邦見城防衛戦

〜第3話〜


                               作・ゴーアル様




 太陽が昇ったというのに、邦見城の暗い雰囲気は晴れなかった。
 変わらず、復興軍と住民の間には溝があり、連携がうまく取れない。
 狗根国軍は移動を始め、昨日と同じように東門に兵力を集中させ、北門と南門に五百ずつ部隊を配置している。狗根国軍の発する軍気に邦見城は押しつぶされる寸前であった。
 伊万里は東門で指揮をとり、兵士の士気を上げるのに必死になっていた。
 城砦をめぐる戦いの場合、攻撃側が純粋に力だけで陥落させたという例は少ない。城砦とはうちから崩れていくものなのだ。兵糧の不足や病気などにより、兵士たちの士気が低下し、裏切りが出る。これが城砦陥落の王道であった。
 逆を言えば、城内の士気が高く、一致団結していれば、そう簡単に陥落することはない。だからこそ、伊万里は兵士たちを鼓舞しているのだった。しかし、伊万里の言葉もそれほど効果を上げていない。
 兵士たちも戦うつもりなのだが、狗根国兵の強さをあらためて思い知り、恐怖に似た感情が胸にあふれるのだった。本来、守るべき対象であるはずの住民はよそよそしい態度を見せる。さらに、志野の軍団に所属している兵士たちは志野の姿が見えないことに不安と不満を隠せないでいた。
「伊万里様、みんな恐れが目に表れている。こんな状態じゃあ戦えないですよ」
 虎桃は兵士たちを見回す。
 兵士たちはどこかおどおどしている。
「わかっています。でも、耐えるしかない。今日を乗り切ることができたら、なんとかなると思うんです」
「……九峪様?」
「ええ、あの人に頼るしかない自分が嫌になりますけど、同時にあの人なら来てくれるって、そんな気がするんです」
「ふ〜ん、信頼しているんですね」
 虎桃は伊万里をおもしろそうに見つめた。
「さあ、とうとう来ますよ」
 伊万里の視線の先には動き出した狗根国軍がいた。
「全員配置につきなさい」
 兵士たちが手に弓を持ち、城壁に沿って並ぶ。
 伊万里は城内にも指示を出し、投石器の発射準備が完了していることを確認した。昨日の戦闘で相手には知られたということもあり、今日は次々と打ち続けさせることを決定していた。本当ならば住民にも協力してもらいたかったのだが、兵士との間に溝がある以上、逆に効率が悪くなることが考えられ、断念していた。
 復興軍の兵士たちに緊張が高まるなか、狗根国軍は確実に近づいてきていた。
 伊万里の命令で兵士たちが弓に矢を番え、思い切り引き絞る。
 あと少しで弓の射程範囲に入るというところで、狗根国軍は行進をやめた。
 城壁と狗根国軍の間に、静寂が訪れた。嵐の前の静けさとでもいうのだろうか、吹きすさぶ風の音がやけに大きく聞こえる。
 突然、北門の方で怒声が上がった。一瞬、遅れて南門の方でも怒声が上がる。
 復興軍の兵士たちは動揺し、何人かが矢を放ってしまう。
 矢は狗根国軍の兵士には届かず途中で土に刺さる。
「まだ打ってはだめ」
 伊万里は厳しい声で兵士たちに厳命し、北門と南門の方を交互に見る。
 ――敵は昨日とは攻め方を変えてきた。
 昨日の戦いでは、北門と南門の部隊は陽動に徹していた。もちろん、油断していたわけではない。しかし、最初から北門と南門を攻められるとは思っていなかったというのが本当のところだった。
 狗根国軍の本隊はまだ動かない。復興軍が勝手に崩れていくのを待っているようだ。
「伊万里様、どうするの?」
「動いてはいけません。敵の狙いはあくまでも東門、ほかに気をとられては守りきれません。――全員、弓から手を離し、敵に向かって堂々と胸を張りなさい! 私たちの決意を見せ付けるのです!」
 伊万里は毅然として、兵士たちに命令する。
「ほら、伊万里様の命令よ。さっさとしなさい!」
「こうやって堂々としてりゃいいんだ!」
