※このSSには若干残虐なシーンがあります。
 火魅子伝や神洲天魔鏡の戦闘シーンが読める方なら問題ない範囲ですが、一応追記しておきます。




 あわただしい足音があたり一帯でしている。
 怒鳴りつけているような会話が聞こえてくる。
 周りは漆黒の闇に包まれており、歩き回る兵士の持ったかがり火が、ときおり明るさをもたらす。
「ちくしょう、なんでこんなことになったんだ」
 男は震えていた。
 家と家の間、水の入った樽のそばで布をかぶっている。
 一見したところ何かが入った袋のようにしか見えない。
 ここは邦見城、狗根国の支配下にあった街である。
 九洲の中でも、比較的、安定した街であり、住民も狗根国に協力的だった。
 それが擬態であったことを、今朝、狗根国は思い知った。
 早朝、邦見城は耶麻台国軍の奇襲にあった。狗根国軍は対応に遅れたが、城壁がそれまでの時間を稼いでくれるはずだった。しかし、住民が城門の警護兵を襲い、城門を開け放ったのだった。
 耶麻台国軍は城門から街になだれ込んだ。狗根国兵は必死に抵抗したが、寝起きということもあり、身体が満足に動かない。指揮系統が乱れているところを各個撃破され、わずか一刻で五百の城兵はほとんどが討ち死にか捕虜となった。
 全ての城門が早期に住民の手に落ち、外に逃げ出すことはできない。わずかな例外は街の中に隠れている者たちだけだった。
 樽の陰で震えている、この男も狗根国兵であった。
 寝ているところを、先輩の兵士にたたき起こされ、攻撃してくる耶麻台国兵と戦った。しかし、街の中に隠れるのが精一杯だった。先輩がどうなったのかはわからない。
 耶麻台国軍は街の中に隠れている狗根国兵に投降を呼びかけ、狩り出していった。
 男が見つからなかったのは運が良かったのだろう。
 この場所に隠れ、震えている間に夜になった。
 夜になれば兵士たちの数も減り、抜け出すこともできるかもしれないと期待したが、夜になっても兵士たちは動き回っている。
 足音が近くなるたびに身をすくませていた。
「なんだってんだ」
 恐怖、情けなさ、惨めさが胸の奥から次々と湧いてくる。
 そんな暗い感情に包まれながら、眠気が襲ってくる。
 朝からの緊張で疲れは頂点に達し、男は眠気に身をゆだねた。



  邦見城防衛戦

〜第1話〜


  作・ゴーアル様







 昨日の朝まで狗根国軍の将軍の執務室であった部屋で、伊万里は上乃に次々と指示を出していた。
「南門の配置を急いで。それから、東門は敵がもっとも集中することが予想される。火矢に備えて、消火用に水や砂を用意しておくように。城門の強化は終わった?」
「水と砂だね、わかった。城門の強化は音羽さんがやっているし、あの人に任せておけば大丈夫でしょ」
「そうね」
「弓隊の配置は虎桃の指示でやってるんでしょ」
「わたしや上乃も弓は得意なほうだけど、虎桃の弓はまさに神技と呼ぶにふさわしいもの。志野さんの軍団の兵士も虎桃の指示に従ってもらっているわ」
 虎桃は第二軍団に所属しており、弓兵隊の隊長をつとめていた。弓に関しては復興軍には右に出るものがいないほどの使い手である。その虎桃が志野の軍団に指示を出すということは他軍団の部隊長に指示を出されることになる。
「虎桃に?まあ、志野さまならいちいち目くじらを立てることもないか」
「少し気にはなったけれど、志野様には話は通してあるから」
「そう……にしても、せっかく城を一つ落としたっていうのに、すぐにまた戦仕度なんてね。ちょっと急がしすぎない?」
 上乃はそう言って肩をもむ。
 伊万里率いる復興軍第二軍団は、志野の第三軍団とともに、ここ一週間の間に二度、戦闘をこなしていた。一度目は魔獣の群れとの戦闘だった。旧国府城のあたりで発生した魔獣の群れは、近隣の村々を襲っていた。九峪はこの事態を収拾するために、伊万里を主将、志野を副将とした軍を派遣した。
 魔獣は人間よりも力が強く、すばしっこい。武装した兵士であっても一対一では無駄死にするだけである。常に相手よりも多数で戦うことができなければ勝利はおぼつかない。
 伊万里たちは魔獣をくぼ地に集めることにした。
 国府城のあたりは伊万里や上乃の庭のようなものである。二人がそれぞれ五十人ずつ山人出身の兵を率い、魔獣を誘導し、周りに兵を伏せたくぼ地まで誘導する。くぼ地には燃えやすい草や木が敷き詰められていた。
 伊万里、上乃に率いられた部隊は、あらかじめ走りやすいように、草木が敷き詰められていなかった道を駆け抜ける。魔獣たちが全てくぼ地に入ったところで、志野の合図で伏兵が矢をいかけ、伊万里たちがくぼ地を脱したところで火矢に切り替えられた。
 炎が立ち上り、魔獣たちはもがき苦しむ。炎を逃れ、くぼ地を脱しようとした魔獣も待ち構えていた兵士たちに、突き殺され全滅した。
 この火計に、ある里の長が協力したという噂があったが、その真偽はたしかではない。
 とにかく、たいした損害も出さずに魔獣を殲滅した伊万里たちであったが、九峪から邦見城攻略の命令が下され、邦見城へと向かった。
 そして、昨日の朝、城内からの内応に合わせ、突撃し、城を落としたのであった。
「九峪さまたちも昨日は、火奈久城攻めよ。わたしたちだけが戦っているわけじゃないわ」
「それはわかってるって。……それにしても、援軍はどれくらいで来るんだろ。敵はけっこう近くまで来ているみたいだし、援軍が来ないとせっかく手に入れた城を失うことになるよ」
