2011年のコンサート

2011年12月18日 札幌コンサートホール
    札幌交響楽団特別演奏会 尾高忠明指揮
 「創立50周年記念ベートーヴェン・ツィクルス#5」。
 ついに来ました最終日。
 Kitaraの当日券売り場には「完売御礼」の文字。
 それでも、なんとか入れないかという方もいらした様子。

 プログラムはモノ・トーン調で大きさも定期とは異なる。
 ここはぜひ定期と同じサイズ、色調で揃えてほしかった。
 内容は薄くても構わないから・・・。

 席はPブロック、3列目とはいえ実質最前列。
 目前ティンパニ後(前?)の延長線は第1、第2ヴァイオリンの境界線。
 指揮台が足元から見渡せる視覚的には良い席。
 客席は本当に「フルハウス」。
 ちょっと見では空席は十数席しか探せない。

 ソリストは第1楽章から入場。
 つらい部分もあろうが(皆さん第3楽章前で水を口にしていた)、
 緊張感の持続を考えると尤もな事である。

 今まで8曲では、たとえ速めのテンポであっても、
 尾高さんの音楽の基調は上品さ、端正さと思われたが、
 第9では、時にアグレッシブな面を強く感じさせる演奏となった。

 第1楽章、やや速めのテンポでスタート。
 フォルテの緊張感が大変高く、厳しいほどの響きが音楽を特徴づける。
 第2楽章も速めできっちりとリズムを刻んで行くが、
 四分音符の刻みとその他の動きの同期が完璧ではなかった様子で、
 快調な第1主題に対して、第2主題は少々もっさりとした感じ。
 トリオは後半で管弦で縦線が微妙であった。
 第3楽章はチューニングを挟んで開始。
 ここは尾高さんらしい上品な音楽、特に管楽器のアンサンブルの美しさは見事。
 アンダンテのテンポがきびきびとしていて、アダージョとの対比が明確にされていたが、
 悪く取ると、やや流れが良すぎて底が浅い感じも受けた。
 注目?のホルンはまずまずの出来。打楽器の配置のためか、ステージ右側に陣取っていた。
 フィナーレ、歓喜の主題は聴こえないような弱さではなく、惜しむことなく最初から鳴り渡る。
 ファゴットを加えたヴィオラ以下の部分が美しい。 
 声が加わり、バリトンの福島は手堅いが、もう少し押しの強さがあってもよかった。 
 アラ・マルチアでの福井は貫録の十分だが、やや速めのテンポに遅れがちの歌唱。
 その後のオケだけによるフーガの充実度は見事。
 合唱は大変充実していて、N響で使われてる若者たち(生で聴いたことはないけれど)の上を行くと思う。
 女声陣はソロはないのだけれど、二人とも美しい声で、バランスよくアンサンブルにおさまっていた。
 今回も二重フーガ以降は力強い演奏で、終結部のアップテンポはなかなか激しく、怒涛のような終曲。

 第1楽章第2主題の木管を慣習的に低く吹かせていたほかは、
 目立つ部分で多くを新版に基づく音符で聴けたように思う。
 Pブロック最前列は、時に指揮者が自分の方を向いているような感覚があって、時折はっとさせられた。

 クラシックを聴き始めてから40年余り、ベートーヴェンの交響曲をこれだけ集中して、
 高いレベルの生演奏で聴くことができるとは思ってもみなかった。
 札響と尾高さん、そしてKitaraに感謝である。

 全曲演奏の最後にしては演奏後はあっさりとしたステージ上。
 まだ体調は万全ではなかったのかしら。
 終演16:25

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2011年12月10日 札幌コンサートホール
    札幌交響楽団第544回定期演奏会 尾高忠明指揮
 「創立50周年記念ベートーヴェン・ツィクルス#4」。
 2番、8番は今回の流れでは地味な組み合わせか?

 ロビー・コンサートはウェーバーのクラリネット五重奏。
 その前にモーツァルトの断片。
 今月も3人の美女が登場。
 ウエーバーは協奏曲を思い出させる楽しい音楽。

 プレトークは、尾高さんに代役が登場。
 話はわかりやすいがダジャレが多く、やや品格に欠けたか?