 虎桃と織部も率先して、直立不動の体勢をとる。
 兵士たちも勢いに押されるようにして、次々と弓を下ろし、胸を張る。
「北門と南門は落ちません。信じるのです。私たちがここを守りきるように、彼らも戦う。私たちはただ目の前の敵に矢をお見舞いし、城壁から突き落とせばいいのです」
 伊万里のよく通る声が、兵士の心に熱いものを宿していく。
「今日の苦難は明日の飛躍への踏み台なのです。目指すべきは唯一つ、――勝利を!!」
 伊万里は刀の納まった鞘の先端を石畳に打ち付ける。
 兵士の目から怯えが消える。変わりに戦意に満ちた目で狗根国軍をにらみつける。
「勝利を!」
 織部が伊万里に続いて叫ぶ。
「勝利を!」
 虎桃が続いたときには、兵士全員が叫んでいた。
 復興軍の叫びに、狗根国軍はたじろいだのか、構えていた槍が揺れる。
 伊万里は信じていた。
 北門を守る音羽を、南門を守る重然を、復興軍の兵士たちを、そして志野を。
 ただ信じていた。
 狗根国軍から鏑矢が放たれ、甲高い音が響き渡る。
 同時に狗根国軍が進軍を再開する。重々しい足音が、復興軍の気勢を押し殺そうとするかのように、不気味に音を増していく。
「全員、弓を構えて」
 兵士がいっせいに弓を引き絞る。
「放て!」
 伊万里の合図に数百本の矢が狗根国軍へと降り注いだ。






 本格的に戦闘が始まったとき、志野はまだ珠洲のそばにいた。
 ただじっと珠洲の顔を見つめている。
 珠洲の顔色には赤色が戻っていたが、意識は戻っていない。
 一睡もせず、ただ珠洲を見守っている一方で、志野は自分のことを考えていた。
 なぜ、兵士を殺してしまったのか。
 珠洲が刺されたから。
 なぜ、なぶり殺しにしてしまったのか?
 わからない。
 あのとき、珠洲を失ってしまうと思った。
 許せなかった。
 大切な存在を失うことを。
「どう、珠洲は気がついた?」
 いつのまにか、忌瀬が部屋に入ってきていた。
「いえ……」
 志野の声にはまるで力がない。
「寝てないんだろ、そんなんじゃあ、あんたのほうが参ってしまうよ」
「……私にはこんなことしかできないから」
 話しながらも、珠洲から目を離すことはない。
「本当にそうなのかな?」
 忌瀬は志野と向かい合うように、珠洲のそばに膝をつき、脈を確かめる。
「いま、あんたの部下たちが必死に戦っているんじゃないの?」
「私が行っても邪魔になるだけです」
「……本当にそう思っているの?」
「はい」
 忌瀬は一度、ため息をつき、いきなり志野の胸倉をつかむ。あごをつかみ無理やり上を向かせ、目を覗き込む。
「はっきり言ってあげるけど、こんな生気のない目をしてここにいたって何の役にも立ちやしないんだよ! むしろ陰気くさいのが移って、珠洲の傷の直りが遅れるだけさ!」
 志野の反応はなく、うつろな目をしたままだった。
「あんたがしなくちゃいけないのは、戦っているみんなを励ますことでしょ! こんなところで何をしてるのさ!」
 志野の心に届くようにと、声を荒げて叫ぶ。
 それでも、志野は何も言わない。
 もう言葉では駄目だと、右手を振り上げる。
 思い切り叩こうとした瞬間、
「だめ……」
 弱々しい声が聞こえてきた。
 忌瀬は右手を振り上げたまま、下を見た。
「……志野を傷つける人は許さない」
 珠洲がうっすらと目を開けていた。
 志野はゆっくりと下を向き、珠洲と目を合わせる。
「す、珠洲」
「志野、無事だったんだね。よかった」
 珠洲の言葉に、志野は思わず涙ぐむ。
「ごめんなさい、私がしっかりしてないから」
「志野を守るのは当然。気にすることなんてない」
「でも、傷跡が残るのよ」
「関係ない。志野が無事だったらそれでいい」
 珠洲は普段と変わらず、淡々と話す。
「私はもう後悔したくない。何もできなくて、自分の無力を恨むのはいや。……私は志野を守りたい」