「どれだけ遅くとも三日後には来ると思うわ。九峪様には急いでもらうようにお伝えしたから。城壁の傷んでいるところとか、食料が長期の篭城に耐えられるほどないこととかが気にはなるけれど」
 伊万里は不安材料をあげながらも比較的、楽観していた。
「おはようございます」
 ひかえめでしとやかな声が伊万里と上乃の鼓膜を震わせる。
「志野さん、おはようございます」
「志野様、おはよ……珠洲もね」
 上乃は志野のそばに控えている少女に手を振る。珠洲と呼ばれた少女は妙に大人びた雰囲気を漂わせていた。雰囲気だけなら子供っぽいところのある上乃よりも大人だろう。
「おはよう」
 珠洲は伊万里と上乃にあいさつを返すが、その声は冷たい。いつものことなので二人とも気にしていないが。
「何の話をされていたのですか?」
 志野は伊万里の横に並ぶ。
「狗根国軍への対処と、援軍がいつ来るかということです。篭城については短期的にはともかく長期的なものはつらいですからね」
「ええ、そうですね。わたしたちは昨日、この城を解放したばかりですから……敵の援軍が今どこにいるのかは分からないのですか」
「狗根国の兵士に尋問したのですが、具体的にはわかりません。ただ、今日中に来る可能性は高いと思います」
「ということは、防衛戦は明日からになりますね。……考えたのですが、城の中に迎え入れて、油断しているところを奇襲するというのはどうでしょう?」
「城は狗根国軍が支配したままというふりをするということですか?じつは虎桃の指摘で検討したのですが、援軍の方にこの城が攻められたことが伝わっている可能性が高いらしいのです」
「逃げのびた兵士はいないと聞きましたが」
「鳩を飼っていた巣箱が空になっていたそうです。それに、城主の部屋に置いてあった止まり木の下に、鷹の羽が落ちていたとの報告もあります」
 戦で重要なものの一つに連絡手段の確保がある。距離が短ければ、騎馬兵による伝達。距離が遠ければ、設置された狼煙台。そして、鳥を使った伝達が一般的だった。
「なるほど、それに外に出ていた兵士が皆無とは限りませんね。うかつに策を講じるのは危険ですか」
「まだ、住民たちの気持ちも十分に掌握したとは言いがたいですし」
「そのことで、一つ提案があるのですけれど、より積極的に住民たちの協力を求めるというのはどうでしょうか?具体的には投石用の石を積み上げるとか、城壁の強化とかにです」
「より積極的に、ですか?」
 伊万里は軽くうなった。
 もとより復興軍は住民の協力を受けている。この城が落とせたのも住民の内応があってこそだ。しかし、復興軍はこれまで自発的な住民の協力は喜んで受け入れていたが、復興軍のほうから協力を求めることはほとんどなかった。
 これは、耶麻台国は民の支持を受けてこそ復興するという、九峪の方針に従ったものだった。伊万里は九峪の方針に感銘を受けており、今回も住民が自発的に協力を申し出てくるのを待つつもりだった。
「九峪様のお言葉はわかっていますが、篭城では城内の意思が統一されていることが重要です。兵士たちといっしょに働くことで連帯感が生まれると思います。それに、この街の住民はもう狗根国に敵対したのです。積極的に迎え入れてあげたほうが安心するでしょう」
「なるほど……わかりました。そうしましょう。指示は……」
「織部に頼もうと思っています」
 志野が伊万里の言葉の先を読んだかのように、言葉を重ねる。
 伊万里は軽くにらみつけるように見つめた。
「……わかりました。おねがいします」
「はい、それから昼は街に出て、住民の様子を見てこようと思います。それでは」
 そう言って、志野は部屋を出て行く。珠洲も志野にあとについていく。
 伊万里は、きれいな歩き方をする志野の背中を見つめ、志野が視界から消えるとそっとため息をついた。
「どうしたの、伊万里、ため息なんてらしくないよ」
 上乃の声は明るい。だれでも聞いたものを元気にさせるような響きだったが、伊万里はもう一度ため息をついた。
「やはり、虎桃の指示に従わせたのは気に触ったみたいね」
「住民たちへ協力を求めさせる役に織部を推したこと?」
「ええ、虎桃のことへの報復かもしれない」
「そんなことないって、志野さまはそんなに器量の小さい人じゃないよ。不慣れな城で完璧な配置をしようとしたら、弓を一番良く知っている虎桃が指示するのが当然なんだから」
「そうかしら」
「さっきのは、ちょっと対抗意識が出ただけだって」
 上乃の明るさを失わない声に、伊万里は小さく笑う。
 こういうところに自分は救われていると実感する。
「でも、女王争いも本格化して来たねえ」
「わたしはそんなふうには感じないけれど」
「だって、控えめな志野さまでもあんな感じなんだよ。押しの強い藤那さまは言うに及ばずだし」
「……少しずつ城とかを解放して、喜んでいる住民の姿を見て、みんなもっとがんばろうって思っているんじゃないかしら」
「それって、伊万里もだよね」
「ええ、もちろん、そうよ」
 伊万里は自信にあふれた笑みを浮かべる。
 その笑みを見た上乃もとびっきりの笑顔を浮かべる。
「そっかー、わたしもがんばらないと」
「上乃が働く気なんてめずらしいわね」
「わたしだって耶麻台国を復興させたいんだよ。それに、がんばってめだてばいい男が寄ってくるかもしれないでしょ」
 上乃の目は真剣だった。
 深いため息が伊万里の口から出てくる。
