脇を締めてごらんなさい” 長くは無かったが青年にとっては確かな十年、時には味方であり敵であり、暖かい二人であった。

「二人が俺を拾ってくれた時から、十年と少しかな?炊事に洗濯に裁縫、雑学やら学文やら、薬草から毒草、果てには今の時代に必要なのか疑わしい武術まで、・・・・・・教えてくれたよな」

 養親が他界したのはほんの数ヶ月前、僅かの日数を空けただけでもそう感じるのは、それ程慕っていた証だろう。最後の言葉を漏らすように出すと、どこか苦笑いしたような顔で、何かを告白すのを恐れるような、そんな表情で俯き、やがて、意を決して再び口を開く。

「率直に不安なんだよ、最近ずっとだ、夢を見続けている。俺の知りもしないような風景、人、街並み・・・・・・・人の死。毎夜うなされている、知っているはず無いのに・・・・・・」

青年が現代のどの地域を見ても似ていない情景をした夢を見始めたのは最近に始まったことではなかった。実際には養親に拾われる以前、施設に収容されている頃から見ている。
 しかし、当時見ていた夢は現在のような凄惨なものではなく、例えば、“神秘的な女性が地上に降り立つ夢” “悪魔とも天使ともつかない姿形をした異形の者共の争う夢” “何代にも渡って女性が国を統治する夢” “五天を形成する種族の夢” など、どこか御伽噺にも似た夢。
 だが、不思議なことにそれらの夢は一つとて同じ情景が映し出されることは無く、寧ろ、順序だてて映し出されているかのようでもあった。

「・・・・・・じいさんだったら、こんな俺を見たら何て云ってくれるかな。笑うかな、怒るかな、呆れるかな。いや、何時も通り “あぁん、知るか、うだうだ云ってねぇでさっさと決めちまえっ!簡単なことだ、選ぶか、選ばないか、そんだけのこと” て、決まった台詞だな。 ・・・・・・よしっ、何時までも悲観しても仕方ない、前向きに考えないと馬鹿にされちまう」

 胸にかかる重りが軽くなったのかそう云い二人の写真の前から踵を返し、部屋を出ようとする。

“カタッ”

 背後で小さく音がした。

 「ん?何だ、鼠か?」

 不審に思い一応耳を澄ましてみたが、何ら変わりは無い、却って静か過ぎる程に室内は無音で、自身の鼓動が聞こえてくるかもしれない程である。やや経ってもう一度確認し部屋を出ようとした時。

“ゴトッ”

「気のせいじゃ・・・・・・無い」

 今度は確かに聞こえた、しかも。

「何だ?・・・この異様な雰囲気は?」

 青年はこの異様な状況を敏感に察知し、首筋に冷たい汗が伝うのを感じる。外の木々は俄にざわめき、獣たちは矢鱈に遠吠え、熱り立つ。片一方、部屋の異様さは増すばかり、気濃い空気が充満し、呼吸が乱れ始める。

「くっ、すぅっはっ、はっ、はっ、あ、あれは、社?」

 青年の声の先には、“ぎし、ぎしっ”と音を立てて揺れる格子状の扉に囲われた社が見える。奥には緑青の光を放ち今にも飛び出さんばかりの不思議な紋様が描かれた銅鏡が只ならぬ気配を発している。

「あれは銅鏡!?原因はあれか!」

 恐らくそうかもしれない、青年にとっては確かもしれないが、この状況を生み出している銅鏡へと手を伸ばす。不思議と恐怖は無かった唯・・・・・・

 銅鏡の発する光が一段と増し、周囲を飲み込み始める。社が、床が壁が天井が、そして青年の手先から腕へ、爪先から膝へと光に喰われてゆく。

「くそっ!いったい何・・・が・・・あぁ・・・・・・起こって・・・い・・・・・・るん・・・・・・・・・・・だ」

 この雰囲気に意識を持って逝かれまいと気を強く持つが光の増大と共に次第に意識は薄れていく。やがて、光が収まりあたりは静けさを取り戻す、唯一、青年と銅鏡のみが消えていた。







