「諸国民の賛歌」を聴いて

ヴェルデイの「諸国民の賛歌」の演奏について簡単なレポートを。
トスカニーニによるこの曲の録音はおそらく3種類。このたび3種類をまとめて聴いてみました。


1943年1月31日 アメリカ初演、英トスカニーニ協会のLP盤からのカセットへの複写(Kさんの御厚意による)。
  珍曲のアメリカ初演ということもあってか、演奏家達に慎重な姿勢がうかがえる演奏。悪く言えば少し固い。
 特にピアースはいつもの自由闊達な様子がかなり後退している。他の演奏では後半たたみかけるようなところも、
 一歩一歩ふみしめるような感がある。

1943年12月8、20日 宣伝映画用の録音、RCAからの正式リリース。日BMG BVCC 9723。
  NBCの映像が出るまではトスカニーニの指揮ぶりがうかがえる唯一の映像であった。
 映画用ということで、一部をのぞいて音と映像は別録りのもの。
 2度目の演奏しかも対外的威信を示すべく、先の演奏とタイム的に大きく違わないものの、
 表情付けの強い押し出しのある演奏が展開される。

1944年5月25日 マディソン・スクエア・ガーデンでの赤十字基金コンサート。伊GRAMMOFONO2000 AB 78535/36
  この日はNBC響とNYPの合同オケに全ニューヨーク高校合唱団という陣容。さらにチャリティー・コンサートの最後の曲。
 シチュエーションを反映して盛り上がりを持つ演奏。牽引役はピアース。速めのテンポで前半のソロの部分で30秒、
 全曲が終わってみれば約1分余り、先の二つの演奏より演奏時間が短い。オケの重量感ある音が素晴らしいが、
 コーラスはやはり仕上がりが雑で、クライマックスのアメリカ国歌では慣れた音楽にアンサンブルもみだれがちとなる。

以上聴いてみて、わずか1年半の間に行われた演奏ではあるが、それぞれのシチュエーションを反映した演奏内容となっている。


曲の改変のついて、
及びわが国であいまいにされている点について  

  この曲については演奏そのものよりも、知られているかもしれないのが、トスカニーニがヴェルディのオリジナルに手を加えたこと。
  そのことについて、一部に誤解を招く記述もあるので、ここに3つの音源にあたった結果をまとめます。
  ただし私はスコア、原詩共に所有しておりませんし、原曲も聴いたことがないことを付け添えておきます。

1.歌詞の改変
   当時のファシスト政権下のイタリアに対立して、原詩の「わが祖国」”Italia,patria mia” を”Italia, patria mia tradita”
  と改変したのは有名であるが、この改変はアメリカ初演の時点でおこなわれている。
  また、当時のプログラム(44/5/25)の記述”betrayd”から、邦訳は一部にみられる(手許ではタウブマン〜渡辺暁雄訳の
  「トスカニーニ」)「伝統の祖国」ではなく、「裏切られし祖国」が正しいと思われる。

2.曲自体の改変
   曲の最後に「インターナショナル」とアメリカ国歌を付け加えて連合国側への賛歌としての体裁をつくったとされるが、
  実際に「インターナショナル」が追加されたのは映画収録の演奏のみで、マディソン・スクエア・ガーデンでの演奏では、
  アメリカ国歌のみが追加されている。アメリカ初演も同様である。一方わが国でRCA〜BMGが以前から44/5/25
  において「インターナショナル」が付け加えられたような解説を掲載しているのはそろそろ訂正されるべきではなかろうか?
  現在の国内の最新の正規盤は1998年3月発売のBVCC−9723、福原信夫氏の遺稿がMSGで「インターナショナル」
  が演奏されたような表記になっている。

   また、RCA、GRAMMOFONO盤では曲の大詰め(BMG盤で12′08″)でシンバルが連打される。
  これはアメリカ初演の演奏には聴かれないもので、トスカニーニによる追加の可能性がある。
   さらにこの作品は当初テノール独唱を起用する予定が、興行上の?理由でソプラノ独唱に変更されているが、
  決定稿は果たしてどちらなのか?前述の福原氏によればテノールに返されたとあり、一方音楽の友社が出している
  「作曲家別名曲解説ライブラリー」ではソプラノ独唱をベースに解説がされている。スコアはリコルディ社から出ていると
  思われるが、今回は手がかりを得られなかった。

 


その他感じたこと

  43/1/31には「ナブッコ」、「ルイザミラー」、44/5/25では「リゴレット」とそれぞれ正式のリリースがあるので、
 RCAは2つの音源を所有、あるいは入手できたと思われるが、2番目の音源が正式にリリースされたのは音楽的には
 妥当だったと思われる。

   今回映像を見て思ったのだが、音と映像を別録りしたであろう部分でのトスカニーニの所在無い様子に哀れを感じた。
 指揮棒を持つ手、それに目に生気が感じられないシーンが散見される。また冒頭では明らかな振り間違いをしている。
   通常のコンサートならまだしも、対外的な露出となる映画である。積極的に参画した企画とはいわれるが、イタリア人として
 その心情はいかばかりであろうか? 私には100%本意の仕事ではなかったのではないかと思われた。
   またこのビデオ、日本で最初に流通したドリーム・ライフ社発売のものは「インターナショナル」がカットされている。
 また、NHKから放送され、RCA〜BMGのLDと同じソースと思われる、ドキュメンタリーに併録されているものも同様であった。
 おそらくこれは冷戦関係、あるいは反共産主義の考えに考慮して米国内に流されてきたものと思われる。
   時折Amazon.com/等でオリジナル・ビデオを見かけることがあるので、わが国での「完全版」発売を期待したい。

  この曲についてはパヴァロッティが録音を行っている。テノール独唱版だがトスカニーニ編とはうたっていない。
 機会があれば聴いてみたいものである。あるいはNAXOSあたりがソプラノ独唱版で新録音してくれることを期待したい。

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