 本当にこういうところに助けられているのだった。







「おう、兄ちゃん警備ご苦労さんな」
「ほんと、おかげで安心して生活できるわ」
「おにいちゃーん、ありがと」
 待ち行く人たちが笑顔で声をかけてくる。
 この笑顔こそが自分の戦う理由だと思える。
 九洲の民であるなどということは関係ない。
 軍人は民が平和に生活するために存在するのだから。
「おい、若造……」
 後ろから声をかけられる。
 こんな呼び方をする人間にはけっこう心当たりがあるが、声に聞き覚えがあり、だれだかすぐわかった。
 三年前に九洲に送られ、邦見城に配属になってから、同じ部隊に所属して、何かと面倒を見てくれた先輩だ。ちょっと口うるさいのがむかつくときがあるが、お世話になっているのは間違いない。
 また何か雑用を押し付けられるのかと思いながら、振り返る。
「なんです、先輩……ヒッ!」
 悲鳴が漏れてしまう。
 先輩は血まみれだった。
 辺りを見回すと部隊の仲間たちも服を赤く染め倒れている。
「み、みんな、どうしたんだ」
 足がすくんで動けない。
 いきなり背中に熱い痛みを感じる。
 振り返るとさっき笑顔で声をかけてきた男が立っている。
 手には血に濡れた短刀が握られていた。
 男が短刀を振りかぶる。
 急いで逃げ出そうとすると、わき腹に痛みが走った。
 今度は女だった。
 女を突き飛ばし、痛みをこらえながら走る。
 何も考えずにただ駆ける。
「おにいちゃん」
 かけられた声に振り返る。
 足に激痛が走る。
 子供が短刀を握っている。
「な、なんで」
 足の痛みをこらえきれず、しりもちをつくようにして倒れる。
 男と女が近づいてくる。
 なんとか逃げ出そうとするが、身体が動いてくれない。
 三人は取り囲むと、短刀を振り上げる。
 その顔は三人とも笑顔のままだった。
 ばっと手足を動かし、布を蹴り飛ばす。
「身体が動く?」
 辺りを見回す。たるが見え、壁が見える。
 思い出した。
 自分はここに隠れているのだった。
 さっき蹴飛ばした布を急いでかぶる。
 住民に反乱を起こされ、耶麻台国の残党に敗れた。
「ち、なんて夢だ」
 身体がどうしようもなく震える。
 夢の内容が恐ろしい。
 守っているつもりだった。
 たしかに征服者と被征服者には違いない。けれど、決して理不尽な暴力を振るったことはない。
 たまに魔獣が出たときなどは討伐もしてやった。
 感謝されてもいいはずだ。
 それなのにやつらは裏切った。
 そう、裏切りだ。
 ふと明るくなっているのに気づく。
 兵士の声はしない。足音も聞こえない。
 いつまでもここにいるわけにはいかない。
 ゆっくりと立ち上がり、道を覗く。
 だれもいない。
 音を立てないように、道に出て、一番近い家の中を探る。
 中にもだれもいないようだ。
 思い切って家の中に入る。箱をあけ服を探す。いま着ている服は狗根国兵士のものだ。こんなものをいつまでも着ていては正体を自分からばらすようなものだ。
 いくつか箱をあけ、自分に合う服を見つける。
 すばやく着替える。
 これでごまかせるはずだ。すくなくとも一目で狗根国兵だとばれることはないはず。台所で包丁を見つけ、布でくるんで懐にしのばせる。ついでにいくつか食べ物も持ち出し、家を出た。
 とりあえず門のほうに行くか。
 なんとしてもこの城を抜け出さねば。
 そして、あいつらに裏切りの代償を支払わせてやる。







 東門の辺りは活況を呈していた。
 狗根国軍が攻め寄せてくるときに、東門が一番ねらわれると伊万里や志野は考えていた。東門の辺りは特に傾斜もなく、攻めやすいのだった。昨日、この城を落としたこともあり、攻め手の考えは手に取るように分かった。
 それゆえ、東門は敵の猛攻に耐えられるように強化しなければならない。
 兵士と住民がいっしょになって石を積み上げ、門に板をはりつける。
 織部が指揮をとり、兵士と住民が混じって汗をかき、助け合う。
「うまくいっているようね」
 志野は作業の様子を見守っていた。
「織部はこういうの得意だから心配は要らない」
「そうね。親分肌って言うのかしら。みんなを巻き込んでいく力があるわよね」
 街の住民たちにじかに協力を頼んだのは織部だった。
 歯切れの良い口調と、きっぷのよさそうな雰囲気に、どうしようか迷っていた住民たちは引き込まれてしまった。率先して織部が住民と兵士との間を取り持ち、あっというまに長年の友人のように打ち解けさせてしまう。連携もはかどり、作業は順調に進んでいた。
 珠洲が少し悔しそうに織部を見つめる。
 第三軍団の幹部は、軍団長である志野、副官の珠洲、部隊長の織部、重然である。
 志野を支えられるのは自分だけだという自負を持つ珠洲にとって、現状はあまり満足いくものではなかった。
 志野が軍団長である以上、その責務を珠洲一人だけで支えられないのはしかたのないことなのだが、悔しいものは悔しいのだった。珠洲には兵士を管理することはできても、織部のように兵士をまとめることはできない。
「北門も重然に任せてあるし、大丈夫ね。あの人も織部と同じでみんなを統率するのがうまいし……どうかしたの、珠洲?」
「なんでもない」
「そう?ならいいけど、それじゃあ炊き出しを手伝いに行きましょう」
 門から一番近い井戸のところで女たちが、作業をしている男たちのために食事を作っていた。
