読書録121(2001.08.30)
井沢元彦『逆説のニッポン歴史観』(小学館、2000年)
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稲垣武『朝日新聞血風録』(読書録117)を再読したのに刺激されて読んだのが本書。副題は「日本をダメにした「戦後民主主義」の正体」となっている。著者の井沢元彦(1954年〜 )は、早稲田大学法学部卒、TBS報道局記者を経て、現在、作家。歴史やジャーナリズムに関する著作が多い。本書は小学館発行の雑誌『SAPIO』に1997年4月23日号から2000年5月10日号に連載されたものを再構成したものである。 本書は全4章構成。 ○第1章 朝日新聞の罪 朝日新聞の意見記事を元に、いかに朝日新聞が、百人斬り虚報事件、歴史教科書誤報事件、林彪事件、文革礼賛などの親中偏向報道、及び、大量の在日朝鮮人や韓国人、日本人が北朝鮮に渡るきっかけを作った「北朝鮮=楽園」礼賛などの反韓国・親北朝鮮報道を行なってきたか、論証している。これらはすべて後に誤りであることが明らかになったのだが、朝日新聞は誤報を認めず、認めたとしても謝罪はないという。 その他、朝日新聞の、コメンテーターの意見を偏った形で載せるテクニック、破防法適用に反対しながらオウム信者の受け入れを拒否している住民に憲法違反だと言わない矛盾、日の丸・君が代に反対しながらオリンピック等でそれらが使われている際には何も言わない矛盾、が指摘されている。 |
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○第2章 進歩的文化人という「ウイルス」
進歩的文化人と呼ばれる人々が、いかに現実を無視した反韓・親北朝鮮観に染まって
いたかが論証されている。進歩的文化人の代表は岩波書店社長であった安江良介であ
る。朝日新聞や岩波書店を含む彼らは民主主義を標榜しながら、軍事政権ではあった
が複数政党制をとっていた韓国を独裁と言い、一党支配の北朝鮮を礼賛していたので
ある。岩波の『世界』は、ラングーン事件は北朝鮮に仕業ではなく、全斗煥大統領の
自作自演だと暗に言っているような論文を載せていた(83年12月号)。
このように理不尽なほどに韓国非難を繰り返してきた進歩的文化人は、それに関する
謝罪もなしに最近は風向きが変わったのを見て韓国に迎合しはじめた、と井沢元彦は
指摘する。しかし、ものごとを単純な善悪二元論で捉え、「悪」を叩く為ならデータ
の真偽もよく確かめずに使うという盲目性は変わっていない。吉田清治の従軍慰安婦
強制連行詐話事件、岩波新書の『南京事件』写真誤用事件(日本軍が日本人を護衛し
ている写真に、日本軍が中国人を暴行するために拉致したというキャプションをつけ
ていた)、毎日新聞『ナヌムの家』事件(韓国の元従軍慰安婦たちの現在を追うド
キュメンタリー『ナヌムの家・パート2』試写会中、中年男性二人がやじを飛ばし、
それに対して会場にいた元慰安婦の女性が身の上話を始めたというコラムが載った
が、やじは前年の別の映画でのもので、元慰安婦の話というのも映画の中だったとい
う虚報事件)、などがその例として挙げられる。
その他、君が代・日の丸問題では生徒の自主性をと訴えながら東条英樹を扱った映画
『プライド』は大人にも見せるべきでないという矛盾、「創氏改正」を差別政策だと
教える教師の誤り(「創氏改正」は同化政策ではあるが差別政策ではない)、生徒と
教師を同格化することによって学級崩壊を生んだ日教組の誤り、10年前まで日韓基本
条約も認めなかった社会党の盲目的反韓国・親北朝鮮姿勢が指摘されている。
○第3章 歪んだメディア
地方新聞に多く配信し、部数3000万に匹敵すると言われる共同通信の問題点が指
摘される。ベトナム戦争時、北ベトナム正規兵を南のゲリラと誤りを承知で伝え続け
た事実、地方紙の社説はかなりの部分、共同通信が配信する資料に基づくという事実
などが論証されている。
その他、税金を使い、なおかつ排他的な記者クラブの問題点、石原慎太郎『三国人発
言』報道の問題(意識的に前後の文脈から切り離した)などが指摘されている。
○第4章 日本社会はどこへ行く
「和をもって貴しとなす」という決断者不明の日本社会、及び、全体のためでなく保
身を優先する個人が、先の大戦を招き、現在の政治腐敗の原因だと主張する。これに
関しては、歴史から学ぶことの大切さを説き、リーダーは織田信長を目指せという。
他に、有事法制や改憲に関する議論をしようとすると軍国主義者のように扱うことの
不可解さが述べられている。
稲垣武が自身を体験をもとに、朝日新聞の内情を暴露した内容であったのに対して、
本書は、徹底的に朝日新聞社発行のメディアを材料とした実証研究となっている。歴
史研究家らしいアプローチだ。一般論として暴露本は本人を信用するかしないかとい
