読書録539(2005.03.20)
井上達夫・編著『自由・権力・ユートピア(新・哲学講義7)
 (岩波書店、1998年)

読書録531532533534535に引き続き「自由」に
関する本をとりあげます。本書は「〈岩波〉新・哲学講義」
シリーズの第7巻です。井上達夫による「講義の七日間―
自由の秩序」を中心に、嶋津格、杉田敦、廣瀬克哉、森村
進によるセミナー、井上達夫による思想史年表、川出良枝、
斉藤純一、住吉雅美、橋本努による定義集からなります。
なお、この読書録では井上達夫の「講義の七日間」のみを
扱います。

井上達夫(いのうえ・たつお)
 1954年大阪に生れる。1977年東京大学法学部卒業。
現在、東京大学大学院法学政治学研究科教授(法哲学
専攻)。

▼「講義の七日間」の内容

【第1日・第2日】
 自由は秩序と対立するものではない。第一に、秩序は自由と両立可能である。第二
に、秩序なくして自由はない。第三に、自由は「秩序の量」の問題ではなく、「秩序
の質」の問題であり、自由のためには「よく秩序づけられた社会」が求められる。

【第3日・第4日・第5日】
 さて、自由はしばしば、消極的自由(「〜からの自由」)と積極的自由(「〜への
自由」)に区別される。前者には、権力の抑制という長所と放縦という短所が、後者
には(個人的)自律と(集団的)自治という長所と抑圧の合理化という短所がある
(自由のディレンマ)。さらに、消極的自由と積極的自由はそれほど明確に区別でき
ないという困難も抱える。これらの問題は自由の概念規定だけでは片付かない(自由
概念の袋小路)。
 そこで、秩序の側に目を向けてみよう。確かに国家も市場も共同体もそれぞれ固有
の失敗と脅威を孕むが、組み合わせによってはその長所を活かし、短所を小さくする
ことが可能だ。必要なのは、国家・市場・共同体という三つの秩序形成装置を併存さ
せて、相互の「抑制と均衡」を保持する「秩序のトゥリアーデ」である。

《権力抑制原理としての重要性と、放縦への転化の危険性という消極的自由のディレ
ンマへの対処の道は、国家・共同体の抑圧に対する脱出口としての市場と、市場の放
縦化に対する制御としての国家・共同体との間の抑制と均衡に求められます。積極的
自由が孕む自律と自治の葛藤の調整は、自律と自治の生息地をそれぞれ市場と共同体
が提供し、国家が市場の自律促進機能と共同体の自治促進機能の分化と両立を図ると
ともに、それぞれの機能不全を補完する役割を果たすことによって可能になるでしょ
う。》(42頁)

ただし、秩序のトゥリアーデはその多元的均衡を常に保障されているわけではない。
均衡が崩れれば、たちまち専制へと向かう恐れがある。

【第6日】
 国家・市場・共同体の抑制と均衡を自由のディレンマを解決するための「普遍的」
条件とする視点は、二重の相対性にわれわれの目を開かせる。第一に、単一の秩序原
理の絶対化や、自由という内的葛藤を孕んだ複雑な理念の単一の側面の絶対化を排除
する。第二に、秩序のトゥリアーデの均衡の崩れ方、したがってまた、自由の病み方
が社会によって異なること、それに応じて的確な社会改革のヴィジョンも異なること
を示す。

【第7日】 質疑応答


▼感想

これまで「自由」に関するいろいろな本を紹介してきましたが、僕の一押しはこの
『自由・権力・ユートピア』です。法哲学における自由論・正義論の第一人者が、自
由をめぐる問題を分かりやすく説明しています。詳細は上述の「内容」を見てもらえ
れば分かると思いますが、《自由の諸相の内的葛藤の調整と、抑圧や放縦への自由の
転化の抑止は、自由の概念規定で片付く問題ではな》(27頁)いとして秩序の考察に
移り、国家・市場・共同体の抑制と均衡に基づく秩序(秩序のトゥリアーデ)を「よ
く秩序づけられた社会」として提案する論理展開は見事です。僕も井上達夫の提唱す
る「自由の秩序」にほぼ同感です。

さて、せっかくですので、これまで読書録でとりあげてきた自由論と本書を比べてみ
たいと思います。

まず数土直紀『自由という服従』ですが、僕は数土直紀は「自由の制約」と「自由の
条件」を区別できてないのではないかと指摘しました(読書録531)。その疑問は「秩
序なくして自由はない」と言う本書を読んでますます強められました。

