癒し(室井編)
「話って何?」
室井に呼び出されたすみれは、不思議そうに目の前にいる男に尋ねた。
話があるからといって呼び出されたのは、勤務時間終了の直後だった。
幸いなことに事件も起こらなかった為、すみれは急いで指定された場所に向かったのだった。
すみれの問いに、室井は無言ですみれを促した。
見ると、おそらくは待たせてあったのだろう。タクシーが一台停車していた。
室井に勧められるままにタクシーに乗り、告げられたのは、なんと自分の自宅だった。
「へ?何であたしの家なの?」
すみれがいまいち理解できずに室井に尋ねると、室井は眉間に皺を寄せながらも、丁寧にその疑問に答えてくれた。
「勝手に君の住所を告げてすまない」
「それは別に構わないけど・・・いまさらだし。でも、だったら最初にそう言ってくれれば、何も待ち合わせをすることも無かったんじゃない?部屋だって片付けられたのに・・・」
「それでは、私の決心が鈍りそうでな。それに、こう言った話をするのにホテルというのものな・・・かといって、私の部屋では君は来づらいだろう」
室井の何時にない遠まわしな言葉に、すみれは不安になった。
「室井さん、まさかとは思うけど・・・別れ話とかじゃないわよね」
すみれの言葉に、室井は驚いて目を見張った。
「君は、私に別れを切りだされる様な事をしたのか?」
「してないわよ!」
「じゃぁ、何でそんな事を思ったんだ?」
「あたしの家かあなたの家でしか話せない重要な話だって言われたら、誰だってそう思うわよ!それに・・・」
ふくれっ面のすみれを不思議そうに見つめながら、室井は話を促した。
「それになんだ?」
「室井さん、会ってからずっと仕事モードなんだもん」
すみれの言葉に、室井は両手で顔を覆うと、ため息を吐いた。
「悪い。ずっと緊張してたからな・・・すまん」
「それはいいけど・・・」
すみれの言葉は、無常にも運転手の目的地に着いた声で遮られた。
室井がお金を払っている間、すみれは先に部屋に上がって簡単に中を片付ける。
程なく、室井が部屋に上がってきた。
すみれは、室井からコートと上着を受け取ると丁寧にハンガーにかける。
その間に、室井は勝手知った様子で、キッチンでコーヒーを入れていた。
「で、人前では話せない話って何かしら?」
すみれは室井からコーヒーを受け取ると、室井が向かいに座るのを待って切り出した。
「今日な、検察庁に呼ばれた」
思いもよらない単語に、すみれの目が驚きで見開かれた。
「なんかやったの!室井さん!!」
すみれの言葉に、室井の眉間に皺が寄る。
「俺は君達とは違う」
「こりゃ、失敬」
「呼ばれたのは、親戚の検事からだ」
「へぇ〜、室井さん検事の親戚がいるんだ・・・優秀な人の一族って、やっぱり優秀な人が多いのかな」
「すみれ、話を進めてもいいか?」
「あ、どうぞどうぞ」
「その親戚の検事・・・私にとっては叔母にあたるんだが・・・その・・・」
そこで言いよどむ室井に、すみれはいぶかしんだ。
暫し目を瞑って迷っていた室井は、目を開けるとすみれを傍に呼んだ。
すみれは不思議そうな顔をしながらも、室井の傍に寄る。
「遠まわしな言い方は、性に合わない。だから、単刀直入に言わせてもらう」
すみれを腕に抱えながら、室井は話を切り出した。
「すみれ、野口の仮出所が正式に決まった」
その言葉に、室井の胸に背を預けていたすみれの体が、ビクッと固まった。
震えながら、室井の腕に力を込めるすみれを安心させるために、室井は少しだけすみれを抱く力を強くした。
すみれの様子に、室井は話の先を言うのをためらった。
「それで?」
震える声で、それでも話しを促すすみれが室井には痛ましかった。
すみれに促された室井は、今日の検察庁での出来事をすみれに話した。
親戚の検事から連絡をもらった室井は、指定された時刻に検察庁を訪れた。
案内によって通された部屋で待っていると、程なく呼び出した本人が姿を現した。
「ごめんなさいね、慎二さん」
その声に、室井は立ち上がった。
父の兄妹の中で一番下にあたるこの人物には、東京に上京してから何かと世話になっていた。
