飲んでも飲まれるな

「王子くん?え・・・どうしたの?」
 後輩を抱えて帰ってきた桐沢に向かって、玲子が驚いて尋ねる。
「木崎たちがやりやがった」
 忌々しげに呟くと、桐沢は話は後だと言わんばかりに、王子を抱えなおして部屋の中に運び入れる。
 玲子が手伝おうとすると、桐沢が止めた。
「いい。酒の匂いがうつる。悪いが、寝室から毛布持ってきてくれ。たしか、そろそろ処分しようかって言ってたやつがまだあっただろう」
 その言葉に、玲子は一瞬立ち止まるが、すぐに思い直して毛布を取りに行った。
 言葉だけを捉えるならかなり酷いが、これだけお酒の匂いを漂わせていれば使用した毛布にも匂いが移るし、万が一気分が悪くならないとも限らない。ならばいっそと桐沢の考えに納得したのだった。

「うわ!?お酒くさ!!どれだけ飲ませたんですか!!」
 王子から漂う想像以上の匂いに、玲子は思いっきり顔を顰めた。
 ネクタイを外し、シャツのボタンを少しはずしてくつろげてやっている桐沢に、
取ってきた毛布を渡す。少し距離があるにも関わらず漂う異臭。
どうりで珍しく桐沢から玄関の鍵を開けておくよう連絡が入ったはずである。 
「知るか、俺が顔出した頃には既にこんな状態だったんだ」
 桐沢は自分に移った匂いに顔を顰めながら答えた。
「とりあえず、シャワーあびてきてください。着替えとクリーニングは出しておきますから」
「すまんな」
 玲子の言葉に、桐沢は素直にしたがった。

「クリーニングの控え、何時ものように電話台に置いてありますから」
 シャワーを浴び終えて出てきた桐沢に、玲子が言う。
「助かったよ、お前がいて」
 桐沢は礼を言うと、玲子を抱き寄せた。
「ちょっ・・・!ダメですってば!!」
 キスしようとした桐沢を、玲子が押しとどめる。
「王子君がいるんですよ!」
「あの様子なら大丈夫だろ」
 チラッと王子の様子を見ると、再度顔を近づける。
「あたしが嫌なんです!!」
 玲子はそう言うと、桐沢の腕の中から逃げ出した。
「夕ご飯と明日の朝食は冷蔵庫に入っていますから、暖めて食べてくださいね。あたしの朝食は王子君にでもどうぞ」
 そう言いながら、鞄を手に取る。
「帰るのか?」
 訝しげな表情を浮かべる桐沢に、玲子は呆れた表情を浮かべる。
「帰りますよ。王子君がいますから」
「いまさらだろう」
 その返答に、玲子はため息を吐いた。
 いくら、二人の関係が周知の事実だとしても、聞くのと見るのでは違う。
「だから、言ってるでしょ。あなたがかまわなくても、あたしと王子君がかまうんです」
 そう言って玄関に向かう玲子の後を、桐沢がしぶしぶついていく。
「なぁ、考え直す気はないのか」
 腕を組んで壁にもたれかかりながら、桐沢が聞く。
「チーフ!」
 咎める玲子に、桐沢も諦めたのかため息を吐くと、身を起こした。
「ちょっと待て。送ってく」
「いいですよ。べつに」
「そうもいかんだろ。仮にも夜に女性を一人で帰すわけにもいかん」
「あたし、これでも警察官ですが」
「少しでも一緒にいたいって気持ちぐらい察っしろ」
 呆れた表情を浮かべてため息を吐くと、桐沢は身支度を整える為に寝室に姿を消す。
「すいません・・・」
 そんな後姿を見ながら、玲子はバツが悪い顔で呟いた。

