読書録147(2001.10.23)
田原総一郎『日本の戦争』(小学館、2000年)


▼「あの戦争」

田原総一郎は、テレビ朝日系の『サンデープロジェクト』、『朝まで生テレビ』でも
有名なジャーナリスト。テレビ朝日の番組に出ていながら『ニュース・ステーショ
ン』や『朝日新聞』の批判も辞さないジャーナリスト精神の強い人物だ。前から彼の
著作を読みたいと思っていたのだが、夏前に古本屋で本書を見つけ、最近ようやく読
み終えた。

本書の内容に入る前に、「あの戦争」という言葉遣いについて一言述べたい。「あの
戦争」とは、米英蘭と戦った太平洋戦争と中国と戦った日中戦争を指す。今年の 終戦
記念日の読売新聞の社説にも書かれていたが、これらの戦争の呼称が「あの戦争」と
か「先の戦争」という言い方しかないこと自体、日本で戦争総括ができていないこと
を示している。本書は、「大東亜戦争」と括弧付きで呼んだりしているが、早く適当
な呼称を考えたいものだ。


▼本書の内容

「なぜ、日本は負ける戦争をしたのか」(8頁)。この疑問を解き明かすことが本書
のテーマである。これまでこの疑問を詮索しようとすると保守反動だと叱られ、考察
が困難だった。ところが最近では、戦争を肯定し、積極的に評価するような論文 も出
るようになった。両者の態度に困惑しつつ、田原総一郎は本書に取り組んでいる。全
部で7章からなる。

▽第1章 富国強兵
 「強兵」はいつから「富国」に優先されたか。これは山県有朋が行なったという主張
を展開する。

▽第2章 和魂洋才
 大和魂とはそもそも「もののあはれを知る心」を意味したが、新しい国家の秩序の核
を作るにあたり、教育勅語や帝国憲法などを通じて忠君愛国の意に旋回していった過
程を論証する。

▽第3章 自由民権
 坂本龍馬、板垣退助、後藤象二郎、中江兆民らの活動を通して、日本の自由民権運動
を検証する。

▽第4章 帝国主義
 「日清・日露戦争」「日韓併合」は「侵略」だったかを検証する。強者が弱者を駆逐
する帝国主義時代の常識から判断すると、これらが侵略だったとは必ずしも言い切れ
ない。また、韓国で大悪人視されている伊藤博文は、実は韓国併合にも反対で、当時
では最も親韓国的な人物であったことが述べられる。

▽第5章 昭和維新
 二・二六事件は、重臣・政党・財閥の腐敗、農村部の貧困が原因であったと言われる
ことが多いが、実は1936年は経済状況もよく、投票率も高くて政党政治も健在な、社
会的に安定した年であった。こんな時にどうして大規模なクーデターが起こったの
か。実はあれは落ち目になった皇道派の破れかぶれの反撃、北一輝などに洗脳された
思い込みゆえの暴走だったということが論じられる。

▽第6章 五族協和
 「日本の軍事力でアジアを解放」は本気だったか?石原莞爾はどうやら真剣に考えて
いたようである。しかし、満州は中国から奪ったものであるし、満州国も実質は日本
の傀儡政権であった。

▽第7章 八紘一宇
 なぜ日本は負けるに決まっている戦争をしたのか。近衛文麿の優柔不断、国益よりも
省益を優先した陸海両軍、収拾のつかない内乱やより無秩序な戦争をを暴発させるよ
りも自分たちが主導権を持てる戦争を選んだ天皇・木戸幸一・東条英機、そしてマ
スコミと国民による世論の迎合。これらが絡み合って戦争に突入していく。


▼「あの戦争」再考

本書の大きなポイントは、「あの戦争」の責任は軍と政府にあるのはもちろんだが、
国民、マスコミ、天皇、つまり、日本全体にもあったということと、日清・日露戦争
及び日韓併合までは当時の帝国主義時代の基準から侵略ではなかったということであ
ろう。この歴史観は僕もまったく同感である。特に前者に関して若干敷衍したい。

それほどまじめに日本史を勉強したわけではないが、高校までの歴史教育では、「あ
の戦争」には政府や軍部の暴走によって突入していったと習った記憶がある。した
がって、戦争責任は日本政府にあって日本国民も実は被害者なんだと教えられた気が
する。

本書を読むと、「あの戦争」がそんな単純な理由で起こったわけでないことが分か
る。軍部や政府が悪かったのはもちろんだが、国民やマスコミも戦争を煽って支持さ
えしていたのだ。この点は、以前、読書録117(稲垣武『朝日新聞 血風録』)でも触
れたが、A級戦犯のみの責任だと思い込んでいる人も少なくないだろうから、強調し
過ぎということはないだろう。