 いまだ完全に乾燥しきっていない薪が、水蒸気を噴きながら勢い良く火の粉を散す、耐え切れなくなった炭が爆ぜる音をたて細かな炭へと変わる。簡素な板敷きの床に、壁もただ板を張付けただけ、天井もなく、湾曲した剥きだしの梁が見える。屋根裏は煤けて、造りは簡単なものだが、どの部位も堂々とした木材が宛がわれている。

 山深い森の奥深く、既に人界との交信も途絶えた山里。外は赤く伸びた日の光が空を覆い、家々の窓からは夕餉の匂いが漂う。
 腕に木の実や山菜を抱え手を繋ぐ親子、石に腰を降ろし白く伸びた髭を萎びた手で梳く老人、里の上空を旋回する大きな影、警備の交代をする若人。そんな中に大小、種類様々な薬草を入れた大き目の籠を脇に抱え、山野から伸びる細道から歩いてくる女性がいる。腰まで流れる赤髪に先端が細く尖った耳を覗かせ、胸元を大きく開いた深青の衣を纏い、切れ長の金色の眼がその存在を際立たせている。

 その姿を認めた子供らは口々に女性の名を呼び腕を取りじゃれる。女達は尊敬と羨望の眼差しを、男達は畏敬の念と己の妄想を掻き立てる。女性は良くも悪くも、皆に認められた里一の実力者である。子供等に優しげな瞳と柔らかな声で別れを告げ、大人達には適当な挨拶を交わしその場を後にする。
 
「なぁ、近頃のあの方、何て云ったらいいのか、こう、なんか、表情は普段と変わらないんだが、雰囲気が柔らかくなったような・・・・・・・・・なぁ?」

 女性が里の者達と挨拶を交わし通りを抜けていくのを遠巻きに見ていた里の若者が、同じ様に眺めていた隣に声を掛ける。

「そうかぁ?俺には何時もと変わらない様に見えるが?・・・・・・・・・そう云えば、応対の物腰が以前と比べて少し柔らかくなったような?」

 それを聞き “お前もそう思うか!そうだろ” と何度も肯き返す。若者にしてみればこの些細な変化でさえ関心を引かれる出来事であった。
 里には指導者として長老と十数人の長が居り、里の方針、運営を決定する意思決定機関として存在する。
 里の者達はその決定に従い平時であれば里を豊かにするために道具を拵え、農地を耕し、種を蒔き、収穫の時期には総出で作物の収穫に従事する。他にも罪を犯した者を裁き、有事であれば戦闘にも従事する。いわば彼等の脳とも云うべき存在を差し置いても女性に関する噂、関心事は絶えなかった。

 里の老婆曰く “あの方は長老が乳飲み子の頃から皆を導いて下さった方や。それが、何時の頃からか何かを必死に探しなすってな、それからよく悲しいそうな顔をしなすってた”
 里の老翁曰く “あの御仁は天界・仙界・魔界にその名を轟かせた程のお強い人や。あの方の名を聞けばその身を震わせ、姿を見れば尻尾を巻いて逃げ出すほどのお強い人や”
 里の長老曰く “あの方は過去に二度、里が危機に陥ったときその力を振るって救って下さった。だが、そのために命にも等しい人を失ってしもうたとか・・・・・・・・・”

 そう語る里の老人達の話に何度も耳を傾けて聞いたが、里の若者達には俄に信じ難い事。身体的には差して変わらなく、実際にその力を目の当たりにしなければ無理の無いことかもしれない。だが、老人達が口を揃えて話す事も事実。それと同様に里を賑わす関心事がもう一つ “あやつは何者か?”と。



 事の起こりは十日程前になる。青天の下、広場ではしゃぐ子供等、仕事に精を出す大人達、他愛無い会話に花を咲かせる老人達。何時もと変わらない光景、変わらず流れる時。
 ただ、それは何の前触れも無く唐突に起こった。天を一つ雷が翔け巡る、雲一つ無いというのに何とも不気味な、雷鳴を轟かせ大気を切裂き縦横に走る。思わず見上げ見入ってしまい体を強張せる、それは意志を持っているかのように北を南を、西を東を走り、一頻り翔け巡った後、かつて無いほどの轟音を大気に乗せ里の方へと雷は落ちた。