 前半第2番。生でもCDでも一番聴く機会が少ない曲と思われる。
 序奏は一瞬トランペットがフライング気味にスタート。
 しかしオーボエの美しいソロがフォローする。
 主部はこのシリーズとしては比較的遅めのテンポ。
 手堅さを感じる演奏は格調高く堂々としているが、
 もう少し躍動感というか、自由な雰囲気も欲しくなる。
 第2楽章以降もややゆったりとした、安定感のあるテンポで、
 手堅い演奏を目指したきらいが雰囲気があったが、
 随所で木管のソロが美しく音楽を彩っていた。
 弦楽器はやはり席のせいか、中間楽章では第1ヴァイオリンが弱く聴こえて、
 やや渋めの印象を感じた。
 尾高さんの指揮は精彩に欠いたとは言わないが、やや重い感じ。
 プレトークを休んだのはおそらく体調がよろしくないのではと思われた。

 後半は第6番「田園」。前の席が空席となり、見渡しがよくなった。
 ところが、そのせいなのか、やたらと第2ヴァイオリンの音が耳につく。
 慣れるには第3楽章あたりまでかかった。
 第1楽章の最初のトゥッティ、低弦がごしごし弾かない上品さは尾高さんらしい。
 提示部のリピートなし。最近では珍しいのではないか。
 カラヤンがノー・リピート、ハイ・テンポで駆け抜けていったのはずいぶん昔の事。
 というより、今まで7曲でメヌエットのダ・カーポ時さえも丁寧にリピートしていたのになぜ?
  上品な演奏ではあったが、弦楽器のダイナミクスが平坦になりがちで、
 コーダの盛り上がりでフォルティシモが生かされないなどの疑問もあった。
 第2楽章、穏やかな低弦にヴァイオリンが柔らかに歌う。
 力みのない自然な音楽だが、悪く取れば平坦に陥りがちともいえるかもしれない。
 最後の鳥の鳴き声の模倣の部分でなぜか客席からの咳が耳についた。
 後半連続する3つの楽章では先月まで聴いてきた速めのテンポの音楽が回帰。
 農民の舞踏は低弦は控えめで上品なリズムだが、ヴァイオリンが大変生き生きとした音楽を展開。
  
 「嵐」は迫力十分、前回「運命」でやや不発だったピッコロが鋭い響きを聴かせた。
 フィナーレ、開始のホルンはこけたが、その後は文句なし。少し落ちたテンポも心地よい。
 音楽にキレや力強い人間賛歌といった押しの強さはないが、実に自然な音楽。
 大詰めではヴァイオリンがフォルテにもピアノにも美しい響きを聴かせ全曲を素晴らしく締めくくった。

 これで定期での4回8曲が終了、あとは特別演奏会の第9のみ。
 ここまでは大変充実したベートーヴェンを聴くことができた。
 残る第9はもちろん、商品化された音盤の出来に大いに早くも期待がかかる。

 終演16:40

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2011年11月29日 札幌コンサートホール
    地下鉄開業40周年記念コンサート
    川瀬賢太郎指揮PMFチェンバー・オーケストラ                   
 PMFOBによるベートーヴェンということで気になっていたが、
 条件付きの応募制ということであきらめていた。
 タダではないがたまたま入手することができたので、
 7番を餌に息子とKitaraへ出向いた。

 39人のオケということで前の方に座りたかったが、
 開場時刻に現場着では、CBブロック6列目センターがやっと。
 キャッシュレスで公共交通機関を利用するなんてのは、
 やはり年配の方には浸透しにくいのだろう、客層は比較的若い。
 若いといえば、今日の指揮者は1984年生まれだ。
 PMFオープニングで「スター・ウォーズ」をカッコ良く振った記憶がある。

  プログラム前半は弦楽器のみ。編成は高い方から8-6-5-4-3。
 最初はモーツァルトのK.525の第1楽章。
 ヴァイオリンの重音があまり美しくない。
 旋律の歌い方があまり揃わず、臨時編成の短所が出たが、
 後半へ向け、やがて修正されていった。
 2曲目バッハの「アリア」は豊かな低音に、ヴァイオリンが美しく歌ったが、
 トリルの収め方など、細かい仕上がりは今一つ。
 「ピチカート・ポルカ」は細部の音符が通常聴くのと異なっていた。
 演奏はピチカートだけの分、音色の揃いに問題はないけれど、
 細かい音符があまり上手に弾けてない様子。
 最後にチャイコフスキーの弦楽セレナードの第1楽章。
 重厚さにはやや欠けるが、日本人中心のアンサンブルらしい美しい演奏でアンサンブルの乱れも目立たなかった。
 いっそこれを全曲やってくれたらという思いがした。
 前半終わって19時半、休憩20分はちょっと長い。

