2012年のコンサート

2012年12月 9日 札幌コンサートホール
    札響特別演奏会 「札響の第九」二日目 ラドミル・エリシュカ指揮
外国人指揮者による第9というと、
ルチア・ポップが素晴らしい声を聴かせた、
サヴァリッシュ&バイエルン以来になる。

オケはコントラ・ファゴット奏者が第3楽章まで、
時折補強にファゴットを吹いた以外楽譜通りの2管編成。
ホルンがファゴットとチェロにはさまれるような位置だったほかは、
ヴァイオリンは下手にひとまとめの札響通常の配置。
合唱は下手から女声、男声と独唱と同じ並びで着席。

エリシュカは先日同様、丁寧に楽譜をめくりながら指揮。
Pブロックから見ると、時折動きを止めることもある指揮棒から、
悠然とした音楽が湧き出る様子を目の当たりにできた。
第1楽章や、歓喜の主題の入りなどの、あいまいさのない音楽や、
フィナーレの序奏部チェロ・バスが実に表情豊かなのが印象に残る。
先日のハイドン、モーツァルトに比べるとさすがにロマン派的志向をとるのか、
第2楽章トリオの終結部や、アラ・マルチアの終盤など、
時折テンポの扱いに自由なところを聴かせた。
細部のソロやバランスにこだわる指示はこの日も実に的確に見てとれた。
総じてやや円満にすぎたかもしれないが、スケールの大きい演奏で、
今風ではないが、多くの人にとってイメージ通りの第9ではなかったか。

札響は今日も上品な響きを聴かせた。
特にヴァイオリンが素晴らしく、
比較的速めのテンポとなった第3楽章でも乱れなく美しい音楽を聴かせた。
このあたりはチェコ人指揮者らしく、弦楽器の扱いに秀でているというだけではない、
札響の実力が発揮されたといって間違いないだろう。
木管ではオーボエが好調。第3楽章でのクラリネットも美しい。
その第3楽章、肝心のホルンがパーフェクトではなかったのは残念。

声楽陣は歯切れの良さよりは力強い朗々たる響きを取っていて、
こちらも円満な第9像を作り上げていたと思う。
独唱では男声二人がいずれも立派な声を聴かせた。
女声二人はやや押され気味ながらも美しい声(にお姿!)であった。
合唱団はいつもの通りの充実度でこの日も最後の一人の退場まで拍手を受けた。

初日はFM生中継されたとのこと、その様子は聴いていないが、
この日の演奏はそうした初日の緊張から解き放たれたことも影響していたのだろう。
精査はできないが、おそらくブライトコップフの古い楽譜をほぼ実直に演奏していたと思われる。
終演16:35

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2012年11月25日 札幌コンサートホール
    札響名曲シリーズ ラドミル・エリシュカ指揮
 かねてより評判のエリシュカ&札響、
「わが祖国」のCDの印象が良かったので、
古典派を取り上げたプログラムに期待して出向いた。
ヴァイオリンのトップは大平さん!
これで今日の演奏会の成功は約束された!!

開演15時、ステージは北海道作曲家協会?の先生の前説。
「V字」と「ジュピター」は同じ年に作曲されたとか。

音楽はベートーヴェン、「プロメテウス」の序曲から。
個人的に思い入れをする時期があった曲である。
この日の札響の演奏は、その頃を思い出すシーンがあって、
心臓がバクバクとして血圧によろしくない。

続くハイドンの「V字」はトスカニーニの演奏でよく聴くが、
100番前後の曲に比べて押し出しが控えめで好ましい作品。
この曲がなければ聴きに来たかどうか・・・。

冒頭、エリシュカは札響から美しい響きを引き出しはっとさせる。
全曲を通して小編成とはいえ、アンサンブルは実によく整備されている。
流れの良い第1楽章、木管、チェロのソロが美しい第2楽章。
弦楽器の前打音の美しい対応が際立つメヌエット、大騒ぎのないフィナーレ。

エリシュカは全曲丁寧に楽譜をめくり、楽章間の間合いを長めに取っての指揮。
その音楽のスタイルは、実に真っ当。
中庸のテンポでしっかりとした低音弦の上に各パートが、
ひとつひとつの音符をきっちりと鳴らしていく感じ。
悪く言えば退屈になる寸前で持ちこたえているということになる。
しかし各パート間のバランス、ダイナミクスについては、
実に繊細な詰めがなされていて、自然に進む音楽の中の随所に発見が聴かれる。
それらはけして「発見」ではなくて、ゆるぎない自信が生み出す「必然」なのだろう。

休憩15分の後の「ジュピター」もハイドン同様の音楽。
以前ミスターSで聴いた巧妙な仕掛けというのはなく、
フィナーレに向けてじっくりと音楽が盛り上がっていく雰囲気。
弦のサイズを大きくしたアンサンブルの自然な高揚感は実に見事。
アンコールは予想通り?「フィガロの結婚」序曲。

アンコールの後も熱狂的ではないが熱心な拍手が長く続いた。
今札響メンバー、リスナーから最も愛されている指揮者ということか。
終演16:50

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2012年5月27日 札幌コンサートホール
    札幌交響楽団第549回定期演奏会
    高関健指揮
 ちょうど下段から4ヶ月ぶりの生Kitaraである。
 昨年後半の交響曲ツィクルスを補完する? ミサ・ソレムニス。
 指揮は音楽監督ではなく高関さん。
 お正月のコンサートで疑問を感じたオケの並びは、
 ヴァイオリン両翼配置に戻っていた。

