君が望む永遠(その2)
2001年8月11日作成
最終更新日 2001年10月21日


【キャラ別感想1】

速瀬水月(以下水月)

 遥には悪いけど流れからいって水月を選ばざるを得なくなっていた。確かに遥の純粋な想いというのは分かるんだけど、水月だって「鳴海孝之(以下孝之)」に対して意味ありげなしぐさをことあるごとに見せていた。そんな彼女の健気さというものを痛いほど理解してしまったからこそ、2人がつき合うようになってもそれほど驚かなかったんだと思う。
 始めのうちこそなんで水月とつき合えるんだと思っていた。しかし、徐々に真相が分かるに従って彼女の優しさが垣間見られたことでそれもそうだなと思えるようになった。

『茜ごめんな、気づいてあげられなくて』

 水月のところでこんなことを書くのもなんだけど、まさか孝之のことをそんなにも大切にしてるなんて思いも寄らなかった。遥が最初に目覚めた時、彼やその仲間達だけの時は憎しみを露わにし、涼宮家族がいる前では3年前と同じ笑顔を装うという尋常とは思えない態度を見せていた。この時点では実の姉である遥のことを一番に考えていたからだとばっかり思っていた。だから孝之が遥の親友水月とつき合っていることを知って裏切られたいう気持ちはある意味当然だ。でも、それ以上に彼に対する想いが強かったんだということを後になって知った。こんなことなら茜のことをもっと気に掛けていればなんて今更ながらに後悔した。

『好きでもないのに優しくすることが優しいとは思わない』

 これはコミック『こどものおもちゃ』で羽山秋人がいってた台詞なんだけど、今回のことで改めて考えさせられた。確かに予想外のことが起こって気持ちが大きく揺らぐのは分かる。だからといっていつまでもはっきりしない態度を続けていいことにはならない。一番大切したい女性が分からないのであれば中途半端な優しさは絶対に見せるべきではない。
 だからといって別に優しくするなといってる訳でもない。そうするのであれば一人の女性だけにしろといってるのだ。正直言ってこんな奴の為に水月が尽くしているのかと思うとマジで腹が立つ。本来ならみんなから愛想を尽かされて当然だと思う。その結果、一人寂しく生きていくことになっても文句はいえないはずだ。

『水月の変貌ぶりに驚く』

 これは何も水月シナリオに限ったことではないんだけど、遥に愛情が傾いてしまうことを恐れた水月が孝之の気持ちをつなぎ止める為になりふり構わず身も心を捧げる姿は見ていて痛々しかった。そうしなければならない本当の理由を知ってからは余計にそう感じた。自分のせいで孝之の人生を狂わせた、と心の奥底にずっと溜めていたのかと思うとどうにもやり切れない気持ちで一杯になった。

『水月エンドについて』

 いろいろあったけど八方丸く収まりました、なんて都合のいい結末になっていて(非常に個人的な意見であることを承知で)納得がいかない。あれだけ優柔不断なことをしておいて自分だけ幸せになろうという孝之の根性が許せない。お人好しの遥が潔く身を引き、周りの人々も彼の都合のいいように立ち回ってくれからいいようなものの、そうでなければ泥沼の三角関係が今でも続いていたはずだ。
 全体的に不満が多かった中、唯一の例外としてエピローグで紹介される「ほんとうのたからもの」という絵本には感動させられた。暖かみのあるタッチで描かれた微笑ましい内容に自然と涙が零れてきた。もう二度と仲間の絆は元に戻らないものだとばかり思っていた。それだけに終わり際に希望を持たせるメッセージを見ていたらもうどうにも止まらなくなってしまった。
 いろいろと嫌なことが立て続けに起こったけどこれのお陰で何もかも救われたような気がする。

「1度目では味わえない感動があった」

 全てのエンドを終えて改めて水月エンド見てみると、最初とはまた違った感動があった。1度目では納得いかないことも2度目では許せてしまうことがあるんだなってつくづく思った。それにしても、もう一度見直すことでより大きな感動を得るとは夢にも思わなかった。
 これまでに水月、遙、茜の切なる気持ちを理解しているせいか、怒濤のように押し寄せてきる感情が痛いほど伝わってきて、気がつくともうどうにもならなくなってしまった。3人は誰よりも孝之のことが好きだった。だからこそ、茜は孝之が遥の元に帰ってくることに全てを捧げ、水月は孝之の為にと何から何まで尽くそうとし、遥は孝之のことを忘れようと必死になってリハビリを頑張ろうとする。他のエンドを覗いてから改めて3人の健気さと言うか一生懸命な姿を見ていると理屈なんか関係なく涙が溢れてきてしまった。そして、エンディングの絵本に至る頃には我を忘れて号泣してしまった。

