第6回 維盛のコンプレックス

2012/02/12

 平維盛は光源氏もかくやと思われるルックスに加え、後白河五十歳の賀宴で舞った青海波が後々までの語り草になるほど舞が得意であった。また朗詠や笛も巧みだったらしく、先天的に音楽の才にも恵まれていたようだ。何と幸運な公達だろうと羨ましくなるが、実は維盛は宮廷貴族として致命的な欠点を抱えていた。和歌が下手だったのである。
 中宮徳子が西八条邸に里帰りをしていた時、公達たちが管弦を楽しんだ話は「生真面目な経正」で紹介した。この時、藤原隆房は「かたがたに忘らるまじきこよひをば たれも心にとどめてを思へ」(あれこれと忘れられない今宵を忘れず心にとどめておいてください)と詠み、同席の人々に和歌を求めた。
 維盛は困惑して「自分のように歌も詠めない者はどうしよう」と怖気づいたが、なおも促されてしぶしぶ次の一首を詠じた。
「心とむな思ひいでそといはむだに こよひをいかがやすく忘れむ」(心にとどめおくな、思い出すなといっても、どうして楽しかった今宵のことを、あっさり忘れることができましょうか)
 その場で催促されて一応詠めるのだから、さすが貴族だと感心するものの、確かに秀歌とはいえない。
 またある時、右京大夫は自分の親友につれなくする維盛に対し、次の三首の和歌を詠じて注意をうながした。
「よそにても契りあはれに見る人を つらき目見せばいかに憂からむ」(よそ目にも、あなたと深い宿縁があると思われるあの人を辛い目にあわせるなら、私もどれほど悲しいことでしょう)
「たちかへるなごりこそとはいはずとも 枕もいかに君を待つらむ」(お帰りになるのが名残惜しいとはいいませんが、あの人はもちろん、枕もどれほどあなたをお待ちしていることでしょう)
「おきてゆく人のなごりやをし明けの 月かげしろし道芝の露」(あの方を残して起きていく人に名残を惜しむのでしょうか。夜明けの月光に光る、彼女の涙のような道芝の露は)
 まことに才女らしい詠みぶりだが、和歌が苦手な維盛にとってこれほどのプレッシャーはない。維盛は「余計な差し出口ですよ。歌など読むことがおぼつかない私には、どう返歌していいのか分からないのです」といい返し、どうにか次の三首を返した。
「わが思ひ人のこころをおしはかり なにとさまざま君なげくらむ(私の胸のうちやあの人の物思いを勝手に憶測して、何とまあ、あなたはあれこれお嘆きになるのでしょう)
「枕にも人にもこころ思ひつけて なごりよなにと君ぞいひなす」(枕にもあの人にも自分の考えを押しつけて、名残が何だと、あなたはさも細やかにいいますね)
「あけがたの月をたもとにやどしつつ かへさの袖は我ぞ露けき」(夜明けの月影を別れの涙で濡れた袂に宿しながら私は帰るのです。別れの袖は私の方こそもっと涙で濡れていますよ)。
 右京大夫のおせっかいと嫌みなほどの才女ぶりに、何とか抵抗しようと努めているものの、かえって不器用さを露呈しているところが何とも微笑ましい。右京大夫にとっては維盛の容貌よりも、このような維盛の素直さ、生真面目さが好ましく感じられたのだろう。  


●参考文献
糸賀きみ江校注『建礼門院右京大夫集』(新潮社)/高橋昌明著『平家の群像』(岩波新書)


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