癒し
(すみれ編)
「あれ?」
突如発したすみれの言葉に、室井は訝しげに視線をすみれに合わせた。
久しぶりにお互い事件もなく、特に用事もなかった為デートなどというものをしていた矢先のことだった。
食事も済みまだ時間もあることから、どこかで軽く飲もうかと話していた時だ。
すみれのことだから、てっきり入りたい店を探し当てたのかと思っていた。
室井は合わせた視線の先が店の看板ではなく、店の前に立っていた一人の男だということを不思議に思った。
「知り合いか?」
自分に覚えがない以上、彼女の個人的な知り合いなのだろう。
「・・・知り合いって言えば知り合いなんだけどね・・・」
すみれにしては珍しく歯切れの悪い口調に、室井の眉間に皺が寄る。
その口調からは、会いたくないともここで会った事が不思議だとも思えるものだった。
「挨拶しなくていいのか?」
室井はすみれに聞いた。
「ん〜でも、明らかにプライベートみたいだしね・・・」
どうしようかと考えるすみれに、室井は益々不思議がった。
室井の知る限り、すみれは知り合いに遭遇したら連れが居ようが居まいが行動に出るタイプである。そのすみれがためらう人物というのに、室井は興味を持った。
その男のことを室井がすみれに尋ねようとした時、向こうがこちらに気づいたのか声をかけてきた。
「恩田さん?」
男もまた驚いた表情を浮かべて、すみれの名を呼んだ。
バツの悪い表情のすみれとは対照的に、こちらにやって来る男は優しく微笑んでいた。
遠目から見ても、俳優として十分通じるであろうと思わせる男の容姿だが、人相を言えと言われると全体がぼやけてしまってはっきりとは思い出せない。
職業柄、そういう風に人物観察をしてしまう無意識の癖に、室井は内心苦笑した。
「お久しぶりです。保科先生」
そう言って頭を下げたすみれを、保科は苦笑して見ていた。
「前にも言ったけど、保科でいいよ。どうも、先生と呼ばれるのはね・・・」
「知り合いか?」
室井の問いかけに、すみれが答える。
「青島君のカウンセリングの先生。室井さんは北海道だったから知らなかったと思うけど・・・青島君少しナーバスになってたの。・・・例の事件の後ね」
すみれの言葉に、室井の眉間の皺が益々深まる。
あれだけの怪我だ。PTSD(心因性外傷後ストレス障害)の心配がなかったわけじゃない。
だが、直ぐに北海道に移動となったため、なんのフォローもしてやれなかった。
自分を訪ねてきたすみれも、特に青島の事は何も言わなかったので元気にやっていると思っていたのだ。
「真下君がね、良くないって・・・ほら、彼も撃たれた事があるじゃない?あたしも雪乃さんも、心配だったから・・・あたしの知り合いの保科先生を紹介したの。青島君って、変なとこで意固地じゃない?だから、真下君が紹介した大層な病院には絶対行かないと思って・・・」
「そんなことが・・・」
苦しげに呟く室井に気を使ってか、保科は勤めて明るい口調で言った。
「でも、青島さんはもう大丈夫ですから。心配いりませんよ」
「そうですか・・・」
その言葉に、室井はホッとした。
「それにしても、君にカウンセラーの知り合いがいたとはな」
何気ない室井の言葉に、一瞬すみれの表情が曇った。
「共通の知り合いがいましてね。その方の紹介で恩田さんとお会いしたんです」
すみれによぎった表情を隠す為、保科が言葉をはさんだ。
「そうでしたか・・・青島がお世話になりました」
室井が保科にお礼を言った時、彼が吹き出した。
その様子に、室井は困惑顔だった。自分は彼に笑われるような事をしたのだろうか。
室井の様子に気づいた保科が慌てて訂正する。
「すいません。違うんです!あなたがあまりにも、恩田さんや青島さん達が言っていたイメージ通りたったものですから・・・。気に障ったのなら謝ります。確かに、初対面の人に対して失礼な行為ですよね」
その言葉に、今度はすみれがギョッとして叫んだ。
「保科さん、それ反則!!」
さらにすみれが何か言おうとした時、彼が立っていた店のドアが開いた。
店から出てきた女性の姿を見て、室井が微かに目を見開き視線を泳がせた。
室井の様子に、すみれも不思議そうに彼女の方を見ると、向こうも同様の様子だった。
「和斗」
女性の呼びかけに、保科が振り返る。
