世襲大統領を強制する「民主主義」



 エストラダがフィリピンの大統領に当選したとき、それは フィリピン社会の「漂流」の始まりであった。 そしてエストラダがその腐敗と汚職に対する広範な人々の怒りの 告発を受けて辞任においこまれた今は、フィリピンの「遭難」の はじまりである。エストラダというような、 無能かつ下劣な人物がなぜ選ばれたのか、それは、 大統領選挙というシステムそのものに根本的な問題があり、 おそらくは避けることのできない事態であっただろう。 しかし、フィリピンにおける真の問題は、エストラダではなく、アロヨである。 アロヨの登場は、マカパガルの娘であるという一点に基づいている。 それは先のアキノと同様である。アキノはマルコスに殺されたアキノの妻という 資格だけで登場し、農地改革を中心とする数々の改革を約束しながら、 何一つ実現させようとせず、一家とともに国家を私物化し、 フィリピンを単なるメイドとダンサーの供給地に転落させた。 それが「黄色い革命」の内容である。十五年前の「市民革命」の再演などと 騒いでいるマスコミも、ではなぜこのエネルギーあふれる市民の皆さんが、 かくも下劣な大統領を選ぶにいたったのかを明らかにしないのか。 エストラダは単に映画界のスターとしての人気だけで大統領になったのか。 そうだとすれば,フィリピンの市民はなんという愚か者であろうか。 その愚か者が、裏切られたといって怒り、自分が選出した大統領をひきずりおろして、 「ピープル」の力だの何だのと自画自賛し、しかもこれに追随するマスコミの醜怪さ。 これこそが「民主主義」の本質なのか。「民主主義」とはかくもくだらないものなのか。
 このような事態は「おくれた」フィリピンだけのものなのか。もちろんそうではない。 全世界に醜悪な「民主主義」を押し付けてはばからないアメリカが その手本を見せているではないか。アメリカ大統領選挙の混乱は、投票システムとか、 読み取り機とかの問題なのか。そうではない。そこにあるのは 「誰が大統領になっても何も変わらない」アメリカであり、 「それなら同じ家族、家系から何人大統領が出ても問題ない」社会である。 共和党と民主党という党派間の闘争はあり、どの党が政権を取るかによって、 利権を得る部分と失う部分はめまぐるしく交代するが、 寄生的帝国主義としての政治そのものはいささかの変化もない。 ブッシュ家の二代目の後には、あるいはケネディ家の何やらが登場するかもしれない。
 同様のことは、インドではネルー一族を中心にして行われている。 あまりの醜悪さに、インドではネルーの一族はすでに何人も爆殺されているが。 イスラム教国でも例外ではない。パキスタンのブット一家、 バングラのラーマン一家等があり、インドネシアではスカルノの娘が登場しようとしている。 仏教国ミャンマーのオン・サンとその娘は、日本あるいはアメリカの帝国主義者の 赤裸々な手先となって数十年にわたってミャンマーを害しつづけている。ほかにもまた、 選挙を経ることなく「民主共和国」の総書記の地位を世襲しているものもいる。
 早い話が、「民主主義」によって、選挙によって、政権が交代するということは、 権力の本質において何らの変更もない場合であり、選挙を待たずに大規模な市民運動によって 交代する場合も同様である。今回のフィリピンのように。 そして、アメリカを中心とする寄生的帝国主義が推進してきた「民主」と「人権」の政策は、 当初の革命に反対し、ソ連と結びついた各国の軍事政権を標的にし、 諸民族の上層やブルジョア階級を結集してこれを打倒するためのものであった。 しかしソ連が崩壊し、中国が恭順である現在、「民主主義」は急速に買収と恐喝による権力の独占、 私物化へと変化し、その本質をはっきりと暴露してきているのである。 もともとイギリスにおける「民主主義」というものは、そうした低劣なものにすぎなかった。 イギリス、アメリカの支配に降伏したブルジョア派が、その制度を限りなく美化して 国民に押し付けてきたにすぎない。おろかにして寄る辺のない市民が、こうしたものに 一時期幻想を抱いたとしてもかれらだけの罪ではないであろう。
 さて、アロヨが新しい大統領になったことで、フィリピンにおけるこの「民主主義」の退廃の過程は、 さらに一歩進められたといわざるを得ない。それは、あのマカパガル一族の復活と、 フィリピン政治の私物化の過程を大きく進めるものだからである。 マカパガルの時代、フィリピンはアメリカの指揮するASEANの結成に参加し、 「ドミノ理論」のもとに、反共、反中国包囲網の一角を形成し、 大地主を中心とした地方政権を樹立してフィリピン共産党、新人民軍と戦った。 そして現在は、エストラダの「漂流」政権のもとで、新人民軍は急速に拡大しつづけている。 セブ島討伐の失敗に見られるように、イスラム革命派の武装闘争の発展と、 フィリピン政府軍の没落も顕著である。再び権力の危機に陥りつつあるフィリピンには、 やはりフィリピンという国家を「自分のもの」と思考する階級の中から指導者を 見出さないわけにはゆかない。これらのものは当然にも国家と家族の運命を ひとつに結び付けているからである。誤解の無いように付け加えておけば、汚職、 横領も確かに私物化であるが、しかしそれは敢えていえば、まだ部分的な私物化でしかない。 つまり、その方法では、盗み取ったものだけが私的に所有されるにすぎないからである。 国家の私物化とは、そうではなく、国家そのものを、国家のすべてを私物化することを指している。 から当然にもそこでは汚職も横領も起こり得ない、誰も自分のものを もう一度盗むことはしないからである。 これはいわば、蒋介石的な私物化であり、金日成的な私物化である。
 そんなアロヨの当面の課題は経済の再建だそうである。アメリカの破滅を、 誰もが当然の事態として予測せざるを得ない現在、 そもそもフィリピン経済の回復などという計画が成り立つとは到底思われない。 香港をスービックに移転させる計画が惨めな失敗に終わってから後、フィリピン経済には、 もはや回復のための要素は何も残ってはいない。地主、ブルジョア階級の打倒、 人民革命の勝利以外にどんな道があるというのか。