邦見城防衛戦

〜第2話〜


                               作・ゴーアル様







 茶色の鎧に身を包み、槍を肩に掛け、一定のリズムで行進する。
 強兵をもって知られる狗根国の名に恥じることのない迫力を漂わせている。一糸乱れぬ動きから、過酷な訓練をしてきたであろう事が見て取れる。
 邦見城の姿がどんどん大きくなってくる。
「血の臭いか……」
 馬に乗った男がつぶやく。他の兵士たちとは明らかに違う、朱色の鉄作りの鎧に身を包んでいる。髪は短く刈り上げており、顔つきは精悍そのもの。歳は三十代の前半といったところだろうか。
「将軍、どうされました?」
 となりで同じく馬に乗っている男――副官が、上官のつぶやきを耳に留め、その意図を尋ねた。
「おまえは感じないか。この血の臭いを」
「いえ、わたしは将軍ほど鼻が良くはありませんから。――邦見城からですか」
「ああ、どうやら、邦見城が復興軍に落とされたというは本当のようだな」
 昨日の朝、邦見城から鷹が将軍の下へと戻ってきた。鷹の足には布がくくりつけられており、その布には耶麻台国残党に攻め入られたとの報告があった。その報告の後、撃退したとの報はこなかった。
「索敵の範囲を狭めていたのは正解でしたね」
「さてな、そのおかげでぎりぎりまで我らの接近を知られずにすんだとは思うが、結局のところ、我らの存在は敵の知るところとなっているだろう。小細工にすぎんよ。それに火奈久城の問題もある」
 昨日の昼に、もう一羽の鷹が将軍の下に戻ってきた。その鷹は火奈久城に送っていたものだった。内容は火奈久城の陥落を知らせるもので、将軍は、鷹は吉兆の印だったはずだがとぼやいた。
「陥落の報告、間違いないのでしょうか?火奈久城と邦見城を同時に落とすなど、信じられません」
「だが、邦見城が落ちたのはほぼ間違いない。それに、火奈久城のほうは、大方、あの馬鹿が手柄をあせったのだろうよ。やつの単細胞ぶりは根っからのものだからな」
 あの馬鹿とは、火奈久城の城主である。将軍は城主よりも六歳年下だったが、出世争いで一方的に目の敵にされていた。
「火奈久城の重要性を考えずに、城からおびき出されたところを急襲されたというところか」
 将軍はほぼ正確に火奈久城でのいきさつを洞察していた。城主が単純だったということもあるだろうが、将軍の洞察力は鋭い。副官は将軍を心の底から尊敬していた。たった一つのことを除いて。
「しかし、火奈久城、邦見城が落とされたとなると、わたしたちの作戦が前提から崩れたことになります。そもそも安定している邦見城を拠点として火奈久城の救援を行うというのが目的だったのですから……撤退を考えるべきではないでしょうか?」
 副官は眉間にしわをよせ、悔しそうに進言する。
 将軍の立てた作戦は十分に実現可能なものであり、ある意味単純なものだった。
 敵が勝利の余勢を得て、九洲でも有数の都市である火奈久城を攻め落とそうと行動に出るのは目に見えていた。火奈久城を落とされれば九洲の南は完全に敵の勢力範囲となる。そうなれば、各地の反抗運動が勢いづくことになる。狗根国としては絶対に避けたい事態だった。紫香楽もこのことの重要性は理解したらしく、将軍に直々に命令を下したのであった。
 将軍はまず火奈久城の防備を固めることを優先しようとした。しかし、火奈久城は各地の城に補給物資を送るなどして、防備を固めるのには時間がかかることが判明した。
 そこで、左道士監、蛇渇に協力を要請し、左道士を借り受けることにしたのだった。
 左道士たちが敵の後方をかく乱することで、火奈久城の防備を固める時間を稼ごうとしたのだ。
 火奈久城で敵の攻撃を食い止め、援軍によって撃退する。
 しかし、火奈久城、邦見城が相次いで陥落したことで、狗根国軍は作戦を一から組み立てねばならない状態に陥っていた。
 将軍は副官の進言にうなずいたが、進言を受け入れはしなかった。
「そういうわけにはいかんな。今回のご命令は紫香楽さま、御自らなされたもの。少なくとも邦見城は奪還しなければ」
「はあ、紫香楽さまの」
「何だ、不服か」
 将軍の殺気のこもった視線が、副官を貫く。
「い、いえ、そのようなことは。紫香楽さまのご命令で働けることは光栄なことであります!」
 副官は背筋を伸ばし、最敬礼で答える。
「そうだろう、そうだろう。あの御方のためならばこそ、命を掛けて戦えると言うものだ」
 将軍は満足そうにうなずく。
 そう、将軍の唯一の欠点とは絶対的なほどに征西都督府長官、紫香楽を尊敬しているということだった。尊敬と言うよりも愛と言ったほうが正しいかもしれない。将軍は同性愛者というわけではないが、紫香楽の部下として働けることを心の底からうれしく思っていた。
 副官は、紫香楽をそれほど評価しておらず、そんな将軍の態度に戸惑うのだった。
「それにしても、火奈久城の城主も情けないですが、左道士たちもふがいないですな」
 左道士が役目を果たしていれば、敵も邦見城を攻める余裕はなく、邦見城が陥落することはなかったはずだ。
「普段から偉そうな口を利いておいて、いざとなれば時間稼ぎもできないとは、こけおどしにもほどがありますな」
 副官の口調にはいらだたしさがこもっている。
 基本的に軍人と左道士との仲は悪い。互いの権益が重なる部分が多いためだ。
 口げんかなどは日常茶飯事で、指揮官もその程度は黙認するというのが当たり前という状態だった。
