双頭のワシは二つの敵と戦う



 マケドニアに突如として出現したアルバニア人の民族解放闘争組織「民族解放軍」が、今や全ヨーロッパを戦争の悪夢におびえさせている。彼らはもともとコソボとセルビア、マケドニアの境界地区にあるアルバニア人の居住する渓谷地帯を、コソボの一部としてスラブ人から解放することを目指していた。旧ユーゴスラビアが解体し、機に乗じてマケドニアが独立しようとしたとき、マケドニアは西欧諸国の援助のもとに広い範囲でアルバニア人の居住する地域をその領土とした。そして特に、セルビアとの境界地区は、すべてアルバニア人の地域であるにもかかわらず、セルビアとマケドニアがその領有をめぐって争い、「国境」線も未確定となっていたのである。アルバニア人に対するこのような帝国主義的な支配は、コソボの独立闘争によってその犯罪性がはっきりと暴露されてきた。そしてコソボの民族革命家は、民族の独立は民族の統一でなければならないことを、もちろん十分に認識していた。一部の同胞が差別と抑圧のもとにある以上、民族の全面的な独立が達成されることは決してないからである。そもそもユーゴスラビアの解体そのものが、セルビアの小覇権主義に対する帝国主義の侵略と同一のものであったのだから、それによってつくられた諸国の国境が、諸民族の自立の権利を尊重することなど決してありえなかったのである。コソボにおいて民族革命派が実権を握ると、理の当然のこととして、彼らは民族の統一へ向かって、次の一歩を踏み出したのである。
 アメリカと全ヨーロッパが絶対に譲れない前提は、コソボの独立を許さないことである。スロベニアだのクロアチアだのマケドニアだのについては、彼らは全力をあげて支援し独立させてきた。しかし、アルバニア人、つまりイスラム教徒のコソボに対しては、決して独立を認めず、あくまでもセルビア人の支配化につなぎとめようとしている。さらにマケドニア、モンテネグロ、セルビア等の諸国のアルバニア人に対しては一層の弾圧と奴隷化をたくらんでいる。しかし、このキリスト教諸国の破廉恥きわまりない戦略は、コソボの反乱によって打ち砕かれた。セルビア人による大虐殺が必至となった情勢を前に、アメリカとヨーロッパはセルビアを抑止せざるを得なくなり、コソボの独立を認めないことと引き換えにセルビア軍をコソボから撤退させた。しかし、この戦争の中でコソボには大量の武器が流れ込み、アルバニア人を広範に武装させた。もし、NATOがコソボ問題に軍事介入せず、セルビア人によるアルバニア人大虐殺が行われていたならば、NATOも国連も結局のところキリスト教徒によるイスラム教徒虐殺の共犯者として、猛烈な反撃を今後全世界で受けることになったであろう。座視するわけには行かなかったのである。またその一方で、反NATO的なミロシェヴィチ政権を崩壊させるチャンスでもあっのである。そしてこの二つの目的は達成された。表面上は。しかし、やはり彼らはそれなりの重大な対価を支払わないわけにはゆかなかったのである。ミロシェヴィチ亡き後の限りなく弱体なセルビアには、アルバニア人の反撃を撃退する力がなくなっていた。無能きわまりないマケドニア政府も同様である。
 アルバニア人の統一と独立が達成されるということは、これまでアルバニア人を分割し支配してきた諸国にとって何を意味するであろうか。たとえばマケドニアは国家として存在できるであろうか。セルビアはアルバニア人だけでなくボスニアにおけるイスラム教徒の復讐にも直面することになり、深刻な打撃を受けるだろう。それだけではない、アルバニア人と同様の差別と分割を強いられているハンガリア人、トルコ人、あるいはロシアの支配化にあるきわめて多くの民族が、同様の戦いに決起するだろう。全ヨーロッパの異教徒、異民族に対する破廉恥きわまりない支配体制が、危機にさらされることは明白である。それはつまり、寄生的なヨーロッパの全体制の崩壊である。そのような事態を前にして、ヨーロッパは発狂し、新たな戦争と虐殺へと突き動かされざるを得ない。だからこそヨーロッパは、アルバニア人の決起を前にして、みづから積み上げてきた犯罪の巨大さに恐れおののき、戦争を予感して、おびえるのである。
 マケドニア政府は、「テロリスト」に対する徹底的弾圧と武装解除をわめきたてている。東欧の一部の国から古くなったソ連製兵器を持ち込んできて、これで山の中のゲリラをやっつけることができるといきまいている。なんという愚かさ、なんという無知、なんというでたらめ、そしてなんと言う破廉恥。アルバには人政党が合法的に提起した、きわめて抑制された要求ですら、アルバニア語の公用語化であり、アルバニア語による教育の承認である。人口の三分の一を占め、しかもこの比率が急速に高まりつつある国民に対して、母国語の自由すら認めない政府が、つまりファシストにも劣る政府が、自由だの民主主義だのと書かれた旗を振り回しつつ虐殺によって最低限の人権をすら押しつぶそうとしているのであり、それを全ヨーロッパとアメリカと日本が平然として支持しているのである。吐き気を催すこの腐敗しきった政権こそ、いわゆる「先進」国の主要な性格そのものである。