 後半ベートーヴェンの第7番は「のだめカンタービレ」でクラシック・ファン以外?にも広まったが、
 かのドラマの指揮の指導をしたのが、今日の指揮者川瀬。
 つまるところ、『「のだめ〜」のベト7』のご先祖さまみたいなものである。

 第1楽章の序奏、重さはないが、締まった感触の響きはやはり39人編成である。 
 主部ではフルートの第1主題の骨太でよく通る響きはなかなか聴くことができないもの。
 しかし総じてホルンのハイ・トーンが安定度に欠けけたのは痛い。
 第2楽章は主題提示が美しい、中間部の管楽器にはもう少し柔らかさがほしかった。
 スケルツォではティンパニがクライマックスで強打され、
 ベートーヴェン特有の段階的な強弱を特徴づけた。
 しかし前楽章に続いてトリオでの管楽器の響きに色気が欲しい。
 フィナーレは快調なテンポ、コーダは大オーケストラ並の迫力で終曲。
 最後の和音で熱演のティンパニがマレット落とした。

 川瀬の指揮は若々しく、切れの良いダイナミックスタイル、オーバーアクションが少ないのも好ましい。
 オーケストラも指揮者同様に若々しい響きの音楽を奏でた。
 そこに、もっとまろやかな、手ごたえのある響きを求める聴き手が反論するかもしれない。
 時折細かい部分で聴かせるあざといまでの表情付けも異論が出そうだ。
 また、第1楽章の付点音符のリズムや、フレーズの弾き収め方などの不徹底も気になった。
 39人のモダン楽器のオーケストラが大コンサートホールでベートーヴェンをやる意義はいかに?
 という理屈っぽい考えは持ちたくないが、
 若く腕のいいメンバーからなるオケの響きは時に大オーケストラだったり、時に室内オケだったりして、
 オーケストラのスタイルに今一つ方向性が欠けていた。
 たとえば息の長いクレシェンドで、スタートとゴールのダイナミクスの幅が狭くなる事があった。
 このあたりはウィーンのメンバー達の演奏では感じられなかった。
 指揮者のコンセプトの問題か、それとも急造オケの短所だろうか。

 第1楽章と第2楽章、スケルツォとフィナーレがアタッカで演奏されたが、
 特に前者の効果は個人的に大変好ましく感じられた。
 全曲丁寧にリピートしていたが、なぜかフィナーレの前半のリピートだけスルー。
 大熱演だっただけに、これは大変残念だった。

 若手オケの熱演に大いに沸いたが、アンコールはなし。
 記念コンサートなのだから、何かあってもよかったのでは?
 しかし、「観光列車」にしても「テープは切られた」にしても打楽器が足りないか・・・。
 「パシフィック2・3・1」では人数が足りないし・・・。

 終演20:30

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2011年11月12日 札幌コンサートホール
    札幌交響楽団第543回定期演奏会 尾高忠明指揮
 「創立50周年記念ベートーヴェン・ツィクルス#3」。
 今回は4番、5番と続き番号のラインアップ。

 ロビー・コンサートは前回に続いてロッシーニ。
 弦楽のためのソナタ第3番は、
 トスカニーニがNBC響で取り上げたこともある。
 各パートが結構めまぐるしい動きを聴かせるが、
 ふたりで弾いた両ヴァイオリンパートのシンクロ度?の高さは見事。
 それにしても札響は美女揃いである。