「ご無沙汰しております。玲子叔母さん」
「お互い忙しいもの。気にしないで」
律儀な甥の挨拶に、玲子は苦笑しながら室井に座るように勧める。
玲子が向かいに座るのを待って、室井はここに来るまで気になっていた疑問を口にした。
「お話と言うのは、いったい・・・」
「ごめんなさいね。後輩がどこかであなたと私が親戚筋だと小耳に挟んだみたいでね、仲介をしてくれないかと頼まれたものだから」
その言葉に、室井はいぶかしんだ。
検事から呼び出しがかかるような事件など、今はないはずである。
「それで、その検事というのは・・・」
「芳野君っていってね、かなりのやり手よ。確か、アメリカにも何年か研修に行っていたんじゃなかったかしら?あまり、面識は無いんだけどね」
そう言って、玲子はちらっと腕時計を見た。
「そろそろ来てもいい頃なんだけど・・・連れが一緒だとか言っていたから、そっちが遅れているのかしら?」
その時、ノックの音がした。
「やっと、ご到着ね」
玲子はそう言うと、入室の許可を出した。
「すみません、遅くなりました」
「遅いわよ、芳野君」
玲子の言葉に、芳野は丁寧に頭を下げた。
「申し訳ありません、連れが遅れたもので」
そう言って部屋に入ってきた男は、室井とそう変わらない年齢の男だった。
「初めまして、室井警視。芳野高志です」
芳野は室井に挨拶をすると、自分の後ろに居る人物を中に招き入れた。
「どうぞ」
芳野の言葉に、一人の男が顔を出した。
「あなたは!?」
見知った男の顔に、室井は驚いて叫んだ。
濃紺のスーツに身を固め、髪もキチンとセットされている姿に戸惑ったが、どう見ても自分の良く知っている人物である。
「お久しぶりです。室井さん」
「いや、こちらこそ・・・」
「芳野君、こちらの方が・・・」
「えぇ、私が言っていた人物です。今回の件に関しては彼以外に適任者を思いつかなかったので、協力を頼みました」
「ご協力ありがとうございます。三沢です」
「いえ。保科です。今日はよろしくお願いします」
一通りの挨拶が済むと、一同は椅子に腰を下ろした。
「室井警視に今回ご足労頂いたのは、ある囚人に関する件でお話をしたいことがあったからです」
芳野の言葉に、室井の眉間に皺が寄る。
「野口達夫という男をご存知ですね」
野口という名前に、室井の顔から表情が無くなった。
しかし、目だけは怒りに燃えていた。
忘れたくても忘れられない。恐らくは一生覚えているであろう男だ。
「失礼かとは思いますが、少しあなたの身辺を調査させてもらいました。恩田刑事とはかなり親しい間柄のようですね」
芳野の言葉に、室井は怒りの篭った視線を向けた。
「あなたがたに、そんなことをする権利があるのか!」
「芳野君!」
室井の様子に、玲子は芳野を咎めた。が、本人は至って平然としており、検事達の様子を見ていた保科はため息を吐いた。
「どうして、お前は人を逆なでするような言い方しかできないんだ」
「私達は、あなた方と違って誰かを騙したりする必要はありませんからね」
芳野の言葉に、露骨に保科が嫌な顔をした。
「芳野君!!」
玲子の再度の叱責にも、芳野は平然と答えた。
「別にこれくらいの事、この人は何とも思っていませんよ」
「規則を気にしすぎて、犯人を取り逃がすよりはマシだろう」
その言葉に、初めて芳野の顔色が変わる。
「ちょっと、二人共!」
玲子の焦った声に、保科が答えた。
「気にしないでください。ただ、お互いが嫌いなだけですから」
その返答に、玲子は頭を抱え込んで、室井は唖然とした表情を浮かべた。
「だったらどうして・・・」
「私は、この人の仕事のやり方は嫌いでも仕事の腕は高く評価していますので」
「それで?一体、私が呼ばれた件と野口の件とどういった関係があるんですか」
苛立ちまじりの室井の口調に、玲子が答えた。
「野口の仮出所が正式に決まったの。それをあなたに伝えようと思って」
室井は驚きと戸惑いの表情を浮かべた。
「私個人としては、恩田刑事にはこの事を知らせるべきだと思っているの。それは、芳野君も賛成でね。でも、未だにトラウマを抱えている人物にいきなり話をしてもいいもかという問題もあってね。それで芳野君が保科さんに相談をしたの。そしたら、あなたの名前が出てきたじゃない?驚いたわよ」