 志野と珠洲は元気よく働く女たちを見ながら井戸のほうへと向かう。
 女たちは食事を作っているだけではない。井戸から水をくみ出し、樽にため、街のところどころに置いていく。やじりを磨き、矢の羽をそろえる。かなりの重労働をしていた。
「みなさん、ご協力ありがとうございます」
「お、志野さまだ」
 女たちが仕事の手を止め、志野に注目する。志野が火魅子の素質を持つ女王候補であることは知れ渡っていた。
「食事の準備や、矢の手入れ、ご苦労様です。戦も空腹ではできません。男たちだけではこの城を守れないのです」
 志野は女たちをゆっくりと見回す。
「そうよ、そうよ、男なんてわたしたちがいなけりゃ何にもできないんだから」
 かっぷくのいい四十代前半の鉢巻をした女が、志野の言葉に続けてみんなに発破をかける。女たちは口を大きく広げて笑った。
「それで、わたしも及ばずながら、お手伝いさせていただきます」
「えっ、志野さまがですか、……よろしいんですか」
「ええ、これでも料理は得意なんですよ」
 さすがに王族に芋の皮むきをさせるわけにはいかないと恐縮する鉢巻の女に、志野は笑いかける。小刀を手に取り、積まれている芋をむき始める。珠洲も志野に続き、黙々と皮をむき始める。
「さあ、おいしい料理を作って、男たちにさらにがんばってもらいましょう」
 戸惑っていた女たちも、志野の見事な手際に感嘆しながら、仕事に戻っていった。
「珠洲、あっちで子供たちの相手をしていてもいいのよ」
 志野の指したほうでは、子供たちが集まって遊んでいた。
「子供は嫌い」
 自分もそれほど年が離れているわけでもないのに、そんな言い方をする珠洲を、志野は困ったように見つめる。
 若い女たちは志野の方に集まってきた。そのうちの一人が志野におずおずと話しかけてきた。手には志野と同じようにむきかけの芋と小刀がある。
「あの、志野様、お聞きしたいことがあるのですが、よろしいですか」
「かまいませんよ。なんですか」
 志野の許可を受けて若い女たちが一気に志野の周りに固まる。
「志野様はいろいろなところを歩かれたのですよね?」
「そうですね、とくにこの五ヶ月あまりは、南火向、西火向、火後の南と動き回りましたね」
「そんなに移動されるんですか、うらやましいです」
 この時代、商人や芸人でもなければ、生まれた土地から離れることはない。召喚者の制御からはずれた魔獣や野獣など、城壁の外には危険があふれている。女性であればなおのことだった。
「復興軍に参加する前から九洲中を旅していたんですよ」
「そうなのですか、何をされていたのですか?」
「街を回って、踊りを見せていたんです」
「踊りですか?」
 女たちは驚いたようで、顔を見合わせる。
「意外でしたか?」
「いえ、おきれいなのでしょうね。見せていただきたいです」
「援軍を撃退したら、みんなの前で踊りますよ。今まで解放した城ではお祭りを開いて、みんなで祝ったんですよ」
「お祭りですか、いいですねえ」
「ぜひやりたいです」
 みんなが歓声をあげる。祭りは数少ない娯楽の一つだった。
「楽しみですね。……みんな、結婚しているの?」
「はい、酒好きで女好きのどうしようもない夫ですけど」
「あんたのとこはまだいいわよ。うちなんかぐうたらで稼ぎが少ないんだから。家計のやりくりが大変よ」
「うちのはそれが全部そろっているわよ」
 笑い声が上がり、志野はその光景をまぶしく見つめる。生活力にあふれ、たくましい。きっとこんな話をいつもしているのだろうなと、少しうらやましく思う。
「志野様はご結婚されているんですか?」
「いいえ、まだですよ」
「お付き合いされている相手はおられないのですか?」
「それもいないですね」
「え〜、おきれいなのに。復興軍っていい男いないんですか?」
 どんな時代であっても、恋愛関係の話が女性の楽しみからはずれることはない。特に王族の話となれば逃す手はない。女たち全員が興味津々で聞き耳を立てる。
「あ、神の遣い様って男性なんですよね。もしかして、その方と……」
 言いかけて、女は背筋に冷たいものを感じた。横を見ると、珠洲が冷たい目でにらんでいた。
「あ、あの……」
「手が止まっている」
「す、すみません」
 女たちはあわてて料理の仕度に戻る。志野は珠洲を見て、軽く苦笑する。
「さ、そろそろ男たちが腹をすかせているころですよ。急ぎましょう」
 芋がむかれ、一口大に切られる。次々と鍋に放り込まれ、煮られる。味噌で味がつけられ、食欲をそそる香りがあたりに漂い始めた。







 男の嗅覚はいい匂いを感じ取った。さっき盗んだものは全部食べてしまった。まる一日食べていなかったのだ。あんな程度では足りるはずもない。
 腹が空腹を訴える。男は匂いのするほうにむかう。
 だれかに見つからないようにびくびくしながら歩く。そんな自分に屈辱と情けなさを感じる。
 匂いの元では街の住民が集まっていた。
 門のほうをうかがうと、警備の兵士が立っている。門もしっかり閉まっており、一人で開けることはできそうにない。
 また腹がなる。
(ここから外に抜け出るのは難しそうだ、ほかを探そう。ついでにまたどっかから食いもんを失敬するか)
 男は街の中心のほうに戻ろうとする。
「おっちゃん、飯食わんの?」
 身を震わせ、ゆっくりと振り返る。子供が一人立っていた。ほかにはだれもいないことを確認してほっと一息つく。
「飯を食わんと働けんで」
