2006年のコンサートから

2006年11月26日  北海道厚生年金会館
    キエフ・オペラ〜ウクライナ国立歌劇場   
        

 わがオペラの初経験は、「アイーダ」。
といっても'73年のイタリア・オペラのテレビ放映だ。
それから30余年経ての、生「アイーダ」である。

キエフ・オペラの公演は9月23日から12月3日まで、
ほとんど毎日のように「アイーダ」と「トゥーランドット」の
2演目を繰り返すロング・ランのツアーだ。
札幌も前日は「イナバウアー」である。

「清きアイーダ」を輝かしく決めるテノールもいなければ、
凱旋の場でオケに負けじと声量を誇るソプラノもいない。
テレビやビデオで接するクラスの上演を想定していくと、
結構な肩透かしをくらうことになる。
セットも簡素で、演出も凝ったことは皆無だ。
オケの音の感触はけして上質とはいえず、
プログラムには100人程度の名前が載せられた合唱も、
この日ステージに登場したのは60人に満たず、プログラムにある写真とはかなり差がある。

前半ふたつの幕でのスペクタクルは期待できず、見た目にも寂しい。
演出はそんなスケールの不足を精緻に描いた背景と、奥行きのあるセット、
派手さは無いが美しい衣装(ただし小道具はお粗末)でカバーしようとしているように思えた。
しかし、これが日常の「オペラ」なのだろうと思えばなかなか楽しむことができた。
特に後半のふたつの幕では、アムネリス、ザラストロの立派な歌唱が聴けた。
アイーダも歌詞が聴きづらい難点はあったが魅力的な声質。
前半ぱっとしないラダメスも3幕、4幕としり上がりに好調となった。
数は少ないとはいえ合唱は立派。2幕や3幕冒頭での美しい響きが印象に残る。
オーケストラは金管がやや雑なのが難点。「凱旋の場」では声をかき消してしまう。
一番の不満は指揮者、テンポが杓子定規でヴェルディの音楽の魅力を引き出してはいないように思えた。
演出については多くは語れないが、疑問だったのは第4幕第2場でアムネリスの扱い。
遠くカーテンの向こうで歌ったのだが、主役とはいえアイーダとラダメスにフォーカスが行き過ぎではないか?
このあたりはヴェルディの音楽の作りにも問題があるかもしれないが・・・。

両開きのカーテンがない会場では、通常見るような一人一人のカーテン・コールはなく残念。

大きな期待には及ばなかったが、かつてのロシア三大歌劇場のひとつ、
これならまたオペラを見たい、と思えるレベルだったのはなにより。

参考までに当日のキャスト
アイーダ:テチヤナ・アニシモヴァ(私、好みです。もっと近くで見たかった!?)
ラダメス:オレクサンドル・フレツ(前半しっかりせい!)
アムネリス:テチヤナ・ピミノヴァ(もっと押し出てもよかった、しかし4幕は見事)
アモナスロ:イヴァン・ポノマレンコ(この日一番!!けれど拍手少なかった)
ランフィス:セルヒィ・マヘラ(まあこんなもんでしょ)
国王:セルヒィ・コヴニル(まあこんなもんでしょ)
使者:オレクサンドル・ジャチェンコ(?)
巫女:リリア・フレヴァツォヴァ(ユニークな声質の持ち主)
指揮:ヴォロディミル・コジュハル(×!)

終演 17:20

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 2006年11月23日  札幌コンサートホール
    ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス ニコラウス・アーノンクール指揮 
          

 本格的にクラシック音楽を聴いて35年。
 ぜひ1度と思った指揮者たち・・・。
  ベーム、カラヤンには手が届かず、

 バーンスタイン、ショルティは願いが叶った。
 最後に残るひとり、ニコラウス・アーノンクール。
 叶うことがないと思われたKitaraでのコンサート。
 オケは長年連れ添ってきた
 ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス。

 オール・バッハ・プログラムは
 今年最大のクラシックのイベント、
 ところが当日売りが200枚弱、
 さらには3階席がほとんど空席という会場だ。

 おやっと思ったのは楽器配置、
 旋律系と通奏低音系を分けたのか?
 弦楽器はヴァイオリン両翼配置を採らず、
 チェンバロをセンターに左に6-5-5の人数で
 ヴァイオリン、ヴィオラが並ぶ。

 アリス夫人はソロはとらず1プルト裏に控えていた。
 右側にファゴット1、オーボエ2の木管、
 その後にチェロ2(組曲では3)、コントラバス2の低弦。
 右手奥最後列に金管、打楽器が配された。