「ありがとうございました」
 マンションに着いて、玲子がお礼を言う。
「こんなことになるなら、あいつを拾ってくるんじゃなかったな」
 桐沢は、エンジンを切るとそう言った。
「上司として、その発言はいかがなものかと思いますよ」
 玲子が呆れて桐沢を見た。
「そうは言うがな、2週間ぶりだぞ。ゆっくり二人で過ごせるのは。ひとたび事件がおきてみろ。軽く一ヶ月はお預けくらう身にもなれ」
「チーフ、発言が親父です」
 呆れた口調で言う玲子を、桐沢はチラリと見る。
「俺がそっちに泊まるって手もあるな」
 ハンドルに上半身を預けながら呟く桐沢に、玲子は盛大なため息を吐いた。
「他人を家に寝かせておいて、よくそういう考えが出来ますね」
「今更、小娘みたいな事言うなよ。お前だって期待してなかったわけじゃないだろ」
 その言葉に、玲子は言葉に詰まる。
「とにかく、明日遅刻せずに王子君出勤させてくださいね」
 玲子は取り繕うように早口でまくし立てる。
 確かに期待していなかったわけじゃないし、今更気恥ずかしがる歳でもない。残念がっているのは自分も同じである。そんな気持ちを知られたくない為に、過剰なくらい努めて冷静に振舞っていたのだ。だからこそ、桐沢の感に触る発言や態度が気に入らなかった。
 桐沢もまた、そんな玲子の気持ちを知りながら、あくまでも仕事モードで接する彼女の態度に苦々しい思いを抱いていた為、必要以上に困らせた態度を取っていたのだった。
「送ってもらってありがとうございました」
 再度お礼を言いながら、玲子は車のドアに手をかけた。
 まるで、逃げるように車から出ようとする玲子の腕を桐沢は掴む。
「玲子」
 名前を呼ぶと、力を入れて自分の方に引き寄せる。
 驚いて振り返った玲子に、桐沢が深く口付ける。
 最初は抵抗していた彼女も、徐々に受け入れていった。
「ずるい・・・圭吾さん」
 身を離した玲子は、俯きながら呟いた。
 さんざん帰ると言いながら、桐沢の術中に嵌った自分が恥ずかしかったのと、最後には受け入れてしまった気まずさもあって顔を上げる事が出来なかった。
「ちゃんと帰る」
 玲子の身体をそっと抱きしめながら、桐沢が言う。
 ダメ押しのようにそう言われて、玲子は桐沢のシャツを掴みながら言う。
「あたしの口から、それを言わせるんですか・・・」
 途方に暮れたような困った口調で言う玲子の様子を見て、桐沢は詫びるように軽く彼女の頭を叩いた。 
「そうだな・・・卑怯だな・・・」
 桐沢はそう言うと、彼女の耳元で、彼女しか知らない声音で囁く。
 その言葉に、玲子は微かに頷いたのだった。

