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うそだろ・・・
片山は今しがた見た光景を思い浮かべると絶句した。
冗談のつもりで言った事がまさか事実だったとは思わなかった。
こんなことなら、車の鍵を借りに行こうと思うんじゃなかった。
片山は左手で口元を覆うと、右手を車の屋根に置いて身体を支えていた。そうしないと、今にも崩れ落ちそうだった。
「なにやってんだ?お前・・・」
そんな片山の様子を気味悪げに桐沢が眺める。
その声に、片山はビクッと反応した。
「・・・お前こそやけに早いじゃねぇか」
たしか、宇佐木の担当医と話をすると言っていたはずだ。
「時間が合わなくてな。とりあえず、お前を送りがてら残してきた仕事片付けてからにするかと思ってな」
邪魔者は消えろってことか・・・
今の片山には桐沢の言葉を素直には受け止められなかった。
「桐沢・・・話がある・・・」
「なんだよ、深刻そうな顔しやがって・・・一目ぼれしたナースでもいたのか?」
「桐沢!」
その瞬間、笑みを浮かべながら軽口を叩いていた桐沢の表情が一変する。
「・・・片山、車に乗れ」
有無を言わせない口調に、片山は無言で車に乗った。
逆らえない強さというか、恐らくは自分が何を言うのか分かっているような表情だった。
片山が車に乗り込むのを見届けると、桐沢も運転席に乗り込む。
「宇佐木が不審がる。話しは病院を出てからだ」
桐沢はそう言うとエンジンを掛けて車を発進させた。
「大事にしてるね〜」
嫌味がかった片山の言葉を、運転している桐沢は一瞥してやり過ごす。
昔から間の悪い男だった。
屋上の気配から気付かれたとは思っていたが、あからさまな片山の態度は見ていて微笑ましかった。
「お前、何時から部下に心配かけさせたくないって言うようなお優しい上司になったんだ?」
桐沢はため息を吐くと、口を開いた。
「お前も見ただろう?今の宇佐木は精神的に不安定だ。余計な疑心を抱かせたくない」
「・・・悪かった」
桐沢の言葉に、片山は先程の発言を謝った。
確かに、宇佐木の様子はからかえるようなものではなかったからだ。
「あいつ、あんなんだったか?屋上で俺の気配にも気付かずに、必至で腕立てしてる姿見てゾッとしたぞ。・・・自信満々で憎たらしいくらいに嫌味連発する女だって思ってたんだがな」
片山の言葉に桐沢が苦笑する。
何だかんだと言いながらちゃんと玲子の様子を把握しているあたりが、片山の人の良さの表れだった。
「あいつはなゴムみたいなやつなんだよ。一度事件が起これば限界までつっぱしって伸びまくる。伸びきる前に事件が解決するか、綻びが出始めた所で上手くメンテナンスしてやればいいんだがな。タイミングがずれて弾けちまうと、今回みたいに深刻な精神的ダメージを追うんだ。ああなると、修復するのに時間がかかる」
「・・・そんな面倒くさいやつよく部下に持とうと思うよな。お前・・・」
「コツさえ掴めば簡単だぞ。こっちでコントロールしてやれば思っている以上の成果を上げてくるからな」
「それが、今回はしくじったわけか」
「中々あれをコントロール下に置くのは難しくてな」
「命令違反の常習者だからな」
ため息混じりの桐沢の口調に、片山は過去を振り返って苦笑した。
「それに、あの状況じゃ、ああいう指示しか出来なかったんだ」
桐沢はそう言うと、路肩に車を停止させた。
確かに、聞きかじった情報だけを分析してもあれ以上の指示はなかっただろう。
「宇佐木の心臓病の事知っていたのか?」
「・・・何かあるとは思ってはいたんだがな・・・知ったのはハイジャック事件の最中だ。妹さんに教えられてね」
苦悶の表情でハンドルに上体を預けている桐沢を横目で見ながら、片山は内心ため息を吐いた。
とてもじゃないが自分には出来ない。
それに、死ぬかもしれないとわかっていて、その命令をためらいもなく実行する部下もいない。
そういう点では桐沢が羨ましかった。
「サタン桐沢復活か・・・」
「なんだ、それ・・・?」
片山の言葉に、桐沢は不思議そうな顔で見る。
「ここ最近、警視庁内で囁かれてる噂だよ。あの桐沢が出世コースに戻ってきたてな」
「おかげさまで、優秀な部下に恵まれてな。昔の汚点を覆せそうだ」
桐沢は勝ち誇った笑みを浮かべる。
その表情を見て、片山は背筋が凍る思いだった。
出世の為には手段を選ばず、平気で周囲を蹴落として行く桐沢の手腕は凄まじいものだった。敵と認識されたら最期、骨の髄まで粉々に叩き壊す。何時の間にか悪魔と陰口を叩かれていた。が、その反面、仲間と認識した人間に対する庇護は厚く、一部の人間からの支持もあった。