『水月バッドエンドについて』

 どっちつかずの態度を取り続けた人間が受けるべき哀れな末路というものをまざまざと見せつけてくれた。水月が「遥が眠っていたあの時より、もっと確かなもの……手に入れたから……ふふ……」といって小悪魔のように微笑んでいる姿が全てを物語っている。それまでも孝之は水月と遙にさんざん辛い思いをさせた訳だからむしろこうなることが当たり前だ。本当はその後の展開も気になるけど、何はともあれ孝之が痛い目にあう結末が見られただけでも良しとしよう。


涼宮茜(以下茜)

 いつも素直な気持ちになれなくて一人で頑なに頑張ろうとしてしまう。そんな彼女だからこそ恥じらう素振りを時折見せられると、もうどうしようもなくなってしまう。なんて可愛らしいんだ。水月シナリオで茜の一途な想いを知ってからはずっと気になって気になって仕方がなかった。

『茜の好意を平気で踏みにじれる孝之の気が知れない』

 茜の気持ちが分かるだけに幾度となく「やさしくしないでください」と言われる度にどうにもならないほど胸が苦しくて張り裂けそうになる。茜のせいじゃないよ、だからそんな顔をしないで、自分を責めたりして自らを傷つけるようなことをしないでほしいと何度思ったことだろう。
 だがしかし、こんなことになってしまった諸悪の根元は孝之にある。一番の原因は茜の気持ちも知らないで彼女の好意を踏みにじるようなことをして大きな心の傷を作ってしまったことだ。
 本当なら茜が選んだ花束を孝之が受け取り、最後はそのまま遥に渡すことになっていた。それなのに敵対している水月に持たせるようなことをすれば茜がどんなに嘆き悲しむかなんてちょっと考えれば分かるはずだ。ほんの少しでもいいから彼女のことを気遣っていればいれば、後の悲劇は起こらなかったはずだ。

「茜が一番辛い思いをしていたような気がする」

 茜にしてみたら実の姉である遥の純粋な気持ちや日頃から尊敬している水月の真っ直ぐな想いというのが分かりすぎるくらい伝わっていたのだろう。遥とは一緒に暮らしているし、水月にしても水泳選手として昔から憧れていてよく一緒にくっついていた。一緒の時間が長かったから2人の気持ちというものを痛いほど理解していたことが容易に想像できる。茜は一番後になって好きだということに気がつくけど、2人のことを考えるとそれは胸の内に納めなければならなかった。好きなのに隠し通さなければならないなんて、これほど辛いことはないと思う。

『理想的な展開だった茜エンド』

 こんな風に思うのは自分だけかもしれないけど、全てのシナリオの中では茜の結末がもっとも理想的な展開だった。茜と孝之の2人が肌を重ね合うシーンを見るにつけ「なんか……うん……よかったね」なんてしみじみと感慨に耽っている自分がいた。あの鈍感な孝之に本当の優しさというものを気づかせてくれた茜は本当に偉いと思う。これで二度目だけど、やはり、優しさというのは本当に好きな人に対してだけ許される行為なんだなって実感した。例えそれが理想論だとしても、究極の恋愛はそうであってほしいと思ってる。

『茜バッドエンドについて』

 何故か茜にはバッドエンドが2種類(茜妊娠も含めたら3種類)も用意されていて、いずれも突然性に目覚めた遥嬢の誘いにのってしまうことで最悪な結末が待ち受けている。これまでの経緯を考えれば血迷ったとしか思えない。
 バッドエンド1(遥隠し妻)では儚げで魅惑的なお姫様の誘いに乗ってしまったがために禁断の関係を続けていく羽目になってしまう。この時の茜は全く気づいてない素振りだったけど、実際はどうだったんだろう。ひょっとしたらそうかもしれないと思いながらも孝之との関係を壊したくない一心で気づかない振りをしていたのかもしれない。
 バッドエンド2(茜昏睡)はというと、いくらおまけだからといって茜にまで遥と同じ目に遭わせるなんて酷すぎる。遥との約束を1回すっぽかしただけなのにこれでは割が合わない。

『史上最低ともいえる茜妊娠エンド』

 妊娠したのは茜ではないのに茜妊娠エンドとはこれいかに…。それはさておき、このシナリオではなんといっても孝之の節操のなさと究極のヘタレ具合に憤慨させられた。彼のろくでなしな思考ばかりを見せられたせいで胸くその悪さは最高潮にまで達し、あまつさえ結末なんかどうでもいいとさえ思ってしまった。

