

今年もこの町の祭りが行われました。(9月23日)
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となりの能美町や江田島町でも同じ日に祭りが行われました。
昔のようなにぎわいもなく胸の高まりも感じられない。
なぜか、さみしい祭りでしたが、私が唯一楽しみにしていた「いが餅」を食べることが出来ました。
なんと3つの店の「いが餅」をです。
しあわせなひとときでしたが、店によってずいぶんと味がちがっていました。
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呉の民話「いが餅の話」 富田 東蜂
このお話は、江戸末期か、明治の始め頃の事と思われます。
まだ、現在の自衛隊総監部が、宮原村と言われていた頃、呉浦に住む猟師の娘と宮原村の青年との恋物語でございます。
毎日々の潮の干満に一本釣の貧しい漁師の帰岸は、1日として同じ時刻はなく、父親と一緒に舟に乗り沖仕事を手伝う恋する乙女は、青年との逢うを約束した、亀山神社(現在の入船山)社頭の常夜灯の処に、胸ふるわせて、愛する青年との待合わせは、どんなにか楽しかったでしょう。
沖から帰った乙女は、
青年の大好きな米粉団子を、吾家の夕食のご飯の炊き上がるときに、そっと米粉をねって、丸く団子にして釜の中に入れて蒸した。ご飯のついた蒸団子を急いで竹の皮に包み、約束の常夜灯の下で青年のうれしそうな顔を見上げながら楽しく語らい、又次の逢う日を約束して帰った。
楽しい恋の日々は幾月経ったか、そのたび舟に米粉団子は運ばれたことでしょう。
ある日今夜は青年の姿が見えぬ。
又翌日も翌々日も、しかし、乙女は雨の日も風の日も冷たい雪の降る夜も、恋しい若者の姿を求めて通い続けるうちに、沖仕事の無理か、冷たい夜風の中で待ち続けたためか、病気となり遂に悲しく死んでいく。
浦人達は乙女の恋の純情を哀れと思い、常夜灯の処に置いてある沢山の米粉団子の包みを可憐に思い、亀山神社の祭礼の日には、だれいうとなく米粉団子の蒸したのを社頭に供える様になった。
後日米粒のついた蒸団子を「いが餅」と言うようになり、亀山神社祭礼の日に土産物として売られるようになった。
年移り時代は変わっても亀山神社祭礼の日には「いが餅」売りに店が主役のようになっている。
この民話は、10月14日に行われた呉の亀山神社祭礼の「いが餅」をもっらたのであるが、そのなかにこの話が記載されていました。
私がちいさい頃から食べていたような気がするこのすばらしい「いが餅」はいつこの島に伝わってきたのであろうか。
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