4

「チーフ?」
 神妙な顔をして病室に入ってきた桐沢を、玲子は不安そうな顔で見た。 
 自分の主治医と話をすると言って出て行ったはずの上司が浮かない表情で帰ってきたのだ。不安にならないわけが無かった。
 桐沢は玲子の問いかけにも答えずに、無言で見舞い用のパイプ椅子に腰掛けた。
 ベッドに対して平行に座っている為、こちらからは桐沢の横顔しか見えない。
 恐らくは退院が延びたのだろう。
 玲子は審判を待つかのように、桐沢が口を開くのを緊張して身構えていた。

 桐沢は、組んだ足に片手を乗せ、その上に顔を置くとおもむろに口を開いた。
「・・・俺はそんなに女に飢えている様に見えるか?」
「・・・はい?」
 予想外な発言に、玲子は間の抜けた返事を返した。
 そんな玲子を、桐沢はチラリと横目で見るとため息を吐いた。
 ため息を吐きたいのはこっちの方だ。
 玲子は内心そう思いながらも、桐沢に聞いた。
「チーフ、ひょっとしてお見合いの話でもありました?」
「上司の娘と離婚した男にそんな話がくるか」
 じゃぁ、なんなんだ・・・
 玲子は、今一要領が掴めない桐沢の発言に苛立っていた。
「・・・婦警に告<こく>られた・・・」
「おもてになってよかったですね」
 玲子は思いっきり棒読みで言葉を返した。
 何故、自分は病院のベッドの上で恋人がもてる話を本人から聞かされなければならないのだろうか。
 医者の指示を無視して暴走した自分への新手の嫌がらせか?
 そんな玲子の様子に気づかずに、桐沢が口を開いた。
「本当にそう思ってんのかよ」
「物好きはあたしだけかと思ってましたから、正直驚いてますけど」
「・・・お前の場合は告<こく>ったんじゃなくて襲ったんだろうが」
「誘いに乗った人間が言いますか」
 拗ねた口調で言う玲子を、桐沢はニヤリと笑って見る。
「据え膳食わねばって言うだろう」
「武士は食わねどっていう言葉もありましたけど」
「少なくとも、お前に対しての俺の辞書にはなかったな」
「・・・あ・・・りがとうございます・・・」
 玲子は顔が火照るのを隠しながら、もごもごとお礼を言う。
 まさか正直に返してくるとは思わなかった。
 桐沢は両手を頭の後ろで組むと、椅子の背もたれに体重を預けた。
「はずかしいだろう。面と向かって言われると」
「まぁ・・・」
「俺はさっきそれに近い思いをお前の主治医の前でしてきたんだがな・・・」
 やはりそっちが本題だったか!
 玲子は回りくどい話をしてまで、桐沢が語ろうとする話に警戒する。
「医者からのリハビリ予定無視して暴走した挙句に退院が延びそうになったって説明されて、頭下げて謝罪した俺の気持ちがわかるか?穴があったら入りたかったぞ」
「・・・申し訳ありませんでした・・・」
 玲子はバツが悪そうな表情で苦笑いを浮かべながら、桐沢に謝罪した。
「俺は何時からガキの引率になったんだ?」
「・・・」
「いたずらした子供の謝罪をする親の心境って、こんな感じだよな」
「反省してます!だから本当にもう勘弁してください!!」
 これ以上聞いていたら、羞恥心でどうにかなりそうだった。
 今、思い返してみても自分ですら穴があったら入りたいのだ。それを上司兼恋人の口から改めて聞かされるのは勘弁してもらいたい。
「木崎に感謝しろよ。あいつが気づいて俺に言いに来なかったら、確実に退院延びてたぞ」
 その言葉に、玲子は驚いて桐沢の顔を見た。
 てっきり話の内容から退院が延びたとばかり思っていたからだ。
「退院は予定通りだ」
 してやったりといった表情を浮かべて、桐沢が言う。
 玲子が退院が延びたと思い込んでいた事を読んでいたのだ。
「宇佐木」
 桐沢は椅子ごと玲子に向き合うと、真剣な表情で呼んだ。
「はい」
 口調から、上司としての発言だと理解した玲子は真剣な表情で返事をした。
「退院したら直ぐに現場復帰出来るなんて甘い考えは持つなよ」
「わかってます」
「2、3日は自宅療養だ。基礎体力を取り戻しながら、暫くはデスクワークに専念してもらう」
「はい」
「その後、再度特殊班の訓練を受けてもらって合格ラインに達したら晴れて現場復帰となる」
「了解しました」
「一応言っておくが、このどれかでも命令を無視した場合は特殊班から出て行って貰うからな」
「わかっています。二度はしません」
「ならいい」
 桐沢は頷くと、穏やかな表情を浮かべた。
「よくがんばったな」
 その言葉に、玲子の目から涙がこぼれた。
「すいません・・・なんか入院してから涙腺が緩くて・・・」
 玲子は目元をこすると浮かんだ涙を拭う。
「片山さんにもお礼を言わないといけないですね・・・」
 その言葉に、桐沢は不思議そうな顔をした。
「屋上で片山さんに怒鳴られた時・・・一瞬、父に叱られたのかと錯覚しました・・・」
「それ聞いたら、片山のやつ喜ぶだろうな・・・お前に嫌われてると思ってるから」
「あたしが、片山さんを?」
 今度は玲子が不思議がる。
「あいつの心中じゃまだケリが着いてないんだよ・・・矢嶋さんの件は」
 桐沢の発言に、玲子は心中驚いていた。桐沢が父の名前を自ら出したのは、父の事件以来初めてだったからだ。桐沢の中で何があったのかわからない。桐沢なりのけじめみたいなものかも知れない。しかし、その驚きを玲子は表情に出すことはしなかった。露にしたらまた桐沢は父の事を胸の内に仕舞い込んでしまう可能性がある。
それだけはさせてはいけない・・・
漠然とだが、玲子はそう感じていた。
「確かに、片山さんが関わった事に関しては今も心中は複雑ですけど・・・だからといって今更どうこうとは思っていませんよ。・・・刑事部長の誓約書にもサインしましたし・・・それに結構尊敬してるんですよ。片山さんの事・・・あのたらいまわし人事にめげること無くかなりの成果を出す手腕に」
「確かにな・・・」
 桐沢もその意見には同意した。
「そういや・・・片山って言えばな・・・あいつにバレたぞ。俺達の事」
「え!なんで!?」
「屋上での事見られてたらしい」
「・・・チーフ気付いててキスしました・・・?」
 微かに怒りの含んだ声に、桐沢は肩を竦めた。
「急に取り繕っても仕方が無いだろ?」
「それはそうですけど・・・」
 玲子は桐沢の言葉に押し黙る。
「まぁ、片山にもばらしたらどうなるかは丁寧に説明しといたから大丈夫だ」
「・・・」
 片山の半泣きの顔が目に浮かぶ。
「・・・チーフと片山さんてご友人ですよね・・・?」 
 恐る恐る尋ねる玲子に片山が嫌そうに答える。
「警察学校時代からの腐れ縁だ」
「・・・脅します?普通・・・?」
「脅すね」
 迷いも無く即答した桐沢に玲子はもう何も言うまいと思った。
 こういう性格をしていたのだ。わが敬愛なる上司は・・・
 片山がたらいまわしの人事になったのに、どこにそんな暇があったのか・・・ちゃっかり自らの保身に上手いこと立ち回って現状維持に留めた桐沢の政治手腕に、この男だけは敵に回すまいと交渉班全員が思ったのは言うまでもない。
 さすがはサタンと陰口を叩かれていることはある。
 片山には、居合わせた間の悪さを諦めてもらうしかない。