利用出来る人間はとことん利用する。
そうやって、桐沢も片山もここまでのし上がってきたのだ。
でなければ、キャリア組みでもない自分達がここまで出世することは無かっただろう。
そんな人間が、まさか自分の部下・・・それも殉職させた部下の娘と恋愛関係に陥るとは想像もしていなかった。
なまじ、宇佐木の父親と知り合いだっただけに胸中は複雑だ。
「片山・・・屋上でのこと、誰にも言うなよ・・・」
「・・・言えるわけがないだろう・・・」
言ったら桐沢に何をされるかわかったもんじゃない。
これ以上の荒波はごめんだ。
「・・・何時からだ?」
「例の宇佐木が狙撃された事件の後、少したってからな」
桐沢の返答に、片山は驚愕の表情を浮かべた。
「あの若葉台記念病院の事件からか!?てことは、サマークロースの時には既にできてたってことかよ!!」
片山は今聞いたばかりの話に頭を抱えた。
言われてみれば、宇佐木がサマークロースの手に落ちたとき、珍しく桐沢が冷静を欠いていた事を不思議に思っていたのだが・・・なるほど。理由が分かれば納得である。
「・・・一年近くもまぁ、上手く周りを欺いてたよな・・・」
「関係持った時の決め事だったからな。公私はきっちり分けるって」
「分けすぎだろ・・・お前ら・・・」
大きなため息を吐いた片山を、桐沢は面白そうに眺めていた。
「宇佐木もよりによって何でこいつを選ぶかね・・・」
「?」
「人が狙ってたマドンナは横から掻っ攫うわ。挙句の果てにさっさと上司の娘と結婚して出世したかと思ったら別居しやがって・・・最低男だぞ。なのに、桐沢管理官って渋くて素敵!とか言われてるんだぞ婦警の間で!!」
「お前な・・・」
片山の言葉に桐沢が呆れかえる。
「本気なのか?」
「宇佐木の父親代わりにでもなったつもりか?」
「そんなんじゃねぇよ。第一、俺は宇佐木に嫌われてるしな」
寂しそうに笑う片山を桐沢は不思議そうに見る。
「そんなことはないと思うぞ。7年前の事件での事なら宇佐木の中でケリは着いてる。じゃなきゃ俺と付き合おうとは思わんだろ」
「お前と俺はあの事件の関わり方が違う。それに、あいつサマークロース事件の合同捜査会議の後、俺に冷たかったしな」
桐沢はその場面を思い出していた。
今から思えば既にあの時から玲子の体の変調は起こっていたのだろう。何時も見慣れている自分では気付かなかった事を、久しぶりに見た片山は気付いたのだ。
あの時、もう少し気遣ってやれてたら・・・
今となっては後悔ばかりだった。
「桐沢?」
物思いに耽っていた桐沢を心配そうに片山が呼ぶ。
「宇佐木のあの態度は事件に集中しだすと、誰に対してもああだ。別にお前が嫌いだからとかじゃないぞ。実際、捜査情報のリークを疑っていた時に、あいつは躊躇無く容疑者リストに俺の名前を入れてたからな」
「・・・お前にはぴったりの相手じゃねぇか・・・」
片山は苦笑しながら言った。
仕事に恋愛は持ち込まないし持ち込まれたくも無い。
桐沢の徹底した態度に嫌気がさして女性が去っていく。あんなに長く別居状態を放置していたのも、離婚手続きが面倒だからという理由だったのには呆れ返ったものだ。
捜査に慕情は挟まない。
まさに桐沢の理想とする恋愛相手だった。
「先の事も視野に入れてるのか?」
片山の言葉に、桐沢は片眉を上げた。
暗に結婚も考えているのかと問うているのだ。
「先の事はわからん。・・・ただ、突発的な事でもないかぎり、恐らくそういった話が出るのはどちらかが交渉班を離れた時だろうな」
桐沢の言葉を聞いた片山は安心した表情を浮かべた。
なんだかんだと言いながら、ちゃんと宇佐木の将来を考慮して考えている。
それなりの覚悟を桐沢がしていると分かれば、自分がとやかく言うことではない。
自分が心配しなくても、桐沢が上手く立ち回るだろう。
片山は気持ちに区切りをつかせると、車を降りて運転席側に回った。
そんな片山の行動を不思議に思いながら、桐沢が窓を開ける。
「すぐ其処に駅があるから、久しぶりにのんびり電車で帰るわ」
「どうしたんだよ、急に」
微かに身を乗り出した桐沢の胸倉を、片山は掴むと凄みを利かせた口調で言った。
「いいか!宇佐木は大事な友人の娘だ!不幸にしたら俺が許さんぞ!!」
一瞬驚いた表情を浮かべるも、片山の思いを理解した桐沢は神妙な顔で答えた。
「言われなくても分かってる・・・」
「そっか。ならいい」
片山はにっこりと笑うと桐沢を離した。
「じゃぁな。宇佐木によろしく」
そう言って去っていく片山の後姿を、桐沢は穏やかな顔で見送った。