 志野は言葉もなく珠洲を見た。
 ――私は何をしていたんだろう。珠洲は私を守ってくれた。それに見合うことをしなければならなかったのではないだろうか。
 忌瀬が珠洲の腹部の傷を確かめる。
「もう少し寝てなさい、まだ無理をしてはいけない」
 珠洲はこくりとうなずき、志野を見た。
「またあとでね……」
 ゆっくりとまぶたを閉じる。すぐに規則正しい寝息が聞こえてきた。
「私、本当に何をしていたんでしょうね。珠洲が守ってくれたのに、ただ落ち込むだけ。しなければならないことはもっとあったのに」
 志野は珠洲の手を握り、寝顔を見つめる。
「また落ち込むのかい」
 忌瀬の声には非難がこもっている。
「いえ、ここでまた何もしなければ、珠洲に顔向けができません。――戦います」
 志野はしっかりと顔を上げる。表情には決意が満ちていた。
「珠洲をお願いします」
 忌瀬に向かい一礼し、武器を取りに行こうと部屋の外に出る。すると、入り口のそばの壁に布に包まれた棒のようなものが立てかけてあった。何かを感じ、手に取り布を取り払う。
 出てきたのは、志野の愛剣の双龍剣だった。双龍剣は二つで一組になっており、柄の両方に刀身を持つという特殊な形をしていた。
 志野は仲間の信頼を感じ取り、今までの自分を恥じた。
 剣を両手に持ち、走り出す。
 自分の為すべきことを果たすために。



 邦見城の中央にある広場には街の住民たちが集まっていた。
 投石器が石を発射する音が響いてくる。
 身を寄せ合い、近くに他人を感じることで、近づいてくる死の恐怖に耐えている。
 自分たちの決断に迷いを抱き、動けずにいる。
 今にも城門が打ち砕かれ、狗根国兵が乱入してくるのではないか。なぜ、自分たちは狗根国にはむかったのだろう。
 昨日、一生懸命、復興軍の兵士たちと城門の強化をしていた姿はどこにもない。ただ怯え続けるだけだった。
 足音が聞こえてきた。
 最初、全員が身をすくませるが、足音の主が姿を確認すると安堵し、続けて嫌悪があふれた。
 住民の前に現れたのは志野だった。
 もう抵抗することさえできなかった狗根国兵士を切り刻んだ女。
 ともに料理をしていた女たちが声をかけようとするが、結局ためらってしまう。
 志野は広場の真ん中にある大きな台に乗った。
 この台は祭りのときなどに舞踏をするためのもので、がっしりとした作りになっている。
 住民は突然の志野の行動をいぶかしがった。
 なぜこんなところにいるのだろう。いまは戦闘中なのではないか。
 そんな疑問の視線を受けながら、志野は剣を下に置き、住民とまっすぐ向き合った。深呼吸をし、歌い始める。
 静かでなつかしい歌。
 九洲の人間ならばだれでも知っている歌。
 海、山、川、花、鳥、獣、全てを慈しむ歌。
 そんな歌を味わうように歌っていく。
 手を伸ばし、踊り始める。
 足が柔らかい曲線を描き、薄い衣が鳥の羽を連想させる。優雅で繊細。それでいて生命の力強さを感じさせる。
 住民は男女関係なく、自然と歌と踊りに引き込まれていく。
 自分たちはこれが欲しかったんじゃないか。
 狗根国の支配下で、耶麻台国時代の風習の多くが禁止された。それは邦見城も例外ではない。自分たちの国でなければできないこと、それを果たすために、復興軍へと協力したのではなかったのか。そう、この城に復興軍を招きいれたとき、自分たちが決心していたのだ。
 あの兵士を殺したのは復興軍を招きいれた結果なのだ。このことから目をそらしていた。自由を得るために血を望んだということを忘れていた。
 女たちが一人、また一人と歌い始める。
 男は音楽に合わせて、手をたたき出す。
 志野は歌うのを止め、踊りに集中する。足の運びがだんだん激しくなり、手の動きも複雑になっていく。怒り、喜び、悲しみ、楽しみが混じりあい、一つのものへと集約する。それは人だった。
