その一~宇治川

 平家物語には、宇治を舞台にした印象的な二つの物語があり、いずれも物語中の名場面として知られています。一つは以仁王の乱における三井寺堂衆による橋合戦です。橋板をはずした宇治橋の上で、三井寺の悪僧たちが曲芸的な戦闘を繰り広げるエンタテインメント性の強い場面ですが、源三位頼政や以仁王の敗死など戦争の悲惨さも見ることができます。もう一つは京都に侵攻した義経軍と義仲軍との戦闘における佐々木四郎高綱と梶原源太景季との先陣争いです。両者名馬を駆使して、だまし合い、功名を競うスリリングな展開は、平曲で聴いても手に汗握ります。


現在の宇治橋。三井寺から南都へ逃れる途中、以仁王は披露から何度も落馬したため平等院で休息をとった。追いすがる討手の足をくい止めるために、頼政達は宇治橋の板をはずして平氏軍を迎え撃った。











宇治橋から橘の小島を望む。右は宇治橋の欄干。



宇治川は京都を護る天然の防衛線。
義仲軍は鎌倉軍の侵攻を防ぐべく、宇治川に防衛線を張った。
一方、討手にとっては越えられるとやっかいな要衝でもある。
平家軍は南都へ逃走中の以仁王をここで捕捉した。



橘の小島にある宇治川先陣の碑。





宇治川の周りには、紫式部の像(左)や「宇治十帖」にちなんだ像など、
『源氏物語』ゆかりのモニュメントも多い。

その二~平等院

 平等院は藤原氏全盛期の関白頼道が父・道長の別荘を寺院に改めたものです。平氏軍に宇治川を越えられた頼政一行は、平等院の中で最後の一戦を繰り広げます。ここで頼政は子息の仲綱・兼綱等を失い、自らも辞世の句を詠みながら自刃したと、平家物語は伝えています。


平等院門前。



国宝・鳳凰堂は平等院創建当時の唯一の建築。
法皇が翼を広げたような優美な姿は、まさに天上的な美しさだ。



源平合戦時は多くの堂塔が建ち並び、寺域は旧宇治町の大半にわたったという。





鳳凰堂から阿字池を眺める。












頼政が自刃したとされる扇の芝。右は冬の扇の芝。芝がなく何とも寂しい。



最勝院にある源三位頼政の墓には、常に献花が絶えない。



太敬庵通圓政久の墓。頼政の家臣で、平治の乱ののち、宇治橋の東詰に庵を結んだ。
頼政が挙兵するとはせ参じ、宇治川の戦いで討ち死にしたという。





こちらは大阪府都島区にある鵺塚。近衛天皇の時、頼政に退治された鵺の亡骸が流れ着いた場所といわれている。頼政に射落とされた鵺は、丸木船に載せられ淀川に流された。漂着した鵺の亡骸を見た村人たちは、祟りを恐れてその場所に祠を建て、懇ろに弔ったという。










現在の祠は明治の初め頃に大阪府が改修したもの。なお、大阪港の紋章は鵺をモチーフにしている(右)。

●参考文献
日下力監修『平家物語を歩く』(講談社カルチャーブックス)


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