 組曲第1番。
 驚いたのは弦楽器の美しい響き。
 今までの生で聴いた古楽器オケの響きの記憶、
 それに数々の録音から予想してそれほど美音は期待していなかったのだが、
 古楽器の弦としては今までに聴いた事のなかった音の美しさで、
 VCMがウィーンの団体であることを改めて思い出させた。

 2曲目はヴァイオリンとオーボエのための協奏曲。
 名曲ではあるが、おそらくアーノンクールの録音はなかったのではないか。
 ここではアーノンクールが時折聴かせるテンポの上での「サプライズ」があった。
 第1楽章冒頭の主題でソロとトゥッティの切り替えでふっと間を空ける。
 それがぴたりとはまるのだから長年のコンビネーションはさすがである。
 美しいピチカートの上にソロが歌う第2楽章が見事。  

 休憩をはさんで、カンタータ組曲。
 カンタータのシンフォニアからチェンバロの活躍する曲を編んだ「チェンバロ協奏曲」である。 
 若いソロが弾くペダルのない古楽器仕様?のチェンバロはやや音量が弱い。
 第1楽章あたりはメリハリもあまりなく不満だったが、
 後半はこちらも慣れたのかその美しい音を楽しめた。

 プログラムの最後に置かれたのは第3番の組曲。
 来シーズンからは指揮活動を縮小するというアーノンクール、
 その(おそらく最後の)日本ツアー最終日となったKitaraには
 彼のバッハの到達点とも言える完成された音楽が響いた。
 おなじみの「エア」、アーノンクールの大きな息遣いで始まったその後半の美しさ。
 続く数々の舞曲の計算された流れ、美しい弦楽器と堂々たる管楽器群のバランスの見事さ。
 部分的なアクセントも過度にならず、説得力を持った必然的なものととして聴こえた。
 繰り返しになるが美しさと威厳を兼ね備えたすばらしい音楽だった。 
 
 アーノンクールの指揮振りは、右手は手刀を切るように弦楽器にアインザッツを与える程度。
 左手の動きの大きさが右手に勝るように思われた。
 第2ヴァイオリンの後方からステージを望む席からは
 組曲第1番では穏やかだった表情が終演に向けて次第に熱が入っていくのが窺えた。
 アンコールに組曲第4番のガボット。
 熱心な聴き手の拍手は最後途切れそうになったが、VCM退場後のマエストロの再登場を叶えた。

 終演18:05

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2006年7月2日  札幌コンサートホール
    札幌アカデミー合唱団コンサート27 井上道義指揮                       

 札響のコンサートで時折目にする名前であるが、1984年設立というからそれほど長い歴史ではない。思うに札幌放送合唱団というのが当地ではリーダー格なのだろう。

 数年前今日と同じ井上指揮でヴェルディのレクイエムをやったのだけれど、確かPMFも近いので、あきらめた記憶がある。
 今回は「カルミナ・ブラーナ」、生で聴きたい曲の最右翼?というわけであえてチケットを手に入れた。

 前半は今年73歳のアルゼンチン生れのバカロフという人の作品。ミサの典礼文をスペイン語で歌うというもので、バンドネオンが活躍する。「ミサ・タンゴ」というタイトルから想像してしまう派手さはなく、キリエでのバンドネオンの響きは美しくミサ曲のイメージになかなかふさわしいものだった。残念なのは前座?ということで、今一つ掘り下げが足りない感じがしたこと、特にオケは精緻な井上の指揮への反応が鈍くて隈取のあまい演奏に終始した。一部が割愛されたが、これなら全曲聴いてみたいと思わせる音楽だった。

 後半は「カルミナ・ブラーナ」、100人ほどの合唱は札響のフル・ボリュームにはさすがに埋もれ気味だった。それ以外の部分ではおおむね満足できる出来だった。時折安定さ、明瞭さを欠いた女声陣に比べ、男声陣のしっかりとした声が印象に残った。独唱の三人はいずれも見事、特にバリトンの堀内康雄は途中曲に合わせた衣装替えでステージの出入りも頻繁だったが、堂々たる声で一番印象に残った。ソプラノの半田は後半はパイプオルガン前で歌い、美しい声と衣装で(さらに写真から思うに美人!)で、P席を最上席にしてしまったし、テノールの高橋は千鳥足でPブロックを入退場して、表情豊かに歌った。