 住民の視線を一身に浴び、全ての思いを訴える。自分が願うものを心に浮かべながら舞う。
 歌の終わりに合わせ、動きを止めた。頭を上げ、住民一人一人を確かめるようにゆっくりと見回す。そして、しっかりと正面を向く。
「私は不完全な人間です。恨みにとらわれ、自分を見失ってしまうことがあります。しかし、私の願いはきっとみなさんと同じです。それは自分が自分らしく生きるということ。大事な人を守るということ。それができる世界を造るということ。だから、戦うのです」
 志野の言葉が途切れる。
 城壁の方から、刀のぶつかり合う音が聞こえてくる。
「いま、兵士たちは守ろうとしています。その対象はあなたたちだけではありません。将来への希望をも守ろうとしているのです。子供たちが安心して暮らせる世界を目指しているのです。ぜひ、力を貸してください。新しい国を作るために」
 住民は黙ったまま、志野を見ている。
 男が立ち上がった。
「俺たちは覚悟が足りなかったのかもしれない。……戦争なんだよな」
 つぶやくような声に、ある者はうつむき、ある者は空を見上げた。
 自由を得るために戦うことを選んだ。支配者を城から追い出した。しかし、戦いはそこで終わりではない。九洲から狗根国軍を追い出し、安定した国を作るまで終わらない。いや、終わりなどないのかもしれない。
 戦い始めたならば、戦い抜かなければならないのだ。
 男たちが次々と立ち上がる。
「いくぞー!」
 雄たけびが上がり、走っていく。
 女たちはその背中をじっと見つめる。
 志野は一瞬、笑みを浮かべ、男たちの後を追い、自らも走り出す。
 女たちの間を走り抜けたとき、志野の表情は厳しいものだった。
 戦いに送り込んだ以上、勝利を手に入れなければならない。
 





 東門は激闘のただ中にあった。
 復興軍は進撃してきた狗根国兵に矢を浴びせた。投石器から打ち出された石が、狗根国兵の上に降り注ぎ、陣形が乱れたところを矢が襲う。
 何人もの兵士が倒れるが、狗根国兵は盾を掲げ、ただ突き進む。確実に城門までの距離を詰め、奇声を上げて押し寄せる。
 両軍の兵士の声に城門は震えた。
 昨日の戦いと同様に、城壁に縄がかけられ、切り込み部隊が登っていく。後方の弓兵が支援のために矢を放つ。城門にはさっそく破壊槌が運ばれる。兵士の動きにはまったく迷いがない。命令に全てを委ね、戦場の恐怖を忘れている。
「伊万里様、このしつこさ、なんとかなんないの〜」
 虎桃の目は、一度突き落とされながらも立ち上がる狗根国兵の姿を捉えていた。
「昨日よりも気合が入っているわね。けれど、こちらも負けてはいない」
 伊万里の言葉どおり、復興軍の兵士たちも奮戦していた。となりの仲間と協力し合い、狗根国兵と渡り合う。
 しかし、戦場の流れは狗根国軍に傾いていた。
 矢による高密度な支援攻撃が復興軍の戦列を崩す。破壊槌が城門に叩きつけられ、きしむ音が響く。
 形勢が有利になっていることを感じ取ったのか、狗根国軍の攻勢がさらに強まる。
「城門のところの兵士は何人でしたっけ?」
「二百人です」
「打ち破られたら、どこまで耐えられるかな」
「ただ戦うだけよ」
 伊万里の刀は真っ赤な血で濡れていた。その血が何人のものなのかは本人にも分かっていない。
「上乃とは、何か話したの?」
「特には。遺言みたいなのは嫌だったので」
「なるほどね〜、それもそっか、わたしもそんなことしてないし」
 二人は話している間にも、次々と狗根国兵の死体を作り上げていた。
 突然、歓声が上がった。
 伊万里は、城門が打ち破られたのかと、急いで破壊槌を持っていた狗根国兵の方を見る。
 城門はまだ健在だった。
 また歓声が上がる。
 歓声は城内から上がっていた。
 伊万里が振り返ると、そこには信じられない光景が広がっていた。