 今日の尾高さんのプレトークでは、ライブラリアンが登場。
 年齢的にかなりお若い方と見受けた。

 まずは第4番。前に聴いたのはいつだっけ?
 序奏でヴァイオリンが26小節からのアルコをピチカートで弾いてびっくり。
 後で調べると、デル・マー改訂のベーレンライター版に由来するらしく、
 20年ほど昔にマッケラスがリバプールでやっているというから、
 尾高さんはBBCウェールズ時代に情報を仕入れていたのかもしれない。
 演奏そのものはある意味で自然体というか上品な音楽。
 第1楽章序奏は淡々として、神妙な雰囲気は感じられない。
 続く主部もリズムをドン・ドン・ドン・ドン・・・と強く打つこともなく、
 自然に流れるような快調さで音楽が進んだ。
 このあたりはやや重さ、あるいは起伏がほしいと感じる向きがあるかもしれない。
  たとえば主部リピートの1番カッコあたりは音楽に区切りをつけるような表現があってもいいように思われた。
 第2楽章も基調は変わらず実に品の良い趣味の音楽。
 そのせいか、あるいは自分の場所のせいか、ヴァイオリンがややおとなしく聴こえたのが残念。
 今回も木管楽器は終始好調で、随所で素敵なソロを聴かせたし、
 フィナーレでは、クラリネット、ファゴットが難しそうなソロを(おそらく)完璧にこなしていた。

 15分という短めの休憩の後に第5番「運命」。
 客席も含むホール全体の緊張感の中、冒頭の運命の動機が見事に決まった。
 それからは終曲まで、運命の動機がひとつずつ繰り返され、積み重ねられ、大変充実した演奏が繰り広げられた。
 ベートーヴェン・ツィクルス中日にしてひとつのピークが来たといっていいだろう。
 技術的にはほとんどキズのない(素人の耳にはおそらく1か所)演奏で、
 このまま商品化してもよいのではないかと思われた。
 具体的にどこがどうだったなどというのも難しいほど立派な演奏で、
 強い推進力でリードする弦楽器、繊細なソロを聴かせる木管、力強い金管、
 深みのあるティンパニと各パート文句のつけようのない三十余分であった。
 しいて言うなら、自分の耳には大詰めのピッコロが弱かったか?
 このあたりのバランスは録音されたものでは違ったバランスとなっているかもしれない。

 自分にはやや地味な印象に終始した4番との対比が極端に出た形に聴こえたのだが、
 尾高さんとしてはこの4番から5番への推移を強調したかったのだろうか?
 この日は首の病を感じさせぬ力強い指揮ぶりだった。

 演奏終了後、定年により最後の出演となったコントラバス奏者(鈴木祐治氏)に花束が贈られた。

 終演16:40

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2011年10月28日 札幌コンサートホール
    札幌交響楽団第542回定期演奏会 尾高忠明指揮
 「創立50周年記念ベートーヴェン・ツィクルス#2」。
 5回のうち今回だけは第2土曜日と日曜日にかからない。
 そのためあきらめていたが、仕事の都合がついた。
 全部聴くのとそうでないのでは、意気込みが違ってくる。

 開場前に手にしたPR誌によれば、
 尾高さんは頸椎の障害で、
 新国立の「サロメ」をキャンセルしたというから心配である。

 ロビー・コンサートはロッシーニの二重奏曲。
 PMFでおなじみの楽しいチェロとコントラバスのデュオ。
 サンドイッチをつまみながら背後で聴いたが、
 きちんと正面で聴けばよかったと後悔。
 開演直前のプレ・トークでは、
 尾高さんが札響のステージ・マネージャー氏を紹介。

 前半は第8番。
 不幸にも?スコアが一番頭に入っている曲である。
 振り下ろされた腕がもうひとつ動いてから音が鳴った。
 尾高さんらしい、品の良い響きである。
 曲調のせいか、テンポはそれほど速く感じられない。

 総じて前回可哀そうなほどに思われた、緊張感が大きく退行していた。
 ヴァイオリンはのびのびとしていて、木管楽器は豊かでくつろいだ響きを聴かせた。
 この曲にはそうした雰囲気がふさわしく思われたのだが、
 逆に細部への気遣いがややおろそかにされたのではという思いも残る。
 弦楽器ではヴァイオリンがしばしば粗い響きになっていたし、
 木管楽器が終始豊かな響きとはいえ、時に度が過ぎて品を悪くしていたように思う。

 目覚ましい効果を聴かせたのは第1楽章再現部冒頭(190小節)のティンパニ。
 この十六分音符がこれほど雷鳴の様に力強く、明晰に演奏されたのはあまり聴いた記憶がない。
 第3楽章トリオでは、チェロをソロで弾かせていた。
 これは最近の全集で「"solo"とあるが、"soli"=パート・ソロとするべき」という注釈が併記されているらしい。
 あえてそこに挑戦したのは面白い試みで、首席の石川が見事にこなしたが、
 やはりユニゾンで豊かな音で響くのがふさわしいのではと思われた。
 やや粗い弦の響きは終曲には少し見合って、力強く締めくくった。