「事の顛末」

 ある日、病室で遥と肉体関係をもったかと思えば、同じ日に茜ともやってしまうという非常識なことをしでかす。もともといい加減でチャラチャラした性格の男ならこれくらいは朝飯前かもしれない。

 しばらくして病院から家族ではなく孝之本人にだけ話があると告げられる。孝之は遥と性的な欲望を満たす行為をしていたのだから真っ先に妊娠かもしれないと考えるのが普通であろう。それなのに都合の悪いことになると思い当たる節がない、などとほざく孝之の脳味噌は腐っているとしか思えない。それどころか自分のしたことすらすっかり忘れているというのが許せない。
 ということは何かね、相手が誘惑してきたら後先考えずに誰とでもやってしまうとでもいうのか。まさかとは思っていたけど、そうだろうなとは思っていたけど、それにしたってここまでいい加減な野郎だとは思わなかった。その上、父親は自分だと聞かされてもなお、とぼけようとしているのが信じられない。
 毎度のことながらトラブルが発生してから「どうしようどうしよう」なんて悩んだって後の祭りなんだよ。昔からそうだ。行動に移るまでは最悪の事態なんかアウトオブ眼中で、いざ問題が浮上してからようやく悩み始める。それでは遅いんだよ。このときほど孝之の神経を疑ったことはない。

 あれから時を置いて遥の父親と会っているとき、孝之が心の中でのヘタレ具合は相当なもんだった。自分のしたことに悪びれてない感じがするのは相変わらずで、駄目人間まっしぐらって勢いだ。そして、ついには自暴自棄になってまだ病人である遥の肌がはだけるまで揺するということをしてしまう。すぐに気がついた茜が咎めることで病室を出るんだけど、孝之はというと「間違いに気がついて、覚えていくしかないから」などと性懲りもなく誤魔化そうとした。そもそも間違いだということに気がついてないのに覚えるもなにもないだろ。心にもないことをよくもまあぬけぬけと平気で言えるもんだよ。

「どうすることも出来ない結末」

 その後も例によってああでもないこうでもないと堂々巡りを繰り返すことになる。が、これだけ悩みまくってくれたからだろうか、暗闇から姉の服を着て現れた茜の可愛らしい姿は今でも目に焼き付いている。
 そうこうして茜と相談して決めた結論は「遥が目覚めるまでの間、彼女の子供は茜と一緒に育てる」ということだった。茜にしてみたら、たとえいつの日か辛い思いをすることになっても、自らを犠牲にして孝之を救いたいということなのだろう。腐れ外道にここまで尽くすことがいいのかどうか分からない。けれど、最後にそれでも構わないと茜本人が決意するに至り、もうどうすることも出来ないなと半ば諦めの気持ちになってしまった。

「茜妊娠について訂正」

 とあるサイトのレビューで「2人で育てることにした子供は必ずしも遥が生んだものとは限らない」ということが書いてあった。早速確認してみると、なるほど、確かに誰の子供かという部分は曖昧だということが判明した。そればかりか茜の子供かもしれないと匂わすような台詞もあった。ただし、これについては相手が子供だから今は事実を隠しているという可能性もあるのでなんとも言えない。
 結局のところ誰の子供なのかは判然としなかったけど、これによって「茜妊娠」という言葉の持つ意味が意外と深いんだと感じられたのは大きな収穫だ。だからといってこれまでの評価が変わる訳ではないが、少なくとも結末については大いに関心させられた。


涼宮遥(以下遥)

 遥に関してだけは1章から考察してみたいと思っている。彼女のことは別に好きでも嫌いでもないが、そうすることで理解度がより深まるだろうし、新たな発見もあるかもしれないとも思っている。

【第1章】
『孝之との交際は物語上必然だった』

 遥を傷つけたくないからつき合うことにしたというのはどう考えてもおかしい。好きかどうか分からないけど、とりあえずよろしくっていうのは無責任すぎる。とはいえ、後に繰り広げられるひっちゃかめっちゃかの泥沼劇場を見られたのはとどのつまり孝之の優柔不断さのお陰である。そう考えると遥とのつき合いというのは物語の都合上必然だったと考えた方がよさそうだ。
 さて、つき合うようになってからも孝之には全くその気がなく、あのままいけば破局は決定的だった。普通ならこれでお終いなんだけど、そんなことしたら話が続かなくなってしまう。それでは不味いので、唐突に気持ちとは裏腹の行動を取らせ、遥への熱い想いも急に芽生えさせるという解釈を孝之にさせた。かなりごり押しな気もするが、後の展開を考えれば大した問題ではないという気もしている。