札響はこの曲としてはややこじんまりとした響きだったが合唱とのバランスを思えばこれでよかったのだろう。やはり弦楽器の充実がすばらしく、ダンスのリズム感の躍動感は抜群だったし、前半のバカロフでも美しいソロが聴けた。それに比べると管、打楽器はここ一番の決めをはずすシーンがあったのは残念。

バレエをこなすだけあって井上の指揮振りは柔軟で細かい。ただしオルフではテンポの起伏が大きく、即興的な動きに時折演奏者達との間にギャップが生れたように思われた。独唱のところで触れたが、今回は衣装と照明による演出が行われたが、やや中途半端な感は否めない。コンサート・スタイルにどっしりと腰を据えたほうがよかったのではないかと個人的には感じた。

立派な演奏にブラヴォーの声も少なくなかった。ただし、あと一度最後のカーテン・コールといういい雰囲気のところで札響が勝手にステージを切り上げてしまったのはマナーに反するだろう。何か予定があるのか不謹慎にも駆け足で退場する団員もいた。北海道の音楽界のトップを行く人々である。若い団体のコンサートなのだから、もっとゆったりとかまえて、大人であるべきではないか?

終演18:10

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2006年5月21日  札幌コンサートホール
    札幌交響楽団第489回定期演奏会 ドミトリ・キタエンコ指揮                       

 久しぶりの札響定期への突撃である。
 席はちょっと倹約して、一番安い席。
 左45度、上45度から指揮者を見る形で、
 視覚的には実に面白かった。
 今年アニバーサリーを迎えた大作曲家。
 Lで始まる都市の名前を持った交響曲二つの演奏会。
 どちらの町も一時期ナチス・ドイツに苦汁をなめさせられたかもしれない。
 客席は7割程度の入りであろうか、もう少し入ってもよさそうだが、
 アウトドアも捨てがたい今の北海道である。

 ホールに入ってびっくり!両翼に4本のコントラバスが置いてある!
 どんな音楽をやるんだキタエンコ?
 (「北縁故」とでました。ウチのパソコン)
 開演してみるとなんのことはない、
 「リンツ」はヴァイオリン両翼配置でコントラバスは左に4本。
 「レニングラード」はヴァイオリンを左に、右に8本のコントラバスが並んだ。

 まずは「リンツ」
 先のミスターSのモーツァルトと比較されるところだろう。
 こちらはとずいぶんと健康的な音楽。
 あの「ジュピター」(これもハ長調)で聴かれた
 背筋が伸びるような尊大さはなく、
 モダン楽器による身近なモーツァルトの響きに満ちていた。
 とはいえ第1楽章での表情付けや、
 メヌエットの間の取り方などユニークさも事欠かない。
 全曲のリピートを敢行して第2楽章はちょっと退屈ではあったが、
 後半の二つの楽章は、豊かな低音が全体を支えて実に魅力的なモーツァルトだった。
フィナーレの弦楽器のやりとりなど正面から聴いたらその効果は素晴らしかったのではと思わせた。

後半は期待の「レニングラード」。
こちらも冒頭なんとも健康的な音楽でちょっと面食らった。
続いてはめくるめく変拍子の世界。
正直言って札響がどこまでこなしてくれるのか不安であったが、
ヴァイオリンを筆頭に弦楽器がよく音楽の土台を作り上げていた。
一番心配だった木管楽器のソロは、安定した弦楽器の上で無難な仕上がりだった。

驚いたのは「チチンブイブイ」。なんと小太鼓が不調であった。
冒頭pppなのにずいぶんと大きい音で入ったかと思ったのだが、
おそらくその修正が効かなかったのだろうか。
音は欠ける、リズムはボロボロ、ダイナミクスも滅茶苦茶。
個人的には正直言って、キタエンコが止めるのではないかと心配した。
音楽はなんとか進み、管楽器はなんとなく浮き足立って、
シンバルは叩き損じをしながらも、音楽は見事な盛り上がりを聴かせた。

今日の演奏の最大の美点として、いかなる大音量になっても、下品にならず健康的なスタイルは崩れない。
緩めで、音楽の見通しのいいテンポがその第1の要因ではないかと思われる。
低弦の動きが鈍くなってもう少し推進力があってもいいかなという部分もあったが、
全体の構成力の強さは見事で、コーダではオルガンの様な響きも引き出して見事な80分近い音楽絵巻であった。