 将軍はこの愚痴には応えない。一軍の最高指揮官としては、個人的な感情はどうあれ、不和を助長するような発言は避けなければならない。狗根国が勢力を拡大できたのは、強力な軍隊と左道士という二つの柱があればこそなのだから。
 将軍は苦笑いを浮かべ、話を変える。
「それはともかくだ、邦見城の防備もまだ完璧ではあるまい。この血の臭い、まだ新しい。おそらく何らかの不手際が生じているのだろう。やりようによってはあの城を再び狗根国のものとすることも不可能ではない」
「わかりました。では、このまま攻め寄せますか」
「兵士たちは疲れているだろうが、好機を逃すわけにはいかん」
「では、破壊槌や掛け梯子の用意をさせます」
 副官は手綱を引き、馬の向きを変え、後方へと走っていく。
 将軍はじっと邦見城を見つめる。
 城壁の上ではあわただしく兵士が動いている。
 さっきは単細胞のせいだなどと言ったが、将軍はここ何ヶ月かの戦の流れを冷静に判断していた。耶麻台国の残党は強い。残党という言葉が似合わないほどに。れっきとした軍と認識すべきだと、男の勘がわめいている。
 だからこそ、今のうちに痛撃を与えておかなければならない。
 狗根国の精鋭、四千、はたして防げるか。
 将軍は不敵に笑った。







 邦見城をめぐる事態が風雲急を告げているとき、九峪は軍を率い、邦見城への途上にあった。
 火奈久城を解放し、降伏した狗根国兵を武装解除するなどの作業が一段落つき、九峪は邦見城への援軍を編成した。星華、藤那の軍団を防衛と治安のために残し、九峪の第一軍団と、香蘭の第六軍団が援軍に赴くことになった。
 両軍団は、先日の戦いでは、突撃してきた狗根国軍の正面に位置し、真っ向からぶつかった。にもかかわらず、死傷者は少なかった。防御に徹したのが功を奏したのだろう。傷を負った者や疲労のはげしい者は火奈久城に残し、兵一千で邦見城へと出発した。
「まったく、あんまり忙しいと肌が荒れるのよねえ」
 幼い少女がてくてくと歩いている。肌の荒れなどまったく気にしないでいいような年齢にしか見えない。将来的には間違いなく美人になることが期待できる愛らしい顔つきをしている。ただ、普通の少女と違うのは頭についているウサギの耳だった。時折、ぴくぴくっと動き、ただの飾りではないことが分かる。
「兎華乃がそんなこと気にする必要はないと思うけど。肌とかきれいだろ」
 馬に乗っている九峪が下を覗くように見る。
「あら、うれしい。でも、やっぱり働きすぎるとどうしてもね」
「そんなもんかな」
 魔兎族と言っても、女性としての心理は人間と変わらないらしい。
 そう、兎華乃は魔兎族――上級魔人の一種族――だった。しかも、魔界でも有力な部族である魔兎族の女王なのだった。年齢もその外見どおりではない。一度、九峪が何気なく聞いて、死の恐怖を味わったことは復興軍に属している者ならだれでも知っている。
「けどさ、魔兎族のみんなには本当に感謝しているよ。兎華乃たちがいなければ負けていた」
「そうかしら、わたしたちがいなくても、他の方法で達成していたと思うわよ。あなたならね」
「買い被りだって。いつも心配のしすぎで倒れそうになってんだから」
 九峪は肩をとんとんと叩く。
 実際、魔兎族がいなければ、昨日の戦ではもっと大きな被害がでていたはずだ。復興軍に参加している魔兎族は、兎華乃以下、十名程度しかいない。しかし、皆、魔人なのだ。その戦闘力は絶大で、部隊長でもなければ相手にもならない。彼女らが目立たない格好をして戦っていてくれていたおかげで、被害を最小限に抑えることができたのだ。
「ほんと、ありがとう」
「そう言ってくれるのはうれしいけど……あなたって変な人ね」
 兎華乃がどこかあきれたような表情を浮かべる。神の遣いとして祭り上げられているのだ。少しは傲慢になってしまうのが人間という生き物なのではないか。兎華乃は復興軍に加わって、まだ間もないが、それでも九峪が他の人間とは違うということを感じ取っていた。
「まあ、一度、対戦したときに分かっていたけどね」
「ん、何か言ったか?」
「なんでもないわ。ちょっと独り言」
「ふ〜ん、そういやあ、兎音と兎奈美はどこいったんだ」
「ちょっと、偵察に行ってもらったわ。この辺りにまとまった敵はいないだろうけど、魔人や魔獣と遭遇することはありえるから」
「そっか」
 九峪がつぶやく。
 その声に、兎華乃はつまらなそうな響きを感じた。
「何、あの子達がいないと不満なの? ま、あの子達はわたしと違って豊満な身体をしているからね。目の保養ができなくて残念なのもわかるけど」
「どういう意味だよ」
「神の遣いも健全な男だってこと。……ご希望なら、あの子達に夜伽を命じてもいいけど」
「しなくていい!」
「本当に?」
 兎華乃は顔を上に向け、まじまじと見つめる。
 その視線に、九峪はなぜだかあせってしまう。
「い、いや、男としてはそりゃお願いできるものならお願いしたい……って、なに言ってんだ、おれ」
 九峪の支離滅裂な言葉に、兎華乃は思わず笑ってしまう。なんておもしろい人間なのだろう。
 一方の、九峪は憮然とした表情を浮かべている。
「兎華乃って、けっこう意地悪だよな」
「ごめんなさい、でも、魔兎族は耶麻台国に味方すると決めた以上、そのくらいの覚悟は決めてるわよ」
 嘘である。もし夜伽など命じたら、狗根国を見限ったように、簡単に復興軍を去ることになるだろう。
「もうそんなこと言うなって。権力で従わせるっていうのは嫌なんだ。権力ってのはそんなことのためにあるんじゃないだろ」
「ふ〜ん、なるほどね。わかった、もう言わないわ」
「そうしてくれると助かる」