「そろそろ時間か・・・」
 桐沢は腕時計で時間を確認する。
 と、同時に院内に見舞い終了のアナウンスが流れた。
 身支度を整える桐沢を見送る為に、玲子はベッドから降りようとした。
 それを桐沢が止めると、思い出したように玲子に告げる。
「そういえば・・・退院の日、澪ちゃん来れないんだって?」
「えぇ。バイトが休めないらしくって・・・なんとか休むって言い張ってたんですけど・・・あたしが止めました。あの子、今一人暮らしするんだって資金貯めてるところなんで・・・ひょっとして、澪から連絡行きました?」
「あぁ。まぁ、どのみちその日は来るつもりだったから、あらかじめ休暇申請はしてあったからな。それに車があった方が便利だろう?」
「いいですよ。そんな、態々来ていただかなくても・・・」
 恐縮して断る玲子に桐沢はため息を吐いた。
「玲子、たまには恋人らしいことさせろ」
「・・・じゃぁ、お言葉に甘えてお願いします。それと甘えついでにもう一つ頼みたい事があるんですが・・・」
「なんだ?」
「帰りに・・・父のお墓に寄りたいんですが・・・」
「・・・そうだな。お前、危険にさせた謝罪をしないとな・・・」
「いや、そんな大げさな・・・」
「俺としては、今後矢嶋さんに頭下げるのは、あと一回にしたいんだがな」
 桐沢の発言の意味がわからずに、玲子はキョトンとした表情を受かべる。
 そんな玲子を見て、桐沢は内心苦笑した。
 ストレートに言わないと分からないのだったと思いながら。


「それって、桐沢さんのプロポーズだったんじゃないの?」
 後日、その話をした妹は呆れ返った表情と口調で言った。
「だって、お父さんに頭下げるっていったらあれでしょ?娘さんを・・・ってやつ」
 さらに悩む玲子を見て、密かに妹は決意する。
 この姉に付き合え、且つプロポーズしようなんて考える男はそうそういるものではない。
 姉の結婚を逃さない為にも、桐沢を逃してなるものか・・・と。