 一方この危急存亡の只中にあって、独立国としてのアルバニアは、全アルバニア民族の統一と自立のためにどのように戦っているのか。アルバニア国民はコソボにおける蜂起と、セルビア人との戦いに対して、全面的な支援を惜しまなかった。しかしながらアルバニア政府はほとんど何一つ主張するところがなかった。それは今回のマケドニアにおいても同様である。アルバニア政府が、コソボ、マケドニアの戦争に参入して行けば、それは全ヨーロッパ、全世界の帝国主義勢力から「侵略」の非難を浴び、きちがいじみた「制裁」を受けるだろう。そのことはおそらくあらゆる方面から政府に伝達されているであろう。アメリカ、NATOはコソボに侵入し、セルビアの全土を爆撃しても、アルバニア政府が同胞の救出のために戦うことは禁止される、これが帝国主義の侵略というものであって、ほかにどんな意味もない。しかし、アルバニアという国家と政府は、これまでも、これからも、それで十分なのか。帝国主義の脅迫に抗議の声を何一つあげることなく、無条件に従っていて、それで、民族と歴史に対する責務は果たせるのか。
 このように、アルバニアが直面した、アルバニア民族の反帝国主義、民族独立の空前の蜂起という、本来ならば民族統一の絶好の好機を前にして、一歩を踏み出すことすらできない政府には、おそらく、そのような政府として形成されてきた歴史と現実があるだろう。それはどのようなものか。よく知られているように、バルカン半島の大半は、九十年前にはまだトルコの領土であった。トルコに対してロシア、ドイツ、イタリア、フランス、イギリス諸帝国主義が、バルカンにおけるいくつかの民族の上層階級と連合して反乱を起こすとともに、それぞれの民族とその背後の帝国主義国が、より広範な支配領域を確保するためにたがいに攻撃しあい、それによって第一次世界大戦が引き起こされた。そしてこのヨーロッパの覇権をめぐる戦争は、主要な交戦国であるロシアとドイツがともに革命によって打倒され、植民地の多くを放棄せざるを得なくなったことによって、バルカンでは多くの独立国が生まれた。しかしこれらの新しい独立国は極めて弱体であり、他の帝国主義が侵入し新たな植民地とする絶好の草場とされた。まずイタリアがアルバニアを侵略し、ドイツはオーストリア、ハンガリアを制圧してトルコと連絡することを目指した。第二次世界大戦においては、トルコがあくまでも中立を守ったために、バルカンにおける戦争は抑制されたものとなり、主な戦場となることはなかったが、同時に、そのために、トルコをはじめとするイスラム教諸民族のバルカンにおける地位は格段に低下し、それが、今日見られるような国境線を引かせる原因となった。また、ドイツとともに戦争に参加することを余儀なくされたハンガリアは国土の広い部分を失い、一方ソ連の進出を背景としてセルビアが小覇主として登場した。チトーは、スターリンの力を借りずに、独自にドイツ軍と戦って独立を勝ち取った、などと一部の無知な礼賛者にたたえられているが、それがどの程度のものかは、ネレトバの一戦しかなかった事で明らかであろう。チトーが、ドイツ、イタリアの敗戦という機に乗じて広い領域を支配することに成功したのと同様にホッジャもまたファシズムの退潮に乗じて、またチトーの勢力が及ばない地域で独立を勝ち取ることに成功したのである。そのためにアルバニアは、コソボをはじめとする広大なアルバニア人居住地区を統合することができず、チトーの支配化に引き渡さざるをえなかった。
 第二次大戦後、チトーがもっとも恐れていたことは、一方ではソ連の支配の強化であり、もう一方では国内の諸民族を使嗾して分裂を図る帝国主義国の策動である。もし、チトーの国家が、東西どちらかの陣営に属していれば、この二方面からの危険を避けることはできない。しかし反対に東西両陣営が厳しく対立しあえば、それだけ両者の中間により安全に自立できる好機も生まれるわけである。両陣営にとってかならず一定の利用価値が生まれるからである。それは同時に、現状を固定し、なにも変えないことをも意味している。何かを変えれば、当然バランスが崩れ、常にこの地を狙っている両陣営の何らかの介入を招かざるをえないからである。それはいはば、時間の停止であり、政治的冷凍化である。このことは、スイス、オーストリアでも同様であった。そして、これらヨーロッパの「中立」国は、冷戦の終結と、ロシア、ヨーロッパの政治的崩壊の中で、それが氷塊である限り漂流せざるをえない。一方アルバニアは、独立を維持する点では、四方を敵対する国家に囲まれてはいたが、いずれも弱体であったから、一定の支援を受けることが出来さえすれば十分であった。最初はチトーの援助を受けたこともある。次いでソ連の全面的な援助を受けた。中ソ論争ののちは中国の援助を受けた。援助国には、軍事的圧力によって直接アルバニアを支配することができないことは明らかであった。これによってアルバニアは自立を維持しつづけることができた。だから、ユーゴスラビアが崩壊し、多数の小国に分裂して行けば、アルバニアにとって傘を失うことになり、自立のためには、激しい戦闘に参加せざるをえなくなるだろう。もちろんそれは、アルバニア民族の統合の好機でもある。
