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「珍しいな、お前がこんな時間に仕事をあがるなんて」
 車のドアに手をかけた時、背後から聞きなれた片山の声が聞こえた。
「悪いが、この後用事がある。お前と遊んでる暇はないんでな。またにしてくれ」
 そっけない桐沢の言葉に、片山が慌てて呼び止める。
「まてよ!宇佐木のとこに顔だそうと思うんだが・・・どうにも行きづらくて・・・一緒にどうかと思ってな」
 その言葉に、桐沢は片眉をひょいと上げた。
「今から向かうところだ。乗ってくか」
 まるで、チャウチャウを思い浮かべるかのような満面の笑みを浮かべると、片山は助手席に乗り込んだ。
「宇佐木になんかあったのか?」
「何でだ?」
「いや、部下の見舞いにお前が態々早引けするとも思えんし・・・お前、俺が声かける前、かなり深刻な顔してたぞ」
 まさか、片山に見られていたとは思わなかった。
 さすがに、ライバルと認めた男だ。観察眼の鋭さに舌を巻いた。
「まさか、お前・・・」
 何かに気付いたような片山の発言に、自然ハンドルを握る手に力が入る。
「宇佐木に惚れたか!お前、好きだろ。ああいうタイプ。いかんぞ〜上司部下の間柄で・・・」
 冗談半分に言う片山に、桐沢は苦笑しながら答えた。
 まさか、もう手をつけた後だとは言えない。
「くだらないこと言ってると車から叩き出すぞ」
 桐沢の言葉に、片山はホールドアップで引きつった笑みを浮かべた。
「怪我で入院しているのとは訳が違う。宇佐木の復帰に関して、担当医と話したくてな。それで早くあがったんだ」
「なんだよ。つまらねぇ」
「悪かったな。お前が楽しめるネタじゃなくて」
 くだらないやりとりをしていると、あっという間に病院に到着した。

 玲子の病室に近づいたとき、中から血相を変えた澪が飛び出してきた。
 澪の視線が桐沢で止まる。
「桐沢さん!」
 せっぱ詰まった澪の声音に、桐沢は事情を悟る。
「片山!屋上探してくれ。俺は中庭を見てくる」
「あたし、このフロアもう一度見てみます」
 二人同時にそう言うと、慌てて走り出した。
「おい!・・・屋上行くか・・・」
 いまいち状況が把握できないが、恐らくは病室に宇佐木がいないのだろう。二人の様子から早く宇佐木を探さなければならないという事態は飲み込めた。
 そこは職業柄というか、素早く状況に適応すると、自身も急いで指示された場所に向かった。

「・・・宇佐木、何してるんだ?」
 片山が屋上に出ると、一人黙々と腕立て伏せをしている玲子の姿が目に入った。
 傍に来た自分の声に気づかない程、とり憑かれたように熱心にトレーニングをしている姿に、片山は寒気がした。
(こいつ、心臓の手術受けたんだよな・・・何が復帰の相談だよ・・・)
 先ほどの桐沢の思いつめた顔を思い浮かべて、片山は内心ため息を吐いた。
 おそらく、宇佐木が今置かれている状態について担当医か妹にでも呼ばれたに違いない。
「どうして、進んで面倒ごとを引き受けたがるのかねぇ・・・?」
 片山の呟きに宇佐木はようやく手を止めた。
「片山警視?」
 不思議そうに自分を見る玲子を上から見下ろしながら、片山は盛大なため息を吐いた。
「何をやってるんだお前は!今すぐ立て!!」
 片山の恫喝に、玲子は驚いて立ち上がった。
 立ち上がると同時によろけた宇佐木を片山は慌てて支えると、近くにあったベンチに誘導して座らせる。
 顔色の悪い玲子を見て、片山は舌打ちすると、携帯を取り出した。
 そんな片山の様子を玲子が不思議そうに見る。
「血相変えて、お前の保護者が探してたからな。連絡を入れてやろうと思って」
「桐沢チーフが来てるんですか!?」
 血相変えた保護者が誰か分かるあたり、脱走は常習なのだろう。
 よかった。俺の部下じゃなくて。こんな女、俺は部下に持つのはごめんだ。
 片山は桐沢の顔を思い浮かべながら、内心で呟く。
「ここまで、乗っけてきてもらったからな」
 その言葉に、玲子は片山の携帯をもぎ取ると電源を落とした。
「何するんだ!」
「お願いです!桐沢チーフには内緒に・・・」
「もう、遅い」
 片山の背後から聞こえた声に、玲子は顔向けた。 
「あ・・・」
 怯えた表情の玲子を見て、片山も振り返る。
 その表情を見て、片山は一歩後ずさりした。
 久し振りに見た、本心から怒った桐沢の顔だった。
「宇佐木・・・ここで、何をしてた?」
 地の底から響くとは正にこのことだろう。
「空を見てました」
