第4回 生真面目な経正

2012/01/22

 平経正は経盛の長男で、有名な敦盛の兄である。花の公達といった趣のある敦盛に比べて地味な人物だが、実は『平家物語』中でもけっこうエピソードが多く、公達の代表選手の一人といってもよいほどである。特に、北陸遠征の途中、琵琶湖の竹生島に渡り琵琶の秘曲を弾じて白龍が現じた話、都落ちにあたって仁和寺に琵琶の名器「青山」を返上した逸話はよく知られている。
 しかし、いかんせん地味なキャラクターであり一般の認知度は極めて低い。そもそも経盛の一族が平家一門の中ではとりわけ地味だ。一門の傍流であることもさることながら、和歌や管弦を得意とした文人一家だったことも一因なのであろう。事実、経正はどちらかというと真面目一辺倒で、あかぬけていて女房たちの人気者だった重衡などとは対照的だった。その経正の真面目ぶりを彷彿とさせる逸話が『建礼門院右京大夫集』にある。
 平家全盛期のある春の夜、中宮徳子が西八条邸に里帰りしていたときの逸話である。中宮の兄弟や甥などが当番に詰めて、いつも側に二、三人控えていたが、花の盛りの月の明るい晩、誰からともなく「何もしないで明かしてよかろうか」ということになった。そこで、維盛が朗詠して笛を吹き、経正が琵琶を弾き、女房たちが琴で合わせて管弦を楽しんだ。やがて藤原隆房も加わり、明け方まであたりの景色を眺めながら、昔や今のことを語りあった。この時の風情を、右京大夫は次のように記している。「花は散るも散らぬも同じように色美しく映え、月も花と同じ色に霞み合いながら、だんだん白んでくる山ぎわは、いつものこととはいいながら、いいようもないくらい情趣が深かった」。
 そうするうちに、興に乗った隆房が「この座にいる人々は何でもいいから皆歌を書きなさい」といって、まず自分が詠んで、それを扇に書いた。この時、経正の読んだのが次の歌だ。「うれしくもこよひの友の数にいりて、しのばれしのぶつまとなるべき」(嬉しことに、今夜の友の仲間に入ったことで、後々懐かしく思い出される手がかりになることでしょう)。
 経正としては、今夜の遊びの仲間に加われた喜びを素直に詠んだだけであったのだろう。ところが、周りの人々は「自分だけが、とりわけ懐かしく思い出されるだろうと得意になっているよ」といって笑った。経正は「いつそんなことを申しましたか」といって反論したが、ムキになって弁解した様子がおもしろかったと、右京大夫は記している。
 もちろん、この歌が経正の本心から出たものであったことは、人々は百も承知の上だったろう。それを知っていて経正をからかったのである。そして、彼の反応が人々の予想どおりだったから、右京大夫は「をかしかりき」といって、このような些細なエピソードをわざわざ書き残したのだった。たわいもない日常の一コマだが、一ノ谷における経正の最期、平家の滅亡などを思うと、ありきたりな風景も胸に迫るものがある。そして、何よりも公達たちとかかわった当事者でなければ知りえない平家の栄華の一断片であることが、逸話の価値をいっそう高めているのである。


●参考文献
糸賀きみ江校注『建礼門院右京大夫集』(新潮社)


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