大原

 壇ノ浦で捕らえられた建礼門院徳子は、出家後、阿波の内侍(信西入道の娘)、大納言の佐(重衡の正妻)とともに、ここ大原の寂光院に遁世しました。墨染の衣をまとい、安徳天皇と平家一門の菩提を弔いながら、隠遁の日々を過ごす女院。そんなある日、平家を滅亡へと追いやった張本人とも言える後白河法皇が、わずかな供を引き連れて寂光院を訪れます。一方流語り本「平家物語」の最後を飾る「潅頂巻」は、寂光院における法皇と女院との対面の様子を通して、女院の複雑な心の内を細やかに描き出していきます。


現在でも山深い里の風情を残す大原 「空かき曇、いつしかうちしぐれつつ 鹿の音かすかに音信(おとずれ)て 虫の恨(うらみ)もたえだえなり」












寂光院近くには建礼門院ゆかりの史跡が点在する。朧の清水(左)と落合の滝(右)。



建礼門院西陵への入口。陵は寂光院裏手にある。



寂光院へ続く石段。右は寂光院境内に建つ書院。



後白河法皇の大原御幸があった当時の風情を今に伝える西庭園。この景色を見て法皇が詠んだ歌が
「池水にみぎはのさくら散りしきて なみの花こそさかりなりけれ」



北庭園は回遊式庭園の名作。前方に見える滝は「玉だれの泉」で、三つの滝の響きそれぞれが
異なる音色により一つに合奏するようにできているという。左側は取材時修築中だった本堂。
現在は修復も無事完了し、美しい姿を見ることができる。





三千院付近にある後鳥羽・順徳両院の大原陵。
右は後鳥羽院の冥福を祈るために建てられたという法華堂。



法然上人と熊谷直実との「大原問答」で有名な勝林院と熊谷直実の腰掛け石(右)。
同じく三千院近くにある。
大原みやげ「寂光院絵はがき」
 寂光院の絵はがきは、2セット各4枚組という変則的な構成。建物、庭など上品で美しい写真は、どこに送っても恥ずかしくない仕上がりになっています。特に、今はなき本堂の端正なたたずまいは涙なしでは見ることができません。これは送らずに家に飾っておきましょう。


お寺の印象と同じく、
控えめで上品な写真ばかりです





●参考文献
山下宏明・梶原正昭校注『平家物語(四)』(岩波文庫)/ 日下力監修『平家物語を歩く』(講談社カルチャーブックス)


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