 どうやら、狗根国兵だということはばれていないようだ。
「そうだな、食うもの食っとかないとな」
 住民に紛れ込むのもいいかもしれない。どうせどの門も警備が厳重に違いない。ならば、仕事にまぎれて抜け出す機会を探そう。ここは東門だから、西街にいた自分の顔を知っているものも少ないはずだ。
 男は子供に促されるまま、女たちが配っているところに行く。
「おつかれさん、午後もがんばってね」
 おばさんが器に汁を入れ、男に渡す。男は礼をして、男が輪になっているところから少し離れた場所に座る。
 ひさびさに口にする暖かい汁物に身体の緊張が少しほぐれる。
「おう、にいちゃん、お疲れさん」
 男たちが三人近寄ってきて、男のとなりに座った。緊張がまた身体を固まらせる。
「いやあ、疲れたなあ」
「でもまあ、充実した疲れじゃないか」
「ん、見ない顔だな、兄ちゃん、どこに住んでいるんだい」
 男たちはなれなれしく声をかけてくる。
「……西街です」
「おお、あっちのほうか、なんで東門の方に来たんだ?」
「……こっちのほうが、人手がいるかと思って」
 なんとか言い逃れる。
「ふ〜ん、そうか、疲れているみたいだな、顔色が悪いぞ」
「ええ、疲れましたね」
 うそではない。昨日からずっと緊張が続いている。
「そうやろ、そうやろ。でもまあ、しばらくは働きずくめだな」
「ああ、狗根国軍が近づいているらしいからな」
「ま、なんとかなるだろ。復興軍は連戦連勝。狗根国兵なんてザコだ、ザコ」
 男たちは声を上げて笑う。
「でも、この城から狗根国軍を追っ払ったのはおれたちだぜ。狗根国兵の目を盗んで、準備を進めるのは大変だったんだからな」
 男の手が震える。
「ああ、兵士の気を緩めるために、贈り物をしてな」
「ま、うまくだまされてくれてよかったよなあ」
 男たちの笑いが胸に突き刺さる。限界だった。
「単純でよかったよな、にいちゃん」
 こぶしが頬に突き刺さった。
 こいつらを許せるものか。
「いきなり何するんだ」
 男たちが男を止めするが、男はとまらない。腕を振り回し、蹴り上げる。女たちが悲鳴を上げる。
 いきなり起こった騒ぎに、まわりの人間たちも、何事かと近寄ってくる。
「あっ、あの男、狗根国兵だぞ!」
「なんだと!」
「西街で見たことがある!」
「捕まえろ!」
 近くにいた男たちが暴れる男を抑えようと、押し寄せてくる。
 男は持っていた器を投げつけ逃げ出す。こんなところで捕まるわけにはいかない。何か、何かないか。
「うわっ」
 男は何かにぶつかり、倒れる。
 もうだめかとあきらめながら、目を開けると、そこにはさっき話しかけてきた子供が倒れていた。この子供とぶつかったようだ。
 とっさに懐から、包丁を取り出し、子供の首にあてた。
「近寄るな、近寄るとこの子供を殺すぞ」
 男の脅迫に、だれもが固まった。







 悲鳴があがったとき、志野は離れた場所で織部たちと食事をとっていた。
 志野は立ち上がり、騒ぎが起こっている方を見る。
「今の悲鳴はなんだ?」
 織部が、悲鳴が上がったほうから駆け寄ってきた兵士に尋ねる。
「狗根国兵が暴れて」
「なんだって、それで捕まえたのか」
「それが、子供を人質にしております」
 兵士の答えに、志野たちは身を固まらせた。
「とにかく、行ってみましょう」
「おう、そうだな」
「いえ、織部は虎桃を呼んできてください」
「虎桃を?」
「彼女の弓が必要になるかもしれません」
「なるほど」
「弓を射るかどうかは虎桃にまかせると伝えてください。ただし、くれぐれも慎重に」
「わかってるって、じゃあ、ひとっ走り行ってくるぜ」
 織部は虎桃のもとへ、走っていった。
「珠洲、行きましょう」
「わかった」
 志野と珠洲は小走りで、現場へと向かった。
 男の周りを街の住民や兵士が遠巻きに囲んでいる。
「門を開けろ、おれを外に出せ」
 男は子供の首に包丁を突きつけたままだ。子供は身をすくませ、泣き声をもらしている。
「泣くな、黙れ、殺すぞ」
 子供はびくっと身を震わせ、泣き声をかみ殺す。うめき声のような泣き声に変わった。
 男はいらだたしげに、舌を打ち鳴らす。
「落ち着きなさい」
 志野は群衆の前に出て、男に声をかけた。
 血走った目で男は志野を見る。
「だれだ、きさまは」
「復興軍の副将です。わたしが要求を聞きましょう。何が目的なのです」
「さっきから言っているだろうが、おれをこの城から出せ」
 男の要求ははっきりしていた。
 志野の考えもはっきりしていた。子供の命を最優先しなければならない。この男を解放したら、間違いなく、城に向かっている援軍に合流するだろう。城の情報が相手に流れることになる。
 しかし、子供を見捨てて男を取り押さえれば、住民の信頼を失う。それに子供が殺されるのは嫌だった。理屈でいっても感情的にも、優先順位は確定していた。
「志野、わたしが人質になってもいい」
 珠洲が志野に小声で提案する。
「珠洲、それは危険よ」
「子供はどんな行動をとるか予想がつかない」
「……そうね。珠洲、お願い」
 珠洲は志野の信頼がこもった言葉に、人知れず感激していた。
「わかりました。要求を呑みましょう。ただし、人質は交換してください」
「人質交換?」
「わたしが人質になる」
 珠洲が一歩前に出る。
 男は珠洲をにらみつける。
「……いや、きさまらの策略には二度と乗らんぞ。人質は交換しない。さっさとここから出せ」