▼二・二六事件と米国同時多発テロ

本書のもう一つのポイントとして、二・二六事件の考察が挙げられる。これまで は、
殺人という行為についてはともかく、青年将校たちの行動を是認する説が多かった。
それによると、あのクーデター未遂は、農村部での貧困、重臣・政党・財閥の腐敗に
基づく社会的にも政治的にも必然性のあるものであり、青年将校の真情、純粋な 国を
思う気持ちはよくわかる、ということなのだ。

ところが、統計を見ると、1936年は、明治維新以来、日本の経済が最高水準に達 した
年であり、同年の選挙は、投票率78.7%で民政党や社会大衆党を中心とする無産政党
が議席を増やすなど、政党政治も健在で、社会が安定した良い年だった、と田原 総一
郎は言う。さらに、事件前の青年将校の座談会の記録を見ても、農村の貧困などとい
う話は一切出ず、観念的に政党、財閥、重臣、軍閥を非難しているだけなのだ。田原
総一郎は、二・二六事件は落ち目だった皇道派の破れかぶれの反撃だった、と結論づ
ける。

面白い説だと思う。統計や座談会の様子を見る限り説得力もある。それではなぜ、
「青年将校の側にも正義があった」という説が広まったのか。残念ながら田原総一郎
はこの点には触れてない。しかし、二・二六事件と米国同時多発テロの類似性を 考え
るとこの点が非常に気になってくる。

以前、僕は10月11日付日記で、テロリスト本人が犯行声明を出さず、何も語っていな
いのに、勝手にその正当化動機を詮索するのはおかしいということを指摘した。
ひょっとしたら二・二六事件も、マスコミはじめ周りの人間が勝手に青年将校の動機
を論じて、「農村の悲惨な状況を見かねて」という美談を作り出したのではないか。
そうであるとすると、これは恐ろしいことである。本当は単なる派閥争いであり、犯
罪以外のなにものでもない行為であったのにもかかわらず、周りが勝手に美しい理由
を考え出して、部分的にしろ犯罪者の行動を正当化したということになるからだ。

青年将校の行動を正当化するような説がなぜ広まったのかは定かでないが、今回の米
国同時多発テロを正当化するような動機を評論家が勝手に推測するのは止めてもらい
たい。犯行声明がないということは本人たちが正当化できないということだからだ。
勝手な正当化は事実を歪めるだけである。


▼マスメディアの罪

これも既に読書録117で述べたことであるが、本書でも触れられていたので繰り返
す。マスメディアが招く政治不信についてだ。引用しよう。「マスメディアは、とく
に政権政党を徹底批判するのが、まるでマスメディア自身の「良心」のように考えて
いる。これは現在も昭和一桁時代も全く同じで、政権政党はコッピドク叩かれた。そ
して、そのことが、国民の政治への信頼をさらに下落させたのである」(290頁)。
この政治不信が後の軍部支持の温床になったことを考えると、マスコミの責任は重
い。

確かに権力批判はマスメディアの重要な機能だが、それが度を超すと、政治不信を悪
化させるということを如実に示している。権力者は良いこともやっているはずで、バ
ランスの取れた報道が望まれる。


▼昭和史の複雑さ

それにしても昭和史は複雑である。独裁者がいたわけではなく、小者が各々勝手に動
きまわって、あれよあれよという間に戦争に突っ込んでしまったという印象を受け
る。したがって、「なぜ、日本は負ける戦争をしたのか」という疑問にも一言ではな
かなか答えられない。事実、討論番組では出演者の曖昧な意見を許さない田原総一郎
も、本書では歯切れの悪い部分もある。例えば、日清・日露戦争及び日韓併合が侵略
かどうかについては明確な答えを述べていない(文脈、そして彼の討論番組での 発言
からは侵略だとは思ってないと感じる)。

しかし、真に戦争を総括するためには昭和史は避けて通れない。本書はその複雑な全
体像を明治維新にまで遡って俯瞰できる便利な書物である。

2001.10.23.


●関連読書録

【田原総一郎著作】 http://www6.plala.or.jp/Djehuti/ta.htm#tahara_soichiro
【日本史】 http://www6.plala.or.jp/Djehuti/NDC200.htm#210
【昭和史関係】 http://tinyurl.com/6dtmo
【ジャーナリズム・新聞】 http://www6.plala.or.jp/Djehuti/NDC000.htm#070


一等航海士のひとこと


動機を先走って読み取り
その推測が事実としていつのまにか
定着していく・・・
確かにありえそうですね。
ハリー船長の日々の毒舌も相手への
隠されたふかーい思いやりがあってのこと・・・
なんて勝手な推測は私も止めたほうが
よろしいかしら?^^;


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