 住民が投石器のところに行って使い方を聞いている。負傷者の手当てをしてくれている。剣や槍を持って、城門の前に集まっている男たちもいる。
 そして、志野がいた。
 伊万里が目を疑っている間に、志野は階段を上って、伊万里のところまで来た。
 兵士たちが志野の姿を認め、歓声を上げる。
「志野様……」
 伊万里の言葉に、志野ははっきりとうなずいた。
「ご迷惑をおかけしました。その分、働かせてもらいます」
 その声はしっかりしたものだった。
 志野が立ち直ったことを理解した伊万里は笑みを浮かべる。
「……ちょっと遅すぎますよ。後で文句を言われるくらいは覚悟して置いてください」
「はい、……勝利の後ならばいくらでも」
 二人は同時にうなずき、戦闘に入っていく。
 伊万里の刀が鎧を切り裂き、血煙を上げる。斬撃の速さは目にも留まらず、その身のこなし自体捕らえるのが困難だった。狗根国兵の鋭い踏み込みに対し、それ以上の速さで対抗していく。
 速さと威力に特化された伊万里の剣技とは対照的に、志野は舞うようにして双龍剣を振るっていた。周囲の呼吸に合わせて、常に最適の位置を取り、同時に複数を相手する。どれほどの乱刃にさらされようと、動きを止めることなく確実に相手の急所をねらうのだった。
 狗根国兵が二人を弓で狙うが、放つ前に自身が矢を受け倒れる。
 矢を放ったのは虎桃だった。
「同じ失敗は二度としないからね」
 志野の参戦により、兵たちの士気も膨れ上がったが、精神だけで支えるのには限界がある。城壁をよじ登ってくる敵はともかく、城門を打ち破られれば、勝敗は決してしまうだろう。
 伊万里たちは不安を胸に抱えながら、ただ戦っていた。
 一人の男の姿を頭に浮かべて。






 邦見城から少し離れた丘の上に、将軍は陣を張り、全体の指揮をとっていた。
「良く戦うものだ。そろそろ心が折れてもよさそうなものだがな」
 感嘆と苛立ちが混ざったような顔でつぶやく。
 今日の戦において、将軍は特に策を講じなかった。昨日の戦いで、復興軍の士気が低いことを見抜いていた。狗根国軍としては、敵の援軍が来る前に、城を落とす必要があった。下手な小細工を弄するのは時間の無駄だと考えたのだった。北門と南門の部隊を実際に動かし、東門を守る城兵を動揺させ、一気に攻め落とすつもりであった。
「少々、虫が良すぎたか」
 実際には、城兵は士気をむしろ増大させて抵抗してきた。狗根国軍の本気の攻勢に粘り強く耐えている。
 決して敵を侮ることのない将軍だったが、ここまでの抵抗は予想外だった。
「相当な名将が守っているか、それとも王族でもいるのか」
 それならば紫香楽様への良い手土産になるかもしれないと、笑みを浮かべる。最近、不安げな表情を浮かべることが多い主君の慰みにあってくれるだろう。
 敵のしぶとさに感心しながらも、将軍は勝利を疑っていなかった。
 相手の抵抗は、がけのふちに足をかけながらしのいでいるようなもの。もう一突きされれば簡単に奈落の底に落ちてしまうだろう。
 あせる必要などなかった。
「閣下!」
「ん、どうした?」
 声のした方へ振り返ると、副官がこちらにむかって走ってくるのが見えた。息を切らせ、顔には焦りと驚きが浮かんでいた。
「閣下、敵です」
「敵だと? 敵ならばそこではないか」
 将軍は邦見城を指差し、そこで、はっとして振り返る。
「まさか!」
 丘の裏側へと足を進める。
「いつのまに……、戦場を回りこんだというのか」
 眼下では、耶麻台国の紋章が描かれた旗を持つ部隊が突撃してきていた。
「全員、防衛体制に入れ、迎え撃つぞ」
 将軍は声を荒げ、命令を下した。
「左道士どもめ、足止めすら満足にできんのか!」






 将軍に罵倒された左道士たちは三十人ほどで山の中にいた。
