災難


「水瀬様!大変です!!」
 勢いよく扉を開けて入ってきた男を見て、水瀬は眉を顰めた。
「何事だ、騒々しい」
「やられました!」
 息を切らしながら、男は一枚の紙を手渡した。
 不審そうにその紙を受け取り、目を通す。
「な!?」
 その内容に、怒りで手が震えだす。
 紙にはシンプルな一言。
 “ちょっと散歩に行ってきます。”
 のみだった。

「何を考えているんだあの人は〜!!」

 怒り心頭の水瀬に、男は恐る恐る告げた。
「しかも、本日の執務はまだされておりません」
 その言葉に、怒りのボルテージが頂点に達した水瀬は、勢いよく紙をまっぷたつに引き千切った。
「今すぐ保科をここに呼べ!!」
「は・・・はい!!」
 水瀬の剣幕に、男は慌てて部屋を後にした。

 
「一体どういうことなのか、説明願いたいものですね。和斗」
 嫌味たっぷりの物言いに、和斗は訳がわからず不思議そうな顔をした。
「それはこっちが聞きたいよ、圭介」
「よくそんなことが言えますね。あなたがまた手を貸したのではないんですか?」
 なかば拉致に近い形で、家からこの部屋まで連れてこられただけならまだしも、身に覚えのない疑いをかけられているこの状況に、和斗は不機嫌な表情を浮かべていた。
「だから、一体何のことだ」
 苛付いた和斗の様子に、圭介は全く気付く様子はない。
「また居なくなったんですよ。和政<かずまさ>様が!」
 その言葉に、和斗はまたかというようにため息を吐いた。
「今更だろうが。何をそんなに慌ててるんだ?」
 毎度毎度の逃亡劇に、律儀に怒る圭介を半ば感心して和斗は見ていた。
「今日中に決済しなければならない書類が、全く手付かずなんですよ!!一体、和政様は何処におられるんですか!!」
「俺が知るわけないだろうが・・・」
 うんざりした口調に、さらに圭介のボルテージが上がる。
「知らない!?よくそう言う下手な嘘がつけますね!あなたの家の庭から、あの方の足跡が発見されてるんですよ!!」
「はぁ!?」
 寝耳に水である。
「ちょ・・・ちょっと、待て!」
 身の潔白を証明しようとする和斗の話など、頭に血の上った圭介には全く通用しなかった。
かくして、和斗は身に覚えのない事に延々と説教をされる事になったのだった。
 

「いらっしゃいませ」
 美樹は店内に入ってきた客に挨拶をした。
 まるで捜し人でもいるかのように、男は店内を見回している。
「どなたかと、待ち合わせですか?」
 美樹の言葉に、男は微笑んだ。
 その視線がカウンターに座っている男に止まる。
「冴羽さん?冴羽さんでしょ!」
 嬉しそうに呼びかける男を、僚は怪訝な表情で見返した。
 こんな奴は知らないといった表情を浮かべえる。
「ご存知ありませんか?私の事・・・」
 その言葉に、更に考え込む僚を香が肘で突付く。
 周りの痛いくらいの視線に、僚は更に考え込んだ。
 が、やはり心当たりがない。
「本当に知らないのか?」
 海坊主の言葉にも、僚は首を横に振った。
 非難めいた視線を受けるが、心当たりのないものはどうしようもなかった。
「僚とはどういったお知り合いですか?」
 見かねた香が、男に話かけた。
「いえ、初対面です」
 男の平然とした答えに、一同はポカンと口を開ける。
「え?だって、あんなに親しげに・・・」
 香の疑問に、男は微笑んだ。
「確かに親しげに呼びかけはしましたが、私は一言も知っているとは言ってはいませんよ」
「でも、ご存知ありませんかって・・・」
「もし、本当に知り合いだったらそんな言葉は使わないでしょう。10人中10人が覚えていませんか?と言いますよ」
 男の言葉に、香はおろか誰も反論出来なかった。
 何故かこの男には、言い知れないオーラみたいなものが感じ取れる。
 というよりも、あまりのマイペースな態度に誰もついてこれないのだった。
 そんな雰囲気を気にもせず、男は悠然とカウンターに腰を下ろしてコーヒーを注文する。
 その声に我に返った美樹は、ぎこちないながらも笑みを浮かべると準備にかかった。
 程なくして、男の目の前にコーヒーが出される。
 男は優雅な手つきでコーヒーの匂いを確かめると口に運んだ。
 まるで何処かの貴族を思わせる様な手つきに、この男の品位が分かる。
「妹が美味しいと言っていたコーヒーを、一度飲んでみたかったんですよ」
「妹さんが当店を?」
「いえ、店の名前は聞いてはいないのですが、たぶんここだろうとおもいまして」
(おいおい・・・)
 その言葉に、一同心の中で突っ込む。
「美味しいコーヒーは飲めたし、冴羽さんにもお会いできたし、今日はいい日ですね」
「俺はコーヒーと同レベルか」
 小声で悪態つく僚。
「でも、どうして冴羽さんに?」
 美樹の言葉に、男は微笑んで答えた。
「いえね、和斗が私の再三にわたるプロポーズを蹴ってまで選んだ人に、一度会って見たかったんですよ」
 男の答えに、僚は青ざめると逃げ腰になり男から距離を取った。
「お・・・俺にそんな趣味はないぞ」
 怯えた僚の口調に、男も心外だと言わんばかりに答えた。
「私はいたってノーマルですが」
 じゃぁ、さっきの発言はなんだったんだと美樹達は疑問に思った。