 気になったのは尾高さん。
 終始晩年の岩城宏之のような指揮ぶりで、
 やはり首を気にしているのでは思われた。

 後半は第3番「英雄」。
 こちらは、その昔ペーター・シュヴァルツとの録音で使われただろう、
 沢山の書き込みのある、札響のパート譜を見たことがあったっけ・・・。

 第1楽章冒頭、尾高さんに指揮ぶりの豹変に驚かされる。
 前半はセーブしていたのか?岩城の亡霊は去り、いつもと変わらぬ動きである。
 それに呼応したのか、札響の響きも細かい部分まで行き届いたものとなった。
 特筆されるのは、第1、第2楽章でのピアノの部分での緊張感。
 はっと息をひそめるような密度のある、美しい音楽が何度も聴かれた。
 
 スケルツォは主部がおとなしくてちょっともさっとしたが、
 トリオではホルンが札響としては思い切って、勇壮な響きを聴かせた。
 フィナーレは終盤堅実すぎて、スケール感に欠けたかもしれない。
 コーダの大詰めでホルンを強奏させるかと期待したがそこまではせず。
 追い込みの弦楽器の音符の音価もあまり弾き分ける風でもなかった。
 

   今回の2曲もすべてのリピートを励行。

 緊張感からは解放されたものの、失われたものもあった2曲。
 一級品までもう一息、がんばれ尾高&札響!

 演奏終了後、契約満了で最後の出演となったコンマスの三上に花束が贈られた。

 終演20:45

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2011年9月10日 札幌コンサートホール
    札幌交響楽団第541回定期演奏会 尾高忠明指揮
 「創立50周年記念ベートーヴェン・ツィクルス#1」である。
 それでも「7番を生で聴きたい!」という息子の希望がなければ、
 チケットを手にすることはなかっただろう。
 この日のPブロックは2列目、ど真ん中に息子を座らせた。

 開場早々にはロビー・コンサートで「ラズモフスキー」。
 (欠食親子はクワルテットの背後でサンドイッチ(美味!)を食む。)
 開演直前には指揮者によるプレ・トークと大サービスである。

 まずは第1番。
 弦楽器はヴァイオリンから12-10-8-6-5の人数。
 記念すべきツィクルスのスタート、さらにCD録音のためか、
 速めのテンポで始まった序奏からは、
 大変な集中度と緊張感が感じられる。
 
 第1楽章前半はその緊張が100%良い方向に影響せず、
 ヴァイオリンなど、きっちりとしたというのを超えて、
 硬さが感じられる表情の音楽になってしまったのが残念。
 それでも展開部以降は勢いが出てきた。
 第2楽章でもカンタービレが硬い表情になりがち。
 個人的に一番良かったのは第3楽章。
 ヴァイオリンの入りのアウフタクトに低弦の刻みが
 絶妙の響きで就いてくる(妙な表現だ・・・)。
 またトリオの木管とホルンの表情が上品でなかなか良い。
 フィナーレは序奏がすっきりと決まらなかったが、終盤の推進力のある締めくくりが見事。
 ここでおや?と思ったのが、大詰めの主題提示の246小節で、フォルテの位置をずらしていた。
 尾高さんの指揮振りから事故ではなく確信犯と見たのだが、何か由来する資料があるのだろうか?

 後半は息子期待の?第7番。
 プログラムの文頭にも「のだめ・・・」の文字が見られる。
 自分としても、とある事情によりこだわりのある曲である。
 冒頭、力みの少ない自然体の入り、スムーズな序奏へのつなぎ、
 速めのインテンポは尾高さんの基調なのだろう。
 (というよりこちらがこだわりすぎなのだろう。)
 主部は内声部が実に気持ちよく刻み、ヴァイオリンが慎重に音を置いていく。
 硬いとは言わないが・・・。
   第2楽章冒頭の主題提示も実にバランスに気を使った様子がうかがわれる。
 ただ自分の場所では低弦のクレシェンドが弱かったか・・・。
  中間部では木管がまたまた美しいアンサンブルを聴かせた。
 第3楽章、第4楽章は先の第1番同様尾高さんの自然なテンポが見事に決まり素晴らしい演奏。
 昨年のルイジ&PMFで聴かれたこれでもかという強引さはなく、
 音楽が実に自然な拡がりと力強さで進み、クライマックスを迎えるのが好ましい。
 弦楽器は第1番より1プルトずつ増強。
 ホルンは4人が登場したが、スケルツォのトリオ以外はほとんど倍管で吹くことはなく、
 全曲を通してパート全体にゆとりを持たせる意図があったようだ。

