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自己紹介
 & ヨット歴

目次

自己紹介
ヨットを始めたきっかけ
沈しまくった挙句・・
クルーザーって楽ちんだぁ!
初航海が 阿波踊りヨットレース
KYC 西宮での半年
ゴローの会  
始めての隠岐の島&カヌーで隠岐の島を横断  
 第1回トランス日本海・日韓親善ヨットレース
神眞丸V世との出会い
舞鶴の成生での半年
琵琶湖 サムタイムカップ
酒田港開港500年記念・ウラジオストッククルージング
神眞丸V世 乗組員
JUNOのオーナーになったけど
・・・

自己紹介  

なまえ ”じゅんこさん”と呼ばれている。
性別 不明。お母さんのおなかに、忘れ物をしてきたらしい。
住所 大山のふもと。米子港から車で25分
境港公共マリーナから45分の田舎町。
職業 神眞丸V世(Seven Ocean32)の乗組員。
JUNOの船長は副業。(^^;)
好きな物(事) ひなたぼっこ・ねこ・懐石料理・旅・etc、
嫌いな物(事) 渋滞・ナス・グラス作業・気分次第でたくさん。
1等の宝くじをあてて、JUNOで日本10周。
ヨットに乗って
行った所
境港⇔隠岐ノ島70数回、境港⇔釜山、
山形県酒田⇒ウラジオストック⇒舞鶴、
舞鶴⇔隠岐ノ島、淡路島洲本⇔徳島、西宮⇔洲本

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 ヨットを始めたきっかけ

1982年春、ヤマハヨットスクールに人が足りないから来てぇと強引に誘われ、仕方なく参加。午前中の先生は、自分が乗るだけで精一杯。
とても教えるどころじゃないもん。つまんな〜い

なんで、こんなつまらない事を・・と、午後のスクールを受けずに帰るつもりが、引き止められるまま、残ってしまった。午後からちゃんと教えてもらって、船酔いも忘れて思いっきり楽しんだ。気持ちい〜い!!人生の転換期である。

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 沈しまくった挙句・・

スクールだけでは物足りず、個人レッスンを受けた。
YAMAHA-15シースパイダーとかいう、スコウタイプのウィンドサーフィンをディンギーにしたような船だった。

・・・沈しまくった! 完沈するとマストがヘドロに刺さり、起こせなくなる。やっと起きたと思うと、マストトップからヘドロが降ってくる。これが、すご〜く 臭い!それと同時に、コーチの罵声が飛ぶ。「何やってんだー!」・・あ〜ぁ・・

秋の岡山のレースに初参加。スタート10分前に突然強風が吹き荒れ中止となる。潮と風でレース海面から帰る事が出来ず、皆救助されていく中、3k流されて一番最後に救助された。
トレーナーに、ジャージ姿で沈しまくった挙句、3kの距離を向かいの強風の中、曳航されたから、たまったもんじゃない。今ならとっくに死んでるよぅ。

これでディンギーを止める決心をした。
気持ちよ〜く走れたのは夢だったのか知らん?

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 クルーザーって楽ちんだぁ!

初めて乗ったクルーザーが、Y−19。
ディンギーを初めて間もない頃の初夏、中海でのレースだった。
風もそよ風、天気も良くぽかぽかあったかい日だった。何も解らないので、ウエイト代わりにシモでじっとしているだけだった。
ただでさえこんな気持ちのいい日に、海の上で、こんなに楽ちんでヨットに乗れるなんて・・い〜い気持ち!!
その上、優勝カップまで貰ってしまった!!

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 初航海が 阿波踊りヨットレース

次に乗ったのが、徳島の阿波踊りヨットレース。
今思えば、恐ろしい!。この時もY−19だった。
それも、洲本のサントピアからなんとあの小さな船に5人も乗って!(JUNでも3人乗れば居場所がないのに)
徳島に向けて片上りいっぱいで走るが、一向に進まない。スプレーをザンブ!ザンブ!!とかぶり、鳴門の渦へどんどん吸い寄せられていく。タックを返して戻るが、また同じような所へ行ってしまう。
そんなことを繰り返しながら、夜明けに出たのに、ケンチョピアに着いたのは、もう日も落ちる頃だった。

なんか豪華なヨットの隣にもやいをとり、一人づつ着替えをする。待っている間、隣の豪華ヨットでは宴会も終わりヨット連のはっぴを着て、阿波踊りに繰り出そうとしている。すごい世界もあるものだと感心をする。この時は、50フィート位の豪華ヨットだと思っていた。ずいぶん後になってY−34KCだったと知ったのだが・・。

町に繰り出すと、どんな路地裏でも町中が阿波踊り1色だ。
もっと踊りたくてしょうがない。でも、一緒に来た人たちは早々に引き上げていく。もう1度絶対来よう!と思う。今度はヨット連のあのはっぴを着て!!