 とはいえ、1階席の54番というポジションはホールのはずれ、
 目の前はもはや第2ヴァイオリンではなく、合唱のアルトパートにティンパニ!
 不安がよぎるが、贈り主が隣席に見当たらないとはいえ、
 いただいたチケットを無駄にしては失礼である。
 左を向くとコンマスを視るには最上のポジション!
 けれどこの日のトップは大平さんではなかった・・・。

 キリエ冒頭、やはりティンパニの音がでかい!
 自分の身体が音に慣れるのにしばらくかかってしまい、
 前奏の木管やキリエの各パートの歌いだしなど記憶に残っていないのは不覚。
 とはいえ、出だしのテンポはトスカニーニ張りの速めのイン・テンポ。

 音楽監督のスタイルに準じたか・・・。
 そのせいかキリエ後半は単調なテンポ運びで味わいの薄い音楽。
 さすがにコーダではややくつろいだ音楽になって安心。
 グロリアも快調なテンポ、しかし数か所アインザッツの不揃いがあり、
 事故にはならなかったが、音楽に変調をおこしていたように感じた。
 ゆったりと抒情的な部分は素晴らしく美しいのだが・・・。
 小休止をはさんでのクレドはゆったりとしたテンポで堂々と音楽が進む。
 et vitam venturi...の壮大なフーガも手堅く演奏された。
 終盤のGraveでテンポを落とさずに音楽の明瞭さを保ったのは高関さんの見識か。
 サンクトゥスは今日の座席に一番ふさわしい?楽想の部分。
 実際プレリュードの静謐な音楽は短いながら一番の聴きどころだったかもしれない。
 ただその後のヴァイオリン・ソロがちょっとメロメロだったのが残念。
 思うのだがこのソロ、わざわざ立たせて弾かせるべきなのだろうか?
 アニュス・デイは見通しの良い音楽が清浄感の高さを示した。
 細かいキズはさておき、フィナーレでグランド・マナーになって戸惑わせた第9と比べると、
 重厚壮大すぎない、今日の響きは高関さんと札響のベートーヴェンの帰結として、
 ふさわしい演奏だったと思う。

 独唱では、バリトンの福島が手堅いきっちりとした歌唱。
 ソプラノの佐々木、テノールの望月も悪くないが時折高音で叫びすぎる感があった。
 メゾの永井はアンサンブルは良いが、ソロでは声量不足なのか?弱い。
 合唱は、声量的には十分でこの合唱団レベルの高さを示したが、
 歌いだしのアタックの強さ、明瞭さに欠ける部分が散見された。
 そんなムラのある出来に聴こえたのはこちらの場所のせいかもしれない。
 オケではオーボエを筆頭に木管が秀逸。
 Dona nobis...のオーボエを聴いて、なんとも幸せな思いに。
 自分の場所ではティンパニ越しに見えるコントラ・ファゴットの響きが良く聴こえたのも◎。

 最後の一音が消えてからしばしの沈黙。
 ホールを8割ほど埋めた聴き手もハイレベル。
 終演16:20
 

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2012年1月27日 札幌コンサートホール
    さぽーとさっぽろ ニューイヤー クラシック コンサート
    高関健指揮札幌交響楽団
 新春恒例の無料コンサート。
 実は前半のプログラムが不明のまま現場入り。
 渡されたプログラムによれば、
 なんとドヴォルザークの8番である。
 翌日には小樽でソリストを呼んで、ショスタコーヴィチの
 ジャズ組曲に 「ラプソディー・イン・ブルー」ということで、
 少し軽めの選曲にしたのかしら?

 ステージ上はなんと、コントラバスが右手に見える。
 正指揮者を降りたということで、尾高スタイルに合わせたか?
 高関さんのコンサートを聴く楽しみが減ってしまうのか・・・。
 それを見て、普段座らないRBブロック最前列に着席。
 これが微妙に良い角度でステージを俯瞰できる良席。

 ヴァイオリンのトップは大平さん。
 短いけれどドヴォルザークでソロが聴けるのは幸せ・・・。


 ドヴォルザークの冒頭、チェロが朗々と歌うイメージが強いのだが、
 この日は管楽器の響きが豊かに聴こえて、やはりこの人は一味違うなと感心。
 
第2楽章は、遅刻した人の着席と静寂を待って(大平さんが高関に頷いて)から始まった。
 これも冒頭、弦楽器が深い響きで聴く者を惹きつける。
 オーボエを中心に木管楽器が大変上品な響きを聴かせた。
 第3楽章でもオーボエのリードする中間部の美しさが秀逸。
 フィナーレは快適なテンポであまり大げさにならないクライマックスで終曲。
 総じて、高関さんらしい見通しの良い、ある意味分析的な演奏だが、
 曲のせいもあろうが、理屈ぽい雰囲気がないのが良い。
 ただ時折テンポが上がって、一本調子に聴こえる場面が散見された。

 後半はシュトラウス・ファミリーで7曲。
 「ハンガリー万歳」あたりでは
 通常聴くのとは違う楽譜を使っていた様子。

 高関さんのトークは3種類のポルカのテンポの違いにふれながら、
 「くわしくはプログラムに書いてあります」ということでユーモア多めの路線。
 カドリーユについては「演歌チャンチャカチャン」を例えに持ってきた。
 その事も含めて、隠しテーマとして、コラージュとパロディというところか。

 どの曲も前半に続いて手堅い演奏だが、
 「南国のばら」あたりでは、それが野暮ったいジンタ調に聴こえた。
 楽しかったのはカッコウを客席(パイプオルガン脇)にステージにと移動させた「クラップフェンの森」。
 最後はハープ奏者も鳥笛を吹いていた。
 ただしカッコウのキーとテンポが不安定なのはいただけない。

 最後はお決まりの2曲。
 お決まりとは言え、やはりこの2曲が大事・・・。
 終演20:55
 

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