 九峪の心底、安心したような表情を、兎華乃は見つめる。そのまなざしは好意的なものだった。
「でも、その割には星華さんの胸とか、伊万里さんの胸元とか、志野さんの腰周りとか、香蘭さんの生足とか、兎音や兎奈美の背中とか、いつもじっと見ているわよね」
「そ、それは、男の業だ、男なら避けては通ることができない試練なんだ」
「開き直ったわね」
 九峪と兎華乃は見つめあい、いっしょに声を上げて笑い始めた。
 耶麻台国に賭けたのは間違いじゃない、兎華乃は確信した。
「なに大声で笑っているんだ」
 九峪が声の方を振り向くと、清瑞が立っていた。
「おお、清瑞、偵察ご苦労さん」
「ふん、任務だからな。それはともかく、神の遣いとしての威厳を大事にしろと、何度言ったら分かるんだ。周りを見てみろ、みんなあきれているぞ」
 九峪と兎華乃は周りを見回す。
 兵士たちは必死に笑いをこらえていた。
「あら、恥ずかしい」
 まったく恥ずかしがっているそぶりも見せず、兎華乃がそんなことを言う。
「もう少し考えていただきたい」
「はい、はい」
 清瑞の兎華乃に対する態度は厳しい。
 清瑞はまだ兎華乃のことを警戒していた。魔兎族が復興軍の貴重な戦力であり、実際に助けとなっていることは理解している。しかし、相手は魔人だ。人間の価値観で判断してはならない。乱波ならではの警戒が態度に表れるのであった。
 もっとも、兎華乃のほうは清瑞のことを気にもとめていない。敵ではないことを無理に納得させようとすれば、かえって疑念を深めることにもなりかねない。いすれ時間が解決してくれると思っていた。
 九峪の信頼さえ損なわなければ、この乱波はうかつな行動をとらないということをしっかりと理解していた。
「で、清瑞、何か異常はなかったか?」
「ああ、とりあえず、今日の宿営地までの道中には狗根国兵はいなかった。その先は部下に探らせている」
「そうか……邦見城に送った伝令はいつ着くんだ?」
「今夕には到着するだろう」
「援軍が明日にでも到着するとなれば、伊万里や志野も安心するだろうし、住民を落ち着かせるのにも役立つに違いないからな。ちゃんとたどり着いて欲しいものだが」
「念のため、二人に別々の道を行くように命じておいた。大丈夫だ」
「わかった。香蘭にも報告しておいてくれ」
「ああ、……あまり、みっともないまねをするなよ」
 清瑞はそう言って、香蘭がいる方へと走っていった。
「みっともないまねって、あいつは俺の保護者かよ」
「う〜ん、保護者っていうよりも……」
「何だ?」
「教えてあげない」
 兎華乃が悪戯な表情を浮かべる。清瑞自身が気づいていないほのかな思いを告げるほど、兎華乃は悪趣味ではなかった。
「ちぇっ、やっぱり兎華乃は意地悪だよな」
「ほらほら、そんなこと言ってないでしっかりしなさい」
「……兎華乃も保護者みたいな言い方するよな」
「え……!」
 ぱっと九峪の方に振り向く。九峪と目が合う。顔に血が上ってくるのを感じ、慌てて顔をそらす。
「どうした?」
「なんでもない」
 ――まさか、わたしが人間に?出会ってからの日数を簡単に数えられるくらいの期間しかいっしょに行動していないのに。ただの勘違いよね。
 ゆっくりと深呼吸をし、もう一度、九峪を見る。今度は赤くならなかった。そんな自分に失望を感じ、戸惑う。
 九峪は黙り込んでしまった兎華乃を不思議そうに見つめる。
 さまざまな思いが錯綜する中、邦見城への援軍は進軍を続けていた。







「弓隊、放てー!」
 城壁の上で、兵士たちが弓を限界まで引き絞り、矢を放つ。
 数百の矢が雨のように狗根国兵の上に降り注ぐ。
 狗根国兵は盾を掲げ、矢を防ぐ。ほとんどの矢が盾に突き刺さるかはじかれ、狗根国兵は隊列を崩さず、突き進む。
 四半刻ほど前、狗根国軍は邦見城を取り囲んだ。無論、四千の兵で城を完全包囲できるわけはない。東門に三千、北門と南門に五百ずつ張り付かせていた。
 狗根国軍の将軍が東門の前まで馬を操り、悠然と進み出て、大声で口上を述べ始めた。
「耶麻台国の残党よ。ここ数ヶ月の戦いぶりはお見事だった。狗根国の同胞を血の海に沈め、勝利を高らかに歌い上げてきた。まさに破竹の勢いと言うべきであろう。しかし、諸君らの勝利という栄華も今日で終わりだ。われらは紫香楽さま直属の最精鋭部隊、戦いとなればこの城壁もただの布の幕ほどにも役に立たないだろう。諸君らに残された選択肢は二つしかない。素直に我らの軍門に降るか、それとも、栄誉と後悔に満ちた死のいずれかだ。さあ、答えを出すがいい」
 狗根国兵たちが歓声を上げ、大地を踏み鳴らす。
 歓声と地響きが同時に、城内を揺らす。
「さあ、選択はいかに!」
 将軍の恫喝に、城壁の上に並んだ復興軍の兵士たちはたじろいだ。
 兵士たちを押し分け、伊万里が前に出る。
「言葉による答えは、この場では似つかわしくないでしょう」
 さっと弓に矢を番え、射ち放つ。
 矢が風を切り、将軍めがけてまっすぐに飛ぶ。
 将軍は矢が放たれても、まるで顔つきを変えない。不敵な笑みを浮かべた男の顔のすぐ横を、矢が通り抜けていった。
「見事な腕だ。返答はいただいた。では、勇壮なる戦いを!」
 将軍の堂々たる態度は、復興軍の兵士たちにこれからの戦いの激しさを予感させた。
 その予感はすぐに現実のものとなった。
「鎧に覆われていないところをねらって」
 虎桃自身も矢を放ち、見事に狗根国兵を倒す。
 しかし、虎桃ほどの腕の持ち主はなかなかいるものではない。虎桃の命令に従い、狙いをつけるが、鎧にはじかれる。