 子供の首にあてられた包丁がのどに食い込む。
 この男をこれ以上追い詰めると何をしでかすかわからない。志野は一度、唇をかみしめた。
「わかりました。門を開けましょう。門を出たら、子供は放してもらいますよ」
 男がうなずくと、志野の合図で兵士が門のほうへと走っていく。
「よし、それでいいんだ、ほら、動くぞ、小僧」
 男がゆっくりと歩き出す。顔を回し、群衆をけん制する。男の進む速度に合わせて、志野を中心に群衆も後を追う。男はしきりに群衆を気にする。
「きさまら、ついてくるな、殺すぞ」
「もう、門は開くのだから別に問題ないでしょう」
 門は兵士たちの手で開かれていた。
「ちっ、あの兵士たちをどかせろ」
「わかりました」
 志野が手を振り、兵士たちはそれを受けて門から離れていった。
 男はそれを確認するとまた、群衆を気にしながら歩き出す。
「織部から連絡が来た。準備はできているって」
 珠洲がぼそっとつぶやく。
 男が門をくぐった。そのまま外へと出て行く。
 群衆は門のところで兵士に止められた。
 落ち着いた表情のまま、志野は門を出て、十歩、歩いた。珠洲だけが後についてきた。
「さあ、要求は果たしました。子供を放しなさい」
 男が立ち止まる。じっと子供を見つめる。
「だめだ、ここでこいつを放したら、きさまらはおれを捕まえるだろう。こいつは連れて行く」
 男は後ろ向きに歩き始める。
「先ほど約束したはずです。門を出たら、その子を放すと」
「気が変わった。……それに、なぜおれがきさまらとの約束を守らなければならない」
 男の目には狂気があふれていた。
 志野は珠洲にだけ聞こえるように何事か伝える。
 珠洲はものいいたげに志野を見たが、何も言わず、すっと志野のそばを離れ、後ろの群衆の所まで下がる。狂気に飲み込まれた男を刺激しない、自然な動きだった。自分の動きによって、相手の反応を引き出す芸人ならではの技なのだろう。
「今に見ていろ! こんな城など、すぐにまた狗根国のものとなる。二度と反逆などできないように支配してやる!」
 男は群衆をにらみつけ、大声で叫ぶ。裏切りに対する報復は当然の権利、反逆者は地獄を見なければならないという、妄執が胸からあふれ出す。
「情けない男ですね」
 志野が平然と男に向かって歩き出す。
「近づくな! この小僧がどうなってもいいのか!」
 男は立ち止まり、血走った目で志野をにらみつける。男に包丁を突きつけられている子供は、目をぎゅっとつぶり震えている。
「その子を殺してしまったら、もうあなたを守るものは何もなくなりますよ」
 志野は男とは対照的にしっかりと男を見つめる。
「なら、指を切り落としてやろうか。何、おれが逃げ切るまでは死にはしないだろう」
「もう一度言います。情けない男ですね」
「なんだと……」
 志野の目にこもった哀れみが、男をどうしようもなくいらだたせる。
「兵士とは何ですか?何のために戦うのです?米の一粒も作らず、籠の一つも作らず暮らせていけるのはなぜです?」
 志野は静かに問いかける。男との距離が詰まっていく。
「人殺しを職業とし、民の生活を守り、その対価として暮らしに必要なものを得る。それが兵士であり、戦う理由でしょう。無力な者の代わりに槍を取る。襲い掛かってくるものと戦う。決して、無力な者に暴力を振るってはならない。振るってしまえばただの人殺しになりさがるのです」
 だんだんと力がこもり、声が大きくなる。志野の言葉が男だけでなく、群衆全てに届く。
 志野は男まで、あと二歩というところでとまる。
 男の手が振るえ、子供ののどが血でにじむ。
「にもかかわらず、よりにもよって子供を人質にし、傷つける。これを情けないと言わずに何を情けないと言うのです」
 男の呼吸が荒さを増す。ふざけるなという思いが胸に渦巻く。守ってやっていた。なのに、裏切られた。そんな連中を思いやる必要などない。
「いえ、違いますね。情けないと言うよりも臆病と言うべきですね。――だって、無手の女が目の前にいるのに、子供を人質に怯えているのですから」
 志野の目に哀れみ以外の感情が灯る。
 それは侮蔑だった。
 男の中で何かが爆発した。
「その目をやめろー!」
 男が包丁を振りかぶる。
 殺気に満ちた視線を浴びせるが、志野は身をすくませることもなく立っている。
「死ねー!」
 包丁が振り下ろされようとした瞬間、鋭い、風を切る音が聞こえた。
 男がうめき声を上げる。男の右腕には矢が突き刺さっていた。
「志野!」
 珠洲が、兵士から借りた刀を志野めがけて放り投げる。さやに収められた刀が放物線を描く。
 志野は振り向きもせず、左手を上に挙げ、さやをつかむ。右手で柄をつかみ、鞘から抜かず、そのまま打ち下ろす。男の右肩を痛打し、骨が砕ける鈍い音がした。
 男の手から包丁が落ち、男は肩を押さえてうずくまった。
 群衆が歓声を上げ、周りの人間と抱き合う。
 志野はほっとした表情を浮かべ、男のそばで脱力している子供に近寄る。
「坊や、大丈夫?」
 子供は志野の言葉に力なくうなずく。どうやら緊張のし過ぎで、身体に力が入らないようだ。
 志野は子供ののどを見て、傷がたいしたものではないことを確認する。
「次郎、ここだよ」
 群衆の中から一際、大きな女性の声が聞こえた。子供がぱっと顔を上げる。どうやら声の主は子供の母親のようだ。
 子供はすぐさま立ち上がり、母親の方へ走り出した。その弾みで志野の体勢が崩れた。