モデルばりの容姿に大人の女性の色気を合わせ持ったどこか妖艶な感じのする女性は、保科と並ぶと妙に迫力があった。
これぞ、美男美女のカップルである。
「知り合い?」
女性の問いかけに、保科は頷いた。
「悪い、少しだけ待っててくれ」
その言葉に女性は頷くと、車のキーを見せた。そして、室井に会釈すると路上に止めてあった真っ赤なポルシェに乗り込んだ。
その車は、先刻室井とどういう人物が乗り回しているのだろうかと話していた車だった。助手席ではなく運転席に座った彼女を、妙に納得したような表情ですみれは見ていた。
「あれで、ドライバーが中年のダサいオヤジだったら犯罪よね・・・」
ポツリと呟くすみれの言葉を、顔を見合わせながらわざと聞き流す室井と保科だった。
「彼女ですか?」
疑問が解決してすっきりしたのか、すみれが話題を変えてきた。
「すみれ!」
いきなりの質問に室井が咎める。
保科は苦笑しながら、室井にいいと伝える。
「違うよ。飲み仲間」
「またまた〜、誤魔化しても駄目ですよ〜」
すみれは、どんな嘘も見逃さないという刑事の顔で言った。
「本当だよ。それに妻帯者だし。・・・寛弥<ひろみ>から聞いてない?」
そう言って、保科は左手の薬指の指輪を見せる。
「一応、これでもあいつの夫なんだけど」
その言葉に、すみれは驚きのあまり保科の胸倉を掴んだ。
「そんなこと一言も聞いてないわよ!」
「すみれ!」
いきなり路上で男の胸倉を掴んだ恋人を、室井が慌てて止めだした。
周りも何事かと振り返る。
「恩田さん!一応、一般人!!」
保科の言葉に、我に返ったすみれが手を離した。
「ごめんなさい。興奮して、つい被疑者に接する時と同じ態度をとったわ」
表情こそ可愛く微笑んでいるが、その言葉に室井と和斗の背に汗がつたった。
普段のすみれの仕事振りを垣間見た発言である。
「今度会ったら、絶対食事おごらせてやる!」
「すみれ!!」
「いいんですよ、室井さん。どうせ、あいつも楽しんでわざと黙っていたふしがありますから。どうぞたかってやってください」
その言葉に、すみれは微笑んで答えた。
「じゃ、遠慮なくたからさせていただきます」
そう言って、すみれは保科と笑いあった。
「それじゃぁ、そろそろ」
別れの言葉を口にすると、保科は室井の方を見た。
「室井さん、あなたが彼女の傍に居ることに安心しました。どうか彼女をよろしくお願いします」
何故、彼にそんな事を言われるのか疑問に思いながらも、室井は言われた言葉の重さを真摯に受け止めて返事を返した。
「全力で、守ります」
その言葉に、保科は満足気に微笑むと再度室井に言った。
「あなたが思っている以上に、周りはあなたに期待しているんですよ。がんばってください、室井管理官」
そう言うと、保科は二人に会釈するとその場を立ち去った。
「すみれ」
「何?」
「君達は第三者に私の事を説明する時、どう言ってるんだ?」
「ん〜普通よ〜」
その言葉に、室井の眉間に皺が寄る。
「いいじゃない。誰が見ても一目で室井さんだって分かるぐらいの説明してるんだから・・・愛されてるのよ」
物は言いようとは正にこのことである。
「あ・・・でも一つだけ、皆が口をそろえて言う事があるわ」
そう言うと、すみれは室井を見た。
「何時もここに皺寄せてる人って」
室井の眉間を指差し、微笑んだ。
「あたしも一つ気になるのよね・・・あたし、保科さんに室井さんの役職は言ってないんだけど・・・青島君かな?」
すみれの疑問に、室井は暫し考え込んで答えた。
「・・・いや、違うだろ。おそらく彼女だ」
「彼女って・・・保科さんと一緒に居た人?そういえば、室井さんも彼女もお互い知ってるみたいだったわね」
「まぁな。彼女は本庁でも有名だからな」
「え!?本店の人?」
すみれは驚いて聞き返した。
「あぁ、野上冴子警視・・・いや、確か今期の人事で警視正に昇級したな。今や特捜部の課長だ」
「特捜部?あまり聞かない部署よね・・・」
「まぁ、本庁でもかなり特殊な部署だからな」
「何してるの?」
「何でも。まぁ、刑事部と公安部の仕事を足して2で割った感じだな。県を跨いだ広域犯罪から特殊な国際犯罪まで何でも扱う。その権限は公安と同じかそれ以上だと言われている」
「へぇ〜優秀なんだ彼女。そんな部署の課長だなんて」