 狗根国兵は城壁にまで攻め寄る。縄梯子を城壁の出っ張りめがけて放り投げる。次々と城壁に縄がかけられ、狗根国兵が登っていく。
「梯子を切り落として」
 狗根国兵の動きを察した虎桃は必死に指示を出す。
 復興軍の兵士たちは縄を切り落とそうとするが、狗根国の弓兵が次々と狙い打つ。
 切り込み部隊が城壁の上に到達し、復興軍の兵士たちと切り結ぶ。
 狗根国兵は強い。伊万里は、その事実を実感していた。これまで戦ってきた狗根国兵とは質が違う。
「城壁から突き落としなさい」
 伊万里は刀を振るい、狗根国兵を切り倒す。縄梯子を上ってきた兵士をけりつけ、縄梯子を切り落とす。
 縄梯子を上っていた兵士たちは支えを失い、地面に叩きつけられる。
 次の瞬間、伊万里めがけて何本もの矢が放たれていた。
 後ろから襲い掛かってきた兵を後ろ手に短刀で貫き、すばやく身を入れ替える。その兵士の身体に次々と矢が突き刺さる。
 盾となってくれた死体を地面に突き落とす。
「虎桃! あなたは敵の小隊長らしい者を優先的にねらって!」
「わかっていますって。それより、もっとここに兵を集められないんですか?」
 話をしながらも虎桃は矢を放ち続ける。
「北門と南門の敵部隊が不穏なのよ」
「そんなの陽動に決まっているじゃないですか」
 おそらくそうだろうと、伊万里も考えていた。
「でも、両方とも破壊槌を用意しているのよ」
 破壊槌とは丸太の先端を尖らした攻城用の兵器である。複数の人間で持ち、勢いをつけて打ち付ける。城壁を打ち崩せるほどの威力はないが、比較的、防御力の劣る城門を打ち破るのには十分な威力である。この兵器が存在するということは城門を打ち破れることを意味している。そのため、北門に音羽、南門に重然、西門に上乃を配置して防備を固めているのだった。
 東門の攻撃が激しいからといって他の城門の兵士を引き抜いたら、いざというときに対応ができない。敵はそれを見越して兵の配置を行っているのだろう。北と南の部隊がこちらの反応を試すかのように不規則に行動を起こすことからも敵の意図は十分に理解できる。油断すれば、西門に回り込み、合流して攻撃を仕掛けてくることも考えられる。結果として、こちらは兵力を分散してしまっている。
 千四百の兵のうち、東門には八百、他の城門にはそれぞれ二百ずつ兵が配置されていた。
 城壁にこもって戦う場合、防御側は攻撃側の兵の三分の一で互角に戦えるという。
 しかし、東門については局地的に三分の一を下回っていた。
「あれが陽動だとしても、こちらが兵を動かせばすぐさま実戦力となる。しかたないわ」
 伊万里は苦しそうな顔をしながらも、武器を弓に変え、次々と矢を放つ。
 城壁の左のほうでは、織部が棍をふるって狗根国兵をなぎ倒している。
 狗根国兵は叩き伏せられながらも、全体的には優勢だった。というよりも、復興軍の兵士たちの士気が低かった。
「……志野様は何をやっているんです。いまは戦わなくちゃならないときでしょうに」
 伊万里は何も答えず、城内に飛び込もうとしていた狗根国兵に対し、短刀を投げつける。短刀は狗根国兵の首に突き刺さり、兵士は死体となって城内への侵入を果たした。
 志野は攻防戦に参加していない。伊万里によって出撃を禁じられたのだった。
 あの事件が起きた後、志野に会った伊万里は言葉をかけることができなかった。
 空虚な気配を漂わせ、ぼうっとしたまま寝台に横たわっている珠洲を見続けている。
 珠洲は忌瀬の懸命の治療で一命をとどめていた。しかし、意識は戻っていない。
 住民から拒絶されたことと、珠洲の容態が予断を許さないことに、志野は自分を責め続けていた。
 変わり果てた志野の姿に、伊万里は唇をかみしめた。
 こんなにも、もろい人だったのだろうか。この人をいま戦場に出すことは死と同義だ。
 本来、城の中央で全体の指揮を取る予定だった伊万里が、東門の指揮をすることを決意した。
 しかし、あの事件は住民と復興軍の間にも溝を作っていた。
 内応しておきながらという気もするが、住民の中には邦見城を守っていた狗根国兵に対し罪悪感を持つ者が多くいたのだ。狗根国に支配されるのは嫌だ。だから復興軍に協力する。そう割り切っていたのだが、邦見城の狗根国兵は住民に乱暴を働くこともなく、城を守ってくれていた。後ろめたい思いがあったのだろう。実際、激しい戦いであったにもかかわらず、狗根国兵の死者は少なく、捕虜になる者が多かった。
 その罪悪感が、志野になぶり殺しにされる狗根国兵を見て膨れ上がったのだ。
 はたして復興軍に協力したのは正しかったのか――復興軍に疑念の目を向け始めていた。あの後も住民は協力を続けたが、午前中と比べ、あきらかに精彩を欠いていた。
 激しい攻防が始まり半刻ほど経ったとき、狗根国軍の動きに変化があった。
「伊万里様、城門を!」
 兵士の叫びに、伊万里は城門を見た。
 城門の前では狗根国兵が破壊槌を抱えていた。
 ――敵の攻勢がさらに強まる。ここを防げなければ、勝利はない。
 伊万里は城内を覗き込む。頼もしげな切り札が鎮座していた。
「投石器、放てー!」
 伊万里が城内で命令を待っていた部隊に合図を送る。その先には、木で作られた投石器が二十台近く、発射寸前の態勢で待機していた。
 投石器の縄が次々と切られ、うなりを上げる。人間の頭ほどの大きさの石が一台から十個近く飛んでいく。
「一気に押し返せ!」
 狗根国兵が投石にひるんだ瞬間に、伊万里が反撃を命じる。
 弓兵が破壊槌を構えている狗根国兵に集中攻撃をかける。針ねずみになるほど矢が降り注ぎ、さすがの狗根国兵も倒れた。