翌日のレースは順風で、なかなかいいスタートを切った。
でも、いかんせん船が小さい。大きな船はどんどん先に行く。みんなに焦りが出始める。
「スピン揚げるぞー!」。????その時、
「ガイ引け!ガイ!!なにやってんだーーー!!!」
私に言われても聞いてないよう!スピンなんてさわったことなーーーい!!!
次の瞬間、スピンはバサバサと音を立て空高く舞い上がった。小さな船は大きく軋んだ。思わず怖くて泣きそうになった。追い討ちをかけるように
「ガイ引けって言ったろーー!!!」
記憶が定かではないが、この後気まずい雰囲気が流れ、フィニッシュと同時に帰路に向かったような気がする。なぜか、表彰式とかレセプションに参加した記憶も帰路の記憶もスピントラブルから後が一切ない。ただ、夜中に洲本に着き、繋留場所を探してうろうろしたような気がする。

それでも、航海するって新鮮だった。
辛いけど、無事に着いた時の充実感は表しようがない。

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 KYC 西宮での半年

1983年春、西宮でヨットを買ったけどセールも揚げれない船があるけど乗りに来ないかと誘われる。
船を見る事もオーナーに会う事もなく、二つ返事で大阪へ引越した。
仕事も、アパートもオーナーが準備していてくれた。

Y−30C。当時はまだ珍しいジブファーラー、メインファーラーの船だった。
「日曜日の08:00にKYCで」を合言葉に毎週、大阪から1時間かけてヨットに通った。
普段は、オーナー、オーナーの甥、甥の友達、それに私。
マリーナに行くと、桟橋にヨットはもやわれ、みんなの来るのを待っていてくれた。

毎回、当てもなく近くをセーリングするだけだったが、たくさんの台船の間を周ったりしながら一日中走っていても飽きる事はなかった。
オーナーの奥様手作りのお弁当を、船上で頂いた。

たまに、ヤマハの人とか、ワッツセイルの人が乗ってくれると、セールトリムとか、航海についての勉強会になった。
といってもほとんど吸収する事は出来なかったが・・・
言われる事が、理解できる範囲を越えていた。
私自身、操船はおろか、セールトリムもよく解らない状態だったし、他の人はその生徒になるわけだ。情けないことに、私達のレベルはあまりにも低すぎたのだ!

一度、淡路島のサントピアで行われた、ヤマハマリンフェスティバルに参加する事になった。
そよそよと吹いていた風もスタート5分前にぴたりと止まり、潮下のヨットは一斉にアンカリングを始める。アンカリングもした事ない私達は、ずるずると流され、親切なヨットに舫いを取らせてもらう。潮上にいたヨットだけが潮に乗ってスタートを切ったが、殆どのヨットは動けないままでいた。
10分以上経過した頃、本部艇よりスピーカーでなんか言ってる。
なんと、「これから15分間、機走を許します
信じられない事だった。
にやり・・とオーナーが笑った。
釣り好きのオーナーは、毎週木曜日の釣りの日用に、不釣合いな、でかいエンジンを積んでいた。機走にだけは自信があった。
舫いをとると、フルスロットルで走り出す。後ろの方でスタートしたにもかかわらず、どんどん追い越していく。15分後のエンジンを切った時点で、5番目までに上がっていた。わっはっは〜!!と笑いもつかの間、そよ風の吹く海面でセーリングになったとたん、ゾロゾロと追い越され、後ろから数えたほうが早い順位でフィニッシュした。

釣りに凝ったオーナーは、年末にモーターボートに買い換えた。
仕方ないので、さっさと田舎に帰る事にした。
たった半年の西宮。当時はみすぼらしかったが、有名なKYCだったとは・・・!
どうりで、鳥取ナンバーの軽自動車でうろうろしていて不審がられた訳だ。
納得!

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 ゴローの会

田舎に帰った私は、沖を走るヨットを、いいなぁ〜・・と眺めるだけだった。
ライブのポスター貼りで一日忙しく飛び回っていたあるレストランで、ポスターを貼らせてもらい、お礼を言って帰ろうとしたとき、「まあ、お茶でも飲んで行きない。」と声をかけられた。
そうだな、今日はお昼も抜きだったし・・と誘われるまま座った。

声をかけたのは、Kさん。ゴローの会の勧誘係で一人でも多くから会費を取ろうとしていたらしい。
Y-21JOG、ゴローという名のヨットは遊びと冗談大好きのシロさんがオーナー。
仲間を集めて勝手に乗ってくれ、メンテも頼むという肝っ玉のおっきい人だ。
月、1,000円の会費で自由に乗れなんて、こんな、オーナーいないだろう。
狭いキャビンをお座敷にして、ワイワイガヤガヤ大騒ぎ。
Kさんにナンパされたおかげで、中海を走り回った。隠岐の島にも行った。

ただ、このシロさんの冗談は時に度を越し、強風でガンネルを洗いだすと、ジブセールに寄りかかり、さらにヒールさせて喜ぶ癖があった。
調子に乗ったKさんも一緒になって寄りかかると、ジブセールは波をすくい、今にも転覆しそうだ。コックピットから滑り落ちそうになるのを必死にこらえ、悲鳴をあげると、二人ともずぶ濡れになってさらに喜んでいる。。。
信じられん!!!二人に狂気を見た