「志野! 後ろ!」
 珠洲の叫び声で、志野が振り向くと男と目が合った。目には暗い笑いが浮かんでいた。
 男が飛び出すように志野に詰め寄り、包丁をまっすぐに突き出す。
 志野はかわそうとするが、体勢が崩れていて反応が遅れる。避けられないと悟り、志野は苛烈な瞳で男をにらみつけた。包丁が自分に近づいてくるのがゆっくりと見える。刺さると思った瞬間、何かに押され倒れた。
 男の悲鳴が響き渡る。
 志野が振り返ると、男がまたうずくまっていた。その背中には矢が刺さっている。そして、黒子のような服をきた少女がうつぶせに倒れていた。
「珠洲!」
 叫び声を上げ、少女のそばにひざを着く。抱きかかえようと身体の下に右手を入れると、ぬるっとした感触がした。
「え、何、この感触?」
 珠洲を仰向けにひっくり返す。右手を見ると、真っ赤だった。
「何なの、これ」
 分かっているのに頭が理解しない。珠洲の身体を見る。左のわき腹から、血が流れていた。珠洲の周りの地面が赤く染まっていく。
「珠洲、珠洲、何か言って」
 身体をゆすっても何も反応は返ってこない。
 耳障りな音が聞こえてきた。ゆっくりとそちらを振り向く。
「いてえ、いてえよお」
 男が無様な格好でうめいている。
 志野はゆっくりと珠洲を横たえ、立ち上がる。一歩一歩、男に近寄り、見下ろす。
「なんでこんな目に……」
 鞘の先で男の顔を殴りつける。男はその衝撃で転げ、矢が地面にこすれて、傷をえぐられる。男は悲鳴も上げられず、身体を痙攣させる。
「珠洲はもっと痛いのよ」
 志野は刀を鞘から抜いた。






 ――まずい、きれてやがる。
 群衆が、珠洲が刺されたことに騒然となっている中、織部は城壁の上にいた。地に足が着いていないような雰囲気が眼下には充満している。自分まで冷静さを失っては事態を収拾できない。必死に動揺しそうになる自分を抑え、となりにいる桃色の髪をした女に顔を向ける。
 女は弓を手に持ち、真剣な表情をしている。
「虎桃、忌瀬を呼んで来てくれ」
「……わたしが、しっかり動けないようにしていれば」
 女――虎桃の顔色は悪く、どこか思いつめたような表情を浮かべていた。いつも艶っぽい雰囲気を出そうとして、外見の幼さに負けている女の姿は微塵もない。
「んなもん、ただの自信過剰だよ」
 織部は厳しい声で虎桃を叱咤する。いまはそんなことを言っている場合ではないはずだ。
 人質が解放されなかった場合の保険、それが二人の役目だった。志野と狗根国兵の交渉の推移を見守り、人質が解放されればよし、されなければ百発百中を誇る虎桃の弓で強行解決を図る。志野にそう指示された織部は虎桃に事情を話し、共に城壁の上にしのび、時を待った。そして、保険は見事に役に立った。
 二人もいっしょに喜び、一瞬、気が抜けてしまった。
 珠洲の叫び声を聞き、虎桃が慌てて矢を放ったが、それは遅きに失した。
「それよりも、珠洲はまだ助かる見込みがあるんだ。なら、後悔をしている暇はないぜ」
「……そうね、急いで呼んでくるわ」
 虎桃の表情はまだ暗かったが、今しなければならないことは理解していた。
「じゃあ、頼む」
 織部は城壁から飛び降りた。背中から、蝶のような緑色の羽が広がり、落下の速さが遅くなる。
 騒動の中心を見ると、志野が抜き身の刀を振り下ろしていた。左腕が切りとばされ、赤い血しぶきが吹き上がる。
 ざわめく群衆のすきまをねらいふわりと着地すると、合間を縫って走り出す。志野をとめなければならない。群衆の中を走っているにもかかわらず、そのスピードは落ちることはない。
 群衆を抜け、状況を確認する。珠洲は倒れ、血まみれになっている。そして、志野は刀を振るっていた。一般の兵士が持つような刀にもかかわらず、その切れ味はすさまじい。志野が切りつけるたびに、男の身体の部分が欠落していく。
「助けてくれ、助けて……」
 男はただ助命の言葉を口にするだけだった。右腕と左腕を切り飛ばされ、左の耳もなくなっている。
「何をやっているんだ」
 織部はその凄惨な光景に身をすくませる。いや、血まみれの兵士など見慣れている。怖かったのはためらいもなく刀を振るう志野だった。
「なにって、罰しているだけよ。子供を人質にとり、珠洲を傷つけた罪はつぐなってもらわないと」
「もう反抗できる状態じゃないだろ!」
「わからないわ。また、立ち上がってくるかもしれない」
 そう言って、両足を一度に切りとばす。男はもう意識を失っていた。
「んなことより、珠洲の手当てが先だろうが」
「え……、そう、珠洲が刺されて、動かなくなって……」
 志野は正気を完全に失っている。そのことを織部ははっきり認識した。とりあえず、志野は放っておいて、珠洲の傷に布を当て、血止めをする。
「ちっ、血が流れすぎてやがる。忌瀬はまだか……ん、何だ」
 地響きのようなものを身体が感じ取った。かすかだが、一定のリズムで、大地が震えている。
「……まさか、おい、そこのやつ、この布を押さえといてくれ」
 兵士に血止めを任し、しゃがんだ体勢から飛び上がる。背中の羽の力もあり、城壁の高さまで達する。北に延びる街道に目を凝らすと、隊列を組んで行進している群れが見えた。群れよりはかなり手前に、こちらに向かって走ってくる二頭の騎馬を発見した。見張りの任務を命じていた復興軍の兵士に間違いない。
 織部は着地し、群衆に城内に避難するように指示しようとし、振り返って、言葉を失った。