 城壁に上っていた切り込み部隊も全員、叩き落される。
 形勢が変わったことを悟ったのだろう。波が引くように、退却を始めた。
「弓隊、追撃をかけなさい」
 少しでも敵の兵力を減らそうと、退却していく狗根国兵に矢をお見舞いする。
 城門を開け、打って出るほどの余裕はない。
「なんとか守りきれましたね」
「そうだな」
 伊万里は虎桃に話しかけたつもりだったが、答えたのは別の人物だった。
「織部――怪我はありませんか?」
「おれは大丈夫だ。だけどな……」
 織部がゆっくりと周囲を見回す。
 兵士たちは疲れきって、座り込んでいる。傷を負っていない者のほうが少ない。復興軍の兵士の死体がそこら中に転がっている。
「敵も長距離の移動をした後の戦です。いったん退いた以上、今日また攻め寄せてくる可能性はないでしょう」
「夜襲はありえるんじゃない?」
 さすがに疲れたのか、虎桃は肩をまわしたり、手を揉んだりしている。
「そんな元気はないと思いたいですが……、今日の狗根国兵は強かったですね。投石器がなければ守りきれたかどうか」
「ほんと羽江のおかげだよ」
 反撃のきっかけとなった投石器は羽江の発明だった。といっても、それまでにあった投石器に比べ威力が高いわけではない。発射速度も積載量も従来の物と大差ない。羽江製の投石器の利点は構造の単純さにあった。
 つまり、そこいらにある材料で簡単に作れてしまうのだ。ただし、一度発射してしまうと次弾の発射に時間がかかるのが欠点と言えた。九峪はその設計方法を限られた人間に教え、運用を許可した。敵に利用されるわけにはいかないからだ。
「あの羽江がまともなもん作るってのが信じられねえけどな」
「ひど〜い、羽江が聞いたら泣いちゃうわよ」
「げっ、それは勘弁してくれ……にしても、兵士一人一人がこれまで戦ってきた連中より強かった」
「話をそらしたわね。まあいいわ、見逃してあげる。……狗根国兵か、防具もいい物を使っているみたいね。少しでも当たる角度が悪かったら、簡単に弾かれていたし……わたしくらいになると関係ないんだけどね」
「ふん、だいぶ元の調子に戻ったみたいじゃねえか」
 珠洲が刺されたとき、自分のせいだと嘆いていた姿はまったくない。
「いつまでも悔やんでいてもしょうがないでしょ。それに、珠洲はまだ生きているんだから」
「そうね、虎桃の言うとおり。いまは嘆いているときではないわ。負傷者には急いで治療を受けさせて、それから他の城門の兵士を五十人ずつ引き抜いて、東門の警備につけます。ここの兵士たちを休ませないと」
「わかった、他の城門への連絡は任せといてくれ」
「わたしは見張りに着いておくわよ、……伊万里様は志野様のところへ行くの?」
 虎桃の問いに、伊万里はすぐには答えられなかった。
「……わたしが行っても何もできないでしょう。今はただ珠洲が早く目を覚ましてくれることを祈るだけです」
 伊万里は珠洲が眠っている建物の方を見つめた。
 この短い戦いの中で、死者は復興軍二百、狗根国軍三百であった。数の上ではともかく、損耗率から言えば狗根国軍の圧勝であった。







 狗根国軍の陣地ではかがり火が焚かれ、兵士たちのにぎやかな声があちこちで聞こえる。
 敵がすぐ目の前にいるということで、飲酒は許可されていなかったが、戦の後の高揚感で陣地全体が盛り上がっていた。退却したとはいえ、味方が優勢なのは火を見るより明らかだった。兵士たちが騒ぐのも仕方ない。
 陣地の中でこんもりと盛りあがっていて、小さな丘のようになっている場所がある。その小さな丘に一際立派な天幕が立っている。周りの喧騒とは対照的に静かな気配が漂っていた。
 天幕の中では、男が一人で杯に口をつけていた。
「将軍、まさか酒ではありませんよね?」
 副官が入り口の布を手で押し分け、入ってくる。
「馬鹿を言うな。兵士たちには禁酒を命じているのだ。指揮官が飲むわけにはいかん。ただの薬湯だ」
「いや残念、酒だったらお相伴にあずかろうと思ったのですが」
 軽口を叩きつつ、将軍の前に腰を下ろす。
「薬湯でよいなら、ついでやる」
「光栄にございます」
 将軍が杯を渡し、薬湯を注ぐ。
 副官は一口、含み、顔をしかめる。
「苦いですな」
「薬だからな。……それで、何か吐いたか」
「ええ、少々強引な手を使いましたが」
 残党軍の勢いが強まり、狗根国軍が退却を始めたころ、南門を守っていた部隊が怪しい男を捕らえたのだった。男は農民が良く着ているような服に身を包んでいた。最初は、ただの農民かと思い、見過ごそうとしたが、考えてみれば、このようなところに農民がいること自体がおかしい。逃げ出そうとしたところを取り押さえると、明らかに農民の体つきではない。残党軍の間者だろうと尋問が行われたのだった。
「その間者を見つけたのが、あの鷹だというのだからな。世の中、わからないものだな」
 将軍は北と南の陽動部隊に緊急連絡用として鷹を預けていた。昨日、火奈久城と邦見城の陥落を知らせてきた二匹の鷹である。
「密偵として自信を持っていたのだろうが、鷹の目はごまかせなかったということか、……で、何をしていたのだ?」
「火奈久城を占拠した耶麻台国残党からの伝令だったようです」
「伝令? ふむ、ありえることだな」
「正確に言うと、火奈久城を占拠した後、邦見城へ援軍に向かって来ている部隊からの伝令です。援軍の数は1千」
「援軍か、動きが早い。あちらも城を一つ落とした後で、相当疲れているはずなのにな。現在の位置はどこだ?」