そこで辞めれば良かったのだが、遊び大好きだったので、これを除けばとても楽しかった。すること全てが無茶苦茶で、連れまわされた挙句に、当時、潔癖症ぎみだった私は脂ぎった焼肉屋さんにも入れるようになった。
さすがに油で汚れたグラスにはまだ口が付けれなかった。。
初めてキムチも食べさせられた!ニンニク臭さ〜〜い!最悪!!
徐々に、ヨット乞食の道を転がり始めた。

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 初めての隠岐の島カヌーで隠岐の島を横断の伴走

Kさんがカヌーで隠岐の島を横断すると言い出した。
激流大回転スラローム艇でだ。くるくる回るように設計されている。
シーカヤックみたいに舵があって直進性があるような楽な物じゃない。
当時はとてもマイナーなスポーツで、カヌーを始めて一年の私が国体予選に出場出来る位カヌー人口も少なかった。
カヌーのウエアーなんてほとんど無かった。あっても、めちゃ高価だった。
みんな、サンダルを履いて、破れたセーターやら、らくだの股引なんかを身に着けていた。目をそむけたくなる程、かっこ悪い!

最短距離の知夫里から七類までを漕ぐ事に決まり、ゴロー(Y-21JOG)で現地を下見に行く事になった。他に3艇のヨットも一緒に行くはずだった。
出港当日、強風波浪注意報が出ていた。
他のヨットは中止にしたが、Kさんは、みんなの制止をよそに、一艇でも行くと言い張った。

1730仕事を終え、米子港出港。中海は東風では波も立たず余裕で走れた。
水道を越える頃には波が高くなり、船外機では上れなくなってきた。
日も落ちかけているし、初めての隠岐の島。みんな行くのを止めて、Kさんとたった二人きり。。船外機は情けなさそうに空を切る。大丈夫だろうか。。。。
不安はどんどん膨らみ、引き返そうよぉ〜と涙声で訴えても、聞く耳を持たない。

2100過ぎ、なんとか地蔵崎を越える頃には真っ暗になっていた。
2ポンにレギュラーで順調に走り出す。が、今度は船酔い
今みたいにGPSもオートヘルムも無く、チャートも出港前によその船に見せてもらっただけで頭の中。コンパスだけが頼り。。。
船酔いはひどく、起きていられない。かといって、中に入ろうものなら狭いキャビンは死にそうになる。舵を離すとさらにひどくなるので、寝転がって風の方向と、Kさんの指示でヘルムを取っていた。
長い長い辛い航海だった。

0300知夫里の入り口付近に着いたが、港の様子が分らず、フェリーの着く来居港にいったん入る事にした。大波加の島影でたった一隻、烏賊釣りをしていた漁船の映し出した海面を見たときは、あまりの美しさに声も出なかった。
コバルトブルーの不思議な輝き!!!
世の中にこんな美しい光景があるのかしら。。
船酔いと舵を持ちつづけ苦しんだ航海が、素晴らしいものに感じた。

早朝、知夫里に無事に入れた時の喜びは、感無量だった。
民宿のおばちゃんは、私たちのずぶ濡れの姿を見てすぐにお風呂を沸かしてくれ感激!また、この日の夕食はサザエ三昧で、感動に拍車をかけた。

帰り、地元の漁師さん達が強風波浪注意報が出ているから、フェリーで帰れと心配してくれたけど、「大丈夫です!ヨットはひっくり返りませんから!」と強がりを言った。
確かにヨットはひっくり返りはしなかったけど、舵を持ちつづけた私と、私の胃袋は完全にひっくり返っていた。

この数週間後、カヌーで隠岐の島横断は5艇のヨットの協力を受け実行され、私は伴走のヨットの一艇に乗った。
途中、カヌーが止まって食事中にすごいスコールが来て、穏やかだった海が嘘のように急に荒れた。待っているヨットはグルグル回っていたが、強い雨と風と波でカヌーが見えない。必死に探すが、とたんに全員船酔いで、スコールが収まり再出発した頃はコンパスを見る事も苦痛になり、時々方向を失うようになった。
カヌーを漕いでいたKさんは、私達のヨットに並び、方向を確認すると、ヨットの後に着いて漕ぐのをやめ、自ら先頭を走り七類が見える所まで導いた。

米子カヌークラブの8人は、見事、スラローム艇での隠岐の島横断を果たした。
日本ではじめての快挙
である!!
しかし、皮肉にもこの日、トライアスロン皆生大会が盛大に開催されており、翌日の紙面はトライアスロンに押しつぶされて小さく載っていた。

実はテレビの取材も乗っていたらしいが、船酔いでカメラが回せなかったらしい。
世間に知られる事の無い、幻の快挙と終った。。。
翌年、話を聞いたシーカヤックのグループが、対馬-釜山に挑戦し、大々的に報道された。Kさんは悔しがっていた。。僕達が最初なのに。。と。

つづく・・・

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