「まぁ、彼女は特殊だからな・・・最初の研修からすでに特捜部の配属だったし。今や警視庁きってのエースだよ」
「特殊?」
「野上という名に聞き覚えはないか?」
室井の言葉に、すみれは考え込む。
暫くすると、ハッとして室井を見た。
「ひょっとして彼女・・・」
すみれの出した答えを室井が肯定する。
「現警視総監の御息女だ」
すみれはため息を吐いた。
「そんな人と知り合いだなんて・・・益々謎だわ。保科さんて」
その言葉に、室井も同意した。
「さ、行こうか」
すみれはそう言うと、室井の腕に自分の腕を絡めると歩き出した。
「すみれ、もう一つだけ聞いてもいいか?」
「何?」
「君とあの保科という医者とはどういう関係なんだ?」
室井の何気ない言葉に、すみれの手に力が入った。
自分の腕に痛みが走ったのを知った室井は、自分の失言に気づいた。
明らかに強張った表情を浮かべているすみれを見て、室井は深いため息を吐いた。
「すまない。どうやら私は君の傷にふれてしまったみたいだな」
気遣わしげなその口調に、すみれは泣きそうになった。
どうしてこの人なのだろう。
青島君でもなく、他の誰でもない。この人だけなのだ。自分でも自覚していない心の叫びを察し、理解してくれるのは。
建設省官房次官の息子の事件の時、平行線を辿っていて折れない自分に、あの人は妥協案を出してきた。命令として処理することもできたはずなのに。あの時からだ。自分のこの人を見る目が変わったのは。この人は今までのキャリアとは違うと・・・。
不思議なものだ。今まで必死になって野口の事を隠していたのに、この人には知っていて貰いたい。理解して貰いたいと思ったのは・・・。
この人は大丈夫。絶対大丈夫。
すみれは自分自身に言い聞かせると、室井を見た。
「彼、あたしの主治医。凄いのよ、一瞬であたしの恐怖心を理解して、ちゃんと距離を置いて接してくれたの」
思わず聞き流してしまいそうなくらいのあっさりとした口調に、室井が何か言おうとすみれを見て、ギョッとした。
「す・・・すみれ?」
涙を流しているすみれに、室井は痛ましそうに顔をゆがめた。
「ごめん・・・もう大丈夫だと思ったんだけど・・・」
そう言って、室井の胸に顔を押し付ける。
「野口の件か」
室井はすみれを抱きしめると、静かに聞いた。
「怖かった。男の人が傍に来るのも・・・触られるのも・・・耐えられなかった。最初はまだ仕事があった。仕事に打ち込んでいる時は忘れられた。でも、そのうち仕事で接している犯人にも恐怖を抱くようになって・・・そんな自分が嫌で・・・でも誰にも知られたくなくて・・・どんどん自分が壊れていくのが分かって・・・そんな時に高校の同級生にあったの。色んな事を話しているうちに、言えなかったことまで話して・・・それで保科先生を紹介してもらったの」
「すみれ、もういいから・・・」
「ううん。室井さんには知っていてもらいたいから」
「そっか」
すみれは嬉しそうに微笑んだ。
「・・・青島はこの事を知っているのか?」
とたんに不機嫌になった室井に、すみれは吹き出した。
「やきもち?」
「・・・・」
益々不機嫌になる室井に、すみれは更に可笑しそうに笑った。
「青島君は知らない。話したのは室井さんが始めて。青島君にはスリの被害者として知り合ったって言った。すぐに嘘だってばれたけど」
不思議そうな室井の表情に、すみれはとっておきの秘密を打明ける様な子供の表情を浮かべた。
「保科先生の勤務先、歌舞伎町なの」
その言葉に、室井はポカンとした表情を浮かべた。
「あの先生、カウンセリング以外にも外来診察もしてるのよ。当然、患者はその界隈の人やあっち系の人が多いわけ」
すみれは頬に指を斜めに走らせた。
「そんな人がスリに会うと思う?」
「・・・思わない」
「でしょ?まぁ、保科先生がちゃんと誤魔化してくれたみたい。医者の守秘義務っていうやつ?」
そう言って、何事もなかったかのように歩きだした。
「すみれ」
「今度は何〜?」
「君は一人で、歌舞伎町に行くのか?」
「別に、可笑しくないでしょ?」
「可笑しくはないが・・・」
歯切れの悪い室井の口調に、すみれはくるりと振り返るとふくれっ面をして言い放った。
「しつこい!」
ずんずん歩いていくすみれの後ろ姿を、室井は慌てて追いかけていった。