 将軍は後ろにたたんで置いてあった地図を広げた。
「ここです」
 副官は火奈久城と邦見城をつなぐ街道の中間あたりを指す。
「微妙な距離だな。余裕があれば、奇襲でもかけたいところだが」
「今日は無理です。今から進軍しても、戦闘に入るころには疲れ果てているでしょう」
「そうだな、残念ではあるが、奇襲はあきらめよう」
「ええ、それがよろしいです。しかし、そうなると明日には敵の援軍が到着します。城内の士気も上がるに違いありません」
「街道の途中で足止めをせねばならぬな。この丘の辺りがよいか」
 将軍が地図の一点に指を置く。
「兵を分散してしまっては城攻めが難しくなります」
「分かっている。さて、どうしたものかな」
 将軍は立ち上がり、天幕を出る。
 兵士たちの騒ぎも下火になってきていた。
 邦見城の方に目をやる。
「あの投石器もやっかいだな」
「邦見城にあれだけの石を飛ばせるほどの投石器はなかったはずですが」
「では、作ったということだ」
「……もはや残党という言葉は似合いませんね」
「そのとおりだ。組織を持ち、技術を誇っている」
「良く見ておられるのですね」
 なのになぜ紫香楽の評価が高いのだろうと、副官は胸のうちでつぶやく。
「……それで、投石にはどう対処するおつもりですか」
「なに、弱点はある。あの時点まで投石器を使わなかったということは、おそらく連射がきかないということだ。いったん、しのいでしまえばしばらくは脅威からはずれる」
「なるほど、では、問題は敵の援軍への対処ですね」
 副官は邦見城の城壁の前に広がる平野を眺めている。何百もの明かりが見える。その明かりは兵士の持ったたいまつだった。
 二百人単位で各城門を見張り、ときおり城壁に近寄るなどの動きを見せている。
 敵を消耗させようとする、将軍の作戦だった。
「閣下」
 兵士が一人駆け寄ってきた。将軍の前に膝をつき、両手を胸の前で合わせる。
「左道士たちがやってまいりました」
「何だと!」
 大声を上げ、副官が兵士に詰め寄る。
「つい先ほど、到着し、閣下との面会を要望しております」
「面会だと? もとはといえば、やつらがしっかりと敵を引きつけていなかったから、われわれが苦労しているのではないか。どの面下げて会おうというのだ!」
 いきりたつ副官の肩に、将軍が手を置く。
「落ち着かんか。この者に当たっても仕方あるまい」
「はっ、申し訳ありません」
 副官は恐縮したように、将軍に謝罪する。
「ですが、やつらのせいなのは間違いないでしょう」
「そうとも言えるが、いま責めたところで事態が好転するわけではない。それに、ちょうど良いところに来てくれた」
「……まさか、あやつらを足止めに使うおつもりですか?」
「おれもやつらは好きではないが、力の凄さは認めている。ならば役に立ってもらおうではないか。これ以上の失敗は、蛇渇が許さんだろうし、やつらも必死に戦うしかあるまい」
 蛇渇の名を口にするとき、将軍の口元が歪んだ。しかし、それは一瞬のことで、すぐに平然とした表情に戻る。
「とにかく、やつらを連れて来い。……丁重にな」
 将軍の命令を受け、兵士が走っていく。
「明日は決戦だな」
 将軍は天で冷たい光を放っている月を見上げ、天幕の中に戻っていった。






 邦見城内は狗根国軍とは違い、暗い空気の中に沈んでいた。
 物音がしないわけではない。
 城外に布陣している狗根国軍が不穏な動きを見せるたびに、兵士たちは動きまわっている。兵士たちは緊張に取り付かれ、まるで覇気がない。住民は家の中にこもり、息を殺している。まだ戦は始まったばかりだというのに、敗北感が街中を支配している。
 邦見城の宮殿の中の一角では、昼間の攻防戦で傷ついた負傷者たちが忌瀬たちの治療を受けていた。あたり一面で、うめき声が聞こえている。
 臨時の病院となっているその場所からそれほど離れていない一室で、少女が布団に寝かされていた。
 月明かりだけが部屋を照らしている。
 少女の顔色は薄暗いためはっきりとはしないが、生気を感じない。
 布団のそばに、女が座っており、じっと少女を見つめている。少女以上に生気を感じられない。
「珠洲」
 女――志野がか細い声で話しかける。
 珠洲の反応はない。
 いつもいっしょだった。
 戦乱の中、養親とはぐれ、拾われた劇団で出会った妹のような存在。
 厳しく、そして優しかった劇団長に共に育てられ、芸を磨いた。
 喧嘩もしたし、ともに笑った。もっとも珠洲の笑顔は、志野でなければわからないような、かすかな表情の変化だったが。
 劇団長が狗根国の軍人に殺された。
 求心力を失った劇団は解散し、劇団員は次々と去っていった。
 志野は悲しみに身を引き裂かれ、復讐を誓った。
 珠洲がついてきてくれた。
 耶麻台王家の血を引いていることを知り、戦争に身を投じる決意をしたときもそうだ。
 かけがえのない存在。
 それが失われそうになったとき、何もかもが無価値に思えた。ただ、心の中にある憎しみを吐き出したいと思った。
 そして、無力な人をなぶり殺しにした。
 街の住民たちの嫌悪に満ちた目を思い出す。
「ねえ、珠洲、わたしどうしたらいいのかな?」
 返ってくることのない答えを、志野は待ち続ける。






 太陽が昇り、草木が光を受け止めようときらきら輝く。
 九峪たちは宿営地を出発し、邦見城へと進軍を開始していた。
 このまま順調に進めば、あと一刻ほどで、邦見城に到着できるというところで、兎華乃が九峪の近くに寄ってきた。
「どうした、兎華乃? めずらしく真剣な顔だけど」