次に藤原保信『自由主義の再検討』ですが、藤原保信はここでリベラリズムは価値相
対主義だと批判します(読書録533)。本書はその批判に直接は答えていません。しか
し、(藤原保信が支持する)共同体論は、国家・市場・共同体の相互抑制と均衡とい
うリベラリズムの複合的秩序構想の一環として組み入れられることによって、その正
当な位置と限界を設定されると主張されています(62頁)。僕もこのような複合的秩
序構想に賛成です。ただ、井上達夫は権力分立はリベラリズムの伝統だと述べていま
すが、これは保守主義の伝統だという意見もあり(読書録393)、見解が分かれるとこ
ろです。

仲正昌樹『「不自由」論』は、秩序というよりも個々人が取るべき態度を問題とした
ものでしたので(読書録536)、本書とは射程がずれます。ただし、「自由」が抱える
問題の認識という意味では、本書とも重なるでしょう。ちなみに、「自由」を楽観的
に捉え、制度設計を提案しているのが森村進『自由はどこまで可能か』(読書録534
です。

自由を秩序との関係で捉えるという意味では、佐伯啓思『自由とは何か』(読書録53
2
)、松原隆一郎『自由の条件』(読書録535)が本書の問題関心と重なるところが大
きいです。両者とも、「自由」が抱える問題点を出発点に、その是正を訴える点も同
じです。

それでは佐伯と松原はどのように自由の欠点を克服しようと考えているのでしょうか。

前者は、「自由」を、(1)「個人の選択の自由」、(2)「社会の是認」あるいは「他者
からの評価」と、(3)「義」という三つの層の重なりにおいて理解することを、後者は、
家族、コミュニティ、国家、リージョンをバランスのもとに保守することを提唱しま
す。これらの結論は、ニュアンスは若干異なりますが、国家・市場・共同体の相互抑
制と均衡を説く井上達夫の主張に似ていると言えます。

その思い描く理想像が似ているにもかかわらず、井上達夫はリベラリストを名乗り、
佐伯啓思や松原隆一郎は保守主義を名乗るのはなぜなのでしょうか。どうもこの相違
は、今の日本社会の病理が何に由来し、その解決のためにはどうすればよいかという
診断、つまり、実践的文脈の違いに帰するという気がします。

井上達夫は自身がリベラリズムを支持する理由を次のように語ります。

《私の評価では、共同体論は米国などの社会病理の解明には一定の有効性をもちます
が、ポスト共産主義社会や現代日本社会の病理を解明するには不十分です。後者につ
いては、普遍主義的な正義と公正、個人や少数者の人権保障、法の支配などにコミッ
トするリベラリズムの方が鋭く深い批判的分析力をもちます。》(61頁)


佐伯啓思や松原隆一郎が戦後民主主義(行き過ぎた個人主義や自由主義)を批判し、
国家や共同体の重要性を説くのに対し、井上達夫は日本は「会社主義」に代表される
ように共同体主義的専制状態にあると診断しています。この、日本のアノミー・アパ
シーの原因は行き過ぎた市場主義・自由主義か、それとも、共同体主義的専制かとい
う現状認識の違いが両者を保守主義・共同体主義とリベラリズムに分けているのでは
ないでしょうか。そうだとすると、彼らは同じ山の頂に向かって別々の道を通ってい
るだけということになりますが、どうでしょう。

なお、僕自身は、日本の文脈では国家や共同体の重要性がもっと強調されてもよいの
ではないかという気がしています。しかし、その描き出す理想像の具体性や論理の明
確性の点では井上達夫は他の論者に優っており、僕は深く共感します。


▼終わりに

井上達夫の意見には次のような点も共感しました。

・人権は国家主権によって守られている面があること(64頁以下)
・EUの統合強化は「もう一つの米国」を作るだけではないかという懸念(68頁)
・NGOは外部の公衆に対する民主的答責性を欠如しているとして「NGO性善説」をとっ
 ていないこと(69頁)

このように本書は非常にお薦めの一冊なのですが、残念ながら品切重版未定。図書館
などで探して読んでみてください。

2005.03.20.


●関連読書録

【自由論関係】 http://tinyurl.com/4k6o5
【哲学】 http://www6.plala.or.jp/Djehuti/NDC100.htm
【法学.法哲学】 http://www6.plala.or.jp/Djehuti/NDC300.htm#321


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