札響は健闘した。一番感心したのはヴァイオリン。美しい響きで全体をリードした。
木管楽器はやはりところどころいつもの音色が顔を出して眉間にしわをよせたが、
今日の場合は、曲が曲だけに気になる部分は少なかった。
金管楽器は聴いた場所のせいか目だった点はなかったが、フォルテが下品にならなかったのは見事。
打楽器ではティンパニがいい音を出して、終演後の指揮者の指名を受けていた。
・・・そう小太鼓奏者は立たせてもらえなかったのである・・・。
プロであれば克服されるであろう細かいミスが修正されれば、明日のコンサートは大変な名演が聴けるだろう。

終演17:20

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2006年5月3日  札幌コンサートホール
    スクロヴァチェフスキ指揮札幌交響楽団                         

  今年もやってきました、息子受難の日。
 「親子三代で楽しむオーケストラ」である。
 当日売りは200枚余り、ちょっと売れ残り過ぎ。
 実際の入りも9割を切ったか、
 今年前半最高?のクラシックのイベントなのに・・・。
 主催者の猛省を望むところ。
 
 親子上2代はビール、孫はオレンジジュースで開演前をすごす。
 2階に上がりKitara Clubの会員名簿を見に行くもそこは昨年末のリスト。
 この4月に家族会員となった「孫」の名前は当然見つけられない。

 オケは両翼配置ではなく、普通のヨーロッパタイプで、
 一番左にはヴィオラが楽器を「あっち」に向けてすわる。

 御大登場、本物だ!
 今年83歳、テレビでは気づかなかったが足元がちょっとつらそう。

 最初は、いまや「7番」が定着しつつある「未完成」。
 幅広さを感じる低弦に続いて、16分をきっちり刻むヴァイオリン。
 予想通り?速めのテンポで、楽節にしっかり区切りをつけて行く。
 やや濁り気味だが安定した響きの低弦に、ヴァイオリンが繊細に歌う。
 トスカニーニの演奏を思わせるが、全体の表情付けは細かい。
 フォルテではヴァイオリンの楔型のアクセントを明確にとらせる一方、
 楽節の切れ目でぐっとテンポを変える変則技もしばしば聴かれた。
 精緻な表情付けと、くつろいだ歌が見事に共存した稀な演奏と感じた。
 残念なのは先にも述べたように低弦がやや濁り気味なこと、
 それからトロンボーンが大人しく、音の厚みに不足したこと。
 ただしこれで叙情的な雰囲気が引き立ったことは確かではある。
 第2楽章後半ではホルンの低音に不安があったこと。あとは丸い響きが素晴らしかっただけに残念。
 しかし最大のマイナス点は私にはどうしてもオーボエの音が余りにも下品に聴こえること。
 チンピラ・ファンから言われたくないだろうが、私には札響の「致命的問題」と思われる。

 続いて弦のプルトを減らしてモーツァルトの39番。
 基本線はシューベルトと変わらない。管楽器はオーボエがいない分安心。
 これまた自由なテンポの序奏部から始まる。きつめのアタックは古楽風。
 実は冒頭部のみ先のN響の生放送を聴いたのだが、そのコンセプトは札響も見事に表したと思う。
 ティンパニなどピリオド奏法を意識しつつも、品があるのは見事。
 精緻さはヴァイオリンに対して厳しく、第1楽章主部ではN響に比べやや掘り下げが甘いと思ったが、
 リピート時には、指揮者がより細かいアクションで、オケにその意図を再確認していた。
 ユニークなのは時折音楽を終止形に向けて、ディミュエンドをさせること。
 これは時折の管楽器のソロ・パッセージを浮き立たせるのに効果を上げていた。
 全曲でリピートをしたが、これによってはとやや冗長に思われることもあるモーツァルトだが、
 第2楽章以降アタッカにすることで、聴き手の緊張感をひきつけていた。
 ただしフィナーレ前でヴィオラ・パートが譜めくりをもたつかせていたのはお粗末。

 20分の休憩、G店T氏、ブラックモアさんと歓談、のどが渇いた息子は脇でジュースを飲む。
 T氏曰く、「Kitaraで聴けるなんてなんてうれしい、あと1曲でおわっちゃうんですねー」。
 と寂しそう。この方大好きなんですね、ミスターS!