「あの山」
 兎華乃は、軍の進行方向にある、木の生い茂った山を指差す。とくに異常があるようには思えない。
「山がどうかしたのか?」
「感じない? あそこに魔獣がいるわ」
「何だって!」
 九峪は兎華乃を見るが、冗談を言っているようには見えない。それに、兎華乃がこんな嘘をつくはずがない。
「数は?」
「現時点では三百ってところかしら。でも、まだ召喚する魔力が放出され続けているから、もう二百は計算に入れるべきね」
 兎華乃はウサギ耳をぴくぴくさせながら、小声で答える。
「左道士か! 邦見城まであと少しなのに、魔獣五百か、……清瑞!」
 九峪のとなりを、馬を並べて進んでいた清瑞に声をかける。
「今の話、聞いていたな。進軍の速度は落とさない。香蘭と紅玉さんに伝令を頼む。魔獣との戦闘に入ると」
「分かった。連れてこなくてもいいのか」
「魔獣がいつ攻め寄せてくるか分からないからな。指揮官をはずすわけにはいかない」
 清瑞は香蘭たちの方へと馬の方向を変え、腹をけった。
「兎華乃、ほかに何か分かるか?」
「そうね、魔人はいないようよ。あと、あれだけの数の魔獣を召喚しているということは、左道士の数は三十を降ることはないわね」
「左道士自身も脅威だからな」
 九峪は魔獣が潜む山をにらみつける。
「でも、どうして私たちが援軍に向かっていることが分かったのかしら」
 兎華乃が九峪に問いかける。
「おそらく、邦見城に送った伝令が捕らえられたんだろう。一人は昨日、あまりに警戒が強かったってことで、帰ってきたけど、もう一人は帰ってきていないからな」
「その伝令が援軍のことを洩らしたということ?」
「ああ、うかつだったかもな」
 邦見城に行くためにはこの道を通るしかない。迂回すると三日余計にかかることになる。
「帰ってきた伝令の話だと、邦見城はかなり追い詰められているようだ。迂回する余裕はない」
「じゃあ、魔獣とまっこうからぶつかるつもりなの? さすがに五百頭となると私たちでもつらいわよ」
「だけど、やつらを打ち破らなければ、邦見城を救援できない。やるしかないだろ」
 九峪の顔が険しさを増し、焦っているのがありありと分かる。
 邦見城が陥落すれば、共に戦ってきた大事な仲間を失うことになる。耶麻台国を復興し、みんなが笑って暮らせるような国を作るために、武器を手に取った兵士たちの顔を思い出すと、九峪は胸が締め付けられるような気がした。
 兎華乃がふうっとため息をつき、九峪の顔を見つめる。
「ちょっと失礼するわね」
 助走もなしに跳ね上がり、九峪の前に座る。小柄な体格のために、九峪の胸にすっぽりはまるような感じになる。
「お、おい、なんだ」
「ちょっと疲れちゃったから、乗せてほしいんだけど、文句あるの?」
 兎華乃が振り返り、九峪と目を合わせる。
 復興軍に女の幹部が多いといっても、これほど至近距離で顔を付き合わせることはない。兎華乃が振り返ったときに、身体がこすれあったこともあり、九峪は赤面してしまう。
「……文句って言ったって、もう乗っているじゃないか」
 九峪は顔が赤くなっていることをごまかそうと、ぶっきらぼうな言い方をした。
 兎華乃は悪戯な笑顔を浮かべ、九峪の胸に背中を預けるようにする。
 ウサギ耳が九峪の頬にあたる。
 くすぐったさに耐えながら、九峪は軽く手綱を引き、進行方向を直す。
「ねえ、九峪は楽天的にしてなければだめよ」
「えっ」
 九峪からは兎華乃の顔は見えない。
「心の中で、どんなに不安でも、怖くても、絶対にうまくいくって顔をするの。それが、多くの人の命を預かる者としての宿命なの」
 兎華乃の声は静かで、動揺していた九峪の心を落ち着かせてくれる。
「兎華乃もそうなのか?」
 この外見だけからは何の力も感じない少女が魔兎族の女王なのだ。キョウから聞いた話では、魔界とは力が全ての社会であり、弱みを見せたら最後、すぐに攻め込まれ、滅亡を迎えるという。どれだけの困難と立ち向かってきたのか、九峪は兎華乃の小さな頭を見つめる。
「まあね。でも、わたしはそれほど苦労していないわ。魔兎族は自由が信条なの。女王といっても、たいしたことはしてこなかったしね」
「そうなのか? たしかに俺たちに協力してくれるって決めたときは、あっけにとられるくらい簡単だったけど」
「あれは女王とか関係ないわよ。魔兎族にはもう一つ信条があってね。受けた恩は必ず返すことにしているの。あなたは兎音と兎奈美を助けてくれた。あの子達はまだまだ未熟だけど、私にとってはかわいい娘のようなものだから。その恩義を返すのは当然でしょ」
「あの二人を助けたのは、ただあいつらがおもしろかったからなんだけどな」
 九峪は兎音と兎奈美を思い出す。
 二人ともまさに人間離れしたプロポーションをしている。目の前の少女があの二人を娘のようと言うのはどうしても違和感をぬぐえない。
「そうなんだよなあ、兎華乃はさんびゃ……」
 九峪は最後まで言い終わらないうちに、首筋に冷たいものを感じた。
 恐る恐る首を曲げて確かめてみると、鎌の鋭利な刃が見えた。その鎌を握っている小さな手は、兎華乃のものだった。
「あの、兎華乃さん?」
「な〜に?」
 兎華乃の声は怖くなるほどに優しい。
「口は災いの門ってとこかな?」
「あら、良い言葉を知っているわね。でも、知っていても、実践できなければ意味がないわよ」
「はい、気をつけます。ごめんなさい」
 九峪の謝罪を受け入れたのか、兎華乃は鎌を収める。
「ふう、大分余裕が出てきたみたいね」
「ああ、兎華乃のおかげだ。ありがと」
「別にいいわよ」