「改めて始めてみると違った印象を受ける」

 3年後の形相を何度も見ているからか、改めてちんまい頃(1章)の茜に会うと妙に顔がほころんでしまう。無邪気に騒いでいる彼女が何事もなく成長していたら今頃どうなっていたのだろう。もっとあか抜けていかにもコギャル風の格好でもして渋谷辺りを闊歩していたかもしれないな。
 それはともかく、しばらくすると遥、茜、水月と共にプールへ遊びに行く。目的地に着いてからはというと茜にはめられたりするハプニングはあったものの、4人で楽しい時間を過ごした。それからも遥とは虎舞龍の「ロード 第〜章」の如くなんでもないような幸せを満喫していく。こんなにも幸福でいいんだろうかというくらい心温まる話なのに、心のどこかでは悲しい気持ちになってしまう。何故なら、今ある幸せが長くは続かないことを事前に知っているからに他ならない。
 そして、いよいよ事件当日を迎えてしまう。約束の時間に遅れたことで遥は不慮の事故に巻き込まれてしまう。不意に訪れた悪夢に気が滅入っているのもつかの間、狙い澄ましたようなタイミングでオープニングが挿入される。運命の悪戯を表現するにはこうしなければならないと分かっててもやはり、どこかやり切れない気持ちになってしまう。

【第2章】
『孝之の意志とは関係なく見舞いに赴く』

 あれから3年が経ち、孝之の側には水月がいた。今の生活を見る限り2人は恋人同士のように見える。ここまで親しくなっているのであれば、いくら遥が目を覚ましたからといって軽々しく病院に行くのは水月に対して失礼だ。そりゃ最初のうちは水月だって遥が可哀想だと思うから見舞いに反対したりしない。そんな水月の気持ちを考えれば本来なら心を鬼にして丁重にお断りするべきだった。しかし、それでは醜い争いは見られなくなるので、気持ちとは裏腹に病院へ直行することになる。
 遥を見舞った帰り際、例の鋭い剣幕で睨んでいる茜にいろいろと言われてしまう。彼女の立場を考えればそう思われて当然なんだけどやっぱり辛いよな。「鳴海さんは、何のために来るんですか」と問われても答えられるはずがない。それでも敢えていうなら「余計に話をややこしくするために自分の意志とは関係なく赴いた」といえばいいだろうか。それ以外に適当な理由が浮かばなかった。

「一つの推測によって遥の魅力が断片的ながら浮き彫りになった」

 こうして遥は生死を彷徨うほどの危険な状態にさらされてしまう。しかし、どういう訳か彼女を本気で心配することはなかった。その理由を考えていくうちに何かしら意図的なものがあるように感じた。それは「これといった個性のないごく普通の女の子の幸せだけを描いてもつまらない。それならいっそのことこれでもかというくらいの不幸を遥の身に降りかからせた方が面白いのではないか」である。実際のところ平凡な日常を詳細に描かくことで後に起こる惨劇で引き起こされる悲しみは相当なものだった。
 また、入院してからの様子を見ているうちに遥の魅力の断片が見えてきた。どういうことかというと彼女は「不幸な境遇という負のオーラを纏うことによって初めて光り輝くキャラクターではないか」ということである。病室で目覚めるようになってからも彼女が自虐的な仕草をすればするほど味が出てくるのは、そのためなんだと考えれば納得がいく。

「その後もいろいろとゴタゴタしたけど」

 結局のところ、茜がいなかったら孝之はいつまでもずるずると二股を続けていたような気がする。彼女は必死になって孝之から本音を聞き出すと、それを元に水月に向かって間違いを正そうと説教した。おかげで水月は我に返り自分のしていることがいかに愚かなことかということに気がつく。その姿を見て孝之は水月とは終わりにしようと思えるようになった。
 ただし、決め手になったのは病院の屋上で孝之が自分の苦しみを告白していたのを水月がたまたま聞いていたことだと思う。彼の辛さというものが嫌というほど伝わったからこそ、水月も別れることに踏ん切りをつけられたんだと思う。

『遥エンドについて』

 結末に至るまでにいろいろと辻褄のあわないことがあったはずなんだけど、水月エンドと比べるとあまり気にならなかった。
 内容に目を向けると、水月が放浪の旅に出て離ればなれになっても4人の友情は永遠に不滅だ、ということが確認できたのがよかった。流石に水月エンドのように激しく感動させる演出はなかったけど、最後は綺麗にまとまったんじゃないだろうか。ただし、遥本来の魅力(負のオーラ)を考えるとちょっと物足りない終わり方であったことも確かだ。