 アルバニア労働党が、なぜあれほどまでにスターリン主義に純化していったのかは、民族革命、つまり民族の統合を一瞬でも思考するならば、このような国際的な圧迫を跳ね返すために厳重な闘争を覚悟せざるをえないからである。「社会主義の灯台」アルバニアは、疑いもなくマルクス・レーニン主義的な社会主義からは最も遠いほぼ純粋な農業国であったそしてアルバニアにとってもっとも切実で、もっとも必要な課題はいうまでもなく民族革命であり、民族の自立であり、民族の統合であり、ヨーロッパとアフリカ・アラブ・トルコの諸民族と団結して帝国主義諸国の支配体制を打ち砕き、自由で急速な社会の発展を勝ち取ることであった。しかしながら、このような課題を解決するためには、あまりに重く、あまりに大きな困難を前にして、アルバニア労働党は「一国社会主義」の欺瞞の中に逃げ込んでしまった。そのような情況のもとで、もとより彼らに真剣な社会主義革命があるはずもなかった。1970年代のはじめ、中国で文化大革命がたたかわれていたとき、これに呼応したというアルバニアの「革命化運動」では、はじめてイスラム教の権威に対するささやかな闘争を試みただけであり、その後イスラム革命運動が世界各地で発展してくると、再びこの面でも、民族と宗教のあるべき理念を見失ってしまった。
 ホッジャの死後、アルバニア労働党は急速に解体使、イタリアの積極的な介入のもとで権力を失った。ところがイタリアは、アルバニアアルバニア問題が、全ヨーロッパがこれまで全力を挙げておおいかくし、凍結してきた重大問題の解決なしには何一つ進展し得ない事実に直面し、アルバニア人を詐欺にかけてその資産を盗み取るやたちまち投げ出してしまった。現在は、南部のシュコードラを中心とする「民主」派がイタリアと結びつき、北部のティラナを中心とする「労働」党が自立を標榜して角逐しているが、両者とも極めて弱体である。今や、アルバニアの統合運動、つまり民族革命運動は、コソボに中心があり、アルバニアという国はそれに突き動かされているにすぎない。その歴史的遺存から直ちに脱出することはもちろん困難であるが、「民主」派と「労働」党の対立とは、早い話が、過去におけるソ連派と欧米派の、「社会主義」と帝国主義の対立をそのまま継承しているにすぎず、政治的にも、思想的にも凍結したままなのである。熱い革命の嵐が吹かなければ、これほどまでに熱い氷がとけることはないであろう。
 だがしかし、今アルバニア人が巻き起こしつつある民族革命の大いなる風は、ヨーロッパにおける最初の革命的な民族主義運動となるかもしれないではないか。ヨーロッパにはこれまで、真の意味で革命的民族主義があったとはいえない。ヨーロッパのマルクス主義者たちが、あれほどまでに民族革命運動に無知であったのは、彼らがそうしたものを見たことがなかったからでもある。このことはまた、すべてのヨーロッパ人にも同様にいうことができる。彼らはこれまで常に、アフリカやアラブ・インド・中国等の諸民族を支配し、圧迫し、搾取してきていたが、これらの人々の自由も、人権も、最低限の生存権すらも認めたことはなかった。にもかかわらず、世界各国に対しては、「民主主義」を口実に干渉し、侵略し、略奪してきていたのである。状況は今や最期の逆転劇を上演するところまできている。全ヨーロッパとアメリカ・ロシアはその国内の諸民族の自由と生存の権利を承認すべきである。承認しないならば、そのような腐敗した支配は打ち倒されなければならない。
 アルバニアの民族運動は、このようにヨーロッパ社会の根本的な問題を鋭く突くものである。この点をつかれたならばヨーロッパにはもはや逃れる方法はない。アルバニア人を虐殺し、その他のすべての被抑圧民族に対する「見せしめ」にするか、それとも政治的妥協を図って息継ぎをするかである。おそらくどちらの方法も不可能であろう。こうした方法で対処するには、ヨーロッパすでにあまりに力を失っているからである。
 かつて、オスマン・トルコの支配に最初に反旗を翻し、バルカンをバルカンたらしめたのは、ほかでもない、アルバニア人のスカンデルベクであった。スカンデルベクの象徴があの双頭のワシである。現在のアルバニアが直面しているのは、セルビア人を中心とするヨーロッパの虐殺政策の推進者を一方とし、わずかなエサのために抑圧された無権利なままの状態を凍結することをためらわない、すべての奴隷主義の政治潮流をもう一方とする、二方面の敵である。