当時の貴族とは一風変わった清盛の美的感覚

 “猛き者”平清盛を語るとき、武士として、または政治家としての清盛にスポットが当てられることが多いようです。一般的に「歴史=政治史」になってしまうので、それもやむを得ないのかも知れませんが、“人間”平清盛を語るには、これでは不十分といえます。清盛はその生涯の中で、単なる“横紙破り”の独裁者では成し得なかったであろう、偉大な文化的業績を残しているからです。
 ほんの二十年ほどの栄華でしたが、そのわずかの間に、平家文化ともいえるものを現出させ、それが今日に伝えられているというのは不思議な感じがします。これらは古い慣習や偏見にとらわれない清盛の非凡さと美的感覚から生み出されたと言ってもよいでしょう。一切経を書いた石を沈めて島の基礎とした「経が島」にも、その非凡さはよく現れています。父忠盛と違って和歌の才には恵まれなかったようですが、そのような清盛だったからこそ、従来の枠にとらわれない独創的な美を生み出すことができたのかも知れません。

清盛による美の傑作「厳島神社」

 中でも傑作は安芸の厳島神社で、そのアイデアといい、美しさといい、まさに日本の宝といえます。現在、有数の観光地として知られる宮島は日本三景の一つにも数えられ、平成八年には厳島神社が世界遺産に登録されています。古くは「伊都岐島」と呼ばれ、推古天皇の時代に造られて以来「鎮護国家の祠」「安芸国第一の霊社」として多くの人々の尊崇を受けてきました。平家一門と厳島神社との関係は、清盛が安芸守だった頃からだと言われています。 平家物語には、清盛が勅命で高野山の大塔を修理した際、老僧が現れて「荒れ果てた厳島を修理して下されば、官位は肩を並べる人がないまでになります」と告げたので、清盛はこの老僧を弘法大師と信じて厳島の再興に尽力した、と語られています。
 仁安二年(1167年)、太政大臣を辞任した清盛は、翌年に出家、風光明媚な福原に別荘を造営しました。そして、厳島神社の造営も福原の整備とほぼ並行して行われたのです。清盛は厳島神社の神主で家人でもある佐伯景弘を通して「華麗にして荘厳な社殿の造営」を朝廷に求め、景弘の「安芸の国司の重任の功」によって、それは認められました。承安四年(1174年)には後白河法皇が、寵姫滋子とともに参詣しており、高倉天皇も譲位後初めての参詣を厳島で遂げています。その際、随行した公卿達は慣れない船旅に不平を言いながらも、実際に厳島を眺めると、その美しさに目を見張ったといいます。

政治と美的感覚の不思議なバランス

 水に社殿を浮かべるというアイデアは、まったく奇想天外ではありますが、忠盛の時代から日宋貿易を積極的に推進し栄えてきた「海の平家」にふさわしいものといえます。このアイデアを思いついたとき、完成後の社殿の姿を、清盛がどのくらい正確にイメージしていたのかは分かりませんが、おそらく自身びっくりするくらいの出来栄えだったのではないでしょうか。  もし、清盛がただ乱暴なだけの政治家であったなら、このような格調高く華麗な建築を作り出せたでしょうか。ここには威圧するような押しつけがましさはなく、均整のとれた美があり、自然との調和があります。これがあの横紙破りの「入道相国」の発案かと思えるほどです。あれほど精力的な政治活動をしながら、一方でこのような歴史的文化事業を成し遂げる、そのバランス感覚には感服するほかありません。
 また後年、清盛が奈良を焼き討ちにしたことから、清盛は信仰心のない人間であると思われているようですが、そのような世評も否定すべきものといえるでしょう。清盛の厳島に対する思い入れは、まさに“熱狂的”といってもよい程のものがあり、平家の精神的支柱として一門をあげて尊崇していたのです。

平家の栄華を今に伝える平家納経

 さらに、厳島神社には平家の生み出した美の傑作である、国宝の「平家納経」が伝えられています。これは長寛二年、清盛が平家の繁栄を願って厳島に奉納したといわれる三十二巻におよぶ経文で、制作には一門の一人ひとりがあたりました。その豪華な装飾は他に比類を見ないもので、まさに平家の栄華の絶頂を示すものといえます。現在、厳島神社宝物館に模写が展示されているので、ご覧になった方も多いと思いますが、各経文に華麗できらびやかな装飾が施され、神社に奉納する経文にこれだけの費用と手間をかけるものかと、あきれてしまう程です。 ここにも、やはり一門の総帥である清盛の“美意識”が反映されています。貴族にはないスケールの大きさと、武士のもっていない華麗さを、その独特のセンスの中に併せ持っていた。それが清盛なのです。
 平家の全盛時には六波羅や西八条などに邸宅を構えていた清盛ですが、六波羅の清盛邸「泉殿」や、福原にあった別荘の「雪ノ御所」も、おそらく豪奢なものだったことでしょう。これらは、平家都落ちの際に一門の手で焼き払われてしまい、現在では目で見ることはおろか、どこの場所にあったかも定かではありません。実に残念です。


●参考文献
日下力監修『平家物語を歩く』(講談社カルチャーブックス)/ 五味文彦著『人物叢書・平清盛』(吉川弘文館)/ 永井路子著『「平家物語」を旅しよう』(講談社文庫)


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