 汗をかいている姿をさらしながら、そう答える玲子を片山は引きつった笑みを浮かべて言った。
「宇佐木、その返答はまずいって・・・」
「何をしていたと言ってるんだ!!」
 桐沢の恫喝に、名前の通り脅えて萎縮している玲子の姿を見て、片山が二人の間に慌てて割って入る。
「桐沢、落ち着け」
「片山、外してくれないか。宇佐木と二人で話がしたい」
「断る。今のお前の様子で二人になんかできるか!」
「お前は引っ込んでろ!俺の部下の問題だ」
「そうもいかねぇだろうが!お前のその様子じゃぁ!!」
 暫く睨み合う二人だったが、先に折れたのは意外にも桐沢だった。
「上司として話がしたいだけだ」
 幾分か落ち着いた声に、片山が念を押す。
「信用していいんだな」
「病人に手を上げるほど落ちちゃいない」
 桐沢の顔を暫くみてから、片山は軽く息を吐いた。
「わかった。車で待ってる」
 そう言って、立ち去った片山の姿を、玲子は絶望の眼差しで見送った
 これで、自分を庇ってくれる人物はいなくなったのだ。
 
 身構えている玲子の予想に反して、桐沢は玲子の隣に腰を下ろすと、タバコを取り出した。
 てっきり怒鳴られると思っていた玲子は、ポカンとした表情で桐沢を見る。
「病人の傍だからとか言うなよ。タバコでも吸って気を落ち着かせないと、最低な人間になりそうな自分がいてな」
「すいませんでした」 
 桐沢の言葉に、玲子が頭を下げる。
 今まで喧嘩をしたことがないわけではない。が、ここまで桐沢の怒りをかったのは初めてだった。
 そんな玲子の様子を、桐沢は横目で見ながら煙を吐き出した。
「宇佐木、お前何を焦ってる?」
 桐沢の的を得た言葉に、玲子は驚いた表情を浮かべた。
「木崎がな、お前の様子がおかしいって言ってきてな」
「木崎さんが?」
「あぁ。それに、澪ちゃんが心配してたぞ。親父さんが亡くなった頃のお前に戻ったみたいだって」
「・・・」
「情けない話だがな。その言葉で、ようやく俺は今のお前の心境に思い至ったわけだ。着任したての頃は、親父さんの死の真相を掴もうと焦ってたからな、お前は」
 紫煙を吐きながら、穏やかにしゃべる桐沢に、これ以上隠し事はできないと悟る。
 甘えろと言われた気がした。
 それに、桐沢の事だ。ちっぽけな自分のプライドなぞお見通しなのだろう。
「・・・怖いんです。自分が、前のようにやっていけるのか・・・交渉は経験と場数が全てです。こうやって入院している間にも事件はどんどん起きる。職場の皆が来てくれて、墨さんが色々話して聞かせてくれるんです。その度に、自分が置いてきぼりをくらっているような気がして・・・」
 墨田には、見舞い禁止令でも出しとくべきだったか。内心舌打ちをしながら、桐沢はタバコを傍にある灰皿で消した。
「今のお前の仕事は、身体を治すことだ」
「・・・はい・・・」
「いいかげんに、早く治して復帰してくれないと、俺と木崎が過労死する」 
「チーフ?」
 思いがけない言葉に、玲子は呆然とした表情で桐沢を見た。
「昔は、俺と木崎の二人でメインの交渉をしていたのにな。・・・最近、二人ともそれがキツイと思えてな。お前を入れた3人の交渉に慣れてたんだよ。着任したての頃は生意気でしかも女。とても使えないと思ってた。・・・気が付いたら、お前はしっかり交渉班の屋台骨だ。・・・お前の腕と実力で勝ち取った場所だ。誇っていい」
 初めて褒めて貰えた嬉しさに、玲子は胸が熱くなった。
 仕事に関して厳しいこの上司は100点満点が当たり前。どんなにいい結果を出しても、褒めてもらったことは一度もなかった。
「前にな、木崎に言われたことがある。お前と俺は似てるってな」
「あたしとチーフが?」
「あぁ。メモを取るタイミングや真相にたどり着くタイミングが一緒なんだと」
 そういえばと、玲子も思い至る。数々の事件の中で、同時に桐沢と真相にたどり着くことはままあった。それに、隠された疑問に感づくタイミングも同じである。もっとも、ほとんどの場合は桐沢の方が先に気づいていた。それが経験の差なのかと当時は悔しかった。だが、そのおかげで今は的確な援護が得られる。考えてみたら、交渉班を一から立ち上げて今の土台を作り上げた人物だ。彼自身も相当優秀な交渉人であることは間違いなかった。
「ひとつ、聞いてもいいですか?例の真里谷恭介の山荘での事件後、私の処遇について、チーフが交渉班に戻す事を上に進言していただいたと噂で聞いたのですが・・・本当ですか?」