「ちょっと待ってください。私には何がなんだかさっぱり分からない。順を追って説明をしてください。何故、恩田刑事よりも私が先に呼ばれたのですか?」
「そうね。あなたは知るべきね」
玲子はそう言うと、真っ直ぐに室井を見つめた。
その表情は、かわいい甥を見る叔母ではなく、やり手と評判の検事としての顔だった。
「ある時、特定の受刑者が釈放されないか尋ねてくる電話を受けた事があったの。必死に震える声を抑えたその様子が気になってね、周りに聞いてみたわ。そしたら、その電話は毎日かかってくるそうじゃない?そう言ったことは別に珍しくもないのだけれど、妙に気になってね。調べてみたの。それが、恩田刑事だったわ」
室井は初めて聞く話に、驚いた表情を浮かべた。
「犯罪の被害にあった警察官。それも再犯だそうじゃない。ふざけるなと思ったわよ。捕まえた刑事があろうことかストーカー被害に合う。なのに、刑期は前とさほど変わらない。少し長くなっただけ。こんな事が許されると思う?それで担当検事に話を聞きに行ったら、仮出所の話しが出ていると言われるし・・・その場でその事件をひったくってあたしが変わりに担当する事にしたのよ」
その時の事を思い出したのか、玲子は憤慨した表情を浮かべた。
「でもね、正直な話私にはどうやってこれを扱ったらいいかわからなかったのよ。どんなに頑張っても、私には彼女の気持ちは分からない。それで、色々調べて芳野君に頼んだのよ。彼は長いことアメリカに行っていたから、こういった事にはちゃんとした対応をしてくれると思ったものだから」
玲子の言葉に、芳野は軽く一礼すると話しを引き継いだ。
「三沢検事からお話を頂きまして、私の方で今回の件を検討させていただきました」
そう言って、数枚の書類を室井の前に差し出した。
「仮出所に関しては、既に決定事項ですのでどうすることもできません。ですから、こちらと致しましては野口の精神状態を鑑定致しまして、また再犯を犯さないか確かめ、万全の対策を取るしかありません」
「ですが、仮出所の話が出ているということは、鑑定の方も終わっているのでは」
室井はそう言いながら、書類を手に取る。
そうそうたる名前が連なった書類を見て、室井は顔をしかめた。
全てにおいて良の判断が下されている。
「その書類を見て、どう思いますか?」
「どうとは・・・」
「はっきり言って、ムカつくでしょう」
芳野の言葉に、室井はどう答えたらいいものか迷っていた。
「室井さん、今や精神鑑定は刑を逃れる口実になりつつあります。むろん、中にはちゃんとした鑑定も行われているでしょう。でもね、一体何人の人間がちゃんとした鑑定ができるのでしょうね」
後半の言葉は保科に向けられて言ったらしかった。
が、言われた本人は肩を竦めるだけである。
「そこで、こちらの人にご足労頂いたわけです。一週間かけて彼を説得して、昨日野口に接見していただきました」
「大丈夫なんですか?」
室井の不安な声に、芳野は自身ありげに微笑んだ。
「ご心配には及びません。こういった事に関しての彼の鑑定は、日本のどの精神科医よりも信頼できます」
「でも、失礼かとは思いますが・・・その・・・」
「室井さんのおっしゃりたい事はわかります。彼は国内では無名です。ですが、海外・・・特に欧米諸国では彼の名を知らない警察関係者はいません」
いまいち、納得のいかない表情を浮かべている室井に保科は微笑んで言った。
「納得がいかないのでしたら、公安に私の知り合いがおります。後ほど、その人物の名前を教えますので、お問い合わせください」
何故?とうい表情の室井に、芳野も申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「事情があって、こちらからは彼の素性は明かせませんが、信頼にたる人物です。ご安心ください」
「室井さん、もしあなたが希望するのであれば、ここから先の話はあなたには伝えずに直接恩田さんに伝えますが・・・どうなさいますか?」