「やっぱり、ここに居たのか!!」
 店内に顔を出すなり、怒鳴る和斗に何事だという様子で視線が集まる。
「和政様」
 和斗と一緒に居た男の怒りを含んだ静かな声に、呼ばれた男の顔が青ざめる。
「や・・・やぁ。圭介」
「何がやぁですか!」
 圭介は和政の隣に行くと、思わず周りが同情するくらいの説教を仕出した。
 訴えかける和政の視線を、和斗はあっさり無視する。
「せめて、コーヒー一杯分の時間は持つかと思ったのに」
 開き直った口調に、和斗はため息を吐いた。
「僚?」 
 ふと、僚の様子がおかしい事に気がついて、心配そうに声をかけた。
「どうかしたのか?」
「お・・・俺はホモじゃないぞ!」
 突然の発言に、和斗は何なんだといった様子で香を見る。
 すると、香の視線はおろか周りの視線までもが和政に集中した。
 それで理解した和斗は、言い争いの中に割って入った。
「お前、一体何を言った?」
「別に。ただ、和斗が私の再三にわたるプロポーズを蹴ってまで選んだ人に、一度会って見たかったって言っただけ・・・」
 瞬間、和斗はカウンター内に置いてあった銀トレーを鷲掴むと、勢いよく和政の頭に振り下ろした。
 小気味いい音が店内に響き渡る。
「今ので、私の貴重な脳細胞がどれだけ減ったと思うんだ?」
「そんな脳細胞なんぞ減ってしまえ」
 とたんに言い合いになる2人を見て、圭介はため息を吐くと空いている席に腰掛けた。
「すみません、コーヒーを頂けますか?」
 何事もなかったかのように注文する圭介に、美樹が遠慮がちに尋ねた。
「いいんですか?止めなくて・・・」
 その言葉に、圭介は一瞬遠い目をするとうんざりした表情でため息を吐いた。
「和政様の暴走に付き合えて、尚且つ止めれる相手は和斗しかいませんので。それに、何時ものことですから」
「何時もなんですか?」
 香は引きつった表情を浮かべた。
「なんていうか・・・」
 美樹は言葉を濁す。
 内心、可哀想にと和斗に同情する。
 
 コーヒーを飲み終えた圭介は、美樹に2人分のお金を支払うと謝罪した。
「この度は、私共が大変なご迷惑をおかけしました。改めまして、お詫びをさせていただきますので、本日はこれで失礼させていただきます」
 そう言うと、圭介は馴れた手つきで二人の間に入り言い争いを止めると有無を言わせず、2人とも連れて行ったのだった。
「なんだかな・・・」
 店内はまさに嵐の去った後という感じが漂った。


 後日、良質のコーヒー豆が大量に送られてきた伝票を見て、彼が藤城財閥の当主だと気付いたのだった。