 暗く、冷たい空気が群衆の間に漂っていた。恐怖、疑念、そして、嫌悪。その全てが一人の女性に向かっていた。
「みんな、城内にもどれ、狗根国軍が来たぞ! 兵士は落ち着いて住民を誘導しろ! 急げ!」
 越権行為は覚悟の上で、暗い雰囲気を振り払おうと織部が叫ぶ。さらに兵士を一人捕まえて、伊万里への伝令を頼んだ。本来、指示を出すべき立場にある志野はまだ呆然としたままだった。
 織部の言葉に、群衆たちは動き出したが、その動きは遅い。兵士の誘導に反発するような感じを見て取り、織部は嘆息する。
「ちょっと、どいて、どきなさいってーの」
 城内に戻ろうとする流れに逆行し、城外に出ようとしている女がいる。織部はその声を聞き、ひさかたぶりに安堵を覚えた。
「忌瀬、ここだ」
「ハァ、ハァ……ちょっと疲れたわね」
 どうやらここまで走ってきたようだ。深呼吸をして、乱れた呼吸を整える。
「ふう――これはまずいわね」
 忌瀬は珠洲を一目見ただけで、その深刻さを悟った。顔は青くなり、体温は下がっている。脈は乱れていた。呪言を唱え、右手で印を結ぶ。緑の光が珠洲の身体を包む。光が消えると、珠洲の顔色は少し温かみを取り戻していた。
「とにかく、ここじゃあ、たいした治療もできない」
 忌瀬は部下の看護兵に命じ、珠洲を担架の上に乗せ、城内に運ばせる。
「珠洲を頼む。……あの男はどうだ?」
 織部が両手両足を失った男を指差す。
「まだ、生きてはいるけど……」
 もう助かることはない、忌瀬が言外に込めた意味は明白だった。
「そうか、虎桃はどうした?」
「そこまではいっしょだったけど、狗根国軍の来襲を知って、どこかに行った。兵士たちの指揮に行ったんじゃない」
 織部は小さく笑う。今度は失敗しない、そんな虎桃の覚悟が伝わってくるような気がした。
「じゃあ、わたしは珠洲の治療に向かう。……あっちはまかせたよ」
 忌瀬の視線の先にはただ立ち尽くす、志野の姿があった。
「ああ、わかってる」
 織部の言葉に、忌瀬はうなずき、城内に戻っていった。
 一度、深呼吸をし、呼吸を整える。すると、血の臭いが肺に入ってきた。軽い吐き気を感じながら、織部は志野へと歩み寄った。男は呼吸も小さくなり、息絶えようとしていた。志野の手から刀を奪い取る。軽く振りかぶり、さっと振り下ろす。男の首がごろんと転がった。
「苦しみをわざわざ延ばすこともないさ」
 織部は志野と向き合う。
 志野は血にまみれていた。青みがかった薄い衣は濁った赤色に侵食され、見るも無残なものとなっている。
 それでも、美しい――織部はそう思った。
 生気もなく、瞳に秘められた強い意志もない。ただ立ち尽くし、風にあおられるままとなっている。幽玄とでもいうのだろうか。純粋で、何か大切なものを失ってしまった、異常な美しさに引き込まれそうになる。
 織部はぶるぶるっと顔を横に振った。これは志野の美しさではない。儚さの中にも強い意志が存在している。それが志野だったはずだ。九峪ならこんな志野を見たら、悲しむよりも怒るだろう。
「敵がすぐそこまで来ている。城内に戻ろう」
 志野はなんの反応も返さない。
 織部は両手で志野の肩をつかむ。志野の肩がぴくっと震えた。
「聞こえているのか、狗根国のやつらがそこまで来ているんだ。九峪たちが来るまで、この城を守らなくちゃならないんだぜ」
「九峪さま……」
「そうだ、九峪の援軍が来るまで、おれたちはこの城でがんばる。守りきらなくちゃだめなんだ。珠洲のためにも」
「珠洲……」
 志野の瞳に意思が戻る。顔がゆがみ、目から涙があふれでてくる。
「わたし、わたし、……あっ」
 下を見ると、死体が目に入った。自分のしたことがはっきりと脳裏によみがえる。
「冷たいことを言うけど、泣いている暇はないぜ」
「……ええ、そうね。珠洲はどうしたの?」
「城内で忌瀬に治療してもらっている。おれたちも中に戻ろう」
 織部に促され、志野は歩き出す。その足取りは重い。
 織部は残っていた兵士に死体の回収を頼んだ。
「ごめんなさい、わたしがしっかりしていないばかりに」
「気にすんなって、子供は助かったんだ。最悪の事態は免れたわけだろ」
「でも……」
 織部の励ましにも、志野の表情は晴れない。すでに抵抗する力も気力も失っていた相手を嬲り殺した。その事実が志野の心に痛みをともなって突き刺さる。
 城門をくぐった志野を迎えたのは、住民の嫌悪のまなざしだった。



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 ゴーアルさんからまた長編をいただきました♪
 全4話の、これが第1話ですね。火奈久城攻略戦の続編にあたります。
 毎回言ってる気がしますが・・・ただただゴーアルさんの文章力には脱帽するばかりです。戦、を中心におきつつ、その周囲の人間模様、名もなき人たちの動き。どれもこれも緻密に書かれていて、ちゃんと動かしておられるんですからねえ・・・いやもうすごいです。狗根国の1兵士の動向に引き込まれました。
 戦場以外の場所で、激情にかられるまま人を惨殺した志野。この志野を責める事はできないけれど、悪化した住民との関係をどうするのか。
 そして次話では迫りくる狗根国軍と九峪達の動向もみえてくるでしょう。乞うご期待です^^

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