「起きろ!!王子!!」 
 聞きなれた・・・しかし聞こえるはずのない声に、王子は寝ぼけ眼で辺りを見回した。
 しかし、自分が記憶している風景とは違う事に戸惑いの表情を浮かべた。
 そんな王子の頭を、桐沢が思いっきりはたく。
「起きんか!」
「え!チーフ!?」
 叩かれた痛みと、自分の置かれた状況が理解出来ていない王子は一気にパニックに陥った。
「いいから、早くシャワーを浴びて来い!!かなり臭うぞ!!話はそれからだ!!」
 追い立てられるように、王子は浴室へ追いやられる。
 その後姿を見て、桐沢は呆れてため息を吐いたのだった。
「・・・着替え、ありがとうございます」
 おずおずと話しかける王子を、桐沢は読んでいた新聞から目を離して見た。
「昨日の事、覚えてるか?」
「・・・実はあんまり・・・」
「まぁ、あの様子じゃそうだろうな」
「すみませんでした。ご迷惑をおかけして」
 深々と頭を下げる王子を見て、桐沢はため息を吐いた。
 そんな桐沢の様子に、王子は恐怖で身が縮まる思いだった。
 自力で帰れなくなるほど酔ったあげくに、上司の家に泊まる・・・社会人というか警察官としてどうなのだろうか。
「まぁ、これに懲りたら、自分の酒量ぐらい把握するんだな」
 桐沢はそう言うとテーブルに着くよう顎で示した。
 王子が見ると、テーブルには見事な和食の朝食が用意されていた。
 しかし、二日酔いの状態ではかなりこたえるものだった。
 けれども、せっかく上司が用意してくれたものを要りませんとも言えず、王子は暫し料理を前に考えこんでいた。
「・・・ひょっとして、チーフが作ったんですか?」
 恐る恐る王子が桐沢に尋ね、折り曲げられた自ら着ている洋服を見た。
 ただでさえ、若い自分よりも体型がいい事が、貸して貰った着替えから分かり凹んでいる所に、料理も完璧となれば凹み具合に拍車がかかる。
「そんなわけないだろうが。いいからさっさと食え。お前を遅刻させたら、俺が叱られる」
 誰にとは聞くだけ野暮だろう。
「お前と食べる為に用意されたわけじゃない・・・」
 桐沢の聞こえるかどうかぎりぎりの呟きに、王子の顔色が変わる。
 自分がとんでもない失態をやらかした事にようやく気付いたのだった。
 この朝食を作ったであろう先輩女刑事の顔が浮かぶ。
 確か、昨日は非番だったはずである。
 朝食が用意されていて、本人が居ないとなれば、答えは一つしかない。
 自分は恐らく、上司と先輩のプライベートまで邪魔をした。
 今日ほど出勤したくないと思った事はなかった。
 登校拒否の児童の気持ちが良く分かる。
 ならば、目の前のご飯を残す事は許されない。
 王子は意を決して、箸をつけた。
 (あれ・・・?)
 思ったよりも食べれる事に驚いた。
「美味いか」
 王子の様子を見て、桐沢が聞いた。
「はい!」
 王子の返事に、桐沢が柔らかな笑みを浮かべた。
 その様子に、王子は思わず見とれてしまった。
 何時も難しい顔をしている記憶しか自分の中ではなかった。けれども、こんな表情もするのかと意外だったのだ。
「早く、食えよ」
 桐沢の言葉に、王子は慌てて箸を動かすのだった。

「宇佐木さん、ごちそう様でした」
 王子は出勤すると、珍しく先に出勤していた玲子にこそっと話しかけた。
「別に、王子君の為に作ったわけじゃないから」
 こちらを見ようともせずそう言う玲子に、王子は彼女が怒っていると思い口をつぐんだ。
「まぁ、でも口に合ったならよかった」
 相変わらずこちらを見ようともしなかったが、幾分か柔らかくなった口調に、王子は胸をなで下ろしたのだった。

「おはよ〜さん」
 墨田が出勤すると、珍しく机に噛り付いて何やら書いている男達を不思議そうに見た。
「どうしたの?あの三人」
 墨田は、王子・木崎・蓮見を顎で示しながら、玲子に尋ねた。
「昨日、ハメを外し過ぎて、王子君を酩酊させたみたいですよ」
 玲子は報告書を書く手を止めずに答える。
「か〜〜、馬鹿だね・・・それで反省文かよ」
 呆れた表情で言う隅田に、玲子が肩をすくめた。
 それが反省文だと分かるあたり墨田も色々やらかした過去があると見える。
「理不尽だ・・・」
 木崎の呟きに、玲子達班員の全員が注目する。
「お前が俺達を酔い潰した時にはお咎めがなくて、どうして今回は反省文なんだ!」
「度が過ぎるからですよ。王子君、帰れなくってチーフが自宅に泊めたんですから」
「マジか!?」
 木崎はそう言って王子を見た。
「ほんとです」
 王子の返答に、木崎は諦めておとなしく反省文を書き始める。
 そんな二人の様子を見て、班員全員がなんとも言えない表情を浮かべていた。
 何故、昨日非番だった玲子がその事を知っているのか・・・とか。
 木崎がその矛盾に気付かずに、あっさりスルー出来る鈍さ・・・とか。
 言いたいことや聞きたいことは山ほどあるが、とりあえずは自分達の平和の為に黙っていた。
 誰しも、不要な怒りを買って、巻き添えを食らいたくはない。
「今日も平和だね〜」
 墨田の呟きに、玲子達は心の中で賛成するのだった。