 兎華乃の声はうれしげだった。
「何をやっているんだ」
「清瑞か、早かったな」
 九峪が振り返ると、清瑞が馬に乗って近づいて来ていた。その顔は憮然としている。
「威厳を保てと言っているだろう。おまえには記憶力というものはないのか。それに、兎華乃殿も九峪をからかわないでいただきたい」
 清瑞は馬を九峪の横に並べ、兎華乃をにらみつける。
「そんな言い方はするなよ。兎華乃は俺を元気付けてくれていただけなんだからな」
「行軍中に女と二人乗りなど、兵士たちがどう思うかわからないのか」
「……案外、俺らしいって思うんじゃないか」
 九峪は火奈久城で流れていた自分に関する噂を思い出す。
「それもそうか」
「間違いないわね」
 清瑞と兎華乃は間髪いれず同意する。
「否定してくれよな、……それはともかく、香蘭には伝えてくれたか?」
「ああ、紅玉様にもいっしょに聞いてもらったから、伝えそこないもないはずだ」
「そうか、で、香蘭はなんて言ってた?」
 九峪の問いに、清瑞はなかなか答えない。
「どうしたんだ? いまは時間がないんだぞ」
「わかっている」
 言いづらそうにしていた清瑞が、顔を赤くさせる。
「いいか、言うぞ」
 決闘に挑むかのように緊張した面持ちで、とうとう口を開く。
「魔獣は香蘭がひきつけるから、九峪様は急いで邦見城に行くがいいね。援軍が邦見城につくということが大事よ。香蘭がいれば、百人力。任せるがよろし」
 話しおえると同時に、自分の胸をばしんと叩く。
 あたりに痛々しいほどの沈黙が訪れた。
 普段の清瑞からは想像もつかないほどの、明るい声とテンポの良い調子の話し方だった。
「どうだ、ちゃんと伝えたぞ」
 清瑞は顔を赤くしたまま、顔を背ける。
 九峪と兎華乃は突然の清瑞の変化に唖然としたままだった。
「えっと、清瑞、いまのは香蘭の真似か?」
 九峪は何とか正気に戻り、清瑞に問いかける。
「そうだ」
「なんでまた、そんなことを」
「香蘭様にこうやって伝えろとお願いされたのだ」
 清瑞が香蘭に魔獣のことを伝えたとき、香蘭はすぐさま魔獣の相手は自分がつとめると決めていた。そして、清瑞に自分は九峪のところにいけないから、物真似をして伝えてくれと満面の笑みで頼んだのだった。
 清瑞は当然、断ったが、香蘭の顔がみるみる曇っていくのを見て、罪悪感にかられ了承してしまったのだ。
「はあ、なるほど」
 九峪は香蘭に尊敬の念を覚えた。この清瑞に物真似をさせるとは。自分にはできない。もしかしたら、香蘭こそが女王にふさわしいのかもしれないと思う。
「それで、香蘭様の伝言は確かに伝えたぞ」
「いや、すまない。あまりにも驚きすぎて、内容が分からなかった。もう一度、頼む」
「な、なんだと」
 清瑞が顔をゆがめ、めずらしく動揺をあらわにしている。
 九峪はこらえきれずに声を上げて笑い出す。気づくと兎華乃も笑っていた。
「お、おまえら、人を馬鹿にするな」
「悪い悪い、あまりにも面白かったものだから」
 清瑞に向かって冗談だというように手を振る。
 普通に報告して、香蘭には物真似をしたと言ってごまかすこともできたはずだ。清瑞の律儀さが好ましい。
 どこかすっきりしたような顔で空を見上げた。
「わかった、香蘭の意見を採用する。香蘭には七百を預け、魔獣を防いでもらう。俺が三百を率いて邦見城に向かう。香蘭に預ける部隊を選んでくれ」
「私も魔獣への押さえに回るわ」
「いいのか、兎華乃? 魔獣五百頭だぞ、自分たちでもきついって言っていたろ」
「私たちがいなければ、香蘭さんや紅玉さんがどれだけ強くても防ぎきれるとは思えない。まかせなさい」
「ありがとう、頼む、……清瑞、もう一度、伝令を頼む」
「了解した。部隊編成もやっておく」
 清瑞は再び香蘭たちの方へと馬を向ける。
「あっ、そうだ。どうせなら、俺の物真似で伝えてくれないか?」
 九峪の冗談に、清瑞が振り返る。
「香蘭様の足と、紅玉様の胸を見て話せばいいんだな」
 清瑞の切り返しに、九峪は言い返すことができなかった。
 九峪の余裕ありげな態度が崩れるのを見て、清瑞は満足そうに、口元に笑みを浮かべ颯爽と馬を走らせた。
「あいつ、俺にだけは口でも強いんだよな」
「九峪が言いやすい雰囲気を作っているからよ」
 心配することはなかったなと、兎華乃は思う。この男は本当に良い仲間に囲まれている。苦しいときに支えてくれる存在がいるということは何よりの強みだろう。
「よし、作戦は決まった。あとは死力を尽くすだけだ」
 九峪は進行方向にある山をにらみつけ、そして、仲間たちがいる邦見城に思いをはせた。
 いま行くからな、そうつぶやいた。



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 とても真面目な清瑞がかわいい!と思った方はアンケートで挙手してください(何
 狗根国側の将軍、平八郎に似た武人タイプなんですね。しかも頭が切れる。紫香楽を崇拝してるってワンポイントで、強い個性を持たせてるのはさすがですね。
 兎華乃も、兎華乃だからできる励まし方で九峪を盛り立ててますし、九峪となかなかいい感じみたいで♪続編がキニナルなあ

一方で緊迫感漂う邦見城。未だ志野は立ち直れず、兵士と住民の溝は深く、兵力にも問題がある。渡り合う伊万里達篭城軍の攻防、そして援軍の魔獣迎撃側が次話のメインとなるようです。カッコいい伊万里好きなファンは必見かも^^

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