 落ちた瞬間、その場に居合わせた者はその衝撃と眩しさに堪らなく眼を瞑り、里の外で確認した者は危機感に従い足を里に向ける。里と森の境目、大小の草木が里を覆い隠すように林立する。
 ややあって強烈な音と雷光が静まると、不思議なことにそれらしい被害など無いかのように見えた。木などに落雷し火の粉が家屋にと心配したが、どうやら稀有なことに終わったかに思えた。が、ただ一点を除いて違った。

 “あれは?・・・・・・人じゃあないか?” 誰かが発した言葉の先に駆けつけた皆の視線が集まる。奇異な格好をした男が木の幹にもたれ掛っている。くり色の髪に小柄ではないが引き締まった体を思わせる体付き、気を失っているのか眼は閉じられたままだが、小さく胸が上下している。

 そうこうする間に人集りができ “おい、今のうちに縛り上げた方がいいんじゃないのか?” “いや、長老が来られるまで待つべきだ” “何云ってやがる!雷から現れるなんて人間なんかじゃあねえっ!” 皆が口々に云い合い騒ぎが大きくなったところで長老と長達が遅れて皆の前に姿を見せた。

 “皆が騒ぎ立てる原因は、そこの者かね?” その言葉に皆が肯き肯定の意を表す。どうしたものかと長く伸びた髭を梳きながらよくよく見れば、年は二十歳といったところかもう少し下かもしれない、顔も精悍な顔付きをしている。
 再び思考に入ろうとした時、新たに女性の人影が近づいてきた。人垣が割れ、皆が少し緊張するのが見て取れる。

 “どうしたのだ?長老?” 凛として透き通る声が皆の鼓膜を打つ。それを聞き長老が声の方に振り返り恭しく頭を下げ、再び頭を上げると深く皺の刻まれた口元がゆっくりと開く “はい、実は・・・・・・・・・” 
 奇妙な雷の事、それが里に落ちた事、そこから現れた人の子の事。これまでの事を要点を踏まえ手短に事情を伝える。周りの者は静かにその様を見つめ、固唾を飲んで待つ。女性は長老の話に相鎚を打ちながら一通り聞くと、その者は何処かと尋ねる。他の者に任せても良い筈だが、長老は自らその案内を買って出て問題の男の方へと歩みを進める。

 ふと、男の姿を視認出来る距離まで近づいた辺りか、女性の足が止まっている事に気付き振り返る。“どうかなさいましたか?” と掛けるつもりであった言葉が一瞬にして霧散した。
 思わず息を呑むのも忘れ、それに束の間だが魅入られてしまう。かつてこのような表情をした女性を見た事があっただろうか、あらゆる感情が綯交ぜになった表情とでもいえばいいだろうか、何かに捕われたかのように硬直していたが、瞬きの間に先のは幻ではなかったのかと思わせるほどに普段と変わらぬ女性がこちらに向かって歩いてくる。
 吸い寄せられるかのように長老の脇を通り抜け、未だ眼を覚まさない男の傍に寄り膝をつく。食入るように見つめ壊れ物を扱うかのように伸ばした手が頬に触れ指先が輪郭をなぞる。

 誰もがその光景に眼を奪われる。制止するのも忘れ声を失ったかの如く噤む。眼を覚まさない男に女性がただ頬を撫でるという行為に。

 “この男の身、私に預けてくれまいか?” 静寂を破ったのは女性の一言。突然の事に長老は暫く何を云われたか理解出来なかった。
 心を静め云われた言葉を頭の中で繰り返すと、困惑の表情を浮かべ返事を返す。 “・・・・・・それは構いませぬが、ですが宜しいのですか?” 女性の身を案じてのことだが “案ずるな。皆に危害が及ぶ事は無い、そう伝えて欲しい” そう言葉を残すと、男の肩と膝裏に腕を差し入れそっと抱き上げるとその場から離れていった。