 2曲通して、前半に聴かれた、録音を意識したような可哀そうなまでの固さ
 =ブラックモアさんが「可愛らしい」と感じた緊張感はやがて解消されよう。
 その時、尾高&札響の真価が発揮されたベートーヴェンを満喫できるに違いない。

 2曲ともすべてのリピートを励行。
 これでヴァイオリンが両翼にあれば・・・。

 とは言え、この充実感!
 第9を含めあと4回、通える日があればできるだけ聴いてみたいと感じた。

 このところ定演ではアンコールが演奏されることが多いようだが、
 さすがにこの日はなし。

 終演16:35

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2011年7月6日 札幌コンサートホール
    さぽーとさっぽろ サマー コンサート
    尾高忠明指揮札幌交響楽団
 同じ顔ぶれのニュー・イヤーから半年、
 PMFの割引とあわせて、今月はさぽーとさっぽろに大いにお世話になる。
 開場前の印象ではかなりの人の行列と見たのだが、
 開演するとニュー・イヤーに比べて空席が目立つのはもったいない。

 途中トークを何度か挟みながらの演奏。

 最初は東日本大震災の被害者へ捧げるバーバーのアダージョ。
 「3・11」以降この作品のほか、バッハのアリア、エルガーのニムロッドなど、
 演奏機会が増えているとか。
 トスカニーニ指揮で初演されたこの曲が生で聴けるというのは、
 自分にとってこの日一番の楽しみであるといったら叱られるかしら・・・。
 演奏は尾高&札響らしい丁寧な音楽。
 前半ヴァイオリンの動きが少し堅い感じがしたが、
 終盤に向けて強烈な叫びはないが、美しい盛り上がりを聴かせた。

 続いてモーツァルトの40番はクラリネットのない編成での演奏は、
 ちょっと昔の王道を行く風のイメージの尾高さんにしては意外な?選択。
 比較的速めのテンポで、弦楽器が熱っぽく歌う両端楽章は、
 ちょっと古楽風でこの編成に似合っていたように感じた。
 第2楽章の弦楽器がゆったりと美しいのが対照的。

後半の「新世界から」はきっちりとしたテンポで手堅くまとめられていた。
ここでも弦楽器の充実度が高かった。
第2楽章のイングリッシュ・ホルンを聴いて場内がざわつくのは、こうしたコンサートでは止むを得ないのか・・・。
しかし同じ楽章のコーダの弦のソロが静けさの中で美しく響いたのは素晴らしかった。
残念なのは総じてホルンがあまり上手でなかったこと。
第1楽章のリピートはなし。

アンコールにグリーグの「過ぎにし春」
しっとりと繊細な佳演。

終演21:00

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2011年5月11日 札幌コンサートホール
    道銀ライラックコンサート 梅田俊明指揮札幌交響楽団
 昨年は親子三代で楽しんだコンサート。
 今年の当たりは1枚、修学旅行で不在の息子宛て・・・。

 開場17時半、開演18時半と通常よりやや早い。
 それでも行列の比較的前に加わり、
 憲坊法師さんの教えの通り?前から2列目に着席。
 指揮者にソリスト、コンマスがばっちりと拝める位置である。
 Pブロックを除く客席は9割近く埋まっている。

 札響は今年創立50年、主催の銀行は60年ということで。
 寄付金と感謝状の交換があってから開演。

 最初は「カルメン」組曲抜粋。
 第1幕への前奏曲に始まり、ジプシーの踊りで終わる6曲。
 迫力たっぷりの弦に対し、木管楽器がやや野暮ったい表情に終始したのが残念。
 面白かったのは「衛兵の交代」。
 冒頭トランペットがドアを開けた舞台裏から鳴ったのだが、
 これが自分の場所ではストレートに力強く音が聞こえ、
 呼応する舞台上のトランペットの方が、遠く、エコーたっぷりに聞こえていた。
 これはおそらく意図するところとは逆だったのではと思われた。
 コバケンの「幻想」の第3楽章でもセッティングは違うが同様のことがあったっけ・・・。