 邦見城への援軍を足止めするために魔獣を召喚使役したのだった。召喚した魔獣の数は実に五百頭、この山にいた獣たちを生贄にして呼び出した。
 魔獣の姿は狼と変わりなかった。ただし、その大きさは牛と同じくらいで、毛は闇を思わせる漆黒だった。
 左道士たちは山の前の街道を敵軍が通過していくときに、魔獣を放ち、襲わせるつもりだった。防御のための陣形が整っていない軍など、魔獣の群れの敵ではないからだ。
 しかし、この目論見は最初から見事にはずれた。
 敵が部隊を二つに分けたのだ。一方は、邦見城への進軍を続け、もう一方は魔獣を潜ませている山、つまり左道士たちの方へと向かってきた。
 左道士たちはここで決断を迫られた。
 邦見城に進軍する部隊を攻撃するか、それとも、こちらに向かってくる部隊を攻撃するのか。
 与えられた任務は邦見城への援軍の足止めであった。となれば、邦見城に向かう部隊を見逃すわけにはいかない。
 全員の意見が一致し、邦見城に向かう部隊に魔獣を放とうとしたそのとき、こちらに向かってくる部隊の掲げている旗が目に入った。
 その旗に書かれてある文字は『火』だった。
 火はそのまま火魅子を指す。すなわち、あの部隊を率いているのは火魅子となりうるものということになる。
 左道士たちは決断した。
 邦見城に向かった部隊は三百程度、敵の大部分はこちらに向かってきている。ならば、この部隊を倒せば、任務を果たしたことにもなるだろう。しかも、火魅子に連なる者を捕らえることができるかもしれない。蛇渇の心証もよくなるだろう。
 魔獣五百頭が放たれた。
 殺戮の本能に身を任せ、突き進んでいく。空腹を満たし、血の臭いで肺をいっぱいにする。牙に肉を噛み千切る感触を味あわさせる。難しいことを考えられるだけの知能はない。ただ単純な欲望を満たすためだけに戦う。
 だれもが恐れを抱かずにはいられない突撃を目の前にして、復興軍は立ち止まり隊列を整え、弓を構える。射程範囲に入った瞬間に、矢が放たれる。その結果を確かめることもなく、前列の兵士たちは抜刀する。
 魔獣は矢が突き刺さっても気にすることなく、いや、さらに戦意を上げて突撃してきた。
 あと少しで牙が届くというところで、兵士たちも突撃を始める。
 その兵士たちを追い抜くようにして、十余りの影が魔獣に襲い掛かった。
 魔獣が跳ね飛ばされる。
 香蘭のすらっとした足が魔獣の腹に叩き込まれ、紅玉の覇璃扇が魔獣の首を叩きおる。愛岩は魔獣の背に飛び乗り、痛撃を与え、砥部の斧が一度に二頭の首を跳ね飛ばした。
 外套に身を包んだ兵士たちがすさまじい膂力で、魔獣を弾き飛ばす。
 一瞬、先頭の魔獣の足が鈍り、後続の魔獣たちとぶつかり混乱が起こる。
 そこに矢が降り注ぎ、さらに混乱を助長させ、兵士たちも斬り込んで行った。
 後方の魔獣たちは、倒れた魔獣を踏み台にして兵士たちの間に飛び込んでくる。
「無駄な抵抗をするものだな」
「そうよな、後ろを向いて逃げれば、一噛みで殺してくれるというのにな」
「まったく九洲の者は頭が悪い」
 不気味な笑いがこだまする。
 左道士たちは山の中から、まさに高みの見物をしていた。
 今回、召喚した魔獣は大した知能をもたない、力だけがとりえの下級魔獣だった。
 召喚には召喚対象の知能や魔力が大きな要因となる。知能が高く、魔力が大きいほど、召喚の難度は高い。長時間の呪言や良質の生贄を用意する必要が出てくる。反対に、知能が低く、魔力も小さければ、力のある左道士ならば簡単に召喚することができるのだった。
 昨日、要請を受け、わずか一日で五百頭もの魔獣を召喚したのは、さすがに狗根国の左道士ということなのだろう。
「まあよいではないか、しっかり抵抗してくれれば魔獣も満足するだろうしな。それに、簡単に逃げられては火魅子に連なる者を逃してしまうやもしれん」
「ふむ、逃すわけにはいかんな。……紫香楽様お気に入りの将軍にも一泡ふかせてやらねばならぬからな」