「・・・良くも悪くもお前は目立つからな。どこの部署も引き取り手がない。上層部が処遇に困っていたから、交渉班で引き取って監視したらどうかと提案したやったんだ。俺は上司の覚えめでたく、上は厄介払い。一石二鳥だろう」
 不適な笑みを浮かべる桐沢に向かって、玲子は笑みを浮かべた。
「あたし、伊達に2年間チーフの傍にいたわけじゃないんですよ。チーフが嘘をついてるかどうかぐらいはわかります」
 玲子の言葉に、桐沢は苦笑した。
「まぁ、今の話も本当だ。全くの嘘ってわけじゃない」
 桐沢はそう言うと、優しい眼差しで玲子を見すえた。
「育ててみたいと思ったんだよ。俺の手で、お前を一流の交渉人に。今まで、色んな部下を持った。だが、自分で育てたいと思ったのはお前が初めてだ。だからな、宇佐木、焦るな。今は耐えて身体を治す事に専念しろ。俺や木崎がついてる。お前の遅れぐらいすぐに取り戻させてやる」
 桐沢の本心からの言葉に、玲子の頬に涙がつたった。
 それを見られまいと慌てて顔を逸らす。
 俯いて肩を震わせる玲子の姿を見て、桐沢は無言でスーツの上着を脱ぐと玲子の頭にかぶせて覆い隠した。
 鼻孔を擽る桐沢の匂いに安心して、玲子は上着をぎゅっと握る。
「俺は何も見てない。だから今だけ思いっきり泣いとけ。復帰したら、泣く暇なんてないくらいこき使ってやる」 
 桐沢はそう言いながら、玲子の頭を上着越しに優しく撫でる。
「・・・考えてみれば、お前はその細い身体で159人の命を背負って、操縦したこともない飛行機操って無事着陸させたんだよな・・・。あまつさえ、生死の境を彷徨ってたんだ。暫くしてから恐怖が襲ってきても不思議じゃない。実際、術後のお前は魘されながら親父さんを何度も呼んでた・・・・“お父さん、助けてって”・・・」
 初めて聞く話に玲子は身体を強張らせた。 
 それは、桐沢に聞かせてはいけない言葉だった。
 だから桐沢の見舞いの足が遠のいたのか。
 玲子は一瞬、そう考えた。
 携帯の待ち受け画面に父の写真を設定していたくらいだ。
 いまだ、桐沢が父の死を引きずっているのは明らかだった。まして、今回はいくら任務だからといって、かなり過酷な現状に自分を置いたのだ。
 必死に考えを巡らせて、一つの結論にたどり着く。
「チーフも闘ってたんですね・・・」
 玲子の言葉に、桐沢の手が止まる。
 考えてみたら、桐沢だって恐怖を抱かないわけがない。
 これ以上の負担は死に追いやると分かっていても命令をしなければならない。その苦渋の決断はいかほどのものだったのか。ましてや、恋人でもある人間にである。
 もし、万が一の事があれば桐沢は親娘そろって殉職させたことになるのだ。
 桐沢が何を考えていたのかは分からない。だからこそ、これだけは絶対に伝えておきたい。
 玲子は顔を上げると桐沢に言った
「あの時、チーフのあの言葉がなかったら、あたし多分最期まで持ちませんでした。無事に機を降ろせって・・・あの一言で抱えていた不安が取れたんです」 
「そう言ってもらえると、少しは救われるよ。・・・お前の友人の・・・なんて言ったかな?誘拐事件に巻き込まれて負傷した・・・」
「留美子が何か?」
「・・・お前が一般病棟に移って暫くしてばったり会ってな。言われたよ“玲子に死ねって命令しておいて、よくも平気で顔が出せますね!”って・・・正直あれには堪えた」
「留美子のやつ、そんな事を言ったんですか!?気にしないでください!昔っから場の空気が読めないやつですから!!」
「確かに、そんな感じはしたな。だが、彼女なりにお前を心配しての事だ。そう目くじらをたてるな」
「でも!!」
「・・・情けない。勝手に遠ざかって、木崎や澪ちゃんに言われるまでお前の状態に気づきもしなかった。上司としても恋人としても失格だ。不甲斐無い自分に腹が立つ」
「そんな!だって、来てくれたじゃないですか!!誰よりも早くあたしの傍に!それだけで十分です!!だから、自分を責めないでください!!」
 桐沢の胸倉に掴みかかりながら叫ぶ玲子の肩に、桐沢は頭から被せていた自分の上着を掛けなおした。
「まだ、本調子じゃないんだ。そう興奮するな」
「誰がさせてるんですか」
「悪かった」
 桐沢はそう言うとそっと玲子を抱きしめた。
「玲子、よく生きててくれた。お前の心臓が止まったときはもう駄目かと思ってた」
 心の底から搾り出したような桐沢の声音に、玲子も感極まって抱きついた。
「あたしも、圭吾さんにまた会えてよかった。あなたの声が聞きたかった」
玲子が桐沢をまっすぐ見つめて言う。
 そして、どちらともなくそっと唇を合わせた。