保科の言葉に、室井は迷うことなく答えた。
「教えてください。私から恩田君に伝えます」
保科は微笑むと、詳細な報告を芳野と一緒に伝えた。
「それで、結論は?」
すみれの問いに、室井は感情を交えずに答えた。
「仮出所後は、本人の希望も汲んで実家のある県での観察になる。当分、東京には戻らないだろう」
すみれが頷くのを見て、室井が続けた。
「仮出所にはかなり厳しい審査をしている。実際に、芳野・三沢両検事も確認をしている。それに、先程も話したが最終的には保科さんも確認をしてくれている。書類を見ながら、保科さんの説明を受けた。かなりしっかりとした鑑定をしてくれていた。話しを聞いた限りでは、野口自身も前回逮捕された時とは態度が違っていたようだ。保科さんが言うには、最後に君に蹴り倒されたのがきいたのだろうと言う事だった。私も大丈夫だと思う」
室井は一息吐くと、また話しだした。
「・・・これは保科さんも言っていたことだが、人に絶対ということはない。今は大丈夫でも、何かの拍子でまた元に戻る場合もある。彼が何か問題を起こしたら私に連絡をくれると芳野検事も約束してくれたし、私からもそう頼んできた。だから安心していい」
室井の言葉に、すみれは泣きながら何度も頷いた。
「私は今もあの時の対応の仕方が間違っているとは思わない。君や青島君がやった事はかなり危険な事だ。真下君がすんなり場所を吐いてくれたから、素早く現場に向かう事が出来たからよかったものの・・・そう考えると今でも青島には腹が立つ」
室井の素直な言葉に、すみれはくすぐったさを感じていた。
「うん。あたしもあれから冷静に考えてみたら、勢いに乗って馬鹿なことをやったと思った。あの時、駆けつけて来てくれた室井さんが頼もしかったもん」
「そんなそぶりは感じられなかったが・・・」
「乙女の心はデリケートなのよ」
すみれの言葉にかなり疑問を感じるが、室井はあえて何も言わなかった。
「それにしても、保科さんて益々謎の人物よね・・・」
興味津々と言った様子のすみれに、室井は眉間に皺を寄せた。
「あれから、保科さんに教えてもらった人物に確認を取った」
「で、どうだったの?」
嬉しそうに振り向いたすみれの表情を見て、室井はため息を吐いた。
「意外な返答・・・というか予想外の返答に絶句した」
「何?そんなに凄いの」
「元、FBIの特別捜査官だそうだ」
「はい!?」
「・・・念のためにFBIにも問い合わせた。はっきりいって、私など足元にも及ばないくらいの経歴だった」
「ちょ・・・ちょっと、何でそんな凄い人が歌舞伎町の一病院で働いてるのよ」
最もなすみれの意見に室井も内心頷いた。
「色々と事情があるらしい」
「事情って?」
「これは、極秘で教えてもらった事だが・・・彼もまた犯罪者に付け狙われている被害者なんだそうだ。それが原因で、捜査官をやめたらしい」
思いもよらない室井の言葉に、すみれは驚いた。
「だって、天下のFBIでしょ!日本よりもはるかにその制度だって整ってるじゃない!」
「無理なんだそうだ。被疑者は既に刑が施行されている受刑者だ」
「それでも!!」
「その受刑者は禁固300年の刑で服役中でな。今更刑が増えたところで何も変わらないのだと言われた。まぁ、そういう経験を持つ人だから、今度の件も信頼していいと俺は思う。それと・・・相良純子の件の時はすまなかった。君の気持ちに気づかなくて。叔母にも散々叱られたよ。何時から、人の痛みに麻痺してしまったのかと」
「あの時は、ほんとに傷付いたんだからね!」
「わかってる」
「でも、もういい。室井さんは職務を忠実に果たしただけ。今ならそれが理解出来る。あたしも、意固地になっていたところもあるしね。これからは、ちゃんと守ってくれるんでしょ?」
そう言うと、すみれはにっこり笑って室井を見た。
「あぁ、君を泣かせる人間は俺が許さない。だから、安心して仕事を続けろ」
室井の心の篭った言葉に、すみれは嬉しそうな表情を浮かべて自分から室井に抱きついた。
室井もまた、ホッとした表情ですみれを抱き返す。
室井の心に残っていた重石がようやく取り払われた瞬間だった。