「あやつか、魔界の泉の力のすばらしさを理解できぬ愚か者に過ぎん」
「が、今回はやつが指揮官よ。……邦見城に向かった部隊を見過ごしたこと、問題にならんか」
「こちらが功を立ててしまえば何も言えんよ。われらは本来、蛇渇様の直属なのだからな」
「さて、そろそろわれらも戦場に向かわんか、火魅子に連なる者が魔獣に食われてしまうかもしれんぞ」
「おおそうだな、魔獣に食わせてやるわけにはいかん。それに、おそらく女に違いない。少々、味見してみるのも良いかも知れんな」
 山の中に下品な笑い声だけが響く。
 鳥の声も、虫の鳴き声も聞こえない。獣の気配などまるでしない。
 辺り一帯の生物は全て召喚の生贄となっていたのだった。
「若い女であることを祈ろう。なに、この前、戦った部隊も若い女が率いておった。この部隊にも何人かおるだろうよ」
「それはいい。急いで迎えに行ってやらんと」
 左道士たちが歩き出すと、
「香蘭や愛岩が聞いたらどう思うかしら? ……考えるまでもなく、即殺よね」
 場にそぐわない、少女の幼い声が聞こえてきた。
「にしても下品と言うか、下劣と言うか、もう少し品性というものを磨いて欲しいわね」
 左道士たちはあわてて辺りを見回すが、だれもいない。
「どこだ! どこにいる!?」
「敵に違いない! 全員円陣を組め!」
 どこから襲い掛かられても対応できるように、二重の輪を作るように並ぶ。
「対応はなかなか早いというべきなのかしら。でも、やっぱり人間としてはねえ」
 あざけるような声に、左道士たちは声を荒げる。
「姿を現さんか!」
「そうだ、堂々と戦え!」
「卑怯だぞ!」
 左道士たちの挑発に、謎の人物は笑い声で答えた。
「クスクス、堂々とねえ。魔獣に戦わせて、自分たちは後方で眺めているだけのあなたたちに言われたくはないわ。でも、あなたたちの同類になるのも嫌だし」
 言葉が終わると同時に、落ち葉を踏みしめるような音がした。
「どこだ?」
「そっちか?」
「いや、こっちにはいない」
 左道士たちは目を凝らすがどこにもいない。
「どこを見ているの? わたしはここよ」
 全員の真後ろから声が聞こえていた。
 一斉に振り向くと、円陣の中心には、外套に身を包んだ小さな人間がいた。声からして女なのだろう。
 三十人の左道士にとってはとるにたらない相手のはずだった。しかし、その姿を目に入れた瞬間、恐怖で身体が動かなくなっていた。
 決して逆らってはいけない存在。蛇渇に匹敵するほどの力を秘めた存在。
「さて、あなたたちには死んでもらうわね」
 少女が、すでに決まっていることのように、淡々と話す。
「ふ、ふざけるな!」
「われらを殺すと言うか!」
 おびえを隠すように、左道士たちが叫ぶ。
 だれからということもなく、呪言を唱え始める。
 少女はおもしろそうに左道士たちを見ていた。
「無駄なことをするわね。抵抗しなければ簡単に殺してあげるのに」
「貴様が死ね!」
 何かが破裂したような音がし、少女を中心に炎の柱がそびえ立つ。炎の中には死霊が漂い、苦しみの叫びを上げる。
 死霊炎獄、個人で発動させることは不可能と呼ばれる奥義級の左道の一つだった。唱える人数が増えるごとに威力を増し、三十人もの左道士が唱えれば、鉄をも溶かすと言われていた。
 死霊の甲高い悲鳴が極限まで高まり、炎柱は細くなり、色はどんどん白くなっていく。色が限りなく白に近づいたとき、激しい爆発音がし、炎柱は消えた。
 土煙が舞い、爆心点は見えない。
「死んだよな?」
「ああ、当然だ。あの熱の中で生きられる人間はいない」
「そうだよな、死んだに決まっているよな」
 生きているはずがない、そう確信しているにもかかわらず、不安そうな表情は消えない。
 土煙が大分収まってきたとき、中から影が飛び出した。
 首が三つ宙を飛び、一瞬遅れて、胴体から血が噴出す。