 女性の背中を見つめていた長老だが、足元から何かが日の光を反射させ顔を照らす。何かと思い下に視線を移すと、楕円形に複雑な紋様が精巧に施された銅鏡が草に埋もれている。訝しげに手に取って見ると大人の掌二つほどの大きさはあろうか、深い緑青の色をしている。どうしたものかと思い、慌てて呆然と見送る里の者達の間を行く女性を呼び止める。

 "このような銅鏡がその男の近くに落ちておりましたので、若しやと思い。如何なさいますか?” そう尋ねると、少し懐かしむ表情を浮かべ "手を掛けるが、預かっておいて欲しい、大切に頼む” そう云い残し、今度こそ自らの住まいへと消えていった。





 既に夜の帳が完全に下り、夜空に大小の星の輝きが埋め尽くす。遠方に山々の輪郭を黒く浮き出させ夜の底に辿り着く。夜行の獣達が密かに動き出し、僅かな灯りに群がる蟲。里の営みの明かりが一つ二つと消えていく。

 里の一角、他の住まいとは少し異なった造り。正面三間、側面二間の平入り、切妻造り、茅葺の簡素なもので、妻側に一本ずつ棟持柱が構え、高めに床を張り、破風は屋根を貫いて千木となって高く聳えている。木の香新たな白木の住居は、飾り気の無い素朴さゆえに、清純さがまさに表れている。

 内からはまだ炭の爆ぜる音が時折聞こえてくる。中央から少し寄った位置にある囲炉裏からは暖の為の火が盛っている。傍には敷物に寝かせられた男と正座する形で男に向く女性がいる。

 男が里に現れてより、女性は男の世話をし続けている。死んだように眠り続けるが、水を口に移せば咽喉が上下する、暑ければ汗もかく、その度に女性は暇を見つけては濡らした布で男の汗を拭き、体を清潔に保ってきた。今も同じく、全身を拭き終わったのか、衣服を整え、麻布を掛ける。
 そして後はいつもと変わらず、男の髪を何度も繰り返し梳き、頬を撫で、顔の輪郭を、唇を指でなぞり、耳を弄るといった行為を飽きる事無く続けている。誰かがこの光景を見れば如何わしく思うかもしれない、しかし、そんなものとは無縁なほど、ただただ、愛しい者に触れるように、不思議と絵になる。

 それまで顔を撫でていた手を止め、隅へと視線を移す。

「・・・・・水が無くなったのだったな」

 男の体を拭いた時で最後だったのだろう、空になった甕を見る。

「直に戻る」

 返事は返ってくることはなかったが、そう云わずにはいれないのだろう。最後に男の唇に軽く触れる程度に重ね、立ち上がる。小さ目の水瓶を脇に抱え、外に出ようとする。

「・・・・・・ここは」

 一瞬耳を疑った、振り返り、再び男の唇が動くのが見える。一向に眼を覚まさなかった男が小さく声を発した。我に返り抱えていた水瓶を無造作に床に置き、直に傍らに寄り答える。

「気が付いたのか?・・・・・・ここは竜神族の里だ」

 早る気持ちを抑え、努めて冷静に告げる。

「・・・・・・竜神族・・・・・・そうか、竜神族の里か」

 男はその地名に不思議と不安を抱かなかった、ただ、懐かしいと。何故かと思いもしたが、自分を見つめる女性に気付き、一言尋ねる。

「あんたは・・・・・・」

 その発言に、瞳が揺れる、顔に翳が射す。記憶が混乱しているのかもしれない、そう思い直し、なるべく微笑を浮かべ名乗る。

「・・・・・・魅土。私は竜神族の魅土」

 聞き覚えのある懐かしい名前だと、何故か思えてくる。以前にも聞くだけではない、その名前を何度も呼んだ自分がいると記憶している。

「魅・・・土。俺は雅比古・・・・・・九峪、雅比古」


一 了


やっとパソコンの買い替えが完了しました^^;アップが遅れてすいません、風車さま_| ̄|○

魅土、かっこいいですねえ^^大人の女性らしさが・・・恐らく転生前?と思われる九峪の恋人だったようですが。この九峪は悲劇の結末だったようですが、現・九峪はどうなるのか。
続き楽しみにしてます!



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