 後半は「ジュピター」。基本的な姿勢は今までと変わらない。
 精緻な表情付けと豊かな歌の微妙なバランス感覚がすばらしい。
 また弦楽器のボリュームを落として管楽器を浮き上がらせる手法がより生かされていた。
 ここでもあまりにも速め?のテンポには混乱があったが、
 第1楽章あたりでは付いてこれないヴァイオリンやファゴットを細かい棒で引っ張っていく。

 とにかく新しい発見が次々とできる演奏であった。
 しかしその上に凄まじいフィナーレが待っていた。
 今までおとなしかった低弦が、デモーニッシュなほどの音を出し、
 ヴァイオリンと見事な対位法の世界の基礎を作り上げた。
 大詰めのフーガの入りではあっと驚く仕掛けもあり、
 快速テンポで、リピートしながらもあっというまの充実した30分余りだった。

 速めのテンポ、時折細かすぎるかもしれない表情付けについては、
 「これはモーツァルトではない」と思う人もあるかもしれないが、
 ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、さらにシューベルトという流れを考えると、
 後期のモーツァルトはこれが正解ではないか?

 総じて札響はよく健闘した。フルート、クラリネットは品があり、オーボエも「ジュピター」では控えめで好ましかった。
 弦は時折力が入りすぎたか、粗っぽい部分もあり、中声部から低音が明瞭さに欠けがちなのは残念だが、
 今日の出来ならば、このあと映像が出てくるだろうN響の同プロと比べられても十分対抗できるではと思わせた。

 聴衆も大いに盛り上がり、札響メンバーも足を鳴らしてマエストロを称える。
 オケの退場後も呼び出したかったが、お歳を思えば申し訳ない。
 そんな「上質な」聴き手のとまどいを思わせる拍手で終演16:00

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2006年1月7日  札幌コンサートホール
    ゲルギエフ指揮マリンスキー劇場管弦楽団                         

  新年第一弾はいきなりゲルギエフである。
 どう考えても七草粥には胃に重い。
 当日売りはA席60枚、開演までにそこそこさばけた模様。
 悪天候に気遣ってか、5分前に開場。
 しかしリハーサル中らしく、ホールに入れたのは開演15分前。
 もらったプログラムを見てびっくり!
 「くるみ割り」抜粋はおそらく一時間近い大曲になりそうな選曲。
 自分的にはマーラーより、「くるみ割り」狙いなので大歓迎。
 ベルは定時に鳴ったものの、オケがステージに出たのは10分遅れ。
 音楽がはじまったのは、5時15分に近かった。
 まずは期待のチャイコフスキー。
 ゲルギエフの解釈は、コンサートスタイルというべきか、
 テンポの取り方が結構自由。
 ただしダイナミクスの幅はそれほど広くないようで、
 クライマックスも余裕を持ったヴォリュームで収めている。
 オケの仕上がりは悪い予想通り?
 あまり練習に時間をかけていないのだろう。
 特にヴァイオリンなど不揃いで、音も粗い感じが終始付きまとう。
 しかもゲルギエフが、ワルツでもテンポを微妙に揺らすものだから、
 時折アンサンブルに不安定要素が加わる。
 それでも劇場付き、しかもロシアのオケ。
 よそではなかなか聴けないだろうチャイコフスキーらしい?音がした。
 演奏後アナウンスされたのだけど、予定された曲のうち、
 パ・ド・ドゥの部分がほとんどカットされたのは残念。

 休憩15分、ハープの移動や、楽譜の準備などずいぶんと手際が悪い。
 これまた音楽が始まったのはかなり遅い。


後半のマーラーでは、なんと指揮台がはずされて、フロアで指揮するゲルギエフ。
そのアクションは実に雄弁で、台があってはたしかに狭かろうと思えた。
オケの緊張感も前半とは変わって高いもので、ヴァイオリンも見違える出来だった。
手応えのある分厚い響きを基調に、ゲルギエフが繊細な表現を加える音楽造り。
ただしその両者がうまく融合できたかというとそうでもなく。
前者の分厚い響きが優って、繊細な部分が生きていない。
練習不足か、個人の技量の不足なのか?
それとも最後列というこちらのロケーションのせいか?
いずれにせよ、部分的に感心しても全体の流れが今一つつかめないまま終わってしまった。
比較的ゆったりとしたテンポで進んだフィナーレ、
コーダの大詰めで突然テンポを上げたのも受け狙いのようでいただけなかった。
その通り聴衆は盛り上がったけれど、オケのあまり愛想のないステージマナーに
PMFの時のようにオケ退場後にもう一度指揮者を呼びだすには至らなかった。
終演19:25

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