「う、うわー」
 そばにいた者が飛びのく。
 敵を確認しようと振り向くと、のどに冷たいものを感じ、それが最期に感じたものとなった。
 首が四つ、落ち葉の上に転がる。
「ば、馬鹿な。死霊炎獄をまともにくらって生きているだと、そんな人間いるはずが、……まさか」
 外套は焼け落ち、少女の頭を隠すものは何もなかった。
 少女の頭にはウサギの耳があった。
「貴様、魔兎族……、馬鹿な、魔兎族は先の戦いで敵に討たれたはずだ」
「ごめんね、けっこう生きているのよ」
 少女は、手に持った凶悪な鎌に似合わない、笑顔を浮かべた。
「狗根国を、召喚主を裏切ったというのか」
「わたしたち上級魔人は契約に従っているだけよ。そちらが契約を破った場合は、こちらが従う義理はないわ。それにわたしがこっちに来ちゃった以上、魔兎族は基本的に自由なのよ」
 左道士は魔獣や魔人をそれぞれの世界から召喚する術を持つ。
 知能の低い魔獣や低級魔人については、支配による主従関係を結ぶ。一方的な力関係であり、左道士の命令は絶対である。しかし、上級魔人は、強力な力を持つ魔人の中でも突出した存在である。どれだけ強力な左道士であっても、上級魔人と一方的な主従関係を結ぶことはできない。
 ただ召喚するだけでは、兵士が束になってもかなわないような脅威を生み出すだけである。これではあまりにも使い勝手が悪い。上級魔人を命令に服従させる必要がある。
 では、どのようにして上級魔人を従わせるのか。
 その答えが契約である。
 左道士は上級魔人に、上級魔人の望むものを与え、上級魔人はその見返りとして命令に従う。
 この契約を召喚時に行い、上級魔人が了承した場合のみ、召喚を完了することとなる。
 もし左道士が契約の履行を怠った場合、契約は破棄されたと見なされ、魔人は自由になる。
 そして、もう一つ契約が無力となる場合がある。
 契約よりも優先する力が現れたときである。
 そう、たとえば絶対的な支配力を持つ一族の長が人間界に現れたときは、人間との契約などまるで無意味なものとなる。
「なんだと、貴様、まさか、兎華乃」
「あら、良く知っていたわね。これで思い残すこともないでしょう。死になさい」
 兎華乃が鎌を振るうと離れた位置に立っていた左道士の首が跳んだ。
「ああ、そうそう別に抵抗してもかまわないわよ。結果は変わらないけどね」
 左道士たちが奇声を上げて、左道を打ち放つ。
 兎華乃の名を彼らは良く知っていた。すなわち、死、そのもの。
 全力で放った左道を簡単にはじかれ、命を奪われる。
 短く激しい戦闘が行われ、左道士たちは皆、ただの躯と化した。
「ちょっと疲れたわね」
 言葉とは裏腹に、ただ一人の生者となった兎華乃は息も乱れていなかった。これが、人と魔人との絶対的な差なのだろう。
 戦場の方を見ると、召喚者を失った魔獣は混乱し、次々と兵士たちの刃に貫かれていた。
 復興軍の勝利は間違いない。
 こちらは役目を果たした。あとは九峪の役目だ。
「失望させないでよ、神の遣い様」
 血まみれの土の上で、兎華乃は微笑んだ。




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 ゴーアルさんの長編の第3話です。
 血まみれがよく似合う女王・兎華乃・・・う〜ん、ファンが増えそう(笑)
  「勝利を!」と兵士を鼓舞する伊万里の姿は火魅子そのもの。読んでいてぞくぞくしました。そしてようやく立ち直った志野。歌と踊りでもって住民と和解し、勝利への後押しとするとは、いかにも志野らしく、また志野しかできない方法ですね。
 そして3人の信じる男は最終話、どういう決着をつけるんでしょう。がんばれ主人公(笑)

 

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