 2曲目は「アランフェスの協奏曲」。
 ギター協奏曲の名曲とはいえ、録音でも実演でもなかなか聴くことのない曲だ。
 オーケストラは8-6-5-4-3の弦楽器にリサイズ。
 地元を中心に活躍する女性ギタリストのソロは技巧的に華やかさや力強さはないが、
総じて美しい響き。
 第2楽章は札響の弦、イングリッシュホルンの充実も加勢して魅力的な演奏。
 登場時は緊張していた表情は、終演後ぐっと和らいだ。

クープランの墓は冒頭のオーボエを始め木管楽器のソロが技術的に頑張ったものの、
もう少し全体の仕上がりにラヴェルらしいしゃれた雰囲気が欲しいかと思われた。

最後は人数がぐっと増えて「ボレロ」。
小太鼓は弦楽器のセンターにセッティング。
自分の席が前すぎたためか、冒頭の音量がそれほど弱く感じられなく
ヴァイオリンが主題を弾くあたりで音量的にいっぱいいっぱいという感じもだったが、
各ソロは目立つようなミスもなく、オーケストラの華麗な響きを楽しめた。
梅田は先の三曲でもそうだったが、派手なパフォーマンスはないが、
バランスに秀でたもので、低弦をえぐるようにならしたり、管打楽器の音楽にアクセントをつけていたのが効果的。
アンコールは「アルルの女」からファランドール。
「ボレロ」に引けをとらない盛り上がりで締めくくった。
終演 20:25。

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2011年1月21日 札幌コンサートホール
    さぽーとさっぽろ ニューイヤー クラシック コンサート
    尾高忠明指揮札幌交響楽団
 昨年はサボった?新春の無料コンサート。
 今回は音楽監督尾高さんの指揮。
 後半は例年のウィンナ・ワルツだが、
 前座にブラームスの1番と重量級である。
 席はCBブロック4列目ほぼセンター!

 ヴァイオリンは左側に2パートが並ぶ。
 これを見て萎えてしまうのはいけないのだが・・・。

 ブラームスが堂々たるテンポで始まるが響きはやや軽い。
 フォルテが粗くなるのは正月のハードスケジュールのせいか?
 堂々たるとは言え、もう少し踏み外したうねりが欲しい。
 さらにホルンがやたらこけるのがいただけない1楽章。
 しかし続く中間2楽章が不満を十分に補う好演。
 弦楽器の美しい響きに木管が良く歌い、
 指揮者は違うが先日の第9を思い出させる。
 コンサート・マスターは三上亮。
 強烈な押し出しはないが、繊細で美しいソロ。
 フィナーレはやはりフォルテが粗いが、
 コーダに向けて熱気を帯びて、見事なクライマックス。
 終始堂々たるテンポ、クラシックの王道ではあるが、
 もう少し肉体的な熱狂が欲しいブラームスではある。

 後半はお馴染みのウィンナ・アーベント。
 拍手が鳴り終る直前に始まった「春の歌」!
 ついに尾高さんもはじけたか?と思われたが、
 音楽はちょっと恰幅がよい。

 続く「アンネン・ポルカ」は打楽器が盛大に使われるバージョン。
 やはりはじけたか・・・。
 ここで尾高さんのトーク、ブラームスとシュトラウスの関係にも話が及ぶ。
 ならばここで「くるまば草」序曲をぜひ・・・。
 今宵のメイン?はヨゼフのワルツ、まずは「天体の音楽」、上品だがやはり堅い・・・。
 続く拍手をさえぎるように「トリッチ・トラッチ・ポルカ」、これが心地よいテンポで楽しい。
 もうひとつのヨゼフの名作「我が人生は愛と喜び」がゴージャスな演奏。
 この日極めつけは「雷鳴と電光」、生き生きとしたテンポと迫力は世界レベル!
 締めはお約束の2曲だが、「手のひらを少し斜めに・・・」と尾高さんが拍手の仕方をアドバイス。
 盛大な拍手が場内に鳴り渡り、「音楽が聴こえなかった」とユーモアで締めた。

 終演21:00 

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