う問題が常につきまとうのに対し、既発表メディアを使っての論証は読者による確認
が容易なのが嬉しい(もちろん僕は稲垣武をかなりの程度信頼しているし、外部から
は知り得ない貴重な情報を提供していると感じている)。また、本書は朝日新聞のみ
でなく、岩波書店、共同通信、日教組、社会党、進歩的文化人(これらを井沢元彦は
「残留左翼」(190頁)と呼んでいるが、適切だとは思わないので、僕は以下「進歩
派」と書く)までをもその批判の対象に含めている点も稲垣本とは異なる。一昔前ま
で勢力を奮っていたいわゆる「進歩派」とはどういうものかを知るには格好の書であ
ろう。
僕は井沢元彦の意見に概ね賛成である。今でも、朝日新聞、『世界』、『ニュースス
テーション』、『ニュース23』の報道には疑問を感じることが多い。特にその言葉
の使い方は問題だ。最近では、歴史教科書・靖国参拝問題の報道が良い例であろう。
コメントでは「日韓関係悪化は好ましくないですね」ともっともなことを言いなが
ら、背景には韓国人が日の丸や昭和天皇の写真を焼いている映像を流す。もちろん、
韓国人の多くがこういう行動を取っているのならそれは一般的な事実であり問題な
い。しかし、どうも韓国に行った人や韓国人の友人に聞いてみてもそのような行動を
とるのはごく少数の人のようだ。多くの韓国人がこの問題に不快感を示しているのは
確かであろう。そしてどこの国にも過激な人間はいる。しかし、だからといって、過
激な映像を流すことにどこまで意義があるのか。それは双方に誤ったメッセージを伝
え、日韓関係をかえって悪くするだけではないか。誤解を招くような報道が日韓関係
を良くするとはとても思えない。
この他にも「歴史教科書によって日韓交流が中止になるのは残念だ」「外国に誤解さ
れるからやめるべきだ」というコメントにも問題がある。前者は、@教科書問題と日
韓交流はそもそも関係ないのに結び付けられて残念なのか、A交流中止という結果ま
でひきおこした歴史教科書が残念なのか不明だ。Aを言いたいのだが、そこまではっ
きりは言えないのでわざとどちらにでも取れる表現を使ったのではないか。後者は、
「誤解」であるのならマスコミが誤解されないように分かりやすく伝えれば良いだけ
の話で、「やめるべきだ」ということにはならないだろう。
いわゆる「進歩派」には、誤報や虚報は論外として、様々な問題があると感じる。
「初めに国家悪ありき」というアナキズム的前提を持っていること(長尾龍一、読書
録80)、人権・平和・憲法といったものに対しては疑問も許さないような態度(宮崎
哲哉他、読書録60、また、読書録87)、他人の罪を言い立てる事によって自己を善と
信じ込む偽善性(遠藤周作、読書録107)などだ。中でも最大の問題は、疑問のタ
ブーであろう。「疑問」とは「反対」のことではない。よりよく知るための営みだ。
これが許されれば議論も可能となり、自由な議論の中で誤った考えは正されていくで
あろう。日本社会の今の成熟度であれば、自由な議論を認めても危険なことはないは
ずだ(読書録87参照)。南京事件、東京裁判、憲法九条問題などの問題に疑問を抱く
人を右翼、国家主義者と決めつけて拒絶するのではなく、議論して欲しい。
最後に、本書を読んでいて戦争責任に関して考えるところがあったので記したい。第
4章に、和の精神、及びそこから生まれる総合的な意思決定の場の欠如(=国益より
も省益)が、日米大戦につながったという記述があった。東条英樹はしばしばヒト
ラーやムッソリーニなどのファシストと並べられ、開戦を命令した日本の独裁者のよ
うに語られる。しかし、実際は気の弱い官僚だったらしい。彼の最大の失敗は開戦を
したことではなく、開戦を止める決断ができなかったこと、終戦の決断ができなかっ
たことなのだ。近衛内閣から政権を引き継ぎ、ハル・ノートをつきつけられた段階で
周りは開戦あるのみという雰囲気だったのだ。稲垣武(読書録117)も述べている
が、この雰囲気を作り出した責任は、資本家や軍人にはもちろんだが、国民やマスコ
ミにもかなりの部分あった。文学者にもその責任があると五木寛之は指摘している
(『大河の一滴』(読書録120)、132頁以下)。そう考えると、A級戦犯にすべての
責任を押し付けて善良な市民は騙されていただけだという単純な図式は正確でないと
いうことになる。しかし、どうも、「進歩派」はこれを単純な図式に押し込めてし
まっていると感じる。「進歩派」が主張する天皇の責任問題を含めて、戦争責任の問
題はもう一度しっかりと議論した方が良いのではないだろうか。僕自身、改めて勉強
したい。
2001.08.30.
●関連読書録
【進歩的文化人批判】
・稲垣武『朝日新聞血風録』
・鎌田慧『反骨のジャーナリスト』
・鎌田慧『現代社会100面相』
・長尾龍一『憲法問題入門』
・辺見庸『永遠の不服従のために』
・辺見庸『単独宣言』
・本多勝一『貧困なる精神P 無差別テロと無差別戦争』
【ジャーナリズム】